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萩原美樹子 / Hagiwara Mikiko   元バスケットボール選手|現在:

バスケ「非エリート」の戦い方 元バスケットボール日本代表・萩原美樹子(前編)

Profile

 

萩原美樹子(はぎわら・みきこ)
元バスケットボール日本代表。アトランタオリンピックで活躍後、日本人として初めてアメリカ女子プロバスケットボールリーグ・WNBAでプレー。現役引退後はアテネ五輪女子日本代表アシスタントコーチ、早稲田大学女子バスケットボール部ヘッドコーチを経て、現在はWリーグ(女子バスケットボール日本リーグ機構)理事と、U-16、U-18、U-19女子日本代表ヘッドコーチを務めている。

 日の丸を背負うのに必要なこと

小松:
今日は、元バスケットボール日本代表の、萩原美樹子さんをお迎えしております。

萩原:
よろしくお願いします。

小松:
萩原さんは現在、アンダーカテゴリーの日本代表チームのコーチをなさっていますね。そういう若い選手たちを育てるのは、コーチとしての喜びも大きいですか?成長の過程が目に見えるでしょうね。

萩原:
はい、面白いですね。今日本代表になっている選手たちも、そのほとんどがアンダーカテゴリーの日本代表を経て、上に上がっていきますからね。子どもたちの成長を見守る母親のような気持ちですよ。

東:
いえいえ、選手にとってみれば、お母さんというより、頼りがいのあるお姉さんのような存在だと思いますよ。

萩原:
ありがとうございます(笑)。

小松:
生活を共にして、長い間一緒にいると、単に技術を教えるだけでなく「人間としても豊かに成長して欲しい」と願われるでしょう。

萩原:
はい、そうですね、技術だけでなくて、内面まで踏み込んで指導したり、伝えたりすることはよくあります。

小松:
アンダーカテゴリーとはいえ、日の丸を背負って戦うというのは同じですよね。プレッシャーも人一倍大きい中で戦う時に、重圧に強い選手とそうでない選手はいますよね。コーチはそういうプレッシャーとの戦い方も見ているのですか?

萩原:
はい、そうですね。本当に色々なパーソナリティーを持った選手がいます。アンダーカテゴリーに関しては、最終的に12名のエントリー枠を争うことになるのですが、気持ちが強い選手でなければ、選考を勝ち抜いていけない側面があります。必ずしも技術的には突出して優れていなくとも、「絶対に残りたい! 日の丸をつけて戦いたい!」と強く思っている選手が最後に選ばれていく印象がありますね。

東:
技術的に優れているというだけでは、日本代表選手として戦えない部分もありますよね。

萩原:
もちろんバスケットは身長が高い方が有利な競技なのですが、中には身体的には恵まれているのに、気持ちが少し弱いと感じる選手もいます。そのような選手は、代表としてのトレーニングを重ねていく中で変われなければ、多少身体的、技術的には劣っていたとしても、将来は日の丸を背負って戦いたい、それに誇りを感じると強く思っている選手に淘汰され、最後まで残れないことも多いですね。

小松:
ご自身がそういう道を歩まれてきたから、選手としての立場と、コーチとしての立場と、両面でのメンタリティーが理解できるのではないですか。

萩原:
いえ、私はアンダーカテゴリーの頃は無名で、日本代表にはほとんど縁がありませんでした。高校の時もインターハイに出場出来るかどうかの成績でしたし。

小松:
萩原さんの出身校は福島県立福島女子高校(現・福島県立橘高校)。県内有数の進学校ですよね。

東:
それほどの進学校であれば、卒業の際には大学を始め様々な選択肢があったと思いますが、高卒で実業団選手となる道を選ばれましたよね。なぜ、そのような選択をしたのか教えていただけますか。

萩原:
当初はある程度強い大学に進んで、バスケを続けようと考えていました。私は背が高かったので、トップクラスの強豪校でなければ、使ってもらえる大学があるのではないかと。どこに進もうかと考えている間に実業団のトップチームである共同石油から声をかけていただいたんですね。そういう流れで1989年に共同石油のバスケットボール部に入りました。

東:
その時の萩原さんの選択は、とても本質を突いているなと感じました。
今回のインタビュー企画は、表彰台に立ったアスリートの、その後の人生にフォーカスを当てて、お話を伺っています。
まもなく2020年に東京オリンピック・パラリンピックが開催されるわけですが、それまでは雇用やトレーニング環境など様々な面で恩恵を受けているアスリートが、オリパラが終わった後、自らを取り巻く環境や世の中の視線が変わった時に、その後の人生をどう生きていけばよいのか? というヒントになれればと考え、始めたんですね。

