2025.02.11

北海道発の新たなスポーツビジネスモデルを実現する 元プロサッカー選手 曽田雄志

Profile

1978年北海道札幌市出身。一般入試で筑波大学に入学し、4年生時に関東大学リーグベストイレブン、全日本大学選抜に選出。2001年にコンサドーレ札幌に入団。2009年まで一貫して所属したことから「ミスター・コンサドーレ」と親しまれる。引退後は、札幌市シティープロモートや東日本大震災復興支援などの社会活動を経て、2013年に産学官アスリートの連動でアスリートのキャリア支援と教育現場の課題解決を行う(社)A−bank北海道を立ち上げる。2019年より「教育×ICT」を事業とするモチベーションワークス(株)の取締役にも就任。「個人の最大化」を入口に、アスリートやグループ、企業、地域等と向き合った着地型の教育、コンサルティング、プロデュースも行う。

※2019年4月5日取材実施

東:
様々なアスリートの現役を終えた“その後の人生”に迫るインタビュー連載“表彰台の降り方。〜その後のメダリスト100〜”。今回は元プロサッカー選手で、Jリーグ・コンサドーレ札幌ひと筋に9年間ご活躍なさった曽田雄志さんにお話を伺います。

小松:
曽田さんは、地元北海道の札幌南高校を卒業した後、一般入試で筑波大学に合格。

入学後、3年生の時にフォワードとしてレギュラーのポジションを獲得し、4年生時には関東大学リーグでベストイレブンに選出されたほか、全日本大学選抜にも選ばれました。

東:
大学を卒業後、J1に昇格したばかりのコンサドーレ札幌に入団し、翌年のサンフレッチェ広島戦ではハットトリックを記録。

現役時代は「ミスター・コンサドーレ」と呼ばれ、多くのファンから愛され、親しまれてきました。

小松:
引退後は、「曽田ジュニアスキルアップスクール」(現在は閉校)や「北海道初の産官連動のスポーツクラブの厚別アスリートアカデミー」や国立大学法人北海道教育大学の講師(2019年9月まで)をはじめ、コンサドーレ札幌のアドバイザリースタッフ(現在は退任)、女子サッカーチーム「ノルディーア北海道」の球団代表(2019年シーズンで退任)のほか、北海道サッカー協会のコンサルティングを担当したり、Jリーグの試合で解説を務めたり、地元メディアへ出演するなど多分野で精力的に活動をなさっています。

東:
2011年の東日本大震災の際には復興支援のためにいち早く「EN project Japan(エンプロジェクトジャパン)」を立ち上げ、Jリーガーとしてのキャリアを活かし、サッカー選手はもちろん、多種目のアスリートに幅広く呼びかけ、北海道、東北地方の被災者を支援する活動を展開されました。

小松:
アスリートの特性を北海道の学校教育、地域の活性化に生かすための枠組みである「A-bank北海道」を立ち上げ、スポーツの発展、アスリートのセカンドキャリアにおける雇用創出、企業ブランディングにも関わっていらっしゃるなど、北海道発の新たなスポーツビジネスのスタイルを実現する人物として大きな注目を集めています。

東:
現在の曽田さんの活動を“その後のメダリスト100キャリアシフト図”に当てはめると、「曽田ジュニアスキルアップスクール」や「厚別アスリートアカデミー」での指導者が「A」の領域、北海道サッカー協会のコンサルティングが「B」の領域、北海道教育大学の講師や「ノルディーア北海道」の球団代表、「A-bank北海道」の代表が「C」の領域、Jリーグの解説やメディア出演のお仕事が「D」の領域と全ての領域でお仕事をなさっていることが分かります。

注1)親会社勤務とはいわゆる企業スポーツである実業団チームで自らが所属していた企業で一般従業員として勤務していること
注2)親会社指導者とはいわゆる企業スポーツである実業団チームで自らが所属していた企業の指導者を務めていること
注3)プロパフォーマーとはフィギュアスケート選手がアイスダンスパフォーマーになったり、体操選手がシルク・ドゥ・ソレイユのパフォーマーとして活動していること
注4)親会社以外勤務とは自らが所属していた実業団チームを所有している企業以外で一般従業員として勤務していること

小松:
本当に幅広い分野でご活動なさっていますね。

現役時代よりも稼ぐ

小松:
まずは現在のお仕事についてお聞かせいただきたいのですが、多岐にわたるご活躍、素晴らしいですね。

曽田:
ありがとうございます。プロサッカー選手としてJリーグで9年間プレーさせていただいたのですが、引退してから今年で9年が経って、自分の中ではまた一つのキャリアが終わったように感じています。

東:
大きな節目を迎えられたようなイメージでしょうか?

曽田:
そうですね。今、40歳なのですが、ざっくりと言えば20代はほぼサッカー選手として過ごして、30代前半で引退。

そこから今まで第2の修行みたいなものを続けてきて、やっとひと段落したのかなという状態ですね。

小松:
現在は様々な領域のお仕事をなさっているわけですけれど、どのような割合で働かれているのかお教えいただけますか?

