Career shift

成田童夢 / Narita Dome   元スノーボードハーフパイプ選手|現在:

人を喜ばせなきゃ、プロじゃない 元スノーボードハーフパイプ日本代表・成田童夢

Profile

 

成田童夢(なりた・どうむ)
元スノーボード選手、サブカルチャータレント。
大阪市住之江区出身。血液型AB型。2006年トリノオリンピック・スノーボードハーフパイプ日本代表。アニメ、漫画、ゲーム、アイドル等の情報発信やMC、オタ芸師を主な活動範囲としている。また、舞台やショートムービーの俳優業も務め、マルチタレントとしても手広く活動中。父はスノーボードコーチの成田隆史、妹は元スノーボード選手の今井メロ、弟はフリースタイルスキー選手・パラアスリート、平昌パラリンピック金メダリストの成田緑夢(ぐりむ)。

 はじまりは父親に連れられたスキーだった

小松:
今回、お話を伺うのはスノーボーダーの成田童夢さんです。現在はアニメ、漫画、ゲーム、アイドルなどの秋葉原カルチャーを中心に情報を発信するサブカルチャータレントとしての活動をしながら合同会社夢組のCEO、JIBA(日本痛板協会)名誉会長を務め、2018年10月には東京・浅草に「成田童夢の店 和馬’s Cafe」をオープンなさるなど多岐にわたってご活躍です。

東:
それぞれの活動については後ほど改めて伺うとして、成田さんの現在の活動を“その後のメダリスト100 キャリアシフト図”に当てはめると、夢組CEOやJIBA名誉会長、サブカルチャータレントなどスノーボードとは最も関連が少ない「C」の領域でご活躍なさっていることが分かります。

注1)親会社勤務とはいわゆる企業スポーツである実業団チームで自らが所属していた企業で一般従業員として勤務していること
注2)親会社指導者とはいわゆる企業スポーツである実業団チームで自らが所属していた企業の指導者を務めていること
注3)プロパフォーマーとはフィギュアスケート選手がアイスダンスパフォーマーになったり、体操選手がシルク・ドゥ・ソレイユのパフォーマーとして活動していること
注4)親会社以外勤務とは自らが所属していた実業団チームを所有している企業以外で一般従業員として勤務していること

小松:
成田さんは2006年の冬季オリンピックに出場しました。当時はメディアの取り上げ方がすごかったですね。

成田:
はい、おかげさまでたくさんのメディアに出させていただきました。

東:
スノーボードブームの立役者になりましたよね。そんな成田さんは、お父さんの教育が熱心で、小さい頃から英才教育を受けていたんですよね。

成田:
そうですね。家族が一丸となってスポーツに取り組んでいました。
歳の近い妹が一番のライバルだったのですが、男の私と同じだけの練習をしていた妹は女子の中でずば抜けて成績が良く、私はそれが羨ましかったんですよね。だから妹より好成績を収められるよう一層練習に励みましたし、逆に妹は私の技術を盗もうとしていました。お互いに切磋琢磨して成長していましたね。

小松:
お父さんはウェイクボードやトランポリンで子どもたちの身体性を高めていったそうですね。一流アスリートになるための英才教育だったのでしょうか。

成田:
多分ですが、父親は僕たち兄妹をトップアスリートに育てる気は最初はなかったと思います。では何がきっかけだったのかという話ですが、そもそも私はスキーからはじめたんです。モーグルスキーをやっていました。

東:
そうなんですか、スノーボードの前にはモーグルを。

成田:
父親は趣味でスキーをやっていまして、当時父親が経営していた会社の部下と私をよく雪山に連れて行ってくれました。最初はみんなで行っていたのですが、結局最後まで父親と同行していたのは私だけになっていました。

小松:
それはどうしてですか?

成田:
やらせる事が無理難題だったんですよ(笑)

東:
どういう要求をなさっていたんですか?

成田:
子どもの頃の話なので詳しくは覚えていないんですけど、すごく急斜面のコースで「ここを直滑降で降りてみろ」みたいなことを部下に言うんです。当時の部下の方たちは血の気が多くてみんな挑戦するんですけど、必ずどこかしらを骨折してしまって…。そうして最終的に残ったのが私だけになっていたんです(笑)

小松:
成田さんは、そんなお父さんの後をスキーでついて行ったんですか?

成田:
「ついて行った」というより「行くしかなかった」んですよね。当時はそれが普通だと思っていました。

 6歳でスポンサー契約

小松:
お父さんとの経験を通して、競技者としてのメンタリティーが芽生えていくのですか。

成田:
いえ、当時はあくまでもエンターテインメント感覚でした。

小松:
競技ではなくエンターテイメント。もしかしてオリンピックもそうでしたか?

成田:
はい、オリンピックも私にとってはエンターテインメントでした。

小松:
その感覚って、成田さんの種目がエクストリームスポーツと呼ばれるスノーボードだったからでしょうか?

成田:
はい、そうかもしれません。レース系の競技だったら違ったかもしれませんね。

東:
確かに、ハーフパイプはエンターテイメント性が強いですよね。

成田:
陸上競技とかだったらもう少しアスリート感があったかと思いますが、私のやっていたスノーボードは「自分をどの様に表現するか」という部分が強いので。

小松:
誰かと競い合い、それに勝ったら表彰台に昇れる、という競争の部分には、あまり魅力を感じなかったのですか。

成田:
もちろん、勝つことを目指していました。
表彰台に昇れれば最高に嬉しいですよ。でも、自分のパフォーマンスを認められる方がもっと嬉しいですね。だから観客のみなさんを楽しませたいと常に思っていましたし、楽しませた方が勝ちだとも私は思っています。これはオリンピックに限らず、ワールドカップとか全日本選手権とかでも同じ考えでした。

東:
成田さんは、そういうプロ意識をいつから持っていたんですか?

