2025.02.15
日本におけるライフセービング文化をつくる ライフセーバー・飯沼誠司
Profile
1974年東京都出身のライフセーバー。日本初のプロシリーズと契約したライフセーバーであり、ライフセービング元日本代表キャプテン、元監督。2010年世界選手権エジプト大会SERC競技種目準優勝。一般社団法人アスリートセーブジャパン代表理事の他、タレントとしても活躍する。
※2019年4月2日インタビュー実施
東:
様々なアスリートのキャリアをご紹介する「表彰台の降り方」。今回はライフセービング元日本代表キャプテンならびに元日本代表監督の飯沼誠司さんにお話を伺います。
小松:
飯沼さんは日本人初のプロシリーズと契約したライフセーバーで、現役時代には全日本選手権アイアンマンレース(現オーシャンマンレース)で5連覇、1998年には全米ライフガード選手権など国内外の数々のレースで輝かしい実績を残されています。
東:
そんな飯沼さんが現在取り組まれているのは、海岸での安全を守り、環境を保全する活動。
2006年に「館山サーフクラブ」を立ち上げ、水難救助の第一線に立っていらっしゃいます。
クラブを拠点に主に水に関わるスポーツの普及、ジュニアライフセーバーの育成などにも精力的に取り組むとともに、多くの人がAEDを使用できるようにするため、使用方法の浸透や技術指導を行っています。
小松:
これらの啓蒙活動の拠点として、飯沼さんは一般社団法人アスリートセーブジャパン(ASJ)を立ち上げました。他にもタレントとしても活動されていますが、メディアを通じても「命を守る」ことを社会に浸透させていらっしゃいます。こうした活動の根底には、飯沼さんご自身の「競技の枠を超えてスポーツの現場での命を守りたい」という強い思いがあるとのこと。
東:
飯沼さんは未だに現役選手ではありますが、現在の活動を“その後のメダリスト100キャリアシフト図”に当てはめて考えると、Bの競技団体運営とCの経営者ということになりますね。

注1)親会社勤務とはいわゆる企業スポーツである実業団チームで自らが所属していた企業で一般従業員として勤務していること
注2)親会社指導者とはいわゆる企業スポーツである実業団チームで自らが所属していた企業の指導者を務めていること
注3)プロパフォーマーとはフィギュアスケート選手がアイスダンスパフォーマーになったり、体操選手がシルク・ドゥ・ソレイユのパフォーマーとして活動していること
注4)親会社以外勤務とは自らが所属していた実業団チームを所有している企業以外で一般従業員として勤務していること
INDEX
本場・オーストラリアに魅せられて
東:
飯沼さんはライフセービングの世界で輝かしいキャリアをお持ちですが、どのようなきっかけでこの世界に入られたのでしょうか。そのあたりから、お話を伺えればと思います。
飯沼:
もともと、持病のぜんそくを克服するために水泳を始めたのがきっかけです。
小松:
今とは違って健康優良児ではなかったわけですね。
飯沼:
実は、高校生くらいまで虚弱体質だったんです(笑)でも、スポーツは好きで負けず嫌いな性格でした。
小学校ではジュニアオリンピックに出場し、高校時代は背泳でインターハイにも出場しました。
「もっと強くなりたい、逞しくなりたい」といつも思っていましたね。
東:
自分の弱さを克服したいという気持ちが原動力になっていたのですね。それにしてもすごい活躍です。

飯沼:
僕の母は元卓球選手で、スポーツを含め僕が興味を持ったことにはとにかく寛容でした。おかげで小さい頃から色々なことに挑戦させてもらえました。
その一方で厳しい面もあって、練習で弱音を吐くと、「だったら辞めてもいいよ」と言うものの、「それで自分が満足するなら」と付け加える。
そう言われると、負けず嫌いの僕としてはどうしても悔しくなってくるんですよ。
そう考えると、親にうまくコントロールしてもらった部分は大きいのかな、と思いますね。
小松:
現在、飯沼さんがアイアンマンでいらっしゃるのは、お母様のおかげと言ってもいいですね。
飯沼:
そうかもしれませんね。あとは、中学時代の部活の顧問が水泳部と陸上部を兼任していたので、中学では水泳と陸上を並行してやっていたんです。
水泳はもちろんですが、足の速さを買われて陸上の大会にも出場しました。
主に中距離をやっていたんですが、当時の練習によって現在のライフセービングにつながる脚力を鍛えられたのかもしれません。
東:
何をやってもトップクラスのアスリートだったのですね。
飯沼:
だといいんですが、水泳のタイムが高校時代には思うように上がらなかったんです。
それまでは伸び続けたタイムが、高校3年間で1秒しか上げられなくて。
その結果、3年生のインターハイではメドレーリレーの背泳ぎの代表も後輩に譲ることになって…。
これまでにやってきたことが全部無駄になってしまったような気持ちでしたね。挫折感というか、ショックというか…。
小松:
目標を失いかけたということですか?
飯沼:
そうですね。しかしその後、高校を卒業して大学に入り、オーストラリアのレスキューシーンに魅せられてライフセービング部に入部しました。
そこから徐々にいい結果が出るようになったんです。
小松:
その時から今日までずっとライフセービングを続けていらっしゃるのですね。
日本初のプロライフセーバーに
飯沼:
この世界に入った当時はライフセービングが今よりもさらにマイナーなスポーツでした。
僕は大学卒業後に大手旅行会社に入社し、1年も経たないうちに会社を辞めてプロに転向したのですが、プロとは言っても厳しい環境を強いられました。
自らお金を集めて、活動の場を広げながら現役をやらなければいけない状況に自ら飛び込んでいったんです。当時は危機感しかありませんでした。
東:
活動資金どころか、生活していくのも厳しい状況だったのではないでしょうか。
飯沼:
はい。しかし、プロとして活動する以上は、同年代のサラリーマンよりは多く稼がなければと考えていました。
日本で初めてのプロ選手がアルバイトをしていたら夢も希望もないなと思って、ひたすら頑張ったんです。
自分の中でルールを決めて突っ走っただけなんですけどね(苦笑)。

