Career shift

根木慎志 / Negi Shinji   元車椅子バスケットボール選手|現在:

絶望の先にあるもの 元車椅子バスケットボール日本代表キャプテン・根木慎志(前編)

Profile

 

根木慎志(ねぎ・しんじ)
高校三年生時に突然の交通事故により脊髄を損傷。知人の紹介にて車椅子バスケットボールと出会う。2000年シドニーパラリンピックでは、男子車椅子バスケットボール日本代表チームのキャプテンを務める。現在は、「出会った人と友達になる」をテーマにスポーツを通じて誰もが違いを認めて素敵に輝く社会を目指す活動を行っている。
【所属】
公益財団法人 日本パラリンピック委員会運営委員
一般社団法人 アスリートネットワーク 副理事長
日本財団パラリンピックサポートセンター 推進戦略部
「あすチャレ!」プロジェクト ディレクター

 2020年東京パラリンピックに向かって

小松:
今回は、2000年にシドニーパラリンピックで、男子車椅子バスケットボール日本代表キャプテンとして活躍された根木慎志さんです。

東:
根木さんはPwCのメンバーファームであるあらた監査法人にて勤務しながら、アスリートネットワーク副理事長、日本パラリンピック委員会運営委員、日本パラリンピアンズ協会副理事長、Adapted Sports.com 代表、日本財団HEROsアンバサダー、日本財団パラリンピックサポートセンター戦略推進部「あすチャレ!」 プロジェクトディレクターをはじめ2020東京オリンピック・パラリンピックの成功に向けて多岐にわたる活動を行っていらっしゃいます。 

小松:
現在の根木さんの活動を“その後のメダリスト100 キャリアシフト図”に当てはめると、あらた監査法人やアスリートネットワーク副理事長のお仕事が「C」、Adapted Sports.com 代表や日本パラリンピック委員会、日本パラリンピアンズ協会のお仕事が「B」、様々な講演活動やメディア出演は「D」と「A」以外の領域でご活躍なさっていることが分かります。本日は様々なお話を伺えますことを楽しみにしております。

注1)親会社勤務とはいわゆる企業スポーツである実業団チームで自らが所属していた企業で一般従業員として勤務していること
注2)親会社指導者とはいわゆる企業スポーツである実業団チームで自らが所属していた企業の指導者を務めていること
注3)プロパフォーマーとはフィギュアスケート選手がアイスダンスパフォーマーになったり、体操選手がシルク・ドゥ・ソレイユのパフォーマーとして活動していること
注4)親会社以外勤務とは自らが所属していた実業団チームを所有している企業以外で一般従業員として勤務していること

根木:
どうぞよろしくお願いします。

小松:
現役時代は日本代表として活躍されていた根木さんですが。招致に尽力された東京パラリンピックが、いよいよ来年開催ですね。改めてどう思われますか?

根木:
そのことだけで何時間でも話せてしまいます(笑)。あと約500日ですね(※2019年2月現在)。準備がラストスパートに入っているところで、自分自身は毎日ワクワクしながら過ごしています。
嬉しいのは、日に日に周囲のみなさんのパラリンピックへの意識が高まっていて、その変化のスピードが上がってきていることです。僕はよく講演で学校に行くのですが、子どもたちのパラリンピックやパラアスリートへの考え方や見方も変わりはじめているので、それは嬉しいですよ。

東:
その変化とは、具体的にはどういうことでしょうか?

根木:
テレビをつけると、オリパラのCMをやっているじゃないですか? CMの中で車椅子バスケットボールとかフェンシングとか、水泳とか、選手たちの映像が流れていて、パラ選手の競技シーンが自然と目に入ってきますよね。今までパラリンピックの競技って、そんなにテレビで大々的に報道されることが少なかったのですが、プレオリンピックイヤーの今年、多くの人たちが知ることになり、興味を持ってくれています。みんな、パラ選手を「かっこいい」と言ってくれます。今回の東京オリンピックパラリンピック開催で注目光を浴びるようになったからこそで、とてもいいことだと思います。

小松:
学校の講演は:どのぐらいのペースで行かれているんですか。

根木:
年間140校ぐらいです。ちょっと恥ずかしいので、100校位と書いておいてください(笑)。

東:
1年で140校! ものすごい数ですね。

根木:
最初は、日本財団パラリンピックサポートセンター主催のイベントが100校前後だったんですけどね。アスリートによる社会貢献活動をする団体「HEROs」というのがあるのですが、そちらのイベントなどを含め個人で3、40回位、その他のイベントが2、30位です。

東:
私もこの「HEROs」のメンバーで、根木さんとご一緒しています。学校での講演が圧倒的に多いですが、主に小学校ですか?

