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有森裕子 / Arimori Yuko   元マラソン選手|現在:

底からの這い上がり方  マラソン・有森裕子(中編)

Profile

 

有森 裕子(ありもり・ゆうこ)
岡山県出身。就実高校、日本体育大学卒業。バルセロナ、アトランタの両オリンピックの女子マラソンで銀メダル、銅メダルを獲得。
2007 年の「東京マラソン 2007」でプロマラソンランナーを引退。02 年アスリートのマネジメントを行う株式会社 RIGHTS.設立。
ハート・オブ・ゴールド代表理事、スペシャルオリンピックス日本理事長他を務める。
10 年〈国際オリンピック委員会(IOC)女性スポーツ賞〉を日本人として初めて受賞。

 辞める理由がないなら辞めない

有森:
大学時代も大変でした。日体大の学生たちは、みんな特待生とか第一推薦で入 ってきてますからね。さらにみんな顔見知りみたいで、私になんてだれも話しかけてくれなかったんです。またそこで「強い人たち性格悪いなぁ、こんな人たちに負けるもんか」ってコソ練が始まったんです(笑)。

東:
コソ練ってなんですか?

有森:
「コッソリ練習」の略です(笑)。
当時はそういう環境だったから、とにかくやるしかなかったんですよ。周りは才能ある選手が多かったし。一人同い年ですごく強くてインターハイで優勝したりする選手がいたんですね。でもその人練習してなかったんですね。絶対そんな選手には負けたくないって思っていて、最終的に 4 年生の時に抜いて、とても嬉しかったのを覚えています。

小松:
大学時代を卒業し、社会人でも走り続けることになりますね。

有森:
本当は私、教員になるつもりだったんですよ。大学時代にたいした結果も出してない私が、実業団なんて入れるわけがないんです。でもなんとかなるかもしれないって思ったんです。
それで、インターハイやってる神戸に飛んでいったんです。なぜかというと、そこには全国から実業団の関係者が来てて勧誘してるんですよね。私が全国回らなくても、神戸にいけば色々な関係者に会えるなって思ったんです。

東:
すごい行動力ですね。

有森:
そこで、リクルートの人とコネクションができたんです。そこから監督とつながって、私は岡山から千葉に行ったんですね。1 時間ぐらい話をしたんですけど、監督が「国体は何位?」とか「どんな賞を獲ったの?」みたいなことを聞いてきて、たいした結果を私出してないから監督は驚いて「よくその成績でここまで来たね」って言ったんですね(笑)。
後から聞いたんですけど、本当は監督、私をマネージャーにしようとしたらしいんです。でも私のやる気をかって選手として採用したそうなんです。当時リクルートは会社の状況が大変だったから、「今の我が社のピンチを救えるのは、やる気のある人だ」みたいな話になって、選手としてリクルートで走ることになりました。

小松:
リクルート陸上部のマネージャー候補が、やがて最も過酷なマラソンランナーになる。どのような転機があったのですか?

有森:
きっかけだったのは、大学 4 年の時に見たソウルオリンピックの女子マラソンのロザ・モタ選手のゴールです。あのゴールは本当に衝撃的でした。
満面の笑みで彼女がゴールするのを見た時に、「マラソンってどんな競技なんだろう!?」って思ったんです。
あまりに素敵な笑顔だったんで感動しちゃったんです。その感動を体験して、私も人を感動させられるステージに行きたい!って思ったのがきっかけです。いつかそんなステージに立ちたい、って思いました。

小松:
それがオリンピックに出たいという気持ちの発端ですか?

有森:
いやいや、私にとって当時はオリンピックなんて夢のまた夢ですから。まずは現実的な国体にどうやったら出れるか、それを考えていました。なので最初はリクルートで 1 万メートルを選んだんです。でも結果が出なくて。
そんな時に、マラソンの小島和恵さんが引退されるニュースを知ったんです。相変わらず性格の悪い私は「やった、これは私たちの時代が来る!」って思って、監督にお願いしてマラソンに転向させてもらったんです(笑)。マラソンの方が、今から頑張れば力を発揮できると思ったんですね。実際に距離を練習すればするほど、もともと持っていたタイムよりも、マラソンで出す同じ距離の通過タイムの方がいい結果が出せたりしたんです。

小松:
有森さんは、ご自身で、私はトップアスリートになれる、資質がある、と思ったことはありますか?