曽田:
働いている時間というか、収入で言えば、大学以外はその年によって変動がありますが、今年でいえば、北海道教育大学の講師を“1”とすると、その他が“4”とか“5”くらいの割合になります。

東:
現役時代と比べて、収入は増えましたか?

曽田:
おかげさまで。今の選手に比べると、現役の頃にそんなに稼いでいたわけではないですから、引退後に現役時代の収入を超えることは一つの目標ではありました。

僕が現在関わっている仕事は大部分がたまたまご依頼いただいたお話を請けてきたものですが、いずれも事業化しづらい要素が高くて、簡単には収益化出来ないものばかりですから、幸運にも恵まれていますが、まだまだ油断は出来ません(笑)。

サッカーを軸に幅広い領域で活躍する

小松:
まずは、「A」の領域のお仕事である「曽田ジュニアスキルアップスクール」や「厚別アスリートアカデミー」での指導者についてお聞かせ願えますか?

曽田:
「曽田ジュニアスキルアップスクール」は、小学校3〜6年生の男女を対象に、週に1度札幌市のフットサルコートで僕が直接指導するサッカースクールで、なんだかんだで9年間続いていました。

「厚別アスリートアカデミー」は、札幌市が所有する厚別競技場で新しい事業をやりたいということで設立したサッカーと陸上のクラブチームです。

アスリートの指導のもとで、子どもたちが本物の芝の上でサッカーや陸上の記録会をして、月謝をいただいて、その売上を僕たち運営会社と札幌市でシェアするという新たなビジネスモデルを構築しました。

東:
なるほど。維持費がかかるばかりになりがちな自治体が所有する競技場を活用するためにスポーツのスクールを開催して、そこで生まれる仕事をアスリートにも紹介していらっしゃるのですね「B」の領域の北海道サッカー協会のコンサルティングはどのようなお仕事なのでしょうか?

曽田:
最大のミッションは協会の売り上げ向上で、そのために必要なマーケティングやWEBサイトの整理など基本的な部分の構築を担当しています。

最初は北海道サッカー協会が何をやっているのか知ってもらえるようにしましょうというところから始めたのですが、資金が無いから出来ないとおっしゃるので、「それじゃあ無料でやります」といって(笑)。

小松:
無料でなさったのですか?

曽田:
はい(笑)僕もやったことがないのに、どうして頼まれたのだろうと不思議には思ったのですが、全体のブランディングやマーケティングから始めて、出来るだけ多くの方々に応援していただけるように活動しています。

ただ、売上が出たらシェア出来るようにはしています(笑)。

東:
頼むほうも頼むほうですが、引き受けるほうも引き受けるほうです(笑)。

次に、「C」の領域である北海道教育大学の講師や「ノルディーア北海道」の球団代表、「A-bank北海道」の代表についてもお聞かせください。

曽田:
北海道教育大学では、岩見沢校でスポーツマーケティング研究室の講師を務めていて、ゼミとゼミと週5〜6コマの授業と20人以上のゼミ生を担当していました。

小松:
元プロサッカー選手で、国立大学の講師を務めている方は珍しいですよね。「ノルディーア北海道」についてもお教えくださいますか?

曽田:
「ノルディーア北海道」は、北海道からなでしこリーグ参入を目指す女子サッカーチームで、僕は球団代表を務めています(2019年シーズンで退任)。

「人材育成」と「女性の自立」をミッションに本当の意味で地域に溶け込んだスポーツクラブのモデルを作りたいと考えていて、マネジメントと資金繰りを主に担当しています。

東:
2016年にこちらの球団代表に就任することになったので、引退後の2010年から務めていたコンサドーレ札幌のアドバイザリースタッフを退任なさったのですよね。

アスリートの力を公教育の場に活かす

小松:
ご自身が立ち上げられた「A-bank北海道」は、具体的にはどのような事業なのでしょうか?

曽田:
基本的にはアスリートのキャリア支援です。

アスリートとしてのキャリアを活かして学校で子どもたちの夢や目標を実現するための活動をおこなったり、同時に部活動指導の面で学校の先生の負担を軽減出来るような活動をしています。

東:
学校の先生の部活動指導に関する負担の低減は、社会問題にもなっていますからね。

曽田:
アスリートがセカンドキャリアを過ごしていく中で、自分が所属したクラブ以外での仕事はなかなか得にくいという現状があります。

そこで、自治体や教育委員会などと協議して、公教育の体育の授業と部活動にアスリートを派遣する事業を始めたんです。

現在、札幌市の小学校には年間200回程度派遣していますし、中学校の部活動には年間300回から400回の派遣実績があります。

ただ、教員のライセンスを持たない人が定期的に公教育に関与するには色々と超えなければならないハードルもあって。

小松:
そう単純には進まないわけですね。

曽田:
それらを全て取り払うためのモデルを作って、色々なアスリートが入って指導できるような形を考えました。

ただ、当初は学校からも自治体からもお金が出なかったので、学校の中でビジネスを展開出来る許可を教育委員会からいただきながら進めていました。

例えば、学校内でアンケートを実施するとか、商品のサンプリングをするとかの販促行為をおこなえる権利を僕たちが頂いて、企業に販売するような形でマネタイズ出来るように進めることで事業の費用を捻出しようとしました。

