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岡本依子 / Okamoto Yoriko   元テコンドー選手|現在:

一番大切にするものを決める シドニーオリンピック・テコンドー銅メダリスト 岡本依子

Profile

 

岡本依子(おかもと・よりこ)
1971年大阪府門真市生まれ。テコンドー元日本代表。シドニー、アテネ、北京と三大会連続でオリンピックに出場。2000年シドニーオリンピック銅メダリスト。世界テコンドー連盟公認四段。日本テコンドー界のパイオニア的存在であり、1993年テコンドー全日本選手権での初出場・初優勝以来、2009年の引退まで国内大会では無敗。現在は全日本テコンドー協会副会長を務めながら大阪で“ドリームテコンドースクール”の代表とNPO法人アスリートヘルスマネージメントの理事長を務めるなど様々な活動に従事。2006年キリスト教(プロテスタント)に入信し、現在、牧師としても活動している。

東:
今回はシドニーオリンピック・テコンドー女子67kg級銅メダリストの岡本依子さんにお話を伺います。岡本さんは日本テコンドー界のパイオニアですから、“テコンドー”といえば岡本さんを思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。

小松:
1993年に初出場したテコンドー全日本選手権で初優勝を飾って以来、2009年に現役を引退なさるまで国内大会では負け知らずという驚異的な強さを誇った、記憶にも記録にも残る名選手です。

東:
現役を引退なさってからは、全日本テコンドー協会副会長としてテコンドーの普及活動を行う他、“ドリームテコンドースクール”の代表とNPO法人アスリートヘルスマネージメントの理事長を務めておられるなど様々な活動に取り組まれていますが、特徴的なのはキリスト教の牧師として大阪ヴィジョン教会の牧会や海外宣教をしているところです。

小松:
現在の岡本さんの活動を“その後のメダリスト100キャリアシフト図”に当てはめてみますと、全日本テコンドー協会副会長のお仕事が「B」の領域、自らが代表を務めるドリームテコンドースクールの運営やNPO法人アスリートヘルスマネージメントの理事長のお仕事が「C」の領域、キリスト教の牧師としてのお仕事は分類が難しいのですが、一旦「D」の領域とさせていただきます。本当に様々な領域で幅広くお仕事をなさっていることが分かりますね。

注1)親会社勤務とはいわゆる企業スポーツである実業団チームで自らが所属していた企業で一般従業員として勤務していること
注2)親会社指導者とはいわゆる企業スポーツである実業団チームで自らが所属していた企業の指導者を務めていること
注3)プロパフォーマーとはフィギュアスケート選手がアイスダンスパフォーマーになったり、体操選手がシルク・ドゥ・ソレイユのパフォーマーとして活動していること
注4)親会社以外勤務とは自らが所属していた実業団チームを所有している企業以外で一般従業員として勤務していること

 “福音”を広めたい

東:
テコンドーはいつからオリンピックの正式競技になったのですか?

岡本:
2000年のシドニーオリンピックからです。1988年のソウル大会と1992年のバルセロナ大会で公開競技として実施され、シドニー大会から「テコンドー」、「トランポリン」、「トライアスロン」の「3T」と呼ばれる競技が加わりました。

小松:
現在、全日本テコンドー協会の副会長を始め幅広くご活躍なさっている岡本さんですが、最初は現在のお仕事について具体的なお話を伺っていきたいと思います。

東:
まずは岡本さんの現在の収入のポートフォリオについてお教えいただけますか?

岡本:
大阪で“ドリームテコンドースクール”というテコンドーの教室での指導と、講演やスポーツ教室が主な収入源です。

小松:
ドリームテコンドースクールではどのようなお仕事をなさっているのでしょうか?

岡本:
大阪市北区にあるビルの3階でテコンドースクールの運営と指導をしています。

東:
実際に岡本さんの指導を受けることが出来るのでしょうか?

岡本:
はい、私は主にパーソナルトレーニングや指導者講習などの担当で、その他のレッスンは別の指導者にお願いしていますが。

小松:
そちらの事業でご自身が十分に生活していけるだけの収入を得られているのでしょうか?

岡本:
トントンくらいです。

東:
全日本テコンドー協会でのお仕事からはどのくらいの収入を得られているのですか?