有森:
それはないですね。でも諦めない力っていうのは誰にも負けないと思います。きついこと嫌いじゃなかったですし。あと好き嫌いで物事を判断しないのがよかったのかもしれません。あと、辞める理由がなかったんですね。人によく「よく辞めなかったね」って言われるんですが、辞める理由がないからって、いつも言ってます(笑)。

 銀メダルの裏側で

小松:
オリンピック出場という目標は、すなわち、メダル獲得という夢の入り口ですよね。けれど、メダルは 3 つしかない。金銀銅とそれ以外、というある意味残酷な世界ですよね。そういう点を、有森さんはどう捉えていましたか?

有森:
私、金メダルを獲ろうと思ったことってないんですよ。監督にバルセロナオリンピック前に言われたのは、有森は練習ができたから、8 位には入るだろうって言われたんです。本来なら 11 番目ぐらいのタイムだけど、練習ができたから 8位には入るし、もう少し頑張れば 5 位には入れるかもなって言われて、なるほど、って思って出場したんです。鈴木博美さんや高橋尚子さんは、走る前に監督から金メダル獲れるよ!って言われてたんですよね。私、あの時金メダル獲れるって言われてたらどうなっていただろう、って実はちょっと悔しかったんです(笑)。

小松:
頑張れば 5 位に入れるって言われた有森さんが、実際はどんどんと順位を上げて、優勝争いを繰り広げます。

有森:
走っている時は色々なことがありました。私前々日まで実は足が痛かったんです。それで悩んでたんですけど、当日の朝、コンタクトレンズを片方落としたんですね。私とても目が悪いので、ほとんど見えない状態になってしまったんです。当時スペアのコンタクトレンズもなくて。結局、痛かったはずの足の痛みも目標も忘れ、コンタクトレンズも失くし、という状況でした。でも給水と道が見えればいいって思ってスタートしたんですね。

東:
コンタクトレンズをなくしたことが、無心にさせてくれたんですね。

小松:
普通なら「なんでこんな日に!」と不運を嘆き、何かに八つ当たりするかもしれません。けれど、有森さんは、集中力を高めるきっかけにしたんですね。銀メダルを獲得した有森さんは、表彰台に立った時の感激、その光景を覚えていますか。

有森:
いや、それがですね。あの当時、ちょうど 1991 年から始まった湾岸戦争の影響もあったりして、警備がすごかったんですね。表彰は競技場だったんですけど、私メダリストなのにすぐ入れてくれなかったんですよ(笑)。それで表彰台まで行くのに迷って、行くまで結構大変だったんです。そんなことがあって、ようやくたどり着いたんで、そっちの方が印象的でした(笑)。
メダルかけた自分の姿って見えないじゃないですか。だからかけてもらった時は実感わかなくて、ホテルに戻って鏡の前に立った時に、あ、メダル獲れたんだ、って実感が湧きました。

 メダル、そしてその後……

東:
そしてメダルを獲って帰国しましたね。オリンピック前と世界が違いましたか?

有森:
はい、そうですね。オリンピックに行くまでが、選考問題で大騒ぎしたじゃないですか。飛行機降りる前に、降りる時はメダルをかけなさいって関係者の人に言われて。降りたら凄まじい数のフラッシュで。それを見た瞬間、私のメダルが防弾チョッキのように思えたんですよ。
このメダル獲らないで帰国したら、どういうことになっていたんだろうって、ものすごい怖くなったのを覚えています。

東:
オリンピックに出られる人、出られない人がいますね。そして出られる人もメダルを獲れずに帰ってくる人もいれば、期待されていない人が獲って帰ってきて人生変わったりする、っていう話も聞いたことがあります。

有森:
選考で色々ありましたけどね、帰ってきた時にメダルを獲ったという現実がどういうことかを、あのフラッシュの雨で一気に感じました。
その後何かが変わるんだろうか、って思っていたんですが、経験したことないのでどうなるかなんて想像できなかったんですよね。
私自身はそれまで通りに接していたんですけど、私がちょっと意見や考えを言うと、「天狗になってる」「女王様気取り」みたいに周囲に思われるようになってしまいましたね。別に私はわがままを言っているわけではなくて、普通のことを言っているはずだったんですけどね。
その時に、現在、第一生命女子陸上部監督の山下佐知子さんとか、スポーツライターの増島みどりさんが私と同じ考えで、気持ちを理解してくれたんですね。 周りはもっとメダルを獲ってきて喜んでくれると思ったのに、なんか面倒くさい存在になってしまったなと感じるようになってしまったんです。それで心も体もギクシャクしはじめてしまったんですね。
その後私はバルセロナで金メダルを獲ったエゴロワ選手の走りを見て、私に足りないものを研究して、ウエイトトレーニングとかしていたんですけど、色々なことが上手くいかなくなって、メダルを見るたびに泣いたりしてたんです。 メダルを見るたびに、私は見る時に、私はいつも笑っているはずだったのに、なんで泣いてるんだろう、なんでこうなるんだろうって考えるのがとても嫌でした。でもこれって経験してないとわからないことだし、辛かったですね。

