Career shift

永田克彦 / Nagata Katsuhiko   元レスリング選手|現在:

トライ&エラーの繰り返しで、大事なことがみえてくる 元レスリング日本代表・シドニーオリンピック銀メダリスト 永田克彦(中編)

Profile

 

永田克彦(ながた・かつひこ)
1973年生まれ。千葉県東金市出身。格闘スポーツジム・レッスルウィン代表。日本ウェルネススポーツ大学レスリング部監督。成東高校入学後にレスリングを始め、日本体育大学へ進学後徐々に頭角を表す。2000年シドニー五輪では銀メダルを獲得し、日本レスリング界12大会連続メダル獲得の伝統をつなぐ。2004年アテネ五輪出場後、プロ総合格闘家として活動。2015年には10年振りにレスリング復帰し、全日本選手権で歴代最年長優勝を果たす。現在はジム運営・レスリング指導の傍ら、講演・イベント活動も積極的に行っている。

小松:
レスリング元日本代表・永田克彦さんへのインタビュー、中編の今回はレスリングとの出会いからオリンピックへ出場するまでのトップアスリートとしてのキャリアを中心に伺ってまいります。

東:
まずはレスリングと出会う以前のお話から伺っていきたいと思います。永田さんがレスリングを始めたのは高校に入ってからということですが、それまではどのような生活を送っていらしたのでしょうか?

 レスリングをやりたい!

小松:
後にトップアスリートとなる永田さん、いったいどんな中学生だったのでしょう?

永田:
小学校5年生の頃にテレビで見たロサンゼルスオリンピックのレスリング選手や、新日本プロレスで大活躍していたタイガーマスクなどのプロレスラー、高校の部活動で活躍していた兄への憧れもあって、ずっとレスリングをやりたいと考えていたのですが、周りに習う環境が無かったので、中学では野球部に入部しました。

東:
野球部に入部なさったのは、お父様の影響も大きかったと伺っていますが。

永田:
よくご存知で(笑)。僕は千葉県の九十九里に近い街で生まれ育ったのですが、とても野球が盛んな土地柄で。子どもたちの中でも圧倒的に野球が人気でしたし、父親が指導者だったことも大きいですね。

小松:
永田さんのお父様は元千葉県立成東高校野球部監督で、元阪神タイガースの中村勝広さんや元中日ドラゴンズの鈴木孝政さんの恩師でもある素晴らしい指導者でいらっしゃいますよね。

永田:
はい、そうなんですが、息子の僕はなかなか上手くならなかったんですね(笑)。
野球は好きだけれど、自分にはあまり向いていないなと。
それで、高校は兄と同じ成東高校でレスリングをやろうと決めていました。

小松:
お父様が監督を務める野球部ではなく、5歳年上のお兄様が在籍していたレスリング部へ入部なさったわけですね。

永田:
そうですね。また、僕は身体が小さかったので、階級制のある競技で同じくらいの体重の相手と競い合えるという点も魅力に感じていました。

小松:
野球を始めとする球技には階級制がない場合が多く、どうしても身体の大きな選手が有利な面がありますものね。

東:
永田さんがレスリングを始めた頃には、お兄様である永田裕志さん(1992年にレスリング全日本選手権で優勝した後、新日本プロレスに入門。何度も世界王者に輝いた有名選手)が日本体育大学の学生として全日本学生選手権(1988年)で優勝していたわけですから、弟としてはプレッシャーも大きかったのではないでしょうか?

永田:
はい、高校に入学して「いよいよレスリングが出来る!兄のように活躍するぞ!」ということで早速レスリング部に入部したのですが、全然強くなれなくて・・・。
結局、高校時代は全国大会に出場することもなく、目立った成績を残せませんでした。

小松:
オリンピックでメダルを獲得するようなアスリートは、高校時代から全国大会で優秀な成績を残して大学へ進み、更にそこで勝ち上がって社会人で活躍して・・・というイメージがありますが、永田さんは違ったのですね。

永田:
いきなり大きな壁にぶち当たりましたよね。

東:
野球では名指導者であるお父様の息子、レスリングでは名選手であるお兄様の弟というブランドが邪魔をした部分もあったのではないですか?