成田:
私の場合、6歳の時にスポンサーさんについて頂いていたんですよ。

東:
6歳で!?

成田:
はい。父親はカメラマンだったんですが、カメラメーカーから機材を提供されてギャラを頂き、撮影した写真をその会社に納品するということをやっていました。だから「スポンサーがつくとは、どういうことか」ということをよくわかっていたんです。なので「お金を頂いているスポンサーのメリットを考えて動かないといけない」、「スポンサーを裏切ってはいけない」ということを幼少期から叩き込まれていました。

小松:
お父さんはそうした教育を子どもたちに。プロフェッショナルの意識を教えたんですね。

成田:
はい、そうです。それで最初にスポンサーさんに貢献できることを考えた結果、それがメディアに露出することだったんです。

東:
成田さんがメディアに出演すると必然的にメーカーさんの名前が露出しますもんね。それは自分で意識していたんですか?

成田:
いえ、父親です。「どうしてテレビに出る必要があるのか。それはスポンサーがいるからだ」という教育を徹底的に教え込まれました。

小松:
お父さんは、どうして子供たちが幼い頃からそうした考え方を教え込んだのか。そのことを聞いたことはありますか。

成田:
いいえ、ないです。それに聞いても答えないと思います。

 サービス精神の大切さ

東:
だから勝つことだけにこだわってはいないんですね。僕はハンドボールのマーケティングを担当していたことがあるのですが、なかなか費用対効果を見出してもらえず、スポンサー集めにとても苦労しました。

成田:
はい、スノーボードはサッカーや野球などのメジャースポーツに比べてマイナーですからね。

東:
たしかにそうですね。スポンサー獲得のために、具体的にはどのような活動をなさっていたんですか?

成田:
主にメディア露出をして、話題作りに専念していました。

小松:
成田さんは16歳で日本代表に選出されましたが、その時もスポンサーに対しては同じマインドでしたか。

成田:
はい、もちろんそうです。

東:
僕は現役引退後にスポーツマネジメントを学ぶため大学院に進んだのですが、そこでスポーツの価値を世の中でどう認めてもらうかを研究し、アスリート自身がその価値に気づき、行動することが本当に大切だと感じました。

小松:
アスリートでも人間です。色々なミスをしますし、人は反省し、そこからやり直すことができて当然です。しかし、トップアスリートとなり日本代表のユニフォームを着たり、オリンピックに出場したりすれば、許されないことがあるという現実を引き受けなければなりません。問題を起こせば競技生活を支えてくれる家族や仲間、企業やスポンサーの思いや好意を無にすることになる。そして、社会的な責任を問われ、経済的な基盤も失うわけですよね。アスリートだからこそ社会の厳しい目に晒される。そのことは、アスリート自身が自らの価値を認識するとともに、忘れてはならない事実だと思います。

東:
本当にそう思います。成田さんも競技を背負う、という意識があったでしょうね。

成田:
はい。スノーボードを普及させたいという気持ちが大きかったです。私が出場した2006年のトリノオリンピックから13年が経過しました。今のスノーボード人口が当時に比べてどれくらいになっているか、分かりますか?

小松:
減少していますよね。

東:
30%減、くらいですか。

成田:
実は、現時点でスノーボード人口は半分以下になっているんです。競技者を含めるともう少し多いですけどね。なぜ当時は流行っていたのかというと、これは少し自慢のように聞こえてしまうかもしれませんが、私がメディアにガンガン露出していたからというのはあると思うんです。私が現役の頃はテレビなどのメディアに出まくって、スノーボードをすごくプッシュしてました。ただオリンピックが終わって、スノーボード自体のメディア露出の機会が減っていくと伴に人気も下がっていったように感じます。

東:
確かに競技を超えて世間に伝わるスターがいなくなったのかも知れません。

成田:
2018年の平昌オリンピック、男子スノーボード・ハーフパイプで平野歩夢選手が、2014年のバンクーバーオリンピックに続いて銀メダルを獲得しました。2大会連続で日本人がメダルを獲っている状況ですが、それにも関わらず実はスノーボーダーが減っているんです。

小松:
それはなぜだと思いますか。

成田:
メディア露出が少ないからだと思います。この横乗り系のスポーツって、メディアに出ない方がかっこいい、みたいな風潮があるんです。本当はこのスポーツのためにも、どんどん露出して競技の知名度が高まっていければと思うんですけどね。

東:
ハンドボールでも宮﨑大輔選手というスターが唯一無二の存在で、競技を超えて自らの存在で世間にハンドボールを伝えた彼の功績は本当に素晴らしいと思います。みなさん、“ハンドボールの宮﨑大輔”を見に来るのではなく、“宮﨑大輔がやっているハンドボール”を見に来ていましたから。

成田:
だから、テレビに出ている頃に考えていたのは、メディアをいかに楽しませるか、だったんですよね。当時はメディアが食いつくような返答や受け答えしか考えていませんでした。ある意味、成績なんてどうでもよかったのかもしれません。

小松:
成績なんてどうでもよかったは言葉の綾でしょうが、プロとしての考えを貫いていたからの行動ですよね。メディアに出て、それでスポンサーが喜んでくれて、自らが対価を得る、という環境を、成田さんは目指していた。

成田:
おかげさまで今でもメディア露出をさせて頂いています。

 アスリートは何をするべきか?

小松:
スポンサーさんのことを第一に考えるという思考は、成田さんのお父さんの考え方、そのままですね。

成田:
はい、そうですね。皆さんはアスリートが世の中に対して何をするべきか、アスリートとして大切なことはなんだと思いますか?