これは全国でも初の試みだと思います。

東:
教育現場でのビジネス展開を考えている企業はとても多いのですが、「学校はそういうのはやらせてくれないから」といって頓挫してしまうケースも多いですよね。

曽田:
このモデルを実現するにあたっては、信頼関係を構築するために1年半から2年間くらいは無償で年間130回くらいアスリートを派遣し続けました。

僕もそんなにお金はないですが、稼働してくれたアスリートに「無料でお願いします」とは言えませんので、当初は借金をしながらアスリートに謝礼を支払っていましたね(笑)。

小松:
自らビジネスモデルを考え、教育現場の課題解決に貢献して、アスリートには仕事を斡旋しているにも関わらず、儲かるどころか借金をしていたわけですね…。

曽田:
ボランティアどころの話ではないですよね(笑)。そのうちにお金が無くなってきて「さあどうしよう」と困ってしまって(笑)。

その頃には流石に教育委員会や学校にも状況を理解していただいて、現在では札幌市から予算もつけていただけることになりました。

東:
後ほどお話を伺う「EN project Japan」での被災地支援活動でもそうですが、マイナスを恐れない行動力が凄まじいですよね。

曽田:
いえいえ、僕も借金をするのは嫌ですよ!嫌なんですけど、仕方がないですよね(笑)。

小松:
嫌なのだけれど、仕方がないと言い切れる強さが曽田さんにはありますよね。

ところで「A-bank北海道」のネーミングには、“アスリートバンク”という意味が込められているのでしょうか?

曽田:
“アスリート”や“アーティスト”、あとは一次産業の“アグリカルチャー(農業)”の意味も込めています。

東:
なるほど、今後はスポーツ以外の領域にも活動を広げていこうとしているのですね。

その他に「D」の領域での活動としては、サッカーの解説者やスポーツ番組のキャスターやコメンテーターもなさっていますよね?

曽田:
はい。主に札幌ローカルのテレビやラジオで務めさせていただいています。あと、教育機関や企業での講演や人材育成のプログラム作成などもしています。

小松:
本当に多才ですね。

トップレベルを肌で感じる

東:
曽田さんがサッカーを始められたのは小学4年生の頃だそうですが、きっかけは何だったのでしょうか?

曽田:
きっかけは友人に誘われてです。父親が社会人野球(北海道日産サニー)の選手だったので、一緒に野球を練習したりもしていたのですが、最終的にはサッカーを選びました。

小松:
子供の頃からプロサッカー選手になることを目指していたのでしょうか?

曽田:
プロへの憧れはありましたが、現実的には無理だろうと思っていました。

高校生の頃に札幌市の選抜チームには選ばれていたのですが、北海道選抜には入れなかったですし、全国大会に一度も出場したことのないどこにでもいるサッカー少年でしたから。

ただ、高校3年生で進路を決める時に、ふと、小学生の頃から休みもなくサッカーを頑張ってきたけれど、一体この時間は何だったんだろうと思ったんです。

同世代のトップ選手がどれだけ凄いのかも知らないままサッカーを辞めてしまっていいのかと。

僕の高校は北海道でも最も偏差値の高い高校だったので、周りはみんな「医者になるから医学部」とか「弁護士になるから法学部」みたいな話をしていたのですが、僕はまだ将来の仕事を見越して進路を考えることが出来なかったんです。

東:
心のどこかでまだサッカーに区切りをつけられずにモヤモヤしていたのでしょうね。

曽田:
心の奥にある「プロサッカー選手になりたい」という思いがどうしても諦めきれなくて、でも、現実を見ればプロなんて絶対に無理な状況で。

ただ、このままサッカーを終えるのもすっきりしないし、サッカー以外に明確にやりたいことがあったわけでもなかったので、日本のトップレベルがどんなものなのか肌で感じたいと考えて、一般入試で筑波大学を受験して、サッカー部に入ることにしました。

小松:
筑波大学サッカー部に入ってみて、いかがでしたか?

曽田:
当時、筑波大学のサッカー部は1軍から7軍まであって、もちろん僕は7軍スタートですからトップレベルを肌で感じるどころか目にすることも出来ませんでした(笑)。

東:
7軍まであるとは、もの凄い選手層ですね!

曽田:
3軍にも国体選手がいたりして、最初は進路を間違えたかなと思いましたよね。

ただ、僕は大学で初めてまともにサッカーを教わったので、伸びしろが大きく、身体能力も高かったので、比較的早く1軍に上げていただけて。

3年生からはフォワードのレギュラーポジションを獲得して、4年生の時には関東大学リーグでベストイレブンになったり、全日本大学選抜にも選ばれるなど4年間を通じて大きく成長することが出来ました。

小松:
一般入試で入部して、そこまでのご活躍をなさるなんてかなり珍しいケースなのではないですか?

曽田:
他には岡田武史さん(早稲田大学卒。元日本代表監督)や岩政大樹さん(東京学芸大学卒。鹿島アントラーズ等で活躍)ぐらいですかね。

東:
そうそうたる顔ぶれですね!

