2025.01.26
トップアスリート☓米国留学☓公認会計士のキャリアを活かし、新たなスポーツの形を実現する 元ロンドンオリンピック陸上競技日本代表・横田真人
Profile
横田真人(よこた・まさと)
立教池袋中学校三年次に陸上部の顧問に誘われ陸上競技部に入部。立教池袋高校進学後も競技を続け三年次にインターハイ、国体と800mで優勝し全国制覇を果たす。高校卒業後は、慶應義塾大学総合政策学部に入学。在学中に日本選手権800mで初優勝(以後日本選手権を5度制覇)、当時の日本記録も更新。大学卒業後は、富士通に入社、2012年、日本人として44年ぶりに800mでオリンピック出場を果たし、同年、渡米。カール・ルイスも在籍したサンタモニカトラッククラブで二年間競技生活を送る。アメリカでの競技生活の傍、米国公認会計士試験に合格(カリフォルニア州)。2016年、現役を引退し、中長距離のクラブチームを立ち上げ後進の指導にあたる。2019年4月に行われたアジア選手権では3名の日本代表選手を輩出している。
INDEX
米国公認会計士の資格を持つ稀有なアスリート
小松:
今回は陸上800mの元日本記録保持者で、2012年ロンドンオリンピックに出場なさった横田真人さんにお話を伺います。日本人として同種目でのオリンピック出場は実に44年ぶりの快挙でした。
東:
横田さんは立教池袋高校時代にインターハイで優勝、慶應義塾大学ではインカレで優勝し、日本選手権でも二連覇を達成。
同大学競走部の主将も務められました。大学卒業後には富士通に入社し、日本選手権で四連覇。
合計六度の日本選手権優勝という記録を持つ日本中距離界のスーパースターといえる存在の方です。
小松:
2013年にはアメリカ・ロサンゼルスに活動拠点を移し、かつてカール・ルイス選手が所属した「サンタモニカトラッククラブ」にて二年間トレーニングを積むとともに2015年には米国公認会計士の資格も取得。
アメリカなどでは現役アスリートが弁護士や公認会計士の資格を持つことも珍しいことではありませんが、日本においては極めて稀なことといっていいでしょう。
東:
2016年に現役を引退した後は、世界的なスポーツメーカーが運営するランニングクラブのヘッドコーチを務めながらコンサルタントとして複数の企業の顧問やスポーツ関連団体の要職を務めるなど幅広い分野でご活躍なさっていますね。
小松:
現在の横田さんの活動を“その後のメダリスト100キャリアシフト図”に当てはめてみますと、ランニングクラブのヘッドコーチが「A」の領域、日本陸上競技連盟のアスリート委員会や日本実業団陸上競技連合の事業戦略企画委員会でのお仕事は「B」の領域、元サッカー日本代表の鈴木啓太さんが代表を務めるアスリートの腸内細菌解析を事業とするAuB(オーブ)や慶応病院発のベンチャー企業で汗で乳酸値を計測出来る特許を取得しているGrace Imagingeなどのアドバイザーやフライシュマン・ヒラード・ジャパンでのコンサルタントのお仕事が「C」の領域と幅広くお仕事をなさっていることが分かります。

