Career shift

根木慎志 / Negi Shinji   元車椅子バスケットボール選手|現在:

自分がやれることは、まだまだある 元車椅子バスケットボール日本代表キャプテン・根木慎志(中編)

Profile

 

根木慎志(ねぎ・しんじ)
高校三年生時に突然の交通事故により脊髄を損傷。知人の紹介にて車椅子バスケットボールと出会う。2000年シドニーパラリンピックでは、男子車椅子バスケットボール日本代表チームのキャプテンを務める。現在は、「出会った人と友達になる」をテーマにスポーツを通じて誰もが違いを認めて素敵に輝く社会を目指す活動を行っている。
【所属】
公益財団法人 日本パラリンピック委員会運営委員
一般社団法人 アスリートネットワーク 副理事長
日本財団パラリンピックサポートセンター 推進戦略部
「あすチャレ!」プロジェクト ディレクター

 暗闇を照らした、一筋の光

小松:
根木さんは18歳の時、交通事故を起こされて脊椎損傷を負われたのですね。

根木:
はい、僕が高校3年の冬のことです。免許を取ったばかりの僕は、その日レンタカーを借りて、同じクラスの仲の良い友達の家へ行こうとしていたんですよ。普通の、何の変哲もない、まっすぐな道を走っていたんです。免許取り立てで、まだ運転下手くそだったからでしょうか、緩やかなカーブだったのに、ハンドル操作を誤ってしまって。正面から木に激突して、フロントガラスから放り出され、乗っていた車が僕の体の上に覆いかぶさったんです。

小松:
意識はあったのですか。

根木:
うっすらと。シューッと車がと通り過ぎる音が聞こえました。あと、水滴が地面に落ちる音が聞こえて、あれ、これってテレビのドラマでよく見るやつだ、ガソリンが漏れていて車が爆発するのかもしれない、どうしようって思っていました。その後にようやく通行していた車が、横転している僕の車に気が付いてくれて救急車が来たんですよ。

東:
細かい部分まで、はっきりと覚えているんですね。

根木:
はい、救急隊員が来て大丈夫か?と聞いていたこととか、「レスキュー呼ぶ」なんて声も聞こえました。後から聞いた話だと、待ち合わせの場所になかなか現れない僕と徒歩で迎えに来た友達たちが、事故現場に来て、下敷きになっていた僕を助け出すための作業に参加してくれたそうです。そこから近くの病院に運ばれました。脊椎損傷で、腰と背中にずっと痛みがありました。

小松:
搬送されてからは、痛みとの闘いだったでしょうか。そして、病院のベッドでじっとしてるしかないんですね。

根木:
耐えがたい痛みでした。大怪我ですからね。体が思うように動かないので、寝返りもできません。今みたいに高性能のマットやベッドがあるわけではないので、体を特殊な機械を使いサンドイッチ状に挟んでひっくり返して、仰向けとうつ伏せを繰り返すんです。

小松:
交通事故を起こしても、骨折などであれば、手術をして、リハビリなどをして、社会に復帰するというのが流れのはすです。ところが、それが叶わない。そう、気づく瞬間があったのですか。

根木:
自分では怪我が治れば歩ける、もとの生活に戻れる、と思っていました。入院して間もなく脊椎損傷を医師から告げられていた親は、僕に本当のことを言いませんでした。これは後から聞いたんですが、父親が真実を僕に告げる係になったらしいんです。事故から何日経っても、すごく痛みが続いていて、痛み止めを打ってもらって過ごしていた頃に、父親から最初の軽い宣告を受けました。
「ひょっとしたら右足がちょっとダメかもしれない」と。
すごく激痛が走っている時に告げられるんですよ。だから「この痛みがなくなるなら、片足なくなってもいい」って思うんですよね。その位の痛さなんですよ。まあ、そういう状況下で言うのも、父親の作戦だったのかもしれませんけどね。また別の日になると、父親はまた激痛で辛い時に、「もう片方の足もダメかもしれない」って言ってくるんですよね。そんな日々を過ごしていると、自分の体のことですから、だんだんわかってくるんですよ。感覚もありませんからね。ああ、もう歩けない身体なのかなって。

小松:
ショックだったでしょうね・・・・・・。

根木:
ショックでしたが、本当なのか?と思い気持ちもあって、杖をついて歩く練習をしたりもしました。当時は今ほど社会がバリアフリーでなかったですから、車椅子で生活するという発想がなかったんですよ。リハビリの先生が、装具があるからトレーニングしますか?って言うのでやってみました。でも、すぐに車椅子でないと移動できない、と分かっていったんです。

東:
リハビリも大変でしたか?

