Career shift

井上康生 / Inoue Kousei   柔道金メダリスト|現在:

日本柔道を受け継ぎ、未来に繋ぐ シドニーオリンピック・柔道金メダリスト・井上康生

Profile

 

1978年5月15日宮崎県延岡市出身。五歳から警察官で柔道五段の父の指導を受け、小学生時代に全国少年柔道大会で二連覇。中学でも全国大会やジュニアの国際大会で優勝する。東海大相模高へ進学後は、1995年のインターハイで個人優勝。1996年、主将として臨んだ全国高校選手権では個人、団体ともに優勝。全日本選手権関東地区予選で優勝し、高校生としては山下泰裕以来二十一年ぶりに全日本選手権に出場。全日本ジュニア柔道選手権95kg超級で優勝する。1997年、東海大学に進学。全日本学生体重別選手権、オーストラリア国際、正力杯、講道館100kg級優勝。1998年、国際学生柔道100kg超級優勝。全日本選手権準優勝。全日本学生体重別選手権100kg級二連覇。バンコク・アジア大会金メダル。1999年、世界選手権で金メダルを獲得。2000年フランス国際100kg級でオール一本勝ちで金メダル獲得。全日本選抜体重別選手権100kg級で優勝、全日本選手権で準優勝。自身初出場となったシドニーオリンピックではオール一本勝ちで金メダルを獲得。大会開会式では旗手を務めた。2001年、綜合警備保障に入社。全日本選抜体重別選手権で二連覇。全日本選手権では四連覇を目指す篠原信一を下し初優勝。世界選手権二連覇。2004年、日本代表選手団の主将としてアテネオリンピックに出場し、準々決勝で敗退。2008年、全日本選手権で敗退し、三大会連続の出場を目指した北京オリンピックへの出場が叶わず引退。引退後に指導者の道を歩み始め、二年間のスコットランド留学を経験した後、2011年3月に綜合警備保障を退職。4月より東海大学柔道部副監督を務め、2012年より柔道男子日本代表に就任。2016年のリオデジャネイロオリンピックでは、二つの金メダルを含む七階級全てでメダルを獲得するという快挙を成し遂げた。

東:
様々なアスリートの現役を終えた“その後の人生”に迫るインタビュー連載“表彰台の降り方。〜その後のメダリスト100〜”。今回は2000年シドニーオリンピック柔道男子100kg級の金メダリストで、2004年アテネオリンピックでは日本選手団の主将を務めた井上康生さんにお話を伺います。

小松:
井上さんは、2008年に現役を引退なさった後、二年間のスコットランド留学を経て、2011年に東海大学柔道部の副監督に就任。2012年からは、柔道男子日本代表の監督を務められています。

東:
選手時代のご活躍は多くの方々の記憶に鮮烈に残っていると思いますが、指導者としても卓越した手腕を発揮なさっていて、2012年のロンドンオリンピックで金メダルゼロに終わった男子柔道を見事に立て直し、2016年のリオデジャネイロオリンピックでは、二つの金メダルを含む七階級全てでメダルを獲得するという快挙を成し遂げられました。

小松:
これまでの指導方法を見直し、最新のテクノロジーやデータ分析などを駆使する“知性派”の柔道家という一面もお持ちです。

東:
現在の井上さんの活動を“その後のメダリスト100キャリアシフト図”に当てはめますと、東海大学の体育学部准教授と柔道部副監督、柔道部男子日本代表監督、日本オリンピック委員会(以下、JOC)の専任コーチのお仕事が「A」の領域、講演の講師などのお仕事が「C」の領域と主に二つの領域でご活躍なさっていることが分かります。

注1)親会社勤務とはいわゆる企業スポーツである実業団チームで自らが所属していた企業で一般従業員として勤務していること
注2)親会社指導者とはいわゆる企業スポーツである実業団チームで自らが所属していた企業の指導者を務めていること
注3)プロパフォーマーとはフィギュアスケート選手がアイスダンスパフォーマーになったり、体操選手がシルク・ドゥ・ソレイユのパフォーマーとして活動していること
注4)親会社以外勤務とは自らが所属していた実業団チームを所有している企業以外で一般従業員として勤務していること

 天命を感じる仕事

小松:
いよいよ来年、東京オリンピックを迎えますね。

井上:
もう、本当にあっという間です。おそらく来年の今頃(取材は2019年4月22日に実施)には代表選手が全員決まっていますから、いよいよ本番ですね。また、柔道はオリンピックの前に今年の八月に世界選手権が東京で開催されますので、それに向けての準備も進めています。