注1)親会社勤務とはいわゆる企業スポーツである実業団チームで自らが所属していた企業で一般従業員として勤務していること
注2)親会社指導者とはいわゆる企業スポーツである実業団チームで自らが所属していた企業の指導者を務めていること
注3)プロパフォーマーとはフィギュアスケート選手がアイスダンスパフォーマーになったり、体操選手がシルク・ドゥ・ソレイユのパフォーマーとして活動していること
注4)親会社以外勤務とは自らが所属していた実業団チームを所有している企業以外で一般従業員として勤務していること
本場で学びたい
東:
まずは現在のお仕事について教えていただけますか?
横田:
コーチの仕事が半分、スポーツ系のベンチャー企業などのアドバイザーやコンサルティングが4割、メディア、イベント出演、競技団体の仕事が1割くらいの割合で働いています。
小松:
本当に幅広くマルチなご活躍をなさっておられますよね。
横田:
そうですね。色々とやってはいますが、何の仕事をしていますか?と尋ねられれば「ランニングコーチ」ですと答えています。
2017年から指導していますが、全員が中長距離走の選手で800から1万mまで8名の選手を指導しています。
東:
現役時代から引退後には指導者になろうと考えていたのですか?
横田:
いえ、元々は指導者になるつもりは全く無くて、スポーツにおける競技や指導の現場というよりはマネジメント側に興味がありました。
小松:
現場で選手を指導するよりも競技全体のマネジメントに興味を持たれていたと。
横田:
そうですね。私は2016年に引退したのですが、その2年前くらいから引退後にはアメリカの大学院でMBA(経営修士号)を取得しようと決めていました。
東:
なぜMBAを?
横田:
スポーツビジネスの本場であるアメリカでスポーツをビジネスとして成り立たせるためのノウハウを身につけるためです。
日本においては野球やサッカーなどの一部のプロスポーツ以外の競技は費用対効果を度外視した企業の無償のサポートで成り立っている場合が多く、ほとんどが自立出来ていませんので、これを何とかしたいなと考えたんです。
結局MBAではなく米国の公認会計士を取得することになったのですが。
小松:
なるほど。横田さんがそのような考えをお持ちになったきっかけは何だったのでしょうか?
横田:
大学を卒業するにあたり、実業団で選手になろうと活動した時です。
私は当時日本選手権の800mで連覇していたのですが、なかなか所属先が決まらず…。
結局、富士通に入ることになったのですが、自らの選手としての価値や陸上競技、800mという種目の価値について改めて考えさせられました。
東:
日本一の選手でも所属先を探すのに苦労なさったのですか?
横田:
めちゃくちゃ大変でした。
小松:
現在でもそうした状況は変わっていないのでしょうか?
横田:
現在は2020年に開催される東京オリンピック・パラリンピックを前にスポーツ界が非常に盛り上がっていますのでそのような状況では無いと思いますが、逆に「そのレベルでいいの?」と感じるようなアスリートでも過剰に優遇されているように感じます。
自国開催の恩恵を受けることが一概に悪いとは言えないですが、気になるのは“オリパラ後”ですよね。恩恵を活かして自らの価値を構築出来ていれば良いですが、そうでなければ…

東:
その後の人生で困ってしまうアスリートが世間に溢れてしまいかねないですよね。
今回のインタビュー企画では、現役を終えた後もご活躍なさっているトップアスリートの皆様がどのようなキャリアを送ってきたのかを伝えることでアスリートやビジネスパーソンの方々が引退や転職などの人生の転機をむかえた後でも活躍するためのお役に立てればと考えていますので、横田さんがどのように考え、行動し、自らの価値を構築なさってきたのかは多くの方々にとって非常に参考になると思います。
コーチになることは考えてもいなかった
東:
元々コーチングではなくマネジメントにご興味を持たれていた横田さんですが、いまのチームのヘッドコーチに就任なさった経緯をお教えいただけますか?
横田:
いわゆる普通のランニングコーチとしてのオファーであればお断りしていたと思います。
日本で指導者としてのキャリアを進めるには、まず実業団や大学などでアシスタントコーチとしての実績を積んでいき、監督に昇格していくのが普通ですが、それには全く興味が持てなくて。
私自身、現役時代にはほとんどコーチをつけていませんでしたし。
小松:
コーチをつけなかった理由はなんだったのでしょう?
横田:
教わりたいと思う人が国内にはいなかったんです(笑)選手としての技術もコーチングも。
東:
常に自ら考えてトレーニングをなさっていたのですね。
横田:
そうですね。正直、現在でも競技の指導のみに特化したコーチは必要ないように感じていますが、2016年にいただいたオファーはGM兼ヘッドコーチとしてチームマネジメントから選手の指導までの全てを任せていただけるということでしたので、これは魅力的なお話だと思い、引き受けることにしたんです。
小松:
チームの全権を委任される立場でのオファーだったのですね!
かなり珍しいケースだと思うのですが、ご自身では何故そのようなオファーを受けたのだとお考えですか?
横田:
一番は海外での選手経験と英語が話せるのを評価していただけたのだと思います。

東:
選手としての実績はもちろん、ロンドンオリンピックに出場なさった後、アメリカ・ロサンゼルスの名門陸上クラブ「サンタモニカトラッククラブ」に二年間在籍して、世界最先端のトレーニングに触れた経験と世界共通語である英語を話せるという点がグローバルブランドの求めるイメージに合致したということなのでしょうね。
小松:
英語はいつ頃身につけられたのでしょうか?
横田:
高校生の頃から取り組んでいて、自分では得意なほうだと思っていたのですが、大学入学後に一番成績が下のクラスに入れられてしまって(笑)
一番上のクラスがDで、C、B、Aの順にランキングが下がっていくのですが、私はAの更にその下にある“ゲートウェイ”という屈辱的なクラスに所属させられて(笑)
東:
そこで反骨心がメラメラと(笑)
横田:
反骨心というよりも「これじゃダメだ」と。将来は海外で生活したいという思いもありましたから、これはもっと本気でやらなくては!と考えて、英会話学校に通ったり、Skypeを活用して外国人と会話をしたりして、海外に住んでも問題ないくらいの語学力を身につけるための努力をしました。
強みを活かしながら、別の軸をつくる
東:
それほどまでに努力して英語を身につけようと考えられた理由は何なのでしょう?
横田:
大学時代のゼミの教授の影響が大きいです。
小松:
教授のお名前をお教えいただけますか?