小松:
それでも有森さんは次のアトランタオリンピック出場を目指しました。気持ちを切り替えられた理由はどこにありますか?

有森:
私は金メダリストでなくて銀メダリストだったし、故障もしてたし、周りともギクシャクしてたし。そんな状況の中で思ったことは 1 つだけなんです。オリンピックに出れるという肩書きをもう一度持ち、メダリストという肩書きをもう一度掴むことが、自分が悩んでいることに対する答えを出せるための必要条件、いやこれが絶対なんだって思ったんですね。
行きたいと思って行った、というよりも、行かなきゃいけないって思っていたので、練習は辛かったです。こんな気持ちで毎日練習してましたから、周りにいる人も嫌だったでしょうし、相当私は機嫌が悪く、表情も悪かったと思います。

小松:
その結果、有森さんの思ったような結果になりましたか?

有森:
はい、あの時のゴールは本当に静かな喜びでした。はしゃぐのではなくて、これで終わった、これで終われる。あとは進むだけだって思ったんです。やっとこれで私の話を人が聞いてくれる、言いたいことがたくさんあるんだって。

小松:
具体的にはどのような話しをしたのですか?

 アスリートがこの社会でもっと生きられるために

有森:
まず、陸上連盟の会長に話をして、メディアに話をしました。

小松:
具体的にはどのような話題を?

有森:
色々な話をしました。日本には選手に肖像権がないとかね。あと、自分が持っているものを活かして行きたいのに、なんで日本のスポーツ選手は制限されるんだ、一般の市民にもなれないんですか、って話しました。あと、なんで結果を出したスポーツ選手が仕事にならないのか?

小松:
アスリートがお金のことを語るのは憚られる、という風潮はどこから来たんでしょうね。

東:
武道家は物を欲しがってはいけない、みたいな文化が由来なんですかね。

有森:
日本固有の奉仕精神が関係しているんじゃないですかね? そこが海外とスポ ーツに対する理解が違うんだと思います。

小松:
有森さんは、スポーツ選手の権利を真に考えるため、行動を起こします。2002年にアスリートのマネジメント会社「RIGHTS.」を立ち上げますね。

有森:
アスリートの生きる権利、そしてそれを守るように社会を促していきたいと思いました。最初は私しかいなかったんですけど、少しずつ増やしていきました。アスリートの多くは、ビジネスになる環境にいない人が多いんですね。
そして日本という社会はアスリートにはお金を払わない、ということが多いんですよね。プロとしての価値が認められていないんです。だからアスリートして食べていきたいと思う人が減る。マラソンなんて割りに合わないからやりたがらないんですよ(笑)。

東:
本当にアスリートというのは、コストパフォーマンスが悪いですよね。

有森:
社会も変わらなきゃいけないと思いますけど、アスリートも考え方やマインドを変えないといけないと思います。競技は「生きるためにやらなくてはいけない」っていう考え方が広まってほしいですね。楽しさだけでやる期間ももちろんありますけど、でも生きるためにスポーツをするんです。
あとは自分が何に対して責任を持つかを考えた方がいいですね。アスリートって、結構全部自分でやる、っていう期間が長い人が多いんですが、実はそれって異様なことなんだってことに気づいてほしいんですよ。

小松:
ところで、有森さんはバルセロナの銀メダルとアトランタの銅メダルをどうしていますか。

有森:
父が生前、お前のためじゃなくてこれからの子どもたちのために、ってミュージアムを設計して実家の近くに立ててくれたんですよ。小さいんですけどね。そこに飾っています。

