2025.01.26
“より美しく“を目指す 元新体操団体日本代表キャプテン・田中琴乃
Profile
田中琴乃(たなか・ことの)
1991年大分県生まれ。五歳のときに両親の勧めで新体操を始める。小学六年生で大分県大会優勝、九州小学生大会で三位に入り、本格的に新体操に取り組む。2006年、中学三年生でブルガリア・バルナ国際でジュニア個人総合二位、全日本ジュニア選手権個人総合・団体優勝という成績を残し、新体操ナショナル選抜団体チーム(フェアリー ジャパンPOLA)に加入。十五歳から親元を離れ、フェアリー ジャパンPOLAの一員として東京で食事は自炊、一日約八時間を週六回と練習漬けの共同生活を送った。2008年北京大会でオリンピック初出場。総合十位。2009年世界選手権終了後、ロンドンオリンピックを目指し、一新されたチームのキャプテンに任命され、二大会連続での出場・六位入賞に貢献。2013年4月に開催されたユニバーシアード予選大会での四位入賞を最後に現役を引退。その後、株式会社ポーラに入社。社業と並行し、フェアリー ジャパン POLA美容コーチとしても活躍し、現役選手のサポートを行った。2017年11月に株式会社ポーラを退社。現在は、新体操日本代表フェアリー ジャパンPOLA アドバイザーや日本体操協会アスリート委員会、日本スポーツ振興センター スポーツJAPANアンバサダー、日本ボッチャ協会ボッチャキャラバンアンバサダーなどの立場で、新体操競技の普及振興、スポーツの素晴らしさを伝える活動をしている。
東:
様々なアスリートの現役を終えた“その後の人生”に迫るインタビュー連載“表彰台の降り方。〜その後のメダリスト100〜”。今回は新体操のオリンピアンとして活躍し、新体操団体日本代表のキャプテンを務めた田中琴乃さんをお迎えしております。
小松:
田中さんは新体操の日本代表選手として2008年の北京、2012年のロンドンと二度のオリンピックに出場。
2009年からは“フェアリー ジャパン POLA(新体操団体日本代表の愛称)”のキャプテンも務められました。
東:
2013年に現役を引退し、翌年に株式会社ポーラ(以下、POLA)に入社。
美容研究室のお仕事をなさった後、宣伝部で広報・PR業務を担当。現在は退職なさっていますが、引き続きアドバイザリー契約を結んでいらっしゃいます。
小松:
また、長きにわたりフェアリー ジャパン POLAの美容コーチとして、現役選手のメイクにも携わられています。
東:
現在の田中さんの活動を“その後のメダリスト100キャリアシフト図”に当てはめると、フェアリー ジャパン POLAの美容コーチが「A」の領域、日本体操協会のアスリート委員会のお仕事が「B」の領域、メディア出演や講演活動などが「C」の領域、解説者などのお仕事が「D」の領域と、全ての領域でお仕事をなさっていることが分かります。

注1)親会社勤務とはいわゆる企業スポーツである実業団チームで自らが所属していた企業で一般従業員として勤務していること
注2)親会社指導者とはいわゆる企業スポーツである実業団チームで自らが所属していた企業の指導者を務めていること
注3)プロパフォーマーとはフィギュアスケート選手がアイスダンスパフォーマーになったり、体操選手がシルク・ドゥ・ソレイユのパフォーマーとして活動していること
注4)親会社以外勤務とは自らが所属していた実業団チームを所有している企業以外で一般従業員として勤務していること
INDEX
“美しさ”を競う
小松:
田中さんが現役を引退されてから化粧品会社へ入社なさったのは、“新体操”という競技が“美”と関わりが深いからなのでしょうか?
田中:
おっしゃる通りで、新体操と“美”は密接な関係があります。
新体操は選手が表現した演技を審判が採点する競技ですが、一つひとつの技に対しての技術的な難度はもちろん“美”という要素が採点の際の大きなポイントになっているんです。
東:
技の難しさだけではなく、美しさが得点の高低を左右するということですか?
田中:
そうですね。一連の動きだけではなく、姿勢であったり、手足の末端までの美しさや表情までが採点に含まれますので、練習時はもちろん、日常生活においても、常に自らの姿勢や表情を意識して、鏡で自分がどう見えているのかを確認することが大切になります。
小松:
常に美しく振る舞うことも練習の一環なのですね。
一昨年の年末に2014年から四年半お勤めになったPOLAを退社なさったそうですが、現在はどのような働き方をなさっているのかお教えいただけますか?
田中:
現在は株式会社プラミンという主にアスリートをマネジメントする会社に所属して、お仕事をマネジメントしていただいています。
POLAさんとも引き続きアドバイザリー契約を結んでお仕事をさせてもらっています。
“メイクの力”を伝える
東:
“美容コーチ”のお仕事とは、どのような内容なのでしょうか?
田中:
新体操における“美容コーチ”は、選手が試合時に施すメイクを考えたり、メイク品の開発をおこなったり、選手にメイクの方法やスキンケアを指導する仕事です。
小松:
日本代表チームの選手たちへ向けて、メイクに関わるご指導をなさっているのですね。
田中:
はい、新体操日本代表チームは“フェアリー ジャパン POLA”と呼ばれていますが、15歳〜25歳の選手たちを対象に指導をしています。
彼女たちは週6日、毎日8〜9時間練習をしているのですが、試合や練習時の緊迫した“オン”の精神状態を、試合や練習が終わった後に、スキンケアやメイクを通してどうやって“オフ”にするのかなど、選手の精神面のコントロールに関わる活動もしています。
東:
元選手でオリンピックも経験なさっている田中さんの指導であれば、選手たちも素直に耳を傾けるでしょうね。
田中:
確かに競技実績は選手との関係性をつくるのを助けてくれましたが、最初は美容コーチというお仕事が自分に務まるのか本当に不安でした。
でも、1年、2年、3年と続けていく中で、段々と意識が変わっていきました。
小松:
どのように意識が変わったのでしょうか?
田中:
私ならではの仕事をしようと思ったんです。
東:
田中さんならではのお仕事、ですか?
田中:
はい。美容コーチの先輩方は新体操の経験がない“美容のプロフェッショナル”ですから、どちらの立場も経験したことのある私が先輩方と選手たちの架け橋になろうと思い、選手の気持ちが理解出来ることを活かしたアプローチをしたり、美容コーチの立場での想いを選手に伝えるといった自らの強みを活かしたサポートをさせていただくことで、自信がつき、仕事を円滑に回すことが出来るようになっていきました。