東:
そうですね・・・ 現役当時の僕は、結果を残すことや、来場してくれた人に喜んでもらうこと、ブログを書いたり、試合後にサインを書いたりするぐらいしか考えられなかったですね。

小松:
トップアスリートというのは、自身の努力や研鑽も含めて種選ばれた人々なので、その身体性を見せたり、それを作り上げているメンタルを伝えたりすることではないですか?

成田:
確かに、お二人のおっしゃる通りですよね。加えて、「こういうスポーツがあるんですよ」ということを多くの人に認知してもらうために尽力することだと私は思います。
多くのアスリートは「結果を出す」って言うんですが、それは大前提なんです。その上で「記録よりも記憶」って大切だと思うんです。私の場合は「成田童夢」という存在を脳裏に焼きつけることが仕事だと思っています。

小松:
競技に集中し、良いパフォーマンスを実現すれば、選手の存在は人々の脳裏に焼き付けられるのでしょうか。

成田:
はい、確かに競技なんですけど、それよりも、競技を知ってもらうことなんです。それをするために、私はメディア露出をたくさんしていました。今だったら、Youtubeなんかもあるわけで、アスリート達はそういうのにもっと出ていってもいいと思うんです。

小松:
成田さんはそうした思いで現役の時にメディアに露出していたんですね。でも、その反動もありましたね。ビックマウスと言われたり、人気とは裏腹にバッシングも受けたり。

成田:
すごくありました。でも一番怖いのは無関心だと思っています。叩かれる=知られているってことですよね。だから、無反応とか無関心が一番怖いんですよ。知られていなければ、バッシングすらされないわけですから。

小松:
無関心はメディアや観客側の問題でもあると思います。特にオリンピックは4年に1度。競技によってはオリンピックの時だけ取り上げられて、それ以外は勝っても報道されないという現状もあります。そうしたことを実感していた成田さんは、スノーボードという競技自体に興味をもたせるためにメディアに出ていたんですね。

成田:
それをやらないと、競技が注目されなくなり、廃れてしまうと危惧したんです。

東:
叩かれる、といえば、僕も去年の夏に、ハンドボールのインターハイ大阪予選決勝で高校生が肘打ちをした事件で、高校生をかばうようなコメントをしたことによって、SNSでバッシングを受けたんですね。
これまで、友人がバッシングされた時には、気にする必要がないよ、とかアドバイスをしていたのですが、自分がその立場になってみると、やっぱり気になりますし、見なければいいのにネガティブなコメントをわざわざ確認したりして、すごく落ち込みました。当時、僕は42歳だったんですが、成田さんがバッシングを受けたのは、もっと若い頃ですよね。辛くなかったですか?

成田:
トリノオリンピックの頃なので、私が二十歳の時ですね。バッシングでちょっとふさぎ込んだ時期はありましたよ。でも、今振り返るとスノーボードという歴史の中で爪痕は残せたと思います。

東:
ものすごく深く残ってますよね、人々のイメージの中に。

成田:
今では、それでいいと思っています。

小松:
プロのスノーボーダーとして、スポンサーやお客さんが喜ぶこと第一で考える。そんな成田さんが、オリンピアンを目指すきっかけを教えていただきたいと思います。

 大きな転換期となったトリノ五輪

東:
成田さんがオリンピックをめざすきっかけとなったことってあるんですか?

成田:
実は中学3年の時に、父親に言われたことがきっかけなんです。

小松:
何と言われたのでしょう?

成田:
「スノーボードを続けるか進学するか。どちらかを選べ」と。私が出した答えはどちらでもなかったんです。「じゃあ何がしたいんだ?」って問われた時に「声優になりたい」って答えました。

東:
反応はどうでした?

成田:
「なんやそれ?」と言われました(笑)父親は声優のことをわかっていなかったので、説明をしたら、ある種のタレントのようなものだと理解してくれたんです。そしてちょっと考えて、父親は「わかった、お前がやりたいことをやらせてやる。ただし1つ条件がある。進学せずにスノーボードをやれ。それでオリンピックに出たら、好きなことをやらせてやる。」と言われたんです。

東:
あ、なるほど。将来声優になると決めているのであれば、学校に通うことは必須ではないですし、知名度を上げることのほうが重要だと。声優はタレントだから知名度が大事。成田さんはスノーボードがうまいのだから、オリンピックに行くことで有名になって、知名度を上げろと。

成田:
多分そういうことを父親は考えていたんだと思います。

東:
15歳でその選択って、すごいですね。それは成田さんご自身は理解したんですか?

成田:
いや、わからなかったです。すごく厳格な父親でしたから、基本的に口答えできないんで。確か15歳の10月ぐらいに言われたんですよ。今シーズン中にプロの資格を取れと。それがクリアできなかったら、定時制でもなんでもいいから高校に行ってスノーボードは辞める。これが一つのハードルでした。それで私は運良くプロになれたんです。

小松:
プロの試験というのはどういうものですか?

成田:
プロが出場している大会で上位の成績を残す、という単純明快なものです。細かくいうと色々あるんですが、まず選ばれてプロレースというものに出場します。このプロレースというのは当時人気があって、200人ぐらいが参加していたんです。その中にアマチュアが30人ぐらいいて、プロに混じって上位12名の中に入るとすぐにプロになれるのですが、その選考でギリギリ12番目になってプロになれました。

小松:
200人の中の12人に。それも15歳で。すごいですね。

成田:
そして次のハードルが、オリンピックへの出場資格を得るためにナショナルチームに入るという関門でした。

小松:
そこから4年後に2006年のトリノオリンピックがありました。

成田:
ですが、私は19歳の3月に前十字靭帯の断裂という大怪我をしました。それで入院中に北島康介さんやイアン・ソープさんの自伝、あと色々な指導者の指導法みたいな本を読んでました。その時に父親のコーチングに初めて疑問を持ったんです。父親の指導法はやりすぎだって(笑)私がこういう大怪我をしたのも、一気にバツンと断裂したわけではなく、蓄積した疲労が原因だったので、休ませることが必要だったんです。そして、そういう考えを持ったまま、退院して実家に戻りました

東:
どうでした?