根木:
小中学校が多くて、高校にも行かせていただいています。

小松:
生徒たちはどのような様子ですか。

根木:
今ではおかげさまで、パラリンピックの元車椅子バスケ日本代表が来るのを楽しみに待ってくれている子どもたちがたくさんいて、行くと大騒ぎしてくれます。ちょっと前までは、「いったいどんな障がいの人が来るんだろう?」という雰囲気の方が強くて、生徒たちも先生たちも緊張して戸惑う方もいました。でも僕って、東さんも知っての通り、めっちゃ明るいキャラクターじゃないですか(笑)。さらに、実際に車椅子バスケをやってるところを見てもらったり、体験してもらったりすることで、生徒との距離が一気に縮まるんですよね。そういう状態になった後で、講演をするんです。

小松:
子どもたちも、車椅子バスケを体験できるんですね。 

根木:
はい、競技用の車椅子が用意できる場合は、実際に子ども達とゲームをしますよ。

東:
僕も経験したことがあるのですが、最初はすごく難しいんですけど、それも含めて楽しいですよね。

根木:
確かに難しいですよね。多くの人って、できないから嫌だって感じるじゃないですか。でもできない、難しい、それが当たり前なんです。だからこそもっと上手になりたい、できるようになりたい、と思う。それがアスリートの精神だと思うんです。子ども達にやってもらう時も、最初は難しいと言っている子が、途中から面白い、と目を輝かせるんですね。試合をして負けたら「悔しい」と言うし、勝ったら「楽しい」と言うし。

小松:
実際、車椅子に乗り、ボールを持って、パスを交わしシュートをしてみないと、車椅子バスケがどんなものなのかわかりませんね。

根木:
はい、車椅子バスケは、テレビでもたまに流れますが、実際やってみると見るのとは大違いで。ボールに手を伸ばしても、思った以上に届かないんですよ。車椅子を操る難しさも、乗れば体感できますからね。選手たちは簡単にやっていますけれど、実際は結構テクニックが必要ですからね。

小松:
子どもたちのための講演会はいつ頃からはじめたのですか。

根木:
実は、講演会とか体験会をやりだしたのは、パラリンピックに出る前からなんです。20代からやっていました。実は、僕が車椅子バスケでパラリンピックに出場したのは36歳なんですよ。遅咲きでしょう(笑)。

東:
地道に普及活動をされてきた根木さんにとって、2020年東京パラリンピックは感慨も大きいでしょうね。子どもたちにどのようなことを伝えていますか。

根木:
僕ね、東京にパラリンピックが来ようが来るまいが、同じ活動をやっていたと思うんですね。けれど、今回東京で開催されることになって、パラへの認知の広がり方がこれまでとはまったく違うことを実感しています。だからこの熱気を、車椅子バスケの普及に使いたいなと思うし、同時にパラリンピックがどんなに素晴らしいものかということも、伝えていきたいんです。

 スポーツ少年が見た奈落と光

東:
熱い思いで車椅子バスケの魅力を広めている根木さんですが、アスリートとしての根木さん、車椅子バスケをはじめたきっかけのことを教えてください。

根木:
僕は生まれが岡山県で、3歳で奈良県の大和高田市に引っ越しました。小学校時代は柔道をやっていて、全国大会に出場していたんですよ。その後、中学時代は水泳に転向し奈良県記録を出したり、高校ではサッカーをやっていました。スポーツ大好き少年だったんですよ。

小松:
根っからのアスリートですね。

根木:
はい。でも、高校3年の時に交通事故に遭ってしまいました。その時には、もうスポーツはできない、最悪だって、塞ぎ込んでいたんです。
入院中の僕の病室に、ある日、車椅子乗っている人が現れて、笑いながら「バスケットするか?」と言ってきたんです。その時の自分は「なんでこの人、車椅子に乗っているのに笑っているんだろう?」と冷めた目で見ていました。絶望していた僕は、何に対しても興味が湧かなかったし、将来いいことなんて何もないだろう、と思ってましたからね。