東:
飯沼さんがプロになられたのはいつになりますか?
飯沼:
1997年です。一社会人として埋もれるよりは違った道を選びたいなと考えました。
新卒で第一志望の会社に入社できたわけですが、ライフセーバーのプロとしての生き方の広がりを模索したい気持ちが大きくなって。
先程も言いましたが、水難事故を減らすというライフセーバーとしての使命感もありましたし。
スポンサー獲得のためにプロフィールを作って自ら企業回りもしていたのですが、練習時間を削ることに矛盾を感じて、マネージメント契約をしたりもしました。
東:
社会人野球の選手がプロになることとは大きく違いますよね。マーケットが国内にはないわけですから。
プロライフセーバーがいなくて、プロリーグもなく、大会の数も限られている中で初めてプロになるのはものすごい勇気がいりますよね。
飯沼:
はい。ただ、本場であるオーストラリアやニュージーランドではライフセービングは立派なメジャースポーツで、テレビ中継もしているんです。
日本のポテトチップスに野球選手のカードがついているように、シリアルを買うとライフセーバーのカードが付いてくるんですよ!
もともと競泳のイアン・ソープもジュニアライフセーバーをやっていましたしね。
ジュニアライフセーバーをやっていた人が、カヌーやトライアスロンなどをやることも珍しくありません。
小松:
ライフセービングがプロスポーツとして成り立っているんですね。
飯沼:
文化の違いはあるんですけれど、海外では賞金も出ますし、スポンサーも付きますからプロ選手として立派に生活していけます。
東:
日本とは比較にならないほど、ライフセービングが盛んなんですね。
飯沼:
そうなんです。日本も海に囲まれた国ですから、もっと海への関心が高まってくれればいいなと思います。
水難事故の防止を目的にしてライフセービングのプロリーグを作るとか。日本でもプロ選手として食べていけるようになってほしい。
そんな社会的ミッションを色々と考えて、僕もプロになったわけなんですが。
小松:
ダイレクトに命を救う仕事ですが、当時はそういった考え方が、社会になかなか浸透していなかったのですね。
飯沼:
ええ。プロツアーに行った時、ハワイでもオーストラリアでも「観光客として溺れる数は日本人が一番多い」と言われたんです。
「我々は海では浜に着いたらまずライフガードを探すけれど、日本人は空いているところに行く。ライフセービングを文化にしないと日本人の事故は防げないよ」と指摘され、日本の第一人者として、その役割を果たさなければと考え始めたんです。
そのためにはプロになるしかない。そういう意味でメディアに出て、ライフセービングの文化を浸透させようと決意しました。
小松:
とても意義のあることですね。飯沼さんの活動がきっかけとなり、もっとライフセービングが知られてほしいです。ところで、ライフガードとライフセーバーはどう違うんですか?
飯沼:
海外では明確に定義されています。ボランティアの人がライフセーバーで、フルで仕事としてやるのがライフガードですね。
そういったことを含めて、我々がやっていること、やろうとしていることを社会的にもっと知ってもらえればと願っています。
まずは目立ち、知ってもらうこと

小松:
飯沼さんの場合、プロになった時点でまったく新しいカテゴリーの事業を起業したように感じるのですが。
飯沼:
確かにそうかもしれませんね。
小松:
スポンサーを集めることや自分で生活していくことも困難が多かったでしょうし、なおかつ会社を辞めた以上は、絶対に成功させるというプライドもあったはずですよね。
飯沼:
はい。自分の世代だけでは叶えられないミッションもたくさんありますしね。
東:
徐々に組織や仲間を作っていくプロセスで、いい風も吹いてきたのではないでしょうか。
90年代後半からは、競技としてのライフセービングが少しずつ注目されてきたように思います。
飯沼:
ええ。雑誌の『ターザン』などでも「理想のアスリート身体」みたいに評価してもらえましたね。
当時のスポーツ選手の理想の身体ランキングで、サッカーや野球選手を抑えてライフセーバーが1位になったんです。
この時に「まず目立つことも大事だ」と実感しました。

小松:
ライフセービングがオリンピックの種目候補になったこともありましたよね。
飯沼:
そうですね、シドニーのときに。実現していれば、状況は大きく変わっていたでしょうね。
東:
より多くの方々に知ってもらうための千載一遇のチャンスだったのに、残念でしたよね。
飯沼:
IOCとしては、世界大会への参加国が少ないという事情もあったようです。
当時はトライアスロンとライフセービングが検討されていて、トライアスロンが採用されたんです。
小松:
オリンピックの正式種目として採用されるためには、競技人口の問題は大きいですよね。
飯沼:
そうですね。しかし新たなチャンスもありました。
僕は日本代表の監督を2016年に退任したんですが、たまたまアジアの発展途上国には水難事故を含めて水辺の環境に関する問題が多く、教育的なライフセービングとスポーツとしてのライフセービングを伝えに行くというミッションをいただいたんです。
東:
まさに、飯沼さんだからこそ担えるミッションですね。
飯沼:
タイのプーケットでデベロップメント育成の場が設けられました。インド、インドネシア、シンガポールなどの10か国くらいの人が集まったんです。
各国とも立派なライフセーバーはいますが、スポーツとしては成り立っていないのが現状でした。
たとえばバリ島のライフセーバーは日本人より待遇はいいんですがスポーツとしては定着していなかったんです。
東:
どちらかと言えば、監視員みたいなイメージでしょうか。
飯沼:
そうですね。あとはサーフィン競技のサポートなどが主な仕事でした。しかし、それぞれの国の文化としては位置付けができています。
さらにライフセービングが浸透していけば、オリンピック・パラリンピック大会の競技として、話が再浮上すると思うんですよね。
小松:
オリンピック競技以外でも、たくさんの競技者がいて、ビジネスとして成り立っているスポーツもありますしね。
飯沼:
ただ、一方でスポーツとしてのライフセービングだけにフォーカスされると、本来の水の事故を防ぐというミッションが抜けてしまうという意見もあるんです。
たとえば陸上選手がビーチフラッグスに転向してくるようなケースですね。本来、我々はライフセーバーの資格を持って大会に出場します。
そのほとんどの人が水辺の事故を防ぐことをメインに活動している人たちの集まりの大会なんです。
しかし、そういう活動をしない泳ぎや走りが速いだけの人たちが大会に参加するとなると、本来の意味が変わってくると思っています。
東:
そうなると、もともとの成り立ちが忘れられてしまいますね。
飯沼:
だから、僕はオリンピックへの採用だけを目標にはしたくない。世界的にライフセービングの意義を浸透させることには賛成なんですけれどね。
小松:
ライフセービングは水辺の事故防止を目的として誕生し、競技として徐々に進化してきたメソッドがありますからね。
最初から競技やゲームとして誕生してきたスポーツとは違いますよね。
飯沼:
そうですね。あとはライフセービングに関する教育も大事だと思います。日本では教育があまりできていないから、水難事故の件数がずっと横ばいなんです。
そこで、大学院に入学して、どうやったらライフセービングの教育を日本に広められるかという論文を書かせてもらったんです。
自分なりに一生懸命やってきました。
突然死を防ぐために

