Career shift

永田克彦 / Nagata Katsuhiko   元レスリング選手|現在:

子どもたちにレスリングの楽しさを伝えたい 元レスリング日本代表・シドニーオリンピック銀メダリスト 永田克彦

Profile

 

永田克彦(ながた・かつひこ)
1973年生まれ。千葉県東金市出身。格闘スポーツジム・レッスルウィン代表。日本ウェルネススポーツ大学レスリング部監督。成東高校入学後にレスリングを始め、日本体育大学へ進学後徐々に頭角を表す。2000年シドニー五輪では銀メダルを獲得し、日本レスリング界12大会連続メダル獲得の伝統をつなぐ。2004年アテネ五輪出場後、プロ総合格闘家として活動。2015年には10年振りにレスリング復帰し、全日本選手権で歴代最年長優勝を果たす。現在はジム運営・レスリング指導の傍ら、講演・イベント活動も積極的に行っている。

 日本レスリングの次世代を育成

小松:
今回は、レスリング日本代表として2000年シドニー、2004年アテネと2大会連続でオリンピックで活躍なさった永田克彦さんにお話を伺います。永田さんは全日本レスリング選手権大会で6連覇を達成、シドニー五輪では銀メダルを獲得という素晴らしい成績を残されました。

東:
その後、2015年に行われた全日本レスリング選手権大会では、歴代最年長となる42歳での優勝記録もお持ちです。現在は、格闘スポーツジム「レッスルウィン」の主宰や、日本ウェルネススポーツ大学のレスリング部監督を兼務なさっています。

小松:
アテネオリンピックの後には、総合格闘技にも挑戦。レスリングの日本代表選手を引退した後も、まさに自らの道を切り拓かれていますね。

東:
現在の永田さんの活動を“その後のメダリスト100 キャリアシフト図”に当てはめると、「レッスルウィン」での活動のみでも指導者は「A」、スクール運営は「B」、経営者は「C」とそれぞれの領域で、その他の講演やタレント活動については「D」の領域と、レスリングや格闘技の技術と経験を活かしたお仕事を軸に全ての領域でご活躍なさっていることが分かります。

小松:
日本ウェルネススポーツ大学の監督も「A」の領域に入りますね。

注1)親会社勤務とはいわゆる企業スポーツである実業団チームで自らが所属していた企業で一般従業員として勤務していること
注2)親会社指導者とはいわゆる企業スポーツである実業団チームで自らが所属していた企業の指導者を務めていること
注3)プロパフォーマーとはフィギュアスケート選手がアイスダンスパフォーマーになったり、体操選手がシルク・ドゥ・ソレイユのパフォーマーとして活動していること
注4)親会社以外勤務とは自らが所属していた実業団チームを所有している企業以外で一般従業員として勤務していること

小松:
かつては日本のお家芸とも言われた男子レスリングですが、近年のオリンピックでの成績は世界最強とも言われる女子と比較するとやや低迷している感はぬぐえず、次世代を担う人材の育成が急務となっています。

東:
元オリンピック銀メダリストとしての経験はもちろん、レスリング以外の世界での様々な知見を活かした永田さんの取り組みは、日本の男子レスリング復興のためにも大きな意味を持つと思います。

 レスリングのすそ野を広げたい

小松:
まずは現在経営されている格闘スポーツジム『レッスルウィン』についてお話を伺います。名前の由来をお教えいただけますか?

永田:
「レッスル」はレスリングの動詞(Wrestle)、「ウィン」は勝利(Win)でその2つを組み合わせた造語です。ふと閃いてつけたのですが、レスリングや格闘技を通じて「人生に勝つ」、「己に克つ」という意味も込められています。

東:
克彦というお名前の「かつ」にもかかっていますよね。

永田:
そうなんです(笑)

小松:
永田さんはレスリングをもっと日常的なスポーツとして普及させ、子どもたちにレスリングを通じて格闘技の楽しさを知ってもらいたいという目標を掲げていらっしゃいますが、こちらのジムではどのような活動をなさっているのでしょうか?

永田:
僕のジムでは、レスリングや格闘技を勝敗を争う競技としてのみ捉えるのではなく、一般の人にはより楽しく手軽に体験してもらい、心身ともに健全な状態をつくるためのプログラムを、子どもたちには心と身体を鍛えるスポーツとして取り組んでもらうためのプログラムを用意しています。

小松:
なるほど。単にレスリングの強い選手を育てるためだけのジムではないということですね。

永田:
もちろん、本格的にレスリングに取り組んで、全国大会やオリンピックを目指す選手が増えることは嬉しいですが、、選手の強化や競技人口の増加だけではなく多くの方にレスリングに触れていただくことや地域の青少年育成にも貢献できたらと考えています。

東:
大人はもちろん現代の子どもたちにはなかなか取っ組み合いをする機会がありませんし、レスリングであれば打撃もないですから格闘技の中でも怪我が少なく、女性や子どもでも恐怖心を持たずに安心安全に楽しめると思います。

