2025.02.15
アスリートとして燃焼し尽くし、紆余曲折の後に「スプリントコーチ」に辿り着いた元陸上競技選手・秋本真吾
Profile
2012年まで400mハードルのプロ陸上選手として活躍。オリンピック強化指定選手にも選出。当時200mハードルアジア最高記録,日本最高記録,学生最高記録を樹立。引退後もマスターズ陸上に出場し2018年世界マスターズ陸上において400mハードルで7位入賞。2019年アジアマスターズ陸上において100mと4x100mリレーにおいて金メダルを獲得。
引退後はスプリントコーチとしてプロ野球球団、サッカー日本代表選手、Jリーグクラブ所属選手、なでしこジャパン選手、アメリカンフットボール、ラグビーなど500名以上のプロスポーツ選手に走り方の指導を展開。年間1万人以上の日本全国の小中学校にてかけっこ教室を開催。
これまで約7万人の子供たちへ走り方を指導。
著書に「つま先力トレーニング」(KADOKAWA)「小学生のための走り方教室」(ベースボールマガジン社)「一流アスリートがこぞって実践する最強の走り方」(徳間書店)
※2019年3月25日取材実施
INDEX
- 多くのアスリートが求める「走り」に特化した指導
- 「ランニングコーチ」に違和感を覚えた
- セカンドキャリアでも「走り」を活かしていきたい
- 燃焼し尽くした後は後悔なしに「さあ、次に行くぞ」
- 最後のチャレンジの準備期間を襲ったシューズのトラブル
- 「0.01」にトコトンこだわりたい
- 自分のメソッドはいろいろなスポーツに活かせる
- 速く走る方法を知らないアスリートはとても多い
- 指導の基本はなんといっても「わかりやすさ」
- 「営業もできるな」と思ったけれど…
- 事業展開とともにマスターズ陸上にもトライ
- セカンドキャリアについて為末さんが教えてくれたこと
- ほとんどのアスリートはもっと速く走ることができるはずだ
- 事業拡大のキーワードは「BtoB」へのシフト
- 走りを文化にするために
多くのアスリートが求める「走り」に特化した指導

東:
今回は元陸上競技選手の秋本真吾さんにお話を伺います。秋本さんは2010年に200mハードルにおいて当時のアジア最高記録を樹立されるなどのご活躍をなさいました。
小松:
200mハードルは世界選手権やオリンピックでは採用されていない特殊種目ですが、2017年に渡部佳朗選手に破られるまで、長くアジア最高記録保持者の座に君臨しておられました。
ほかにも、400mハードルや100m、4×400mリレーなどのレースで数々の好成績を収められていますね。
東:
陸上競技を始めたのは福島県立双葉高校に進学されてからで、メキメキと頭角をあらわし、国際武道大学に進学後は日本ランキングのトップテン入りを果たしました。
その後、同大学の大学院に進み、1年目、2年目には日本選手権のファイナリストに。
卒業後は釣具会社アムズデザインに就職し、チームアイマに所属。
全日本実業団4×400mリレーで第4走として出場し、優勝。また、グランプリシリーズでは400mハードルで2位となられました。
小松:
2012年のロンドンオリンピックの選考会を最後に現役を引退され、その後は「スプリントコーチ」としてプロ野球選手、Jリーガー、女子サッカー選手、ラグビー選手、アメフト選手など多くのアスリートを指導されています。
また、「0.01 SPRINT PROJECT」の共同代表としてさまざまな自治体と連携し学校への派遣授業なども展開したり、企業への研修を実施なさっているそうです。
東:
親睦の深い元陸上選手の為末大さんとともに、各地の小中学生を対象にした陸上教室や講演なども精力的に行っており、2015年にスポーツメーカーのNIKEと契約。
NIKEランニングエキスパート、NRC(NIKE RUN CLUB)コーチに就任なさっていますね。
小松:
現在の秋本さんの活動を“その後のメダリスト100キャリアシフト図”に当てはめると、ランニング・スプリントコーチが「A」の領域、0.01 SPRINT PROJECTの共同代表が「C」の領域と現役時の競技スキルを活かしてお仕事をなさっていることが分かります。

注1)親会社勤務とはいわゆる企業スポーツである実業団チームで自らが所属していた企業で一般従業員として勤務していること
注2)親会社指導者とはいわゆる企業スポーツである実業団チームで自らが所属していた企業の指導者を務めていること
注3)プロパフォーマーとはフィギュアスケート選手がアイスダンスパフォーマーになったり、体操選手がシルク・ドゥ・ソレイユのパフォーマーとして活動していること
注4)親会社以外勤務とは自らが所属していた実業団チームを所有している企業以外で一般従業員として勤務していること
「ランニングコーチ」に違和感を覚えた

