2025.01.24

自分しかできないことが、きっとある 競泳・岩崎恭子

Profile

岩崎 恭子(いわさき・きょうこ)
競技者として常に前を行く姉を追いかけ、大会に出場。
残り1枠を姉と争い出場権を獲得したバルセロナ五輪では、メダル候補にも挙がらない無名の選手だったが、本番で驚異的な成長をみせ、当時の五輪記録を塗り替えるタイムで競泳史上最年少金メダリストに輝く。その後、アトランタ五輪出場も果たした。
引退後は児童の指導法を学ぶために米国へ留学し、レッスンやイベント出演を通して水泳の楽しさを伝える活動をしている。

東:
トップアスリートの方々へのインタビューを実施し、キャリアに悩む様々な方々にお伝えしていく「表彰台の降り方。その後のメダリスト100」。

記念すべき第一回は競泳バルセロナオリンピック金メダリスト・岩崎恭子さんにお話を伺います。

小松:
岩崎さんの現在の活動を“その後のメダリスト100キャリアシフト図”に当てはめると、水泳の指導者が「A」、解説者などのメディア出演は「D」と二つの領域でご活躍なさっていることが分かります。

注1)親会社勤務とはいわゆる企業スポーツである実業団チームで自らが所属していた企業で一般従業員として勤務していること
注2)親会社指導者とはいわゆる企業スポーツである実業団チームで自らが所属していた企業の指導者を務めていること
注3)プロパフォーマーとはフィギュアスケート選手がアイスダンスパフォーマーになったり、体操選手がシルク・ドゥ・ソレイユのパフォーマーとして活動していること
注4)親会社以外勤務とは自らが所属していた実業団チームを所有している企業以外で一般従業員として勤務していること

金メダル、栄光と葛藤

小松:
岩崎恭子さんは、1992年のバルセロナオリンピックにおいて、14歳という若さで金メダルを獲りました。

私ももちろん覚えているのですが、当時日本中に衝撃が走りました。14歳の少女が金メダルを獲ったことで、多くのマスコミが連日取り上げましね。

そして当時決してメジャーとはいえなかった競泳平泳ぎにも、注目が集まりました。

オリンピックに出るまでは、岩崎さんのお名前は決して有名ではなかったのですが、金メダルを取って一気に知名度が上がりました。

世の中が一気に変わるわけですが、一番多感な年齢の時にそんなことを経験されて、何が一番変わりましたか?

岩崎:
私の名前があちこちで取り上げられて、「私は相手のことを知らないけれど、相手が私のことを知っている」というような状態になったんですね。

でもそれを嫌だと思っても仕方がないのかなぁ、そんな気持ちで過ごしていましたね。

東:
楽しくはなかったんですか?

岩崎:
楽しくないですよ。

今までは何も気にせずに外を歩けていたんですが、それができなくなったりとか。できないわけではないですが、人目を気にして歩かなくてはいけなくなったりしましたからね。

でも逆に、いい思いもたくさんさせてもらいました。

だって14歳であんな経験ができるなんて、多分私しかいないって思っていましたからね。

それは今では財産だと思っています。

東:
有名になることで、テレビに出たり、会いたい人に会えたりしますよね。

野球やサッカーのようなメジャーなスポーツではなくて、ちょっとマイナーなスポーツ選手の人って、テレビに出たい!って思う人が多いと私の印象では感じるのですが、岩崎さんは?

岩崎:
正直その頃は私、有名になりたいから金メダルを獲ろうとしたわけではないんです。

一生懸命やった結果金メダルを獲ることができた、それだけなんですよね。

今に比べてスポーツ選手のマネージメントって昔はすごく遅れていたんで、それが原因でもあるんですが、いきなり有名な人になり、公人になってしまって、家族も晒されるみたいな状態になったのは、すごく戸惑いがありました。

私は「有名になりたいためにスポーツやっていたわけではないのにな……」って思いが強くあったんです。

東:
有名になることで、色々な恩恵を受けたかもしれませんが、その反面失うものもあったということですよね。

岩崎:
はい、そうですね。その頃の私は、周囲の目線やリクエストを意識しすぎていたのかもしれません。

人が求めることを演じていたような、本当の自分でないような……。

金メダリストとしての自分、ただの人としての自分

小松:
金メダリストになってから、マスコミが「日本を代表する女の子」みたいに取り上げましたよね。

そしてみんなが「恭子ちゃん!恭子ちゃん!」って応援しだしたんですよね。

バルセロナオリンピックでは、努力が実を結んで世界一になりました。世界一になった後は、もう一度世界一を狙わなければいけないわけですよね。

周りの期待に応えるために。それはもう大変だったんじゃないですか?