永田:
もともと人間には戦う本能がありますが、レスリングは相手を傷つけることを目的とせずに戦うスポーツなので安全ですし、取っ組み合うことで相手の痛みを知ることも出来ます。もちろん試合に出場するようになれば、スポーツの醍醐味である勝利の喜びや負けの悔しさを体験出来ますし、勝利するための努力も必要になりますから精神的にも肉体的にも鍛えられます。

小松:
また、自らの肉体を深く知ることが出来ますよね。人間の肉体がどのような鍛え方をすれば、どう変化していくのか。その可能性を知ることが出来るスポーツだと思います。

永田:
ありがとうございます。日本代表としてオリンピックで金メダルを獲得し、子どもたちから憧れられるようなトップ選手を育てていくことはもちろん大切ですが、今は可能な限り講演やイベント活動も行って、東さんや小松さんにおっしゃっていただいたようなレスリングという競技そのものの魅力を多くの方々に伝えることでレスリングの価値を高めていくことにもやりがいを感じるようになっております。

東:
頂点をより高くするためにも、すそ野を広げることが大切だということですよね。

 リスクを負うことで夢を叶える

小松:
こちらのジムは始めてからどのくらいになるのでしょう?

永田:
この4月(2019年)で丸9年になります。

東:
現役を続けながらジムの経営もなさっていたんですね。

永田:
そうですね。レスリング選手だった頃から将来は自分の道場を持ちたいと考えていたのですが、総合格闘技に転向したことでより現実的な目標となり、実現出来たと思います。

東:
永田さんがレスリングから総合格闘技に挑戦なさった2005年頃はPRIDEやK-1など格闘技ブームの真っ只中。地上波のゴールデンタイムや大晦日に生中継されるのが当然の時代で、多くのお金や優秀な人材が格闘技界に集まっていましたよね。もし、永田さんがレスリング選手のみのキャリアを過ごしていれば、いかにオリンピックの銀メダリストとはいえ、このような素晴らしいジムを経営することは経済的に難しかったかも知れませんね。

永田:
確かにそうかも知れません。私が転向した頃には格闘技ブームの終わりの始まりといった感じではありましたが、それでも現在と比較すると盛り上がっていましたね。

東:
永田さんも2年連続で大晦日のビッグイベントへ出場し、ともに勝利を収めるなど大活躍なさっていました。
(2005年12月31日、総合格闘家デビュー戦となった“K-1 PREMIUM 2005 Dynamite!!”でレミギウス・モリカビュチスに判定勝利。2006年12月31日、2年連続参戦となった“K-1 PREMIUM 2006 Dynamite!!”で勝村周一朗にTKO勝利)いち格闘技ファンとしては、あの頃の熱をもう一度日本で味わいたいと切に願います。

小松:
警視庁勤務のオリンピックメダリストという安定した立場を捨てて、プロ格闘家として生きていくという大きなリスクを負った挑戦によって、夢を現実のものとされたのですね。
ところで、こちらのジムではどのようなカテゴリー分けがされているのでしょうか?

永田:
大人は一般格闘技クラスというカテゴリーで、初心者でも基本から教わって楽しく格闘技を体験できるクラスになっています。あとは女性向けのフィットネスクラスですね。フィットネスクラスはレスリングではなく、キックボクシングや有酸素系のエクササイズが中心になります。

東:
女性はレスリングなどの取っ組み合いよりサンドバッグを叩いたり蹴るほうを好みますよね。

永田:
そうですね(笑)。グローブをはめるだけでとても喜んでもらえます。
あとはキッズレスリングクラスがありますので、一般向け格闘技、女性向けフィットネス、キッズ向けレスリングと大きく3つのクラスに分けて運営しています。

東:
まさに大人から子どもまで幅広い年代の方々が性別問わずに格闘技を楽しんでいらっしゃるんですね。

 ジム経営を成り立たせるためには

小松:
プロ格闘家や、オリンピックを目指している選手も所属なさっているのでしょうか?

永田:
うちのジムはプロやオリンピックを目指す人というよりも一般の人向けで、意識的に敷居を下げています。大人に関しては、選手育成というほど本格的なものではありませんが、あくまで趣味としてアマチュア大会に出場するような方はいらっしゃいます。

東:
格闘技のジムを経営していくうえで、本格的にプロを目指すような人だけを集めていては儲からないし、経営的に苦しくなることが多いと言われていますよね。

永田:
そうですね、強い選手を育成するためだけのジムをビジネスとして成立させるのは至難の業だと思います。

東:
一般にプロを目指している方は格闘技を生活の中心に考えていて、トレーニングの合間にアルバイトをしているなど、経済的には余裕がない場合が多いですから、必然的に高額の会費を集めることは難しくなります。反対に、健康のために趣味で格闘技に取り組もうという方々は、経済的にも時間的にも余裕のある場合が多いので、高額だとしても会費に見合った価値を示せば顧客になってもらえます。そう考えると“強くなりたい人”と“楽しみたい人”、どちらを顧客にするためのプログラムを用意すべきかと考えれば、“楽しみたい人”向けになりますよね。

小松:
また、プロを目指す人はひと握りの人に限られますものね。マーケットの広さを考えても正しい経営判断だと思います。

永田:
まさにおっしゃる通りです。

小松:
何名で運営なさっているのでしょうか?