東:
秋本さんは中学まではバスケットボール部で、陸上競技部に入ったのは高校からなんですよね?元々足は速かったのでしょうか?
秋本:
はい。小学校で陸上をやっていたのに、中学で入ろうとしたら陸上部がなかったんです。
幼稚園とか小学校時代に「陸上選手になりたい」という夢を持っていました。
父親が陸上をやっていて運動会でごぼう抜きしてるシーンを見て「かっこいいな」と思って。
小松:
お父様は実業団などでやられていたのですか?
秋本:
父は高専出身だったのですが、5年間くらい陸上競技をやっていたようです。
運動会で見ていて「速い!」と。それで中学を卒業して本格的に陸上をやろうと…。
東:
父親に憧れたことがきっかけなんですね。
小松:
それにしても、現在、「プロスプリントコーチ」の発案者となられた秋本さんはすごいですよね。
自らそう名乗って、職業として確立されたわけですから。
東:
まさにパイオニアですよね。
秋本:
以前から速く走るために指導する人が「ランニングコーチ」では、ちょっと違うんじゃないかなと思っていて。
小松:
そこのこだわりがあって。
秋本:
「スプリント」とは「短い距離を速く走る」という意味です。
陸上競技にかぎらず、サッカーやほかの競技でも用いられる言葉ですが、「スプリントコーチ」はいない。「だったら名乗ってみるか」と思って。
引退してすぐの30歳とか31歳のくらいのときです。今から6年前くらいですね。
小松:
選手を引退した後、次の職業として走ることを教えたいというお気持ちはありましたか?
秋本:
実業団チームですが、「アムズデザイン」という釣具のルアーメーカーのチームでした。9時から3時までは広報の仕事をしていたんです。
小松:
有名ですよね。葉加瀬太郎さん(バイオリニスト・妻は女優の高田真由子さん)から聞きました。すごく欲しくてプレゼントしてもらったって言っていました(笑)。
東:
釣具メーカーが陸上競技チームを所有していたんですね。
秋本:
僕は大学院へ進んでいたので、24歳まで競技に集中していたわけですが、その後、競技を続けようとなったときに、僕を採用する実業団は一つもなかったんですよね。
陸上競技では、各種目の上位3名くらいにしか企業が興味を示さないんです。結局どこにも決まらなくて、アルバイトを3つ掛け持ちして生活する時期が続いていました。
小松:
競技を続けていくには厳しい状況だったのですね。
秋本:
「何やっているんだろう、俺?」ってストレスで身体がおかしくなったんです。
ちゃんと働きながら競技を続けられる環境を探そうと思い自分なりの就活をやってみたら、同級生がアイマ(ima 陸上クラブ・2007年創部)のキッズチームの監督をしていると…。
東:
アムズデザインが運営しているクラブですね。
秋本:
「陸上部が一人いるよ」と同級生の親友から聞いたんです。彼の口利きで社長にお会いしました。
社長に夢を聞かれて「オリンピックに出たい」と伝えたら「うちに拠点を置いて9時から15時まで働いてくれたらいいよ」と言われて…。
「いくら欲しいの?」と言われたので、自分で計算して「月に24万円は欲しいです」と言ったら「いいよ」と…。
そんな経緯で雇ってもらうことができました。
僕にとって陸上を続けながらお金を貰えるのはとんでもなく大きなことで、これでやっと生活しながら「陸上ができる!」という感じだったんです。
小松:
アルバイト掛け持ち3つの生活から解放されて…。
セカンドキャリアでも「走り」を活かしていきたい
秋本:
その後、いろいろと結果を求めて試行錯誤を繰り返していた時に、セカンドキャリアを考え始めました。
引退後、必ずしも興味があるわけではない釣具の世界で、朝9時からフルタイム勤務でやっていけるのかと…。そして「違うな」と自分なりに結論が出ました。
東:
もっと、自らのアスリートとしての経験を活かした仕事がしたいと。
秋本:
「自分で自分を速くしたい」と競技をやってきたわけですから「それを活かしたい」と。
オリンピックに行けても行けなくても30歳で一区切りして引退しようと決めていましたから、現役引退と同時に会社も辞めてしまいました。
小松:
短距離という種目の特性もあり、オリンピックが目標なら「26歳か30歳か34歳か」となりますよね。
秋本:
そうなんです。給与をいただきながら競技ができるという恵まれた環境でしたが、全然結果が出ない期間が続いて。
ある日、社長に呼び出されて「お前は本当にオリンピックに行けると思っているの? いつまで競技を続けようと思っているの?」と尋ねられました。
そのときに僕は「行けます!」と即答できなかった。というのも、知らないうちに競技を続けること自体が目標になっていたんです。
オリンピックも「行けたらいいな」くらいの気持ちで過ごしていた自分がいましたね。それに気づいたときに、30歳という期限を設けたんです。

小松:
夢と現実の狭間といったところでしょうか…。
秋本:
日本サッカー協会が主催する『JFAこころのプロジェクト』では、夢先生として子どもたちに「夢と目標の違い」について話をするんです。
調べたらそれは期限があるかないかの違いだったんですね。僕は期限を決めていなかった。それで30歳までと決めた結果、その後の自分の人生も見え始めてきました。
29歳くらいのタイミングで、あと1年は納得するまで競技を続けて、次の人生の準備をしようと思ったんです。
お世話になった社長に辞めることを伝えて、自らスポンサーを見つけて競技を続けることにしました。
小松:
どこの会社だったんですか?
秋本:
『ピーエス』というサプリメントの会社です。
それまで「僕の夢を買ってくださいとか「僕のことを応援してください」と伝えてスポンサーを募っていたんですが、「自分を応援する対価は何か?」という視点がまったく欠けていました。
小松:
スポンサー企業も費用対効果を完全に無視するわけにはいきませんからね。
秋本:
はい。そこで考えたんです。その会社はコラーゲンを扱う会社なのですが、購買層は高齢者の方が多かったんです。
筋肉や腱ってほとんどコラーゲンで出来ているんですよね。
僕は自分でホームページを作っていて発信のツールは持っていたので、サポートしてもらう代わりに、アスリートにもコラーゲンの必要性を伝えることができる。
だから、新しい購買層に訴求できますということを伝えたんです。その結果「ああ面白いね」と思ってくださって…。
東:
実業団選手だとしても自らの存在価値を知り、伝え、理解してもらうことはとても大切ですよね。
所属している企業が自らに支払っているお金に何を還元出来ているのかを考えなければならない時代だと思います。
燃焼し尽くした後は後悔なしに「さあ、次に行くぞ」
小松:
残りの1年はとにかく走ることにしたんですか。
秋本:
やりましたね。やったんですけど、結局アキレス腱をケガしてしまって。そのタイミングで、東日本大震災が発生しました。
パフォーマンスを思うように出せない自分と、生まれ育った街のために何かをやらなきゃならない自分との狭間で、1年半は悩み苦しみました。
腱の痛みが取れずに臨んだ2012年の日本選手権では予選落ちしてしまい、そのタイミングできっぱりと引退しました。
小松:
ちょうど2011年だったとは…。秋本さんの出身地である大熊町は福島原発事故の影響で帰宅困難地域でしたね。
秋本さんは大熊町の小中学生にスパイクやユニフォーム、ハードルなどを寄付する支援活動も精力的にやられていますね。