小松:
飯沼さんはご自分の会社でもライフセービングに関する啓蒙活動をなさっているんですよね。
飯沼:
はい。世田谷区と共同で公共施設を使った水辺の安全について学ぶ水泳教育をやったりしています。
東:
飯沼さんのキャリアを考えていくと、パイオニアとして日本初のプロフェッショナルライフセーバーになられた後、代表理事を務めている一般社団法人「アスリートセーブジャパン」ではAEDの普及活動も精力的に展開されている。
ライフセービングを軸に競技を絡めた社会貢献活動を実施なさっているイメージがあります。
飯沼:
そうですね。水辺だけではなくさまざまフィールドで命を守ることを考えるべきだと思ったんです。まずはスポーツ。
頻発しているスポーツ選手の突然死の問題に対して、ライフセーバーとして何かできないかと思ったのがきっかけです。
小松:
水辺以外の事故防止、救命にも視野を広げたんですね。
飯沼:
はい。AEDの設置自体は、日本では駅や施設など全国的にほぼ網羅しています。販売台数で言うと累計90万台以上で、人口比率で言うと世界1位なんです。
でも、実際に使われたケースはとても少なくて、救命に4パーセントから5パーセントくらいしか使われていないんです。
その点を社会的な課題として考え、東さんを含めてアスリートの方々にも色々とご協力いただいています。
東:
誰でもスポーツをしている時間は楽しい。ところが、突然命を落としてしまうような事態が発生する。
「自分には降りかからない」と思っているのに、です。AEDを素早く、正しく操作すれば助かった命もたくさんあるでしょうね。
飯沼:
その通りですね。以前、修学旅行中の日本人の高校生2人が、オーストラリアのグレートバリアリーフで溺れて亡くなりました。
オーストラリアではしょっちゅう水難事故が起きているんです。
校長先生も「安全配慮が足りなかった。危険という認識がなかった」と言っていましたが、「バケツ1杯の水で人は死ぬ」って僕らは伝えています。
多くの指導者の方にそういう認識がないのがすごく残念ですね。「水に殺される」可能性があるということは教育で伝えなければいけない。
数年前も溺水事故で沈んでいた人を引き上げて蘇生しました。区域外でお酒を飲んで溺れた方でした。
東:
毎年そういう事故が報道されていますよね。
飯沼:
後を絶ちませんね。ライフガードをやって30年経つんですけど、浜にいると日本社会のダメなところが見えるんです。
羽根を伸ばすことは良いとは思いますが、ルールを守らない大人、ゴミを当然のようにその辺に捨てる人たち。環境問題なんて頭にない人。
小松:
世界から礼儀正しい、親切と評価される部分もありますが、社会的マナーに欠ける日本人はいます。本当に腹も立つし、悲しくなりますね。
様々な面での環境を変えていきたい

飯沼:
2006年に「館山サーフクラブ」を立ち上げて、ライフセービングを中心に海岸の安全と環境を保全する活動を始めたんです。
そこで、ジュニアのライフセーバーたちの教育もプログラムとして作り、ジュニアライフセーバーとして地域の子も育てなくてはいけないという使命感が強くなりました。
千葉県の館山市でライフガードをやっていますが、館山市には海水浴場が当初は11カ所ありました。
しかし、地元のライフセーバーは一人もいなかったんですよ。
よく知らない業者がライフセーバーとして入っていたので地元の人にも相談され、人を集めて行ったんです。
だけど交通費も掛かるし、当時はアクアラインも開通してないし、片道4時間くらい掛かるので負担が大きかったですね。
東:
館山は海水浴場として有名なエリアですし、たくさんの人が集まりますよね。
飯沼:
13万人以上の人が押し寄せる花火大会もあります。しかし、地元の人が海辺にゴミを捨てていくんです。
当時は「地元の人は海が汚いから泳がない、危ないから泳がない」と大人が平気で言う状況でした。
子どもが遊びたいと言ったら「プールに行きましょう」と言うんですから。おかしいでしょう?
小松:
それは悲惨な状況ですね。
飯沼:
地域の下水管理も川に流し整備が必要なところも。
それを定期的にくみ取りしているので僕もたまに参加するんですけど、トイレットペーパーまみれの汚水とか、ものすごく汚いものが流れているんですね。
小松:
それでは海も汚れるわけですよね。
飯沼:
ライフセービングをやっていると様々な問題が見えてきます。そういうことをスポーツ界を含めて訴えていくのも自分の使命だと思っています。
最初は水辺の安全教育だけでスタートしましたが、活動しているうちに課題がたくさん見えてきました。
東:
水辺だけでもたくさんの課題に直面するのに、本当に大変ですね。
飯沼:
海で子どもを放っておいて、慌ててみんなで1時間以上探して、見つけたら引っ叩くみたいな親も多いです。
僕はそんな親をこそ引っ叩きたくなります。僕らはそういうことも含めてある意味教育しているんです。
小松:
救命や環境保全以外にも、そんなことまで…!
飯沼:
お酒を飲んで海に入る人を止めたりもします。午前中にずっと止めていたのに、午後にその人が溺れて沈んでいたということもありました。
でも、それを必死に救うのは僕らのメンバーなんです。
こういった活動に対して自治体からはお金は貰えますが、通年の仕事ではないし貰える金額にも限界があります。ボランティアに近い活動ですね。
小松:
仕事として、正当な評価をされるべきですね。
飯沼:
海上保安庁よりも水難救助の消防よりも、警察の水難パトロール隊よりも、浜辺の200m水域では特に砂浜のエントリーがある海岸ではライフセーバーの救助能力が高いと考えています。
でも社会的な地位は低い。身体を張って、日焼けでボロボロになって、酔っ払いに殴られたりしているメンバーを守ってあげたいんです。
ライフセーバーたちの社会的認知度、社会的地位を高めるのが現在の僕の重要なミッションです。
東:
命を助けてもらった人には分かっていただけますけれど、一般的にはライフセーバーの役割の重要性や困難さなどはなかなか認知されていませんよね。
飯沼:
海の家を運営している人たちにも困った人が多いです。雷が鳴っても「晴れているから海に自分の海の家の目の前だけでも入れてくれ」と主張したり。
「危険です。それで亡くなっている人もいるからやめてください」と言ったら、「お客さんがいなくなったら保証してくれるのか」と怒られることもあります。
僕たちには警察のような権限もないし、できることに限界があります。
一方、オーストラリアとかアメリカではライフガードが公務員なので、ある程度の権限があります。
小松:
ライフセーバーの権限や地位が向上すれば、救える命がたくさんあるということですよね。
飯沼:
もう少し地位を押し上げて、活動を理解してもらえるようにしたいですね。
メンバーの多くは大学の4年間は部活動として大会に出場したりするけれど、社会人になるとやめる人が多いんです。
経験のある人に水辺に立っていて欲しいですし、本当は社会人として携わる環境を整えて、公務員に近い位置づけになれればと考えています。
小松:
公務員はいないんですか?
飯沼:
ライフガードに近い位置づけの消防の組織は、ある自治体にはあるんですけど、特例中の特例だと思います。主体はあくまで消防の活動です。
小松:
消防の組織のもとでの活動だから、できることは限定的ですよね。
飯沼:
もちろん、日本には四季もありますから、水辺ばかりが活動のシーンというわけではありません。
そういった意味で、国内外での環境改善とか清掃、管理もスポーツのコミュニティも使えば通年でも可能かなと考えているんです。
東:
日本におけるライフセーバーの現状や課題がよく分かりました。中編ではさらに踏み込んで、飯沼さんの活動やミッションについて伺っていきたいと思います。
命を救えるAED