小松:
まさに田中さんにしか出来ないお仕事ですね。
田中:
表情ひとつ取ってみても、選手たちがとても変わったので、「美容コーチになってくれてありがとう!」「メイクがすごく力をくれたと選手たちに言ってもらえた!」と先輩方に言っていただけた時には、改めてやりがいのある仕事だと実感しました。
東:
メイクがもつ力は、非常に大きいのですね。
田中:
また、シーズンの始まりの試合は演技を新しくして舞台に上がることも多く、選手はとても緊張してしまうものなのですが、そんな時に指導した選手から「今回、言われた通りにリップを塗ってみたら、心がぐっと上がった気がしました」という言葉をもらえて…その時はまるで自分のことのように嬉しかったですね。
心身のコンディションを整える
東:
田中さんも現役時代には美容コーチに助けられてきたのでしょうか?
田中:
もちろんです。私自身、現役時代にメイクやスキンケアに力をもらってきましたので、それが引退後に「化粧品会社で働きたいな」と思うきっかけになったんです。
私の考えたメイクやスキンケアで、後輩である彼女たちのかけがえのない一瞬をサポート出来れば、こんなに素晴らしいお仕事はないと考えていたので、それが現実になった時には、とてもやりがいを感じました。
小松:
とても素敵なお話ですね。田中さんは選手たちの“競技力”と“美しさ”を共に引き上げる一助となる素晴らしいお仕事をされているのですね。
かなり希少なお仕事だとは思うのですが、新体操だけではなく、他の競技にも広まるといいですね。
田中:
確かにそうですね。新体操以外にも“美しさ”を求められる競技はあると思いますので、潜在的なニーズはあるのではないかと思います。
東:
アスリートにとって、肉体的なコンディショニングはもちろん、精神的なコンディショニングも非常に重要ですが、田中さんのお仕事はどちらかと言えば精神的なコンディショニングを整えるためのサポートになりますね。
小松:
美容はもちろん、メンタル面のアドバイザーですよね。
メイクによってどれだけ気持ちが上がるのかは、まだまだ男性だと分かりづらい部分がありますし、女性でも、オリンピックという世界最高峰の舞台で心身をコントロールしてきた田中さんだからこそ伝えられることがあると思います。
東:
確かに僕にはメイクをする女性の気持ちは分かりづらいですね。
小松:
ほんの少しグロスを塗るだとか、春になったらメイクを春らしくするだとか、ちょっとしたことで、女性は全然気分が変わりますものね。
田中さんは、トップアスリートとしての経験を活かして、究極の舞台で戦う選手たちのメンタルを仕上げる領域で活躍していらっしゃいますが、その経験を活かせば、アスリートのみならずこの国の全ての女性のメンタルを上げることも出来るのではないかと思います。
田中:
ありがとうございます。POLAもそういった部分を意識しているようです。
私はトップアスリートが持つ心身のコンディションを整えるためのスキルをアスリート以外の方々にも身につけていただくことが、世の中の人のために役立つと思っていまして、新しく始めた美容コーチ以外のお仕事でも、そういった部分を意識して取り組ませていただいています。
東:
アスリート以外の方々へ向けての美容セミナーなども実施なさっているそうですね。
田中:
はい、新体操で培ってきた経験と技術を活かして、目が小さかったり細かったりする場合でも大きく見せられるメイクや、個々人の骨格に合わせたメイクなどの指導を始め、四十〜五十代の方がピンク系のものを身につけると若々しく可愛らしい印象に見えますといったようなカラーコーディネーター的なアドバイスなどもさせていただいています。
小松:
ご自身の経験を活かして、多くの女性がより美しくなるお手伝いをなさっているのですね。