根木:
はい。それと寝たきりだったんで、まずちゃんと座れるのに3、4ヶ月かかるんですよ。ずっと寝たきりの人って、貧血になるのですぐ起き上がれなくて、少しずつしか起き上がれないんです。

 運命の競技との出会い

東:
車椅子のトレーニングを兼ねて、外出したりはしましたか?

根木:
最初は嫌だったんですよ。友達が病室に来てくれて、部屋でワイワイするのはよかったんですけどね。外に出ると、友達以外もいるじゃないですか。その頃僕は、車椅子に乗ることはネガティブにしてか思っていませんでしたから、見られるのが嫌だったんですよ。車椅子の人に失礼な話ですが、車椅子の人は歩けない、「車椅子=歩けないことの象徴」みたいに思っていたので、恥ずかしかったんですよ。

小松:
そんな中、根木さんを車椅子バスケに誘ってくれた方と出会うんですね。

根木:
はい、僕をバスケに誘った人は、僕が入院していた病院で、僕が入院していた10年ほど前に入院されていた元患者さんなんです。その方は、高校の時にバイクで事故して、車椅子になってしまったんです。
今では個人情報保護があるので、ありえないですが、当時は緩かったんですよね(笑)。その先輩の所属していたチームに、僕の情報が入ったらしいんですよ。「高校卒業前にスポーツやっていた奴が怪我して車椅子になったぞ」って。僕の家族が泣いてる時に、チームメイトたちは合宿やってて「新しい高校生が入ってくるぞ、ヤッター!これで全国制覇だ」みたいに、人の不幸で盛り上がっていたそうなんです(笑)。
それで、その先輩が「お前(僕と)年齢が近いから、病院の先輩だし行ってこい」ってことになって、僕に声をかけたんだと、後から聞きました。

小松:
それで、突然チームに入らないか、と?

根木:
ええ、いきなり「バスケせえへん?」と言われました。僕はその頃、車椅子バスケという競技を知らなくて、「なんだこの人?」って思ってて。でも「車椅子でもスポーツできるんだ」と少し興味は持っていました。でも「障がい者の人が、バスケットボールみたいな激しいスポーツできるのかな。どうせお遊戯みたいな感じなんじゃないか?」って思ってました。すごく激しいスポーツだということを、後から知りますが。

小松:
リハビリの一環として、軽い運動みたいなものと思ってらしたんですね。

根木:
最初だけは。僕を勧誘する人はガッチリした体格だし、なんだか表情も楽しそうだし。「この人とバスケには、何か秘密があるに違いない」って思っていました(笑)。そしてさらに、僕の心をさらに動かした出来事が起きます。

東:
え!? なんですか?気になる!

小松:
なんでしょう?教えてください。

根木:
その人が、めっちゃ可愛いマネージャーを連れて来たんですよ(笑)。それで、その子が「バスケやるとメチャメチャモテるよ」って言うんですよ。その先輩も「めちゃモテる」って言うんです。その先輩はモテそうになかったですけど(笑)。この人がモテるなら、俺どうなるんだろう?って(笑)。久しぶりにその時笑ったんですよ。

小松:
青春マンガのワンシーンですね。

東:
可愛いマネージャーですか!それ以上のモチベーション、ないですね(笑)。

根木:
そこから打ち解けて、「バスケしようや〜」っていう流れになったんですよ。

小松:
初めての練習のこと、その光景は覚えてますか。

根木:
はい。体育館行ったら、車椅子の人がたくさんいて、「うわー、こんな大勢いるんだ」って思いました。その日にボールを触ったんですけど、入院で筋肉が落ちてますから、ボールがすごく重たかったことを覚えています。

小松:
寝たきりの状態から、車椅子でバスケをやろうと決断した根木さんは、全国制覇を目指す練習の大変さを想像していましたか。

根木:
選手達が車椅子でキュッキュと動いてるの見て「この人たちすごいなぁ」って感動しました。普通ならそこで「すごい」だけで終わりますよね。でも僕はその時「人間ってすごいな」って心から思えたんですよ。僕も同じ車椅子だけど、今の僕にはあんなことできない。でも同じ人間だから、練習すれば絶対同じようにできるはずだ、って思って必死にリハビリをしました。想像していた以上に、車椅子を操って、パスを送り、シュートを打つ動作は、大変で、へとへとでしたが、胸に希望があるから頑張れましたね。マネージャー、見ていたしね(笑)。

