Career shift

池田めぐみ(旧姓原田) / Ikeda Megumi   元フェンシング日本代表|現在:

本質を追求し、リスクをマネジメントする 元フェンシング日本代表・池田めぐみ(旧姓原田)(後編)

Profile

 

1979年8月1日山形県南陽市出身。元フェンシング・女子エペ選手。日本代表として2004年アテネ大会、2008年北京大会と二大会連続でオリンピック出場。2006年ワールドカップ(バンクーバー)個人で二位。2009年に結婚し、一時休養後に復帰。2010年広州アジア大会団体で金メダルを獲得。2012年ロンドンオリンピック出場を目指していたが、2011年に乳がんが見つかり、現役を引退。現在は、山形県スポーツ協会でスポーツ指導員を務める他、様々な役職に就き、幅広く活躍している。
山形県立米沢興譲館高等学校 → 東京女子体育大学 → 筑波大学大学院
2003~2005年全日本フェンシング選手権大会 女子エペ 個人優勝
アテネオリンピック エペ 個人28位
北京オリンピック エペ 個人15位
広州アジア大会 エペ団体優勝
公益財団法人山形県スポーツ協会 スポーツ指導員
日本アンチ・ドーピング機構 アスリート委員/評議員
嘉納治五郎記念国際スポーツ研究・交流センター 理事
日本スポーツフェアネス推進機構
日本スポーツ協会 国体委員会 委員
日本フェンシング協会 アンチ・ドーピング委員会 副委員長山形大学 非常勤講師

東:
元フェンシング日本代表・池田めぐみ(旧姓原田)さんへのインタビューもいよいよ今回が後編となります。

小松:
前回は、フェンシングとの出会いから日本代表選手になるまでのお話を伺いましたが、最終回となる今回は、世界の壁を乗り越えるために単身欧州に渡って武者修行をし、いよいよ夢のオリンピックに出場したお話から伺ってまいります。

 後悔しないように

小松:
家族の大反対を押し切って、大学院に進むことと、必ずオリンピックに行くことを条件に東京女子体育大学へ進学なさった池田さんは、大学四年生で初めて日本代表に選出。本格的に世界と戦うことになったわけですが、当時は高く厚い壁を感じられたそうですね。

池田:
日本代表選手になることで、ようやくオリンピックを現実的な目標として捉えられる立場にはなれたのですが、世界では全く歯が立たなくて。もっと強くなるためには“本物”に触れなければいけないと考えて、大学を卒業した後に一年間アルバイトをして貯めたお金と親から援助してもらったお金でハンガリーに渡って、武者修行をすることにしました。

東:
どうしてハンガリーだったのでしょうか?

池田:
直近のシドニーオリンピックで金メダルを獲得したのがハンガリーの選手だったので。世界一の選手と過ごせば強くなれるだろうと考えて、同じクラブチームに入るために現地の日本人会やハンガリーのフェンシング協会、クラブチームに連絡して、入学したばかりの筑波大学大学院を休学してブダペストのアパートに引っ越しました。

小松:
入学したばかりの大学院を休学して、単身海外に住んで武者修行をするなんて、考えることは出来たとしても、実際にはなかなか出来ないことだと思います。

池田:
後悔したくなかったんです。大学院での勉強はオリンピックが終わってからも出来ますし、後で振り返った時に、「あの時ハンガリーに行っていれば」とは絶対に思いたくなくて。

東:
もの凄い決断力と行動力をお持ちですよね。ハンガリーにはどのくらいの期間滞在なさったのでしょうか?

池田:
2003年の春から一年間、ブダペストのクラブチームに通って、ハンガリー代表チームとも練習させてもらいながら、オリンピック出場に必要なポイントを獲得するために欧州各地で開催されているワールドカップを転戦しました。思うように勝てなかったり、怪我に苦しんだりと様々な挫折も経験しましたが、大きく成長出来たと思います。

 テレビに入れた!

小松:
迎えた2004年、アテネオリンピックの開会式が開催されたギリシャ・アテネのオリンピックスタジアムにフェンシング日本代表選手として参加なさったわけですが、どんな気分でしたか?