永田:
僕の他に社員が1名と、定期的に来てくれているインストラクター4名の合計6名です。

小松:
みなさんレスリング経験者なのでしょうか?

永田:
レスリングを含む様々な格闘技の経験者ですね。
キックボクシングや総合格闘技、寝技関節技の専門家など様々な分野のコーチが在籍しているので、希望に応じて指導を受けることが可能です。

小松:
凄いですね!何でも体験出来る(笑)。

東:
しかも、オリンピックメダリストであり、総合格闘家としての実績もある永田さんにご指導いただけるわけですから、説得力がありますよね。

小松:
こちらのジムを始める際に会社を設立して、経営者になられたわけですよね。

永田:
そんな大それたものではないんですけど(笑)。

小松:
永田さんはレスリング選手、総合格闘家、そして現在は経営者と非常にドラマティックな人生を送られてきたわけですが、オリンピック出場はレスリングを始めた頃からの目標だったのでしょうか?

永田:
ドラマティックかどうかは分かりませんが(笑)、レスリング選手としては大きな壁にぶち当たるところから始まっていますね。本格的に競技を始めたのも高校からですし。

東:
高校から競技を始めるというのはオリンピアンとしては珍しいケースかも知れませんね。

永田:
そうですね。

小松:
永田さんのキャリアを語る上で、ご家族の存在を無視するわけにはいきません。“野球”と“レスリング”、異なる分野でご活躍なさっていたご家族の影響からレスリングを始め、トップ選手に成長していくまでのお話を伺っていきたいと思います。

小松:
レスリングとの出会いからオリンピックへ出場するまでのトップアスリートとしてのキャリアを中心に伺ってまいります。

東:
まずはレスリングと出会う以前のお話から伺っていきたいと思います。永田さんがレスリングを始めたのは高校に入ってからということですが、それまではどのような生活を送っていらしたのでしょうか?

 レスリングをやりたい!

小松:
後にトップアスリートとなる永田さん、いったいどんな中学生だったのでしょう?

永田:
小学校5年生の頃にテレビで見たロサンゼルスオリンピックのレスリング選手や、新日本プロレスで大活躍していたタイガーマスクなどのプロレスラー、高校の部活動で活躍していた兄への憧れもあって、ずっとレスリングをやりたいと考えていたのですが、周りに習う環境が無かったので、中学では野球部に入部しました。

東:
野球部に入部なさったのは、お父様の影響も大きかったと伺っていますが。

永田:
よくご存知で(笑)。僕は千葉県の九十九里に近い街で生まれ育ったのですが、とても野球が盛んな土地柄で。子どもたちの中でも圧倒的に野球が人気でしたし、父親が指導者だったことも大きいですね。

小松:
永田さんのお父様は元千葉県立成東高校野球部監督で、元阪神タイガースの中村勝広さんや元中日ドラゴンズの鈴木孝政さんの恩師でもある素晴らしい指導者でいらっしゃいますよね。

永田:
はい、そうなんですが、息子の僕はなかなか上手くならなかったんですね(笑)。
野球は好きだけれど、自分にはあまり向いていないなと。
それで、高校は兄と同じ成東高校でレスリングをやろうと決めていました。

小松:
お父様が監督を務める野球部ではなく、5歳年上のお兄様が在籍していたレスリング部へ入部なさったわけですね。

永田:
そうですね。また、僕は身体が小さかったので、階級制のある競技で同じくらいの体重の相手と競い合えるという点も魅力に感じていました。

小松:
野球を始めとする球技には階級制がない場合が多く、どうしても身体の大きな選手が有利な面がありますものね。

東:
永田さんがレスリングを始めた頃には、お兄様である永田裕志さん(1992年にレスリング全日本選手権で優勝した後、新日本プロレスに入門。何度も世界王者に輝いた有名選手)が日本体育大学の学生として全日本学生選手権(1988年)で優勝していたわけですから、弟としてはプレッシャーも大きかったのではないでしょうか?

永田:
はい、高校に入学して「いよいよレスリングが出来る!兄のように活躍するぞ!」ということで早速レスリング部に入部したのですが、全然強くなれなくて・・・。
結局、高校時代は全国大会に出場することもなく、目立った成績を残せませんでした。

小松:
オリンピックでメダルを獲得するようなアスリートは、高校時代から全国大会で優秀な成績を残して大学へ進み、更にそこで勝ち上がって社会人で活躍して・・・というイメージがありますが、永田さんは違ったのですね。

永田:
いきなり大きな壁にぶち当たりましたよね。

東:
野球では名指導者であるお父様の息子、レスリングでは名選手であるお兄様の弟というブランドが邪魔をした部分もあったのではないですか?