東:
今年と来年は東京で世界選手権とオリンピックが立て続けに開催されるという柔道界にとっては非常に大きな意味を持つ年になりますね。

井上:
全ての試合が大切になってくるので、様々な状況を想定して、一つひとつ確実に進めていくことが重要だと思っています。

小松:
アスリートや指導者の方々とお話ししていると、国を代表するような指導者になられる方には“天命”のようなものがあると感じるのですが、東京オリンピックを控える柔道男子日本代表の監督を井上さんが務めていることはまさに“天命”であり、国民にとってとても幸せなことだと思います。

井上:
いやいや、そんなことは全くありません。ただ、こんなタイミングでこれほどやり甲斐や生き甲斐を感じられる仕事には、この先の人生で二度と巡り合えないかもしれないとは思いますね。やりたいといってやらせてもらえる任務ではないですから。

東:
柔道界はもちろん、ある意味オリンピックにおける日本代表選手団を背負う立場ですから、想像を絶するほどの凄まじいプレッシャーもあるでしょうね。

井上:
監督業の大半はプレッシャーや緊張との戦いですから(笑)それを感じられるのは幸せなことなのだと自分に言い聞かせてやらせていただいています。

 全ては“2020年”のために

小松:
続いて、現在のお仕事についてお聞かせいただけますか?

井上:
本業といいますか、主となる所属は東海大学で、体育学部の准教授と男子柔道部の副監督を務めています。また、全日本柔道連盟に所属して男子日本代表の監督を務めていますが、こちらのお仕事はJOCの専任コーチとしてJOCから年間の手当をいただいていますので、東海大学とJOCから得た収入を中心に生計を立てています。

東:
全日本柔道連盟からは、サラリーは支払われていないと。

井上:
そうですね。

小松:
東海大学では、柔道部の指導以外にどのようなお仕事をなさっているのでしょうか?

井上:
体育学部・武道学科の准教授として、ゼミを合わせて一週間に六〜七コマの授業を担当しています。

東:
ゼミに加えて、一週間に六〜七コマも授業をお持ちなのですね。日本代表の活動と両立させるのはかなり大変なのではないですか?

井上:
確かに国内合宿や海外遠征などにかなりの時間を費やす必要がありますので、普通に考えると難しい部分もありますが、大学ならびに武道学科の先生方のご理解とご協力をいただいて「2020年まではとにかく日本代表の活動を思いっきりやりなさい」と言われて、私が不在の時の授業をオムニバス形式で色々な方々にご担当いただくなど、とても柔軟に対応していただいています。

小松:
大学を挙げて応援されているのですね。

井上:
はい、お言葉に甘えさせていただいています。

東:
准教授としてのお仕事とは別に、男子柔道部の副監督も務められていますよね。

井上:
はい。日本代表の活動が無い時には、東海大学の道場で練習を見ていますが、現状、東海大学柔道部の副監督は、ある意味“名前だけ”のポジションになるようにしています。

小松:
“名前だけ”とは、どういう意味でしょう?

井上:
今年の世界選手権のメンバーをご覧いただくと指導者や選手が所属している大学や企業がバラバラなことがお分かりいただけると思うのですが、私は日本代表のスタッフや選手が一つの所属先に固まりすぎると組織に不協和音が起きると考えているんです。ですから、2020年まではあくまで日本代表の監督として東海大学の学生の練習を視察するというスタンスを取るようにしています。

東:
なるほど、東海大学柔道部の強化や勝利を目的とするのではなく、日本代表選手の発掘を目的として東海大学の練習を見ているというスタンスなので、“名前だけ”の副監督ということなのですね。

井上:
そうですね。例えば、月曜日に東海大学の練習に参加したら、火曜日は強豪大学、その次の日は違う強豪大学もしくは強豪実業団と、視察を兼ねて様々な大学や企業に足を運ぶようにしています。

東:
なるほど。チームスポーツの場合、日本代表チームを構成する場合に一つの団体、例えば東海大学に優秀な選手が集中しているにも関わらず、東海大学ばかりから選手を選出すると、学閥や企業間のバランスが悪くなるため、別の選手を選ばざるを得ないような状況も見られるように思うのですが、柔道の場合はいかがでしょうか?