東:
様々なアスリートのキャリアをご紹介する「表彰台の降り方」。
引き続き、ライフセービング元日本代表キャプテンで、さらに日本代表の監督も務められた飯沼誠司さんにお話を伺います。
小松:
前編では、飯沼さんのキャリアやこれまでに行なってきた活動についてお話を伺いました。
ライフセーバーとしてはもちろん、さまざまなスポーツの現場や日常生活における事故防止、救命、さらに環境保全の重要性を社会全体に浸透させるために幅広く活動なさっているのですね。
東:
飯沼さんのお話を聞いて、日本のライフセービングには課題がたくさんあるということも分かりました。
飯沼さんの活動が社会的にもっと認知され、正当な対価を得られるようにならなければ活動の持続は難しくなりますよね。
今回は、そうした課題や現状について、さらに掘り下げてお話を伺いたいと思います。
飯沼:
課題感は常に持っています。今後、たくさんのアスリートにASJ(アスリートセーブジャパン)に登録してもらい、学校や企業のリクエストによる講演の場で、経験を踏まえながら話す機会を増やしていけたらと思っています。
さらに、AEDの講習「いのちの教室」も開催を増やしていきたいと考えているんです。
小松:
飯沼さんが立ち上げたASJについて、もう少し詳しく伺ってもよろしいでしょうか。
飯沼:
ASJ(アスリートセーブジャパン)は2015年に立ち上げた一般社団法人です。
当時はサッカー選手がプレイ中に亡くなるなど、プロのスポーツ中の突然死が多かったため、スポーツ中における突然死をゼロにすることを法人のメインテーマに据えました。
エマージェンシーアクションプラン(EAP)という、緊急時における正しい知識とAEDの的確かつ迅速な操作の浸透を活動の中心にして、体制作りからスタートしました。
100パーセントの助命は困難だとしても、重大な事故につながる可能性は低くなります。
東京マラソンではAED財団のメンバーも多く関わり、事故防止、救護活動もやっています。
ここでは救命士を目指している学生やOBにボランティアとして参加しています。100台以上のAEDを導入しているんですよ。
大小の規模に関わらずこのような事故防止の成功モデルも全国のイベントに浸透させていきたいと思っています。
小松:
まさに命を守るための活動ですね。
飯沼:
東京マラソンではこれまでに10名以上が心停止しているんです。でもAEDが使われ100パーセント命を救われています。
その体制をオリパラに向けて整備していくことを目標として近年活動して来ました。
オリパラの予算で学校などにAEDを導入や「いのちの教室」の開催をしてもらっています。
このことをきっかけに、教育委員会でAED導入や「いのちの教室」の繰り返し教育の費用が予算化されたらいいのですが…。
現在はその普及活動に懸命な状況です。
東:
教育現場にもアプローチしているということですね。
飯沼:
僕はライフセーバーを30年やっていますが、水難事故の現場は本当に辛いんです。
子どもがいなくなって、ずっと探し続けるお母さんの姿とかを見てきました。
ちょっとの注意で大きな事故は防げると強く感じています。リスクマネジメントが大事なんです。
小松:
私も高校時代に緊急時の対応について少しだけ習った経験があります。何十秒かの的確な対応の差によって最悪の事態を回避できるんですよね。
飯沼:
そうです、迅速に二次救命(病院などでの医療従事者による救命処置)に引き継ぐことができますね。
心臓が原因の突然死は家庭で起こることが多いです。
救急車を呼ぶと言っても、全国平均で8.6分掛かります。さらに渋滞があった場合は10分くらい掛かります。
そんな時にAEDの操作や心臓マッサージができれば、結果は大きく違ってくるんです。その時のためのシミュレーションが本当に重要です。
小松:
私も実際に応急処置の練習をしに行きました。
飯沼:
あまり関心がない人が多くて、練習に行かれる人は関心が高い方なんですよね。
最近は学校や地域に根付いていて、AEDを屋外に置いてある施設もあります。
そういった場所を確認するために「AED NAVI」(正確で新しいAED設置情報を広く共有する、参加型の新しいAED MAP(マップ)です)を日本AED財団では作っています。
それに登録してもらう制度も用意しました。
アップデートされないと信憑性が低くなっちゃうので参加型にすることで注目を浴びています。
東:
飯沼さんのお話を伺っていると、根底には環境問題の解決や社会的使命を果たしたいという想いがあって、その上で組織作りや後進の育成を考えているのだと伝わってきます。
飯沼:
ある意味、大人と子ども、両者への教育をやらなくてはいけませんね。
大人にはリスクを教え、子どもには「そんなに難しくないよ」と伝えていくことが重要だと思っています。
僕自身は子どもの頃に「交通事故が起きたら倒れている人に触るな!」みたいなことを大人に言われましたが、その考え方をぶち壊したいんですよね(笑)。
まずは一次救命、そのあとにスムーズに二次救命に引き継ぐという流れが大切です。
たとえば、人が倒れている現場で心臓マッサージをしなくてはいけないといっても勇気が出ない人もいるでしょう。
そういった苦手意識をなくしていきたいですね。自分が動くことで命を救えるかもしれない!というマインドにしていきたいですね。
小松:
一次救命が必要な時に、誰もが反射的に対応できるような社会ですね。
飯沼:
良いも悪いもなく心臓を押す。僕はそれを評価します。「もし、間違ったら?悪い方向にいかないか?」ではなくて、とにかく行動し押す。それは称賛されることなんですよ。
やりたいことは全てやる

東:
飯沼さんの活動資金の基盤はどのように構築なさっているのでしょうか。
飯沼:
協賛を募ったり、オリパラ関連の教育の予算で活動させていただいています。それをASJとアスリートたちにもきちんと活動資金になることを心掛けています。
小松:
飯沼さんが指導した次の世代が、安心してライフセーバーを職業にできるくらいの社会的なコンセンサスが必要ですよね。
たとえば、年収が1000万円とかになればライフセーバーの仕事だけで安心して暮らすことができるはずです。
飯沼:
はい。そう思います。学校であれば、道徳や総合学習の時間などにライフセービングの講義をプログラムの一環として組み込んでもらえればと考えているんですが。
小松:
飯沼さんのパイオニア的なキャリアや活動の幅は非常に広範囲に渡っていますよね。
この企画にたくさんのアスリートにご登場願いましたが、その中でも飯沼さんは特に幅広く斬新だと思います。
飯沼:
色々なことをやりすぎていているかもしれませんね。自分の中では収まりはついているんですが…。多動タイプであることは間違いありません。
小松:
いわゆるマルチタスクということですよ。
飯沼:
やりたいことを我慢できない性分なんです。話すだけでやりたいことがどんどん出てきますし。