永田:
影響があったかどうかは分かりませんが、あまり意識はしていなかったですね。

 エリート集団での意識改革

小松:
高校卒業後には、レスリングの強豪校でありお兄様も所属していた日本体育大学に進学されましたね。

永田:
レスリングを始めた頃は妙な自信があって、普通に頑張っていればある程度の成績を残せるだろうと思っていたんです。高校の全国大会で活躍して、推薦でまあまあ強い大学へ行って、レスリングはそこそこに大学生活を楽しもうと目論んでいました。今思えば“自信”ではなく完全に“過信”ですし、甘いですよね(笑)。結局、高校三年間はまったく勝つことが出来ず、納得のいかない成績で終わってしまった時に「勝てなかった悔しさを晴らしたい。勝つ喜びを味わいたい」と、初めて本気で強くなりたいと思い、強くなるために大学でレスリングを続けようという考えに変わったんです。

東:
それで、最も強くて厳しい大学に進まれたわけですね。

永田:
はい。どうせなら日本一の環境に飛び込んでいこうと決意しました。

小松:
当時も今も日体大といえば、レスリングのエリート集団。高校時代に目立った成績を残していない永田さんにはご苦労も多かったのではないでしょうか。

永田:
もちろん覚悟はしていたのですが、実際に入ってみると想像以上のレベルの差を見せつけられて。レスリングの技術どころか、基礎体力トレーニングすらついていけず、ランニングは周回遅れ、パートナーをかついだり持ち上げたりする補強運動も他の選手は楽々こなしているのに僕は全然出来なくて・・・。しばらくはレスリングの技術どころではなく、休日が来るのを心待ちにしながら何とか日々のトレーニングを乗り切っている状態でした。

東:
エリートの中に、一人だけ雑草がまじっているような状態ですしね・・・
心身ともにかなり辛い日々が続いたと思うのですが、辞めたくはならなかったのでしょうか?

永田:
いえ、僕のように高校時代の実績がない選手は、普通であれば入部も出来ないことも理解していましたし、頭を下げてお願いしてくれた高校の恩師や先輩である兄の顔を潰すわけにはいきませんから。どんなに辛くても辞められない、必ず結果を残さなければいけないと考えていました。

小松:
強い覚悟をもって日々を過ごされていたわけですね。
日体大レスリング部のトレーニングにはOBの方も参加なさるそうですが。

永田:
はい、当時は1992年のバルセロナオリンピックの日本代表に日体大OBが7名も選ばれていたのですが、そういうトップレベルの選手たちも参加していました。

小松:
オリンピックに出場する日本代表選手と一緒にトレーニングしていたのですか?

永田:
はい。レスリングの日本代表選手は、自衛隊に所属しているなどの特別な場合を除き、大学をトレーニング拠点にすることが多くて。「弱いやつは入るな!」という雰囲気なので、なかなか対戦する機会には恵まれませんでしたが、世界の頂きを目指す選手の強さやトレーニングを間近に見ることが出来ました。

東:
最高のお手本が目の前にある、素晴らしい環境ですよね。

永田:
この頃から、強い選手がなぜ強いのかを知るために、トップ選手のトレーニングや立ち振舞を徹底して観察し、研究するようになりました。

小松:
強い選手が強い理由を見つけようと考えられたのですね。

永田:
はい、強い選手がどういった体つきで、どんな技を持っているのか。試合ではどんな風に攻めて、どう守っているのか。他にも基礎練習でのランニングのタイムやバーベルの重さを確認したり、休憩中に誰と何を話しているのか、どんなタイミングでどんなものを飲み、食べているのかに至るまで、練習時間や私生活の中でどう過ごしているのかを余すところなく観察し、どうすれば強くなれるのか、強くなるための方法を研究していました。

東:
強い選手でも、それぞれに違いがあったと思うのですが。

永田:
おっしゃるとおりです。様々な例を見たうえで取捨選択し、自らが強くなるために必要な方法をまとめ上げました。

小松:
ダイヤモンドはダイヤモンドでしか磨けないといいますが、まさに一流の環境が永田さんの意識と行動を一流に変革していったのですね。

 成長のための「トライ&エラー」を繰り返す

東:
結論として、どのような方法が導き出されたのでしょうか?

永田:
単純に言えば、徹底的にフィジカルを鍛えることと、得意技を持つこと、練習のための練習ではなく試合のための練習をすることです。

小松:
もう少し具体的にお教えくださいますか?

永田:
まず、フィジカルに関しては、レスリングは掴む場所のない裸の取っ組み合いですので、筋力の強さが非常に重要なんです。特に大きな筋肉がついている体幹部の強さが重要で、それらを鍛えるベンチプレス、スクワット、デッドリフトという3つのトレーニングについて具体的な目標値を定めてトレーニングをすること。得意技については一つでもいいので、誰にでも通用するような技を身につけること。練習のためではなく試合のための練習は、与えられたプログラムをただこなすのではなく、どうすれば自分が強くなれるのかを徹底的に考え、自らトライ&エラーを繰り返すようにしました。

東:
トライ&エラーを繰り返すことは、スポーツにおいてもビジネスにおいても非常に重要ですよね。レスリングにおいて、永田さんはどのようなトライ&エラーを繰り返してこられたのでしょうか?