人生の喜怒哀楽に関わる仕事

小松:
大学をご卒業後、J1に昇格したばかりのコンサドーレ札幌に入団。プロサッカー選手になるという夢を叶えられたわけですが、今、振り返るとどのような経験でしたか?

曽田:
そうですね、例えるならJリーガー時代は、毎日が高濃度の栄養ドリンクを服用しているようなイメージでした。

高い目標を掲げて、それを達成するために限界までやりきる日々で、心身ともにエネルギーが漲っている状態でしたね。

東:
分かります!どうしてあんなに頑張れていたのだろうと不思議に思いますよね(笑)。

曽田:
あれだけ頑張れたのは、チームメイトはもちろん、サポーターの影響も大きかったです。本当にたくさんの方々がコンサドーレを応援してくださいましたから。

サポーターの皆様は僕たちが負けてしまうと、そこまで言わなくても、というくらい文句を言うのですが、家に帰ればチームスポンサーのサッポロビールを飲んで「来週こそは!」と、またスタジアムに足を運んでくれるわけです。

それで、翌週チームが勝てば、知らない人同士で抱き合って、「今日は自宅じゃなくて“すすきの”で飲もう!」とか言って、やっぱりサッポロビールで祝杯をあげるんです(笑)。

そんなサポーターの皆様の姿を見た時に、プロサッカー選手という仕事は“人生の喜怒哀楽に関わる仕事”なのだと気づいたんです。

小松:
自らのプレーやチームの勝敗が、サポーターの皆様の人生を変えると。

曽田:
これは責任重大だから、とにかくパフォーマンスを上げるための努力を日々続けようと思いましたね。

東:
きっと、曽田さんの真摯な姿勢がサポーターに伝わっていたからこそ「ミスター・コンサドーレ」と呼ばれ、愛されていたのでしょうね。

小松:
曽田さんはフォワードのみならずディフェンダーとしてもプレー。2002年11月のサンフレッチェ広島戦ではハットトリックを達成。

3点目は翌年から廃止となったVゴールで、Vゴールを決めた最後の選手となり、2008年4月の川崎フロンターレ戦では交代枠を使い切った後に退場してしまった選手の代役としてゴールキーパーを務め、全ポジションでの公式戦出場を経験するなど、記録にも記憶にも残る選手としてご活躍なさっていたのですが、腰と膝の怪我に悩まされ、2009年11月17日にコンサドーレ札幌公式HPにて契約を1年残しての現役引退を発表。

最後の試合となったホームスタジアム・札幌ドームでの横浜FC戦ではフォワードとして途中出場し、一得点を決めて有終の美を飾りました。

東:
改めて伺うと、本当に濃厚な現役生活ですよね。引退後には、海外の大学院への進学を考えられていたそうですが。

放っておけない

曽田:
はい。現役の頃からマンチェスター大学のMBAかハーバード大学のケネディ・スクール(公共政策大学院)に進学するための準備をしていて、マンチェスター大学に合格したのですが、そのタイミングで東日本大震災が起きてしまったので、被災地の復興を支援するために全てをキャンセルして、ボランティア団体を設立しました。

小松:
曽田さんが実行委員長を務めている「EN project Japan(エンプロジェクトジャパン)」ですね。

こちらの団体は曽田さんのJリーガーとしてのキャリアを活かし、サッカー選手はもちろん、北海道を拠点に活動なさっている多種目のアスリートにも幅広く呼びかけ、北海道、東北地方の被災者を支援する活動を展開されたわけですが、設立なさったきっかけは何だったのでしょうか?

曽田:
最初は被災地の復興を支援するために何か活動しなければいけないという使命感のみでした。

東日本大震災では東北地方を中心に日本全体が壊滅的なダメージを受けましたが、北海道でも函館や太平洋側の地域で深刻な事態になっていて、風評被害を含めた2次被害、3次被害がどれくらい広がるのか想像もつかない中、とにかく行動しなければいけないと思って、アスリートを始め各方面の方々に声をかけ、まずは札幌市内でのチャリティーイベントを開催しました。

東:
どのようなイベントを開催なさったのでしょうか?

曽田:
震災からおよそ1ヶ月後の4月15日から30日まで札幌駅前通地下歩行空間などでアスリートの写真とアスリート達からの被災者に対するメッセージを漢字一文字で表現した書道作品を展示し、週末にはアスリートによる募金活動を実施しました。

小松:
たった1ヶ月でこれほど大掛かりなイベントを準備し、開催するのはとても大変だったのではないですか?

曽田:
そうですね。最初はアスリート同士の横のつながりもほぼありませんでしたから、まずは著名なアスリートに直接電話をして「すみません、曽田と言いますけれども、被災地の応援をしたいので、協力していただけないでしょうか?」と、陸上の福島千里さんやスキー・ジャンプの船木和喜さんなどにお願いして回りました。

東:
ご自身で直接お電話なさったのですね!

