Career shift

有森裕子 / Arimori Yuko   元マラソン選手|現在:

競技者としてではなく、「人」として生きる  マラソン・有森裕子(前編)

Profile

 

有森 裕子(ありもり・ゆうこ)
岡山県出身。就実高校、日本体育大学卒業。バルセロナ、アトランタの両オリンピックの女子マラソンで銀メダル、銅メダルを獲得。
2007 年の「東京マラソン 2007」でプロマラソンランナーを引退。02 年アスリートのマネジメントを行う株式会社 RIGHTS.設立。
ハート・オブ・ゴールド代表理事、スペシャルオリンピックス日本理事長他を務める。
10 年〈国際オリンピック委員会(IOC)女性スポーツ賞〉を日本人として初めて受賞。

 その競技は、「生きる」につながるのか?

小松:
今回は元マラソン選手の有森裕子さんにお話を伺います。有森さんはバルセロナオリンピックで日本女子64年ぶりの銀メダルを獲得、アトランタオリンピックでも銅メダルを獲得し、日本女子陸上選手として初めて2大会連続メダリストに輝いた名選手です。

東:
マラソン競技の実績のみならず、日本におけるプロランナー第一号(初めて肖像権の自主管理を宣言し、CMに出演)となり、自らアスリートのマネジメント会社「RIGHTS.」を設立するなど様々な面でも先駆者としてご活躍なさってこられました。

小松:
有森さんの現在の活動を“その後のメダリスト100 キャリアシフト図”に当てはめると、国際オリンピック委員会(IOC)の委員や陸上競技連盟理事のお仕事は「B」、RIGHTS.の経営者や日本体育大学等の客員教授、タレントとしての活動が「C」、解説者などのメディア出演は「D」とそれぞれの領域で幅広くご活躍なさっていることが分かります。

東:
他にもNPO法人ハート・オブ・ゴールドの代表理事やスペシャルオリンピックス日本の理事長など、ここにはとても書ききれないほど様々な役職をお持ちになっています。

注1)親会社勤務とはいわゆる企業スポーツである実業団チームで自らが所属していた企業で一般従業員として勤務していること
注2)親会社指導者とはいわゆる企業スポーツである実業団チームで自らが所属していた企業の指導者を務めていること
注3)プロパフォーマーとはフィギュアスケート選手がアイスダンスパフォーマーになったり、体操選手がシルク・ドゥ・ソレイユのパフォーマーとして活動していること
注4)親会社以外勤務とは自らが所属していた実業団チームを所有している企業以外で一般従業員として勤務していること

東:
まず最初に有森さんにお伺いしたいのは、オリンピアンやメダリストの方々の「セカンドキャリア」についてです。
有森さんは選手として活躍され、その後セカンドキャリアについてどう考えて今に至っているのか教えてください。

有森:
そうですね、セカンドキャリアというのは、ネクストステージとも言い換えられますが、ネクストステージがあるかないかって、大切なことは本人が競技者である間に何を考えているか? ここが大事だと思うんです。
つまり、競技をしている時も「競技をしているのか」それとも「生きようとしているのか」どっちを考えているかによって大きくその後のキャリアって違うと思うんです。

小松:
もう少し詳しく教えていただけませんか?

有森:
はい、つまりですね、その本人が「何を考えて競技をしているか」が大切なポイントなんです。そしてその競技をはじめたきっかけは自分の意思だったのか、人の導きだったのか、そして競技をしていく中で色々な人の出会いで色々なことが発展していって、発展していく中でその人本人も生き方を考えているのか? ただ周りに言われるがままに競技をして、競技が終わったら、今までのことが頭から飛んでしまってしまうのか?そういう競技に対する考え方のスタンスで、セカンドキャリアって違うと思うんです。

東:
なるほど、面白いですね。

有森:
何かを考えて競技をしている人、そうでない人がいるとしますね。
両者がオリンピアンになったとしましょう。でもオリンピアンになって金メダルを取ったとしても、考えてない人は競技人生が終わったらセカンドキャリアは微妙なものになるし、逆にメダルを取ってなくても、色々なことを考えている人は競技人生が終わっても素晴らしいセカンドキャリアを送れると思うんですよね。
そういうことを考えて現役時代競技をしていた人といえば、為末大さんなんか典型的ですよね。人生において、本人がどこを求めようとしているのか、求める意思があるのかないのか、ここが大切だと思います。
ただ競技をやってはダメだと思うんです。大切なのは、その競技が、「自分の『生きる』につながるかどうか?」なんですよ。