田中:
現役時代に学んだメイクの方法を引退後に役立てることが出来ましたし、化粧品関係のお仕事をさせていただいたことでますます理解を深めることが出来ました。
この経験と知識を、フェアリー ジャパン POLAの選手たちはもちろん、一般の方々にもお伝えする機会をいただけているのは本当にありがたいです。
東:
とてもやりがいのあるお仕事ですね。ちなみにメイク以外、競技力向上の面についてもご指導はなさっておられるのでしょうか?
田中:
オリンピックを目指すような第一線の選手たちに技術面を指導する機会はありませんが、全国各地のクラブチームなどにお声をかけていただいて、そちらで指導させていただくことはあります。
メイクで“オン”と“オフ”を切り替える
小松:
なぜ、競技の指導ではなく、美容の面で選手をサポートする道を選択なさったのでしょうか?
何かきっかけがあればお教えいただけますか?
田中:
先ほども少しお話しましたが、私が化粧品会社で働きたいと思ったのは、現役選手の頃に“メイク”が私を救ってくれたと感じたからなんです。
私はとても緊張しやすくて、試合前にはいつもドキドキして落ち着かなくなってしまうのですが、その時に緊張を解きほぐしてくれたのが“メイク”だったんです。
東:
どんな風に解きほぐしてくれたのでしょうか?
田中:
とある試合の前、いつものように緊張してドキドキしていた時に、コンパクトを開き、鏡を見て、リップを塗りながら、自分自身に「出来る」と言い聞かせたことで、背中をポンと押されたような気持ちになって、落ち着いて試合を迎えることが出来たんです。
小松:
リップを塗って、唇が変わったことで、緊張した自分から試合に臨む自分に切り替えることが出来たのでしょうか?
田中:
そうなんです。もし、そこで切り替えられていなかったら、おそらくひどく緊張したまま本番をむかえて、思うような演技ができずに失敗してしまったと思います。
また、それと同時に、私は試合で一旦スイッチを“オン”にすると、ずっと緊張状態のままになってしまうんです。
小松:
分かります!私もオンとオフの切り替えが苦手で…
東:
小松さんのお仕事への集中力はトップアスリートが競技に向かう集中力に勝るとも劣らないでしょうから、切り替えも大変なのでしょうね。
田中:
試合に集中することはもちろん大切なのですが、試合が終わってからは、しっかりと“オフ”に切り替えられないと、睡眠の質も下がってしまいますし、結果的にそれが次のパフォーマンスに悪影響を及ぼすという負のスパイラルに陥ってしまいかねないですよね。
小松:
次に向かうために、しっかりと休むことも仕事のうちですものね。
田中:
フェアリー ジャパン POLAは一年中共同生活をしているので、自分一人の時間をなかなか取ることが出来ませんでした。
唯一、一人になれる場所がお手洗いかお風呂でしたので、お風呂でメイクを落とし、洗顔フォームの泡を顔につける瞬間が、私の“オフ”のスイッチだったんです。
東:
なるほど。お風呂でメイクを落とした瞬間に、競技者としての田中琴乃さんから文字通り素顔の田中琴乃さんに戻ることが出来るのですね。
田中:
素の自分になれるということですよね。これはアスリートに限った話ではなく、全ての女性に言えることだと思います。
誰しも“ここぞ!”という時にはバッチリとメイクを決めますし、逆に自分を労わる時間にはメイクを落として素顔になりますよね。
この両方は女性にとって絶対必要だと思うんです。それで、メイクに携わるお仕事がしたいと思って、現役引退後にPOLAの入社試験を受験したんです。
小松:
POLAからオファーがあったわけではないのですか?
田中:
いえ、私から志望して、普通に採用試験を受けました。
四回の面接を経て、入社することが決まった時には本当に嬉しかったです。
東:
それは意外ですね…実業団選手として企業名を背負って競技に取り組み、引退後にその企業の従業員として社業に専念するというパターンはよく伺いますが、田中さんの場合は、現役時代には全く縁のなかった会社に通常の採用試験を受けて入社なさったわけですよね。

小松:
POLAのような大手化粧品会社に入社するのは、かなり狭き門ですが、素晴らしいですね。
“美”を学び、伝える
田中:
運良くPOLAに入社することが出来て、最初に配属されたのは美容研究室という部署でした。
小松:
美容研究室とは、どのような部署なのでしょうか?
田中:
簡単に言えば“美”について学び、研究する部署です。例えば、お肌の構造や化粧品の開発過程から正しい使い方に至るまで、1年間、基礎から徹底的に勉強させていただきました。
東:
最初に“化粧品”や“メイク”とは何なのかについて基礎から学んだのですね。
田中:
そうなんです。最初にこちらの部署に配属されたのは本当に幸運だったと思います。美容研究室で一年ぐらい基礎的なことを学んだ後、翌年には宣伝部へ異動になりました。
小松:
宣伝部は、POLAにおける広報・PRを担当する部署ですね。
美容研究室とは異なる業務内容だと思いますが、いかがでしたか?
田中:
宣伝部では、様々な社会勉強をさせていただきました。
これまでの人生では、ほぼ新体操の選手としてのみ生活をしてきたので、今まで知ることのなかった世の中のことを色々と学ばせていただきましたし、先輩方と協力して、一つのものをつくり上げていくというプロセスについても経験し、仕事をするということについて深く考えることが出来たように思います。
東:
美容研究室はどちらかといえば社内で化粧品について勉強をするための部署のような印象がありますが、宣伝部は外部の顧客との関わりが出て来ますので、ここで初めてしっかりと社会人としてお仕事をなさったという感覚があったのかも知れませんね。
フェアリー ジャパン POLAの美容コーチのお仕事はいつから始められたのでしょうか?
田中:
宣伝部で広報・PRのお仕事をしながら、平行して美容コーチを務めていました。
小松:
同時並行的になさっていたのですね。
広報・PRのお仕事は外部の方々との接点も多いでしょうから、選手として世界最高峰の舞台に立ち、最大限の緊張を味わったり、多くの人に見られてきた経験が役に立つ場面も多かったのではないでしょうか?
田中:
確かに人前に出る場面もありましたが、本番に強いというか、物怖じはしませんでしたね(笑)
急に「原稿読んで!」とか「モデルをやって!」といわれても「わかりました!」と即答していましたし、どんな場面でも、自分が今何を求められていて、どの程度やらなくてはいけないのかということを瞬時にある程度理解して、落ち着いて行動することが出来たのは、トップレベルで競技を続けてきた経験が活きたのかも知れません。
東:
選手を引退なさった後、自らが現役時代に助けられた“メイク”や“スキンケア”の持つ力を広く伝えるため、非常に狭き門を突破して入社したPOLAで“美”に携わり、多くの女性を輝かせるお仕事に就かれていた田中さんでしたが、2020年の東京オリンピック・パラリンピックを前に次なるステージを選択なさいます。
小松:
なぜ、田中さんが自らの経験や才能を活かせる企業との幸福な出会いに恵まれたにも関わらず、新たな挑戦に踏み出したのか。そのあたりからお話を伺ってまいります。