曽田:
はい、協力してくれることになった友人の経営者やアーティストと共に色々な仕組みも考えながら、事務局業務全般を担当していました。幸い皆様にご快諾いただき、様々な人をご紹介いただきながら、20名くらいのアスリートチームを結成したのがスタートです。

小松:
アスリートに限らず何か支援したいと思っていたとしても具体的にどう動けばいいのか分からない中、曽田さんが自ら動いたことで多くの方々が協力してくれたのですね。

曽田:
僕はプロサッカー選手としての経験を通じて、アスリートという存在の逞しさや忍耐力、向上心が被災者や道民の皆様の勇気に繋がると信じていました。

震災当初は多くのスポーツイベントが中止になりましたが、プレーが満足に出来ない状況だからこそアスリートの持つ力強い発信力を活かして人々を惹き付けていくべきだと考えたんです。

それこそが日頃ご支援ご声援を頂いている方々への恩返しにもなるのではないかと。

また、当時、北海道では観光客が右肩上がりに増えていましたが、“食”や“自然”に依存しすぎているようにも感じていて、それ以外の魅力を考えた時に野球やサッカーを始めとする複数のプロスポーツチームや冬季五輪選手を中心としたトップアスリートの存在を活かすべきではないかとも考え、これを機会に種目間の垣根を無くし、アスリート同士はもちろんファンの融合やファン同士の交流、助け合いを生むことが出来ればと思ったんです。

ありがたいことに皆さん2つ返事で協力してくださいました。

東:
東京でも元陸上選手の為末大さんを中心に被災地の支援をしようというアスリートによるネットワーク“TEAM JAPAN”が立ち上がり、僕も参加させていただきました。

東日本大震災は改めてアスリートやスポーツの価値を考えさせられる機会になりましたよね。

ただ、曽田さんの場合はこちらの活動に時間もお金もつぎ込み過ぎて海外の大学院に進むために準備していた貯金を使い果たしてしまったとのことですが?

曽田:
はい。その後、2年半から3年半の間活動したのですが、お金を使い果たしてその日暮らしになってしまって。人を救っている場合ではないくらいの大ピンチになってしまいました(笑)。

東:
現役時代から海外の大学院で勉強するために貯めていたお金を震災のボランティアのためだけに使い果たしてしまうなんて…。奥様もいらっしゃる中で貯蓄がゼロになるまでやるなんてなかなか出来るものではないと思うのですが。

曽田:
どうしてかと言われれば非常にシンプルで、目の前で誰かが倒れたら反射的に助けるじゃないですか。

僕は“他者憑依性”が高くて、他者のことを自分ごとと捉えて行動してしまう癖があって、困っている人を放っておけないんです(笑)。

小松:
損得ではなく、やるべきことをなさってきたというスタンスなのですね。

曽田:
損得といいますか、僕は“Win-Win”という言葉があまり好きではなくて。

東:
どうしてでしょう?

曽田:
僕は“ハッピースクエア”とか“ハッピートライアングル”という言い方をしているのですが、“Win-Win”だと「関わり合う2者にとってお互いにメリットがあればいい」ということですが、三方良しというか、もっと大きく循環させるべきなのではないかと。

小松:
なるほど。自らと相手のための目先のメリットだけを単純に考えるのではなく、もっと大きな視点で物事を考えて行動していったほうがより多くの方々が“ハッピー”になるのではないかというお考えですね。

東:
この「EN project Japan」での経験やネットワークがベースとなって、前編でもお話いただいた公教育へのアスリート派遣やアスリートのキャリア支援などを行う「A-bank北海道」のビジネスにつながっていったわけですよね。

曽田:
そうですね。「A-bank北海道」も最初は全然マネタイズしなかったですが(笑)。

小松:
曽田さんはどんなご苦労も淡々と語られますが、そのスタンスは一緒にいる人を安心させます。「この船長の船なら、どんな嵐の中でも大丈夫」だと思わせるような。

東:
分かります。計り知れない奥行きがあるというか…。木に例えるなら“御神木”のような大きさを感じます。

曽田:
そうですか?

小松:
人間としてのキャパシティがとても大きいのだと思います。

それは曽田さんの幅広いジャンルに対する好奇心や誰に対しても偏見のないスタンス、旺盛な知識欲と関係があるのだと思います。

サッカー以外のことに好奇心をもつ

東:
曽田さんはアスリートとしてもトップクラスの実績を残されましたが、それにも増して周囲からは“知的な人格者”という評価が非常に高いですよね。

ご自身ではどのように感じていらっしゃいますか?

曽田:
そうですね。多くのアスリートは競技のみに興味が偏りがちなのですが、僕は現役時代からアートや建築などサッカー以外のことにも好奇心を持ち続けてきました。

色々なチャンネルを持つのが好きで、当時は「お前、変わってるな」とイジられていましたし(笑)、

単なる趣味だったのですが、色々な分野の勉強をしたり、様々な場所に遊びに行っていた経験が現在の仕事に活きていると思いますし、そのような評価に繋がっているのかも知れません。

小松:
読書はお好きですか?

曽田:
最近はあまり読めていませんが、純文学系が好きですね。

小松:
そうですよね。お話を伺っていて、感じます。どのような作品をお読みになるのでしょう?