成田:
帰るなり父親に「トランポリンを飛べ」って言われました(笑)
私は「それは無理だ、今は休ませないと」って言ったんです。そうしたら、「何言ってんだ。病院で散々休んだだろ」って言うんですよ。その時は日本代表にも選考されていなかったしオリンピックも直前に控えていたので、今後のために今は練習を休ませてほしいと伝えましたが・・・。

小松:
お父さんは、理解してくれました?

成田:
いえ、理解してくれませんでした。だから私は家を出ることにしました。

小松:
お母さんはその時、何か言いましたか。

成田:
母親はスポーツに関することには何も口出しをしません。生活の中でケアはしてくれていましたけど。他のことでも、父親には誰も口出しできなかったんです。

 オリンピックを目指すのに、家がない

東:
家を出て、どこに住んでいたんですか?

成田:
家を出てとりあえず都内に来たわけですが、はじめの一週間は行くあてもなく漫画喫茶で寝泊まりしていました。ボードケースを持ちながらの移動で大変だったのですが、東京でたまたま知り合った方がマンションオーナーでして「来年建て直そうと思ってる物件があるから、取り壊すまでそこに住みなよ」と言ってくれたのです。

小松:
オリンピックを控えているのに、家がないなんて。壮絶ですね。

成田:
はい、住居はこれでなんとか確保できました。そして生活費は当時のスポンサーとやりとりして、出してもらっていました。

東:
どちらのメーカーにスポンサードしてもらっていたんですか?

成田:
キスマークさんです。社会人経験がないから、とりあえず暮らしていけるだけのお金をスポンサードしてほしいって言ったら「頑張れよ!」と、全面的にバックアップしてくださいました。これでついに親から独立したんです。

東:
なるほど。キスマークさん、当時はかなり露出していましたよね。練習はどうしていたんですか?

成田:
これがまた運命的な話があるんです。何も考えずにスノーボードだけを持って東京に出てきて、これからどうしようかなって悩んでいました。

東:
随分な無茶をしますね(笑)。

成田:
完全に家出です。それで東京のおばさんのように慕っていた方とご飯を食べていた時に「トレーニング場所はどうするの?」って聞かれたんですが、こっちは住むところもないのにそんなことまで考えられなくて「今はいいです。そこまで考えられません」って答えたんです。

東:
たしかにそうですよね。

成田:
ある日、そのおばさんが食事に連れてってくれたんですが、その席で私のキーパーソンになる三浦恵美里さんという女性と出会ったんです。三浦さんが私に向かって、「昔から弟がお世話になっています」って言うので、弟って誰だろう?って・・・

小松:
誰だったのですか?

成田:
リレハンメルオリンピックでモーグルスキー日本代表の三浦豪太さんだったんです。私はもともとモーグルスキー出身だったのですが、その時一緒に滑っていたんですよ。

小松:
三浦豪太さん、現在はオリンピックのモーグルの解説で有名ですね。それに、お父さんの三浦雄一郎さんとともにエベレスト登山をはじめ、アルピニストとしても活躍されています。

成田:
それで「代々木にうちのトレーニング施設があるから使いなさい」って言ってくださったんです。

小松:
そこで再会できるなんて、奇跡の出会いですね。

成田:
はい、それで久しぶりに豪太さんにお会いして、いろいろと事情を話したら「トレーニングも見るよ」と、直接のコーチもしてくださって。

東:
なんとコーチまで見つかったという(笑)。

成田:
はい、これがトリノオリンピック前の話です。今でも豪太さんとは仲良くさせていただいています。

小松:
お父さんは成田さんのことを探さなかったのですか。

成田:
特に捜索願いも出されていなかったので別にいいかなと(笑)

小松:
「巨人の星」の星一徹みたいですね。

成田:
父親と離れた私は、豪太さんのもとでトレーニングを受けることになりました。豪太さんもトップアスリートですから、トレーニングだけでなく、怪我の対処方法も詳しくて。怪我をしている時の練習法も教えてくれたんです。

小松:
そんな状況の中でも、成田さんのオリンピックへの意思は変わらなかったんですか?

 オリンピックに出る目的が変わる

成田:
はい、変わりませんでした。昔は「声優になるためにオリンピックに出る」と考えていたんですが、その時はオリンピックに出ることが第一になっていました。スポンサーもついてくれていましたし、自分の声優になる夢とか、そんなことを言っている場合じゃなかったです。父親から離れるのが第一、スポンサーのためにオリンピックに出場するのが第二の目的でしたから。

東:
スポンサーの支援に報いるためにオリンピックに出るという意思がすごいですね。長い間トップクラスにいた成田さんは、どのようなトレーニングをしていましたか?