永田:
影響があったかどうかは分かりませんが、あまり意識はしていなかったですね。

 エリート集団での意識改革

小松:
高校卒業後には、レスリングの強豪校でありお兄様も所属していた日本体育大学に進学されましたね。

永田:
レスリングを始めた頃は妙な自信があって、普通に頑張っていればある程度の成績を残せるだろうと思っていたんです。高校の全国大会で活躍して、推薦でまあまあ強い大学へ行って、レスリングはそこそこに大学生活を楽しもうと目論んでいました。今思えば“自信”ではなく完全に“過信”ですし、甘いですよね(笑)。結局、高校三年間はまったく勝つことが出来ず、納得のいかない成績で終わってしまった時に「勝てなかった悔しさを晴らしたい。勝つ喜びを味わいたい」と、初めて本気で強くなりたいと思い、強くなるために大学でレスリングを続けようという考えに変わったんです。

東:
それで、最も強くて厳しい大学に進まれたわけですね。

永田:
はい。どうせなら日本一の環境に飛び込んでいこうと決意しました。

小松:
当時も今も日体大といえば、レスリングのエリート集団。高校時代に目立った成績を残していない永田さんにはご苦労も多かったのではないでしょうか。

永田:
もちろん覚悟はしていたのですが、実際に入ってみると想像以上のレベルの差を見せつけられて。レスリングの技術どころか、基礎体力トレーニングすらついていけず、ランニングは周回遅れ、パートナーをかついだり持ち上げたりする補強運動も他の選手は楽々こなしているのに僕は全然出来なくて・・・。しばらくはレスリングの技術どころではなく、休日が来るのを心待ちにしながら何とか日々のトレーニングを乗り切っている状態でした。

東:
エリートの中に、一人だけ雑草がまじっているような状態ですしね・・・
心身ともにかなり辛い日々が続いたと思うのですが、辞めたくはならなかったのでしょうか?

永田:
いえ、僕のように高校時代の実績がない選手は、普通であれば入部も出来ないことも理解していましたし、頭を下げてお願いしてくれた高校の恩師や先輩である兄の顔を潰すわけにはいきませんから。どんなに辛くても辞められない、必ず結果を残さなければいけないと考えていました。

小松:
強い覚悟をもって日々を過ごされていたわけですね。
日体大レスリング部のトレーニングにはOBの方も参加なさるそうですが。

永田:
はい、当時は1992年のバルセロナオリンピックの日本代表に日体大OBが7名も選ばれていたのですが、そういうトップレベルの選手たちも参加していました。

小松:
オリンピックに出場する日本代表選手と一緒にトレーニングしていたのですか?

永田:
はい。レスリングの日本代表選手は、自衛隊に所属しているなどの特別な場合を除き、大学をトレーニング拠点にすることが多くて。「弱いやつは入るな!」という雰囲気なので、なかなか対戦する機会には恵まれませんでしたが、世界の頂きを目指す選手の強さやトレーニングを間近に見ることが出来ました。

東:
最高のお手本が目の前にある、素晴らしい環境ですよね。

永田:
この頃から、強い選手がなぜ強いのかを知るために、トップ選手のトレーニングや立ち振舞を徹底して観察し、研究するようになりました。

小松:
強い選手が強い理由を見つけようと考えられたのですね。

永田:
はい、強い選手がどういった体つきで、どんな技を持っているのか。試合ではどんな風に攻めて、どう守っているのか。他にも基礎練習でのランニングのタイムやバーベルの重さを確認したり、休憩中に誰と何を話しているのか、どんなタイミングでどんなものを飲み、食べているのかに至るまで、練習時間や私生活の中でどう過ごしているのかを余すところなく観察し、どうすれば強くなれるのか、強くなるための方法を研究していました。

東:
強い選手でも、それぞれに違いがあったと思うのですが。

永田:
おっしゃるとおりです。様々な例を見たうえで取捨選択し、自らが強くなるために必要な方法をまとめ上げました。

小松:
ダイヤモンドはダイヤモンドでしか磨けないといいますが、まさに一流の環境が永田さんの意識と行動を一流に変革していったのですね。

 成長のための「トライ&エラー」を繰り返す

東:
結論として、どのような方法が導き出されたのでしょうか?