秋本:
微力ですが…。本当にタイミングが悪く、震災が起きてすぐの試合のウォーミングアップでアキレス腱を痛めてしまいました。
練習も量にこだわるタイプだったのですが、それもままならなくて。
「今なら別のことができたな」と考えるところではあるんですけが、でも自分で考えてトライした結果ですから悔いはまったくありませんでした。
燃焼し尽くした感じですから「じゃあやめて次行くぞ」と。
東:
誰かにやめろと言われたわけではなく、自分で引退を決めたのですから、やりきった感はあったでしょうね。
小松:
ロンドン大会に向けての大会ではどんな成績でしたか?
秋本:
代表の選考レースが日本選手権で、そこに出るための標準記録は切っていたんですけど、予選落ちに終わり、そこできっぱりやめたんです。
東:
なるほど…悔いはなかったのでしょうか?
秋本:
あれはまさに世代交代の大会で、学生が上位を独占したのですが、自宅で決勝レースを観たときに「自分が100%の状態で臨めていたとしてもたぶん3位以内には入れてないな」という現実を見せつけられたレースでした。
「どうやってもこのタイムは出せなかったな」と納得しましたよね。
小松:
オリンピックははっきりとした意志で目指しましたか?
秋本:
「絶対に出るんだ!」という思いで頑張ったのはロンドン大会だけでしたね。
それぞれ選考レースに出てはいたんですが「行けたらいいな」という気持ちだった時点でダメだったんですよね。
小松:
今、軽やかにお話されていますが、社長に申し訳ないと思いながら会社を辞めて、スポンサーを募ってトライした1年のお話は鳥肌が立ちますね。
結果が出て納得するまでの1年は、ほかの1年とは次元の違うとても濃密な時間だったのでしょうね。
秋本:
はじめてそんな風に言っていただけました。振り返れば本当に濃密な時間だったなと思います。
そのきっかけになったのは社長の「本当に行けるの?」という一言でしたが、今でも自分の講演では必ずお話しているエピソードなんです。
小松:
もしかすると社長は「本気か?」と思っていらっしゃったかもしれませんね。
秋本:
そう思いました。その日に営業用の文章と、世界大会に行くためのトレーニング方法や展望を、決意表明書として社長にも理解していただける内容で作って提出しました。
すると「ロンドンが終わるまではサポートするから頑張れ」と言われて。
ゴールを決めてやるべきことが分かれば、パフォーマンスは変わるということを実感しました。
東:
陸上競技などのタイムを競う個人種目は本当に残酷ですよね。勝ち負けが一目瞭然ですから。
チームスポーツの場合、経験者として誤解を恐れずに言えば、ある種の甘えのようなものが出てくることは否定できない。ほかのメンバーと助け合うという良さはあるにしても…。
小松:
コーチもいなかったんですよね。
秋本:
誰もいない競技場にひとりで行って、走ってぶっ倒れて、みたいな…。虚しさや孤独感に苛まれながらやっていたんですが、結果も出なかったんです。
東:
まさに孤独な闘いですね。
秋本:
当時は僕の専門だった400mハードル障害では順天堂大学が強かったんです。
僕の会社は千葉県の銚子にありましたから、1時間かけて毎日順天堂大学に行って、コーチに「お願いします」と頭を下げて教えを請いました。
仕事を終えて練習に行き、また家に帰ってきてという毎日でした。
やっぱり速い選手と走ったり、はっきりとした対象がいたりすると自分自身も変化していくことに気づきました。
食生活を含めすべてを変えた結果、その年には1番良いパフォーマンスが出たんです。
小松:
さっき言ったように量を自分に課すわけですよね。ギリギリを狙うとケガのリスクも負うことになる。本当に練習したんでしょうね。
秋本:
しましたね。
小松:
もしかしたらオーバーワーク気味で。
秋本:
アキレス腱を痛めたタイミングが、契約したシューズメーカーを変えたタイミングだったんです。
色々な人に相談して変えたのですが、それが合わなかったのかもしれません。
最後のチャレンジの準備期間を襲ったシューズのトラブル

秋本:
そのシューズ自体は良いんですけど、僕の走り方には合っていなかったようです。
それが良いというイメージで履いたら走り方に合わず、腱に直接ストレスが掛かってしまいました。
小松:
慣らしたりするタイミングはあったんですか?
秋本:
いきなり契約して、送られてきたのを履いてみたら「あれ?」という感じでしたね。
いままで長く履いてきた靴と全然違う。でもいまさら変えられなくて…。
小松:
プロにはそういった側面もあるのでしょうね。ウェアやシューズの契約をすることで対価も得るわけですし…。衝撃だったかもしれませんね。
秋本:
振り返っても失敗だったと感じましたね。
小松:
スプリンターにとってアキレス腱が痛いというのは、問題ですものね。
秋本:
致命傷でしたね。今は振り返って原因がわかりますから、選手たちにも伝えることができます。
論文を読んだりしてエビデンスを得て、さらにそこに経験を上乗せして説明すれば納得してくれるし。役立てたいと思ったので。
小松:
人を速く走らせてあげられる知識と経験があるコーチは、日本にはそれほど多くないのではないですか?
東:
秋本さんはそうした経験から発想を得て、これまでになかった「スプリントコーチ」という新たな仕事を創出なさったわけですが、次回はそちらについてもお話を伺ってまいります。
「0.01」にトコトンこだわりたい

東:
元陸上選手の秋本真吾さんにお話を伺っていますが、今回は中編です。
秋本さんは、陸上選手を引退後、紆余曲折の末にこれまでに存在しなかった「スプリントコーチ」という仕事を確立されたわけですが、本当にすごいことですよね。
小松:
独自のビジネスを作ったという意味でもまさに先見の明の持ち主。ベンチャー起業家ですよ。
秋本:
そう言っていただけると嬉しいです。
東:
従業員がいらっしゃるわけではないんですよね?
秋本:
はい。今のところは。
小松:
秋本さんにしかできないことですものね。
それを継承して子どもたちに教えることはできるかもしれないけど、まずは速く走る、メソッドを作る、そして他の競技にも導入していく。完全にビジネスですよ。
東:
今のところは、ということは、今後は他の選手たちにもご自身のメソッドを伝え、事業を広げていくことになるのでしょうか?
秋本:
私は共同代表で、もう1人の代表はスクールもやっているんですけど、スクールでは僕たちのメソッドを継承した人間が子どもたちに教えるという流れになっています。
小松:
スクール運営は完全に事業ですよね。
これまで秋本さんのような発想をする人はいなかった。
自分のやりたいことを突き詰めたらスプリントコーチという新たなカテゴリーの仕事に行きついた。
東:
スクールのお名前をお教えいただけますか?
秋本:
今『0.01 SPRINT PROJECT』という会社で事業を動かしています。1/100秒でも速くしたいという思いを込めて。
僕も共同代表もなんですが、足が遅くなった経験があるんです。僕は3年間それが続いて、もうひとりの代表は同い年でアテネオリンピック代表なんです。
それで、そこから一度も記録を更新することなく引退しました。
小松:
どなたでしょう?
秋本:
伊藤友広というアテネオリンピックの4×400メートルで4位に入賞したときの第3走者です。
東:
こちらの種目での4位入賞は日本チームとして初めての快挙ですよね。
秋本:
ええ。彼とも話すんですが、速かった自分が遅くなって、それが長く続くと自信がなくなってくるんですよね。
スタートラインに立つときに、またラスト100mくらいで失速するんじゃないかと思いながらスタートしなくてはいけなくなる。
もちろん期待もします。「もしかしたら最後までもつかもしれない」って自分に言い聞かせながらスタートするんですけど…。
それって足が遅い子どもたちにも同じことが言えると思って。
体育のときに徒競走をやったところ、遅くて自信がなくなるというプロセスと一緒なんじゃないかなって。
小松:
たしかにそれは言えますね。
秋本:
でも、小学生と陸上教室をやっていると、彼らは速く走る方法を知らないだけだと思うんです。方法がわかれば速くなるし、自信が付く。
東:
正しいメソッドとメンタル面を指導すれば、無限の可能性があると。
秋本:
トップのアスリートにも、一般社会で働いている人たちにも同じことが言えると思うんです。
何か一つでも自分を変えることが出来た経験があれば、それを仕事に活かすことが絶対できると僕は思っています。
僕らはオリンピックを目指すという、可能性で言えば数%の世界で、1/100秒、つまり0.01でも速くするためにやってきました。
だから子どもたちに言うのは「一番を取るぞ!」ではなく「ちょっとでもいいから自分で自分を変えよう」ということなんです。
そこで得た自信を夢やスポーツに活かしてほしいなと思っています。
東:
単に足を速くするためのトレーニングをしているのではなく、目標設定と達成方法を学び、経験しているのだという意識を持つことが大切ですよね。
小松:
自己ベストが出ることは、やはり最大の喜びだし。
自分の世界だけで完結しますからね。秋本さんの場合、コーチもいないし自分で考えて走っていたのですよね。
きっと強烈な意思と性格もあると思います。
誰かに寄りかからないとダメなアスリートもいますが、秋本さんは考える力があり、課題を自分で解決できるんですよね。
秋本:
指導にも多分それが活きているのかもしれません。子どもたちへの指導も上手くできなかったこともあったんですよ。
「1時間、子どもたちをお任せします」でやっても手応えがないこともあって、それは自分の指導レベルが低いからだと…。
小松:
なんという責任感!
自分のメソッドはいろいろなスポーツに活かせる

