2025.01.26
異なるスキルをかけ合わせて、稀有な存在になる 元プロ野球選手・高森勇旗
Profile
高森勇旗(たかもり・ゆうき)
1988年5月18日生。富山県高岡市出身で、高校は岐阜県の中京高校に進む。2006年高校生ドラフト4位指名を受け横浜ベイスターズに入団(現横浜DeNAベイスターズ)。2008年にイースタンリーグ史上最年少サイクル安打達成(20歳3ヶ月)。2009年にイースタンリーグ最多安打、一軍にて初ヒットを記録。2012年に戦力外通告を受け引退。翌年より、データアナリスト、ライター、イベントディレクターを経て、現在は企業のエグゼクティブコーチングを行う株式会社HERO MAKERS.の代表取締役を務め、一部上場企業を含む30社以上の企業変革に関わる。2016年より、新幹線のグリーン車に備え付けられている雑誌wedgeにて2年半連載したシリーズは、2018年に書籍「俺たちの戦力外通告」となって販売されている。
東:
様々なアスリートの現役を終えた“その後の人生”に迫るインタビュー連載“表彰台の降り方。〜その後のメダリスト100〜”。今回は、元プロ野球選手で現在は株式会社HERO MAKERS.の代表取締役を務める高森勇旗さんにお話を伺います。
小松:
高森さんは2006年に高校生ドラフト4巡目で指名を受け、横浜ベイスターズ(現横浜DeNAベイスターズ)へ入団。
二年目にイースタン・リーグで史上最年少となるサイクルヒットを記録。
三年目、イースタン・リーグで最多安打のタイトルを獲得するとともに横浜スタジアムでの中日ドラゴンズ戦で一軍初出場を果たし、10月4日の広島東洋カープ戦(横浜スタジアム)でプロ初安打を記録されるなどのご活躍をなさいました。
東:
2012年に戦力外通告を受けた後は、データアナリストやライターを始め、様々なお仕事をご経験なさった後、コーチングを通して企業の成長をサポートする事業をスタート。
現在は株式会社HERO MAKERS.の代表取締役として、業種業態の異なる十数社のクライアントをサポートするとともに、ライターとしても連載をお持ちになっています。
小松:
現在の高森さんの活動を“その後のメダリスト100キャリアシフト図”に当てはめると、株式会社HERO MAKERS.の代表取締役が経営者で「C」の領域、ライターとしての執筆活動などが「D」の領域と、野球選手としてのスキルとは最も遠い領域でお仕事をなさっていることが分かります。

注1)親会社勤務とはいわゆる企業スポーツである実業団チームで自らが所属していた企業で一般従業員として勤務していること
注2)親会社指導者とはいわゆる企業スポーツである実業団チームで自らが所属していた企業の指導者を務めていること
注3)プロパフォーマーとはフィギュアスケート選手がアイスダンスパフォーマーになったり、体操選手がシルク・ドゥ・ソレイユのパフォーマーとして活動していること
注4)親会社以外勤務とは自らが所属していた実業団チームを所有している企業以外で一般従業員として勤務していること
INDEX
ウジウジしないで、やればいいじゃん!
東:
僕が初めて高森さんとお会いしたのは、新卒で入社して18年間勤務してきた会社を退職して、独立しようと考えていた時期でした。
当時の僕は40歳で専業主婦の妻と二人の子どもがいて、ローンで自宅を購入したばかり。
正直、不安に思っていた部分もありましたが、とある会合でお会いした高森さんに何気なく相談した時に「やればいいじゃないですか!出来ますよ!」という言葉に背中を押してもらえて。
その時のあまりに自信に満ち溢れているというか、身にまとっているオーラとエネルギーが凄まじくて「一体この人は何をしている人なんだろう?」と一気に惹きつけられてしまって。
高森:
そうでしたね。
小松:
高森さんの“自信”に満ち溢れた佇まいはどこから来ているのでしょうか?
高森:
私は私自身に“自信”があるように見えるかどうかに関心がないので分からないです。野球選手だった頃には考えていたかもしれないですが。
東:
現在の高森さんは、とても元プロ野球選手だったとは思えないような“一流の経営者”、“一流のビジネスパーソン”のオーラを身にまとっているように感じるのですが、お仕事の内容について聞かせていただけますか?
高森:
私の現在の仕事は“コーチング”で、企業やアスリートなどのクライアントに対して、言葉を変えることで行動変容を起こすことを提供しています。
東:
企業のみならず、アスリートもコーチングなさっているのですね。
高森:
はい。プロ野球選手、プロサッカー選手、大相撲の力士もサポートしています。
小松:
企業やトップアスリートに、言葉によって行動変容を起こすコーチングをなさることで、これまでには考えられなかったような圧倒的な成果を出すためのサポートをなさっているわけですね。
高森:
日々、クライアントが行動変容するような言葉を発していると、それが自らの脳にも刷り込まれていきますから、自分自身の行動も変容せざるを得ません。
行動を変容するためには“自信”があるとか“不安”があるということにはあまり意味がないんです。
結局、重要なのは“行動を起こすか起こさないか”で、“自信”よりも“行動を起こす意志”の有無が大切だと思っています。