横田:
慶応義塾大学総合政策学部の上山信一教授です。当時は経営コンサルタントや大阪維新の会の政策特別顧問も務めていらっしゃいました。
東:
教育者というよりもバリバリのビジネスパーソンですね。ゼミでは何を専攻なさっていたのでしょうか?
横田:
経営戦略やビジネスモデルの研究についての指導を受けていました。
小松:
上山教授から英語を身につけるようにとご指導を受けたのでしょうか?
横田:
そうですね。実は、大学を卒業する際に陸上競技の実業団選手として生きていくか、一般企業に就職するのか悩んだんですよね。
先ほどもお伝えしたとおり800mの選手では食べていけないですから。そこで上山教授にご相談したところ「競技は続けた方がいい」と言われて。
東:
意外ですね!上山教授のような方であれば、将来食べていけないであろう陸上競技ではなく、ビジネスパーソンとしての人生をすすめられるようなイメージがありますけれど。
横田:
私もそう思ったのですが、「800mという競技を追求することは横田君にしか出来ないことだと思う。この競技を続けて世界と戦いながらそれ以外の軸をつくることで、誰にもない武器を持つことが出来る」と言われまして。
小松:
800mという競技の弱みに目を向けるのではなく、強みを最大限に活用するための方法を教えてくれたのですね。
横田:
はい。その上で、世界で戦うには英語の習得が必要不可欠だということと、もう一つの軸としてビジネスに活用出来る資格として、公認会計士の取得をすすめられたんです。
東:
それが、米国での公認会計士取得につながるわけですね。
横田:
そうですね。私にとって幸運だったのは、将来を決める大切な時期にスポーツ界以外の視点をお持ちになった指導者に巡り会えたことですね。
アスリートとしての人生を終えた後にしっかりとビジネス界で活躍するために何が必要なのかを上山教授から学んだことが現在に活きていると思います。
小松:
トップアスリートとしての実績と海外でのご経験、語学力を活かして様々な分野でご活躍の横田さん。陸上競技との出会いからお話を伺ってまいりたいと思います。
東:
楽しみです!宜しくお願い致します!

横田:
宜しくお願いします。
小松:
現在のお仕事についてのお話が中心でしたが、今回は陸上競技との出会いから伺ってまいります。
「手伝ってくれないか」ではじめた陸上競技
東:
日本人として44年ぶりに800mでオリンピック出場を果たした横田さんですが、本格的に陸上競技に取り組まれたのはいつ頃からなのでしょうか?
横田:
小中学生の頃は野球やサッカーなどのチームスポーツをやっていて、陸上部に入部したのは中学三年生なんです。
小松:
チームスポーツのほうが好きだったのですか?
横田:
好きというか、個人競技はいつでも始められるから、まずは団体競技でチームワークを学ばせようという親の考えがあったようで、小学生の頃はサッカー、中学では野球部に所属していました。
ただ、野球部のトレーニングはすごく厳しいというか理不尽だと感じることが多く…
東:
どのようなトレーニングに理不尽さを感じたのでしょうか?
横田:
ただただ長い時間走らされたり、球拾いをしたり。中学生ながらに野球でこんなに長く走る場面は無いだろうとか、球拾いをやっていてもうまくならないだろうと思っていました。
だったら同じ時間、素振りをしていたほうがいいなと。
東:
なるほど。野球部なのだから野球がうまくなるためのトレーニングをしたいと。
横田:
そうですね。また、私のポジションは外野手だったのですが、どれだけ自分が守備や打撃で活躍しても、ピッチャーがストライクをとれなくてフォアボールが続くと負けたりする。
自分一人の努力ではどうしようも出来ない部分があることにも納得がいかなくて。
小松:
勝利も敗北も全て自らの責任で引き受けたいと思われていたのですね。
横田:
それぞれが試合にかける思いにも差がありますし。
東:
僕はハンドボールというチームスポーツをプレーしてきたので、自らが活躍出来なくても仲間の活躍で勝利したり、仲間のミスを自らの活躍でカバーすることにも楽しさを感じられたのですが、個人競技で活躍なさっている方にとってはすっきりしない部分だとは伺いますね。
横田:
そんな時に、たまたま陸上部の顧問に人数が足りないから手伝ってくれないかと声をかけられて出場した地区大会で優勝してしまって。
面白いなと思って本格的に練習してみたらどんどん速くなっていくし、他人のことをあれこれ考えなくてもいいからこっちのほうが向いているなと(笑)
小松:
陸上競技の個人種目は相手に勝利することはもちろんですが、自分自身のベストタイムを更新することも目的になりますし、責任の所在が分かりやすいですよね。
また、より速く走るためのフォームを創り上げていくという点では、アーティストのような側面もあるように感じます。横田さんの脚が描く美しい軌跡、大好きです。
横田:
嬉しいですが、マニアックな視点ですね(笑)