東:
現在の立ち位置で考えると、現役のライフセーバーとしての活動や啓蒙がメインになるのか、あるいは協会、競技団体などで指導者として活動することがメインになるのか、そのあたりのバランスの保ち方もなかなか難しいところがありそうですね。
飯沼:
協会とは別の形で指導者として事業を立ち上げました。
協会にはできないことを形にすることで、他のライフセーバーからも賛同が得られると考えた結果です。
まだまだ小さいし活動の幅も限られています。就活支援もまだできていないので、克服すべき課題は少なくありませんね。
東:
飯沼さんは日本代表の指導者もされていましたが、すでに退任なさいましたよね。
タレント活動はなさっていますが、どのようなポートフォリオを組んでお仕事をなさっているのでしょうか。
飯沼:
現在は世田谷区のスクールの総合監修の仕事に加えて、コーチの指導もやっています。
その他、時にはライフセーバーの国際大会や全日本選手権の解説や、実行委員も担っています。結局、全てに関わっていますね(笑)。
小松:
経営者としても、やらなければならないことはたくさんあると思いますが。
飯沼:
そうですね。例えば南房総市と館山市と契約をして、海水浴場監視業務の受諾をしています。
この事業を広げていった末に、さらに一歩進めてライフガードの通年雇用、水辺の教育までできるように視野に入れています。
今後はそういうところにも進出していきたいです。
小松:
行政から報酬が支払われるんですね。
飯沼:
支払われます。今の段階では決して大きな額ではありませんが、年間を通じて安定的な報酬を得られるようにしていきたいですね。
そうすれば通年で人を雇うことができるんです。
まだ弱小企業なので、警備業法とかクリアすべき点は多々ありますが。コンソーシアム(共同事業体)を組んで提案しているところです。
生涯現役

東:
飯沼さんが会社を立ち上げたのはいつ頃ですか?
飯沼:
2018年9月に会社を立ち上げました。まだ3年ちょっとですね。
東:
飯沼さんが現在やっていらっしゃることを整理すると、立ち上げた法人とASJの運営をしつつ、他にも世田谷スイミングスクールの監修と館山市、南房総市のライフガードを同時に担っているということですね。
さらにタレントの仕事もしていると。本当にマルチタスクですね。
飯沼:
あとはアパレルの監修とかもちょっとやっています。
小松:
アパレルは、ライフガードに関係したものですか?
飯沼:
はい、スポーツ系ですね。今後もスポーツ系のアパレルはやりたいと思っています。実は兄姉がアパレルを30年以上やって成功しているんです。
義理の兄がデザインをして姉がパターンを起こして、僕もそこの社員でずっとやっていたんです。
小松:
飯沼さんの場合、やりたいことが明確にあるじゃないですか。
「命を守りたい」とか「水辺の安全」とか。夢物語ではなくて、リアリストとして現実的に取り組まれている点が力強いですよね。
飯沼:
ASJとか色々やっていますが、当然、財団にも協会にもプラスになるようなビジネスを立ち上げなければならない。
プロになってからの10年、20年は自分が食っていかなければならないし、影響力を持って人を巻き込んでいかなきゃいけないわけです。
そのために会社を作った感じなんですね。事務的な部分については人に手伝ってもらいながらやっています。
東:
選手としては引退なさっているのでしょうか?
飯沼:
引退はしていないんです。でも、日本代表は引退しました。ライフセーバーは極め尽くせないものですから。
ただ生涯現役とはいっても、砂浜に立てなくなったら現役じゃないと思うんですよ。でも立っていれば現役だと思っています。
観察力を活かすなどして、これまでの経験をもとに自分でできることをやれれば現役と見なされるわけです。
海外では車椅子のライフセーバーの方なんかも活躍しているんですよ。
小松:
まだまだ止まらずにグレードアップしていく。そのように意識してやっているのですね。
飯沼:
いろんな人に会って話すと、アイデアがまた出てくるんです。それを形にするのが楽しくてしょうがないですね。
現実的に相当の投資が必要な場合は諦めますが、できることがなんなのかを自分で弁えていればお金をかけずに出来ることにも気づきました。

東:
活動が多岐にわたっていることによる発想の豊かさも飯沼さんの強みだなと感じます。
小松:
「ライフセービングは楽しいです」とタレント活動を通して伝え、根底にある事故を防ぐことの大切さを教えてくださった。
ご自身もそうですが、周囲がこういう飯沼さんを伝えるフェーズが必要ですよね。
東:
そうですね。飯沼さんはライフセーバーのプロだし、競技の価値についてのメッセージを発信してこられた。
さらにルックスも抜群だから説得力もあるし(笑)。スポーツマンNo.1決定戦(TBS系放映)でもご活躍なさいましたよね。(2002年総合3位)
飯沼:
はい、跳び箱とかやりましたね(笑)。
小松:
今、事業をなさっている上で、何らかの影響はありましたか?
飯沼:
あの番組で僕やこの仕事について知って、ライフセーバーになった人もいるんです。それはすごく嬉しかったですね。
ただやはり、先述したように職業としての出口がないことが課題です。プロの職業として成立しない限りは単なる趣味であり、自己満足にすぎない。
タレントは旬の人が重宝されますが、常に旬の人はいませんからね。
だから自分のフィールドとうまく結び付けられるなら続けていきたいと思っています。クイズ番組とか苦手ですし(苦笑)。
東:
「クイズ!ヘキサゴン」(フジTV系放映)ですね(笑)。
飯沼:
結構おバカな感じで出ていたでしょう(笑)
今はASJに登録しているアスリートの方に「バカだね」って言われないようにしないといけないので気をつけないと。
小松:
でも、ライフセーバーの競技を知ってもらうためには有効ですよ。
競技の映像が出れば理解も深まる。そのためにあえてやっていらっしゃるのかなって思いました。
ライフセービングを知ってもらうには
飯沼:
世田谷区の理解も得てライフセービングを取り入れたスイミングスクールを開催していますが、参加者が増え、大会でも世田谷区の子どもたちが数多く優勝しているので、ライフセービングのメッカ的存在になれば良いなあと思っています。
会場の施設でもライフセービングを広めてもらって。
オリンピック種目ではないですが、ライフセービングの根本を理解していただいた上で広めることができているので、メディアに出つつスポーツや教育の特性を広められるといいなと思っています。
タレントだけとかスポーツだけというよりは、全部の活動がストーリー的にリンクするのが理想ですね。