東:
これだけ自信をもってセカンドキャリアを過ごしている元トップアスリートも珍しいと思うのですが、セカンドキャリアについて悩んでいたり、不安を抱えていたりするアスリートについてはどのように思われますか?
高森:
セカンドキャリアという領域にあまり興味がないですね。悩んでいるアスリートが多いと聞いても、私の周りにはほとんどいませんので、「そうなんですか?」という感覚です。
小松:
類は友を呼ぶといいますから、高森さんの周りには悩んでいるアスリートが近づいて来ないのかもしれませんね。
高森:
たまに相談に来る人もいますが、何かウジウジしているんですよね。何をウジウジしているのかなと。シンプルに「やりたいことをやればいいじゃん!」と思いますよね。
東:
ウジウジって(笑)
高森:
私に相談してくるのは元野球選手なので、みんな「俺、野球しか出来ないからさあ」と言うのですが、そんなわけないでしょうと。
これまで野球しかやってこなかったからと言って、これから他のことが出来ないのかどうかはやってみなければわからないでしょう。
小松:
やってみる前から出来ないと決めつけてはいけないと。
高森:
私は、あれだけストレスフルな“プロ野球”という世界にいたのだから、社会に出れば楽勝なんじゃないかと思っていましたから。
東:
確かに、選ばれし精鋭同士が、一球一球に人生を懸けて戦うプロ野球の世界よりストレスフルな環境はなかなかないでしょうね
異なるスキルをかけ合わせ、“オンリーワン”になる
小松:
現役を引退して、コーチングのお仕事に就くまでになさっていたお仕事についてもお聞かせいただけますか?
高森:
引退後に最初に就いた仕事はデータアナリストです。
昔からパソコンが得意で、現役選手の頃からプログラミングが出来たので、引退後にデータ分析ソフトを野球用にカスタマイズしたものを作成して、それを野球チームに売り込んで、自ら分析とオペレーションを担当していました。
東:
プログラミングが出来るプロ野球選手だったのですね!コーディングなどはどちらで習ったのでしょうか?
高森:
ほぼ独学です。プログラミングはコードを書いたとおりにソフトが動くのが面白くて、現役時代も試合の分析結果からこんな情報が得られたら嬉しいなというものを選手目線で考えて、参考書を読みながらsketchbookでインターフェースを書いていました。
小松:
プログラミングの能力とプロ野球選手の経験を活かして、他にはいないデータアナリストになろうと考えられたわけですね。
高森:
そうですね。実際にソフトをつくってみたら出来たので、大手社会人野球チームへの導入が決まり、一年間はそちらのソフトを使用したデータ分析とオペレーションを担当していました。

東:
プロ野球選手とは全く違ったスキルが求められるお仕事に就いたわけですが、大変ではなかったですか?
高森:
最初のうちは一試合のデータを分析するのに5時間半かかっていたのですが、やればやるほど新たなコーディングを覚えられますし、情報を分析するスピードも速くなって、最終的には6倍速で映像を見ながら20分で一試合分のデータを分析して、チームに提供出来るようになりました。
小松:
5時間半かかっていたものが、20分で出来るようになったのですか!
高森:
そこまで来ると、チームにおける成果も目に見えて出るようになってきまして、それが評判を呼んで、社会人野球の日本代表チームにも帯同させていただけるようになりました。
とにかく楽しくて一日中コーディングをしていましたね。
東:
選手目線をお持ちのデータアナリストは稀有な存在ですし、プロ野球選手としての知識や経験もあるわけですから、社会人野球チームでは特に重宝されたでしょうね。
小松:
全く異なるスキルを掛け合わせることによる“オンリーワン”の強みですね。
東:
異なるスキルといえば、高森さんはライターのお仕事もなさっていますが、どのようなきっかけで始められたのでしょうか?
高森:
私は現役時代から野球選手の形態模写が特技で、引退後に集英社から動画コンテンツとしてやりたいと言うオファーを受けまして。
小松:
面白いですね。Youtuberの先駆けですね。
高森:
意外と受けてはいたのですが、私はそんなにオチャラけることに興味がなくて。
形態模写を動画コンテンツとするよりも、野球選手についての記事を書きたいと思って、同期で現在でも横浜DeNAベイスターズでプレーする梶谷隆幸選手について書いた原稿を見ていただいたところ、これはいい!と評価をしていただいて。
公開された記事が100万近いPVを記録すると、徐々に好きな企画をやらせていただけるようになって、それを読んだ関係者が別の場所でも書いてほしいと連絡をくれて、ライターの仕事もジワジワと広がっていきました。
東:
他にもイベントディレクターや、大学講師のお仕事をされていたこともあったそうですね。