小松:
普通の人間には絶対に描くことの出来ない軌跡です。
“やりたい”よりも“勝負出来る”を選んだ
東:
陸上競技の中でも800mといえば最もきついと言われる種目ですよね。
小松:
以前に他の陸上選手から“乳酸の中毒になる距離”だと伺ったことがあります。
横田:
中毒…そうですね(笑)ハードなトレーニングで倒れこむ度に「何でこの種目を選んだんだろう…短距離の選手はいいなあ…」と思っていましたね(笑)
小松:
ご自身で800mという種目を選ばれたのですか?
横田:
陸上競技の種目は指導者に選ばれることも多いですが、私は自分で選びました。当時の先生からは5000mなどの長距離種目を薦められたのですが、向いていないと思って。
長い時間走っていられないんです。飽きちゃって(笑)短い時間に集中してトレーニングするのが性格的に合っているんですよね。
東:
100mなどの短距離ではなかったのですね。
横田:
自分自身を分析した時に、短距離で勝てるほどの瞬発力は無いけれど、800mなら勝負出来ると感じたんです。
小松:
“やりたい種目”よりも“勝負出来る種目”を選択なさったわけですね。
横田:
選んだというよりも、自然に巡り合ったという感覚でした。
東:
その後、800mの選手としてキャリアを重ねていく中で、短距離やマラソンなどの人気種目とはメディアなどでの扱われ方が違うことに気付かされていくわけですよね。
横田さんが2012年のロンドン大会に44年ぶりに出場するまではオリンピック選手も輩出出来ていなかったわけですし。
大学生の時点で日本選手権を二度制して、日本一の選手になられたわけですが、自らの活躍でこの種目の地位を上げたい!というような考えはお持ちだったのでしょうか?
横田:
当時は全く無かったです(笑)元々“使命感”とか“責任感”とかを意識するタイプじゃないんです。
学生の頃は「陸上界のため」なんて考えたこともないですし、陸上競技連盟が招集する合宿にも参加しなかったくらいで。
小松:
他の大学では「国のために」や「学校のために」のような意識で取り組んでいる選手も見受けられますが、横田さんには全く無かったと。
横田:
そうですね(笑)そういった意識で競技に取り組んでいる選手もいましたが、私はあまり興味がありませんでした。
所属していた慶應義塾大学に、将来陸上競技で食べていこうと考える雰囲気が皆無だったことも影響しているかも知れません。