池田:
オリンピックへの出場が決まってから、あの“テレビの中”にとうとう入れるんだ!と思うと、興奮してしまって。前日から鼻血が出そうでした(笑)

東:
五歳の頃にテレビでロサンゼルスオリンピックの入場行進を見て「私もここに行きたい!」と、無理矢理テレビの中に入ろうとして母親に叱られていた少女が、とうとう夢の舞台に立ったわけですものね・・・

池田:
スタジアムに入場した時のもの凄い歓声と桁違いの振動は一生忘れられないです。あの時、テレビの中で行進していた選手たちはこの風景を見ていたのだと思い、感慨深かったです。

小松:
ご両親も喜ばれたでしょうね。

池田:
両親は、それまで一度も私の試合を見に来たことがなかったのですが、アテネには応援に来てくれて。まずは一つ約束を果たせたと思いました。

 “本質”を追求する

小松:
アテネオリンピックを終えた池田さんは、筑波大学大学院に復学なさって、研究活動をしながら四年後の北京オリンピックを目指すことになります。大学院では、何を専攻なさっていたのでしょうか?

池田:
体育研究科体育方法学専攻の諏訪伸夫教授の研究室で、スポーツ行財政領域のリスクマネジメントを専攻しました。

東:
リスクマネジメントは、リスク(悪い事象が起こる可能性)を組織的に管理して、損失や事故の回避や低減を図るプロセスのことですよね。研究対象は何だったのですか?

池田:
研究対象はフェンシング選手としての自分です。リスクマネジメントのメソッドをフェンシングに応用して、競技を続ける上での様々なリスクを想定し、それらを回避するための情報を集めて、実際に一つずつ潰していくことで、ハイパフォーマンスを獲得するために必要な行動を明確にすることが出来ました。

小松:
ご自身のパフォーマンスをどのように向上させるのかを研究なさったのですね!

東:
競技力を向上させるための方策をロジカルに研究してきたご経験は現在のお仕事にも役に立っているのではないでしょうか?

池田:
そうですね。大学院での研究を通じて身につけた情報収集やタイムマネジメントの方法、ネットワークの築き方などは、仕事を進める上での重要なコンピタンス(課題を解決する能力や技術)として現在でも役に立っていますし、何事においても“本質”を追求する姿勢を持てたことは人生の財産になりました。

小松:
“本質”を追求する姿勢、もう少し詳しく聞かせていただけますか?

池田:
シンプルに言えば、“何のため”にやっているのかを突き詰めるということですよね。
フェンシングでも、仕事でも、子育てでも、何かに取り組む時にはそこに必ず“目的”が存在します。目的を達成するためには、失敗や間違いを恐れて行動しないのではなく、失敗や間違いを活かして前に進んでいくことが求められます。大学院での研究を通じて、細かい部分を見るのではなく、まずは大きなビジョンを描いて、それを実現するためのストラテジー(戦略)を立て、実行計画に落とし込み、実際に行動していくというHOW TOを学ぶことが出来ました。

東:
多くのトップアスリートが、競技を通じて“本質を追求するスキル”を身につけていると思うのですが、言語化出来ている人は少ないように感じます。

池田:
同感です。もったいないですよね。言語化出来ればもっと多くの方々に自らの経験を共有することが出来るようになると思うのですが。

小松:
池田さんの高校時代の恩師である小原秀樹先生は、まさに言語化が出来て、本質を追求なさっている指導者だったように感じます。小原先生のご指導を受けてきた影響も大きかったのではないですか?

池田:
おっしゃる通りです。

 突然の引退

小松:
自らを研究対象とすることで、さらなるパフォーマンスの向上を実現させた池田さんは、2008年に開催された北京オリンピックに二大会連続で出場。女子エペ個人で日本人過去最高の十五位という成績を残し、翌2009年は結婚のため一時休養なさいましたが、復帰後に2010年に広州で開催されたアジア大会に出場。団体での優勝に大きく貢献するなど選手としての全盛期を迎えました。当時、凄い選手が出てきたと胸が高鳴ったのをはっきりとおぼえています。

池田:
ありがとうございます。素晴らしい仲間やトレーナーにも恵まれて、満足のいく研究成果を残すことが出来ました(笑)