永田:
単純に言えば、徹底的にフィジカルを鍛えることと、得意技を持つこと、練習のための練習ではなく試合のための練習をすることです。

小松:
もう少し具体的にお教えくださいますか?

永田:
まず、フィジカルに関しては、レスリングは掴む場所のない裸の取っ組み合いですので、筋力の強さが非常に重要なんです。特に大きな筋肉がついている体幹部の強さが重要で、それらを鍛えるベンチプレス、スクワット、デッドリフトという3つのトレーニングについて具体的な目標値を定めてトレーニングをすること。得意技については一つでもいいので、誰にでも通用するような技を身につけること。練習のためではなく試合のための練習は、与えられたプログラムをただこなすのではなく、どうすれば自分が強くなれるのかを徹底的に考え、自らトライ&エラーを繰り返すようにしました。

東:
トライ&エラーを繰り返すことは、スポーツにおいてもビジネスにおいても非常に重要ですよね。レスリングにおいて、永田さんはどのようなトライ&エラーを繰り返してこられたのでしょうか?

永田:
強い選手の行動を観察して、良さそうだな、自らに合いそうだと感じたことはまずやってみましたね。やってみた結果、合うものはそのまま取り入れ、合わないと感じたものはやめる。これはレスリングに限ったことではありませんが、いきなり完璧を求めるのではなくまずはやってみることが大切だと考え、行動に移してきました。

小松:
多くの方が、何事もやってみなければ自分に合うかどうか分からないと知りながらも、失敗を恐れて躊躇してしまいます。なぜ、永田さんは挑戦を続けることが出来たのでしょうか?

永田:
元々何の実績も無いので、失うものが無かったことも大きいかも知れません。
強くなるにはやるしかなかったんです。あとはとにかく圧倒的な“量”をこなしました。

東:
圧倒的な“量”ですか?

永田:
はい。例えば、あるトレーニングを試す際に、最初は合わないと思ってもとにかく圧倒的な“量”をやってみる。すると、最初は合わないと思っていても、実は合っていることもあるんですよね。もちろん、やってみた結果やっぱり合わないこともありますが、とにかくある程度の“量”をこなさなければ本当のところは分からないというのが僕の考えです。

東:
仕事にも通じる部分がありますよね。頭でっかちになって最初から最適な方法を目指してああだこうだ言って動かないまま時間だけが過ぎていくのはもったいない場合もありますから。まずはやってみて、その中で無駄を見つけて効率的にしていくやり方のほうが僕は好きですね。もちろん、何も考えずに何でもかんでもまずはやってみようということではなく、最低限の検討をしてからということですが。頭の中でいくら考えていても、実際にやってみると思うようにいかないことはスポーツでも仕事でも多々ありますから。

小松:
挑戦の結果、成功しなかったとしてもこのやり方では成功しないと知ることが出来ますからね。

 覚醒。そしてオリンピックへ

小松:
徹底的な観察と研究に加えて圧倒的な練習量をこなし、トライ&エラーを繰り返した永田さんは飛躍的に成長し、学生界を代表する選手となります。ご自身で実力がついてきたと感じたのはいつ頃だったのでしょうか?

永田:
2年生の秋に同年代の2年連続国体優勝選手に勝利して、強くなってきたなと実感しました。この勝利が励みになり、3年生になった頃には何としても全日本学生選手権で実績をつくって、卒業後もレスリングを続けたいという思いが出てきました。

東:
1年生の頃には休日を心待ちにしていたのに(笑)。

永田:
このあたりから、どっぷりとハマってしまいました(笑)。

小松:
そして、自ら定めた目標通りに3年生時、1994年の全日本学生選手権で見事に優勝なさいましたね。

永田:
はい、この大会で優勝したことで、次は全日本選手権で優勝して、2000年のシドニーオリンピックに出場する!という目標が出来ました。

東:
この頃から現実的な目標としてオリンピックを捉え始めた永田さんですが、大学卒業後の進路はどのように選択なさったのでしょうか?