東:
誰かのためや団体のためではなく、あくまで自らのために競技に取り組んでいたのですね。
「お金を出す人が求めるもの」を実現したい
小松:
その後、大学を卒業する際に陸上選手として生きていくのか、一般企業に就職するのか悩んだ末に、実業団選手として富士通に入ることを選ばれたわけですが、学生時代と比較して意識の変化はありましたか?
横田:
通常の就職活動もしていく中で、陸上競技の選手を選択したわけですから絶対に失敗するわけにはいかないという思いと、お金を貰って職業として陸上競技をするのだから、貰ったお金に見合った結果を出さなければいけないという意識に変わりました。
東:
学費を支払いながら競技をする学生と企業からサラリーを貰いながら競技をする実業団選手では求められるものが違いますよね。
横田:
実業団選手になってからは意識も行動も変えていきました。
大学生の頃はお酒を飲んだり、たまには夜遊びをしたりもしていましたし、調整不足のため故障することもありましたが、実業団に入ってからはベストコンディションを整えることに集中するようになりました。
小松:
自分は企業からお金を貰って走っている“プロ選手”であり、“業務”として走っているのだからベストコンディションを保つ“責任”があるということですね。
横田:
“走る”を仕事にするのはそれだけ大変なことですから。
東:
自らが競技をしていくために企業がどれほどのお金を支払っているのかについての意識が希薄なアスリートも多いですよね。
多くの競技はメディアに大きく扱われることもなく、入場料、スポンサー、グッズなどによる収益も見込めないため企業にとってのコスト部門となっています。
その現状の中で、選手として何を企業に還元することが出来るのかを考えれば、自ずと意識や行動が変化していくのでしょうが…
横田:
個人的には実業団選手としての“自覚”や“責任感”を持てないのであれば、選手を続けるべきではないと思います。
単に陸上が好きだったり、たまたま足が速いからという理由で競技を続けている選手は別の仕事をしながら趣味として走ればいい。
お金を貰うからにはお金を出す人が求める“価値”を提供する必要があり、その“価値”をつくりだすことが“仕事”で、そのために全力を尽くすのが“実業団選手”だと思うんです。
小松:
陸上選手というより、ビジネスパーソンにとっての“仕事”という意味でも非常に示唆に富んだお話ですね。
横田:
その後、キャリアを進めていく中で、自分がどういう競技者でありたいか、どういう競技者になりたいか、競技を通じてどういうことを社会に伝えていきたいかを考えて競技に取り組むようになり、長い間、日本人選手が出場することが出来なかったオリンピックに関しても、これこそが自らが実業団選手として企業に提供出来る最も大きな価値だと思いましたし、800mの選手としても、自分がこの壁をやぶらなければ誰がやぶるんだ?という使命感も生まれてきたんです。
東:
まさに立場が人をつくる、ですね。

小松:
横田さんの“プロ意識”、素晴らしいです!
オリンピックに出たいのか、勝負したいのか
東:
横田さんは実業団選手の一年目に練習拠点をアメリカに移されたわけですが、どのような理由があったのでしょうか?
横田:
きっかけは尊敬する選手の真似なんです。
当時、陸上選手で海外を拠点に活動していたのは400mハードルの為末大さんとハンマー投げの室伏広治さんくらいで、ほとんどの選手は日本国内でトレーニングしていたのですが、二人が海外を選ぶのであれば何か理由があるのだろうと思って。
小松:
トップアスリートの側面と、哲学者や求道者のような側面をお持ちのお二人ですね。
横田:
そうですね。私も単純に「海外へ行く=強くなる」と考えていたわけではないですが、世界で戦い結果を残している二人が様々な経験を積んだ上で選んでいるわけですから、そこには絶対に明確な理由があるのだろうと。その理由を知りたいし、自分自身もそうなりたいと。
その頃はオリンピックに出たことがありませんでしたし、周りにも同じ種目で出場した選手はいませんでしたから、まずはオリンピックで活躍している人と同じことをしようと思ってアメリカに行きました。
東:
目標とする状態を実現している方の行動を分析して、まずは同じことをやってみようと考え、実際に行動に移されたのですね。
アメリカでは、陸上競技人生で初めてコーチの指導を受けることにしたそうですが。
横田:
中学三年生で陸上を始めてから高校、大学と、誰かの決めたプログラムではなく、どうすれば結果を出すことが出来るのかを自ら考えてトレーニングに取り組んできましたが、オリンピックに出場するにはどうすればいいのかを突き詰めて考えた時に、世界一になったことがある人に聞いてみようと思ったんです。
小松:
自らが限界まで考え、行動をしてもたどり着けない領域になって初めてコーチに師事してみようと思えたわけですね。どなたに教わったのでしょうか?
横田:
現在、国際陸上競技連盟で会長を務めているセバスチャン・コーさんをやぶって、ロサンゼルスオリンピック800mで金メダルを獲得したヨアキム・クルスさんにトレーニングを見てもらいました。
東:
まさに世界一の選手に見てもらったわけですね!
どのような指導を受けられたのでしょうか?
横田:
最初に私がトレーニングしているプログラムを伝えたところ「オリンピックにただ出たいのか、オリンピックで勝負したいのか?」と尋ねられ、「勝負したいのならこのトレーニングではダメだ」と言われました。
小松:
何がいけなかったのでしょう?
横田:
彼から見ると、トレーニング量が絶対的に不足していました。「オリンピックでは四日間で三本走ることになるけど、このトレーニング量で走れる?」と。
東:
実にシンプルですが、本質を突いた指摘ですね。
横田:
「勝負したいのなら、それだけの量のトレーニングをやろう」と。
その他の指導においても一貫して「◯◯するなら◯◯しなければならない」というようにロジックが明確だったので、納得してトレーニングに取り組むことが出来ましたし、選手としてもコーチとしても学ぶことが多かったです。
小松:
初めて他人の考えたプログラムに納得してトレーニングに取り組むことが出来たのですね。
東:
その後、横田さんは2012年に大邱で開催された国際陸上でロンドンオリンピック参加標準を突破。
同種目の日本人として44年ぶりにオリンピック代表選手に選出されました。
これはたらればの話になってしまいますが、もし、横田さんがオリンピックへの“出場”を目指していたら44年もの長い間日本人選手の前に立ちはだかり続けてきた壁をやぶることは出来なかったかも知れませんね。
横田:
そうですね…ロンドン大会では予選5組4着で予選敗退となりましたが、あくまでオリンピック出場ではなく、勝負することを目指してトレーニングに取り組んでいたからこそ、出場することが出来たのだと思います。
小松:
改めて目標設定の重要さを感じさせられます。
東:
横田さんは、ロンドンオリンピックの後、2013年から拠点をアメリカ・ロサンゼルスに移し、二年間トレーニングをした後、日本へ帰国。2016年に開催された岩手国体を最後に現役を引退なさいます。
小松:
現役引退後には富士通を退社、ランニングクラブのヘッドコーチに就任なさって現在に至るわけですが、横田さんの考える“コーチ”としての在り方についてお話を伺いたいと思います。