岩崎:
バルセロナオリンピックで金メダルを取れて、嬉しいこともたくさんあったけれど、恨みとか妬みもたくさんありました。

なんで私がこんな目に遭わなくちゃいけないの?って思う時もありましたけど、「世の中にはそういう人はいるんだな」って思えたらある時吹っ切れたんですよね。

私がやることは、そんな周囲のことや噂や評判を気にすることではなくて、またオリンピックに行くために努力することだって思ったんですね。

でも実は、その時の自分は、正直「同じことは2度は起こらない(もう一度金メダルは取れない)」ってわかっているんですよ。

その時、もう一回金メダルを取れる位置に自分は今いないって気づいていたんです。ブランクも2年ぐらいありましたからね。

でもそこで今の現実を受け止めなければ、それ以上は望めない、って思ったんですよ。

その時のタイムから考えると、自分は金メダルを狙える位置にはいないってことはわかってました。

今自分の置かれている境遇が、現実的にどういう状態なのかも理解していたんです。当時のコーチもそのことを理解してくれていました。

こんな話を思い出したんですけどね、当時は大会ごとに目標のタイムを提出してたんですよ。

ある大会の前に、コーチに目標タイムを提出したら、
「このタイム、本当に出せるって今思ってないでしょ?」
って言われたんです。

「はい思っていません、すいません」
ってその時正直に答えましたけどね(笑)。

小松:
コーチはどなただったんですか?

岩崎:
中村真衣さんのコーチの竹村吉昭先生が見てくださっていたんです。

オリンピックの1年前でした。

そのタイムは、「(その目標タイムを)書かなきゃいけない」って思った自分がいたのと、「でもこのタイムは自分には出せない」って思っていた自分もいました。

でも、竹村先生はその私の葛藤を理解してくださっていました。

だから後日、竹村先生に、「自分が考えている、現実的に出せるタイムを目標タイムとして書き直してきなさい」って言われて、再度提出しました。

書いたそのタイムはクリアできたんですけどね。

東:
それは素敵なコーチですね。

岩崎:
はい、そういう風に言ってくださって、色々な方に助言をいただけたのは、本当にありがたい環境でした。

小松:
アスリートとコーチの関係って、現役時代はもちろん、引退したあともその後の人生の精神面にすごく影響を与えますよね。

若い頃にそうやって向き合ってくれる人がいるかいないかで、全然違うと思います。

東:
ちょっと失礼な言い方かもしれませんが、岩崎さんは天狗になったことはないんですか?

14歳で金メダルを獲った後に。

岩崎:
うーん、全く天狗になったことはない、と言えば嘘になりますね(笑)。

私には負けないものがあるっていうのは思っていましたから。

でもそれを外に出したいという性格ではなかったですけどね。

それが良いか悪いかはわからないですけど。

東:
金メダルを取り、世界から注目されて、「本当の自分」が出せなくなってしまった、というのはありますか?

岩崎:
はい、それはありますね。

14歳でメダルを獲ってからは、相当自分の中の本当の自分を抑えていました。

元々私のことを知っている静岡のコーチの方は、私は生意気だし気が強いことを知っていて、思ったことをすぐ口に出して行動をするところとか(笑)。

東:
お話しているとそういう岩崎さんの性格は、いい意味で伝わってきます。

「素直で可愛くて水泳が強い岩崎恭子ちゃん」、っていうメディアのイメージが最初は強かったんですけどね(笑)。

岩崎:
全然そんなことないんですよ、本当は(笑)。

自分のことを誰も知らない環境に身を置く

東:
昔、何かのインタビューでも岩崎さんが答えてましたけど、相手が言ってほしそうなことを言っていた時期があったんですよね。

相手に合わせるというか。

岩崎:
はい、ありました。

でも今は繕うことは一切してないです。

小松:
そうですよね、岩崎さんは今、本当に自分を繕うことなく、素の自分を出していらっしゃる印象があります。

「自分を作っていた自分」から、「飾らない自分」へ成長したとも言えますが、何かターニングポイントになった出来事などあるんでしょうか?

岩崎:
そうですね、アメリカに行ったのが大きな転機でしたね。

23〜4歳の時に1年間、アメリカに研修に行ってたんです。

それがきっかけで、気持ちがすごく楽になりました。

アメリカに行ったのは、私のターニングポイントだったのかもしれませんね。

アメリカに行って一番変わったのは、心にも余裕ができて立ち直ることができたことです。

周りが、私のことを誰も知らない中で生活できたのが、最大の要因ですかね。

当時日本にいる時は、色々な人から色々なことを相当言われていました。

でも「勝手に思う人は勝手に思えばいい」って思っていたんです。

でもアメリカに行ってから、ちょっと考え方が変わったんです。

アメリカで考え方が変わるまでは、
「メダリストなんだから」
「メダリストとして〜」
みたいな文脈で私を語る人が多くて、そういうのが耳に入ると
「私には何ができるの?」
って思ってしまっていた部分があったんです。