高森:
イベントディレクターの仕事は、事前に台本を製作して、本番ではディレクター兼MCとしてイベントの進行を担当していましたし、大学ではプログラミングのコーディングやアナリストの仕事内容などについて講義をさせていただきました。
小松:
本当に多才ですが、データアナリストから現在のコーチングのお仕事にシフトなさったのは何故なのでしょうか?
極端にのめり込む
高森:
仕事があまりに楽しくて、体調を崩してしまってやめることにしたんです。
東:
仕事が楽しくて体調を崩すとは、一体どういうことでしょう?
高森:
データ分析にのめり込みすぎて、血を吐くまで仕事をしてしまって(笑)
1日に22時間半働いていたにも関わらず、スティーブ・ジョブズの本に「キャベツとりんごしか食べない」と書いてあったのに影響されて、私もキャベツとりんごしか食べていなかったんです。
小松:
1日22時間半ですか!睡眠時間が1時間半で、その食事では…
高森:
そりゃあ血ぐらい吐きますよね(笑)
それでも、当時読んでいたビートたけしさんの本に「好きなことで身体を壊すくらいにならないと一流じゃない」と書いてあったので「一流じゃん俺!」と思って喜んでいたのですが、最後は元々92kgだったのが、14kgも痩せてしまって、足がフラフラしてきてしまったので、さすがにこのままではまずいなと思ってやめることにしました。
東:
命に関わりますよね…
きっと、高森さんは中途半端には頑張れないんでしょうね。
高森:
データアナリストを辞めて、この先何をしていこうかと考えている時に「すごい会議」に出会ったんです。
小松:
現在、高森さんが代表取締役を務めておられる株式会社HERO MAKERS.がクライアントに提供している“会議を通じてブレイクスルーをサポートする”メソッドですね。
東:
この「すごい会議」がどのようなメソッドなのかということから、高森さんの野球人生についてもお話を伺ってまいりたいと思います。
小松:
宜しくお願い致します。

高森:
宜しくお願い致します。
小松:
プロ野球選手を引退なさってからのお仕事についてのお話を中心に伺ってまいりました。
現役時代から取り組んでおられたプログラミングのスキルを活かして、自らが野球チーム向けにカスタマイズしたソフトを使用して、データ分析とオペレーションを担当するデータアナリストをなさりながら、ライターやイベントディレクター、大学の講師などそれぞれに異なる様々な領域で幅広いご活躍をなさっていた高森さんですが、あまりに仕事にのめり込み過ぎたことで体調を崩してしまい、データアナリストをやめることを決断します。
東:
その後に出会い、現在も取り組まれている「すごい会議」のコーチというお仕事についてのお話から伺ってまいります。
“会議”によって、圧倒的な“成果”を出す
東:
まずは「すごい会議」との出会いについてからお教えいただけますか?
高森:
データアナリストの仕事をやめた後、ライターとしてもっと成長したいと思い、コピーライターを養成するための学校へ通って勉強していたんです。
そこで、著名なコピーライターに専門的にコピーライティングを教えていただくことで、“言葉”や“コミュニケーション”の持つ力に深い興味を抱くようになっていた時に「すごい会議」という会議を通してコミュニケーション、考え方に違いをつくり、業績を上げる手法に出会ったんです。
小松:
会議でのコミュニケーションや考え方に違いをつくるということは、すなわち“使う言葉”を変えるということですから、当時の高森さんが興味を持っていたことに合致したわけですね。
高森:
そうですね。「この手法を自分にインストールすれば人生が大きく変わる!」と直感して、翌日には入門しました。
東:
まさに即断即決ですね。僕もわずかな期間ではありますが「すごい会議」に関わったことがありますが、ざっくりと紹介するなら、会議を通じて“出来ない理由を探す”のではなく、“どうすれば出来るのか”に言葉と行動を変容させていくイメージでしょうか?
高森:
“言葉”を変えることで“成果”を変えるというのが、私達の基本理念になっています。
小松:
“会議”で使用する“言葉”や“考え方”を変えることによって、“行動”が変わった方々を増やしていくことで“組織”を変え、“成果”を変える手法が「すごい会議」なのですね。
元々はどなたが考えられた手法なのでしょうか?
高森:
「すごい会議」の手法は、1975年にアメリカ・マネジメントアソシエーツ社のハワードゴールドマンらによって開発されました。
その後若干の変更はあったものの、現在でも当初と同じ手順で「すごい会議」は行われています。