成田:
朝から晩まで練習していました。私は他の人より運動神経がない自覚を持っていましたから。いまだに球技苦手ですし(笑)

東:
球技が苦手だという人、スキーやスノーボードの選手に多いと聞きます。逆に球技系のアスリートはスノーボードなどが苦手な人も多いです。

成田:
球技って日本においてはある意味、学校教育の一環ですよね。実は学校の体育の授業って大嫌いだったんですよ。球技以外には体操ぐらいしかないし、跳び箱をやらされるのが本当に嫌でしたね。いわゆる学校の体育の競技が苦手でした。だから子どものころ、「なんであいつ運動オンチなのにスノーボードできるの? おかしくない?」って思われていました。しかも大会で学校にはあんまり来ないし、久しぶりに来たと思ったらトロフィーだけ持ってきて、学校の授業も全然出ていませんでしたし。

東:
それでも、周りの大人はそんな成田さんを持ち上げていたんでしょうね。有名だったから。周りには面白く思われていなかったかも知れないですね。

小松:
そしていよいよオリンピック出場を果たします。成田さんはプロとしてのトリノの舞台に立つという責任を果たした。でも、ご自身の満足いく結果とならずに・・・・・・。

成田:
はい、まったくダメでした。それで、2006年トリノオリンピック直後に開催されたワールドカップでまた怪我をするんです。肺挫傷という怪我で肺に骨が刺さってしまって。

小松:
トリノオリンピックの後、引退を思わなかったのですか?

成田:
それは全然なかったです。オリンピックでは結果を出せなかったから、もう一度行かなきゃって思っていました。スポンサーのためというのも、もちろんありましたけど。

 「オリンピック選手」としてしか見られない辛さ

東:
声優になるという目標はまだ持っていたんですか?

成田:
それが、この頃はなくなってましたね。それよりも「生活する、生きるためにどうする?」みたいなことを考えるのが優先でしたから。

小松:
そこまで追い詰められていた。2011年に現役引退を発表されますが、トリノから引退まではどのような生活を?

成田:
トリノの後、結構自暴自棄になっていましたね。引きこもりというか、そういう状態になって、外部との関係を一切シャットダウンしていました。豪太さんともお会いしていませんでした。

東:
本当に一人きりですか?

成田:
はい、本当に一人きりの状態でした。当時お付き合いしていた方がいたのですが、彼女は私のことを見ていたのではなく、オリンピック選手としての成田童夢を見ていたのが分かった時は本当に落ち込みましたね。

小松:
一番大切な人がそんなふうに離れていった。ショックだったでしょうね。

成田:
はい。それで引きこもって、廃人のように毎日パソコンでネットゲームをしていました。

小松:
それでもスノーボードを辞めなかった。

成田:
オリンピックの後、スポンサーはいなくなりました。でも別の支援してくださるという方が現れて。その方に「オリンピックに出てほしい」って言われたんですね。

東:
ああ、やっぱりそうなるんですね。

成田:
私の存在意義って「オリンピックに出ることだけなのかな?それ以外に価値はないのかな?」って思うようになったんです。とはいえ、それなりのお金をいただいた手前もあって「やれるだけやってみます、でもどうなるかはわかりません」とお伝えしてました。でも、当時は自分自身が本当に何をやりたいのかわからない状態ですから、当然練習にも本腰が入らず、時期が近くなるにつれ、とりあえずやるしかないと思って練習をしていました。
スノーボードをやりつつも他に何か打ち込めるものがないかなって考えたり、歌が好きなのでヒップホップを歌ってみたりもしました。中には一緒に歌をやろうって誘ってくれた人もいて。私はオリンピックの舞台で世界と戦ってきたので、やるならどうしても上を目指したくなってしまう性分なんです。だから、「どうせやるなら武道館ワンマンぐらい目指さないとダメでしょ?そういう気持ちでやらないと意味ないじゃん!」みたいに話していたら、疎遠になり、解散してしまいました。

東:
音楽の道も考えたんですね。

成田:
はい、私は今までの人生をスノーボードに捧げてきて、オリンピックという世界で一番大きな大会に向けて練習して出場しました。そこで勝てずにアーティストになるんだったら、例えば武道館公演というような大きな目標を掲げないとダメだよね、って考えてたんです。

 転機は弟の存在だった

東:
色々なアスリートの方と話をしていて感じるのは、目標を立ててそれを達成するという思いと頑張る力がとても強い方が多いということです。今の成田さんもそうですけど、スポーツのみならず、違うジャンルでも「頑張れる力」というのを活かして活躍されているという印象があります。

成田:
個人競技の選手だった人って、組織で働くことは難しいと思うんです。1番を目指そうとしちゃうので、周りが見えなくて周囲から反感を買うんですよね。ごめんなさい、脱線しました。スノーボードの話をしますね。
次のオリンピックに出場しようと練習をするため、スノーボードのレッスンを行いながら長野にあるスキー場のペンションに住み込みで居候させてもらっていた時、弟(成田緑夢さん)が会いに来て、久しぶりにスノーボードをやりたいって言い出したんです。

小松:
スノーボードのコーチも?

成田:
はい、当時からやっていました。それで突然会いに来た弟に、今まで何をやってたんだ?って聞いたら、ずっとトランポリンをやってた、って言うんです。しばらく一緒に滑っていると、弟が急に「ちょっと見てて!」っていいながらハーフパイプに入っていったんですよ。

東:
どうでした?