アメリカで気づいたこと

岩崎:
私がアメリカに行った時、最初の頃は私のことなんか誰も知らなくて、単純に「英語の喋れない日本人が来た」くらいにしか思われてなくて(笑)。

でもしばらくすると、やっぱりオリンピックで金メダルを獲った人だってことが浸透しますよね。

そうすると、
「恭子はオリンピック出たんだって?しかも金メダル獲ったんだって?」
って子供たちが目を輝かせて寄ってくるんですよね。

それはとっても誇らしいことでした。

今まではそれが嫌だなぁ、って思っていた部分もありましたけどね。

その気持ちがアメリカに行って変わりました。

アメリカ人って、思ったことや気づいたこと、すぐ口にするじゃないですか?
「その靴かわいいね、どこで買ったの?」
って知らない人にも聞いたりしますよね(笑)。

感動したことや興味があることをすぐ口に出しますよね。

小松:
そうですね。日本人に比べてあちらの人は本当にすぐ何でも口にします。

岩崎:
そんななんの悪気もなく、「すごいものはすごい」と表現する人たちと触れ合って、今までの考え方が変わりました。

それと、当時の日本における「指導」って、その人の悪いところを指摘して、それを直してくやり方だったんですよね。

でもアメリカは逆で、その人の良いところを見るんです。

だからといって褒めまくるわけではないですよ。

怒る時は怒りますし。

また、アメリカの子どもたちは、日本に比べて自分で色々意見が言える、発言ができるんだなぁって思っていました。

日本の場合は、コーチが、
「明日は何時集合、持ち物はこれとこれ」
って指示を出しますよね。
でもアメリカの場合は、子どもたちに、
「何時に明日は集合?持ち物はなんですか?」
って質問するんです。そして子どもたちに答えさせるんですね。

つまり自分たちで考えさせるんです。レース前の食べ物も、
「レース前は何を食べればいいかな?」
とか質問するんですよね。

そういう経験を通じて、
「あ、自分が今までやってきたこと、自信を持っていいんだ」
って考え方が変わったんです。

これからの人生、自分は何をしよう?って考えてた時に、アメリカに行ったこの経験から、「自分が何か伝えられるとしたら、こういうことなのかもしれない」ってことに気づいたんです。

小松:
なるほど!考え方がや文化が違う国で暮らす経験を通して、岩崎さんは違う発想を持てるようになったんですね。

金メダルのきっかけは、大きな姉の存在だった

小松:
ところで岩崎さん、ちょっと話は変わりますが、子どもの頃の話、水泳との出会いなども聞かせてください。

岩崎:
私が水泳を始めたのは、5歳のときにスイミングスクールに通いだしたのがきっかけです。

今では子供たちは色々な習い事をやっていますが、私が小さいころの習い事といえば、スイミングスクールと体操教室ぐらいだったんですね。

私が小学生になった頃には色々な習い事が出てきましたけどね。

私には姉(敬子)がいるんですが、幼い頃は姉の真似ばかりしていたんです。

水泳も姉が習っていたので、姉の真似をして水泳をはじめました。

姉が水泳を始めたのは、病弱でよく風邪をひく子だったのと、小学校になれば学校で水泳の授業もあるし、私の実家は静岡の沼津なんですが、海が近くにあります。

だから水泳は習わせておいた方がいいだろうという親の思いで、姉は水泳をはじめたんですね。

東:
金メダルのきっかけはお姉さんだったってことですね。

岩崎:
そうですね。本当に私は姉の真似ばかりしていて、習い事も一緒、学歴も一緒なんです。

大学の学科だけは違いましたけどね。

姉は水泳をやるにつれて、だんだんとタイムが速くなっていって。

私はその背中を追いかけて水泳をしていたのですが、だんだんとタイムが速くなる姉を見ていたので、私も先々姉のようにタイムが速くなるだろうと勝手に思っていました(笑)。

他の人が速いタイムを出していると、なんとなく高い壁のように思うのかもしれませんが、姉妹だからでしょうか?

私にとって高いハードルには思えなくて、でも今考えたらそれが成長した理由の一つなのかもしれません。

東:
小さい頃からオリンピックに出たいとか考えていたんですか?

岩崎:
いえ、実は全く思っていなかったんです。

でも当時、姉は全国大会に小学校の4年生から出場したんです。

それで確か6年生の時に優勝したんですね。

私も4年生で出場して決勝までいったんです。

だからこの時も姉が6年生で優勝したから、私も6年生になれば優勝するかな?くらいに思っていました(笑)。

東:
身近にいい目標がいたってことですね。

岩崎:
はい、身近に姉といういい目標があったのが良かったんですよね。

あとは目の前にあることをとことん一生懸命学んだこと、それが結果につながったのかなって思います。

姉にしたら私の存在は嫌だったと思いますけど。

東:
それは妹に追いかけられるからですか?

岩崎:
はい、そうですね。

しかもことごとく私が記録を塗り替えていったので……。

でも姉は勉強もスポーツもできる人だったので尊敬していましたし、私はそこが小さい頃コンプレックスだったんです。

一番近くにいるライバル

東:
フィギュアスケートの浅田真央さんは、お姉さんがスケートをやってたのが始めたきっかけだったようですし、柔道の野村忠宏さんもそうみたいですね。

スポーツの世界では、弟や妹が上の兄弟を抜いていくというイメージがありますよね。

小松:
私は数々のトップアスリートに取材してますけど、オリンピックの金メダリストとかワールドカップに出てる選手って、次男次女の場合が結構多いんですよ。

目標となる存在、指針が大切だということですね。

自分の先に兄や姉がいて、その背中を追いかける。

身近にライバルがいて、最初は勝てないけれど、追いかけるモチベーションが生まれる可能性がある。

そういうのは、兄や姉がいるトップアスリートに共通していると取材を通して思いますね。

東:
お姉さんは、たしかバルセロナオリンピックの候補選手だったんですよね?