小松:
「自分の『生きる』につながるかどうか?」を考えて競技をする。とても素晴らしく、斬新な発想ですね。

 「生きるため」にスポーツをする

有森:
スポーツって何でやるんでしょう? オリンピックってなんでやるんでしょう? 人は何で働くんでしょう? それって生きるためですよね。死ぬまでに生きるという時間をどれだけ充実させて、健康で楽しく生きるため、その手段としてスポーツをしたり働いたり食べたりするんですよね。全てはここに集約されるのかなって思った時、「生きるためにスポーツをするんだな」って私は思ったんです。
「生きるため」に「スポーツをする」この順番が大切で、この順番が違ってくると、物事は全然変わったものになるんですよ。
結果を出すために、ただ誰かの言うことを聞いてスポーツをする、ただ成績を残す、それではダメだと思うんです。
オリンピックも同じで、「オリンピックのためにどうする? オリンピックはどうあるべき?」ではないんです。生きるためにオリンピックはどうあるべき? スポーツはどうあるべき? そこを考えることが大切で、それに多くの人に気づいて欲しいなと思っています。

小松:
どうしてそのような考え方が身についたのですか?

有森:
海外の選手にはこの思考があるんですよ。
マラソン選手ひとつとっても、海外には実業団がありません。もちろんマラソンランナーはいますが、医者であったりスーパーで働いている人であったり、生きるための職業を持ってます。
また、海外では生きるためにマラソン選手やってる、というスタイルで現実的に頑張っているアスリートってたくさんいるんですよ。食べるため、稼ぐために走っているんですね。それは全然私は悪くないと思うんです。
でも日本って、本当は生きるためにはお金が必要なのに、スポーツとお金を結びつけようとすると、「金の亡者」みたいに見られる傾向がまだまだ強いんです。ある年代のスポーツの OB・OG の方はこの考えの人って多いんですよね。

小松:
スポーツ選手がお金の話をするのは禁忌。そういう風潮ありますよね。

有森:
スポーツのプロ化に抵抗を持っていたり、セカンドキャリアでスポーツを教えるなんて、そんなのボランティアで教えればいいんだ、って考え方の人って意外と多いんですよね。
人に「スポーツ好きだからやってるんでしょ?」って聞かれると、「でも好きだけじゃ食べていけないですよね」って答えると、「冷めたこと言うな、夢がない」なんて言われるんですよね(笑)。
生きていくために、これだけのことをやって頑張れるって、すごいことですよね、って誰も言ってくれません。本当は人間ってそれがすごいことなのに。生きていくって考えただけで、何でも乗り越えられるし頑張れる、この人間のすごさを、なぜもっと多くの人が讃えないのかといつも考えているんです。

東:
スポーツって、感動のタダ乗りがすごく多いですよね。オリンピックのレスリングとか柔道ってすごく人気ですよね。多くの人がテレビで見ています。でもお金を払って柔道やレスリングを見にいく人が多いかと聞かれると、はい多いですとは言えませんよね。多くの人は、レスリングが好きなのでなくて、オリンピックが好きなのかもしれませんね。

有森:
それはありますね。マラソンの利点は、一般の人と競技者の人が交わることができる点ですね。同じ大会、同じ日に、同じスタートラインに立って同じゴールを切れる、この競技ってマラソンだけですよね。これってオリンピックだとマラソンだけですよね。
柔道だって一緒に組めないし、だから一般の人にイメージが湧きづらいんですね。そこに興味を集めるには、お祭りのような面白さが合体しないと興味が生まれないのかもしれませんね。
マラソンは私とか一般のランナーが一緒になって参加できますからね。しかも一般の方が私を抜いたりできるんですよ。私結構抜かれるんですよね(笑)。有森裕子抜けた! って盛り上がったりしてますよ(笑)。そういう競技はなかなかないですよね。

 メダルの原点

小松:
有森さんは私たち世代のヒロインです。2 つのオリンピックで戦う姿を同姓として仰ぎ見ていました。とてつもない距離を懸命に走る姿と、秀でた能力を発揮するためのひたむきな努力。それらを見せて頂いた感謝は今も胸にあります。有森さんにとって、オリンピックに出場して勝つこと、それが生きることと分かった分水嶺はあったんですか?