萩原:
面白い企画ですよね。私はJALの機内誌「スカイワード」で、小松さんが連載されていたアスリートのインタビューが大好きでした。なので、この取材を受けられ、本当にうれしいです。

小松:
読んでくださっていたなんて、光栄です。

 「一極集中人生」の道へ

東:
アスリートは、身体が動くうちしかトップレベルで活動出来ないという宿命を背負っています。年齢を重ねたビジネスパーソンがビジネスを極めた後にトップアスリートとしてデビューするのは、なかなか難しいですよね。でも、アスリートは競技を極め、現役を引退した後でも勉強することが出来るし、ビジネスパーソンとしてビジネスを極めることも出来ます。萩原さんが高校卒業後の進路選択の際に、大学進学を選ばずに実業団に進むことを選び、「学業との両立」よりも、トップレベルで競技に集中する環境を選ばれたこと先見の明があったのだと思います。

萩原:
現在、Wリーグ(バスケットボール女子日本リーグ)の選手保有人数は1チーム16名なのですが、私たちの時代は特にルールが決まっておらず、今よりも多く選手を保有していました。25名程度在籍しているチームもありましたね。

小松:
随分人数に差がありますね。

萩原:
そうなんです。16名と少ない人数しか保有できず、選手寿命も延びているため、Wリーグはかなり狭き門となっており、私と同じく高卒でWリーグに挑戦するというのは相当難しいのが現状です。そうなると、多くの若く有能な選手がWリーグではなく、大学へと進むようになります。結果、大学のレベルが全体的に上がっているので、大卒で日の丸を背負うという選手が増えてきてはいるのですが、より若く伸び盛りの時期に国内トップクラスの選手とバスケット中心の生活を送るという選択肢が少ないという状況には憂いもあります。

東:
萩原さんがWリーグに進んだ1989年頃は、女性で30歳前後まで現役を続けている選手は珍しかったですよね。大学を卒業する22歳は新人ではなくベテラン選手の扱いで、25-6歳で引退する方が多かったように思います。

萩原:
そうですね、今より若い時期に引退し、別のキャリアに進んでいく選手が多かったです。

小松:
萩原さんは、高校を卒業され、大学に行かずに実業団でプレーをして、その後に大学に行かれて勉強しましたよね。通常逆の場合が多いと思いますが、どうしてそうしたキャリアを選んだのですか。

萩原:
はい、私が実業団に入り、オリンピックに出場できたのは、自らの強い意志によってキャリアを選択してきた結果というよりも、様々なめぐり合わせや“運”に恵まれた部分が大きかったと思います。
バスケットを始めた頃には、実業団やオリンピックはテレビで見るもので、自分がその舞台に立ちたいとすら思っていませんでした。中学を出たら高校へ進んで、大学を出て教員になり、バスケ部の顧問で指導できればいいな、位にしか考えていなかったんです。

東:
萩原さんのご実家は福島県。高校を卒業後に実業団へ進むということは、若くして故郷を離れることになりますね。それに対してご両親はどのような反応だったのでしょうか?

萩原:
生まれて初めて住み慣れた土地を離れるわけですから、自分としては相当な覚悟が必要だったのですが、家族に相談したらあっさりと「好きにしたら?」と言われました(笑)。私の父もバスケットの実業団選手だったので、「上のレベルでやるなら行くのが当然」的な部分があったのでしょうね。

小松:
萩原さんのお父さんもバスケット選手だったんですね。

萩原:
はい、1964年の東京オリンピックの日本代表候補選手だったんです。

小松・東:
お〜すごい!!

萩原:
父は当時とても強かった明治大学を卒業後、実業団チームの三井生命(現在は休部)でプレーしていたんです。身長も188cmと、当時にしては大きかったのですが、長男で家督を継がなければならないこともあり、数年で福島へ戻ったんですね。もしかすると、納得するまでバスケットを続けられなかった部分もあったのかも知れません。

東:
当時の日本人で188cmはかなり大きいですね。萩原さんはそのDNAを受け継いでるんですね。

萩原:
身長に関しては父の影響があると思います。

東:
お父さんは、自分が日本代表候補選手だったことを、娘である萩原さんに伝えていたんですか?