岩崎:
候補選手といいますか、代表権が2枠あったんですけど、その2枠を争う形で姉と一緒に泳いだんです。

当時は5、6人にチャンスがあって、私と姉はその中に入っていたんです。

その年の前の記録は私の方が姉よりも上回っていたんですが、一回勝負なので、何があるかはわからないんですね。

東:
周りからみると、恭子さんの方がタイムが早かったので、
「オリンピックに行くのは恭子さんだろう」
みたいな周りの声は感じてましたか?

岩崎:
いや、そんなことはないですよ。

姉は高校一年生の時にインターハイで優勝してましたし。

でも記録的には私がその年の最後に、日本歴代2位の記録出していたり……。

静岡県では姉妹でオリンピックに行くか?みたいに期待を寄せてくださっているかたもいたと聞きました。

小松:
でも、一回勝負なので、誰が勝ってもおかしくない。

そのぐらいみんな拮抗していたってことですかね?

岩崎:
はい、そうですね。

個人競技は、昨日の自分がライバル

小松:
これもトップアスリートでは多いんですが、家庭環境というのはすごく大きな要因の一つなんですよ。

小さい頃からスポーツをさせているというその環境が大切なんです。

多分恭子さんは他の競技をやっていてもトップアスリートになれたでしょうね。

岩崎:
どうなんでしょう(笑)。

ある程度は他のスポーツもできますけどね。

でも水泳って動体視力は鍛えられないじゃないですか、だから運動の能力でいうならば他の選手の方が能力は高いって思いますよ。

私は幼い頃から水泳をやっていて、水泳って個人競技ですよね。勝つも負けるも全て自分だけの責任。そんなスポーツを通じで育ったんですね。

もし私が団体スポーツをやっていたら、団体スポーツって結束力とかチームワークが大切じゃないですか。

でも私はそういうものが身につかなかったので、若い頃はそういう気持ちがわからない、通じ合えない部分はありましたね。

東:
なるほど。自分で「負け」も100パーセント引き受けなくてはいけない、ってことですね。

僕はハンドボール選手なんですが、僕らは自分が調子悪くても、仲間が調子良ければ勝てることもあったりするんです(笑)。

ハンドボールではキャプテンをやってたんですが、キャプテンでももちろん調子が悪い時がありますよね。

でも昔、ある力士の方とお会いして、「それは逃げている」とガツンと言われたりしたこともあります。

小松:
私も水泳部だったので、恭子さんのおっしゃっていることわかります。

個人のタイム競技って、自己記録なんですよね。

自分の記録を超えていく、毎日、毎週、毎月、自分を超えていく競技なんですよね。

岩崎:
はい、自分の記録を更新することの喜びを感じたからこそ、目の前のことを一生懸命こなしていくのが好きになったのかもしれませんね。

記録を伸ばすことに喜びを感じていて、その延長線上にあったんですよオリンピックって。

東:
オリンピックを目標にするという逆算ではなくて、目の前のことをちゃんとやって、その延長線にオリンピックがあるというイメージなんですかね。

岩崎:
はい、私があの年齢だったからそれができたのかもしれませんね。

年を重ねてからだと、それなりの知識が身についたり、世の中の色々なことがわかってくるのですが、若い頃は、目の前のことだけを一生懸命やっていました。

小松:
これは、日の丸を背負ったことのある人しかわからないと思うんですが、当時13歳、14歳の恭子さんは記録を次々と更新して、レースに勝つことに集中しますよね。

でも外では、多くの人が「国民の期待を!」「金メダルを!」と声をあげて、横断幕が出たりするじゃないですか。

そういう声が聞こえたり目に入ってくると、いやでも責任とかプレッシャーが生まれますよね。

そういうプレッシャーは10代と20代では変わるものなんですか?

岩崎:
はい、年齢によって感じ方は違うと思います。

小松:
卓球の伊藤美誠選手いますよね。彼女は恭子さんとキャリアが近いじゃないですか。

彼女が先日、あるインタビューで言っていたことが印象的だったんですけれど、彼女、プレ ッシャーを感じたことがないそうなんですね。

でも「プレッシャーを感じたことがない」と言いすぎて、それが逆にプレッシャーになったそうです。

私はオリンピックの選手を何人も取材してますけど、本当にみなさん心が繊細で、時には応援が鬱陶しいなと感じてしまう時もあるでしょうし、逆に力になるときもあるでしょうし、そのあたりの気持ちは、日の丸背負ったことのある人しかわからないんですよね。

話せる存在を身近におくことの大切さ

東:
オリンピックを目指して活動するのって、そういうプレッシャーを受け入れる覚悟も必要なんですよね。

子どものころから、そういう部分でのメンタルのコントロールは教えられたりしたんですか?