岡本:
全日本テコンドー協会については交通費をいただく程度です。

小松:
岡本さんは2006年に韓国で洗礼を受け、プロテスタントのクリスチャンになられて、現在は牧師としての活動をなさっていますが、そちらのお仕事については?

岡本:
牧会のお仕事は今のところ無給でおこなっています。

東:
それでは、現在のメインの収入は大阪のビルを賃貸して実施なさっているビジネスと個人的な講演やスポーツ教室の講師で得られて、その他にボランティアで競技団体の運営と牧師としてのお仕事をなさっているという状況なのですね。

岡本:
そうですね。ただ、現在最も自分の時間を使っているのは、牧師としての教会の運営や海外宣教活動になります。

小松:
なるほど・・・岡本さんのようなキャリアをお持ちであれば、マネジメント事務所に所属して、メディア出演や講演活動で生活することも出来たと思うのですが、なぜ、信仰を生活の中心に置くという人生を選択なさったのでしょうか?

岡本:
まあ、そうですね、お金よりも趣味に生きてるというのでしょうか(笑)
単に一番やりたいことをやろうと決めた結果なんです。

東:
現在、最もやりたいことが信仰生活だと。

岡本:
そうですね。イエス・キリストの福音をお伝えする活動をしたいと考えています。

東:
福音、良い知らせのことでしょうか?

岡本:
キリスト教における“福音”とは、イエス・キリストが自分のために十字架にかかってくださったことを、信じた人は救われることです。

 スポーツでイノベーションを起こす

東:
次に、アスリートヘルスマネージメントの活動についてお教えいただけますでしょうか?

岡本:
アスリートヘルスマネージメントは、セミナーやライフスキル合宿、学校訪問を通じた人材育成や、生活の中にスポーツを取り入れるライフスタイルの構築サポート、スポーツコンテンツによる地域活性化を目的としているNPO法人で、私は代表理事を務めさせていただいています。

小松:
こちらのNPO法人では東さんも理事を務めていらっしゃるのですね?

東:
はい。まだまだお役に立ててはいないのですが。

岡本:
いえいえ、東さんには大阪大学で実施していた「超域イノベーション博士課程プログラム」にもご協力いただきましたし、助けられていますよ。

小松:
そうなんですね。「超域イノベーション博士課程プログラム」についてもう少し詳しくお教えいただけますか?

岡本:
「超域イノベーション博士課程プログラム」は、大阪大学大学院の博士号を目指す学生の中から専門分野に関係なくグローバルに活躍したいと願う二十名程度を選抜し、五年間にわたり特別なカリキュラムを学ぶプログラムでした。元々は博士号取得を目指す優秀な人材に、既存の枠組みを超え、社会にイノベーションを起こす次世代のリーダーとなってもらえるようなプログラムをつくるよう、文部科学省が全国各地の大学に公募したのが始まりです。公募の結果、京都大学、慶應義塾大学、大阪大学の三校が選ばれて、私は大阪大学の特任講師として2012年から五年間に渡って講義を担当させていただきました。

東:
普段、机の上で研究に没頭することの多い学生にトップアスリートとともに様々なスポーツを通じた体験をしてもらうことで限界を超える経験や広い視野を持ってもらえるようなプログラムですよね。

岡本:
日本の大学院の博士課程で学ぶ学生は、大学教授や博士を目指し、研究の道に進むことが多いですが、海外では博士課程を終えたあと、得られた知識や研究成果を活かしてビジネスの世界でも活躍する人がたくさんいらっしゃいます。そのような背景を受け、文部科学省がよりオールラウンドな人材を育成し、次世代を牽引していけるリーダーを輩出するために生まれたプログラムなんですよ。

小松:
スポーツを通じて様々な体験をさせることで、既存の枠組みでは得難い経験をさせているんですね。東さんはどのようなプログラムをご担当なさったのでしょうか?

東:
年齢や性別、障害の有無や運動神経の良し悪しに関係なく楽しめる“ゆるスポーツ”の“ハンドソープボール”を体験してもらいました。そこにいる誰もが生まれて初めてプレーするスポーツで、どうすれば上手く出来るのか仲間たちとコミュニケーションを取ってもらいながら、“勝ったら嬉しい。負けても楽しい”という新たなスポーツの価値観を実際に感じてもらうことで学生たちの持つスポーツのイメージに対してイノベーションを起こしたいと考えまして。

小松:
それは楽しそうですね!