田中:
宜しくお願い致します。
小松:
新体操という競技と“美”との密接な関わりから、自らが現役時代に助けられた“メイク”や“スキンケア”の持つ力を広く伝えるため、非常に狭き門を突破して入社したPOLAでのお仕事についてのお話を伺ってまいりましたが、2020年の東京オリンピック・パラリンピックを前にPOLAを退職なさって、次なるステージに踏み出されたところからお話を伺ってまいります。
一度きりの人生、一生に一度の機会
東:
2013年10月に現役を引退なさった後、四年半に渡り勤務なさったPOLAを2017年に退職なさったのには、どのような理由があったのでしょうか?
田中:
POLAでのお仕事は本当に充実していました。週五日の朝から夕方までの勤務以外にも、業務に支障がなければ、新体操のコーチや試合の解説のお仕事もしてもいいという許可をいただいていましたし。
ただ、2020年の東京オリンピック・パラリンピックが近づく中で、勤務している日中に新体操のお仕事のオファーをいただくことが増え始めまして。
小松:
オリンピアンによる訪問教室、日本全国で開催されていますものね。
田中:
もちろん、日中はPOLAの業務がありますので、新体操関係のオファーをお断りしていました。
そんな状況が続いていた中で、会社への愛着や化粧品への興味はもちろん変わらないのですが、一生に一度、自国開催のオリンピック・パラリンピックを前にして、私自身がもっと新体操の普及活動に取り組み、スポーツの素晴らしさを伝えることが、今の私にとっての役割なのではないかと思い始めたんです。
そこで会社に自分の想いを伝えたところ、正社員としての契約ではなく、年間のアドバイザリー契約という形で、新体操を広める活動や、解説をするという道に繋がりました。
東:
POLAでのお仕事も、もちろんやりがいがあり、充実しているけれども、自国開催のオリンピックを前に新体操を始めスポーツ界が一丸となって盛り上げようとしている今、自分が本当にやるべき仕事がなんなのかを考えたうえでの決断だったのですね。
田中:
そうですね。一度きりの人生ですから後悔のないように、今は東京オリンピックに関わる活動により注力すべきだと考えて、決断しました。
小松:
とても大きな決断だったと思いますが、完全に関係が切れてしまうのではなく、現在でもアドバイザリー契約を結んで関わっていらっしゃるというところに、田中さんとPOLAとの強い信頼関係が感じられますね。
田中:
わがままを快く受け入れていただいた会社には、心から感謝しています。
トップアスリートの経験の価値
小松:
POLAを退職なさってからはどのようなお仕事をどのような割合でなさっているのでしょうか?
田中:
POLAとのお仕事の他には、JSC(日本スポーツ振興センター)のスポーツアンバサダーや、全国各地での新体操のコーチ、講演、試合の解説やタレント活動などのお仕事をしています。
東:
その中でも一番楽しいと感じているお仕事があればお教えいただけますか?
田中:
最近、講演をさせていただく機会が増えた中で、私の体験談を聞きながら、思わず感極まってくださる方もいらっしゃったり、何よりありがとうと言っていただけたりすることで、自らの想いが相手に伝わったのだなと感じ、経験談に共感してくださったり、感激してくださることにとてもやりがいを感じています。
小松:
田中さんの講演、是非伺ってみたいです!
ご自身ではどのような部分に共感や感激をしていただけているのだとお考えですか?
田中:
実は、“これ”といった明確な部分は分からないのですが、私自身にしてみれば、競技者として当たり前にやってきたことが、一般の方々にとってみると、それが当たり前ではないことがあるんですよね。その部分なのではないかなと。
東:
トップアスリートの常識が一般の方々の非常識という部分はありますよね。
逆も然りで、良し悪しもあるとは思うのですが、世界を目指して必死で努力を積み重ね、様々な挫折を乗り越えていくプロセスや、目標を達成する姿に心を打たれるのではないでしょうか?
小松:
田中さんを始め、トップアスリートの辿ってこられた道は多くの方々に感動と勇気を与えられると思います。
田中:
ありがとうございます。自らが競技を通じて経験してきたことの価値については、私自身も現役引退後に初めて気づきましたので、最初は上手に話すことが難しくて、今でも上手く伝えられているかわからないのですが、何年か前にとある学校に講演に伺った際に、不登校だった生徒がその日は学校に来てくれて。
当日は保健室までしか来られなかったので、講演が終わってから保健室で踊ったりお話をしたんですね。
すると、その生徒が翌週から少しずつ学校に来られるようになって、三ヶ月後には同じ学年の子どもたちと修学旅行に行ったという話を聞いた時に、私が生徒にかけた言葉の、どの言葉が響いたのかはわからないのですが、私のアクションが、誰かの人生が変わるきっかけに携われたことをとても嬉しく思いました。

オリンピック 第30回オリンピック競技大会(2012/ロンドン) 体操競技 新体操 団体 決勝 日本チーム ウェンブリー・アリーナ/ロンドン/イギリス クレジット:フォート・キシモト 2012年8月12日 Olympic The Games of the XXX Olympiad London 2012 Rhythmic Gymnastics Group All-Around Final JAPAN Team Wembley Arena/London/United Kingdom Credit:PHOTO KISHIMOTO 12/08/2012
小松:
おそらくその生徒は、田中さんに興味があって、どうしても会いたくて、勇気をふりしぼって学校に向かったのでしょうね。
東:
そして、学校で実際に田中さんに出会い、踊る姿を見て、話を聞いたことで、人生が変わったわけですものね。素晴らしい出会いでしたね。
小松:
そして、そのような出会いをこれからもつくっていくお仕事をなさっているということですよね。
東:
自らの経験談を伝えることで、私も頑張ろう!と思うきっかけをつくることが出来るのは、アスリートが持つ大きな力の一つだと思います。
新体操をより広く伝える
小松:
次に、新体操の指導のお仕事についてもお聞かせください。
日本代表の候補になるようなトップレベルの選手たちを指導するのも、もちろんやりがいがあると思うのですが、現在の田中さんは趣味の延長線で新体操に取り組んでいる子どもたちや、新体操とは全く縁のない一般の方々にもご指導なさっているとのことですが、それぞれどのような印象をお持ちなのでしょうか?
田中:
そうですね、トップレベルの選手たちについては、指導というよりも日本代表の先輩として味の素ナショナルトレーニングセンター(以下、ANTC)に行って、第三者的な目線で伝えられることを伝えていますし、趣味で楽しんでいるレベルの子どもたちには、基礎をしっかりと身につけないと、トップ選手のように美しく動けないよということを伝えています。
東:
子どもたちのレベルに応じた指導をなさっているのですね。
競技レベルによって子どもたちに違いは見られますか?
田中:
いえ、競技のレベルに関わらず、子どもたちはとても素直で、私の一言一句を真剣にインプットして、必死にアウトプットしようとしてくれます。
子どもたちの実直な姿を見ると、私も学ぶ部分が非常に多いですし、感心しますね。
小松:
きっと、田中さんの真摯な思いが、子どもたちに伝わっているのだと思います。
子どもたちだけではなく、大人の方々にも新体操に触れる機会をつくっていらっしゃいますよね。
田中:
はい。昨年は世田谷区で、新体操を通じて姿勢が良くなるトレーニングの講師を週一回務めさせていただきました。
最初はみなさん、難しい、出来ないと嘆いていらしたのですが、トレーニングを続けていくと、少しずつ出来るようになり、だんだんと姿勢も良くなっていき、自信をつけていただけたようで、とても喜んでもらえました。
東:
新体操のトレーニングをすることで、美しい姿勢を身につけられるのですね。
田中:
そうなんです。参加者の方から、嬉しいお手紙をいただいたりもして、新体操のもつ新たな可能性を感じることが出来ました。
小松:
どのような内容のお手紙だったのでしょうか?
田中:
“新体操のトレーニングを通じて、姿勢が良くなって、雰囲気も変わりました。
それが夫にも伝わったようで、「きれいになったね」と言ってもらえて、すごく幸せです”と書かれていたんです。
新体操を、こんな風に一般の方々の幸せに役立てることも出来るのだと感じられて、本当に嬉しかったですね。
東:
美しくなった奥様も、旦那様も、家族全てが新体操を通じて幸せになったわけですね。
小松:
美しい姿勢は心と体の健康にも繋がりますから、本当に素晴らしい活動ですね。私も田中さんに教わりたいです!
田中:
いつでも歓迎します(笑)