東:
大変でしたね。

根木:
車椅子で生活する、障がい者として生きていくなんてネガティヴなことしかない、っていう考えだったし、周りに希望を持てるようなポジティヴな情報もなかったんです。そりゃそうですよね、当時の僕の周りには、障がいを持っているのに活躍している人の話なんて入ってきませんでしたから。おまけに家族は全員泣いていましたしね。

小松:
その病室に現れた人をきっかけに車椅子バスケに出合ったんですね。

根木:
ええ。最初「なんだこの人?」って警戒したほどでした(笑)。でもその人が僕に車椅子バスケの話をしている時、ギラッギラに輝いているんですよ。その人の話を聞いていたら、だんだん興味を持って来て、それが始めるきっかけになりました。

東:
根木さんは長い間、アスリートしての活動と同時に、ライフワークとも言える講演を続けてらっしゃいます。講演をはじめたきっかけというのは?

根木:
病院を退院してから、バスケをガンガンやっていたんですよ。スポーツってやっぱりすごいなって思いながら。それと同時に、車椅子の生活をしながら、やっぱり車椅子の生活って大変だな、社会のバリアがあるなって、感じたんです。そんな時に、ある先生が僕に「講演してみないか」と言ってくださったんですよ。

小松:
学校の先生といいますと?

根木:
中学校時代の恩師で、山本先生です。先生の言葉に従い講演をすることにした僕は、当初は、どんな話しをすればいいのか分からなかったんです。そしたら、その先生は、車椅子生活がいかに大変か、障がい者が日常生活を送るのがどんなに困難か、そんなことを話せば、障がい者理解につながるだろう、と言ったんです。「根木、お前はこれから人に助けてもらって生きていかなければならない。障がい者がどこでどう困るかを周りの人に伝えない」と、先生は僕に言いました。

東:
根木さんはどう思われたんですか?

根木:
確かに先生の言うことは間違ってない、先生の言っているのが現実な部分もある。でもなんか変だなと(笑)。だから即答で「それはおかしい」と文句をいいました。でも文句を言ったんですけど、「先生の言うことも一理あるしなぁ」と自問自答しながら、講演会に行ったんです。

小松:
迷いながらも講演へ向かったんですね。講演会場ではバスケットをされたんですか。

根木:
今は実演しますけど、その頃はパフォーマンスをしなかったんです。到着するとね、会場が障がい者を迎える暗い感じでね(笑)。司会の先生も「今日はわざわざ車椅子の根木さんが頑張って来てくれました」と言って、暗い雰囲気の中で話さなくちゃいけないくなったんですよ(笑)。雨の日は傘をさせないから大変だし、階段は使えない、と、山本先生のアドバイスに従い、困難に次ぐ困難を強いられる僕の話を聞いて、泣いてる人もいるんですよね。

東:
皆さん、根木さんの現状に同情したんですね。

根木:
「障がいを持っている人がどんなに大変かよくわかりました。根木さん、そんなに辛い話しをしてくれてありがとう!」みたいになって。僕も周りの人に理解してもらってよかったなって思ってて。その後、その講演の評判を聞きつけた人が増えて、依頼が増えていきました。

小松:
そう聞いているだけでも、涙が溢れます。

根木:
そうでしょう。子どもたちも暗くてね。でもね、そんな講演を何度かやっていて、講演しながら「やっぱり、どこかスッキリしないなぁ」って思う自分がいたんですよ。

 きっかけは子どもの一言だった

東:
どこがスッキリしなかったんですか?

根木:
僕ね、講演やりながらバスケの練習もしていたんですよ。もちろんバスケは初心者で、全然ゴールにボールが入らない。でもその一方で、チームの先輩たちはガンガンにシュートを決めている。また同時に、病院で入院している時には車椅子の人が少なかったけど、車椅子バスケの周りには、車椅子で生活している色々な年齢の人がたくさんいるんですよ。それらの光景を見て、「人間ってすごいな、人間の可能性っていっぱいあるんだな」と思い、そのすごさを、あの人たちは車椅子バスケを通じて体現してるんだな、って気づいたんです。

東:
人間の可能性、ですか。もう少し詳しく教えていただけますか?