東:
そんなに昔から同じ手法・手順が使われ続けているんですね。具体的にはどのようなことをなさるのでしょうか?
高森:
まずは企業のトップである経営者と五、六名のメンバーで戦略的アプローチを作成し、それを実際に全社で実行していきます。
その後、司会者である「すごい会議」のマネジメントコーチが、目標を実現するためのタフな意思決定や問題解決におけるサポートを会議の場でおこなっていきます。
小松:
こちらのマネジメントコーチが、高森さんのお仕事なんですね。もう少し詳しく、会議の内容についてお教えいただけますか?
高森:
私は会議を経営すなわちマネジメントそのものだと考えていますが、多くの企業ではこの重要な場での発言のほとんどが単なるコメントの交換に使われています。
東:
最近では“会議”の時間は無駄だと考える企業も増えてきているように感じます。単なる会議ではなく、「すごい会議」を実施することによって生み出される価値とは一体何なのでしょうか?
高森:
短期的で明確で共有共感された目標が立つこと、目標を実現するための最適な役割と責任分担が明らかになること、なにを誰がいつまでに実行し成果を出すかが明らかになること、解決策のわからない問題に出会った時にシステマティックにアプローチし解決できるようになることなどです。
また、これらを実行する上で「約束を尊重する」、「問題の指摘だけをせずに提案をする」といった経営者が部下に期待しながらもなかなか実行されにくい企業文化を手に入れることが出来るんです。
小松:
ビジネスの世界はもちろん、スポーツの世界にも展開が出来そうですね。
高森:
おっしゃる通りで、「すごい会議」のメソッドは、スポーツチームやトップアスリートにも導入されています。
東:
ただ、いくらメソッドやロジックが明確だとしても、人は変化を嫌う生き物ですから、なかなか行動を変容させるために「すごい会議」を導入なさるのは難しいのではないでしょうか?
高森:
確かにロジックだけでは決して人は動きません。
「すごい会議」のコーチングは会話をベースにおこないますが、基本的にはまず事業構造を徹底的に分解することで問題の棚卸しをして、問題の本質を見極めます。
次にそれを解決するためには何にどれくらい投資したらどのように変わるかといったことを細かく分析して、目標を設定します。
その後、目標達成のためにはどのくらいのエネルギーの行動力と時間が必要で、そのためには具体的に誰がどれくらい行動に起こすのかといったことまで理解した上で、この人とこの人をこういうテーマで会話させると、こういうエネルギーが生まれるだろうというところまで考えて接して、初めて信頼を得ることが出来るんです。
小松:
そこまでやるからこそ信頼され、多くの方々の行動を変えられるのですね。

高森:
私の仕事は「企業が普通ではない成果をつくるサポートをする」ことですから。
予定調和的な成長ではなく、私がいなければ決して起こらない圧倒的な成長を実現するためには、一人ひとりが自発的に行動を変容してもらう必要があります。
あと二週間でこういった問題が起きそうだから先回りして外堀を埋めておこうとか、この人はテコでも動かないだろうからこの角度からサポートしてみようというところまで考えてコーチングしています。
東:
この徹底的な分析力と圧倒的な仕事量は、データアナリストをなさっていた経験が活きているように感じますね。
高森:
利益についても同じように分析して、このペースなら三年もあれば利益率が三倍くらいにはなるから、私への投資額は簡単に回収出来るので、みんなに喜んでもらえるなということを考えていると楽しいですよね(笑)
小松:
変わることが出来る“企業”や“チーム”、“人”に共通している点はありますか?
高森:
素直であることと、同じことをコツコツとやり続けられる文化があることは強みになりますね。
プロ野球選手の頃、トレーニングコーチに「コーチの仕事は同じことを言い続けることだ」と言われたことがあって、当時は「そんなことはないでしょう!」と思っていたのですが、今は本当にその通りだなと。
東:
同じことしか言ってくれないコーチは、勉強や成長をしていないようにも感じてしまいますが、違うということですか?
高森:
結局、成功するための方法なんて、昔からそんなに変わらないんです。
「すごい会議」のメソッドも1975年からほとんど変わっていませんし。
要は“やる”か“やらない”かですから、現在はクライアントに対して同じことを言い続けています。
もちろん、細かな部分でのカスタマイズはしていますが、あいつは同じことしか言わないという評判になったとしても、それが結果を出すための最善の方法なので。
それを素直に聞いて、コツコツやるのが一番結果が出ますね。
小松:
細かい部分で様々な違いがあるにせよ、結局は“やる”か“やらない”か。行動することが成功するためには最も大切なのだということですよね。
高森:
幸いにも私が担当しているのは、私がいなくても成果が出ただろうなという素晴らしいクライアントばかりなので、本当に良いお付き合いをさせていただいています(笑)
向いていないのに、野球をやめられなかったプロ野球選手
東:
とても楽しそうに現在の仕事についてお話なさる高森さんですが、現役時代と引退後ではどちらが充実していますか?
高森:
間違いなく今です。プロ野球選手時代には極度のストレスの中で生活していましたから。引退後、明らかに表情が変わったと自分でも思います。
小松:
即答ですね。今のほうが良い表情になられたと?
高森:
はい。私は家族の影響で小学生の頃に野球を始めたのですが、引退するまで白髪だらけだったのが、引退した途端に全てなくなったんです。
その時、「やっぱり自分は野球に向いていなかったし、好きでもなかったんだな」と思いました。

