Career shift

岩崎恭子 / Kyoko Iwasaki   元競泳選手|現在:

自分しかできないことが、きっとある 競泳・岩崎恭子(前編)

Profile

 

岩崎 恭子(いわさき・きょうこ)
競技者として常に前を行く姉を追いかけ、大会に出場。
残り 1 枠を姉と争い出場権を獲得したバルセロナ五輪では、メダル候補にも挙がらない無名の選手だったが、本番で驚異的な成長をみせ、当時の五輪記録を塗り替えるタイムで競泳史上最年少金メダリストに輝く。その後、アトランタ五輪出場も果たした。
引退後は児童の指導法を学ぶために米国へ留学し、レッスンやイベント出演を通して水泳の楽しさを伝える活動をしている。

東:
トップアスリートの方々へのインタビューを実施し、キャリアに悩む様々な方々にお伝えしていく「表彰台の降り方。その後のメダリスト100」。記念すべき第一回は競泳バルセロナオリンピック金メダリスト・岩崎恭子さんにお話を伺います。

小松:
岩崎さんの現在の活動を“その後のメダリスト100 キャリアシフト図”に当てはめると、水泳の指導者が「A」、解説者などのメディア出演は「D」と二つの領域でご活躍なさっていることが分かります。

注1)親会社勤務とはいわゆる企業スポーツである実業団チームで自らが所属していた企業で一般従業員として勤務していること
注2)親会社指導者とはいわゆる企業スポーツである実業団チームで自らが所属していた企業の指導者を務めていること
注3)プロパフォーマーとはフィギュアスケート選手がアイスダンスパフォーマーになったり、体操選手がシルク・ドゥ・ソレイユのパフォーマーとして活動していること
注4)親会社以外勤務とは自らが所属していた実業団チームを所有している企業以外で一般従業員として勤務していること

 金メダル、栄光と葛藤

小松:
岩崎恭子さんは、1992 年のバルセロナオリンピックにおいて、14 歳という若さで金メダルを獲りました。私ももちろん覚えているのですが、当時日本中に衝撃が走りました。14 歳の少女が金メダルを獲ったことで、多くのマスコミが連日取り上げましね。そして当時決してメジャーとはいえなかった競泳平泳ぎにも、注目が集まりました。 オリンピックに出るまでは、岩崎さんのお名前は決して有名ではなかったのですが、金メダルを取って一気に知名度が上がりました。世の中が一気に変わるわけですが、一番多感な年齢の時にそんなことを経験されて、何が一番変わりましたか?

岩崎:
私の名前があちこちで取り上げられて、「私は相手のことを知らないけれど、相手が私のことを知っている」というような状態になったんですね。でもそれを嫌だと思っても仕方がないのかなぁ、そんな気持ちで過ごしていましたね。

東:
楽しくはなかったんですか?

岩崎:
楽しくないですよ。今までは何も気にせずに外を歩けていたんですが、それができなくなったりとか。できないわけではないですが、人目を気にして歩かなくてはいけなくなったりしましたからね。
でも逆に、いい思いもたくさんさせてもらいました。だって 14 歳であんな経験ができるなんて、多分私しかいないって思っていましたからね。それは今では財産だと思っています。

東:
有名になることで、テレビに出たり、会いたい人に会えたりしますよね。野球やサッカーのようなメジャーなスポーツではなくて、ちょっとマイナーなスポーツ選手の人って、テレビに出たい! って思う人が多いと私の印象では感じるのですが、岩崎さんは?

岩崎:
正直その頃は私、有名になりたいから金メダルを獲ろうとしたわけではないんです。一生懸命やった結果金メダルを獲ることができた、それだけなんですよね。
今に比べてスポーツ選手のマネージメントって昔はすごく遅れていたんで、それが原因でもあるんですが、いきなり有名な人になり、公人になってしまって、家族も晒されるみたいな状態になったのは、すごく戸惑いがありました。私は「有名になりたいためにスポーツやっていたわけではないのにな……」って思いが強くあったんです。

東:
有名になることで、色々な恩恵を受けたかもしれませんが、その反面失うものもあったということですよね。

岩崎:
はい、そうですね。その頃の私は、周囲の目線やリクエストを意識しすぎていたのかもしれません。人が求めることを演じていたような、本当の自分でないような……。

 金メダリストとしての自分、ただの人としての自分

小松:
金メダリストになってから、マスコミが「日本を代表する女の子」みたいに取り上げましたよね。そしてみんなが「恭子ちゃん 恭子ちゃん!」って応援しだしたんですよね。
バルセロナオリンピックでは、努力が実を結んで世界一になりました。世界一になった後は、もう一度世界一を狙わなければいけないわけですよね。周りの期待に応えるために。それはもう大変だったんじゃないですか?