岩崎:
今の選手たちの方がそういうのを教えられていますよね。

今は昔と違って、SNSというツールがありますから、色々なことが昔に比べてありえないぐらいのスピードで広まります。

私の子どもの頃とは全然ちがいますね。

だからSNSとの付き合い方、発信の仕方などは、各競技団体で教えているようですし。

ジュニアの合宿でも講義をしているようです。

東:
契約のこととかも教えられていると聞きます。

小松:
オリンピックに出るとガラリと環境が変わる。

とても重い重圧や責任、そして自由が奪われる場合がある。

そういうことは、きっと伝えていった方がいいと思うんです。でも同時にスターという存在は必要なんですよね。

昔、北島康介さんを取材したことあって、北島さんのあの活躍って恭子さんがモチベーションだったと言っていましたよ。

岩崎:
いやいや(笑)。でも北島さんは私を慕ってくれてて、私も頼りにしていますし、彼だからわかってくれる部分があるんですよね。

小松:
多分北島さんは、恭子さんの金メダルを見て思ったんでしょうね。

自分のやっている競技が、あんなに世の中に注目される、そんなステージに行けるんだっていう。

でもトップに立ったもの同士しか分からない孤独やプレッシャーってあるんでしょうね。

岩崎:
そうですね。北島さんだから理解してくれることってあるし、今でも相談したりします。

あと私は、小谷実可子さんがやっぱりすごく尊敬する存在ですし、昔から憧れでもあるんですよね。

自分が大人になって、「こういう風に年を重ねていったら素敵だな」って思えたのが小谷実可子さんなんですよ。

小松:
私はライターになって一番最初にインタビューしたのが鈴木大地さんなんです。

ソウルオリンピックの頃でしたよね。

本当にあの時はプレッシャーが凄まじかったそうです。

岩崎:
当時って、今ほど水泳をはじめとするスポーツが、いつもテレビで放送されているような時代じゃなかったんですよね。

小松:
水泳もまだまだでしたね。

そんな時代に現れたのが鈴木大地さんと鈴木陽二先生。

そういう先人たちがいて、恭子さんはその背中を追ったということですよね。

岩崎:
そうですね。頼りになる先輩方の存在には、すごく感謝しています。

自分との約束、を守れるか?

東:
ところで岩崎さんは、スポーツ一本で打ち込んでて、その結果何か別のものを犠牲にしてしまったな、って後悔のようなものを感じたことってありますか?

岩崎:
実は私、そういう風に思ったことがあんまりないんですよね。

私の母は教育熱心だったので、小学校の時にたくさん習い事をやっていたんですよ。

それこそ、水泳をやりながら英語やお習字をしてたんですね。

だから家に帰ってきて、ランドセルを置いてすぐ遊びに行く、みたいな経験ってないんですよ。

もちろん遊びたいな、って思った時もありましたよ。

でもそれらの習い事って、どれも自分がやりたいことだったので、あんまりマイナスだとは思わなかったんですよね。

小松:
超多忙な小学生、だったんですね(笑)。
水泳以外の習い事も熱心だったんですか?

岩崎:
水泳以外の習い事も好きでした。

あ、でもピアノは大嫌いでした(笑)。

大嫌いだったんですけどね、私の中で、嫌なことでも続けなきゃいけない、っていう気持ちがあったんですね。

でも当時のピアノの先生には、6年間続けたけれど、史上最低の生徒だ、って言われましたけどね(笑)。

東:
なんで嫌でもやったんですか?

岩崎:
約束だったからです。

最初に自分が「やりたい」って言ったんでしょ?っていわれて。

約束は守らないと、って思ったんですよね。

でも、ここがちょっと水泳と違ってて、ピアノの場合は、嫌いだったけど、約束を破りたくないから続けてた。

でも水泳は、すごいしんどい練習でしたが、それは自分でやりたいから、そういうことをしないと速くならないから、だからどんなにしんどくても続けられたんですよね。

だから水泳とピアノは「やらなくてはいけない」という理由がちょっと違ったんです。

小松:
これも色々な一流のスポーツ選手に聞いたことなんですけどね。

限界の壁を突き抜ける第一条件って、自分との約束を守ることだ、っていう人が多いんですよ。

「サボりたい、遊びに行きたい」って人間だから誰しもあるじゃないですか。

「これ食べたい、あれ飲みたい」とかね。

でも一流の選手って、目的を設定して、それを叶えるために自分自身に「約束」を作ることが多いらしいんです。

これって、小さい頃は“お父さんやお母さんとの約束”かもしれませんが、それが“自分と自分との約束”に変わっていくんです。

そして己との約束を達成できると、恭子さんのように結果を出せる選手になれることが多いんです。

岩崎:
はい、すごくわかります。

小松:
記録や勝負の世界で生きている人って、そこがすごいんですよね。

もちろん責任感が強い人も沢山いますけれど、会社勤めの人って「誰かがやってくれるからいいや」って思っている人多いですよね?