岡本:
ハンドソープボール体験は最高に盛り上がりましたね(笑)

 「お金」よりも「やりたいこと」

小松:
岡本さんは現役を引退なさってから、すぐに現在のような働き方にシフトなさったのでしょうか?

岡本:
いえ、引退直後は、現役の時にスポンサーしていただいた映像制作会社に就職して、テコンドーを使ったエクササイズ「ネリチャギビューティー」という作品の制作に関わったり、作品を活用したイベントへ出演したりしていましたが、1年くらいで退職しました。 

東:
ネリチャギビューティー、知っています!テコンドーとエクササイズを組み合わせた面白い取り組みですよね。なぜ、そちらの会社を退職なさったのでしょうか?

岡本:
「ネリチャギビューティー」をつくることは楽しかったのですが、その他の仕事に興味が持つことが出来ませんでしたので、お互いのためにも辞めさせていただきました。

小松:
仕事の内容と自らのやりたいことにミスマッチがあったわけですね。

岡本:
自分の意見をおさえて、周りに合わせなければいけないことをつまらなく感じてしまって。選手時代は私自身がどうしてもやりたいことである“勝利”を何としてでも実現しようと努力を積み重ねてきたのですが、私自身が興味を持てないと感じた仕事では努力する覚悟が出来なかったんです。

東:
アスリートがセカンドキャリアで味わいがちなギャップですよね。多くのアスリートは競技を通じて努力する習慣を身につけていると思うのですが、“競技”では努力出来ても、“仕事”では努力出来ないケースもまま見られるような気がします。そんな場合には、現在の仕事が自分に合わないと感じながらも生活費を稼ぐために働き続けなければならなくなってしまうことも考えられますし、自己肯定感の低い日々を送ってしまうことになりかねないですが、岡本さんはいかがだったのでしょうか?

岡本:
確かに、生活していくためには最低限の“お金”が必要ですし、お金を稼ぐために仕事をしなければならないという考えも理解は出来るのですが、私はお金を稼ぐよりもやりたいことを優先させることに決めたんです。

小松:
お金のためには働かないと決められたのですね。

岡本:
はい。私はお金を稼ぐためにテコンドーで活躍したかったわけではなく、ただただ大好きなテコンドーで勝利したくて、自らの人生をとことん捧げてきました。自分が勝ちたいからそのための努力をする。そこにはテコンドーで稼ごうとか儲けようという発想が全くなく、何の対価も求めていないので“趣味”なんですよね。

東:
僕は岡本さんとは違って結構ビジネスライクといいますか、どうやったらハンドボールでお金を稼げるかをずっと考え、行動してきましたので、とても新鮮です。

岡本:
東さんの場合は単純に“お金ファースト”というわけではなく、やりたいことがあって、それを実現するためにはお金が必要だから稼がなければならないという考えですから、お金持ちになりたいからお金を稼ぎたい人たちとは違うと思いますけれどね。

東:
ありがとうございます。僕の夢はこれまでお世話になってきたハンドボールという競技を日本においてビジネスとして成立させ、人気のあるスポーツにすることで、そのための方策を考えていくと最終的にぶつかるのが“お金がない”という壁だったんです。

小松:
日本代表チームを強化するにも、競技の普及のためのプロモーションをするにもお金がかかりますものね。

東:
そこで、国内のトップリーグである日本ハンドボールリーグのマーケティング部を立ち上げ、初代部長として色々と活動していたのですが、スポーツのような費用対効果の算出しにくい事業にはなかなかお金を出してもらえずに本当に苦労しました。ただ、これは僕の実力が不足していただけで、マーケティングに長けた人材を雇用出来ればまた違ったのでしょうが、優秀な人材を雇用するにもお金がかかりますから。もちろん、お金をかけずに出来ることも多々ありますが、根本的な部分ではお金を集められなければ“ハンドボールをビジネスとして成立させる”という夢を叶えることは出来ないと思っています。