新体操で勝つということ
東:
続いて、現役時代のお話について伺ってまいります。
世界のトップを目指して競技に取り組んでいた頃は「この人より上手にならなければいけない」「この国に勝たなければ」「成績を残さないと」というプレッシャーの中で戦っていたと思いますが、どのような生活をなさっていたのでしょうか?
田中:
現役選手の頃は、何不自由無い環境の中で競技のみに集中する生活を送っていました。
ANTCの充実した施設の中で、一日に八時間でも九時間でも、いつでもどれだけでも練習出来ましたし、食事も徹底的に栄養バランスが考えられたものをつくっていただいていました。
寝るのも、お風呂に入るのも、トレーナーにケアしてもらうのも全て同じ場所でしたので、非常に効率的に競技に取り組むことが出来ていましたね。
小松:
素晴らしい環境ですね。
田中:
それだけの環境を用意していただいたからには結果を出さなければいけないのですが、2008年に出場した北京オリンピックでは団体総合10位に終わってしまい、目標を達成することが出来ず、非常に悔しい思いをしました。
東:
北京大会を終えた後、田中さんはフェアリー ジャパン POLAのキャプテンに任命されるわけですが、そこからどうやって気持ちを切り替え、次のロンドン大会に向かっていったのでしょうか?
小松:
東さんもハンドボール日本代表を務められていたご経験をお持ちですが、国を背負う代表チームのキャプテンを務めるということには大きな責任と重圧が伴うと思います。
キャプテンに就任して、変わったことがあれば教えていただけますか?
田中:
最初、当時の外国人監督にキャプテンに任命された時にはお断りしようと考えていたんです。
キャプテンはチームの中で完璧な存在でいなければいけないというイメージがあって、一年中共同生活をしていかなければいけない中で、競技のうえで完璧でいることはもちろん、弱音も吐けず、自分をさらけ出すことも出来ないなんて私にはとても無理だと。
東:
なるほど…キャプテン=チームの中の絶対的なナンバーワンの存在でいなければならないと考えられていたわけですね。
田中:
私の前のキャプテンがまさにそのような存在でしたので。
それで、JOC新体操強化本部長を務めておられた山崎浩子先生(全日本選手権個人総合5連覇、ロサンゼルスオリンピック個人総合8位入賞の実績を持つ新体操の名選手であり名指導者)に、「キャプテンなんて私には出来ません」と相談したのですが、「あなたらしくやればいいのよ」と言ってくださって。
小松:
あなたらしく、ですか?
田中:
私も最初は「あなたらしくって何だろう?」と思いました。でも、良く考えてみると、他の誰かと同じキャプテンにならなければいけないのではなく、自分の考えるキャプテンになればいいのだと言っていただいたのではないかと思います。
東:
僕も前のキャプテンが素晴らしい選手であり人格者だったので、キャプテンに就任した際に、負けないくらいの成績を残して、同じような振る舞いをしなければならないと考えてしまい、本来の自分の良さを無くしてしまった経験があります。
今思えば、これまでの自分の行動や振る舞いを見て、キャプテンに任命していただいたわけですから、その良さを活かしながら、自分ならではのキャプテンになれば良かったのですが…