自分が仕事を放棄しても、どうせ誰かがフォローしてくれるから、結果としてはOKでしょ?みたいな状況ってありますよね。

でも、スポーツマン、特に記録と戦っている人にはそれがないんですよね。

それはアスリートはドラスティックな世界で生きている人が多いからです。

だから私はアスリートを尊敬するんです。

岩崎:
ビジネスパーソンも運動選手もそうなんですが、何かを一生懸命やっている人って素晴らしいなって思うんです。

誤解されるかもしれませんが、世の中でたとえば、野球ばっかりやってる人に対して、「あの人は野球バカで他のことはできない」
みたいに言う人いますよね。でもそれっておかしいなって思うんです。

そう言う人には、「じゃああなたはそういう経験をしたことがありますか?」
って私は逆に言いたいんですよね。言葉に発することはしませんけどね(笑)。

乗り越えられない試練はない

東:
話は変わりますが、今目の前に壁があって、それを乗り越えるのに苦労したり悩んでいる人に何か伝えたいことってありませんか?

岩崎:
私ね、16歳の時に先生に言われたことがあるんですよ。

「乗り越えられないことなんてない」って。

時間がかかるかもしれないし、思い通りにならないことが続くかもしれない。

でも乗り越えられないことって、天から与えられないんだよ、って言われたんです。

東:
僕はアスリートの強みって、局面を迎える時に、
「あれに比べたら」
って思えることだと思うんです。

たとえば辛い練習とか、悔しい気持ちとか、
「あれに比べたら今の状況なんて大したことない」
って思えること。これがアスリートって強いんですよね。

失敗と成功を何度も繰り返し続けているのがアスリートで、まさに何度もそれを繰り返しているのが岩崎さんなのかなって思います。

小松:
その成功と失敗の気持ちが、分刻みでくるんですよね。

この1本は乗り越えられたとか、これはダメだったとか。

その蓄積が凄まじいんですよね、岩崎さんのような個人競技の場合は。

心をリカバリーできるのって、私はすごい大事だと思っていて。

人はマイナスになったら落ち込むじゃないですか、でもリカバリーできる人は心をゼロに戻せるんですよね。

そこから上手に整えれば上昇のスパイラルに持っていくこともできますよね。

私も色々なオリンピック選手を見てきました。

恭子さんのように精神的に強い人もいれば、そうでない人もいる。

でもそうでない人も、自分で自分の心を律する術を身につけている人が多い。

恭子さんはそれのお手本のような人だと思います。

恭子さんって、過去にオリンピックで金メダルを取ったことで、色々なことがすべてこなせるんじゃないか、みたいな自信って身につけたりしましたか?

岩崎:
全然そういうのはないんですよ。自信を普段の仕事や生活に活かせるかっていうのは、本人次第な部分もありますし。

仕事は水泳みたいに上手にできないし、でも自分の仕事における役割みたいなのがわかって、さらに変なプライドみたいなのを出さなければいいんだなっていうのは思っていますね。

分からない時は分からないって言えることとか、私が悪かったら謝ることとか、人の意見を聞いた時に、私の考えはこうでしたけど、お話伺ったらそちらの方が正しいです申し訳ないですって思って謝れる気持ち、それを大切にしていますね。

東:
その気持ちも、自分に自信があるから持つことができるんですか?

岩崎:
いやちょっと違いますね。間違っていたら私が悪い、ただそれだけの話です(笑)。

プライドとの付き合い方

小松:
日の丸を背負ったりすると、自分の心の中でプライドが生まれますよね。

そのプライドとはどうつきあっていますか?恭子さんはそのプライドと素の自分を上手に使い分けられていると思うんですよね。

それができなくて悩んでいるアスリートって結構多いと思うんですよね。

東:
なるほど、オリンピックで金メダルを獲ると、たとえば普段の仕事で誰かから叱責された時に「私を誰だと思っているの?」っていう自分が出てきて、自分の中で自分とこじれてしまう、そんな場合にどうするかってことですよね。

岩崎:
そういう不甲斐ない自分に悔しさを感じた時は、人と会ってリフレッシュしたり。

あと心でちょっと思ったり(笑)。

小松:
話していただける範囲でいいんですけど、たとえば恭子さんが小谷実可子さんなど先輩方に相談することってどんなことなんですか?

岩崎:
そうですね、たとえば小谷実可子さんの場合だったら、実可子さんの行動を見ていれば、「あ、この通りにしていればいいんだな」ってことがわかるから、あんまり聞かなくても見てるだけで答えが見えてくる気がするんです。

小松:
仕事のことを相談したりするんですか?

岩崎:
あんまり仕事の相談はしないですけど、たとえば人間関係のこととか。

小松:
理不尽な状況に置かれたり、人間関係に巻き込まれたりしますよね。

それはトップアスリートでも、会社の経営者や重役でも同じです。

そういう時に、自分はどうしたらいいのか、自分は正しいのかそうでないのか?を問える人がいるというのは大切ですよね。

岩崎:
はい、すごくありがたいですよね。私はすぐ人に頼っちゃう人なので(笑)。

でも人に頼るんですけど、そこも含めて自分で決めているんですけどね最終的には。

水泳を通じてつたえたいこと

小松:
岩崎さんはお母さんになられて、水泳の世界でやっていきたいことってあるんですか?