横田:
宜しくお願いします。
小松:
陸上競技との出会いからロンドンオリンピックに出場し、現役引退に至るまでの競技生活を中心にお話を伺いましたが、現在の活動を伺いながら、横田さんの考える“コーチ”としての在り方についてお話を伺いたいと思います。
単なるトレーニングコーチは必要ない
東:
横田さんは実業団選手となった後、本気でオリンピックを目指し、トレーニング拠点をアメリカに移すまでは、特定のコーチに師事することなく自ら考えたプログラムでトレーニングに取り組んでいたわけですが、最終的にコーチは必要だと感じられたから現在のお仕事(ランニングクラブのヘッドコーチ)に就かれているわけですよね。
横田:
矛盾するようですが、いまだに大前提として「コーチは必要ない」と思って仕事をしているんです。
小松:
どういう意味でしょう?
横田:
いわゆる“速く走る方法”を伝えるだけのコーチは必要ないと思っているんです。
私が考えるコーチは選手が自らも気づいていないような本当に求めているもの、選手が求めるその先を提供し続けられる存在です。
ですので、選手が成長するより速いスピードでコーチとして成長しなければいけないですし、陸上競技に特化した知識や経験だけを伝える存在であってはならないと考えています。
東:
なるほど。陸上競技のみならず、社会人としての“在り方”をコーチ出来るような存在でありたいと。
小松:
実際には、どのような指導をなさっているのでしょうか?
横田:
選手によって全く異なる指導をしているので、一概に“これ”とは言えませんが、基本的には一緒に走るか、見ているだけです。
東:
ああしろ、こうしろ的な指導はなさらないのですか?
横田:
そうですね。大切なのはレース中に選手が自分でどう対応するかですから。最低限のトレーニングプログラムを伝えることはありますが、なるべく技術的なことは話さないようにしています。
小松:
それは、自ら課題を設定して、解決のための行動を自発的に出来る選手になってほしいからですね。
横田:
はい。その代わり「競技者として、社会人としてどうあるべきか」については、個別に時間をとって話すようにしています。
東:
技術指導よりも対話を重視なさっているのですね。
横田:
それぞれに種目、育ってきた環境、性格、大切にしてきたトレーニング、置かれたステージなどが全く違いますからめちゃくちゃ大変ですけどね(笑)