秋本:
子どもが話を聞かないのは自分のプレゼン能力の問題だと気づいたんです。それで細かく分析するようになりました。
自分も競技に対してそういうスタンスだったので、それは大きな発見でした。
小松:
それができるから、引退しても0.01にこだわれる。0.01を克服することの素晴らしさを追い求めてきたから、誰よりも胸を張って言えますよね。
秋本:
いま、競技者を辞めてこういう道を歩いていますが、現役のときは、自分より速い人は誰で、その人はどこでどんな練習しているのか分かる。
僕より為末大選手のほうが速いから、彼のところに行って何が違うかを観察できた。
でも、今の状況では、日本で一番指導力が高い人が誰かはわからないんですよ。
プロを教えている数とか、小学生に教えている年数だと、かなりの数をこなしていると思います。ただ、それとクオリティとは別のことです。
常に自分よりすごい指導者がどこかにいて、その人と競って一番になることを目指す気持ちを忘れてはいけないと思っています。
小松:
子ども1人ひとりに、どんな指導がベストかを模索していらっしゃるのですね。
秋本:
全然知らないところからスタートしました。プロ野球選手やプロサッカー選手を教えるときは、片っ端から試合を観たり、自分で競技をやってみたりとかしました。
小松:
全然違うものですか?
秋本:
競技の構造は違いますが、実際の体の使い方という意味ではそんなに差がないと実感しました。
野球のスパイクを履いて盗塁してみたり…。自分の理論と違うかもしれないと思ったんですね。
やってみるとたしかに「これは陸上独特の理論だな」とか「これは野球にも通ずるな」とか、分かることがあったんですよ。
今は走塁というカテゴライズでは自分で腹落ちしていないので指導は一切していません。
小松:
そうなんですか。
秋本:
ケガを回避する走り方とかトップスピードを上げる領域とか…。「できるのはこの領域だけ」というやり方で。
それ以外はまだ勉強が必要ですね。ただ僕のメソッドが活かせる部分はたくさんありますね。
東:
これまでに何名くらいのプロ選手を指導されてきたのでしょうか?
秋本:
サッカー選手でいえば、Jリーガーや海外でやっている選手もいるんですが、それが男女合わせて20クラ以上、250人くらいですね。
プロ野球が今2球団。現役のときにオリックス・バファローズさん、今は阪神タイガースさんを見ているんですけど、あとはソフトバンクさんやロッテさんとか個人の選手も見ています。
これも大体300人前後ですね。
小松:
どのようなコーチングをしているのですか?
秋本:
阪神さんはオフのキャンプに帯同して走り方のアドバイスをしています。2ヶ月に1度くらいのペースですね。
Jリーガーに関しては明日も浦和レッズさんと帯同します。
中断期間がありますが、意識の高い選手に関しては、シーズン中でも自分のクラブの練習が終わってから見たりしています。
速く走る方法を知らないアスリートはとても多い
東:
どのような契約形態で指導なさっているのでしょうか?
秋本:
阪神さんとはチームとして契約を結んでいますが、個々の選手とは1回あたりいくらという形でやっています。
小松:
効果は大きいでしょうから、指導を受けたい方は多いでしょうね。

秋本:
そもそも「どうやったら速く走れるのか」について理論も方法もわからないまま、多くのスポーツ界ではただの走り込みになっちゃうんです。足腰を作るとか…。
小松:
キャンプで監督やコーチがただ長い距離を走らせたり、長い階段を走らせたり…。
秋本:
ええ。アスリートに「走るの、好きですか?」って聞くと、ほとんどの人が「嫌い」と言うんです。
その理由は、指導者は目的もないし方法も分からないから「走れ、走れ」と言うしかないんですよ。
ぶっ倒れるまで走らせれば速くなるんじゃないかな?という感覚のようです。
小松:
メンタル強化とか、ガッツを引き出すとか、そういった方向性なのですね。
秋本:
メンタルが高まって「俺はこれだけ走った」という自信にはなっても、走り方が変わらなければ速くはならない。
そこをしっかり説明しないといけません。僕は「速く走るための理論はこれで、そのための方法でこれだけ選択肢があります。
あなたの走りはこれに該当するので、この要領で修正しましょう」という説明を必ずしています。
東:
秋本さんのおっしゃっていることは、今伺えば当然のことではありますが、これまでにはなかった考えですよね。
ハンドボールももちろん走るのですが、私は「股関節を意識しろ」くらいしか言われなかったように思います。
現役時代に秋本さんからご指導いただいていればもう少し速く走れたのかもしれないと思うと残念ですね。
走ることは全てのスポーツの基本ですから、もっと良い選手になれていたかも知れない(笑)
陸上選手ではなく、他競技の選手を指導しようと考えたきっかけは何だったのでしょうか?
秋本:
引退後、僕が陸上界に行かなかった理由は、メダルをとっていないし代表でもないからなんです。
僕のようなキャリアの人間が大学の監督になることはありません。監督になるのは、メダリストとか世界陸上に出たとか限られた人が多いです。
小松:
たしかにその傾向はありますね。
東:
指導力よりも競技実績や知名度が求められる面がありますものね。
秋本:
はい。まずその部分が僕にはないわけです。自分が今説明しているロジックにしても、現役のときにそれを理解してやっていたかと言えば、そうじゃない。
ただ惰性でやっていた部分もあるんです。でも教えているときに「重心を高くして」と小学校1年生に言っても「なにそれ?」で終わってしまうんです。
そこで壁にぶち当たったんです。軸とか重心とか言うけれど「そんなに複雑じゃないよな、走ることって」とどんどんシンプルに考えるようになりました。
小松:
では、どうシンプルに教えればいいんですか?
秋本:
姿勢ですね。速く走るには正しい姿勢が大事なんだよということを教えます。
小松:
重心は?
秋本:
重心移動が大事とは言うけれど、色々なアスリートに聞くと、重心を気にして走っている人はほとんどいなかった。
僕自身もそうでした。だから重心の概念は僕のメソッドから外しています。むしろ正しい姿勢がどれだけ取れるかどうかに集約されているんです。
東:
正しい姿勢で走れば自然にできるから、わざわざ言わなくてもいいということでしょうか。
秋本:
言わないです。すごくシンプルになっちゃいました。
小松:
コーチのプロになるってそういうことなんですね。
東:
社長に分かるようにとか、子どもに分かるようにとか、他競技の選手に分かるようにとか、秋本さんは相手に応じてシンプルに伝え、正しく理解させる能力があるのだと思います。
指導の基本はなんといっても「わかりやすさ」