岩崎:
10年前ぐらいですかね。中学か高校に講演会に行ったことがあるんですよ。

その時に生徒に向かって「夢とか、やりたいことを持つのって大切ですよ」って話したんですよね。

講演会の後に質問タイムがあって、その時に生徒に、
「岩崎さんの今の夢って何ですか?」
って聞かれて、ヤバいって思ったんです(笑)。

その時に、あ、周りに夢を持てとか言ってるくせに、自分で夢持ってないなって気づいたんですよ。

その時は漠然と、水泳に関わっていく、それが大きな目標であると決めましたって話したんです。

その時々に、目の前にあることをやっていこうかなって思ったんです。

小松:
それは具体的にはどういうことですか?

岩崎:
子ども達に水泳を教えたり水泳の普及活動ですね。

でも水泳だけでなくて、スポーツをすることで私は心が豊かになりましたから、そういうスポーツの素晴らしさを伝えていけるんじゃないかなって思っています。

小松:
水泳って本当にいい競技なんですよ。

基礎体力をつけることができますし。

なにより溺れないというサバイバル能力をつけられますからね。

小学生全員やった方がいいと思います。

岩崎:
そうですね、でも選手になった方がいい、とは思わないんですけどね(笑)。

東:
「できるようになる」ということを経験するための手段として、「泳ぐ」という行為はとても向いていると思うんです。スポーツ全般がそうですけどね。

スポーツが上手になるんでなくて、何かが「できるようになる」というのを経験するツールが、スポーツにはあるんだと思うし、それを多くの子ども達に使って経験して欲しいですよね。

小松:
お子さんは水泳やっているんですか?

岩崎:
今はやっていませんが泳げなくはないです。

でも私が教えると言うことを聞かないし、ふざけすぎるんですよね。

だから怖さも教えるために一回溺れる経験をさせたりしました。

もちろんちゃんと見てますけどね。

小松:
怖さを教えることはとても大切ですよね。

岩崎:
水をガブガブ飲ませて、ちょっと危険だなって思ったらすぐに引き上げて。

私は水泳やってたからそういう教え方ができるんですけどね、「水の中は危険だよ」ってこともちゃんと教えないといけないんです。

交通ルールもそうじゃないですか。

ただ「ダメ」っていうんでなくて、こういうことをしたら死んじゃうんだよとか、そういう部分の教育は、私はすごく厳しいですね。

小松:
ところで恭子さん、どんなスポーツでも、その競技が発達していくには、スターが必要ですよね。

そういう面では、水泳は本当に良い人材がそろっていますよね。素晴らしいとおもいませんか?

岩崎:
はい、そう思います。

アトランタ五輪の失敗を経て、たくさんの人が連携し努力し、今の状況があると思います。

小松:
スイミングコーチ達の努力というのもありますよね。

誰もがメダリストになれるわけではない、教育者になるというのも1つの道ですよね。

鈴木先生も、そんな話をされてました。

自分はメダリストにはなれないから、コーチになるのが道だって思ったって。

そちら側にももっと光が当たってもいいと思うんですよね。

岩崎:
やっぱりもっと水泳にも色々な人が集まらないとダメだなって思ってます。

人集めですね。

小松:
今水泳は、大会が開かれると満席になりますよね。

それに比べて昔は水泳を観戦競技とみなされてない時代もありましたよね。

岩崎:
昔は入場料がかからない試合も多かったですね。

スポーツにもっとエンターテインメントを!

東:
この企画は、オリンピックのメダリストや、パラリンピックの選手など、どんどん面白い人にお話を聞いていって、それが繋がっていけば、東京オリンピックパラリンピックが終わった後でも、ずっとスポーツ選手の考えや思いを世の中に伝えられるんじゃないか、って思いからスタートしてるんですよね。

小松:
恭子さんは、今度の東京オリンピックはどう思っていますか?

アスリートはどういうモチベーションを持っているのでしょう。

岩崎:
今、世間は2020年の東京オリンピックパラリンピックに注目が集まっていますよね。

でもその終わった後が問題なんですよね。

オーストラリアを見てても、シドニー大会の後とか、すごく落ち込んじゃうんですよね。

小松:
オリンピックのためだけに強化している、という状況になっているんですね。

岩崎:
完全にそうですよね。

お金のかけかたも全然違いますし。まあそれはしょうがない部分ではあるんですけどね。

小松:
でも、あのシドニー大会の後のオーストラリアの状況を反面教師にすべき、っていうのが恭子さんの考えなんですね。

岩崎:
はい、あのオーストラリアが!?って正直思いました。

欧米諸国ってスポーツエンタテインメントがすごく成熟しているなって感じていたから、そういう意味でも驚きでした。

小松:
私もNBAの取材に行ったりすると、あれってエンターテイメント性がとても高くて、それが魅力なんですよね。

もちろん選手のスター性もそうなんですよね。

でもみんな面白いからお金を払って観にくるんですよね。

水泳も最近はショーアップがすごいですよね。

岩崎:
はい、だからこそ、そうやって注目されるから、その人自身も選手としての自覚をさらに持たないと、って思います。

私の頃は今みたいにショーアップされていませんでしたからね。

すごい成績を残しているのに、そんなに注目されない人もたくさんいて。

でもそういう人々がいるから今がある、っていうのはありますよね。

小松:
ところで恭子さん最近も泳いでるんですか?