東:
三大会連続となるロンドンオリンピックに向け、順風満帆に過ごしていた2011年の夏。
病魔が、池田さんを襲いました。

池田:
七月に韓国で開催されるアジア選手権に向けて、自分のコンディションを客観的に把握するために、起床時の身長、体重、脈拍などを記録していたのですが、年明けくらいから何となくデータに違和感を感じていて。大会に向けて調整していても、身体は重たいし、メンタルも上がってこない。おかしいなと思いながらも何とか大会を終えて、韓国から帰国するための飛行機の中で胸にしこりがあることに気づいて。「やばい!」と直感しました。空港からそのまま病院に直行し、診察を受けたところ「乳がん」、しかも悪性だということが分かって、引退を決意しました。

小松:
当時、三十一歳。競技人生の集大成となったであろう三度目のオリンピック直前でしたから、ショックも大きかったでしょうね・・・

池田:
私自身は意外と早く切り替えられたんです。ひとしきり泣いたら、あとは「剣を握っている場合じゃない!命を拾いに行かないと!」みたいな(笑)ただ、家族、特に父にとってはまさに青天の霹靂だったようで、私より落ち込んでしまって。生気が抜けてしまったようにガックリきていましたね。

東:
お父様のお気持ち、お察しします。

池田:
その後、父が勧める地元の先生に診察してもらったのですが、何とその先生が高校時代のフェンシング部の後輩のお父さんで。色々な運命を感じながら、手術もその後のリハビリも無事に終えて、こうして元気に暮らさせていただいています。

小松:
現在でも、毎年検査はなさっているのでしょうか?

池田:
はい。もともと乳がん検診なども実施していた父に毎年検査してもらっています。
今年も宜しく!って(笑)

東:
なるほど!
父に・・・検査してもらっていると。

池田:
よく我慢出来ましたね(笑)

 乗り越える力

東:
引退に際して、周囲の反応はいかがでしたか?

池田:
引退の理由を所属先に伝えたところ、病名などを発表するかどうかは私に一任すると言われて、最初は単なる体調不良を理由にしていたんです。

小松:
あまり触れられたくはない部分でしょうからね。

池田:
ただ、病名を公表することで伝えられることがあると感じたんです。

東:
何を伝えられると感じたのでしょうか?

池田:
スポーツの“本質”です。私は“乳がん”という病気で、大好きなフェンシングを引退しなければならないという困難に出会いましたが、必ず乗り越えられると信じています。なぜなら、これまでフェンシングというスポーツを通じて、様々な困難を乗り越えてきた経験があるからです。その時は確かに辛いですが、後々、乳がんになって、乗り越えられてよかったと思えるように人生を歩みたい。そんな風に考えられるようになったのは、本気でスポーツに取り組んできたからです、と、この機会だからこそ伝えられるのではないかと感じて、引退会見を開くことにしたんです。

小松:
自らの引退会見を、フェンシングを通じて、剣で突いたりかわしたりするのが上手くなったのではなく、困難に挫けず乗り越えて、たくましく生きていくための“力”を身につけられたことこそが“スポーツの本質”だということを、多くの方々に伝えるための機会になさったのですね。

東:
また、若年層における乳がん検診の重要性について啓蒙する機会にもなったと思います。
先日、白血病にかかっていることを公表なさった競泳の池江璃花子選手のように、トップアスリートは大きな発信力をお持ちですから。

小松:
勇気をもって発信なさったことを心から尊敬します。

 人生のリスクマネジメント

東:
引退後に直面した困ったことがあれば、お教えいただけますか?

池田:
特には無いんですよね。選手を引退したからといって、仕事が無くなったわけでもないですし。現役時代から幼稚園で先生をしたり、日本アンチ・ドーピング機構(以下、JADA)の活動に携わったりしていましたので。

小松:
もともとフェンシング一本に絞っていたわけではなかった?