秋本:
毎年1万人くらいの子どもを指導してきたんですが、取材などで「子どもとプロアスリートの指導をどう分けているのか」と尋ねられることがあります。
僕は子どもと同じようにプロアスリートに教えています。すると「わかりやすい」と言われるんです。
小松:
シンプル・イズ・ザ・ベストですね。
秋本:
プロアスリートに重心とか股関節の動かし方を説いても分からないんです。そういう、ある種の意味不明な表現がまかり通るのは陸上選手だけです。
1歩外に出て、子どもと同じように言っていると、どのスポーツ選手にとっても分かりやすい。これがすべての基本なんです。
幼稚園児に理解させられる指導力があれば、どの年齢層や競技レベルでも通用するという発見はありましたね。
小松:
野球選手の場合、たとえば盗塁などもベースのポジションからやるんですか?
秋本:
最初から疑問だったことがあるんです。盗塁する瞬間の構え方って方ってほとんどの選手が守備のときと同じ構えをするんですよ。
体重がかかとに掛かっていると、速く動けません。その構え自体がナンセンスだなと思って。
僕だったらほぼ直立で、足は開くんですけど体重がかかるのはつま先で、かかとが浮いている状態にします。
ふくらはぎに力が入り腱が伸びている状態で、筋力に頼るのではなく腱の反射を使えるので、より効率的な動きになるんですね。
東:
より瞬発的に動けると。
秋本:
マラソンはかかとから着地するイメージがあると思います。
あるマラソン大会の接地データを調べた研究があって、世の中のマラソンランナーの75%はかかとから着地する走り方だと言われています。
でも大迫傑選手(2020年3月1日、東京マラソン2020で2時間5分29秒の日本記録を樹立)はつま先から着地する走り方に注目されているんですけど、つま先から着地する走り方は全体の1.4%程度だったと言われています。
ケニア人と日本人のトップ6の筋肉とアキレス腱の稼働率を調べた研究があるんですが、ケニア人ランナーの方が筋肉よりもアキレス腱をより使っていたという結果もあります。
短距離だけでなく長距離も走り方を見直すことが重要であると思います。
小松:
今の話を聞くと、全球団が教えてもらいたくなるでしょうね。
東:
日本のスポーツ選手みんなが秋本さんの指導によって足が速くなって、代表チームが強くなれば痛快ですよね!
秋本:
そうなったらいいなって思います。
足が速い盗塁選手も一通りチェックしたんですけど、メジャーで年間百盗塁くらいしている選手って、立って構えているんです。
だから僕は構え方から変えられるんじゃないかと思って。
小松:
色々な競技、選手にスプリントのメソッドを導入したんですね。
秋本:
そうです。僕も散々「サッカーと陸上は走り方が違うよ」と言われてきたんです。
確かに見た目は違いますが、本質的にやるべきことは同じだと思っていたので、最初は必ず座学をやらせてもらうんです。
それも1時間ひたすら僕が作った映像だけの資料ですが「クリスティアーノ・ロナウドとウサイン・ボルトの共通点は何か」と映像で見せるとみんな腑に落ちるようですね。
そういうことを踏まえて実技に移動する、という流れです。
小松:
それを子どもやプロに分かりやすくやっているんですね。あっという間に顧客が増えていったのでしょうね。
「営業もできるな」と思ったけれど…
秋本:
時間が前後しますが、引退直後は苦労しました。
引退してすぐに東京都のとある区が区行政記念事業の一環で、元アスリートが中学校などに行って授業をしたり部活動を見たりする事業の話をいただいたんです。
やりたかったことだったんですが、それを受け持つ会社が体育会系大学生の就活支援を事業にしていて。
小松:
ビジネスの可能性も秘めている。
秋本:
色々な繋がりも生まれそうだし、体育大学で色々な走り方も教えられるから「ぜひやりたいです」と月15万円で業務委託契約を交わしました。
ところが指導の案件よりも営業の方が遥かに多かったんです。
全然やりたいことと違って、業務委託契約を結ぶ前にやっていた区行政記念事業の収入も全てその会社に入れる仕組みだったんです。
東:
業務委託契約は、通常担当する業務が明確になっているはずですが?
秋本:
世間知らずだったのでノウハウがなく「これが普通なのかな?」と思ってしまいました。
僕の給料はいくら実績を上げても月15万円から変わらなかったんです。
色々な学生に就活支援サービスへの登録を勧める仕事だったのですが、最終的に月100人の学生に登録してもらうようにと言われ、パンクしそうになったんですが「意地でもやってやる」と思って月に97人の登録を達成したんです。
ここまでやれば絶対に評価してもらえると思い、結果を伝えたところごく普通に「来月も頑張ってください」と言われて。
そのときにストレスが爆発して、虫垂炎になってしまい、2回入院してしまいました。
東:
月に97人の登録を実現した時でも15万円ですか…。歩合制ではない仕事の給与としては少なすぎるように感じますね。そちらの件がきっかけで、辞められたのでしょうか?
秋本:
はい。「これはきっぱり切ったほうがいいな」と思って。「自分でやりたいことがあるんで」と、辞めました。そこからですよね。
小松:
その過程でメソッドはどうなりましたか?
秋本:
磨かれました。
小松:
大変な時代でしたね。ルアーメーカーにいたときより大変ですね。
秋本:
僕の人生を振り返ると、そのときが一番きつかったです。
小松:
でもその仕事は、騙しているわけじゃなかったんですね。
違う仕事の内容を言って、テーマを与えたら頑張る人だということに乗じて、違うことをやらせるわけじゃない。
秋本:
怖いなと思いました。「営業もできるな」とは思いましたが、達成感も幸福感もまったくない。
学生から「秋本さんの指導のおかげで入社試験に受かっちゃいました!」と言われても「そうかあ…。良かったね」みたいな感じで終わっちゃったというか。
そもそも好きじゃない仕事をやったことがストレスでした。