岩崎:
レッスンはしますけど、自分では泳ぎませんね。

これからのアスリートと社会のかかわり

小松:
だんだん時間が近づいてきました。

子ども達に伝えたいことはありませんか?

岩崎:
何か打ち込めるものを、何でも良いので一つ作ろう、ってことですかね。

たとえば学校だけだったら、もしそこでいじめとかがあった場合、そこに逃げ場があれば救われることがありますよね。

それは芸術でもスポーツでもなんでもいいんです。

打ち込める場を作っておけば、何があっても立ち向かえるものが生まれるんじゃないかと思います。

小松:
岩崎さんは逃げ場はあったんですか?

岩崎:
水泳はどうだろう……、当時は泳いでいる時は何も楽しくはなかったです。

オリンピックの後の2年間なんて、実はあの時闇があったんですね。

表情を見ると私、全然冴えてないんですね(笑)。

でも今考えると、その時間も私にとって必要な時間だったのかなと思います。

悩むことは悪いことではないですしね。

小学校のころは、泳ぐことがすごく楽しかったんですけどね。

でも、バルセロナの後は、泳ぎたくないって思っていましたね。

でも泳がないと周りが騒ぐんだろうなって……。

小松:
それを中学生の時に経験するって、すごいことですよね。

岩崎:
当時、自分も心の底では、自分の記録を更新したら嬉しいとか、その嬉しさを知っていたから辞めなかったと思うんですね。

多くの人に伝えたいのは、どうせ悩むなら前向きに悩んで欲しいって思うんです。

私の人生、ありがたいことに色々なことがタイミングよく起こるんですよ。

アメリカに行ったのも、その頃メンタルがすごく大変で、でも1ヶ月半ぐらいアメリカに行く機会があって、アメリカ行ったらとても気持ちが楽になったんですよね。

悩むって悪いことではないんです。

だから子どもたちには、「悲観しないで、ちょっとでもいいから先を見て欲しいな」って思いますね。

小松:
ビジネスパーソンも色々なことに悩んでいる人って多いんですよね。

今私はアスリートを取材していると、大きく2つに分かれてるなって気づくんです。

これはあくまで私の考えなんですけどね。

セルフコントロールしていて自分の人生のライフスタイルプランニングができる人と、そうでなくて周りに流されちゃう人がいるんです。

だからどんな層の選手たちにも、自分のライフスタイルプランニングしながら生きていけることを伝えていきたいんですよね。

自分の行き方をプランニングして、それに企業とかが寄り添ってあげられる社会が生まれれば、選手は競技に関わり合いながら生きていけるじゃないですか。

そして社会にも関わり合いながら生きていけますよね。

そういう構造になっている種目もありますけど、全部ではないですからね。

今度恭子さんの講演聴きに行かせてくださいね。

岩崎:
いえいえ私なんか(笑)。

東:
さて、改めて岩崎さんの現在の活動を“その後のメダリスト100キャリアシフト図”に当てはめると、水泳の指導者が「A」、解説者などのメディア出演は「D」と二つの領域でご活躍なさっていることが分かりますが、今後はご自身の経験を活かしてアスリートのキャリアについてアドバイスを出来る仕事などにも取り組んでいただくのも面白いかも知れませんね。

小松:
2020年の東京オリンピックではこれまで以上にアスリートに注目が集まることが考えられますから、その後のメンタルケアというのがアスリート、スポーツ界にとって大きなテーマになるかも知れません。是非岩崎さんの経験を後輩たちに伝えてあげてほしいです。

注1)親会社勤務とはいわゆる企業スポーツである実業団チームで自らが所属していた企業で一般従業員として勤務していること
注2)親会社指導者とはいわゆる企業スポーツである実業団チームで自らが所属していた企業の指導者を務めていること
注3)プロパフォーマーとはフィギュアスケート選手がアイスダンスパフォーマーになったり、体操選手がシルク・ドゥ・ソレイユのパフォーマーとして活動していること
注4)親会社以外勤務とは自らが所属していた実業団チームを所有している企業以外で一般従業員として勤務していること

小松:
今日は本当にありがとうございました。

編集協力/設楽幸生

インタビュアー/小松 成美 Narumi Komatsu
第一線で活躍するノンフィクション作家。広告会社、放送局勤務などを経たのち、作家に転身。真摯な取材、磨き抜かれた文章には定評があり、数多くの人物ルポルタージュ、スポーツノンフィクション、インタビュー、エッセイ・コラム、小説を執筆。現在では、テレビ番組のコメンテーターや講演など多岐にわたり活躍中。

インタビュアー/東 俊介 Shunsuke Azuma
元ハンドボール日本代表主将。引退後はスポーツマネジメントを学び、日本ハンドボールリーグマーケティング部の初代部長に就任。アスリート、経営者、アカデミアなどの豊富な人脈を活かし、現在は複数の企業の事業開発を兼務。企業におけるスポーツ事業のコンサルティングも行っている。

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