永田:
当時、卒業後にレスリングを続けるための選択肢として、実業団、自衛隊体育学校、警視庁などが考えられたのですが、どこを選べば自分が最も強くなれるのか検討した結果、警視庁にお世話になることを決めました。

小松:
警視庁と他の進路の違いは何だったのでしょう?

永田:
トレーニングに関する自由度の高さです。当時の警視庁は、午前中は合同でトレーニングをしますが、それ以外の時間はトレーニングメニューも個々の裁量に任せられていましたし、母校や他の強豪チームへの出稽古も自由でした。僕は自分が強くなるために何が必要かを常に自分で考えながら練習しないと納得できないタイプだったので、それが出来る環境が警視庁だったんです。

東:
誰かに決められた内容のトレーニングをやらされるのではなく、自分自身でどうすれば強くなれるのか、ライバルに勝てるのか、オリンピックに出場出来るのかを徹底的に考えて、自ら決めた内容のトレーニングをしたかったということですね。

永田:
そうですね。何が何でもオリンピックに出場したい!出場出来なければ人生が終わる!というくらい強い想いがありましたので、人任せには出来なかったですね。

小松:
その後、永田さんは警視庁2年目、1997年に24歳で全日本選手権で初優勝を飾り、日本代表に選出されますね。

東:
1997年から2002年にかけては全日本選手権6連覇という偉業も達成なさっています。
ただ、この頃は日本代表に選ばれたからと言って、オリンピックに出場出来るわけではなかったそうです。そんな中、永田さんは何段階にも及ぶ予選を見事に突破し、シドニーオリンピックへの出場権を獲得なさいました。出場が決まった時はどのような気持ちだったのでしょう?

永田:
これまで続けていてよかったな、と心から思いました。当時の男子レスリングはどれだけ全日本選手権を連覇したとしても世間の注目を集めることが難しい競技でしたので、オリンピックに出場するかどうかで今後の自分の人生が決まるという意識が強く、朝起きてから寝るまで、24時間オリンピックに行くことだけを考えて行動していましたから。

小松:
人生の全てをレスリングに捧げていたのですね。

永田:
睡眠も、食事も、全ての行動はオリンピックに出場するため。レスリングのためになるかどうかだけを判断基準に過ごす日々でした。美味しいか不味いかではなく、外国人に負けない身体をつくるには、どのタイミングで何を食べ、どんな栄養素をどのくらい摂取するべきか。楽しいかどうかではなく、今日の疲労を回復させ、翌日のトレーニングに全力で臨むためにはどのような行動をすべきかということをとことん考え、徹底的に実行していました。

東:
数値目標を設定して、実現するための方法を考えることは出来ても、実際に実行することは容易ではありません。一度決めたことを愚直に貫く意志の強さは永田さんの大きな強みだと感じました。

小松:
見事にシドニーオリンピック出場を決めた永田さんは、夢の舞台で輝かしい成績を残された後、新たな世界への挑戦をなさることになります。
次回はレスリングから総合格闘技というアスリートとしてのキャリアシフトと、アスリートから経営者というさらなるキャリアシフトについてお話を伺います。(つづく)

 

編集協力/設楽幸生

インタビュアー/小松 成美 Narumi Komatsu
第一線で活躍するノンフィクション作家。広告会社、放送局勤務などを経たのち、作家に転身。真摯な取材、磨き抜かれた文章には定評があり、数多くの人物ルポルタージュ、スポーツノンフィクション、インタビュー、エッセイ・コラム、小説を執筆。現在では、テレビ番組のコメンテーターや講演など多岐にわたり活躍中。

インタビュアー/東 俊介 Shunsuke Azuma
元ハンドボール日本代表主将。引退後はスポーツマネジメントを学び、日本ハンドボールリーグマーケティング部の初代部長に就任。アスリート、経営者、アカデミアなどの豊富な人脈を活かし、現在は複数の企業の事業開発を兼務。企業におけるスポーツ事業のコンサルティングも行っている。

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