永田:
強い選手の行動を観察して、良さそうだな、自らに合いそうだと感じたことはまずやってみましたね。やってみた結果、合うものはそのまま取り入れ、合わないと感じたものはやめる。これはレスリングに限ったことではありませんが、いきなり完璧を求めるのではなくまずはやってみることが大切だと考え、行動に移してきました。

小松:
多くの方が、何事もやってみなければ自分に合うかどうか分からないと知りながらも、失敗を恐れて躊躇してしまいます。なぜ、永田さんは挑戦を続けることが出来たのでしょうか?

永田:
元々何の実績も無いので、失うものが無かったことも大きいかも知れません。
強くなるにはやるしかなかったんです。あとはとにかく圧倒的な“量”をこなしました。

東:
圧倒的な“量”ですか?

永田:
はい。例えば、あるトレーニングを試す際に、最初は合わないと思ってもとにかく圧倒的な“量”をやってみる。すると、最初は合わないと思っていても、実は合っていることもあるんですよね。もちろん、やってみた結果やっぱり合わないこともありますが、とにかくある程度の“量”をこなさなければ本当のところは分からないというのが僕の考えです。

東:
仕事にも通じる部分がありますよね。頭でっかちになって最初から最適な方法を目指してああだこうだ言って動かないまま時間だけが過ぎていくのはもったいない場合もありますから。まずはやってみて、その中で無駄を見つけて効率的にしていくやり方のほうが僕は好きですね。もちろん、何も考えずに何でもかんでもまずはやってみようということではなく、最低限の検討をしてからということですが。頭の中でいくら考えていても、実際にやってみると思うようにいかないことはスポーツでも仕事でも多々ありますから。

小松:
挑戦の結果、成功しなかったとしてもこのやり方では成功しないと知ることが出来ますからね。

 覚醒。そしてオリンピックへ

小松:
徹底的な観察と研究に加えて圧倒的な練習量をこなし、トライ&エラーを繰り返した永田さんは飛躍的に成長し、学生界を代表する選手となります。ご自身で実力がついてきたと感じたのはいつ頃だったのでしょうか?

永田:
2年生の秋に同年代の2年連続国体優勝選手に勝利して、強くなってきたなと実感しました。この勝利が励みになり、3年生になった頃には何としても全日本学生選手権で実績をつくって、卒業後もレスリングを続けたいという思いが出てきました。

東:
1年生の頃には休日を心待ちにしていたのに(笑)。

永田:
このあたりから、どっぷりとハマってしまいました(笑)。

小松:
そして、自ら定めた目標通りに3年生時、1994年の全日本学生選手権で見事に優勝なさいましたね。

永田:
はい、この大会で優勝したことで、次は全日本選手権で優勝して、2000年のシドニーオリンピックに出場する!という目標が出来ました。

東:
この頃から現実的な目標としてオリンピックを捉え始めた永田さんですが、大学卒業後の進路はどのように選択なさったのでしょうか?

永田:
当時、卒業後にレスリングを続けるための選択肢として、実業団、自衛隊体育学校、警視庁などが考えられたのですが、どこを選べば自分が最も強くなれるのか検討した結果、警視庁にお世話になることを決めました。

小松:
警視庁と他の進路の違いは何だったのでしょう?

永田:
トレーニングに関する自由度の高さです。当時の警視庁は、午前中は合同でトレーニングをしますが、それ以外の時間はトレーニングメニューも個々の裁量に任せられていましたし、母校や他の強豪チームへの出稽古も自由でした。僕は自分が強くなるために何が必要かを常に自分で考えながら練習しないと納得できないタイプだったので、それが出来る環境が警視庁だったんです。

東:
誰かに決められた内容のトレーニングをやらされるのではなく、自分自身でどうすれば強くなれるのか、ライバルに勝てるのか、オリンピックに出場出来るのかを徹底的に考えて、自ら決めた内容のトレーニングをしたかったということですね。

永田:
そうですね。何が何でもオリンピックに出場したい!出場出来なければ人生が終わる!というくらい強い想いがありましたので、人任せには出来なかったですね。

小松:
その後、永田さんは警視庁2年目、1997年に24歳で全日本選手権で初優勝を飾り、日本代表に選出されますね。

東:
1997年から2002年にかけては全日本選手権6連覇という偉業も達成なさっています。
ただ、この頃は日本代表に選ばれたからと言って、オリンピックに出場出来るわけではなかったそうです。そんな中、永田さんは何段階にも及ぶ予選を見事に突破し、シドニーオリンピックへの出場権を獲得なさいました。出場が決まった時はどのような気持ちだったのでしょう?