井上:
柔道に関しては、結果が全てですね。チームスポーツの場合は、個々の成績のみではなく、チームにどう貢献出来るのかという視点での判断にもなるかと思いますが、柔道の場合は個々の実力が結果に反映される割合が高いので、ある意味シンプルだと思います。

小松:
勝敗がはっきりしていますものね。

 プロフェッショナルになる

小松:
話は少し変わりますが、日本代表の監督のサラリーが全日本柔道連盟から支払われないというのは、歴代の監督も同じだったのでしょうか?

井上:
そうですね。ただ、今後は日本柔道界のためにも変えていかなければいけないと思います。

小松:
確かに名誉あるポジションかも知れませんが、大きな責任があって、多くの時間が取られ、強いプレッシャーを抱えながら様々なものを犠牲にしなければならないお仕事ですから、それに見合った収入があって然るべきだと思います。

井上:
おっしゃる通りです。経済的にも負担が大きいですし、かなりの時間拘束されますので、後進のためにも2020年以降はシステムを変えていけるように話し合っていきたいと考えています。

東:
柔道における日本代表監督も“プロ化”していく必要があるのかも知れませんね。

小松:
柔道のみならず、日本においてはスポーツを指導した際の対価としてお金が発生することを良しとしない風潮が見られるように感じますが、憂慮すべき問題ではないかと思います。

井上:
特に柔道の場合は“武道”だからというのはありますね。例えば柔道教室を開催すると、基本的に参加費は無料で、指導者はボランティアです。普及のためにも参加者からお金をとってはいけない。柔道を教えることで儲けようだなんてけしからん!という状況がまだまだ多いですね。

東:
武士は食わねど高楊枝のような、清貧を良しとする気風がありますよね。
柔道やスポーツで儲けるというよりも、参加者は学び楽しんだ対価を支払い、指導者は自らのスキルや経験を伝えた報酬を受け取るというごくごく普通のことなんですけれどね。

井上:
日本ならではの美しい価値観ではあると思います。ただ、これは私の個人的な意見ですが、指導現場を含め、今後はより柔道界に資金が集まるように考えていかなければいけない時代になってくると思います。現在の柔道界は資金面でも選手の待遇面でも、企業に力強くバックアップしていただいて成り立っており、他競技と比較しても非常に恵まれているとは思いますが、それが未来永劫続いていくのかは分かりません。より高い価値を生み出し、よりよい環境をつくることが出来るように、柔道界が自ら取り組めることはたくさんあるのではないかと。

小松:
現在バックアップしていただいている企業のみに甘え続けるのではなく、柔道の価値を高め、より広く応援してもらえるような活動をしていかなければいけないということですね。

東:
企業からの支援のみに依存するのではなく、柔道を“ビジネス”としても成り立つようにしていく必要があるのでしょうね。

井上:
日本国内を見ても野球やサッカーはもちろん、バスケットボールもプロ化しましたし、柔道においても国際柔道連盟が全ての試合を賞金制にしました。世界的にスポーツをビジネスとして考えるのが当然になっている流れの中で、日本柔道が取り残されてしまわないようにしていかなければならないと感じています。

小松:
井上さんは、武道としての“柔道”と、今や国際競技になった“JUDO”の二つを背負い、両立させるために奔走している印象があります。もちろん柔道の精神的な部分は大切なのですが、ビジネスとして持続性がある状態にしなければ、競技として立ち行かなくなる時が来るかも知れませんので、変えるべきところは変えていかなくてはいけない。一方で、柔道の先達たちの精神を受け継いで、決して変えてはならない“日本柔道らしさ”を未来に伝えていくというミッションもありますよね。

東:
“日本柔道らしさ”は、ある意味、日本人にしか理解出来ない感覚ではありますが、日本人全員が知るべき精神なのではないかと思います。それを受け継ぎ、繋げていく役割を井上さんが担っているわけですから、非常に重い責任がありますよね。

井上:
守るべき部分は守り、変わらなければならない部分は変わりながら、自らの仕事を全うしていきたいと考えています。

小松:
まさに“天命”に選ばれしお仕事だと思います。今回は、井上さんの現在のお仕事を中心に伺ってまいりましたが、現役時代のお話についてお聞かせいただきたいと思います。

東:
宜しくお願い致します。

井上:
宜しくお願いします。

小松:
井上さんの現在のお仕事を中心に伺ってまいりましたが、現役時代についてのお話をお聞かせいただきたいと思います。

 父に憧れ“柔”の道へ

小松:
井上さんが、柔道を始められたのは五歳。柔道五段のお父様が練習している姿を見学したのがきっかけだったそうですね。

井上:
はい、初めて道場へ見学に行った時に、父が内股で相手を投げ飛ばしているのを見て、「かっこいい!自分もやりたい!」と思ったのが始まりです。

東:
その後、お父様のご指導の下、小学生時代に全国少年柔道大会で二連覇。中学に進学後もジュニア国際柔道大会優勝という素晴らしい成績を収められましたが、日々の練習はかなり厳しかったそうですね。