岡本:
私はお金と夢が叶うのは関係ないと思いますが、お金が必要になる夢もありますね。

東:
あまり頑なな考えにはならないようにとは思っているのですが・・・

岡本:
いや、東さんは偉いですよ。凄く行動力があるし、頼りにしています。

東:
もっとお役に立てるように頑張ります(笑)

小松:
さて、笑顔が素敵でとても格闘技のオリンピックメダリストとは思えない柔らかな雰囲気をお持ちの岡本さんですが、現役時代には所属していた道場を破門になり、練習場所の確保にも苦労なさるなど様々な困難を乗り越えてこられました。
岡本さんとテコンドーとの出会いから現役時代のお話について伺ってまいります。

岡本:
宜しくお願いします。
(つづく)

東:
現役時代のお話を中心に伺ってまいります。

小松:
様々な困難と直面し、決して順風満帆とはいえない選手生活を送られてきたと思うのですが、まずはテコンドーを始めたきっかけについてお聞かせいただけますでしょうか?

 テコンドーとの出会い

岡本:
早稲田大学の三年生の頃、交換留学生としてアメリカのオレゴン州に行ったのですが、その時に初めてテコンドーに出会いました。

東:
テコンドーに出会ったのはアメリカだったのですね!始めたきっかけは何だったのでしょう?

岡本:
私は中学、高校と空手をやっていたのですが、空手とはまた違った多彩で華麗な蹴り技の数々をとても魅力的に感じたんですね。

小松:
テコンドーは“足のボクシング”と呼ばれるほど足技が豊富で、K-1ファイターのアンディ・フグ選手が使用したことでも有名な“踵落とし(ネリチャギ)”や様々な回し蹴りが特徴的な競技ですよね。

岡本:
はい、日本では踵落とし(ネリチャギ)が最も有名だったので、私が制作に関わったテコンドーを使用したエクササイズの映像作品も“ネリチャギビューティー”という名前にしたんです。

東:
岡本さんは空手の経験者だったわけですが、初めてテコンドーをやってみてどのような印象を持たれたのでしょうか?

岡本:
とにかく楽しかったですね。最初は学校内のクラブに所属して稽古していたのですが、そのうちに強い相手がいなかったので物足りなくなってしまって(笑)

小松:
岡本さんは高校時代に空手の名門・正道会館で稽古なさっていたわけですから、生半可な実力の選手では相手になりませんよね。

岡本:
それで、よりしっかりとした指導を受けられる場所を求めて街で一番大きな道場に行ってみたところ、その道場では、キョルギ(組手)で強くなるだけでなく、武道としてのテコンドーを学べました。上級・中級・初心者クラスで全般的にテコンドーを学ぶだけでなく、護身術、武器、型、キョルギ、女子などに特化したクラスもあり、楽しく学ぶことが出来たんです。

東:
現在では日本でも格闘技☓エクササイズといった道場やジムが増えてきましたが、1990年代の日本で“道場”といえば、強くなることを目的とした神聖な場所というイメージがありましたよね。

岡本:
そうですね。その道場は小さな子供同士の試合の審判をおじいちゃんやおばあちゃんがやっていたり、老若男女が様々な立場で楽しそうに関わっていました。会員が700名くらいいて、みんながテコンドーや道場に所属していること自体を楽しんでいて、週末にはホームパーティーに招かれたり、シアトルまでの遠征にみんなで車に相乗りして行ったり、とても良い時間を過ごすことが出来ました。

小松:
700名とはすごいですね。

岡本:
元々、私がアメリカに留学した理由は「自分の夢を見つけること」でした。一年の留学期間中に自分が本当にやりたいことを見つけようと考えていたのですが、この時に「こんな道場を作りたい」という夢が出来たんです。

東:
なるほど、だから岡本さんの道場は“ドリームテコンドースクール”という名前なんですね!

岡本:
まだまだ理想には遠いですが、そうですね(笑)また、その道場にはスローガンがあったのですが、そのスローガンが私の座右の銘になりました。

小松:
何というスローガンだったのでしょう?