小松:
ストーリーの中で全てのピースが繋がるようにするということですね。
飯沼:
それがいつ繋がるかも、何をもってミッションコンプリートとするかもまだ明確ではないんですけれど。
東:
ライフセービングの種目はどのように分類されているのでしょうか?
飯沼:
種目はたくさんあるのですが、海だとスイム、パドルとか、ビーチだと90mのビーチスプリントとか…全部でプール競技合わせると20種目くらいありますね。
東:
オリンピック競技に採用されるためには難しい問題がたくさんありますよね。
ライフセービングの成り立ちから考えて、たとえばビーチフラッグでただ足の速い人が速く旗を取った人が優秀というのでは、本来のマインドからは乖離したものなってしまうのでは?
飯沼:
そうですね。競技会でもBLS(Basic Life Support)、アセスメントとしてダミーに対して的確にCPR(Cardio Pulmonary Resuscitation)、AED使用を正しくできるかという評価もあるので。
特殊なスポーツであることは間違いないし、それを多くの人に理解してほしいですね。
東:
CPRというのは?
飯沼:
心肺蘇生です。2人組で人工呼吸と胸部圧迫とAED使う一連の行為を的確にできるかを判定するわけです。
オリンピック種目と考えると、まだちょっと早いのかなという気持ちもありますね。
日本のミッションとして、まずアジアのチームを全日本選手権に招待したり、そういうことから始めて行くべきですね。
小松:アメリカだとライフガードにクローズアップしたドラマなんかもありますよね。
飯沼:
『ベイウォッチ』(=水難監視救助隊)ですね。ただ、内容は現実離れしていますけれど(笑)。
小松:
だけど本当にかっこいいんですよね。メンバーの中に女の子達もいますね。
飯沼:
ハイレグのナイスバディでモデルしかいない!みたいな(笑)。僕らが子どもの頃からずっとやっていて、最近は映画化もされています。
最近『少年マガジン』で僕監修のマンガ作品の連載がスタートしたんですけれど、1年で終わりました(笑)。
東:
一般の人に理解してもらって人気を集めるのは難しいんですね。
飯沼:
どうしても真面目な話になってしまうんです。
ただ、『ベイウォッチ』は分かりやすいドラマなんですよね。「救ってくれた人に惚れました」みたいな。
小松:
小説や映画になると多くの人がライフガードに関心を持つきっかけになりますよね。
生き様がセカンドキャリアを決める

東:
様々なアスリートのキャリアをご紹介する「表彰台の降り方」。
引き続き、ライフセービング元日本代表キャプテンで、さらに日本代表の監督も務められた飯沼誠司さんにお話を伺います。
小松:
中編では、日本におけるライフセービングのさまざまな現状と課題、そして活動を担う人たちの置かれている状況についてお話を伺いました。
東:
今回は、ライフセービング界の話はもちろんですが、まず、アスリート全般について飯沼さんのお考えを伺いたいと思います。
アスリートは現役時代にまわりの人から「スポーツ以外のことにも関心を持つべきだ」とサジェスチョンを受けることもあるかと思うんですが、それがなかなか難しい。
なぜなら、ほとんどの人が現役のときは競技に集中すべきだという価値観を刷り込まれているからだと思うんです。
飯沼:
もちろんそうではない人もいるんですけれど、「特別だ」とか「珍しい」と思われたりするケースが少なくないですね。
最近やっとそういう人たちが少し増えてきました。
Jリーガーでも早稲田大学の平田竹男教授のゼミで学んだりする人もいます。そういう人がもっと多くなれば、壁が壊れていくのではと思います。
小松:
東さんも修了なさった早稲田大学のスポーツ科学学術院のゼミですね。
元読売ジャイアンツの桑田真澄さんや青山学院大学陸上部監督の原晋さんなど、多くの元アスリートや現役アスリート、指導者などがそのゼミで学んでおられるという。
飯沼:
ええ。元通産省(現経産省)の官僚で、サッカーのワールドカップの招致や各種のスポーツの国際大会の運営などにも携わっておられます。
東:
ビジネスとしてのスポーツという視点でさまざまな活動もなさっていますよね。
ところで、スポーツでは挑戦できたのに、引退後に新しいことに挑戦できない人がいます。そういった方にセカンドキャリアについて言葉を掛けるとしたら?
飯沼:
大きな意味で言うと、人が大切であり経験が武器になるということだと思います。
誰にも劣らない貴重な経験を現役時代に積んだり、人脈を築いたりするのはすごく大切なことだと思うからです。
小松:
次のステージに進む時にそれが生きるということでしょうか。
飯沼:
そうですね。ヴェルディのキャプテンを務めた僕の中学の同級生がいまして、天皇杯でも優勝したことのある男です。
彼は現役の最後にFC今治でプレイしていて、引退後すぐにN社にハンティングされて、フットボール事業の統括をしていました。
彼こそセカンドキャリアの最高峰だと僕はいつも言っているんです。彼は現役時代にずっとN社にサポートされています。
サポートされている企業に入ることも凄いですし、入っていきなり統括になるってすごいことだと思うんです。信頼関係があってこそですね。
小松:
サポートする側とされる側の信頼度の深さが、ステージが変わっても保たれるわけですからね。

飯沼:
それって、現役引退後のセカンドステージに繋がる最高の形だと思うんです。
例えば、コミュニケーションを怠らないとか、アスリートとしてのパフォーマンスで応えるとか、人と人を繋げるとか。
彼はずっとそういうことを誠実にやっていたんです。販促活動でもなんでもなく、引退後にナイキに入る打算があったわけでもない。
例えば人脈がとてもあるので、あらゆる選手とも仲が良くて、選手同士を繋げたり紹介したりとか。
ここまでスポンサーに対してできるのはすごいことですよ。
ほかの企業でも引っ張りだこになるだろうし、やはり裏切らないことが重要ですね。単純な話ですけど。
東:
本当に大切なことだと思います。頼まなくても動く人もいれば、頼んでも動かない人もいますから。
飯沼:
とにかく、打算がないんですよ。ちょっと話が逸れますけど、例えば恋愛にしても同じことかと。裏切らないことが大切なんです。
スポーツって狭い世界だから自己中心的な人だとその信頼は簡単に失われますよね。
特にセカンドキャリアって、これまでどう生きてきたかがその後の人生に影響を与えたり、反映されてしまうと思うんです。
小松:
フィールドを変えたり、スタイルを変えたり、大きく旋回できる人も中にはいますよね。
人間関係の紡ぎ方やきちんとした経験を積んでおけばこの先の世界も開けるのではないでしょうか。
飯沼さん自身も間違いなくスポンサーにとっては不可欠な存在なんですよね。お金だって簡単に出して貰えるものではありませんし。
飯沼:
自分がどれだけこのスポーツが好きでのめり込んでいて、なぜ支援してもらわなきゃいけないかを伝えるためのプレゼン力は大事だと思います。
やはり会社のお金を出していただくとなると、必然性がなければ継続しないですからね。
一流企業を辞めてライフセーバーの道へ