曽田:
高校生の時にヘミングウェイを何冊か読んだのをきっかけに色々な作家に興味をもって、アメリカの古い作品やフランスやイタリアの文学作品、日本人では村上龍さんとか花村萬月さんを経て、三島由紀夫さんや谷崎潤一郎さんなどの昭和の文豪の作品をひと通り読みました。

あとは、詩ですね。リルケとかボードレール、ランボオなんかを。

小松:
そうですか…。ウィリアム・ブレイクはいかがですか?私、大好きで。

曽田:
ブレイクも読みました。当時はしっかりと内容を理解して好きになったというよりは、何となくかっこいいというか面白いなと感じていただけでしたが。

小松:
素晴らしいですね。いつも側に文学があったのですか?

曽田:
そうですね。文学青年というわけではありませんが、文学を含めてサッカー以外の文化的なものに興味を持っていましたね。

試合で東京に行くと、翌日の休みには唯一仲が良かった友人とギャラリーを回ったり、クラブで音楽を楽しんだり、洋服を探したりしていました。

現役時代にはなかなか観られなかった古い映画も、引退後にまとめて観ています。

“点”が“面”になる

東:
文学のみならず、現代アートにも関心をお持ちだそうですが?

曽田:
現代アートを見るようになったのは大学生の頃です。有名無名問わず、時代時代のアーティストの作品を見ることで、関心が高まりました。

写真も好きなので、様々な写真集をたくさん持っています。

小松:
写真はどなたの作品が好きですか?

曽田:
アメリカのロバート・フランク(スイス生まれ。現代米国の代表的写真家)やウィリアム・クライン(フランスで活躍する写真家・映画監督)とか好きですね。

小松:
アーヴィング・ペン(米国写真家)はいかがですか?

曽田:
ペンも好きです。

東:
おお…。全然ついていけない(笑)。

小松:
アーヴィング・ペンをご存知のアスリートはなかなかいらっしゃらないと思います(笑)。家具はいかがですか?椅子とか。

曽田:
好きですね。自宅で使用している椅子はジョージ・ネルソン(米国のデザイナー・建築家)のビンテージです。

テーブルはイサムノグチが自宅で使っていたビンテージで、脚がワイヤーで出来ているものです。

小松:
素敵なセンスですね。

曽田:
だいたいフランスとかアメリカの1940〜50年代のものが多いです。

小松:
コルビュジエ(ル・コルビュジエ。フランスの建築家)とか。

曽田:
コルビュジエも好きですね。一度買おうとしたのですが、状態が悪くて値段も高かったのでやめておきましたけれど(笑)。

小松:
私は今、取材をしている広島の「マルニ木工」という企業の製造しているアームチェア“ヒロシマ”に一目惚れして買っちゃいました(笑)。

曽田:
わかります。Appleに導入されている椅子ですよね。何か楽しいですよね。他には建築も好きで。

基本的に建築物は自然と断絶する存在なわけですが、それをコミュニティを広げる機能に活かす方法はないのかということを考えていて。

まだ公には言えないのですが、現在、日本を代表する建築家の方と非常に面白いプロジェクトを進めているんです。

そんなタイミングで高校の同級生が昨年「ナショナルジオグラフィック(世界的自然科学雑誌)」の賞を日本人で初めて獲得して。

小松:
井上浩輝さんですね!狐の写真の。ご友人なんですか?

曽田:
はい。高校の同級生で、現在お互いに事業でもサポートし合っていて。最近そういった意図しない“点”の繋がりが“面”になってきていて、仕事の幅が広がってきています。

小松:
曽田さんのように様々なジャンルに好奇心を抱き、本物の作品に触れることは、その時には将来何かの役に立つと思ってやっているわけではなくとも、突然、新鮮な発想の原点になったり、自らのクリエイティビティに影響を与えるなど人生の中で大きな意味を持つことがありますよね。

東:
自らの関心のフィールドを広げることでクリエイティブになり、クリエイティブになることで分かることや出来ることが増えていくのだと思うのですが、関心のフィールドを広げるためのアドバイスをいただけますか?

曽田:
僕の場合は好きな人物を起点に広げていくことが多いですね。

大学生の頃、中谷美紀さんのカルチュアルな部分に惹かれて、何が好きでどんな音楽を聴いているのだろうというところから坂本龍一さんとかマルタン・マルジェラ(ベルギー出身のファッションデザイナー)、ピナ・バウシュ(ドイツの前衛的舞踏家・振付師)に興味をもつようになって、そこから様々なジャンルへと広がっていきました。

小松:
ピナ・バウシュをご存知のサッカー選手は他にいらっしゃらないと思いますよ(笑)。私も大好きで、以前「カーネーション」を観にいきました。

東:
小松さん、目が輝いていますね(笑)。しかし、本当に曽田さんは話題の幅が広いですね。

人生の宝を探す

曽田:
ほとんどのアスリートは自分の競技力を高めること以外に何かを学ぼうという意識が低くて、そういった機会も少ないと思うのですが、僕は人生自体が“宝探し”だと思っていて。

小松:
宝探し、ですか?