永田:
これまで続けていてよかったな、と心から思いました。当時の男子レスリングはどれだけ全日本選手権を連覇したとしても世間の注目を集めることが難しい競技でしたので、オリンピックに出場するかどうかで今後の自分の人生が決まるという意識が強く、朝起きてから寝るまで、24時間オリンピックに行くことだけを考えて行動していましたから。

小松:
人生の全てをレスリングに捧げていたのですね。

永田:
睡眠も、食事も、全ての行動はオリンピックに出場するため。レスリングのためになるかどうかだけを判断基準に過ごす日々でした。美味しいか不味いかではなく、外国人に負けない身体をつくるには、どのタイミングで何を食べ、どんな栄養素をどのくらい摂取するべきか。楽しいかどうかではなく、今日の疲労を回復させ、翌日のトレーニングに全力で臨むためにはどのような行動をすべきかということをとことん考え、徹底的に実行していました。

東:
数値目標を設定して、実現するための方法を考えることは出来ても、実際に実行することは容易ではありません。一度決めたことを愚直に貫く意志の強さは永田さんの大きな強みだと感じました。

小松:
見事にシドニーオリンピック出場を決めた永田さんは、夢の舞台で輝かしい成績を残された後、新たな世界への挑戦をなさることになります。
レスリングから総合格闘技というアスリートとしてのキャリアシフトと、アスリートから経営者というさらなるキャリアシフトについてお話を伺います。

東:
レスリングから総合格闘技というアスリートとしてのキャリアシフトと、アスリートから経営者というさらなるキャリアシフトについてお話を伺います。

小松:
高校から始めたレスリングで納得のいく成績を残せなかった悔しさを晴らすため、日本一の環境である日本体育大学へ挑戦し、苦難と苦悩と試行錯誤の末に全日本学生選手権で優勝。自らの理想を追求するため、トレーニングの自由度が高い警視庁を進路に選び、全日本選手権を制した後に、シドニーオリンピックへの出場権を獲得したところまでを伺いました。

東:
人生の全てを懸けて出場権を獲得し、いよいよ迎えた夢の舞台・オリンピック。永田さんはいかに戦い、その後のキャリアシフトにつなげていったのでしょうか?

 男子レスリングの歴史をつないだ銀メダル

小松:
2000年のシドニーオリンピックに臨むにあたって、日本の男子レスリング界にはある危機感があったそうですが。

永田:
はい、男子レスリング日本代表は1952年のヘルシンキ大会から前回1996年のアトランタ大会まで11大会連続でメダルを獲得していたのですが、その記録がシドニーオリンピックで途切れてしまうのではないかという危機感がありました。

東:
この頃の日本男子レスリングは日本のお家芸と呼ばれ、メダル獲得が当然だった時代と比較すると有力選手が少なく、低迷期だったと言えるかも知れません。

永田:
そうですね、1992年のバルセロナ、1996年のアトランタ大会も銅メダルが一人ずつでギリギリ継続している状況でしたから、流石に今回は厳しいのではないかというのが事前の評価でした。

小松:
自らの結果のみならず、偉大な先輩方が築き上げてきた記録も継続しなければならないという大きなプレッシャーを受けながらの大会でしたが、永田さんは見事に銀メダルを獲得なさいましたね。

東:
結局、永田さんの獲得した銀メダルが、シドニーオリンピック・レスリング男子日本代表が獲得した唯一のメダルとなりました。

小松:
まさに歴史をつないだ大変価値のある銀メダルだったと思いますが、大会の前と後では何が変わりましたか?

永田:
そうですね、知名度が増したことによって、人生の選択肢が増えましたよね。それまではメダル候補でもなかったので、せいぜい“プロレスラー・永田裕志の弟”くらいの扱いだったのが、様々なメディアに出演し、多くの方々に顔と名前を知っていただき、色々な人に出会えたことでレスリング以外の世界が大きく広がりました。

小松:
金メダルを獲得出来なかったという悔しさはあったのでしょうか?

永田:
全くなかったですね(笑)。本当に期待されていなかったので。

東:
シドニーオリンピックの前は“人気プロレスラー・永田裕志の弟”として扱われていたのが、銀メダル獲得後には“オリンピック銀メダリスト・永田克彦の兄は人気プロレスラー”に変化していったのが興味深かったのをおぼえています。

 オリンピックへ、再びの挑戦

小松:
夢の舞台を終えた後、再び4年後のアテネ大会へ向けてトレーニングを開始するわけですが、どのようなモチベーションを持って臨まれたのでしょうか?

永田:
もう一度あの舞台に上がって、オリンピックならではの興奮や感動を味わいたい、同じ景色をもう一度見たいというのが一番のモチベーションでしたね。

東:
そのためならまた四年間、どんな困難があろうとも挑戦しようと思えるだけの価値がオリンピックにはあるのでしょうね。
僕は一度もオリンピックに出場したことがありませんので想像することしか出来ませんが、とても羨ましく感じます。

小松:
その後、見事に予選を突破し、二大会連続でオリンピックに出場を決めたわけですが、再びの舞台はいかがだったでしょうか?