 かけがえのない人たちに支えられ

小松:
事故からどのぐらいの期間入院していたのですか。

根木:
約1年半です。20歳の誕生日ちょっと前まで入院していました。入院中は色々ありましたけど、嬉しかったことは、仲の良い友達が毎日お見舞いに来てくれたことです。ローテーションを組んで、代わる代わる毎日ですよ。必ず誰かが来てくれていたんです。

東:
毎日ですか。それはすごいですね。

根木:
これは後から聞いた話なんですが、なんで彼らが毎日来てくれてたのか?
僕は、彼らが来た時は気丈に振る舞って、楽しそうにしていたんですよ。でもどこから聞いたのか、僕が夜、不安で泣いていることが、彼らの耳に入ったそうなんです。当時はメールなんてなかったので、僕が入院していた病院から一番近い友達の家が基地になってたらしいんです。

東:
基地、ですか。どういうことですか?

根木:
その友達の家のカレンダーに、次は誰が病院に行くって名前を書いて、順番に僕が入院していた部屋に来てくれた。「根木を励まそう!」みたいな態度で病院へ来たら、僕も身構えるし、気を遣うじゃないですか。だから全然そういうそぶりはなくて、ただ「おー」とと言いながら病室へ遊びにくるんですね。
大学行ったやつは授業終わってから、またはバイトの合間に、就職したやつは仕事帰りに、1年365日来てくれて、部屋にある御菓子をぱくぱく食べて、冷蔵庫のドア勝手に開けて、ジュース飲みながら「今日どうだった?」みたいな話をお互いするんです。僕は当時、彼らの本心を知らなかったから「お前ら、俺の部屋に飯食いに来ているだけだろ!」って思った時もありました(笑)。
でも実は、彼らの本当の目的は、冷蔵庫の中のジュースでも食べ物でもなかったんです。って東さん泣いてる?(笑)

東:
泣いてません(涙)。

小松:
素晴らしい友情ですね。

根木:
もっとすごいエピソードがあるんです。彼らは定期的に、僕のところにくる前に集まって「根木ミーティング」をしてたらしいんですよ。その時に僕の将来の話になったそうなんです。まだ18歳、19歳の頃ですよ。僕はこれから仕事もないだろうから、僕のためにみんなで稼いで、小遣いあげたり、家を建ててあげたりしないといけないな、みたいな話になったらしいんです。そのための貯金の計画も立てたそうです。

東:
ものすごい友達ですね……。

根木:
めっちゃいい話だと思いません?まだ家建ててくれてないですけど。まあ僕の方が儲かってますからね(笑)。まあそれは冗談として、そんなことまで彼らは考えてくれていたんです。

小松:
そこまで考えてくれる友人は、人生で何人も出会えませんね。

根木:
本当にそうですね。もう一つあるんです。これは僕が一番仲のいい奴の話なんです。彼らの話を受けて、そいつが「根木が可哀想だってみんな言ってるけど、ホンマに可哀想なのかな?」って言ったそうなんですよ。

東:
どういう反応でした?

根木:
そんなことを言った彼は、みんなから一斉攻撃を受けたそうです(笑)。「今までできたことが、事故でできない体になった根木が、可哀想じゃないってのはどういうことや!」って喧嘩になったそうなんです。
でもその彼は、「根木は前から俺たちの友達だし、何も変わってない。もちろんできなくなったことはある。根木ができないことは、俺たちが手伝ってやればいい。家建ててやるとか、小遣いあげるとか言ってるけど、俺たちもまだ親に食わせてもらってる身分じゃないか。これから一生、俺たちは24時間、根木といっしょにいるのか?そんなことできないだろう」って言ったんですよ。

東:
……言葉が出ません(涙)。

根木:
東さん、涙もろい(笑)。
彼はこう続けたそうです。「根木の最近の目を見てみろ。バスケに出会って変わったじゃないか。早く退院しようとリハビリ必死だろ。それを応援するのが友達やろ?」って。「根木も頑張っているんだから、俺たちも頑張らないと。もちろん根木は、今までと同じようなことはできないかもしれない。でもたとえば居酒屋で階段しかなかったら、根木のこと担いでやればいいだけだろう」と、そんなふうに言ってくれたそうです。

小松:
根木さんのお友達に会いたくなりますね。

 心がバリアフリーな友人たち

根木:
彼らの話はまだあります(笑)。これは僕がまだ外に出たくない気分だった時の話なんですけどね。僕の友人の先輩が、モトクロスのレースをやっていて、それを見に行くという口実の元、友人達が僕を連れ出したんです。
でも奈良から鈴鹿サーキットって、けっこう距離あるんですよね。だから彼らは、僕を連れ出す前に、現地に行って車椅子で入れるトイレがあるか調べてくれたり、僕の担当医に緊急時のことを聞いたりしてくれて。そして「根木は多分、行こうと行っても、行かない」って言うだろうから、当日無理やり連れて行こうってことになったんです(笑)。当日僕は案の定「行かない!」って言いましたけど、叩き起こされて無理やり鈴鹿へ連れて行かれました(笑)。