有森:
実業団に入った時、私は押しかけで入ったんですね。折しもその頃リクルート事件があったんですが、その頃に「走りたいなら誰もいい」という噂があったんですよ。その時に「これなら拾ってもらえる!」と思って小出監督に熱心に当たって行ったんですね。そしたら「根拠もないのにやる気があることに興味がある」って言ってくださって。

小松:
小出監督らしい言葉ですね(笑)。

有森:
まあそうですね(笑)。あの頃は私メチャクチャだったんですよね。押しかけて入って、1 年目は箸にも棒にもかからなかったんですけど、1 年後に大阪国際女子マラソンに出たんですよ。
陸上競技の世界に入った時に、「この世界は何が必要なんだろう?」って考えたら、頑張ったか頑張ってないかはどうでもよくて、成績、結果なわけですね。いかに実績があるか、いかにいい成績を持っているか、いかに稼げているかが認められて試合に出れるんですね。そんな世界を自分は選んでしまったんですね。
極論言うと、人のことはどうでもよくって、自分の実績と向き合って、やるべきことをやる、やるべきことを考える。そんな世界なんですよね。
ふとその時、これって人間的にはいかがなものか、っていう思いもありました。 個人的には、人のことを気にしたり世話をするのは嫌いじゃないんで、でもそれを否定して、そこについて考えないで自分を律するのが苦しかったんですよね。

小松:
周囲のことより自分のこと、そういう状況に身を置いて葛藤されてたんですね。でも考えているうちに、それは自分の問題だと気づいた。

有森:
自分の問題でしたね。でも腑に落ちるように考えようとしてたんですがきつかったです。ただ、その時に同級生のカズ(三浦知良選手)を見て、自分の状況なんて甘いなって思ったんです。
生きるためにみんなちゃんとやってるなって、できなかったらクビを切られるのは当たり前って世界で必死に生きてるなって。
私は実業団にいて色々な選手を見てて、中には結果を出していなくてもお給料もらえてて、さらに陸上部にいるだけで一定の手当をもらえたり、これはおかしいんじゃないのかなって思っていたんですが、そんなこと言える身分でもなかったですから。まずは自分、自分が色々できるようになってから物申そうと考えたんです。それには自分をまず整える、そして陸上は仕事、生きるための仕事って思いましたね。

小松:
有森さんの強さは、そうやって「考えて道を開くこと」だと私は思います。

 メダルの本当の価値は、獲ってからの生き方にある

有森:
いや、コンプレックスが由来してるんですよ。私身体能力がすごく高かったわけでもなかったし。「想い」さえあればなんとかなる! ってことだけしか考えてなかったんです。「気持ちさえあれば何でもできる!」って考えていたんです。 逆に能力があっても想いがなくて、結局何もできてない人をたくさん見てきたんで、人間的にそれはおかしいなぁ、って思ってたんです。
これって私、小さい時からそうだったんです。勉強だけできる人とか、上に立つと人を見下したり意地悪する人をたくさん見てきて、「今にみてろ」って思っていた時期が長かったんですね。その気持ちをエネルギーにして、自分を奮い立たせる力にしていました。でも相手を貶める方向に使うのではなくて、自分を高める方向にそのエネルギーを使っていました。

小松:
そうした環境の中で育った有森さんは、周囲のアスリート達に、自らの哲学を伝えたりするのですか?

有森:
言うんですけどね、多くの人は「現役の時にそんなこと考えている余裕がない」 って言うんです。でも、やってもないのにそう言うのが私的にはダメかなと思うんですよね。昔は「不器用だからプレイだけに没頭したい」というのはありましたげど、今の時代はそれでは通用しないですよね。

小松:
有森さんは、自ら築き上げたマインドで栄光を勝ち取ってこられた。でも、それは永遠ではない、と?

有森:
勝ち取ったものも、気を抜けばなくなりますし、それだけで一生勝ち取ったものを掴み続けられるかというと違いますよね。メダルを獲ったからそれで OK には全然なりませんし。
メダルというのは、金とか銀とか銅ってありますけど、それが本当の価値を産むのは、それを獲った後にどう生きるかにかかってると思います。獲った後の生き方次第で、それがただの金属のメダルで終わってしまう場合もありますし。 だからメダルを獲ることが目的なのは違うと思うんですね。もちろん一つの証明ですけど、メダルをどう活かして生きていくか、そこにその人の本質が問われると思います。

 常に「今とその先」を考える

小松:
常にその「自分」に戻るわけですね。

有森:
はい、私なんて世界で知らない人もたくさんいて、「私メダリストです」ってい っても「え? それで?」と思う人の方が圧倒的に多いでしょう。
だから今の有森裕子は何を示せるか、今の自分とはどういう人なのか? っていうのが全てで、そう思って生きていかないとダメだと思います。
「ここまでやったから大丈夫!」というのは絶対になくて、ネクストステージというのは常にやってくるんです。