東:
プロ野球選手にまでなる人はみんな野球が大好きなのかと思っていましたが、高森さんは野球が好きではなかったのですか?
高森:
それほど好きではなかったです。小学校4年生の頃からやめられるものならやめたいなという思いはありました。
小松:
それほど好きではない野球を続けたのは何故なのでしょうか?
高森:
やめられなかったんです。兄も野球をやっていましたし、叔父が小学校の監督で、父が中学校のコーチを務めていたので続けざるを得なかったんです。
東:
なるほど、野球は好きではなくとも、突出した実力があったので、やめるにやめられなかったわけですね。
小松:
高森さんは、地元富山県の高岡シニアからスカウトされて岐阜県の名門・中京高校に進学し、1年生の夏から正捕手として活躍。
甲子園出場はならなかったものの、高校通算30本塁打を達成するなどの実績が認められ、2006年の高校生ドラフト四巡目で横浜ベイスターズ(現横浜DeNAベイスターズ)に指名され、プロ野球選手になられたわけですが、それもあまり嬉しくはなかったのですか?
高森:
突出した実力なんてありません。
21歳までのアスリートは技術が無くとも出力(パワー)があれば活躍出来るんです。
野球でも150km/hのボールが投げられれば、技術が無くとも勝てますよね。
当時の私も15歳で成長期が来たことで身体が一気に大きくなって、バットに当たればホームランという感じでプレーしていたので、上手そうに見えたのだと思います。
ただ、21歳からは技術が求められるのですが、私はプロで活躍出来るほどの技術を身につけられる才能が無いにも関わらず指名されてしまったんです。
勉強が好きだったので、本当は大学に進学したかったのですが。
小松:
学業も非常に優秀だったそうですね。
高森:
成績はよかったですね。中学、高校はほとんどオール5でしたし、授業も本当に楽しくて。
東:
まさに文武両道だったわけですね。
小松:
さて、そんな文武両道の高森さんですが、プロ野球の世界に飛び込んだものの思うような結果を残すことが出来ず、入団6年目の2012年10月2日に戦力外通告を受け、現役を引退なさることになります。
東:
プロ野球という日本スポーツ界の頂点とも言える世界でのご経験が現在のお仕事にどのように活きているのかについてお話を伺っていきたいと思います。

高森:
宜しくお願いします。
小松:
「すごい会議」のメソッドからプロ野球選手になるまでの高森さんの野球人生についてのお話を伺いましたが、日本スポーツ界の頂点とも言えるプロ野球の世界でのご経験が現在のお仕事にどのように活きているのか聞かせていただきたいと思います。
プロ野球選手というキャリアの持つ説得力
東:
2006年に横浜ベイスターズ(現横浜DeNAベイスターズ)に入団なさってから、2012年に戦力外通告を受けて現役を引退なさるまでの六年間、プロ野球選手として経験してきたことで現在のお仕事に最も活きていると感じているものは何でしょうか?
高森:
非常に希少なキャリアを築けたと思っています。
よく言われる話ではありますが、プロ野球選手になることが出来る人は東京大学に入学出来る人よりも少ないですし、五万人の大観衆の中で歓声を受ける喜びや、ミスに対してため息をつかれるストレスは普通の生活を送っていては決して味わえないですから。
どんなにタフな状況だとしても、“あれに比べたら”と思えるだけの胆力を身につけることが出来ましたし、コーチングをしていく上で、プロ野球選手というキャリアはクライアントに対して大きな説得力を持つと感じています。
小松:
元プロ野球選手というキャリアには、恵まれた才能はもちろん、それだけの努力を積み重ねてきた人間なのだろうという信頼感がありますよね。
また、希少なキャリアという意味では、東京大学卒のコンサルタントやビジネスコーチは決して珍しくはありませんが、元プロ野球選手というキャリアを持つビジネスコーチは唯一無二とも言える存在なのではないでしょうか?
高森:
6年間のプロ野球選手生活で磨かれた“勝負する”という感覚は、経営者をコーチングする場でも役に立っていますね。
東:
経験してきた“真剣勝負”の場数が違うと。
高森:
実際に経営者に提案をする時や、幹部の方を動かす際に「お前に経営の何がわかるんだ」と詰め寄られたとしても、「何もわかりません。
ただ、成果を出すためには行動が必要なことはわかります」と堂々と言えるんです。
五万人の前で究極のプレッシャーを感じながらプレーすることに比べたら楽勝だなと思いますし。
東:
底辺の広さ、頂点の高さ、マーケットの大きさなどを考えれば、ハンドボールとプロ野球では比較対象にすらならないほどの違いがありますので、並べて語るのも非常におこがましいのですが、僕もプロフェッショナル人材のシェアリングサービスを展開する株式会社サーキュレーションでコンサルタントを務めていた際には、元ハンドボール日本代表キャプテンというキャリアが大きな武器になりました。
自己紹介をした時に必ず興味を持ってもらえますし、“あれに比べたら”という経験をもっていることは、クライアントと対峙する時の強みになりますよね。
小松:
高森さんも東さんも、元トップアスリートにも関わらず、競技の世界を飛び出して、全く異なるビジネスの世界でご活躍なさっているという点では、同じように希少なキャリアを歩んでおられる方だと思います。
成功者の共通点
東:
希少なキャリアを築けたということ以外に役立っていることはありますか?
高森:
私はプロ野球の世界で、大きく分けて二つのことを学びました。一つは成功者の共通点、もう一つは組織論です。この二つの学びは、人生において大きな財産となりました。
小松:
成功者の共通点とは、一体何なのでしょう?
高森:
“成功者”の定義を長く活躍している選手だとして、その選手たちの共通点は、単に野球の技術が優れているだけではなく、“人としてしっかりしている”ことなんです。