萩原:
いや、父からそういう話を聞いたことはないですね。私が勝手に昔の新聞記事を調べたり、しまってあったユニフォームを見つけたりして知りました(笑)。

 たくさんのポジションを経験すれば、様々な持ちがわかる

小松:
バスケット選手になったきっかけはお父さんでしょうが、実際はじめたのはいつですか。

萩原:
小学校4年生の時、学校のクラブ活動が初めてでした。私は父が大好きだったので、よくバスケットを教えて欲しいとお願いしていたのですが、当時仕事が忙しく、いつも疲れていた父は帰宅するとすぐに寝てしまうので、バスケを教えてもらう機会がなかったんです。

東:
小学生くらいのお子さんをお持ちの年代は、仕事が忙しいことが多いですからね。私も小学6年生の娘と3年生の息子を持つ父親ですので、その頃のお父さんの気持ちを考えると切なくなります・・・。
もともとポジションはフォワードだったんですか?

萩原:
小学生の頃はそれほど背が高くなかったので、ガードもやったりしていました。その後、少し背が伸びてセンターになったのですが、しばらくすると背が止まったので、その時の身長に応じて色々なポジションにコンバートされた後、また一気に背が伸びたので、高校時代は主にセンターでプレーしていました。
一応、全てのポジションの経験があったので、実業団時代にはチーム事情に応じて色々なポジションでプレーをしてきました。

小松:
マルチプレーヤーなんですね。

萩原:
まあ、そうですね。今もバスケット選手は、最初から大きかったという選手よりも、後で背が伸びたという選手の方が重宝される傾向がありますね。

東:
色々なポジションを経験していると、それぞれのポジションの人が何をしてほしいのか、どんな気持ちでプレーしているのかを理解出来ますからね。

萩原:
小さな頃から背の高い選手は、ゴール下にいて動かなくていいと言われることが多いのですが、そういう指導を受けてきた選手が途中から他のポジションで活躍するのは結構大変なんですよ。

小松:
高校時代は、インターハイにも、国体にも出場されたんですよね。高校の時に年代別の日本代表には呼ばれたのですか。

萩原:
全国から40名くらいが選ばれる第一次選考には呼ばれたのですが、そこ止まりでした。

東:
高校バスケの強豪チームは長時間練習するイメージがあるのですが、萩原さんの高校は何時間ぐらい練習していたのでしょうか?

萩原:
私の高校は2時間ぐらいでした。進学校だったこともあり、スポーツだけではなく、勉強もしなければいけないという考えでしたね。どんなことでも集中力を2時間以上継続するのは難しいと思いますので、理にかなっていたかなと思います。

東:
その練習量でインターハイに出場したのですから、高校時代から効率的なトレーニングが出来ていたんでしょうね。当時、福島県の高校の競技レベルは全国的にどのくらいだったのでしょうか?

萩原:
私たちの頃は東北地方でも弱いほうでした。高校の競技レベルは地域のミニバスケットボール(12歳以下で行われるバスケットボール)が盛んかどうかに左右されるのですが、福島県は私たちの時代ぐらいからミニバスが段々盛んになってきて、徐々にレベルが上がっている印象ですね。

小松:
高校の練習は、戦略的なトレーニングを取り入れていましたか。

萩原:
全然戦略的ではなかったです(笑)。当時珍しかった女性監督でしたが、ひたすら走ることで体力をつけ、プレーは自分たちで考えてやりなさい、というスタイルで、いわゆる戦術的な練習はやったことがありませんでした。ただ、運良く私の学年の前後に、市内の強豪中学の選手達が集まっていたため、チームは強かったんです。

小松:
そんな萩原さんですが、高校を卒業後、実業団チームの「共同石油」へ入ります。ここから萩原さんの激動の人生が加速していくことになります。

東:
次回が楽しみです!(つづく)

 

編集協力/設楽幸生

インタビュアー/小松 成美 Narumi Komatsu
第一線で活躍するノンフィクション作家。広告会社、放送局勤務などを経たのち、作家に転身。真摯な取材、磨き抜かれた文章には定評があり、数多くの人物ルポルタージュ、スポーツノンフィクション、インタビュー、エッセイ・コラム、小説を執筆。現在では、テレビ番組のコメンテーターや講演など多岐にわたり活躍中。

インタビュアー/東 俊介 Shunsuke Azuma
元ハンドボール日本代表主将。引退後はスポーツマネジメントを学び、日本ハンドボールリーグマーケティング部の初代部長に就任。アスリート、経営者、アカデミアなどの豊富な人脈を活かし、現在は複数の企業の事業開発を兼務。企業におけるスポーツ事業のコンサルティングも行っている。

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