東:
そこまでしてくれる友達って、なかなかいませんよね。

根木:
「サービスエリアのここには、車椅子用のトイレがあるから、ここで休憩な」とか勝手に決まってて(笑)、そんなことまで気を遣ってくれてたんです。

小松:
昔は車椅子用のトイレも少なかったですよね。

根木:
そうなんです。彼らはそれを事前に調べてくれていて。モトクロスの会場に到着したら、あの競技って怪我する人多いから、杖ついてたり車椅子の人も結構いたんですね。それ見てちょっと気が楽になったことを、今でも思い出します。。
それで、あちこちの会場に移動して、レースを見たんですけど、場所によっては、移動するのに友達が僕をおぶってくれたんですね。でも、おぶられる方も掴まらないと落ちちゃうので、結構疲れるんですよ。まだそんなに体力回復してなかったですし。

東:
確かに。

根木:
そしたら友達が怒って「おい根木、しっかりつかまれ!」って「俺はおぶってやるけど、お前もしっかり捕まってろ!」って言うんですよ。その時、必死に両腕でつかまりながら、本当に嬉しかったんです。

小松:
怒ってくれたことが嬉しかった。

根木:
ええ。「お前が歩けないから、俺はお前のこと背負うけど、お前はお前でできることやれ!」って言ってくれたんです。それで僕、ドキっとしたんです。

東:
どうしてドキっとしたんですか?

根木:
それまで、僕の足のことには触れないように気を遣って、優しい言葉だけかけてくれた友達が、そういうことを言いだしたからです。もう嬉しくて涙が出たんです。後ろで車椅子を持ってくれていた奴らもいたんですよね。当時の車椅子って病院からレンタルしている車椅子で、すごく重かったんですよ。それを何人かで交代で持ってくれてね。「一日車椅子持ってマメできたわ! でもええけどな」って言ってて、「ええけどな」って言いながら文句言ってて(笑)。「俺らも車椅子持ってるんだから、お前も頑張れ」って言うんですよ。それ聞いて俺、嬉しくて泣いちゃって。

小松:
素敵なエピソードですね(涙)。そのグループは何人だったのですか。

根木:
8人です。年上もいるんですけど、ほとんど同級生です。最近はみんなバラバラで忙しくしてて。僕が退院してから10年ぐらいは、毎年正月に集まっては、この話してはみんなで「ええ話しや」って泣いてました(笑)。

東:
周りの友人の支えがなかったら、今の根木さんはいなかったかもしれませんね。

小松:
大きな事故から、親友達の支えや、車椅子バスケとの出会いを通して希望を見出した根木さん。ここから、日本代表への道を歩み始めます。
(つづく)

 

編集協力/設楽幸生

インタビュアー/小松 成美 Narumi Komatsu
第一線で活躍するノンフィクション作家。広告会社、放送局勤務などを経たのち、作家に転身。真摯な取材、磨き抜かれた文章には定評があり、数多くの人物ルポルタージュ、スポーツノンフィクション、インタビュー、エッセイ・コラム、小説を執筆。現在では、テレビ番組のコメンテーターや講演など多岐にわたり活躍中。

インタビュアー/東 俊介 Shunsuke Azuma
元ハンドボール日本代表主将。引退後はスポーツマネジメントを学び、日本ハンドボールリーグマーケティング部の初代部長に就任。アスリート、経営者、アカデミアなどの豊富な人脈を活かし、現在は複数の企業の事業開発を兼務。企業におけるスポーツ事業のコンサルティングも行っている。

小冊子ダウンロード

タグ:, , , , , ,

RANKING

FACEBOOK

TWITTER

INSTAGRAM

小冊子ダウンロード

就活・取材に関するお問い合わせは、
お気軽にご相談ください。

ご連絡いただいた個人情報は、
お問い合わせの回答以外には一切利用いたしません。

お電話でのお問い合わせ

TEL.03-5738-8013

TEL.03-5738-8013

受付時間 平日10:00-17:00

『アスリート・ライブ』運営会社

株式会社アーシャルデザイン www.a-cial.com
TEL:03-5738-8013 FAX:03-5738-8015
電話受付時間 9:00-19:00(土・日・祝日除く)

CONTACT FORM項目は全て必須入力でお願いします。

お名前
お電話番号
メールアドレス
ご用件
メッセージ本文

プライバシーポリシーに同意する。