東:
人としてしっかりしていること、具体的に教えていただけますか?
高森:
挨拶が出来ること。約束を守れること。義理を果たせること。この三つが基本です。
小松:
挨拶、約束、義理、ですか。
高森:
“挨拶が出来ること”とは、「おはようございます!」とか、「こんばんは!」が言えるという意味ではなく、御礼と謝罪が出来るということです。
誰かに何かをしてもらったら、当然と思うのではなく、きちんと御礼が出来ること。失敗や失礼をしてしまった時には、ごまかさずにきちんと謝ることが出来ること。
“約束を守ること”は、時間に遅れないことや、嘘をつかないこと。信頼を裏切らないことです。
そして、“義理を果たせること”とは、常に感謝の心を持ち、受けた恩を忘れずに返すことです。長くプロ野球の世界で活躍出来ている人は、みんなこの三つがしっかりと出来ているんです。
東:
なるほど。スポーツの世界はもちろん、ビジネスの世界というか、全ての人間が生きていく上でとても大切なことですね。
高森:
プロの世界とは言え、人間には好き嫌いがありますので、同じ一軍の選手だとしても、人としてしっかりしている選手が二軍に降格してきた際には、周りが「早く復帰させてあげたい」と協力的になりますが、人間性に問題がある選手の場合には「こいつを昇格させるよりも、頑張っている若手を昇格させよう」という力学が働くんです。
それも無意識的に。これは、すごいことだなと思って。
小松:
好き嫌いというか、応援される選手とされない選手の違いを生むのが、挨拶、義理、約束の三つだということですね。
高森:
プロの世界なので、当然野球が上手い人はたくさんいて、ほとんどの場合は紙一重の実力差なのですが、この三つが出来ているかどうかで、成功出来るかどうかの違いが生み出されていることに気づいた時に、これは他のどの業界でも同じなのではないかと思ったんです。
結局、人生で成功するための条件とは、野球が上手いとか、仕事が出来るとかいう“スキル”ではなく、“人間性”なのではないかと。
東:
成功するためには、スキルの有無や巧拙は重要条件ではあるけれども必要条件ではなく、人間性こそが必要条件なのだということでしょうか?
高森:
必要条件というよりは十分条件に近いイメージですかね。
私はプロ野球の世界を観察してきたことで、この本質を理解していたので、現役を引退して、違うフィールドで戦うことになったとしても、この三つをやっていけば成功出来るだろうという自信があったんです。
“最底辺”の“落ちこぼれ”の経験
小松:
もう一つの学びである“組織論”についてもお聞かせいただけますか?
高森:
私が入団した当時の横浜ベイスターズはとても弱くて、在籍した6年間のうち、5年間が最下位で、4回監督が交代しました。
私はそのチームの二軍選手だったので、十二球団で最も弱い組織を経験するという大変貴重な学びを得ることが出来たんです。
東:
チームが弱いという現実の捉え方が非常にポジティブですね(笑)
僕も実業団チームの大崎電気に入団した当初は、二部リーグとの入れ替え戦に出るような弱小チームの補欠選手だったので、弱小チームと強豪チームの組織というか、文化の違いを経験出来たことは、人生における大きな強みになっています。
高森:
当時の私はプロ野球選手として最底辺、超落ちこぼれの存在だったわけですが、私の人生においては最底辺の存在になるなんてことは最初で最後だろうと思ったんです。
最底辺に位置している人間のメンタリティなんて、究極の経験なわけですから、しっかりと覚えておこうと思っていました。