東:
なぜ頑張るのか自分の中で腹落ちしていないですものね。本当にやりたいことは別にあって、それをやるために入社したはずなのに。しかもその働きに見合う対価すら手に入れられない。
秋本:
それまで鬱病なんて他人事だったのに、本当に危なくて。
夜は眠れないし次の日になるのが怖いし、朝から晩まで大学を回っていたのでご飯を食べないまま夜になったりして、8キロくらい体重減りましたね。本当にあれはきつかったです。
親には「やめろ」と言われましたけど、「やめたら逃げることになる」と思っていました。
小松:
30歳からの新しいチャレンジだから、余計逃げられないと思ってしまいますよね。セカンドキャリアではそういう状況に追い込まれることもあるのですね。
東:
多くのアスリートはあまりに世間を知らない面があります。
これはみんなに知ってもらいたいのですが、トップレベルで活躍してきたアスリートは、普通に考えると相手に問題があるようなことでも、頑張れない、結果を出せない自分が悪いのだと思いこんでしまう部分があるように感じます。
自責の念が強いことが災いする場合がありますね。
秋本:
今振り返ればとても異常な状況だと分かるのですが、そのときの自分は「ここしかないんだ!」と信じて疑わなかったですね。
東:
秋本さん、顔が変わりましたよね。
初めてお会いしたのは2009年で、その頃はイケメンで明るくてキラキラしていたのに、しばらくして会ったときに頬が削ぎ落とされたような印象で…。
きっとその経験をした後だったからですね。もちろん現在のほうがより素敵ですが。
小松:
精悍ですよね、ほんとに。
東:
現在はスプリントコーチやスクールの仕事の他に単発の『夢先生』などの講演や企業研修があってということですが、収入のポートフォリオで大きいのはどの辺りになってきますか?
秋本:
コーチとしての指導ですね。土日はイベントで各自治体の主催イベントに呼ばれたり、平日は学校に呼ばれたり。
収入は自治体、学校、アスリート、あとは契約しているスポンサーからといった感じです。対象者はバラバラですが、フックとなっているのは教えることです。
小松:
自ら創り上げた“スプリントコーチ”をメインのお仕事になさっているわけですね。
事業展開とともにマスターズ陸上にもトライ

東:
元陸上選手で現在はスプリントコーチとして大活躍中の秋本真吾さんにお話を伺っています。
前回の中編では、引退直後の営業の仕事でのご苦労について話していただきました。
今回の後編では、スプリントコーチとしてセカンドキャリアを展開され、軌道に乗せた現在の事業の今後の展望を中心に伺いたいと思います。
小松:
秋本さんがやっていることは特別な技術や考え方を提供することですよね。
子どもを対象とした活動はCSR(Corporate social responsibility=社会的責任投資)の面もあるから、ある程度は手弁当的な活動であることは致し方ないにしても、私が考えるに、スプリンコーチという特殊な役割は、高額な対価を得るコンサルタントに近い。
正当に高額な対価を得る仕事ですよ。プロのメソッドを提供する料金シフトがあってもいいかもしれませんね。
秋本:
そうありたいとは思っています。
小松:
元スピードスケートと自転車競技でオリンピックに出場された奥さま(大菅小百合さん)とのご結婚はいつだったのでしょう?
秋本:
2014年ですね。「軌道に乗り始めたかなあ」くらいの頃です。
小松:
それはオリンピックの関係ですか。
秋本:
高木美帆さん(平昌オリンピック・スピードスケート1500m銀メダリスト)と妻がスケートリンク場でスケート教室をやっていて。
そこで朝原宣治さん(北京オリンピック4×100mリレー銀メダリスト)と僕が陸上教室、ほかにサッカー、バスケ、バレーみたいな感じの複合イベントがあったんです。
そこで初めて女性アスリートと話す機会があったのですが「この人、めっちゃ面白いな」と思って。自分で開拓してスポンサー企業を見つけると話していて。
小松:
奥様は現在何をやっていらっしゃるのでしょう?
秋本:
子どもが生まれましたので、一応専業主婦なんですけど、スケート教室とか、それこそ『夢先生』で講演もしています。あと、平昌では解説者としてテレビに呼ばれたりしていますね。
東:
収入は現役時代よりも増えましたか?
秋本:
比較にならないくらい増えました。そんな金額を想定していなかったんですが。
今から現役に戻ったとしても、このやり方なら色々な意味でやれると感じる立ち位置ですね。
実際、僕もマスターズとかに出ながら身体を動かしているんですけど、やりながら感じています。
小松:
高齢化社会で健康寿命を伸ばすというテーマを考えると、マスターズというカテゴリーが注目されるのは大事なことですよね。
秋本:
本当に素晴らしいです。僕も初めて全日本マスターズに2016年に出たんですけど「ほんわかした雰囲気かな」と思ったら、現役のときとなんら変わらない雰囲気。
世界大会でもその本気度を見て、すごく素敵なことだと感じました。
東:
ハンドボールも同じなのですが、選手の時にはトップレベルで活躍出来なかった人たちが頑張るのがマスターズ大会というイメージがあります。
ビジネスでバリバリに活躍している方々が頑張っていて、元プロ選手なども敵わないくらいのパフォーマンスを見せることが多々ありますよね。
小松:
マスターズみたいなものがあると、速く走るということが、オリンピックとかワールドカップとは縁がなかった人たちのものになる。
80代でもがんばって速く走りたいとチャレンジする。
東:
秋本さんのマーケットがさらに広がっちゃいますね(笑)
小松:
生徒が増えていきますよね。やがて秋本さんが直接指導しなくても秋本メソッドが確立しているのでは。
直接指導はリクエスト次第。そういう事業の展開もありますよね?
セカンドキャリアについて為末さんが教えてくれたこと
秋本:
今おっしゃられたメソッドを広げるためにアプリを開発したり、走りの資格検定なども現在進行中なんです。
プロスポーツ選手や足が速くなりたいと思う子供たちだけじゃなく、マスターズや健康のために走ることを必要する人たちにも価値のあるプログラムにしたいと考えています。
小松:
アジアには絶対に大きなマーケットがありますよね。中国では子どもの肥満が問題になっています。走り専門の家庭教師もいるらしいですよ。
秋本:
メソッドはどんどん蓄積されています。コンテンツ事業としてどう展開していくかはうちの共同代表と話しています。
東:
現役時代と現在を比較すると、どちらが充実していますか?
秋本:
競技をやっているときより今のほうが楽しいですね。
東:
そうおっしゃるだろうと思っていました(笑)
秋本さんとは異なり、セカンドキャリアで活躍出来なかったり、新たなことに挑戦出来ずに悩んでいるアスリートも多いと思うのですが、そういう方たちにアドバイスがあれば教えていただきたいです。
秋本:
僕は「セカンドキャリアに困るだろうな」と感じていたので、引退後を見据えてプロになったという面もあるんです。
なにを学べて何ができるかを計算したつもりだったんですけど、方法が分からないんですよね。時間があっても勉強の仕方が分からない。
アドバイスできるとしたら、とにかく情報がある場に積極的に行くことだと思います。
引退会見のときのイチローさんが、子どもたちへのアドバイスとして「好きなことを見つけること」と仰っていて、僕もそのとおりだと思います。
ただ、好きなことの見つけ方がわからない子どももいるんです。
小松:
思いはあっても方法がわからない。
秋本:
とはいっても、なんらかの行動を起こさなければ、出会えないし、掴めない。まずは行動のきっかけの場に行くことです。
為末さんに「陸上以外の人間に会え」と何度も僕は言われたんですが、陸上以外のネットワークがない。
だから、とにかく為末さんにくっついて行ったんです。
東:
為末さんの人脈は本当に多岐にわたっていて、アスリート、経営者、学術関係者など様々な業種の方々をつなぐ「ハブ」的な存在ですよね。
秋本:
ええ。為末さんと一緒にいると、それまで無縁だった領域の人と会えて、その領域の情報に触れることができる。
為末さんには「キーとなる人を捕まえろ」と言われました。僕の枝葉の部分の根っこは為末大さんなんですね。
一生かけて恩返ししないといけない人なんですが、セカンドキャリアではそういう場に行くことが大切だと思います。