井上:
そうですね。父はある意味異常なほど柔道を愛していましたから(笑)

小松:
そんなお父様と井上さんの鬼気迫る練習を、お母様が板の間で正座して微動だにせず見守っていらしたのだと伺いました。

井上:
はい、おかげで、ズルをしようとかサボろうとは一度も思えなかったですね(笑)

東:
中学を卒業後、名門・東海大学付属相模高校(以下、東海大相模高校)に進学なさってからはまさにエリート街道を突き進んでいくわけですが、元々は別の高校に進む予定だったそうですね。

井上:
当初は東海大相模高校のライバル校に進む予定だったのですが、指導されていた先生が辞められることになって。父から「あの先生がいないのであれば、行く意味はない」と言われて、急遽、方針を転換して入学することになったんです。

小松:
そこで、高校から大学時代までご指導を受けることになる恩師・佐藤宣践先生と出会われましたね。

井上:
“運命”や“巡り合い”と言うものは、本当にあるのだなと感じます。
あの時、ライバル校を指導なさっていた先生が辞めていなければ、今の私はありませんから。

東:
偶然のようで、必然の出会いだったのでしょうね。

 柔道界を背負う

小松:
佐藤先生のご指導は、教えたことを強制的にやらせるのではなく、選手自らに考え、工夫させるようなスタイルだったそうですね。

井上:
はい、練習中の様々なタイミングで、答えをそのまま教えるのではなく、ヒントを与えることで、個々の選手に考えさせて、自ら工夫して自分のものにしていきなさいというご指導を受けました。
佐藤先生と出会って、柔道の技術の向上や、試合での勝利のみを追求するのではなく、自らが柔道家として、そして人間としてどんな風に生きていくべきなのかという部分ともしっかりと向き合えるようになりました。

東:
まさに、柔道の“スポーツ”の部分と、“武道”の部分をともにご指導いただいたのですね。

小松:
高校時代の井上さんは、1995年のインターハイで個人優勝。1996年には全国高校選手権で個人、団体ともに優勝するとともに、全日本選手権関東地区予選で優勝。高校生としては山下泰裕さん以来二十一年ぶりとなる全日本選手権に出場し、一躍、柔道界以外からも注目を集める存在になりました。井上さんにとって、山下泰裕先生の存在は非常に大きなものだと思うのですが、初めて出会ったのは、かなり小さな頃だったそうですね。

井上:
私が“人生の師”である山下泰裕先生に初めてお会いしたのは小学生の頃で、当時私が通っていた道場で子供たちと練習をしてくれるという企画でご一緒させていただきました。1984年のロサンゼルスオリンピックでの金メダル、全日本選手権九連覇、国民栄誉賞まで受賞なさっている山下先生は、まさに雲の上の存在でしたが、その時に足払いをされて引っくり返ったことは今でも忘れられません。

東:
小学生の頃には、すでに山下先生と出会っていたのですね!

井上:
その後、中学二年生の時に参加した全日本ジュニア九州ブロックの合宿中にも山下先生から直接激励をしていただいたことがありまして。振り返ってみると、その時にはすでに「これからは山下先生の背中を追い求めていく」と心に決めていたように思います。

小松:
高校を卒業後は、東海大学へ進学。一年生のうちから1997年の全日本学生体重別選手権で優勝。その他にもオーストラリア国際、正力杯、講道館杯100kg級でも優勝。1998年には、国際学生柔道100kg超級で優勝し、全日本選手権では準優勝。全日本学生体重別選手権で二連覇。12月にタイ・バンコクで開催されたアジア大会で金メダルを獲得するなど順風満帆の選手生活を送っていた井上さんを、悲劇が襲いました。

東:
1999年6月に、お母様がくも膜下出血でお亡くなりになられました。この時、お母様からの手紙に書かれていた“初心”という言葉を、現在でも座右の銘となさっているそうですが。

井上:
そうですね。サインを書く際にも添えさせていただいています。

小松:
井上さんは、最愛のお母様を失うという試練にも挫けること無く、その年の十月に開催された世界選手権で初の世界一に。翌2000年に開催されたシドニーオリンピックでは、全ての試合で一本勝ちして金メダルを獲得するという偉業を達成。お母様の写真を胸に抱いて表彰台の真ん中に立つ姿は世界中の感動を呼びました。