小松:
人にはそれぞれ個性がありますから、それを活かして自分ならではのキャプテンになっていけばいいのですよね。
田中:
キャプテンになってからは、これまで同様に自分自身のパフォーマンスを向上させることは当然ながら、ロンドン大会で勝利するために、チームをどうしていかなければならないのか?どうすれば勝てるチームになれるのか?ということを考えるようになりました。
キャプテンの仕事
小松:
新体操の団体競技では、選手一人ひとりが個々の技術やメンタルを磨くと同時に、メンバー全員が一つになって、チームとして輝くために信頼関係を築きあげることも大切ですよね。
田中:
はい、新体操の団体競技は、一人だけが輝けば良いという種目ではありませんので、個々がそれぞれ底上げをしていき、チームとしてベストのパフォーマンスが出来るようにしなければいけません。
その中で、誰かがミスをしてしまうこともあります。その時にその人のミスをミスと見せないような周りのサポートも必要とされるんです。
小松:
そんな中でも、試合に出場する選手、出場出来ない選手がいらっしゃるわけですから、厳しい競争もあるわけですよね?
田中:
もちろん、日本代表は日本の新体操選手の頂点ですから、ミスをした選手に対して優しくしたり、サポートをするばかりではありません。
ある日練習態度が良くなくてチーム全体の空気を乱す選手に対して、一選手として信頼出来なくなってしまう出来事があった時、本当はあなたを助けたいけれど、フォローすることが出来ないので、今は出て行ってくださいと練習に参加しないでほしいと伝えたこともありました。
後にも先にも一度だけ。チームスポーツですからね。
東:
チームにとって何が大切なのかを判断して、厳しい言葉を伝えたわけですね。キャプテンとはいえ、同じ選手の立場ではなかなか言い辛い、嫌な仕事ですよね。
小松:
嫌われ役を厭えない立場ですものね。逆に、困ったり、悩んでいる選手をフォローすることもあったのでしょうね。
田中:
そうですね。悩んでいそうな選手を練習後に個別でフォローすることもありました。
後輩の中に辛い時にも全く弱音を吐けない子がいて、心の悩みが演技にも出ていて、チームとしてもマイナスになっていたので、どうすれば彼女の本当の心の声を吸い上げて、弱音を吐いてもらえるのかを毎日考えていた時期があって。
東:
心の声…キャプテンとはいえ、同じ厳しいトレーニングを積んでいる仲間であり、試合に出場する立場を争うライバルでもあるわけですから、なかなか弱音を吐けないですものね。
どのように行動して、本当の心の声を吸い上げたのでしょうか?
田中:
プライベートな時間に彼女の好きなアイドルの話を聞いたり、彼女が見ているドラマをリサーチして、その時間になったら一緒に観たり。
少しずつ一緒にいる時間を増やしていったんです。
そうすると、苦しいことや辛いことがあったときに、少しずつボソッと彼女が話してくれるようになったので、それをただ聴くということから始めたんです。
小松:
弱音を吐かれた時に、元気づけたりアドバイスをするのではなく、ただただ話を聴くようになさったのですね。
田中:
はい、そうすると練習中に悩んだ時に、相談に来てくれるようになったんです。
そんな風に、自分の関わり方によって人が変わっていく姿も見ることが出来ました。その選手は現在も最年長として日本代表を引っ張っていってくれています。
東:
田中さんのアプローチが、一人の選手を変えて、その選手が2017年の世界選手権で銅メダルを獲得したフェアリー ジャパンPOLAを牽引する存在になっているわけですね。
小松:
日本代表チームのキャプテンとして未来につながる素晴らしい仕事をなさいましたね。
田中:
いえいえ、彼女の頑張りがあってこそです。
私自身、キャプテンになったばかりの時には、弱音を吐いたり、弱い部分をさらけ出すと、弱みを握られてしまって、頑張れなくなってしまうんではないかという恐怖があって、チームメイトやコーチにはもちろん、家族にさえ何も相談出来ない時期がありました。
本当に苦しくて、どうしても耐えきれなくなって、家族に弱音を吐いた時、ただただ話を聴いてもらえたことで、とてもすっきりした経験があったので、とにかく寄り添って、話をしてくれるまで待って、話をしてくれるようになったら、とにかく聴こうと。
小松:
自らの経験を活かして、相手の立場になって接したわけですね。
田中:
キャプテンを務めさせていただいたことで、一選手として自らのパフォーマンスを向上させることだけではなく、チーム全体のパフォーマンスを向上させるためにという視点で練習に取り組めたことや、とことん相手の立場になって個々の選手にアプローチしてきた経験は、もちろん失敗もありましたし、辛いこともありましたけれど、人生における大変貴重な経験になりましたし、やらせていただいて本当によかったと思っています。
東:
キャプテンとして臨んだロンドンオリンピックを終えた後、田中さんは現役を引退し、POLAへ入社なさるわけですが、選手時代の経験がどのように“その後の人生”に活きているのかについてお話を伺っていきたいと思います。
小松:
宜しくお願い致します。