小松:
現役の頃から親しかったんですか?
秋本:
同じチームでやっていたということもあり、同じ種目ということが大きくて。
僕は為末さんの弟子みたいな感じで練習をやっていましたから。大学も違うんですけど、法政大学によく行っていました。
一方的に僕が憧れを持っていたんです。
東:
知らないことは好きにも嫌いにもならないですから、知る機会、知られる機会を増やすことは本当に大切だと思います。“ムラ”の外には知らないものがいっぱいありますから。
小松:
一つのものを追いかけるときって、視野狭窄に陥りがちですよね。現役時代でも色々な視点からのアドバイスに触れられるようなコミュニティがあるといいですよね。
秋本:
大学で好きだったのはディスカッションの授業でした。それぞれの意見をぶつけ合うのが好きだったんです。
テレビでも『しくじり先生俺みたいになるな』(テレビ朝日系)が好きですね。失敗経験やそこで得た教訓を聞くことで学ぶことはたくさんあります。
セミナーなんかに足を運ぶとなると、腰が重くなる気持ちもわかるんですが、そういう場には気づきもありますから機会を増えすことも必要だと思います。
東:
秋本さんは当時200mハードルのアジア最高記録保持者になることで陸上界における自己ブランディングをなさったわけですが、そちらについてもお聞かせください。
秋本:
200mハードルはオリンピック種目ではないんです。
僕はとにかく本職の400mハードルでオリンピックに出たり、日本代表になりたかったので、僕の中では価値のあるものでは正直なかったです。
小松:
でも記録は。
秋本:
記録はあります。特殊種目というのがあって、300mとか60mとか色々とあるんです。
世界大会にはないので、陸上選手にとってはあまりステータスにはならないんですが、一般の人にとってはそれなりにインパクトがあると思います。
東:
僕もハンドボールの日本代表のキャプテンを経験しましたが、世界選手権やオリンピックには出ていません。
でも、一般の方にとってはアピール材料になりますから、いつも初対面の際には伝えさせていただき、アイスブレイクに活用しています。
小松:
聞いてもらう理由付けをこちらから提供することも必要ですよね。
秋本:
直接言われたことはありませんが、オリンピック種目ではないことを冷ややかに口にしていた陸上界の人間は少なからずいたと思います。
そういう人たちに心を煩わされるより、自分のブランディング構築に役立てていることを優先しましたね。

東:
セカンドキャリアでは、嫌な奴の目を気にしないということも大切ですね。
自分のことを大切にしてくれない人を大切に扱う必要はないですから。
ほとんどのアスリートはもっと速く走ることができるはずだ
小松:
秋本さんはコーチになったことによって、違う競技との接点をお持ちになった。そういう経験は面白かったですか?
秋本:
僕は現役のときにお世話になったサプリメントの会社が12球団に営業していました。
僕をスポンサーしたことに、当時のオリックスさんのトレーナーの方が興味を示されて。当時のオリックスさんは盗塁率が12球団最下位でした。
「オリックスの選手をコーチングしてみませんか?」とお誘いを受けて、選手のときにオリックスさんで指導したんです。
小松:
いまのお仕事につながる経験があったのですね。
秋本:
当時T-岡田選手がいたんですけど、事前に球団さんで50m走のタイムを測っていまして。
一通りトレーニングした後に改めて測ったら、トレーニングに参加した選手が全員0.3秒から0.7秒も速くなったんです。
それで球団が「これは…!」という空気になり「オフも呼ぼう」となって、秋のキャンプと秋季キャンプに呼んでもらったんです。
この経験は僕にとっては革命的だったんです。僕自身は1/100秒を縮めるのに大変だったのに「たった1時間で速くなるんだ」と驚きました。
小松:
でも、逆に言えばプロ野球選手が速く走る方法を知らなかったわけですよね。
秋本:
それは大きな気づきでしたね。陸上競技の世界に僕の席はないし、他のスポーツであるサッカーや野球界に飛び込んで変化をもたらしたら、インパクトも大きいし、すごく楽しいなって。
東:
考えてみると“速く走ることを指導出来る能力”は特別ですよね。
僕はハンドボールのボールを速く投げたり遠くに飛ばす方法を指導することは出来ますが、他のスポーツではほとんど役に立たない(笑)
でも、速く走る方法はほぼ全てのアスリートが求めていますから、革命的です!
どうして今まで誰もやってこなかったのかわからないですね。
小松:
サッカーだと大迫勇也選手(独ブンデスリーグ・ブレーメン)とか武藤嘉紀選手は足が速いですよね。彼らはどうなんですか?
秋本:
武藤さんには教えたことあるんですよ、マネジメント事務所が一緒なので。
僕から言わせると、世の中の陸上選手以外のアスリートは今よりずっと速くなれますね。
小松:
見ていて「こうすればいいのになあ」と思っちゃうくらい…。
秋本:
はい。
小松:
じゃあ、オリンピックの前にもっと徹底してワンショットでもコーチに行ってほしいですね!
東:
この記事を読んでいるアスリートにも是非コンタクトしてきてほしいですね!