小松:
そこまで客観的に考えられていたのですね。
高森:
そこで私が気づいたのは、“落ちこぼれ”とは、本人のパフォーマンスの良し悪しの問題ではなく、組織のストレスが原因で、周囲がつくりあげる存在だということです。
もちろん、全てを引き起こすのは本人の責任、という前提があってのことですが。
東:
どういう意味でしょうか?
高森:
組織が求める結果が出ないストレスを一人に集中させることで他の人を上げるために“落ちこぼれ”という存在をつくりあげるわけです。
小松:
いわゆる“スケープゴート”ですね。
高森:
ですから、“落ちこぼれ”も、組織において意外に重要な役割なのだと思いました。この弱い組織のストレスを、自分が全て引き受けているのだと考えれば、とても重要な立場だなと。
東:
とはいえ“いじめ”を受けているようなものですから、かなり辛いですよね?
高森:
はい。今振り返ると、その頃は“うつ”のような状態だったのでしょうね。
ある日、手相を見てもらったのですが、「あなた、身内が今年亡くなった?」と尋ねられて、「いえ、誰も」と答えたところ「自分を殺そうとしたのね」と真顔で言われて。
自殺しようと思ったことはないのですが、その人によれば四度くらい死にかけているらしいです(笑)
確かに辛かったですが、今になってその体験がとても活きています。
小松:
筆舌に尽くし難いような過酷な体験をなさってこられたのですね…
現在、どのようにその体験を活かされているのでしょうか?
高森:
「すごい会議」におけるマネジメントコーチの仕事を進める上では、経営者を始め主に企業のトップチームと会話をすることになりますが、実際に企業を支え、動かしているのは現場で働いている方々です。
クライアントを変え、圧倒的な成果を出すためには、トップが変わり、リーダーが変わり、現場の一人ひとりが変わる必要がありますから、組織におけるストレスがかかる方々の立場や気持ちを実体験として知ることが出来たことで、他のコーチやコンサルタントにはない強みを得ることが出来ましたよね。
東:
スポーツでも仕事でも、出来ない人の気持ちは出来る人にはなかなか理解出来ないですからね。
様々な立場の方々の気持ちに寄り添えるようになったという意味では、素晴らしい経験だったのでしょうね。
高森:
どんなに過酷な状況の中でも「今、自分は何を得ているのか」と視点をもって考えるのが大切なのだと思います。
小松:
お話を伺っていると、高森さんにとってのプロ野球の世界は、選手として華やかに活躍した晴れ舞台ではなく、過酷なストレスをご経験なさった辛く苦しい場所だったようにも感じるのですが、戦力外通告を受けた際にはどのようなお気持ちだったのでしょうか?
高森:
良いタイミングでクビになれたと思いました。
私はプロ野球の世界に入った時からプロ野球選手は一生の職業ではないと考えていましたし、将来的には必ず何かを成し遂げる人間になると決めていましたから。
東:
プロ野球の世界はあくまで人生における“通過点”だと考えられていたわけですね。
高森:
五万人の前でおこなわれる真剣で斬り合うような一対一の勝負のひりつく感じと、無言で交わされる魂のやり取りは絶対に他の場所では出来ない経験でした。
本当に生きるか死ぬかでやっていましたから。あの尋常ではないストレスの中に六年間身を置けたという何にも代えがたい経験を得たことで、私の人生にとってのプロ野球は十分なんです。
引退後の二年間のために
小松:
話は少し変わりますが、引退後に困ったことがあれば教えていただけますか?
高森:
最初は人との信頼関係の築き方がわからなくて困りました。名刺交換やアポイントを取る方法を知らないですから、誤解されてしまうことも多かったですね。
東:
プロ野球選手やトップアスリートの方々は名刺をお持ちでないことが多いように感じますね。お持ちだとしても、連絡先が記載されていない場合もありますし。
高森:
私も現役選手の頃には名刺を渡されても「ありがとうございます!私名刺ないんですよ。すいませーん!」みたいな感じでした(笑)
その後のご挨拶や約束の仕方も知らないので生意気に感じた方もいらしたと思います。でも、自分としては何が生意気なのかもわからないんですよね。
小松:
周りに指導やアドバイスをしてくれる先輩などはいらっしゃらなかったのでしょうか?