井上:
柔道を始めた頃から、誰よりも私を応援してくれていた“世界一の母”を世界中の人たちに見てもらいたいと思い、一緒に表彰台にのぼらせていただきました。

東:
シドニーオリンピックでは、“柔道”というジャンルを超えた国民的スーパースターになられましたが、恩師である佐藤先生からも「将来柔道界を背負っていく者としてどのようにあるべきかを考えて行動しなさい」と言われていたそうですね。

井上:
はい、私が大学三年生の時だったと思います。同じ頃に、将来、東海大学で教員になる気はないかというお話もいただきまして。とても興味がありますとお答えしたところ、そこから様々なパーティーに出席し、突然スピーチをさせられたり、大学の練習が終わった後に柔道教室の講師を務めたり、講演の練習をしたりと、色々な経験をさせてもらうようになりました。

小松:
東海大学は、東海大学だけではなく日本の教育や柔道界全体の成長にまで目を向けておられますから、それを背負っていく存在として井上さんに白羽の矢を立てて、大学生の頃から英才教育を始められたのでしょうね。

井上:
山下先生や佐藤先生からは、大学時代から、新聞や本を読んで柔道以外にも視野を広げなければいけない。常に世界が今どのように動いているのかを意識しながら生きなさいと言われていました。

東:
まさに“文武両道”で、世界に羽ばたく人物になるための教育を施されていたのですね。

 負けた選手を思いやる

小松:
井上さんは東海大学を卒業後、綜合警備保障に入社。2001年の全日本選抜体重別選手権で二連覇。同年の全日本選手権では四連覇を目指していた篠原信一選手を下して初優勝。その後、三連覇を達成し、名実ともに日本柔道界のエースへと昇り詰めるとともに、世界選手権でも三連覇を達成するなど選手としての絶頂期を迎えられます。

東:
しかし、二大会連続の金メダルを期待され、日本代表選手団の主将として臨んだアテネオリンピックでは、まさかの敗北。2005年の試合中に負った右大胸筋断裂という大怪我の影響もあって、三度目の出場を目指した北京オリンピックへの出場権を獲得出来ず、2008年5月に引退を表明なさいました。

小松:
井上さんは、アテネオリンピックまでは負けることなんて考えられないくらい勝ち続けてきたわけですが、その後は怪我にも苦しみながら、「なぜ勝てないのか?あれだけ簡単に勝てていたのに・・・」と悩み苦しみぬかれたのではないかと思います。辛い思いもなさったと思うのですが、負けた経験が現在のお仕事に活きている部分があればお教えいただけますか?

井上:
そうですね。負けたことで得られた学びはたくさんあったと思います。例えば、指導者としては負けた選手の気持ちを理解出来るようになりました。もし、私がずっと勝ち続けてきた負け知らずの選手であれば、負けた選手の気持ちを理解して、サポートをすることが出来たのかは分からないと思います。勝った選手は次のステージに挑戦出来ますが、負けた選手は一旦その場で終わりです。負けた選手が、次の新たな目標に向かって立ち上がれるようなサポートをしていくうえで“負けたことがある経験”は大きな財産となっています。

東:
負けたことがあるからこそ負けた選手の気持ちを思いやることが出来るわけですから、“負けた経験”が大きな強みになっているということですよね。

井上:
いえ、そうとも言い切れない部分がありまして。山下先生は、勝ち続けたまま現役生活を終えられていますが、負けた選手の気持ちもしっかりと理解してくださりますから。

小松:
なるほど。山下先生は負けた経験がなくとも、負けた選手を思いやることが出来ると。

井上:
はい。山下先生は「私は現役時代に勝ちすぎた。私が勝利を重ねてきた裏には、チャンピオンになれずに悔しい思いをしてきた人がたくさんいる。そういう人たちが次なる場所でしっかりと活躍をしていけるように、私が手を差し伸べていかなければいけないのだ」といつもおっしゃっています。

東:
素晴らしい方ですね・・・

井上:
山下先生を見ていると、勝ち続けていても、そんな気持ちをもてる人もいるのだと心から尊敬しますし、もし、私が勝ち続けていて負け知らずだったとしても、同じような気持ちを持てる人間でありたかったなとは思います。