小松:
お話を伺っていると、横田さんのお仕事は“コーチ”でもあり“メンター”でもありますよね。
横田さんの人生における恩師である慶應義塾大学の上山信一教授のご指導のように「速い陸上選手」を育てるのではなく、「陸上を通じて何を学ぶか」や「世界に挑むために自らの強みをどう活かすべきか」を選手に考えさせているのですね。
陸上競技を通じて何を学ぶのか
小松:
横田さんが現在のようなスタイルで指導なさっている理由の一つにロンドンオリンピック後に出会ったコーチの存在があるそうですが。
横田:
予選敗退に終わったロンドン大会の後、次のオリンピックで勝負するためにも、2013年からロサンゼルスに拠点を移し、かつてカール・ルイスが所属した「サンタモニカランニングクラブ」でトレーニングをすることにしたのですが、そこで出会ったコーチが「とにかく俺の言ったことをやれ!」というスタイルで。
当日のプログラムが出るのはトレーニングの開始直前。内容に意見することも許されず、心の準備も出来ないままにトレーニングに取り組む日々が続きました。
東:
絶対服従を求めるようなコーチだったのですね。反発はしなかったのですか?
横田:
もちろん反発する気持ちはありましたが、ロンドン大会の前に初めてコーチをしてもらって結果が出たことや、アメリカまで来てしまっていること、何より自らがこのコーチに指導してもらうと決めたこともあり、従わざるを得ないと思ってしまって…
小松:
結果はいかがでしたか?
横田:
全く記録が伸びなくなってしまいましたね。
それまではコーチをつけたとしても、自らがトレーニングの内容や必要性を理解し、納得してから取り組んでいたので、どんな結果が出たとしてもそれに対して考察をすることが出来ていたのですが、全然出来なくなってしまって。
東:
初めてトレーニングを“やらされた”わけですね。
横田:
そこで初めてコーチという存在を甘く考えていたことに気づきました。
結局、うまくいかずに日本に帰国することになるのですが、コーチを選ぶことやトレーニングの内容をコートに委ねることがどれほど重要で怖さを伴うことなのか、選手が目指していることとコーチが目指していることをどれだけ共有出来るか、トレーニングにその意図が反映されているのかが最も大切なことなのだと身をもって感じました。

小松:
それだけ深く考えてコーチを選んでいる日本の選手はさほど多くないのではないかと思いますが、競技人生を左右するほど重要な要素の一つですよね。
選択肢を示すこと
東:
様々な経験を重ねた上で、現在“コーチ”という職業に就かれているわけですが、“理想のコーチ像”があればお教えください。
横田:
まずは私が現役の時に選びたかったコーチになりたいと思っています。
小松:
どのようなコーチを選びたいと感じておられたのでしょうか?
横田:
私の考えるコーチの役割は選択肢を提示することです。
常に学び続けることで選手よりも圧倒的な知識を持ち、一人ひとりの選手に最適な選択肢を示してあげられる存在でありたいと考えています。
東:
これをやれ!と頭ごなしに押し付けるのではなく、様々な選択肢の中からどのようなトレーニングに取り組むのかを選手自身に選ばせるわけですね。
横田:
選手が自立するためのサポートをしたいんです。
選手の自立とは、コーチやトレーニングを自分自身で選ぶこと。誰かに決められるのではなく、自ら選ぶことで責任が生まれ、トレーニングへの取り組み方が変わってくるんです。
小松:
その選択肢を用意出来る存在が、横田さんの理想とする“コーチ”だということですね。
横田:
はい。自ら決めたトレーニングをやるかやらないかは選手次第ですから。
ただ、その中で、必死に努力を続けながらも突き抜けることが出来ない選手がいたとしたら、それを補ってあげられる存在でありたいとは思っています。
壁にぶち当たった時に、一緒になって乗り越えるための努力をともに出来る存在がコーチだと考えています。
東:
自分で出来ることを全てやりながらも結果が出ずに悩んでいる選手には手を差し伸べるということですね。
横田:
おっしゃるとおりです。何でも一人で出来ることのみが“自立”だとは思いませんし、人間が一人で出来ることには限界があります。
甘えたり、依存するのではなく、一つの目標に向かってお互いが全力で自らの仕事に取り組み、協力し合える関係こそが、私の望むコーチと選手の関係なんです。
小松:
本物のプロフェッショナル同士の関係ですね。
まだ見ぬその先の世界へ
東:
コーチとしての今後の目標を教えていただけますか?
横田:
現役時代には見られなかった“その先の世界”を選手たちと一緒に見たいですね。
小松:
それはオリンピックでのメダルなどのことでしょうか?
横田:
そうですね。ただ、メダリストだけを目指す選手にはならないでほしいんです。
実業団選手になって最初の年にアメリカでトレーニングをしていた時に、世界陸上400mハードルの銅メダリストである為末大さんから前回のオリンピックのメダリストが誰だったかという質問をされて、全く答えられなかったという経験があって。
アスリートが死に物狂いで競技に取り組んで、最高の結果を出したとしても、三年で超加速度的に忘れられていくという現実があるのだと実感しました。
東:
オリンピックに限らず、スポーツでは大会ごとに新たなスターが現れますからね…
横田:
競技における最高の結果を求めるという軸は大切にしつつ、世の中に忘れられない選手になるためには、アスリートとしての競技観や信念に対して共感してくれる人を増やさなければならないと思いますし、アスリート自身がもっと自己分析をして、自らの社会的な立ち位置を把握する必要があると思います。
アスリートは遅かれ早かれ誰もが引退しなければならないので、その時に周りから面白いと感じてもらえる人間を育てたいと考えています。
小松:
まさに横田さんのことですね。現役時代から競技と並行して学び続け、現在も学び続けられていますし。
横田:
学ぶことをやめた瞬間に指導する資格を失うと考えています。現在はフロリダにある大学の大学院で“アスリートディベロップメント”についてオンラインで学んでいます。
東:
アスリートディベロップメント、ですか?