岡本:
“I can do it!”です。この言葉が、その後の私の人生を支えてくれました。“I can do it” と言う人が出来るのだと思います。「出来ない」という人は出来ないけれど、「出来る」という人には出来るのです。

東:
“私には出来る!”、素敵な言葉ですね。

岡本:
この“I can do it”や、“you can do it”という言葉は当時二十一歳の私の心に強く響きました。この言葉を言って一生懸命練習すれば、これから始めても世界一になれると思って。私は「自分にどんな才能があるかわからないから夢が持てない」という状態から、何を何歳からやっても、「I can do it」と言えば出来るんだと思えた時、とても嬉しくなって、このような誰でも何歳でも夢を持てる道場を作りたいと思いました。
そして、それを教えるなら、自分がそう言うだけではなく、出来ていたほうが説得力があると思って、まずは「世界チャンピオンになろう」と思いました。そこで「テコンドー世界一」になるという夢が出来たんです。

 言葉が人生を変える

小松:
アメリカで夢を見つけた岡本さんは、貴重な経験とともに日本に帰国なさるわけですが、その後のお話を聞かせていただけますか?

岡本:
帰国した後は、まずは世界一を目指して、神奈川県にあるテコンドー道場の内弟子として寮生活を送っていました。ところが、その道場の先生が団体間の対立の影響で、全日本選手権をはじめとする日本テコンドー連盟が主催する大会に自ら道場の門下生を出場させないという決定をしまして。

東:
ということは、全日本選手権にも、日本代表にも、世界一にもチャレンジ出来なくなってしまいますよね。納得は出来たのでしょうか?

岡本:
一度は私も道場の方針に従うつもりでいました。でも、私が一生懸命練習に打ち込んでいるのは日本代表になって世界一になりたいから、“I can do it”を実現したいからなんですよね。色々と悩みに悩んだ末に、一度きりの人生ですから自分の気持ちに正直になって後悔しないようにしようと思い、全日本選手権に出場することにしました。

小松:
所属する道場の決定に反して大会への出場を決めたわけですね。先生の反応はいかがだったのでしょうか?

岡本:
お叱りの手紙をいただき、道場を破門になりました。破門されてしまうと練習する場所がないので、実家のある大阪に戻って別の道場に通っていたのですが、その道場も全日本選手権には出場しない方針となったので、近所の公園で一人で練習をしていました。

東:
公園で毎日、たった一人で練習をしていたのですか?

岡本:
はい、練習相手もいませんでしたから、アルバイトの合間に公園で一人きりでステップや蹴り技の練習をする日々が約一年続きました。

小松:
一年間も一人きりで・・・
それはとても辛かったでしょうね・・・

岡本:
あの一年間は、これまでの人生で最も苦しくて辛い日々でした。もちろんお金もありませんでしたが、本当に辛かったのは、どれだけ練習しても周りの誰からも認められないように感じたことです。私がどれだけ練習して、どれだけ良い成績を残したとしても、誰にも喜んでもらえないんじゃないかと思うと、虚しい気持ちになってしまって・・・

東:
練習環境はもちろん、誰にも応援されていないと思いこんでいたわけですから、本当に孤独ですよね・・・

岡本:
そんな時に、ある先輩が「自分で口にしたことが実現するんやで」と言ってくれたんですね。当時の私は孤独な環境もあり、ほとんど前向きな発言が出来ていなかったのですが、言葉には力があるんです。“言霊”と言ったりしますよね。先輩に「口にしたことが実現する」と言われてから、ポジティブな言葉しか口に出すのをやめようと思った瞬間に、これまでの自分がいかにネガティブな発言しかしていなかったのかに気づいて、驚きました。

小松:
先輩のおかげで自らを見つめ直すことが出来たのですね。

岡本:
それからは前向きなことだけを考えて、口にして、行動することを心がけるようにしました。『オリンピックで金メダルを取る』『本を出版する』『先生が喜んでくれる』『周りのみんなが喜んでくれる』と、常にポジティブな言葉ばかりを使うようにしたら気持ちの切り替えが出来て、どんな状況にも落ち込まずに頑張れるようになったんです。

東:
環境を変えることは難しくても、気の持ちようや自らの行動は自分次第でいくらでも変えられますものね。具体的にはどのような行動をなさったのでしょうか?