池田:
私にとって、人生で頑張っていることの一つがフェンシングだったんです。フェンシングだけで人生を豊かに出来るとは思っていませんでしたし、フェンシングしかやりたくないというわけでもありませんでした。だから、突然フェンシングが出来なくなったからといって、特に困ることもありませんでした。もちろん、続けられるうちは続けたかったですが。

東:
アスリートはもちろん、ビジネスパーソンも一つの仕事だけに集中して生きていくことがハイリスクな時代になりました。軸となる仕事を持ちながらも、様々な活動をパラレルにしておくことが非常に重要だと感じますね。

池田:
人生のリスクマネジメントですよね。私は現役の頃から引退後もアンチ・ドーピングの活動は絶対に無くならないと思っていましたし、より重要視される時代が必ず来ると確信していました。実際にロシア問題(※注1)が起きて、世界的に注目度が増しましたよね。
自分の得意分野を軸に、今後どのような仕事が求められていくのか、また、その仕事に携わるためにはどんなスキルやネットワークが必要なのかを考えながら行動していくことが大切なのだと思います。

注1:ロシアが国ぐるみで競技選手のドーピングに関わってきたことが発覚し、同国選手がオリンピックや国際大会へ出場することが禁止となった問題。2016年のリオデジャネイロ・オリンピックでは陸上や重量挙げなどの有力選手を含む百名以上が出場禁止となり、パラリンピックではロシア選手団が全面的に参加停止とされる事態に至った

小松:
素晴らしい先見の明をお持ちですよね。さて、ここで改めて現在の池田さんの活動を“その後のメダリスト100キャリアシフト図”に当てはめてみます。山形県スポーツ協会は選手時代からの所属先ですので親会社勤務、JADAや日本フェンシング協会などのお仕事が競技団体運営で「B」の領域、山形大学の非常勤講師や講演のお仕事は「C」の領域となりますね。

注1)親会社勤務とはいわゆる企業スポーツである実業団チームで自らが所属していた企業で一般従業員として勤務していること
注2)親会社指導者とはいわゆる企業スポーツである実業団チームで自らが所属していた企業の指導者を務めていること
注3)プロパフォーマーとはフィギュアスケート選手がアイスダンスパフォーマーになったり、体操選手がシルク・ドゥ・ソレイユのパフォーマーとして活動していること
注4)親会社以外勤務とは自らが所属していた実業団チームを所有している企業以外で一般従業員として勤務していること

東:
ご自身でお話なさっているとおり、“スポーツ”を軸に幅広い領域でお仕事していることが分かります。
それでは、最後のお願いになります。フェンシングという競技名を使わないで、自己紹介をしてください。

池田:
まだ見習いレベルですが“楽しく生きる職人”になりたいです。どんな風に過ごせば楽しいのかを突き詰めて、家族や仲間たちと毎日笑顔で生きていきたいです。

東:
池田さんは、自分自身が楽しく生きているだけではなく、周囲も思いっきり楽しませてくれますから、すでに立派な職人だと思います。

小松:
本当に池田さんといると楽しいです(笑)
アンチ・ドーピングについても書いてみたくなりました。

池田:
是非お願いします!現在、アンチ・ドーピングに関してのメッセージ動画を作成中で、色々な方々にインタビューをしているのですが、言語化能力の高いアスリートがとても増えてきていますし、今後のスポーツ界にとっても大きなテーマになると思いますので。

東:
小松さんがどのようにアンチ・ドーピングについて書かれるのかもとても楽しみです。
本日はお忙しいところ貴重なお時間をありがとうございました。

池田:
こちらこそありがとうございました。
(おわり)

 

編集協力/設楽幸生

インタビュアー/小松 成美 Narumi Komatsu
第一線で活躍するノンフィクション作家。広告会社、放送局勤務などを経たのち、作家に転身。真摯な取材、磨き抜かれた文章には定評があり、数多くの人物ルポルタージュ、スポーツノンフィクション、インタビュー、エッセイ・コラム、小説を執筆。現在では、テレビ番組のコメンテーターや講演など多岐にわたり活躍中。

インタビュアー/東 俊介 Shunsuke Azuma
元ハンドボール日本代表主将。引退後はスポーツマネジメントを学び、日本ハンドボールリーグマーケティング部の初代部長に就任。アスリート、経営者、アカデミアなどの豊富な人脈を活かし、現在は複数の企業の事業開発を兼務。企業におけるスポーツ事業のコンサルティングも行っている。

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