岩崎:
バルセロナオリンピックで金メダルを取れて、嬉しいこともたくさんあったけれど、恨みとか妬みもたくさんありました。
なんで私がこんな目に遭わなくちゃいけないの? って思う時もありましたけど、 「世の中にはそういう人はいるんだな」って思えたらある時吹っ切れたんですよね。

私がやることは、そんな周囲のことや噂や評判を気にすることではなくて、またオリンピックに行くために努力することだって思ったんですね。
でも実は、その時の自分は、正直「同じことは 2 度は起こらない(もう一度金メダルは取れない)」ってわかっているんですよ。その時、もう一回金メダルを取れる位置に自分は今いない、って気づいていたんです。ブランクも 2 年ぐらいありましたからね。 でもそこで今の現実を受け止めなければ、それ以上は望めない、って思ったんですよ。

その時のタイムから考えると、自分は金メダルを狙える位置にはいないってことはわかってました。今自分の置かれている境遇が、現実的にどういう状態なのかも理解していたんです。当時のコーチもそのことを理解してくれていました。

こんな話を思い出したんですけどね、当時は大会ごとに目標のタイムを提出してたんですよ。ある大会の前に、コーチに目標タイムを提出したら、
「このタイム、本当に出せるって今思ってないでしょ?」
って言われたんです。
「はい思っていません、すいません」
ってその時正直に答えましたけどね(笑)。

小松:
コーチはどなただったんですか?

岩崎:
中村真衣さんのコーチの竹村吉昭先生が見てくださっていたんです。オリンピックの 1 年前でした。
そのタイムは、「(その目標タイムを)書かなきゃいけない」って思った自分がいたのと、「でもこのタイムは自分には出せない」って思っていた自分もいました。
でも、竹村先生はその私の葛藤を理解してくださっていました。だから後日、竹村先生に、「自分が考えている、現実的に出せるタイムを目標タイムとして書き直してきなさい」 って言われて、再度提出しました。書いたそのタイムはクリアできたんですけどね。

東:
それは素敵なコーチですね。

岩崎:
はい、そういう風に言ってくださって、色々な方に助言をいただけたのは、本当にありがたい環境でした。

小松:
アスリートとコーチの関係って、現役時代はもちろん、引退したあともその後の人生の精神面にすごく影響を与えますよね。若い頃にそうやって向き合ってくれる人がいるかいないかで、全然違うと思います。

東:
ちょっと失礼な言い方かもしれませんが、岩崎さんは天狗になったことはないんですか?14 歳で金メダルを獲った後に。

岩崎:
うーん、全く天狗になったことはない、と言えば嘘になりますね(笑)。
私には負けないものがあるっていうのは思っていましたから。でもそれを外に出したいという性格ではなかったですけどね。それが良いか悪いかはわからないですけど。

東:
金メダルを取り、世界から注目されて、「本当の自分」が出せなくなってしまった、というのはありますか?

岩崎:
はい、それはありますね。14 歳でメダルを獲ってからは、相当自分の中の本当の自分を抑えていました。元々私のことを知っている静岡のコーチの方は、私は生意気だし気が強いことを知っていて、思ったことをすぐ口に出して行動をするところとか(笑)。

東:
お話しているとそういう岩崎さんの性格は、いい意味で伝わってきます。
「素直で可愛くて水泳が強い岩崎恭子ちゃん」、っていうメディアのイメージが最初は強か ったんですけどね(笑)。

岩崎:
全然そんなことないんですよ、本当は(笑)。

 自分のことを誰も知らない環境に身を置く

東:
昔、何かのインタビューでも岩崎さんが答えてましたけど、相手が言ってほしそうなことを言っていた時期があったんですよね。相手に合わせるというか。

岩崎:
はい、ありました。でも今は繕うことは一切してないです。

小松:
そうですよね、岩崎さんは今、本当に自分を繕うことなく、素の自分を出していらっしゃる印象があります。「自分を作っていた自分」から、「飾らない自分」へ成長したとも言えますが、何かターニングポイントになった出来事などあるんでしょうか?