岡本:
とても前向きになって、アルバイトでお金を貯めて練習環境の整っているテコンドーの本場・韓国に渡って世界トップレベルの選手と対戦するようにしました。

小松:
出来ないことを嘆くのではなく、目標のために何が出来るかを考えて、実際に行動なさったのですね。

岡本:
本当に辛く苦しい一年でしたが、あの時期を乗り越えられたことが、私の人生においてかけがえのない経験と大きな自信になっています。

東:
競技団体の軋轢や対立の影響で孤独な環境に追い込まれながらも、決して折れることなく練習を積み重ねた岡本さんは、数々の国際大会で活躍。テコンドーが正式種目となった2000年シドニーオリンピックへの出場権を獲得なさいます。

小松:
人生最大の苦境を前向きな言葉と行動で乗り切り、夢の舞台へのチケットを手に入れた岡本さん。シドニーオリンピックでのご活躍についてからお話を伺ってまいります。

東:
宜しくお願いします!

岡本:
宜しくお願いします。

小松:
競技団体の軋轢や対立の影響で人生最大の苦境に追い込まれながらも、見事に出場権を獲得なさったシドニーオリンピックでのご活躍からお話を伺ってまいります。

 日本人初のテコンドー・オリンピックメダリストに

東:
1993年の全日本テコンドー選手権大会に初出場して初優勝を飾った後、1994年のアジア選手権で銀メダルを獲得したことを皮切りに数々の国際大会で活躍。1999年 に開催されたアジア予選を通過し、テコンドーが初めてオリンピックの正式種目となったシドニー大会への出場を決めたわけですが、やっと掴んだ夢の舞台での試合はさぞかし緊張なさったのではないですか?

岡本:
全然です(笑)注目もされていなかったですし、オリンピックでの銅メダルがすごいこととは、知らなかったので。オープン大会も世界選手権も「試合は試合」と思っていたので、オリンピックも1つの海外での試合として捉えていました。ですので、オリンピックだからといって特別に緊張することはなかったですし、いつもの試合のように、しっかり食事を摂って、十分な睡眠をして、十分なコンディションで試合に臨みました。

小松:
たった一人、公園で先が見えない中で練習なさっていた頃を考えれば、どんな試合でも出場出来ること自体が幸せなことだと考えられていたのですね。

東:
平常心で試合に臨んだ岡本さんは見事に銅メダルを獲得。テコンドーで日本人初となるオリンピックメダリストとなり、日本中にテコンドーという競技を知らしめる立役者となりました。
これまでの苦労が報われたわけですが、どのような思いだったのでしょうか?

岡本:
そうですね、個人の喜びというよりも、これまでに私のことを応援してくださった方々への感謝の気持ちとして“メダル”という形のあるものを残せたことは素直に嬉しかったですが、あくまで目標は世界一でしたので、金メダルを獲得出来なかったという悔しさもありました。

小松:
シドニーオリンピックでの銅メダル獲得は、岡本さんを破門なさった先生にも喜んでいただけたそうですね。

岡本:
メダルを獲って、ちゃんと謝って、お世話になったお礼を言おうと、神奈川の道場まで行ったら、お伺いする時間に地元の新聞記者さんに声をかけてらっしゃって、ちゃんと謝る暇もなかったくらい、歓迎していただきました。もう亡くなられましたが、先生のことは、ほんとに、今でも、感謝しています。

東:
心残りというか、わだかまりが一つ消えたわけですね。

岡本:
私を応援し、喜んでくれている先生の姿を見て、本当にこんな日が来たのだなと。「許されるわけがない」と思うことにエネルギーを取られるよりも「きっと、先生に、恩返しができる」と思って頑張ったので、嬉しいし、不思議な気持ちでした。

小松:
一時は自分が勝利しても誰にも喜んでもらえないと思いこんでいたわけですものね。

岡本:
それまで、先生には二度と普通にお会い出来ないかも知れないと思っていましたから、会って、喜んでもらえたことは本当に嬉しくて、その後の励みになりました。もし、あの時に道場の仲間との関係が悪くなることを恐れて全日本選手権への出場を取りやめていたら、その後の私はどうなっていたか・・・
競技者としては、目の前の人間関係よりも自らの思いや目標を最優先に判断したことは結果的に良かったなと思います。ただ、一方で、先生の道場に所属しながらでも周囲の人間関係をマネジメントして、状況を変えてみんなが納得のいく形で出場が出来るくらいの人間力があったなら、もっと成績も良かったかも知れないとも思ったりしますが、今でもできるかわからないし、自分には無理だったと思います。

東:
今、そんな風に考えることが出来るのは、シドニーオリンピックの次、アテネオリンピックを目指す過程で経験した様々な出来事の影響もあるのではないですか?