小松:
中学生の頃に心に決めた「山下先生の背中を追い求めていく」ですね。

東:
山下先生を始め、日本中の方々が井上さんを山下先生の後継者だと感じていらっしゃると思います。
さて、今回は、井上さんの現役時代のお話を、お父様、佐藤宣践先生、山下泰裕先生という素晴らしい指導者の方々とのエピソードとともに伺ってまいりました。

小松:
現役を引退なさった後のお話から聞かせていただきたいと思います。

東:
宜しくお願い致します。

井上:
宜しくお願いします。

小松:
井上さんのお父様から佐藤宣践先生、山下泰裕先生という素晴らしい指導者の方々とのエピソードとともに現役時代について伺ってまいりましたが、現役を引退なさった後のお話から聞かせていただきます。

 海外で気づいた“ちっぽけな自分”

東:
井上さんは現役引退を表明した後、指導者の道を志して海外へ留学なさいましたが、どのような経緯だったのでしょうか?

井上:
2008年の5月に現役を引退して、その年の12月から日本オリンピック委員会(以下、JOC)のスポーツ指導者海外研修員として、スコットランド・エディンバラに二年間留学して、欧州における柔道事情や指導法について研究するとともに、英語研修を経験させていただきました。

小松:
引退なさって、休む間も無く留学なさったのですね。
スコットランドでの二年間には、多くのことを経験し、学ばれたと思うのですが、何か一つ挙げるとすれば何でしょう?

井上:
一つ挙げるとすれば、「自分のちっぽけさ」に気づかされました。

東:
ちっぽけさ、ですか?

井上:
はい、自分がいかに無学で小さな人間なのか思い知らされました。英語は話せないし、世界のことはおろか、日本のことすらも知らない。柔道の指導に関しても、日本であれば、私が「内股はこうやるんですよ」と子どもたちに教えれば、素直に「はい!」といってみんな言われたとおりにやるのですが、外国の子どもたちは、「なんでそんな風にやらなきゃいけないの?」と言って、より詳しい説明を求めてくるんです(笑)

小松:
欧州の子どもたちは小さな頃からしっかりと自分の意見を持っていますから。明確な理由を伝えて動機づけをしなければ動かないですし、言われたことに納得が出来なければやらないと。

井上:
そうなんです。あの経験から「目線を下げて、フラットな立場で指導する大切さ」を学びました。ただ、自分が納得するまではやらないので“やらされている”子どもがいなくて、やり始めると飲み込みは非常に早いですよね。

東:
選手を指導する際のスタンスが、海外と日本では違いますよね。もちろん一概には言えませんが、上から目線で自らの経験を元に“教える”日本の指導と、フラットな立場でやる気を“引き出す”海外の指導といったイメージがまだあります。多くの日本の指導者は“ティーチャー”で、海外の指導者は“コーチ”のような。

井上:
日本の指導者もどんどん変わってきているとは思います。私自身も二年の留学期間を通じて、自分自身をもう一度冷静に見つめ直すことが出来ましたし、語学も柔道も指導法も世界の情勢も、もっと勉強しなければいけないと改めて感じさせられました。

 人生の金メダリストを育てる

小松:
2011年の1月に二年間のスコットランド留学を終えて帰国なさった後、3月に綜合警備保障を退職し、4月から東海大学で体育学部の専任講師を務めながら柔道部男子副監督に就任なさいましたが、海外留学で学んだことはどのように活かされたのでしょうか?

井上:
多種多様なバックボーンや人間性を持った学生や選手たちに対するアプローチですね。講義や体験学習、部活動の際に、どんどん意見を言わせてコミュニケーションをとることで、じっくりと人間観察をして、一人ひとりに対してどういったコンタクトを取ればいいのかを考えて接するようにしています。時には遠回しに伝えなくてはいけないこともあって面倒な場合もありますが、絶対に端折ってはいけないと思っています。

東:
なるほど。全員に対して画一的なアプローチをするのではなく、それぞれに合った方法でコンタクトしているのですね。

井上:
はい、とても大変なのですが、面白いですよ。じっくり見ていると「この選手はこういう場面ではこんな行動をとるのか」とか「こんな思考の持ち主なんだ」と気づけますし、文字一つとっても性格やその日の気分が表れるものなので。

小松:
道場で柔道をしている時以外の人間性もしっかりと観察なさっているのですね。

井上:
東海大学の副監督としては、強い選手を育て、チームとして日本一になるという目標は当然ながらあるのですが、もう一つ、私は学生や選手たちが社会で生きていく中で、山下先生がいつもおっしゃっている“人生の金メダリスト”になってほしいと考えています。