岩崎:
そうですね、アメリカに行ったのが大きな転機でしたね。
23〜4 歳の時に 1 年間、アメリカに研修に行ってたんです。それがきっかけで、気持ちがすごく楽になりました。アメリカに行ったのは、私のターニングポイントだったのかもしれませんね。

アメリカに行って一番変わったのは、心にも余裕ができて立ち直ることができたことです。周りが、私のことを誰も知らない中で生活できたのが、最大の要因ですかね。
当時日本にいる時は、色々な人から色々なことを相当言われていました。でも「勝手に思う人は勝手に思えばいい」って思っていたんです。
でもアメリカに行ってから、ちょっと考え方が変わったんです。
アメリカで考え方が変わるまでは、
「メダリストなんだから」
「メダリストとして〜」
みたいな文脈で私を語る人が多くて、そういうのが耳に入ると
「私には何ができるの?」
って思ってしまっていた部分があったんです。

 アメリカで気づいたこと

岩崎:
私がアメリカに行った時、最初の頃は私のことなんか誰も知らなくて、単純に「英語の喋れない日本人が来た」くらいにしか思われてなくて(笑)。

でもしばらくすると、やっぱりオリンピックで金メダルを獲った人だってことが浸透しますよね。そうすると、
「恭子はオリンピック出たんだって? しかも金メダル獲ったんだって?」
って子供たちが目を輝かせて寄ってくるんですよね。それはとっても誇らしいことでした。今まではそれが嫌だなぁ、って思っていた部分もありましたけどね。その気持ちがアメリカに行って変わりました。

アメリカ人って、思ったことや気づいたこと、すぐ口にするじゃないですか?
「その靴かわいいね、どこで買ったの?」
って知らない人にも聞いたりしますよね(笑)。感動したことや興味があることをすぐ口に出しますよね。

小松:
そうですね。日本人に比べてあちらの人は本当にすぐ何でも口にします。

岩崎:
そんななんの悪気もなく、「すごいものはすごい」と表現する人たちと触れ合って、今までの考え方が変わりました。

それと、当時の日本における「指導」って、その人の悪いところを指摘して、それを直してくやり方だったんですよね。
でもアメリカは逆で、その人の良いところを見るんです。だからといって褒めまくるわけではないですよ。怒る時は怒りますし。
また、アメリカの子どもたちは、日本に比べて自分で色々意見が言える、発言ができるんだなぁって思っていました。
日本の場合は、コーチが、
「明日は何時集合、持ち物はこれとこれ」
って指示を出しますよね。
でもアメリカの場合は、子どもたちに、
「何時に明日は集合? 持ち物はなんですか?」
って質問するんです。そして子どもたちに答えさせるんですね。つまり自分たちで考えさせるんです。レース前の食べ物も、
「レース前は何を食べればいいかな?」
とか質問するんですよね。

そういう経験を通じて、
「あ、自分が今までやってきたこと、自信を持っていいんだ」
って考え方が変わったんです。
これからの人生、自分は何をしよう? って考えてた時に、アメリカに行ったこの経験から、「自分が何か伝えられるとしたら、こういうことなのかもしれない」ってことに気づいたんです。

小松:
なるほど! 考え方がや文化が違う国で暮らす経験を通して、岩崎さんは違う発想を持てるようになったんですね。

(つづく)

 

編集協力/設楽幸生

インタビュアー/小松 成美 Narumi Komatsu
第一線で活躍するノンフィクション作家。広告会社、放送局勤務などを経たのち、作家に転身。真摯な取材、磨き抜かれた文章には定評があり、数多くの人物ルポルタージュ、スポーツノンフィクション、インタビュー、エッセイ・コラム、小説を執筆。現在では、テレビ番組のコメンテーターや講演など多岐にわたり活躍中。

インタビュアー/東 俊介 Shunsuke Azuma
元ハンドボール日本代表主将。引退後はスポーツマネジメントを学び、日本ハンドボールリーグマーケティング部の初代部長に就任。アスリート、経営者、アカデミアなどの豊富な人脈を活かし、現在は複数の企業の事業開発を兼務。企業におけるスポーツ事業のコンサルティングも行っている。

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