曽田:
はい。“宝物”は人や時代によって違うと思うのですが、アスリートでもアーティストでもその“ムラ”の価値観にこだわることなく自分なりの“宝物”を探せばいいのに、なぜか異質なものを排除するような意識や固定観念が強かったり、旧態依然とした成績こそが全てのような価値観のヒエラルキーがありますが、それに拘ることによって逃してしまう幸せもあると思うんです。

切り口を変えてみれば大きな可能性があるのに自らその可能性を閉ざしてしまっているような人もいますし、見ていてもったいないと感じますよね。僕は他人の価値観ではなく、自分が思う豊かさとか、自分が楽しいと思うことをただやってきただけなのですが、結果として「スポーツ×アート」や「スポーツ×文化」を語れるようになったことで、運良く他にはいない存在になれたというか。

東:
スポーツの世界に区切りをつけてビジネスの世界に入った時に「それまでにどんな教養を身につけてきたのか」「スポーツを通じて何を経験して学んできたのか」を整理出来ているかどうかは大きな差になりますよね。

小松:
曽田さんレベルの教養を身につけるのは難しいかも知れませんが、競技以外にも何か特化した知識やスキルを持っていればセカンドキャリアに活かせるはずですよね。

曽田さんは、今こうして普通に話してくださるけれど、現役時代にはなかなか話し相手がいなかったでしょう?孤独だったのではないですか?

曽田:
確かにサッカーの世界では孤独だったかも知れません(笑)。

東:
しかし、学生の頃から「話す相手がいないから、封印しよう」と安易に周囲に迎合するのではなく、自らの好奇心のままに本を読んだり映画を見たりしていたからこそ今があると。

曽田:
僕は現役の頃から“サッカー”はとても大切なものではあるけれど、人生の中の一つの要素として位置づけていました。

例えばカズさん(三浦知良)や中山雅史さんは「サッカーこそ我が人生」だとおっしゃいますが、僕は違いました。

小松:
サッカーこそ全て、では無かったと?

曽田:
サッカーの世界ではコンプレックスがありました。

僕は僕なりに精一杯の努力をしたのですが、結果として中村俊輔選手や中田英寿選手には勝てませんでしたし、サッカー選手としてのバリューではこの先もずっと敵わないわけですから。

東:
なるほど…。

曽田:
ただし、人間には表面のバリューとは別に内面のバリューがありますよね。僕は僕なりのスタンスで、自らの価値を高めさえすればいいのだということに気づいて。

小松:
皆が注目する美しい光を放つ表面の内側には、幾重にも積み重なった複雑なヒダがあります。そのヒダを広げれば、輝いている表面の何千倍もの面積になります。

曽田:
わかります。

小松:
ものすごい表面積になるわけですが、そこにはこれまでの人生で蓄えてきた教養や経験、苦しみなどの全てが浸み込んでいる。

表に見えている部分の何千倍もの面積に。内面を磨いてさえいれば、いずれその蓄積してきたものを表に出して光り輝かせる機会が必ず訪れるはずです。きっと、東さんにも。

東:
ありがとうございます…。その時のためにも、もっと内面を磨きます。

アスリート自身が気づいていない自らの価値を伝える

小松:
曽田さんはその多様なご経験と高い言語能力を活かして、多くのアスリートのキャリアについてもアドバイスをなさっているそうですね。

曽田:
僕自身はアスリートに何かをしてあげたいとか、こうするべきだと押し付けるつもりは全く無いのですが、相談を受けることが多いので、その人の能力を最大化するためのお手伝いをしたいなとは考えています。

東:
スポーツ以外の分野における自らの潜在能力に気づいていないアスリートは多いですよね。

曽田:
客観的に見て「もっと出来る!」と思える選手はたくさんいますが、挑み方がわからないというケースが多い。

自らの限界を勝手に決めてしまってそこでちょっと退いてしまうとか。色々な理由があるとは思うのですが、僕はそういうのを取り払ってあげたいんです。

「その人の価値を最大化をするお手伝い」が自分の仕事であって、やりたいことなので。

東:
なるほど。例えば、スポーツでは挑戦出来たのに、引退後にステージが変わると新たなことに挑戦出来ないアスリートがいらっしゃいます。

「野球しかやってこなかったから」とか「サッカーのことしか分からない」のような。そういった方々にはどういったことを伝えていらっしゃるのでしょうか?

曽田:
そうですね。スポーツを続けてきたことによって何が得られていたのかを理解出来ていない選手が多いと感じますので、まずはそれを伝えるようにしています。

よく言われるのが、スポーツをすることで、心身ともにタフになるとか、動きが俊敏になり体力がつくとか、チームワークよく仕事に取り組めるようになるだとか上下関係やマナーが身についているので営業に向いているだとかですが、それは先程話題にもなった“表面だけ”の問題で、内側にはそうじゃない要素もたくさんありますよね。

小松:
一般的によく言われるアスリートの強みとは異なる部分があると。

曽田:
たとえば、自己の最大化を習慣化していることや、自分の長所、短所を理解して双方を伸ばすためのトレーニングをすることは、スポーツ以外ではなかなか取り組めないと思うんです。

自らの短所を理解することが出来ても、実際に改善するためのトライ&エラーを繰り返すことはなかなか普通の生活では経験出来ませんよね。

東:
おっしゃるとおりですね。

曽田:
他にも自分に合った目標を設定して、それを達成するための計画を立てて実現するというプロセスを踏んだ経験があることも強みになると思います。

サッカーであれば、自分の役割は決まっていますが、誰かのミスを補うことも出来るとか。選手には、それをサッカーの中で出来ているのだという認識をまず持ってもらうようにしています。

小松:
個々のパーソナリティーによって、アドバイスする内容は違ってきますよね?