東:
今の記憶を持ったまま自分が日本代表の現役時代に戻ったら何をしますか?
飯沼:
当時の甘さだらけの自分を、今の知識を持ってすべて制御することができると思うんです。時間も含めて無駄なことを省くとか。
あと、頼れる人はもっと頼って、そのあとに繋がる関係性を自分の中で広げられるんじゃないかなと思います。
小松:
時間やネットワークをより大切に使うということですね。
飯沼:
そうですね。それに加えて、自分の行動も正したいですね。海に関する技術が足りなかったのに、体力しかない状態で尖っていましたから。
当時は社会性もなかったし好きなことだけやっていたので、そこは恥ずかしいなと感じています(苦笑)。
東:
飯沼さんは、ある意味でめちゃくちゃワイルドじゃないですか。
入社した大手旅行会社は一流企業ですし、そのまま営業をやっていたらきっとトップの成績を残していたのではないでしょうか。
飯沼:
あっという間に辞めたので、親が一番驚いていましたね。
長い時間悩んだわけではなく、ある日電車に乗って会社に行って、短期間でも期待していただいた方々には申し訳なかったのですが…「どうやったら辞められますか?」と聞いて、帰ってきて辞めちゃったんです。
なぜならやりたいことが明確だったから。
小松:
元々入りたかった企業なんですよね?
飯沼:
中学時代からそこと決めていたんです。漠然とですが国際的に何か活動していきたい気持ちがあり、旅行会社だったらいいんじゃないかと。
当時は就職ランキング人気ナンバーワン企業でしたからね。
小松:
インターネットが普及していない時代には、現地に行くしかなかったですものね。
飯沼:
そうですね。当時8万人くらいが受ける人気の企業でした。先日OB会があったんですが、僕を採用してくれた人事の方がいらしてとても気まずかったです(苦笑)。
でも、活躍を喜んでいただき、そして私もそれで応えていくしかないと思っています。
当時、一緒に研修をやった仲間とは未だに連絡を取っているのですが。何かあったらお互い支え合えると思って(笑)。

小松:
文字通り、ライフセービングに人生を賭けるような生き方をなさっていますが、どんなきっかけがあったのでしょうか?
飯沼:
いろんなきっかけが複雑に絡み合っているんですよね。やればやるほど様々な事故や事例に遭遇するので、ビーチに立つ恐怖心も増すんです。
でも、知識も達成感も増すんですよ。それと、海外の選手で尊敬している存在がいて、その人を目指してやっていたりします。
小松:
その選手はどなたですか?
飯沼:
オーストラリアのトレバー・ヘンリーという選手です。現役時代は無敵の選手で、僕がライフセービングをスタートするときに、勧誘の映像に出てきた人なんです。
すごく憧れたんですよね。前にもお話しましたが、もともと水泳を始めたのも喘息で虚弱体質だったので、「強くなりたい」という潜在意識からなんです。
それで彼に憧れてずっとライフセービングをやっていて、会社が決まってからプロのオファーが来たという流れですね。
小松:
会社はどういう反応でしたか?
飯沼:
OKを出してくれましたよ。だから会社に在籍しながら転戦していたんです。
その一戦目のときから憧れのトレバー・ヘンリーと同じスタートラインに立てたんです!それが大きな決断のきっかけですね。
ツアーを彼と回っているうちに、彼のライフセーバーの考え方を聞かされたんです。
東:
当時の飯沼さんにとって、彼の存在はすごくインパクトがあったのですね。
飯沼:
ええ。「日本人が一番溺れているんだ。ライフセーバーのプロだったらそれを浸透させろよ」とツアー中に言われたことをよく覚えています。
過酷な初戦で感じた世界の頂き

小松:
プロの世界へ足を踏み入れた当時のお話をお聞きしてもいいですか。
飯沼:
初戦はニュージーランドだったんですが、水温が10度ちょっとで、さらに極端に波高も上がって、前日と真逆の大荒れの海だったんです。
地元のプロ選手も出ていたんですが、プロの大会でプロが救助されるような大荒れの大会でした。
翌日の新聞で、津波みたいな波に人が落ちて巻かれている写真が表紙にバーンと出たのを覚えています。そのくらい命がけの大会でした。
東:
かなり印象的な初戦でしたね。
飯沼:
僕もなんとかビリでゴールして完走できたんですが、優勝したのがトレバー・ヘンリーだったんです。
僕と周回差くらいの記録を出していましたよ。
自分は日本ではチャンピオンだったけど海外ではそんな結果だったので圧倒的なレベルの差を知りました。
その差を埋めるにはどうすればいいんだろうと考えたんです。そして、帰国後は会社に行くわけですよね。
小松:
海外と日本の差を痛感して心に火が付いちゃったわけですね。
飯沼:
海外の選手は小学校訪問に行くとサイン攻めですごいんですよ。僕は現地では無名でサインを書いたこともないんです(笑)。
だから日本でも広めていきたいなと思っています。ライフセービング協会に今も掲げられているトレバー・ヘンリーの言葉があります。
彼は「最高の救助者は最強の競技者」と言っているんです。結局、競技と救助は切っても切れない。
僕らもそのマインドで競技だけに特化して、プロフェッショナルを突き詰めてはいけないと思っています。
だから浜に立ち続けるし、人たちにも伝えていきたい。ちなみに彼とは未だに親交もありますし、カラオケにも一緒に行ったりしました。
小松:
トレバー・ヘンリーは日本にいらっしゃるんですね。
飯沼:
たまに来てましたね。ツアーで一緒に回っているときに生まれた彼の子どもTJ・ヘンリーが、今はライフセーバーで活躍しています。
ライフセーバーで救助を想定した競技があって、溺者役の人が泳いでブイにタッチします。
速い順にボートで行ってタンデム(二人乗り)パドルで帰ってくるんです。
その全豪選手権、つまり世界で一番レベルの高い大会で、トレバーとTJが親子で優勝したんです。
彼らはとんでもないヒーローだなと思いました。未だに憧れています。
数年後に三大スポーツイベントと言われている「ワールドマスターゲームズ」があるんです。
その種目にライフセービングがあるので、そこでぜひトレバー・ヘンリーと戦いたいと思って、まだ現役を辞めずにいます(笑)。
あなたにしか出来ないこと