永田:
そうですね、初めてと二回目ではやはり気持ちの面で違いがあったように感じます。前回の経験が悪い方向に出てしまったというか、シドニーの時のような勢いをつけられず、納得のいく結果を出せませんでしたね。

東:
69キロ級から74キロ級への階級変更もあり、コンディショニングに苦労なさった面もあったようですが。

永田:
元々身長に対して体重が重たい方だったので、増量には無理があったのかも知れません。結局メダルには届かなかったのですが、メダルの有無で大会後の扱いがどれほど変わるのかというのをまざまざと味わいましたね。

東:
メダリストとそれ以外の選手では、メディアの扱いも明暗がくっきり別れますよね。

永田:
シドニーで日本が獲得したメダルは18個、アテネでは37個に増えたので、獲得メダルが少ない時のメダリストと獲得メダルが多かった時の敗者というまさに“天国と地獄”の違いを閉会式や帰国後の空港などで実感しました。

小松:
私はシドニー、アテネともに現地へ取材に伺っていましたが、特にアテネの熱は凄まじかったですね。ありとあらゆる競技で次々にメダルをとる選手が現れて。永田さんのように二大会連続でのメダルを期待されていた選手は本当に大変なプレッシャーだったと思います。でも、アスリートとしてあれだけ極端な“天国と地獄”を経験なさったことは現在にも活きているのではないでしょうか?

永田:
そうですね。今にして思えば、負けることも時には必要ですし、負けた後にどう切り替えて、そこから這い上がっていくために挑戦を続けることこそが重要なのだと言えますね。

東:
勝利も敗北も全ての経験を自身の糧になさっていますよね。

 勝ち負けが全てではない世界へ

小松:
二度目のオリンピックを終えた2005年にプロ格闘家に転向なさいましたが、理由をお教えいただけますか?

永田:
アテネオリンピック終了後に大幅にルールが変更になったこともあり、今後について考えていた時に、当時盛り上がっていたプロ格闘技からお誘いを受け、これまでレスリングで培ってきたものを活かして新たな挑戦がしたいと思って転向を決めました。

東:
当時の日本は空前の格闘技ブームで、バルセロナオリンピック金メダリストの吉田秀彦選手など柔道を中心にオリンピック選手が続々とプロ格闘家に転向していましたが、柔道やレスリングと総合格闘技は似ているようで全く異なる競技です。特に大きな違いとして“打撃”の存在が挙げられると思うのですが、恐怖心はなかったのでしょうか?

永田:
もちろん恐怖心が無かったわけではありませんが、それを承知で飛び込んだので。2005年大晦日のデビュー戦では試合直前に「真剣勝負の殴り合いがいよいよ始まるんだな」と冷静に思っていたのをおぼえています。

小松:
迎えたデビュー戦では強豪を相手に見事勝利を飾られたわけですが、オリンピックと大晦日のビッグイベントという異なる大舞台を経験なさって、何か違いは感じられましたか?

永田:
どちらも多くの観客が集まる華やかな舞台ではありますが、“プロ”の舞台では勝利するだけではなく“面白い試合”をしなければならないことが最も大きな違いだと思います。

小松:
面白い試合、ですか?

東:
オリンピックにおけるメダリストとそれ以外の扱いの違いでも分かるように、アマチュアスポーツでは勝利こそが唯一無二の価値とされてしまいがちですが、プロはどれだけお客様を楽しませるかが最も大切になります。当時の日本の格闘技ブームは、世界最強と言われていたグレイシー柔術の選手を次々にやぶった桜庭和志選手を筆頭に強くて面白い試合をする選手が牽引し、大きなマーケットをつくり上げていました。そこには勝敗を超越した価値観があり、勝利のみを目指し、リスクを犯さずに堅実な試合運びで勝ち続ける選手よりも、面白い試合をして負ける選手のほうがファンの支持を集め、より多くのギャランティーを得ることが出来るという世界が存在していましたよね。

永田:
おっしゃるとおりです。僕も最初は面白い試合をしなければならないということに戸惑い、なかなか対応出来なかったですが、キャリアの終盤になってようやく腹落ちしました。

東:
誤解を恐れずに言いますと、当時のレスリングや柔道はオリンピックでの勝利・メダルのみが世間の関心を集め、全日本選手権などの主催大会は主に内輪にしか届いておらず、競技団体にも選手にもマーケットからお金が集まりませんでした。ですので、トップ選手がどんどんプロ格闘技に転向していったのだと思うんです。

小松:
トップアスリートが、自らが鍛え、磨き上げてきたスキルをより多くの方々に見てもらい、価値を高められる舞台へ向かったということでしょうか。

東:
僕はそういうイメージがありますね。そして、このプロの舞台をご経験なさったからこそ、永田さんは「レッスルウィン」を“レスリングや格闘技の強い選手を育成するためのジム”ではなく、“レスリングをもっと日常的なスポーツとして普及させ、子どもたちにレスリングを通じて格闘技の楽しさを知ってもらうためのジム”として経営なさっているのではないかと思います。