東:
柔道の金メダリストだけではなく、人生の金メダリストを育てていきたいと。

井上:
柔道で一番強い選手になって金メダルを獲ることだけを目指していれば、まだ楽な部分があるかもしれません。柔道で強くなるために、柔道“だけ”を教えていればいいのだと割り切ればいいわけですから。しかし、私は柔道部の副監督であると同時に、大学の教員でもありますから、世界一の柔道家を目指しながら、「強くて、人間的にも素晴らしい」“人生の金メダル”を貰えるような人間になってほしいですし、そんな人間を育てられるように自分自身も磨いていかなければいけないと考えています。

小松:
ただ強いだけではなく、人間性に優れた選手を育てていくために、自分自身も常に成長出来るように日々磨いていく。素晴らしいお考えだと思います。

井上:
人間性を育てるという部分では、私が現役の頃はどちらかといえば厳しく縛られた環境の中で様々なことを制限されることで磨かれた部分もあったのですが、現在は、ある意味自由すぎる環境の中で人間性を磨いていくためにどのような手を打っていけばよいのかということが大きな課題となっていて、苦労もしています。

 理屈ではない世界を体験させる

東:
現在、井上さんは東海大学柔道部の副監督と日本代表の監督を兼任なさっていますが、東海大学の学生と日本代表では目指すところも違いますし、選手に対する指導も異なるものになると思うのですが?

井上:
おっしゃる通りです。日本代表ではもちろん世界一を目指しているわけですが、世界的な基準では、正直“人間力”はあまり重視されていません。

小松:
日本代表は、人間力を身につけるための場所ではなく、世界一を目指す国内最高峰の選手たちが互いに切磋琢磨するための場所ですものね。

東:
また、これは語弊がある言い方になってしまうかもしれませんが、柔道で世界のトップレベルになるためには“クレイジー”な部分がないと到達出来ない世界があるように思うんです。井上さんも現役の時には恐らく“クレイジー”な部分をお持ちだったのではないと思うのですが。

井上:
私はともかく、突き抜けている人が多かったですね(笑)

東:
そういった突き抜けている人が、突き抜けた練習をしなければ、決して壊せない壁があるように感じるのですが。

井上:
最近では“インティグリティー”と言われ、道徳や倫理観が重んじられるようにはなりましたが、私が現役の頃は今に比べると緩くて、やんちゃな選手も多かったです。現在はSNSなどの影響もあり、過度に縛られてしまう部分もありますが、若い選手たちに品行方正を求めすぎるのも少し違うのかなとは思いますよね。やんちゃをしろとは言いませんが、ある程度の枠を設けてあげて、その中では自由にしていいけれど、一線を超えたらダメだと。超えたらどうなるかわかっているよね?と伝えるようにしています。

小松:
若くて元気な選手たちを小さな檻に閉じ込めてしまうのではなく、ある程度自由の効く牧場で放牧するようなイメージでしょうか?

井上:
そのくらいの感覚で接してあげないと、爆発してしまっても大変ですから。

東:
理論や科学的な手法だけでは辿り着けない世界があるからこそ、自衛隊でのパラシュート訓練や相撲部屋への出稽古を日本代表の練習に取り入れたりなさっているのでしょうか?

井上:
世の中の流れとして、科学的かつ効率的に物事を進めていくことが大切だとする風潮がありますが、実際、世の中には理屈が通らないことや汚いこと、理不尽なことがあります。どうすればそれらに耐えうる力を選手が身につけられるのかを考えながら試行錯誤しています。
もちろん怪我などに結びついてしまっては本末転倒ですので安全を第一に考えていますが、例えばあえて真冬のマイナス三十度のモンゴルの山奥に選手を送り込んだり、事前に一切伝えずに自衛隊のトレーニングに参加させたり、時には陶芸にチャレンジしてもらうとか、そういったある意味理不尽で、柔道の“枠”を超えた多様な経験を通じて、自らの壁をやぶり、どんな環境でもたくましく生き抜いていけるタフで人間的に幅の広い選手を育てていきたいと考えています。

小松:
年長には絶対服従のような過剰な上下関係や体罰などではない理不尽でタフな経験をさせるためのプログラムを実施なさっているのですね。

井上:
実績を残した組織というのは「昔はこうだった」と、どうしても過去の栄光や成功体験に囚われてしまい、なかなか新たな壁を乗り越えられなかったり、時代にそぐわなくなってしまうことがあります。
これまでの先人や先輩方が作り上げてきた伝統はもちろん大切ですが、それだけに固執してしまえば、世界の流れについていけなくなってしまいます。この先も日本柔道が発展し、世界の舞台で活躍していくためには、これまでの伝統と日本らしさを大切にしながらも、新たな情報を幅広く集めて、柔軟な発想で取捨選択していくことが求められます。そのために、我々指導者がやるべきことは、学ぶことをやめないことであり、自分たちの経験値だけで物事を判断しないことです。

東:
学ぶことをやめたら教えることをやめなければいけないということですね。井上監督の下、たくましく成長した日本代表選手が2020年に大活躍するのが楽しみです!