田中:
宜しくお願い致します。
小松:
選手時代の経験がどのように“その後の人生”に活きているのかについてお話を伺っていきたいと思います。
”その後”を見据える
東:
さて、今回は現役引退後のお話から伺ってまいります。
田中さんは2013年の10月、日本女子体育大学三年生の時にフェアリー ジャパンを退団されていますが、まだまだ若く、日本代表で競技を続けようと思えば続けられたのではないかと思うのですが、なぜ、このタイミングだったのでしょうか?
田中:
新卒で就職することを考えていました。私は高校二年生で2008年の北京大会、大学三年生の時に2012年のロンドン大会に出場しました。
大学三年生のロンドンオリンピックを終えて、新体操の日本代表チーム フェアリー ジャパン POLAを離れて大学に戻り、大学四年生で部活を引退しています。
大学に戻って卒業までの約一年半は、新体操の個人選手として活動し、学業と部活動を両立し、必要な単位を取得して、空き時間には就職活動をしていました。
小松:
大学卒業後には、競技を続けようとは考えていなかったのでしょうか?
田中:
もちろん新体操は大好きだったのですが、中学生の頃から将来は一般企業で働きたいと思っていました。
ご存知の通り、新体操はトップ選手になったとしてもそれだけで生活をしていける競技ではありません。
小学生の頃から母親に「あなたはオリンピックが終わって、現役を引退した後、何になりたいの?」と言われていたこともあって、常に引退後のことを考えながら競技に取り組んでいたので、このタイミングで選手としてのキャリアを終えることに迷いはありませんでした。
東:
そんなに小さな頃からお母様に引退した後の人生について考えるように言われていたのですね。
田中:
毎年「将来何になりたいか?」をカレンダーに記入するように言われていて、ある年はCA、ある年は秘書になりたいとか書いていました。
小松:
将来の夢を文字にすることで、具体的な目標になさっていたのですね。
田中:
そうなんです。
年齢を重ねるにつれて、CAであれば英語、秘書であれば秘書になるための能力が必要だと分かりますので、それを身につけるために、本を読んだり、勉強をしたりしていましたけれど、最終的には競技生活の中でお世話になった化粧品に携わる仕事がしたいと思い、株式会社ポーラ(以下、POLA)の採用試験を受験することにしました。
東:
なりたいものになるためには、“なりたい”とただ思っているだけではなれず、なるための“能力”が必要で、“能力”を身につけるには“努力”が必要ですものね。
小松:
競技を終えた後を見据えたうえでのお母様の教育方針、素晴らしいですね。
田中:
正直、初めは新体操選手以外の将来の目標を聞かれてもあまりに現実的すぎて、聞く耳を持てなかったのですが、それでも根気強く言い続けてくれたので、少しずつ引退後の人生の目標を考えることが出来るようになりました。
東:
その中で、現役時代の大切な試合の時に緊張を解きほぐしてくれたり、“オン”と“オフ”の切り替えをさせてくれた“メイク”に関わる仕事をしたいとPOLAを志望なさったわけですね。
田中:
タイミングもよかったと思います。オリンピックを目指すトップアスリートは四年のサイクルで競技生活を考えることが多いと思うのですが、私の場合は大学三年生で二度目のオリンピックが終わったので、その後、集中的に大学に通えば、卒業に必要な単位を取得出来るタイミングだったんです。
そこで、日本代表選手としての活動には一区切りをつけて、大学の新体操部に所属しながら、一日最大で七コマ(一コマは90分)の授業に毎日のように出席していました。
小松:
三、四年生で毎日のように七コマの授業に出席しながら、大学の新体操部の練習と就職活動を両立なさっていたのですか!
東:
なぜ、多忙を極めている中で、日本代表としての選手生活には一区切りをつけたにも関わらず大学の新体操部での活動は継続なさったのでしょうか?
田中:
日本女子体育大学には新体操選手として入学させていただいたので、四年生まで活動するのが義務だと思っていたんです。
ただ、新体操部からは団体競技の一員として活動してほしいとのオファーをいただいたのですが、私の中では選手としては一区切りついている状態でしたので、モチベーションの部分で他のメンバーに迷惑がかかってしまうと思い、個人で活動させてくださいとお願いしました。
小松:
誘っていただいた大学への恩返しのためにも、自らがチームにとって最も貢献出来る形を考えて行動なさったのですね。
田中:
はい。ロンドンオリンピック(三年生前期)まではフェアリー ジャパンPOLAとしての活動が主で、大学の新体操部にはほとんど顔を出せていませんでしたので。
2013年4月に開催されたユニバーシアード予選大会での四位入賞を最後に現役を引退するまでは、個人競技の選手として部に所属し練習を行っていました。
その他に、指導者を目指している学生の皆さんに、世界トップクラスの強豪国であるロシアで学んできた技術をお伝えしたり、休日を利用して東京オリンピックの招致活動に参加したりしていました。

東:
選手としての結果を残すだけではなく、北京大会終了後、ロンドン大会を目指す中で、のべ三年間に渡りロシアに滞在して練習していた時に現地で学んできた世界最高峰の技術を指導者を志す学生に伝えたのちに引退されたわけですね。
小松:
大学のみならず、新体操界にとって大変貴重な財産を残されたと思います。
競技と仕事の“出来る”は違う
東:
POLAへは、特に勧誘や推薦があったわけではなく、一般の学生とともに通常の採用試験を受けられたそうですね。
田中:
はい。通常通りに採用試験を受験し、4度の面接を経て、内定をいただきました。
小松:
田中さんはオリンピアンですし、新体操競技とPOLAとは密接な関係にあったと思うのですが、何も優遇されることが無かったのでしょうか?
田中:
全くありませんでした。履歴書を見たら名前や競技歴なども書いているので知って頂けてはいるのですが…。
メダリストのように知名度が高ければ別なのかも知れませんが、オリンピックに出場したからといって「是非、ウチの会社に入社してください!」とはならないのが現実ですね。
東:
おっしゃる通りで、厳しい言い方にはなりますが、オリンピアンだから仕事が出来るとは限らないですから。
POLAであれば、“メイクの力を活かして、世界の舞台で戦える競技力”ではなく、“メイクの力を世間に広く伝え、商品を開発したり、広報したり、販売する力”が求められるわけで、この二つは全く別の能力ですものね。
田中:
そうですね。“新体操の競技力”の価値については、以前から母に「どうやって生活していくのか?」という観点で考える機会を与えられてきました。
競技を終えた後のことを考えながら、練習に取り組んだ結果、フェアリー ジャパン POLAの一員としてオリンピックに出場することが出来た時に、改めて自分の“出来ること”と“やりたいこと”と“社会に求められていること”を実現出来る仕事を考えた結果、POLAで働きたいと思い、採用試験を受験することを決めたんです。
小松:
自分に“出来ること”と“やりたいこと”と“社会に求められていること”を満たせるお仕事に巡り合えたわけですね。