永田:
そうですね。プロの舞台を経験していなければ「レッスルウィン」のコンセプトは無かったですし、経営者になろうとも考えなかったかも知れません。

小松:
永田さんの現在のキャリアは、オリンピック二大会連続出場の銀メダリストという立場を守るのではなく、勇気をもって新たな世界で挑戦をなさったことで形成されたのだと改めて感じました。2015年のレスリング復帰と歴代最年長・42歳での全日本レスリング選手権優勝という金字塔もプロ格闘家としてのご経験を活かされてのことなのでしょうね。

永田:
そうですね。打撃ありの試合を経験したことで胆力がつきましたし、余裕をもって試合が出来るようになったのも大きかったと思います。レスリングの試合では、死ぬことはないなと(笑)

東:
様々な経験を経た上で、年齢というネガティブな条件を乗り越えて結果を出した永田さんに勇気をもらった方はとても多いと思います。

小松:
永田さんの生き様は、限りない人間の可能性やチャレンジすることの尊さを伝え、多くの方々に感動を与えていらっしゃいます。

 磨き続けなければ錆びる

永田:
シドニーオリンピックで銀メダルをとった時、恩師である元日体大レスリング部監督の藤本英男先生に「金は放っておいても錆びつかないけれど、銀はすぐに錆びてしまうから一生磨き続けなければいけないよ」と言われて。それが心に残って、一生頑張ろうと。

東:
愛情あふれる素晴らしいお言葉ですね・・・

小松:
永田さんは、これからも変わらずに己を磨き続けていく人生を送っていかれるのでしょうね。

永田:
はい。自分を磨くために挑戦を続けていく背中を見せることで、人間の持つ無限の可能性を子どもたちを始め様々な方々に伝えていきたいですね。

小松:
今後の永田さんのご活躍がますます楽しみです。さて、ここで改めて現在の永田さんの活動を“その後のメダリスト100 キャリアシフト図”に当てはめると、「レッスルウィン」での指導者と日本ウェルネススポーツ大学の監督は「A」、ジム運営は「B」、経営者は「C」とそれぞれの領域で、その他の講演やタレント活動については「D」の領域と、レスリングや格闘技の技術と経験を活かしたお仕事を軸に全ての領域でご活躍なさっていますが、今後はそれぞれの分野で更に活躍の場が広がっていきそうですね。

東:
永田さんの人生の物語を書籍や映画にして、もっと多くの方々に知ってもらいたいですね。

注1)親会社勤務とはいわゆる企業スポーツである実業団チームで自らが所属していた企業で一般従業員として勤務していること
注2)親会社指導者とはいわゆる企業スポーツである実業団チームで自らが所属していた企業の指導者を務めていること
注3)プロパフォーマーとはフィギュアスケート選手がアイスダンスパフォーマーになったり、体操選手がシルク・ドゥ・ソレイユのパフォーマーとして活動していること
注4)親会社以外勤務とは自らが所属していた実業団チームを所有している企業以外で一般従業員として勤務していること

東:
それでは、最後の質問になります。
永田さんがレスリングや格闘技という言葉を使わずに自己紹介をするとしたらどのようになさいますか?

永田:
そうですね・・・
僕の座右の銘は「飽くなき挑戦」なのですが、「可能性は無限大」ということを伝える人、ですかね。

東:
自らの行動で伝えてきた人ですね。

小松:
そして今も伝え、これからも伝え続けていく人です。

永田:
今回、改めて人生を振り返ってみて、両親、兄貴、家族、恩師には改めて感謝、感謝です。

東:
僕はお忙しいところ長時間に渡りインタビューにご協力いただいた永田さんに感謝、感謝です!

小松:
本日は誠にありがとうございました。

永田:
こちらこそありがとうございました。
(おわり)

次回は、元バトミントン日本代表・池田信太郎さんです。4月15日公開!

 

編集協力/設楽幸生

インタビュアー/小松 成美 Narumi Komatsu
第一線で活躍するノンフィクション作家。広告会社、放送局勤務などを経たのち、作家に転身。真摯な取材、磨き抜かれた文章には定評があり、数多くの人物ルポルタージュ、スポーツノンフィクション、インタビュー、エッセイ・コラム、小説を執筆。現在では、テレビ番組のコメンテーターや講演など多岐にわたり活躍中。

インタビュアー/東 俊介 Shunsuke Azuma
元ハンドボール日本代表主将。引退後はスポーツマネジメントを学び、日本ハンドボールリーグマーケティング部の初代部長に就任。アスリート、経営者、アカデミアなどの豊富な人脈を活かし、現在は複数の企業の事業開発を兼務。企業におけるスポーツ事業のコンサルティングも行っている。

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