 スポーツとアスリートの価値を高める

小松:
続いて、今後の目標を教えていただけますか?

井上:
2020年までは、柔道男子日本代表チームの監督として、皆様の期待に応えられるような結果を残すことはもちろん、柔道界全体として成功を収めるために全力を尽くします。そして、柔道のみならず日本スポーツ界にとって本当に大切なのは2020年以降だと思います。スポーツを通じていかに社会に貢献出来るかを考えて行動し、スポーツとアスリートの価値を高め、社会の役に立ち、広く求められるような活動をしていきたいと思っています。

東:
素晴らしいですね。井上さんには“柔道”ではなく“生き様”を指導しているイメージがあります。柔道を指導しながらも、柔道という競技を強くするためだけではなく、柔道を通じて人生でとても大切なことを選手たちに伝えられているような。

小松:
きっと、井上さんが、佐藤宣践先生、山下泰裕先生から同じような指導を受けてこられたからなのでしょうね。つまり、人を育てる目的というのは目先の競技成績の向上などではなく、十年後、二十年後にどんな人間になってほしいのかという大きなビジョンを描くことが大切なのだと。
きっといつか、井上さんの教え子の中から日本柔道を背負う存在が現れて、歴史が紡がれていくのだと思います。

東:
さて、ここで改めて現在の井上さんの活動を“その後のメダリスト100キャリアシフト図”に当てはめますと、東海大学の体育学部准教授と柔道部副監督、柔道部男子日本代表監督、日本オリンピック委員会(以下、JOC)の専任コーチのお仕事が「A」の領域、講演の講師などのお仕事が「C」の領域と主に二つの領域でご活躍なさっていることが分かります。

注1)親会社勤務とはいわゆる企業スポーツである実業団チームで自らが所属していた企業で一般従業員として勤務していること
注2)親会社指導者とはいわゆる企業スポーツである実業団チームで自らが所属していた企業の指導者を務めていること
注3)プロパフォーマーとはフィギュアスケート選手がアイスダンスパフォーマーになったり、体操選手がシルク・ドゥ・ソレイユのパフォーマーとして活動していること
注4)親会社以外勤務とは自らが所属していた実業団チームを所有している企業以外で一般従業員として勤務していること

小松:
2020年の東京オリンピックはもちろん、それ以降のますますのご活躍が楽しみです。

東:
それでは、最後に柔道という競技名を使わずに、自己紹介をしてください。
井上康生さんはどんな人物でしょうか?

井上:
そうですね、自分で言うのは少々恥ずかしいのですが“求道者”ですかね。

小松:
求道者とは、真理や真実を求めて深く探求し、その途上で失敗や挫折があっても、諦めることなく自分自身の未熟さを自覚しつつ、向上を目指して精進を続ける人のことですから、まさに井上さんのことですね。

東:
これからも柔の道だけではなく、様々な道を追求なさっていくのでしょうね。
求道者、ぴったりだと思います!

井上:
その言葉は嫌いではないです。
自分で言うのは恥ずかしいですけど(笑)

小松:
本日はお忙しいところ誠にありがとうございました。

井上:
ありがとうございました。
(おわり)

 

編集協力/設楽幸生

インタビュアー/小松 成美 Narumi Komatsu
第一線で活躍するノンフィクション作家。広告会社、放送局勤務などを経たのち、作家に転身。真摯な取材、磨き抜かれた文章には定評があり、数多くの人物ルポルタージュ、スポーツノンフィクション、インタビュー、エッセイ・コラム、小説を執筆。現在では、テレビ番組のコメンテーターや講演など多岐にわたり活躍中。

インタビュアー/東 俊介 Shunsuke Azuma
元ハンドボール日本代表主将。引退後はスポーツマネジメントを学び、日本ハンドボールリーグマーケティング部の初代部長に就任。アスリート、経営者、アカデミアなどの豊富な人脈を活かし、現在は複数の企業の事業開発を兼務。企業におけるスポーツ事業のコンサルティングも行っている。

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