根木:
ある日のことです。僕は自分の車椅子を持っていなかったんで、先輩から借りた車椅子を講演の時に持って行ったんです。すると、その学校の先生が「子どもたちが喜ぶから、車椅子で動くところを見せてくださいよ」って言ってくれたんですね。それで僕は、車椅子に乗ってビューンって走ったんですよ。そしたら子どもたちが「すごい! かっこいい!」って言ってくれたんです。

小松:
車椅子に乗っている根木さんを「可哀想」ではなく「かっこいい」と言ってくれたんですね。どういう気持ちでした?

根木:
今まで、かっこいいとか言われたことないじゃないですか。講演に行って話す内容も「障がい者はこんなに大変だ、こんなことが困る」みたいな話ばかりでしたから。でも子どもたちに、車椅子乗っている姿見せたら「カッコイイ!」と言われて衝撃でした。その後の講演で「今はチームのレギュラーになれてないけど、強くなってパラリンピックに出たいんだ」みたいな話をしたら、子どもたちが「僕も根木さんみたいになりたい」って言ってくれたんです。

東:
根木さんがこの明るさを発揮するきっかけは子ども達だったんですね。

根木:
それまでは僕が可哀想な人で、周りがサポートする人だと思っていたんですが、バスケの力が「憧れの存在」に変えてくれたんですよ。
それまで僕は、障がい者に対する理解を深めてもらおうって講演をしていて、それで十分だと思っていたんです。もちろんそれも大切ですし、絶対伝えないといけない。でもそれだけじゃないんです。車椅子の人たちは困ることもあるけれど、一人の人間です。生活が大変だけれど、楽しいことも知っている。それは絶対伝えなくちゃいけないなと。それに気づかせてくれたのが子どもたちなんです。

東:
それはおいくつ位の頃ですか?

根木:
僕が22歳位の時です。

小松:
高校3年の時に事故に遭われ、前途が絶たれたと思った頃の記憶は残ってますか?

東:
いつもニコニコ明るくしている今の根木さんを見ていると、絶望していた時期があったなんて信じられませんが、そんな経緯があったんですね。

根木:
もちろん、あります。あの絶望があったから、今があったと言えますね。

小松:
絶望が深ければ深いほど、希望へ向かうエネルギーも強くなりますね。そして絶望を知っていることは、人生においてはアドバンテージになる。

根木:
はい、そうですよね。それはどのスポーツでも同じですよね。チャレンジしたけれど叶わなかった時の悔しさ、真剣に向き合っていた時の絶望を経験した人間は強いと思います。正面から絶望と向き合えるから、「次はどうしよう」という気力も湧いてきますから。
僕は18歳で怪我をしましたが、その年まで一生懸命生きてきて、事故に遭遇して自分の力ではどうすることもできない状況になり、後悔し、歯がゆい思いもしました。今自分の身にふりかかっていることを理解するのにも時間がかかりました。

小松:
今では子ども達の前で、アスリートの素晴らしさを伝え、パラリンピックを盛り上げる活動で大活躍している根木さんが誕生するまでのストーリー。次回はそのあたりから聞かせてください。
(つづく)

 

編集協力/設楽幸生

インタビュアー/小松 成美 Narumi Komatsu
第一線で活躍するノンフィクション作家。広告会社、放送局勤務などを経たのち、作家に転身。真摯な取材、磨き抜かれた文章には定評があり、数多くの人物ルポルタージュ、スポーツノンフィクション、インタビュー、エッセイ・コラム、小説を執筆。現在では、テレビ番組のコメンテーターや講演など多岐にわたり活躍中。

インタビュアー/東 俊介 Shunsuke Azuma
元ハンドボール日本代表主将。引退後はスポーツマネジメントを学び、日本ハンドボールリーグマーケティング部の初代部長に就任。アスリート、経営者、アカデミアなどの豊富な人脈を活かし、現在は複数の企業の事業開発を兼務。企業におけるスポーツ事業のコンサルティングも行っている。

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