小松:
有森さんがマラソンという競技に向き合っていた時、二つの軸があった。肉体面で取り組まなくてはいけないことと、有森裕子という人間としての道を作ること。

有森:
はい、そうなんですね。今振り返ると、「あの時ってすごく我慢してて大変だったんですけど、解放された瞬間もあったな」っていうのがないんですよ。我慢した覚えがあんまりないからですかね。

 好き嫌いでなく、「できるか、できないか」で選んだ陸上

小松:
我慢を我慢と思わない。そこが有森裕子というマラソンランナーが誕生した理由かもしれませんね。話は変わりますが、有森さんは中学時代バスケットをやられてましたよね。バスケットからなぜ陸上に転向したのですか。その当時のことをお聞かせください。

有森:
小学校の時にポートボールをやってたのがきっかけなんです。小学校の先生から、「なんでも好き嫌い関係なく、できることを継続しなさい」って言われた言葉が響いて、当時ポートボールが好きだったんですけれど、中学に入ってバスケに触れて、ああ、これなら続けられると思ったんですね。
でも私は不器用なので、団体競技はすごく苦手だなってことに気づき始めたんです。チームプレーはできなくて前しか見えない(笑)。
でも一番自分ができたことは、しつこく守ることだったんですね。シュートする相手にピッタリくっついて守ること。これは得意だったんですね。でも得意だったんですけど、自信にはつながらなかったんですよ。
じゃあ他にどんな競技があるのかな、って思っていたんですけど、なかなか見つからなくて。それできっかけだったのが、運動会の 800 メートル走だったんです。

小松:
800 メートル走って、乳酸が肉体を駆け巡る辛い距離ですね。

有森:
そうです。辛いからだれもやりたがらなかったんですね(笑)。それで、じゃんけんで誰が走るか決める、みたいな話になったんですけど、「私走るからじゃんけんしなくていい!」って言ったんです。

小松:
それはどうしてですか?

有森:
走るのか好きとか、そういうことではなかったんですよね。好きとか嫌いで物事を選んだことってなくて、できるのか、できないのか、そして「できたらどうなるのか?」ということをとても大事にしていたんです。そんな価値基準で、 800 メートル走っていうのは、すごくわかりやすかったんです。自分にとって、できた! ってことを感じられたんですよ。

東:
あの辛い 800 メートルでそう思えたんですか。

有森:
はい、そうなんですよ。でもきついことが嫌いじゃなかったんですね。できるならなんでも OK っていう考えなんです。800 メートル走ってみんなやりたがらないから、運良く中学時代 3 年間勝ち続けることができたんです。
そして高校に入った時に、「これはもう陸上部しかない」ってことで好き嫌いでなくて、自分ができて自信になること、と思い陸上部に入りました。
実は私の高校の陸上部ってとても強かったんで、経験がほとんどない私なんて入れなかったんですけど、顧問の先生を半年ぐらい追いかけ回してやっと入れたんですね(笑)。
でも周りの選手はとても強いので、国体やインターハイも出れず、駅伝も補欠でしたし、でも恩師が私を辞めさせなかったんです。
自分でいうのもなんですが、私の姿勢、つまり諦めない、しつこい、とにかく全力っていう姿勢が、「今は何にもならないかもしれないけど、将来それがお前の武器になる」って言ってくれて。「いつかお前の前のやつが落ちたら、それがきっかけでお前は前に行ける」って言ってくれたんですよ。そういう可能性を言ってくださったんです。
それで、その恩師は、なんの実績もない私に、日体大を推薦してくださって書類を書いてくださったんです。

小松:
恩師の先生の先見の明ですね。日体大時代のお話も聞かせてくださいませんか?

(つづく)

 

編集協力/設楽幸生

インタビュアー/小松 成美 Narumi Komatsu
第一線で活躍するノンフィクション作家。広告会社、放送局勤務などを経たのち、作家に転身。真摯な取材、磨き抜かれた文章には定評があり、数多くの人物ルポルタージュ、スポーツノンフィクション、インタビュー、エッセイ・コラム、小説を執筆。現在では、テレビ番組のコメンテーターや講演など多岐にわたり活躍中。

インタビュアー/東 俊介 Shunsuke Azuma
元ハンドボール日本代表主将。引退後はスポーツマネジメントを学び、日本ハンドボールリーグマーケティング部の初代部長に就任。アスリート、経営者、アカデミアなどの豊富な人脈を活かし、現在は複数の企業の事業開発を兼務。企業におけるスポーツ事業のコンサルティングも行っている。

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