高森:
いませんでしたね。
東:
ある種一般社会とは隔絶している特殊な世界ですものね…
逆に、引退後にこれのおかげで助かったというものがあればお教えいただけますか?
高森:
まとまったお金、蓄えですよね。現役選手にも必ず伝えるようにしているのですが、引退後に2年間は何もしなくても生活していけるだけの準備をしておくことが大切なんです。
小松:
なるほど。なぜ、2年間なのでしょう?
高森:
私が思うに、セカンドキャリアで失敗する原因は初動なんです。
お金が無ければ、生活していくために働かなければならないですよね。
でも、最初は何が自分に向いているかなんてわからないんです。
それでも、とにかくお金を稼がなければいけないので、何でもいいからと目の前の仕事に挑戦してみるのですが、なかなかうまくいかずにどんどん自信を無くしていってしまい、働くのが嫌になってしまう。
これがセカンドキャリア失敗のモデルケースです。でも、とりあえず働かなくとも暮らしていけるお金があれば、余裕をもってキャリアをシフトしていけるんです。
東:
なるほど。生活費を稼ぐためにとりあえずやりたくなかったり向いていない仕事に就くのではなく、一旦落ち着いて新たなキャリアに踏み出すための準備が出来る期間を設けることが大切だと。
高森:
生活費のためにあせってよく分からない仕事で働き始めるのではなく、様々な勉強をしたり、色々な人と出会うことでプロ野球以外の世界を知り、その中からゆっくりと自分のやりたい仕事、自分に合った仕事を見つけるための期間をつくるためにも、お金を蓄えておくことはとても重要なんです。
私は700万円を貯めていましたので、引退後に何もしなくとも350万円の生活を二年間出来る状態でした。
一年では短いかも知れませんが、二年もあればきっと何か見つかりますし、やりたいことさえ見つかれば、元プロ野球選手やトップアスリートはどんな世界でも絶対に活躍出来ると思いますよ。
媒介し、ブレイクスルーを起こす
小松:
さて、それではここで改めて現在の高森さんの活動を“その後のメダリスト100キャリアシフト図”に当てはめてみますと、株式会社HERO MAKERS.の代表取締役が経営者で「C」の領域、ライターとしての執筆活動などが「D」の領域と、野球選手としてのスキルとは最も遠い領域でお仕事をなさっていることが分かります。
東:
また、今回は文字数の都合でご紹介出来ませんでしたが、今後は幅広い知見と力強いリーダーシップを活かして、野球におけるアジアマーケットの開拓や、アスリートのセカンドキャリアをサポートするためのプラットフォームづくりの分野でのご活躍も楽しみです。
小松:
弁舌さわやかでルックスも素敵なので、今後ますますメディアでのご活躍も増えるのではないでしょうか。

注1)親会社勤務とはいわゆる企業スポーツである実業団チームで自らが所属していた企業で一般従業員として勤務していること
注2)親会社指導者とはいわゆる企業スポーツである実業団チームで自らが所属していた企業の指導者を務めていること
注3)プロパフォーマーとはフィギュアスケート選手がアイスダンスパフォーマーになったり、体操選手がシルク・ドゥ・ソレイユのパフォーマーとして活動していること
注4)親会社以外勤務とは自らが所属していた実業団チームを所有している企業以外で一般従業員として勤務していること
東:
さて、それでは最後のお願いになりますが、野球という競技名を使わずに自己紹介をしていただけますか?
高森:
私は“媒介者”です。人や企業を、最適な人や場所や仕事に的確な判断でマッチング出来る人間で、その企業や人の良さを誰よりも説得力のある言葉で説明出来ますので、媒介力に自信があります。
小松:
様々な人や企業が高森さんを媒介とすることによって、圧倒的な成果を出すわけですものね。
東:
僕も今日は大きなブレイクスルーを起こしてもらえました。
高森:
私のブレイクスルーはずっとお会いしたかった小松成美さんにお会い出来たことです。
いつも楽しみに著書を読ませていただいていましたので、本当にお会いしたかったんです。
小松:
ありがとうございます!こちらこそ光栄です。
東:
このインタビュー企画は、毎回凄まじいエネルギー交換がおこなわれますが、今回は特にすごかったです(笑)ありがとうございました!

高森:
ありがとうございました!
(おわり)
編集協力/設楽幸生

インタビュアー/小松 成美 Narumi Komatsu
第一線で活躍するノンフィクション作家。広告会社、放送局勤務などを経たのち、作家に転身。真摯な取材、磨き抜かれた文章には定評があり、数多くの人物ルポルタージュ、スポーツノンフィクション、インタビュー、エッセイ・コラム、小説を執筆。現在では、テレビ番組のコメンテーターや講演など多岐にわたり活躍中。

インタビュアー/東 俊介 Shunsuke Azuma
元ハンドボール日本代表主将。引退後はスポーツマネジメントを学び、日本ハンドボールリーグマーケティング部の初代部長に就任。アスリート、経営者、アカデミアなどの豊富な人脈を活かし、現在は複数の企業の事業開発を兼務。企業におけるスポーツ事業のコンサルティングも行っている。
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