成田:
そこで当時、世界一のスノーボーダーであるショーン・ホワイトにしかできないと言われていた大技、ダブルマックツイストを弟が一発で決めたんですね。それを目の前で見せられて、「もう辞めよう」って思ったんです。弟にバトンを渡そうって。

小松:
その気持ちは弟さんには告げたのですか。

成田:
いや、すごい複雑な気持ちでしたよね。嬉しいけど悔しいし、たった一回であんなすごい大技を決めちゃうなんて、自分がスノーボードをやってきた意味あるのかなって。もう競技者は無理かなって思ってしまったんです。

東:
成田さんにスノーボードを諦めさせたのが弟さんというのがすごいですね。

小松:
板を脱ぎ、新しい世界へと踏み出す成田さんのお話を中心に聞かせてください。

 心の怪我はなかなか治らない

小松:
怒濤のような人生を送られてきた中で、もうダメだと諦めたことはありましたか。

成田:
人間不信になった時には、立ち上がれませんでしたね。トリノオリンピック出場前は、すごくメディアの方が取り上げてくださったんですが、終わった瞬間、蜘蛛の子を散らすかのようにいなくなりました。正直「え、なんなの?この人たちは!?」って思いましたよ。それまで仲良くさせて頂いていた人もいたんですけど、オリンピックが終わるとそれまでの関係も変わりました。本当に多くの人がいなくなって、「人ってこういう行動を取るんだ」って感じました。それから人間不信になってしまったんですよ。

小松:
それは、人間の心理の向こう側を見てしまったということですね。

成田:
はい、メディアだけでなくて、スポンサーもです。

小松:
スポンサーのために目指した最高の舞台がオリンピック。そこでメダルが取れなかったら、スポンサーは離れてしまう。厳しい現実ですね。

成田:
はい、そうですね。でも、今だから言えますが、メダルを取らなくて良かったのかなという気持ちもあります。人の裏側ってこうなんだ、って知れたので。

小松:
スポーツの宿命的な部分でもあります。勝っている時や調子がいい時は注目され、周囲は絶賛する。けれど負ければメディアは離れ、人はその存在を忘れてしまう。

東:
しかも、いくら努力をしていても、新しいスターが生まれればメディアはそちらに目がいきますしね。

成田:
まあでも、メディアの人が離れていってしまうのも単に私が結果をだせなかっただけ、とも言えます。

小松:
普通の発想であれば、アスリートは自分の道を決めて、そこから自分の舞台を築いていきますが、成田さんは、スノーボードとはまったく次元の違う表現を探し続けながら生きていますよね。

成田:
日本って、特にアスリートの世界はそうだと思いますが、1つのスポーツをやっていたら、それだけに集中しろという風潮がありますよね。世界では冬にスノーボードをやっていても、夏はサーフィンに取り組んだりもしますし。でも日本では、野球選手がサッカーをすると、足を怪我したらどうするんだとか、一つの道を究めることこそが正しいとかそういう議論になりませんか?それってその人の可能性を狭め、成長を止めることにもなると思うんですよ。

小松:
成田さんは現役時代、怪我に悩まされましたが、怪我とはどう向き合っていましたか?

成田:
一度怪我をしたところは、そこをまた怪我しないようにしてました。でも怪我って治るんですけど、心の怪我はなかなか治らないんです。

東:
心の怪我って、時間が経てば経つほど深くなり、広がっていきますよね。

小松:
今、メンタルはどうですか。心の怪我の状況は?

成田:
傷つく時は傷つきますよ。まあ、昔より対応できるようになりました。何かあっても「そういうもんだ」って思えるようになりました。あと、一喜一憂しても時間はみんな平等に流れるんだって考えたら、楽になりました。

小松:
そうですか。良かった。

 有名になることは、ただの通過点だ

小松:
引退後、アーティスト活動をはじめますね。最初のきっかけはなんだったのですか?

成田:
秋葉原です。もうスノーボードは辞めようかな、スノーボード以外でどうやって生活していこうかなって考えていた頃に、秋葉原界隈の仕事も少しずつ入ってきたりしていて。でも具体的に何かをしたい、っていう感じではなくて、秋葉原が好きだからっていう気持ちだけでやってたんですけどね。

小松:
その頃はどんな仕事を?

成田:
アイドルイベントのMCです。今でもやっていますけど(笑)ちょうどその頃AKBグループとかが盛り上がっていて、知り合いに「アイドルのプロデュースすればいいじゃん」って言われたんです。それで私の引退記者会見の時に、今後はアイドルを育成する!って宣言をしました。でも、朝青龍関の引退会見の当日か次の日だったこともあり、あまりメディアでは取り上げられませんでした(笑)

東:
それはタイミングが悪かったですね(笑)ヒップホップグループ「きどいち!」のMC106という名前でも活動なさっていましたね。

小松:
そして本当にアイドルもデビューさせました。

成田:
はい、色々大変だったんですが、結成して3ヶ月で赤坂BLITZに立たせることができました。なかなか3ヶ月で赤坂BLITZで公演することは出来ないですよね。ただ、私はアイドルの子たちに「アイドルになることが終着点ではない、世間に広く名前を売るためにアイドルをやってるんだよ」ってことを伝えました。自分にとって、オリンピックが終着点でなくてスタートだったのと同じように。

小松:
それはお父さんから習ったことですね。

成田:
はい、そうなんですが、アイドルプロデュースをしている中で、私の意図していたものと夢半ばで現状満足している彼女たちの姿勢に方向性の違いを感じたんです。音楽をやるなら絶対に武道館を目指すって話じゃないですけど、私としては、頂点を目指さないのならやる意味ないじゃんって意気消沈してしまって。その時に、プロデューサーの立場では限界があるなら、自分自身がアーティストやタレントになって前に出よう、と。

東:
なるほど・・・

成田:
それで「アウト×デラックス」という番組に「オリンピックを踏み台にした男」という肩書きで出させていただいた時に、俺は声優になるためにオリンピックに出たんです、といい続けました。プロモーションですよね(笑)
その後、声優学校に通ったり、ご縁で声優の水島裕さんに教えていただいたり。

小松:
結婚もなさり、現在はカフェのプロデュースもされています。今のご自身の職業を説明するとしたら?