東:
この三つの要素が最初から完璧でなくともいいと思いますが、ある程度のレベルまで揃っていなければ、対価を得られる“仕事”にはならないですよね。
中でも最も重要なのは“社会に求められていること”だと思いますが、往々にして競技生活を終えたアスリートが次のキャリアに進む時には“出来ること”と“やりたいこと”を仕事にすることにこだわって、“社会に求められていること”という視点が抜け落ちてしまいがちな印象があります。
小松:
社会に求められている=マーケットのニーズがある、ということですね。
東:
マーケットのニーズがないことはなかなかビジネスには出来ませんが、アスリートのセカンドキャリアにおける問題の本質は、多くのアスリートの“出来ること”や“やりたいこと”、例えば競技の指導や普及などが、生活していくのに十分な対価を得られる仕事になりづらいという部分にあるのかも知れませんね。
ベストを尽くしたうえで、頼る
東:
田中さんは大学を卒業後、POLAへ入社なさったわけですが、社会人生活を送る中で何か困ったり、戸惑ったことなどがあればお教えいただけますか?
田中:
弱音の吐き方が分からないというのが辛かったですね。
辛いとか出来ないと言ったらすぐに外されてしまう厳しい椅子取りゲームのような世界で生きてきたので、自分一人の力では出来ないレベルの仕事でも何とか自分だけでやろうと一人で抱え込んでしまって、結局出来なくて迷惑をかけてしまったり。
小松:
その感覚は、長い年月を経て脳と身体に染み込んでいるのでしょうから、辛いでしょうね。
東:
競技の中で「出来ません」と素直に言えない環境で育ってきたアスリートは、仕事を進めるうえで苦労することも多いように感じます。
社会人にとっては、まだ能力が不足していたり、時間が足りなかったりする時に周りにサポートをお願いすることは普通のことですし、一人で必死に頑張ったとしても、期限までに仕事を終えられなかったり、求められるクオリティに達していないアウトプットになってしまえば、最終的には会社や周りの同僚に迷惑をかけることになります。
場面に応じて「出来ません」や「助けてください」の一言が言えるようになるというのは、アスリートが仕事をする上で乗り越えなくてはいけない壁の一つなのかも知れませんね。
田中:
自分一人で仕事をしているわけじゃないと理解することが大切ですよね。
自分の「やりたい」ではなくて、仕事のレベルや締切などの全体像を把握して、どうすれば自分のチームや会社にとってベストな仕事が出来るのかを考えて、自らが全力を尽くすことは当然ながら、頼るべきところは頼ることが大切なのだと思います。
小松:
個々が己のベストを尽くしながら、全体のパフォーマンスが最も発揮出来る状態をつくりあげるという意味では、フェアリー ジャパン POLAのキャプテンを務めてこられたご経験が活かされたのではないですか?
田中:
そうですね、目標を達成するためにチームが一つになるためにはどういうアプローチを取ればいいのか考え、行動してきた経験は仕事にも活きていると思います。
東:
団体競技を経験してきたアスリート、特にキャプテン経験者の持つ強みですよね。
田中:
また、POLAでは「困ったことがあったら何でも頼ってくれていいから一人で抱え込まないでね」と言ってくれる先輩がいたことにも助けられました。
「自分一人で全てやらなくても、助けてくれる人がいるんだ」と思い、心がすっと楽になって、安心して頼ることが出来るようになりました。

小松:
一般社会では普通の言葉ですが、世界の頂きを目指し、限られた席をめぐって競い合ってきたトップアスリートの世界ではなかなか出会えない言葉だったのかも知れませんね。
田中:
もちろん、単に優しいだけではなく、世間知らずの私に社会のマナーやルールを教えて下さったり、ダメな時にはビシッと言って下さったりもして。
最初は「どうして新体操のコーチにならずにこの世界に入ったの?」と不思議がられていたのですが、一緒に仕事をしていく中で、「POLAに入ってくれてありがとう」と言ってくださって。
東:
素敵な先輩にも恵まれたのですね。
田中:
女性としても常に綺麗で、本当に憧れの先輩でした。私と同じくらいのタイミングでPOLAを退職なさったので、離れ離れになってしまって少々寂しいのですが、今でも連絡を取り合っています。
小松:
きっと、一生続くご縁なのでしょうね。
さて、それでは、改めて現在の田中さんの活動を“その後のメダリスト100キャリアシフト図”に当てはめますと、フェアリー ジャパン POLAの美容コーチが「A」の領域、日本体操協会のアスリート委員会のお仕事が「B」の領域、メディア出演や講演活動などが「C」の領域、解説者などのお仕事が「D」の領域と、全ての領域でお仕事をなさっていることが分かりますね。

注1)親会社勤務とはいわゆる企業スポーツである実業団チームで自らが所属していた企業で一般従業員として勤務していること
注2)親会社指導者とはいわゆる企業スポーツである実業団チームで自らが所属していた企業の指導者を務めていること
注3)プロパフォーマーとはフィギュアスケート選手がアイスダンスパフォーマーになったり、体操選手がシルク・ドゥ・ソレイユのパフォーマーとして活動していること
注4)親会社以外勤務とは自らが所属していた実業団チームを所有している企業以外で一般従業員として勤務していること
東:
今後はご自身の経験を活かして、新体操選手のみならず、一般の方々がより美しくなるためのお仕事にもご活躍の場を広げていかれるのではないでしょうか?
2020に向けて
小松:
いよいよ来年2020年には東京でオリンピック・パラリンピックが開催されますが、今後はどのような活動をしていこうとお考えですか?
田中:
明確にこれを成し遂げたいという強い思いがあるものはまだ持てていませんが、引き続き新体操の普及活動や、スポーツを通じて体を動かすことの大切さを伝えていきたいですし、新体操のトレーニングメソッドを美しい姿勢づくりや美容に活かした体操をより多くの人に広めていきたいとも考えています。
また、それらの活動によって、もっともっと新体操の価値を高めて、メジャーなスポーツにしていきたいです。
東:
自らがお世話になった競技の価値を高めるために、より幅広い方々に価値を感じてもらえるような角度で競技特性を活かすこということですね。
僕もお世話になったハンドボールの価値を高めて恩返しをしたいと考えていますので、本日は本当にたくさんの気づきを与えていただきました。
それでは、最後のお願いになりますが、新体操という競技名を使わないで自己紹介をしてください。新体操を除いた田中琴乃さんはどんな方なのでしょう?
田中:
競技名を使わないで、ですか…難しいですね。
私は体を動かすのが大好きで、曲が流れていたり何かモノがあると、心から笑って自己表現ができる人間です。
小松:
心から笑って自己表現が出来ること、とっても素敵です!
東:
本日はありがとうございました。

田中:
ありがとうございました。
(おわり)
編集協力/設楽幸生

インタビュアー/小松 成美 Narumi Komatsu
第一線で活躍するノンフィクション作家。広告会社、放送局勤務などを経たのち、作家に転身。真摯な取材、磨き抜かれた文章には定評があり、数多くの人物ルポルタージュ、スポーツノンフィクション、インタビュー、エッセイ・コラム、小説を執筆。現在では、テレビ番組のコメンテーターや講演など多岐にわたり活躍中。

インタビュアー/東 俊介 Shunsuke Azuma
元ハンドボール日本代表主将。引退後はスポーツマネジメントを学び、日本ハンドボールリーグマーケティング部の初代部長に就任。アスリート、経営者、アカデミアなどの豊富な人脈を活かし、現在は複数の企業の事業開発を兼務。企業におけるスポーツ事業のコンサルティングも行っている。
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