東:
そういうミュージアムを通して、メダリストの価値というのを次世代の子どもたちに伝えるのって大切だと思います。

有森:
でもね、そういう意味では、金メダリストってもっと全然違うんですよ。金メダルって狙わないと獲れないんです。銀とか銅メダルって、金メダルを狙ったんだけど獲れなかった人が偶然に獲れたメダルっていうのかな。タラレバの話ですけど、私も金メダルを獲っていたら人生変わっていたんだろうなとは思いますね。

 競技者のメダルより、人間としてのメダル

小松:
その後、有森さんは、オリンピックを目指すところから離れて、別の道を歩む決断をしますよね。

有森:
はい、引退します。私は自分の持っているものを活かして生きていきたいって思っていたんです。
2000 年頃なのですが、シドニーを目指していたんだけどダメになってしまったんですね。当時メンタルと身体がバラバラで、とても疲れてて、さらに周りを巻き込んで迷惑をかけていたんです。こういう状況はよくないなって思い、その後 2002 年にアスリートのマネジメント会社 RIGHTS.を立ち上げたんですね。

東:
ちょっと聞きにくい話なんですが、2000 年に高橋尚子選手がシドニーオリンピ ックで金メダルを獲りましたが、その時はどう思いましたか。

有森:
これは雑誌「AERA」にも載ったのでお話しますけど、「こんな金なら要らない」 って思ったんですね。彼女の指導のされ方って、独特だったんですよ。とにかく金メダルだけをひたすら目指すために、監督はとにかく褒めちぎってて。そんなことまでしないと金メダルって獲れないんだったら、私はそんなメダルはいらないって思ったんです。でもね、そういう風に思ってしまった自分に「おいおい、金メダル獲ったこともないのに、そんなこと思うのか」って思ってしまったんです。普通なら高橋選手が金メダル獲ったら、そこで逆に燃えるのがプロフェッショナルだろうって思ってしまい、綺麗事な考えが出てしまった自分って、プロ失格だなって思ったんです。

東:
それはつまり、高橋選手が獲ったような金メダルの獲り方というのは、有森さんのおっしゃっている「生きること」に繋がってないから、ということですかね。

有森:
そうですね、「競技者としての金メダル」に見えたということです。「人間としての金メダル」ではなくて。でもね、プロだったら途中のプロセスよりも結果を優先するべきですよね? それで食べていくわけですからね。そう割り切ってできればいいんですけど、私は「人間として」というのを優先するべきだった思った時から、ああこんな自分は、もう現役だめかなって思っちゃったんです。
練習一つとっても、転んだりすることが多くて集中してないな、って思ってましたしね。さらに自分の気持ちがそういう状況だったし、人は巻き込めないな って思って、数年休んで会社を立ち上げたんです。
でも会社の仕事がスムーズに行かないと、今度は走りに逃げるんですよね。この状況もさすがにまずいなって思ったんです。その時自分に問いかけたんです。
「今どうしたいんだ?」って。「走るのもいいけれど、走りに何を求めるのかな自分は?」って感じて。世界記録を目指しているわけでもないし、オリンピックに行きたいわけでもないし。
そういう風に思っていた 2007 年の 2 月に開催された、東京マラソン 2007 を最後に現役を引退することに決めたんです。

小松:
有森さんはずっと自分の心の中で対話を繰り返していたんですね。自己内対話をしていると、壁にぶつかった時とか道が二つあってどっちに向かえばいいだろうと悩んで時に、自分で決断することができますよね。人に言われたことだけに頼る人は、決断することが苦手だと思います。

東:
言われたことをただやるだけ、っていう人って確かに多いかもしれませんね。

(つづく )

 

編集協力/設楽幸生

インタビュアー/小松 成美 Narumi Komatsu
第一線で活躍するノンフィクション作家。広告会社、放送局勤務などを経たのち、作家に転身。真摯な取材、磨き抜かれた文章には定評があり、数多くの人物ルポルタージュ、スポーツノンフィクション、インタビュー、エッセイ・コラム、小説を執筆。現在では、テレビ番組のコメンテーターや講演など多岐にわたり活躍中。

インタビュアー/東 俊介 Shunsuke Azuma
元ハンドボール日本代表主将。引退後はスポーツマネジメントを学び、日本ハンドボールリーグマーケティング部の初代部長に就任。アスリート、経営者、アカデミアなどの豊富な人脈を活かし、現在は複数の企業の事業開発を兼務。企業におけるスポーツ事業のコンサルティングも行っている。

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