成田:
自由人ですね。何にも縛られたくないし、自分の好きなことを“推し事”として全力でやりたいんです。

 天狗になることの怖さ

小松:
現在、スノーボードには関わっていますか。

成田:
プライベートでは滑っていませんが、指導はしています。スノーボードは私よりも、妹の方が関わっていますね。去年も全日本選手権で優勝していますし。

小松:
妹の今井メロさん、弟の成田緑夢さんには会っていますか?

成田:
妹には月1ペースで、弟にも3ヶ月に1度ぐらいのペースで会っていますよ。

小松:
緑夢さんは2013年4月、トランポリンの練習中の事故によって左足の腓骨神経麻痺の重傷を負われます。リハビリを経てハーフパイプに復帰し、平昌からパラリンピックの選手へ転向しました。その時、相談は受けたのですか?

成田:
いえ、それはないです。彼は彼なりの道を進んでいますからね。

東:
平昌パラリンピックのスノーボード日本代表になり、スノーボードクロスで銅メダルを、スノーボードバンクドスラロームで金メダルを獲得しましたね。

成田:
今の彼に言いたいことがあるとすれば、有名になって天狗になってはいけない、ってことですかね。私がそうだったんですけど。

東:
天狗になるな、ですか?

成田:
アスリートって、努力して結果を出すことで、日本代表に選ばれたり、オリンピックに出場してメダルを取ったり世界大会で優勝したりしますよね。そうすると、自分が他の人とは違う存在なんだ、他の奴らと一緒にしてくれるな、みたいな気分になるんですよ。恥ずかしながら、私はオリンピックに出場した時そうでした。

小松:
天狗になるとは、具体的にどのようなことですか。

成田:
自分は特別な人間なんだ、って思うことですね。それが自分の原動力になっている部分もありますよ。俺に任せろ!俺にしかできないことをやる!と。

小松:
成田さん自身も、注目を集めて、最終的に世間から手のひらを返された時には、天狗になったことが原因だったと思いましたか。

成田:
そこは関係なくて、ただ結果を出せなかったからだと思いますよ。もし私が金メダルを獲っていたら、自分が天狗だったことには気づいていなかったと思います。そのままちやほやされていたでしょうし。

小松:
私はメダリストを大勢取材していますが、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」の如く、真摯で謙虚な方ばかりです。天狗になる人とそうでない人、分けるものはなんでしょう?

成田:
どれだけ場数を踏んでいるか、つまりキャリアの違いですかね?それと、全てのことに感謝しているかどうか、ではないでしょうか。成績を残したとしても、それは自分一人の実力ではなく、色んな場面でサポートしてくれる方たちあってのことなんですよね。それに気づけたとき、自然と感謝の気持ちが溢れてくのかなと。アスリートってつい「俺は才能があるからここまでこれたんだ、俺ってすげえ」という風に勘違いしてしまいがち。でもそれだけだと必ずどこかで痛い目に遭うんです。

小松:
成田さんの経験は、他のアスリートのお手本になる部分もありますね。

東:
スポーツマネジメントの観点でも示唆に富んだお話でしたし、様々な経験を掛け合わせることの大切さを知りました。これからどういう活動をされていくのか楽しみです。

 「今」にすべてを賭けたい

小松:
これからの人生、どういった展開を考えていますか。

成田:
その時の直感で面白いと思ったことをやっていきます。もちろんあらかじめ未来のビジョンを持つことも必要ですが、最近は、最後は笑って死ねればいいかなって思っています。だからと言って「それじゃあ、その最後を笑って死ぬには何をしようか」っていうのを考えているようじゃダメだと思うんですよね。
今ここにある全てに賭けて、自分の興味のあるものに全力で取り組むことが大切なんじゃないかなと。

小松:
今の成田さん、楽しそうですね。

成田:
そうですね。最近は、秋葉原カルチャーを前に出していこうというビジネスに力を入れています。引退してから秋葉原に住み始めて、もう6、7年になりますかね。そもそも秋葉原のカルチャーは、スノーボードを始める前から好きだったんですが、最初から今やっているような活動をしようとは思っていませんでしたね。単に私の心の支えだったんです。アニメとか漫画とかゲームのカルチャーが。

東:
秋葉原カルチャーをどのようなビジネスにしようと考えているんですか?

成田:
この秋葉原カルチャーを、日本にとどまらず、もっと世界に発信するべきだ。そのために私ができることは何だろうって考えたんです。
最初は漫画を描いたりしていたのですが画力が足りず、かといってミュージシャンになってアニメの主題歌でも歌うか、というのもハードルが高いですよね。色々なことを見て、勉強して、自分にしかできないことって何だろう?って考えた結果、幼少期よりやっていたスノーボード、つまりエクストリーム系のスポーツと秋葉原のアニメ文化を融合させて、その架け橋になることだと思って取り組んでいます。

小松:
秋葉原という街がターニングポイントになっている。

成田:
厳密に言うと、秋葉原に移ってきたこと、です。移り住んだ頃は、もっとこの文化を深く知りたいなっていうステージにいました。そして私が30歳になった時に会社を立ち上げて、その架け橋になるビジネスを始めました。その一つとして、日本痛板協会の名誉会長に就任しています。

東:
痛板(いたいた)協会! それはどういった協会なんですか?

成田:
アニメとか漫画のキャラクターをデコレートするのを「痛」っていうんですよね。車にデコレートしたら「痛車」とかですね。それと同様に、スノーボードにアニメや漫画のキャラクターをデコレートして「痛板」という文化があります。いわば「同好会」を拡散させた様なものになります。あと、小学生の間で流行っている腰を軸にして前に進んでいくスケートボードみたいな「キャスターボード」という遊具があるのですが、その競技化や拡散をしていく活動もしております。それらを通して、アスリートの経験を子どもたちにも体験してもらいたいなと考えています。

小松:
新元号を迎える年が、その活動の元年ってことですね。素晴らしいですね。

成田:
ありがとうございます。あと今日は面白いものを持ってきました。

東:
え、なんですか?