秋本:
それこそ明日は浦和レッズの槙野智章選手に会うのですが、僕が一番長く見ている選手なんです。
6年目になってもまだまだ僕がやってほしいレベルには達していない。だからこそ意味があるし、伸び代も期待できる。
小松:
アスリートって、身体の疲労とか色々なクセがありますよね。そういうのを1歩戻って2歩進むという。
秋本:
まさに。少し前の1年間はできていませんでしたが、アジアカップ戦のときの槙野さんの動きは完全に戻っていましたし。
本人からラインが来て「走り方が分からなくなっている。どこかで練習をやってください」って。
東:
自らの出来ないことを理解し、あらゆる方法で改善しようとしている槙野さんはやはり一流の選手ですね。
秋本:
槙野さんはよく知っていて、色々な引き出しがあるから「ここを意識してください」と言えば理解できる。
アジアカップのときに、彼から「他の選手もアッキーに見て欲しいって言っている!」と連絡が来たんです。
見たことない選手の走っている画像が送られてきました。改善するところは言えますが、方法は言えないんですよね。
なぜなら僕と会ってもいないし、細かな情報もない。ですから「現状こうなっているので、こう変えたら速くなりますよ」くらいの柔らかい表現で伝えました。
東:
そもそも指導を求めるのならお金を払ってくださいということですよね(笑)。
秋本:
まあ、そうですね。
小松:
なにごとも改善するためには、当事者のカウンセリングが必要だということですね。
秋本:
そうなんです。
小松:
靴メーカーのアキレスがすごいんです。選手に詳細に話を聞いて開発した速くなる靴がベストセラーになるんです。
速く走ることって人間に幸福をもたらすんだなと思いましたね。創業者の1人が講談社の編集者だったそうですよ。
秋本:
将来は靴とかも作ってみたいですね。
小松:
オリンピックだったらレギュレーションがあるかもしれないけど、子どもの靴って斜めになっているんですよね。
東:
僕の子どもたちも履いていましたね。いろいろと言われたりもするんですけど、親としては靴一足で子どもが活躍出来ると言われれば買っちゃいますよね(笑)
小松:
でもいいことですよね。そういうことに子どもも親も一生懸命になって。アスリートだけど、秋本さんのやっていることはビジネスですよね。コンサルティングだし。
事業拡大のキーワードは「BtoB」へのシフト
秋本:
自分たちの企業も「BtoB」(Business to Business=対企業事業)が理想だと思うんです。子どもたちに教えるときは直接お金をもらいたいけど、なかなか難しい。
小松:
ビジネスとしてのスケール拡大を図るには、やはり企業を取り込まなければならないですよね。
秋本:
僕は会社の研修などで、速く走るためのロジックを話し、実際に速く走るためのアクティビティを行います。
そして、それが実際の仕事にどう活きるかを話しています。
今まさに企業の社長さんのための皇居ランのプランを作っているんですけど、ただ走るのではなく、動作改善のための方法論を入れています。
そうすると「今までより走れるようになった」とか「走るとここが痛くなったのに痛くなくなった」とか喜んでくださる。
これは「B to C」(Business to Consumer=対消費者事業)なわけですが、そういうことを企業研修でやらせてもらえるようになれば事業は拡大していくと思うんです。
東:
なるほど。定期的な企業研修はサブスクリプションモデルとも言えますものね。
秋本:
あとはアセットリードさん(不動産ビジネス会社)のパートナーとして、親子の走り方教室なども企画しています。
僕が教室やるときは親御さんも入ってもらい「ビデオを回してください」と頼みます。
それで復習し続けてもらうためです。続けないと定着しませんからね。「続ければ必ず速くなります」と伝えています。
小松:
企業の福利厚生として展開できれば、大きなビジネスになるのでは?
東:
従業員のご家族にも喜んでいただけそうですね。
小松:
こういう発想がビジネスにも活きると思います。速く走りたいと思う心って、シンプルだけど奥も深いんですよね。
秋本:
いくら新しいトレーニング方法を導入したからといって、自分の走りの動作を変えないとタイムは向上しません。
神野大地くん(プロランナー・青山学院大学時代は箱根駅伝で活躍)にも提案しています。
長距離界は何メートル何秒何セットをどのくらいの頻度でやるか、という運動性への探求はすごく進んでいますが、動作の改善は誰も行ってないんです。
やっている練習が同じなのに、動作が変わって神野大地選手のタイムが短縮したら面白いアプローチだなと。
小松:
彼はどこの所属ですか?
秋本:
セルソースさんという再生医療の会社なんですが、今まさにセルソースさんとお付き合いがあって。それで延長線上で神野大地くんに提案をさせていただきました。

東:
様々なつながりから幅広いお仕事が生まれているのですね。
引退後に出会った人で、ある意味「スプリント・コーチ」の生みの親とも言えるオリックス・バファローズを紹介してくれた方のお名前をお教えいただけますか?
秋本:
本屋敷俊介さんというトレーナーの方なんですが、阪神に移籍したんですよ。
それで「秋本を絶対呼ぶから!」と言ってくれて、金本政権の2年目から呼んでくれて。
小松:
私も秋本さんにプロスポーツチームの監督とかオーナーを紹介すればいいのかな?
秋本:
結局監督さんとかが「うん」と言わないと難しいんですよね。
東:
基本的にはトップダウンの世界ですものね。
小松:
プロ野球の監督は速さを求めますからね。
ご興味持ってくれる監督がいればご紹介しますね。
走りを文化にするために
東:
さて、ここまで色々とお話を伺ってまいりましたが、秋本さんの今後の目標をお教えいただけますか?
秋本:
走りを文化にすることですね。どの球団にもどのサッカークラブにもスプリントコーチがいて「走り方を教わっていないの!?ダメだよ」みたいな世界にしたいんですよ。
なぜなら走りを変えることで自分が変化するし自信もつくし、パフォーマンスも向上する。そんな仕組みを作るのが今の夢ですかね。
東:
素晴らしいですね。これまで様々な挫折を乗り越えてきた秋本さんならきっと叶えられると思います。
それでは、最後の質問です。陸上競技という言葉を使わずに自己紹介をしていただけますか。秋本真吾はどんな人間でしょう?
秋本:
パッと一言で答えるのは難しいですね。それこそ200mハードルで記録を持っていましたが、僕は記録に縛られていたのが嫌だったんです。
で、2年前に記録が破られてやっと開放されました。今は自信を持って「スプリントコーチです!」 と言えますし「何なの?」と聞かれたら、「人の足を速くする仕事です!」とい言うようにしています。
小松:
自らが創り上げた“人の足を速くする仕事”をこれからも広げていってください。
本日はお忙しいところ誠にありがとうございました。
秋本:
ありがとうございました。

編集/佐藤 愛美(ライター)

インタビュアー/小松 成美 Narumi Komatsu
第一線で活躍するノンフィクション作家。広告会社、放送局勤務などを経たのち、作家に転身。真摯な取材、磨き抜かれた文章には定評があり、数多くの人物ルポルタージュ、スポーツノンフィクション、インタビュー、エッセイ・コラム、小説を執筆。現在では、テレビ番組のコメンテーターや講演など多岐にわたり活躍中。

インタビュアー/東 俊介 Shunsuke Azuma
元ハンドボール日本代表主将。引退後はスポーツマネジメントを学び、日本ハンドボールリーグマーケティング部の初代部長に就任。アスリート、経営者、アカデミアなどの豊富な人脈を活かし、現在は複数の企業の事業開発を兼務。企業におけるスポーツ事業のコンサルティングも行っている。
アスリートエージェントとは?
アスリートエージェントは、アスリート・体育会&スポーツ学生に特化した就職・転職エージェントです。
創業以来、
といった業界でも高い数字を出しているのが特徴です。
就職の知識が全くない方でも、元競技者であるキャリアアドバイザーが手厚くサポートいたします。
履歴書の書き方から面接のアドバイスまで、スポーツと同じように「勝つまで」全力で支援させていただくのがモットーです。
利用は完全無料です。私たちと一緒に就活でも勝利をつかみ取りましょう!
ARTICLE