 支えられて生きている

小松:
岡本さんは2004年2月に行われたアジア予選で二位となり、アテネオリンピックへの出場権を獲得したにも関わらず、国内競技団体が全日本テコンドー協会と日本テコンドー連合に分裂していた影響で、一時は日本オリンピック委員会からアテネ大会への出場を認められないという状況に追い込まれました。

東:
結果的には、出場を嘆願する署名が10万人近く集まるなど、国内世論の後押しもあって日本オリンピック委員会の救済措置で個人資格を適用して出場することになるわけですが、目標の金メダルの獲得には至りませんでした。平常心で臨んだシドニー大会とはやはり違いがあったのでしょうか?

岡本:
オリンピック前のアジア大会にも、競技団体が認められず、出場することが出来なかったので、正直、アテネオリンピックには出場出来ないことを覚悟していたのですが、私の家族と会社を中心に応援してくれている方々が署名活動をしていることを新聞やテレビなどのメディアが大きく取り上げてくださって。一週間で10万人もの署名が集まり、当時の総理大臣である小泉純一郎さんまでが「出してあげたらいいじゃないか」と言ってくださったり、たくさんの人が働きかけてくださったおかげで特別に出場出来ることになりました。

小松:
当時、国民的な話題になったのをおぼえています。

東:
ただ、本来であればオリンピックへ向けた調整にあてられたはずの時間をメディアへの出演などに奪われてしまった影響もあって、アテネ大会は一回戦で敗退。最終的には七位という不本意な成績で終えることになってしまいましたが。

岡本:
アテネオリンピックの時には自分ではどうすることも出来ない状況に巻き込まれてしまったのですが、周りの方々にサポートしていただけたおかげで出場することが出来ました。決して満足のいく結果は残せませんでしたが、改めて応援してくれた方々への感謝の気持ちと一人の力の小ささを感じました。シドニーやアテネ大会に至るまでの経験を通じて、諦めずに夢を持ち続けることの大切さを、本来、アスリートである私が周りの人たちに伝える立場だったと思うのですが、会社や家族が代わりに一生懸命やってくれて、そのことを教えてくれたと思っています。私は出来なかったけど、みんなが応援してくれて何とか頑張れたので、今度は私が誰かのために頑張りたいな、と思います。

小松:
誰かのために頑張ること、とても尊いですね。

 神様との出会い

小松:
アテネオリンピックを終えた岡本さんは、一時は現役を引退することも考えられたとのことですが、世界一の夢を諦めることが出来ず、四年後の北京オリンピックを目指して競技を続けることを選択なさいます。そして、2006年に韓国でキリスト教(プロテスタント)への改宗をなさいましたね。改宗をなさったことでどのような変化があったのでしょうか?

岡本:
全てが大きく変わりました。キリスト教といいますか、イエス・キリストという存在に出会ったことによって、今まで自分がいかに幸せだったのかということに気づくことが出来たんです。

東:
もう少し、詳しくお教えいただけますか?

岡本:
それまでの私は、オリンピックで銅メダルを獲得出来たことが人生の中で最も幸せなことだと思っていたんです。でも、クリスチャンになってから、最も幸せだったのは私の両親のもとに生まれたことなのだと気づいたんです。

小松:
岡本さんのご両親もクリスチャンなのでしょうか?

岡本:
いえ、両親はクリスチャンではありませんが、キリスト教に出会い、神様の愛を知った時にこれまで両親から受けてきた愛に改めて気がついたんです。それまでの私は、勝っている自分にしか価値がないと思いこんでいました。周りの活躍している人たちと自分を比べて、世界一になっていない、世界一を目指していない自分には何の価値もないと思っていたのですが、私の両親にとって、私は生きているだけ、存在しているだけで価値があり尊い存在なのだとわかったんです。そして、自分が尊いように、相手の人も、尊い存在なのだとわかるようになり、人生が180度変わりました。

東:
神様の愛ですね・・・
そのような考え方に変わってから、競技に対する姿勢などにも変化があったのでしょうか?