東:
出会いと言えば、奥様の中山エミリさんとの出会いはどのような形だったのでしょうか?
飯沼:
彼女と出会っていた時はメディアの仕事も結構やっていた頃なんです。その時に仕事の現場で会ったんです。
役者をずっとやって来たわけではありませんが、元々はあるドラマがあって、その演技がひどすぎて「なんだこの大根ぶりは」という話に自身の中でなってしまい笑…。
事務所の人には「何かまた話があったら持ってきてください」と伝えました(笑)。
小松:
リベンジをしようと試みたのですね(笑)。
飯沼:
すると、予想外にちょこちょことお話が来るようになっちゃって。負けず嫌いでやっていたんです。
でもそれって僕の中では、「ライフセービングを広めたいな」というストーリーの上にあることなんですけど、周囲にはなかなか理解されないんです。
「飯沼はただのタレントになった」みたいに認識されていましたからね。僕への取材依頼が来ても断られちゃったりして惜しかったです。
小松:
テレビに出たことで芸能人扱いされてしまうのですね。
飯沼:
「おかしいんじゃないか」と抗議したんですけどね。
それでしばらくライフセービングの活動からいったん離れたんです。プロになって5年目くらいですね。そこから何年かは海から一切離れました。
妻に会ったのはその頃です。「なんでこの仕事やっているの?」と聞かれて、「たまたま知ってる人の紹介」と言ったら、「あなたはあなたにしかできないことをやったほうが良いんじゃないの?」と指摘されて。
鋭いこと言うな、と思って。その後、仕事終わりに食事とかに行ってお付き合いして、という流れですね。
そういう鋭いことをズバズバ言ってくれたのは大きいですよね。
中途半端じゃないけど、ある意味不純な気持ちでやっていた僕に、俳優を否定するわけじゃなくて「自分がそれでずっとやっていくの?」みたいな感じで。
東:
中山さんには、飯沼さんが本当にやりたくて俳優をやっているという風には見えなかったのかもしれないですね。
飯沼:
そうかもしれないですね。
その後、しばらくして「現役でもう一回世界の舞台へ」と思い、館山にクラブチームを作り36歳で現役復帰して日本代表キャプテンとして最後に出た大会でメダルをとれたんです。
感謝する人はもちろん書ききれないくらいいますが、そのきっかけを作ってくれたのは彼女なので、感謝しています。
東:
中山エミリさんは誰もが知っている方ですよね。アスリートとは視座みたいなものが全然違うじゃないですか。
そういう世界の人と夫婦になるということは、ものすごく飯沼さんの生き様に影響を与えているのかなと。
飯沼:
妻は感覚的に鋭い人なので、なんか迷っているときは相談したりしますね。
小松:
お子さんは?お一人ですか?
飯沼:
はい。6歳の女の子です。
小松:
水泳もやっているんですか?
飯沼:
水は好きなのでお風呂では一緒にやっていますけど(笑)。
プールにも連れていきます。家に私の水着を干しているので、「プール行く!」ってよく言っています。
小松:
家族ができると、一人でやりたいことを考えていた頃とは違ってきますか?
飯沼:
全然違いますよ。会社作ったきっかけも責任感ですね。「自分だけの問題じゃない」と。それまでは海一辺倒でしたから。
生涯ライフセーバーであり続ける

東:
飯沼さんの今後の目標を改めて伺ってもよろしいですか。
飯沼:
スポーツという観点で言うと、より安全に楽しめる環境作りは、アスリートセーブジャパンでも自分自身の会社でも続けていきたいことです。
それと、老若男女や障がいある方々など垣根なく色々なことを発信していきたいと思います。
それはスポーツ全般に渡り、アイデアを盛り込んだイベントという形でも発信し続けたいと思っています。
小松:
より多くの方が参加できる形にするということですね。ライフセービングのほうはいかがですか?
飯沼:
ライフセービングのほうは、子ども達の教育という観点と安全面と強化の観点から、親世代にどうアプローチしていくかがミッションだと考えています。
引き続きライフセーバーの社会的地位の向上と、ボランティアレベルで止まることがないよう、日本におけるライフガードの確立を目指してやっていきたいと強く思っています。
それをやることでスポーツ界にも影響をもたらせるのではないかと考えています。
小松:
水泳を教えることの価値をもっと上げられればいいですね。
飯沼:
そうですね。数十年もの間、水難事故の発生数が変わらず減少していないというのは大きな問題です。
習い事ランキングだと水泳が幼稚園、小学生と1位なんですね。
それにも関わらず溺れる人の数は多い。そもそも教育の仕方を変えていかなければならないと思いますね。
東:
何かが不足しているか、アプローチの方法が間違っているかのいずれかだと思いますよね。
飯沼:
学校の水泳の授業で安全面の指導の時間は増えているんですが、誰がそれを教えて、子ども達に浸透させていくべきかが考えられていないんですよね。
オーストラリアだと「スイムアンドサバイバル」と言って、サバイバル能力を上げることと水泳を教えることが連動しています。
それは今、世田谷のスクールでもきちんと教育をしているので、全項目に水泳とライフセービングの要素を入れてやっています。保護者の方の反応は良いですね。
保護者の方は自分の子にそういうスキルを身につけさせたいと考える方が多いようです。
公共施設でもっと安全と水泳に関する指導をやれればいいのにと思っていますし、私がやり続けていきます!
東:
それでは、最後の質問になるのですが、ライフセーバーという活動名を使わずに飯沼誠司という人間を紹介していただけますか。
飯沼:
僕は水辺のスポーツを通して、自分自身を強化して来た人間です。そして、そこから得たものを還元する活動を繰り返している人間だと思います。
いまだに海に立つ、浜に立つというのも、極めることのできないライフガードを生涯現役でやる意志の表れです。
小松:
人生をかけて多くの方々の命を守る人ですね。本日はありがとうございました。

編集/佐藤 愛美(ライター)

インタビュアー/小松 成美 Narumi Komatsu
第一線で活躍するノンフィクション作家。広告会社、放送局勤務などを経たのち、作家に転身。真摯な取材、磨き抜かれた文章には定評があり、数多くの人物ルポルタージュ、スポーツノンフィクション、インタビュー、エッセイ・コラム、小説を執筆。現在では、テレビ番組のコメンテーターや講演など多岐にわたり活躍中。

インタビュアー/東 俊介 Shunsuke Azuma
元ハンドボール日本代表主将。引退後はスポーツマネジメントを学び、日本ハンドボールリーグマーケティング部の初代部長に就任。現在は株式会社アーシャルデザインに所属。アスリート、経営者、アカデミアなどの豊富な人脈を活かし、複数の企業の事業開発を兼務。企業におけるスポーツ事業のコンサルティングも行っている。
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