曽田:
違いますね。まあ、そもそも本人なりにやりたいことがある人と、まだ全くやってみたいことがない人では違いますしね。

東:
全くやりたいことがない人はどうしましょうか?。

曽田:
まずは「心の棚卸し」を手伝って、自分では気づききれてない自分を発見してもらうためのお手伝いをしています。アスリートが内に秘めているものを発掘する仕事ですよね。

小松:
そういう人が「これだ!」というものを見つける瞬間に遭遇すると、喜びも大きいのでしょうね。

曽田:
そうですね。僕は“教える”というよりは“見守ったり、引き出したりする”ことが大切だと思っているので、答えそのものは伝えないようにしていますが。

あとは、僕が色々な経験をしてきたうえでの“引き出し”を具体的に提供する感じです。

小松:
アドバイスといっても、一元的に言うのではなく、その人の内面にまで真摯に向き合って、自ら気づくのを待つスタンスなのですね。

曽田:
そうですね。あとは、競技をしていく上でのメンタルの問題についての相談も多いですね。

東:
例えばどのような相談が?

曽田:
選手をやっていると、試合に出場出来るかどうかというチーム内の競争から、試合で結果が出せるかどうかとか、怪我をしたりとか、様々なストレスがありますが、自分の悩みの本質を明確にしないパターンが結構多いと思っていて。

そこの整理をしてあげることで「本当に悩むべきはここなんだ」と本質を明確にすることが大切だなと。

多くの場合、プライドとか過去の実績といった本質とは関係のない周辺のことを引きずっているだけだったりするので、問題や悩みの本質を掘り下げて、本当に取り組むべきことに気づくと自らの価値の最大化に自然に向かっていけるようになります。

小松:
問題の核心にシンプルに対応するように仕向けてあげているわけですね…。精神科医やカウンセラーのお仕事にも近いかも知れませんね。

曽田:
アスリートの悩みに対する“処方箋”を書くような仕事かもしれないですね。

東:
その処方箋に多くのアスリートが救われてきたわけですから、素晴らしいお仕事をなさっていますよね。

さて、ここで改めて現在の曽田さんの活動を“その後のメダリスト100キャリアシフト図”に当てはめると、「曽田ジュニアスキルアップスクール」や「厚別アスリートアカデミー」での指導者が「A」の領域、北海道サッカー協会のコンサルティングが「B」の領域、北海道教育大学の講師や「ノルディーア北海道」の球団代表、「A-bank北海道」の代表が「C」の領域、Jリーグの解説やメディア出演のお仕事が「D」の領域と全ての領域でお仕事をなさっていることが分かります。

注1)親会社勤務とはいわゆる企業スポーツである実業団チームで自らが所属していた企業で一般従業員として勤務していること
注2)親会社指導者とはいわゆる企業スポーツである実業団チームで自らが所属していた企業の指導者を務めていること
注3)プロパフォーマーとはフィギュアスケート選手がアイスダンスパフォーマーになったり、体操選手がシルク・ドゥ・ソレイユのパフォーマーとして活動していること
注4)親会社以外勤務とは自らが所属していた実業団チームを所有している企業以外で一般従業員として勤務していること

小松:
今後は高い言語能力を活かしたメディア出演はもちろん、「スポーツ☓アート」という曽田さんにしか出来ないような独創的なプロジェクトでのご活躍も楽しみです。

東:
さて、それでは最後の質問ですが、サッカーという競技名を使わずに曽田さんの自己紹介をしてください。

曽田:
人が持っている能力を最大限発揮するお手伝いと、人の笑顔を作る仕事をしている曽田雄志です。

小松:
ありがとうございます。とても素敵です。今度はアートについてもゆっくりとお話を伺わせてください。

東:
今回は本当にある意味異質なインタビューでした。途中、完全に置いていかれてしまいましたから(笑)。

曽田:
僕、変わり者なので(笑)。本日はありがとうございました。

東:
こちらこそありがとうございました。

(了)

編集/瀬川泰祐(スポーツライター・編集者)

インタビュアー/小松 成美 Narumi Komatsu
第一線で活躍するノンフィクション作家。広告会社、放送局勤務などを経たのち、作家に転身。真摯な取材、磨き抜かれた文章には定評があり、数多くの人物ルポルタージュ、スポーツノンフィクション、インタビュー、エッセイ・コラム、小説を執筆。現在では、テレビ番組のコメンテーターや講演など多岐にわたり活躍中。

インタビュアー/東 俊介 Shunsuke Azuma
元ハンドボール日本代表主将。引退後はスポーツマネジメントを学び、日本ハンドボールリーグマーケティング部の初代部長に就任。アスリート、経営者、アカデミアなどの豊富な人脈を活かし、現在は複数の企業の事業開発を兼務。企業におけるスポーツ事業のコンサルティングも行っている。

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