成田:
私は今までスノーボードをはじめとした、体を動かす競技ばかりやってきましたが、最近は頭を使ったり誰でも簡単に取り組めるような競技は何かないだろうか?と考えていた矢先、とある団体からオファーをいただいたんですよ。その団体の公式レーサーをしています。

小松:
なんでしょう、その団体とは。

東:
えーっと、なんだろう?
(成田さん、カバンから何かを取り出す)

お〜〜! ドローンですか!

成田:
そうなんですよ。この小型のドローンを使ってレースをするんですよ。
(機体の販売はしないとのことです)

東:
それはお手頃ですね。

成田:
このドローンのレースをまずは子どもたちに普及させたいのです。もちろん大人の方にもやってほしいのですが、ドローンってある程度操縦方法を覚えると、絶対子どもの方が上達が早いと思うんです。私は今、ドローンをスポーツ化しようとしている会社とタッグを組んでその普及活動をしています。

小松:
どういった経緯でこのお話になったんですか?

成田:
私は色々なガジェットが好きで、その事を耳にしてくれた方から直接「良かったらドローンを一緒に盛り上げてくれないか」というお誘いをいただきました。

小松:
最近注目されているeスポーツに近いですか。

成田:
ドローンを競技にするというのは、実際に存在するものを動かすという意味ではeスポーツより通常のスポーツに近いかもしれませんね。しかもeスポーツと同じように全国各地、世界中でネットを通じて対戦できるんです。

 原体験を大切にする

小松:
成田さんは、アニメや漫画などの秋葉原カルチャーが心の支えだと以前から話をしていましたが、それは現役時代からですか?

成田:
はい、もちろんです。スノーボード歴よりアニメ大好き歴の方が長いので(笑)

小松:
私の世代は手塚治虫という巨匠がいまして、皆、そこからアニメに触れるのですが、成田さんが最初に観たアニメはなんですか?

成田:
ドラえもんです。ドラえもん大好きで、本当にこの世にああいう存在がいると、3〜4歳の頃は思っていましたよ(笑)ドラえもんをはじめとするアニメや漫画から独創性や新しい考え、自分が何をすればいいのか?というのを学んでいきました。

東:
ドラえもんからはじまって、色々なアニメや漫画に触れたんですか?

成田:
それはありとあらゆるものです。「週刊少年ジャンプ」が好きだったので、「聖闘士星矢」とか「ドラゴンボール」とか、「幽☆遊☆白書」や「スラムダンク」などを読んでました。漫画って暇つぶしで読む人いるじゃないですか。でも私にとっての漫画は教科書みたいなもので、全てに色々な学びがあるように、何かしら得るものが有ったんです。

小松:
個人の原風景を創るアニメ体験って、多くの人にありますよね。そのアニメや漫画と親和性の高い秋葉原で、新しいビジネスを、というのが成田さんらしい斬新さです。

東:
本当に「これだ!」と思ったことを全力でやるのは、現役時代も今も変わってないですね。

成田:
「人に夢と感動を与える」というキーワードを、現役時代から持ち続けています。その軸だけはブレることのない様に、これからも色々なことに挑戦し続けていきたいです。

小松:
ここで改めて成田さんの現在の活動を“その後のメダリスト100 キャリアシフト図”に当てはめると、夢組CEOやJIBA名誉会長、サブカルチャータレントとしての活動に加えて、ドローンレースの普及やカフェの経営者などスノーボードとは最も関連が少ない「C」の領域でご活躍なさっていることが分かります。

注1)親会社勤務とはいわゆる企業スポーツである実業団チームで自らが所属していた企業で一般従業員として勤務していること
注2)親会社指導者とはいわゆる企業スポーツである実業団チームで自らが所属していた企業の指導者を務めていること
注3)プロパフォーマーとはフィギュアスケート選手がアイスダンスパフォーマーになったり、体操選手がシルク・ドゥ・ソレイユのパフォーマーとして活動していること
注4)親会社以外勤務とは自らが所属していた実業団チームを所有している企業以外で一般従業員として勤務していること

東:
自らのオリンピックアスリートという経歴に頼るのではなく、活かしながら新たなキャリアでご活躍なさっている姿は、多くのアスリートにとってヒントになるのではないでしょうか。

小松:
きっと三年後にお話を伺うと、また新たなチャレンジをなさっているのでしょうね。

東:
いや〜、楽しかったです! 本日はありがとうございました。

成田:
こちらこそ、ありがとうございました!
(おわり)

次回は、元バスケットボール日本代表・萩原美樹子さんです。3月4日公開!

 

編集協力/設楽幸生

インタビュアー/小松 成美 Narumi Komatsu
第一線で活躍するノンフィクション作家。広告会社、放送局勤務などを経たのち、作家に転身。真摯な取材、磨き抜かれた文章には定評があり、数多くの人物ルポルタージュ、スポーツノンフィクション、インタビュー、エッセイ・コラム、小説を執筆。現在では、テレビ番組のコメンテーターや講演など多岐にわたり活躍中。

インタビュアー/東 俊介 Shunsuke Azuma
元ハンドボール日本代表主将。引退後はスポーツマネジメントを学び、日本ハンドボールリーグマーケティング部の初代部長に就任。アスリート、経営者、アカデミアなどの豊富な人脈を活かし、現在は複数の企業の事業開発を兼務。企業におけるスポーツ事業のコンサルティングも行っている。

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