横田:
はい。アスリートのパフォーマンスを伸ばすだけではなく、キャリアやライフスキルをどう身につけるかという方策について研究しています。
私の指導する選手には単なるアスリートではなく、新しいスポーツ界をつくる人になってほしい。コーチは選手の人生にダイレクトに関わる重い職業です。競技で伸びれば人生も変わる。
私のところを巣立っていった選手が、引退後にも納得出来る人生を送ってもらえるようにサポートしていきたいと考えています。
小松:
素晴らしいお考えです。
面白く生きていきたい
東:
さて、それでは改めて現在の横田さんの活動を“その後のメダリスト100キャリアシフト図”に当てはめると、ランニングクラブのヘッドコーチが「A」の領域、日本陸上競技連盟のアスリート委員会や日本実業団陸上競技連合の事業戦略企画委員会でのお仕事は「B」の領域、元サッカー日本代表の鈴木啓太さんが代表を務めるアスリートの腸内細菌解析を事業とするAuB(オーブ)や慶応病院発のベンチャー企業で汗で乳酸値を計測出来る特許を取得しているGrace Imagingなどのアドバイザーやフライシュマン・ヒラード・ジャパンでのコンサルタントのお仕事が「C」の領域と幅広くお仕事をなさっていることが分かります。

注1)親会社勤務とはいわゆる企業スポーツである実業団チームで自らが所属していた企業で一般従業員として勤務していること
注2)親会社指導者とはいわゆる企業スポーツである実業団チームで自らが所属していた企業の指導者を務めていること
注3)プロパフォーマーとはフィギュアスケート選手がアイスダンスパフォーマーになったり、体操選手がシルク・ドゥ・ソレイユのパフォーマーとして活動していること
注4)親会社以外勤務とは自らが所属していた実業団チームを所有している企業以外で一般従業員として勤務していること
小松:
今後、コーチとしてオリンピックのメダリストを育てたり、陸上競技のさらなる発展に貢献なさったりすることはもちろん、また新たな世界を切り拓かれていくのを楽しみにしています。
東:
最後に、横田真人という人間を“陸上競技”という言葉を使わないで紹介してもらえますか?
横田:
そうですね…「何かやりそう、何か面白いことをしそうな人」と思われていたいです(笑)
東:
ずっと逆張りを続け、前人未到の道を歩んで来たわけですからね。これからもどんどん面白いことに挑戦して、実現していってほしいです。
小松:
本当に多才で何でも出来る方だと思いますので、これからどんなことをなさるのか楽しみです。
横田:
期待に応え、期待を超えていくのが好きな人間ですので、ずっと面白く生きていけるように頑張ります。
東:
本日はお忙しいところ誠にありがとうございました。

横田:
こちらこそありがとうございました。
(おわり)
編集協力/設楽幸生

インタビュアー/小松 成美 Narumi Komatsu
第一線で活躍するノンフィクション作家。広告会社、放送局勤務などを経たのち、作家に転身。真摯な取材、磨き抜かれた文章には定評があり、数多くの人物ルポルタージュ、スポーツノンフィクション、インタビュー、エッセイ・コラム、小説を執筆。現在では、テレビ番組のコメンテーターや講演など多岐にわたり活躍中。

インタビュアー/東 俊介 Shunsuke Azuma
元ハンドボール日本代表主将。引退後はスポーツマネジメントを学び、日本ハンドボールリーグマーケティング部の初代部長に就任。アスリート、経営者、アカデミアなどの豊富な人脈を活かし、現在は複数の企業の事業開発を兼務。企業におけるスポーツ事業のコンサルティングも行っている。
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