岡本:
それまでは殺伐と練習していたんです。世界一になるために何としてでも強くならなければと思い、一切の甘えや妥協を排除していましたし、他人のことなんて考えていられないと思っていました。ペアを組む時にも自分より実力がない人と組むと全然練習にならないので断ったり。

小松:
世界の頂点を目指しているわけですから、己にも周りにも厳しくなってしまいますよね。

岡本:
でも、神様に出会ってからは困っている人や自分より実力がない人が目につきはじめたんです。それまでは自分が強くなることだけを目指し、なるべく強い選手と組むことしか考えていなかったのですが、ペアを組めなくて余っている人たちも、自分と同じ大切な存在なんだということが理解出来たんです。それまでの私は人を人とも思っていなかったのかもしれません。人間性ではなく、強いか弱いかでしかその人を見ていなかったんです。

東:
スポーツにおいて、人間性ではなく競技の実力のみで評価されてしまうケースはまま見られますが、改めるべき悪しき習慣だと思います。

岡本:
どんな人にもお父さんとお母さんがいて、試合に勝とうが負けようが、本当に可愛くて仕方ない、かけがえのない尊い存在なのだということが見えてきたんです。

小松:
お互いをかけがえのない大切な存在として尊重する考え方は、スポーツのみならずビジネスの世界でも非常に重要ですね。

東:
ブラック企業などの問題の根源にも、お互いを大切な存在として尊重していないことがあるように感じます。岡本さんはクリスチャンになることでこのような価値観を知り、それを広めるために牧師になられたわけですね。

小松:
現役引退後の2012年にはJTJ宣教神学校の牧師志願科を卒業、牧師の資格も取得なさっていますね。

岡本:
そうですね。アスリートについては、キリストに出会う前の私のように、何のために生きているのかわからないのに、結果を出さないと自分の存在価値がないと思って、しんどい思いをしている人が居ると思うので、なんとか、本当の希望である福音を伝えたいと思っています。アスリートじゃなくても、苦しい人生を生きている人はたくさん居るし、福音が本当の救いだと信じているので、その人たちにもお伝えしたいです。

 常に充実していて幸せ

東:
2008年、岡本さんは自身三度目の出場となる北京オリンピックに日本人で唯一のテコンドー選手として出場。三十六歳での出場は、北京オリンピックに参加したテコンドー選手の中で最年長でした。結果は一回戦敗退となりましたが、「金メダルを目指して16年間やってきて、結果取れませんでしたが、ここまでやらせてもらえたことに感謝しています」との言葉を残し、2009年2月8日に国内無敗のまま引退なさいました。

小松:
様々なご経験をなさってきた波乱万丈の選手生活だったと思いますが、振り返ってみていかがですか?

岡本:
競技団体の対立など様々なことに翻弄されてはきましたが、選手個人としては最後までやり切ることが出来ましたし、テコンドーと出会って多くの人に支えられてきた本当に幸せな、最高の競技人生を送ることが出来たと思っています。

東:
少し意地悪な質問になってしまうかも知れませんが、現役時代と引退後の現在とではどちらのほうが充実していますか?

岡本:
それは、生活のお話ですか?確かにお金に恵まれているわけではありませんが、お金があってもなくても、どちらにしても、私はいつでも充実していて幸せなんですよ(笑)

小松:
そのような価値観を持ち得る人生を歩んでこられたわけですものね。

岡本:
はい、どういう状況でも、私は幸せなんです(笑)

東:
本当に、岡本さんと話していると自らの器の小ささを感じてしまいます。
僕や周りの人たちのほうがやきもきしてしまいますもの(笑)

岡本:
これからも引き続き助けてください(笑)

小松:
さて、改めて現在の岡本さんの活動を“その後のメダリスト100キャリアシフト図”に当てはめてみますと、全日本テコンドー協会副会長のお仕事が「B」の領域、自らが代表を務めるドリームテコンドースクールの運営やNPO法人アスリートヘルスマネージメントの理事長のお仕事が「C」の領域、キリスト教の牧師としてのお仕事は分類が難しいのですが、「D」の領域とさせていただきます。

注1)親会社勤務とはいわゆる企業スポーツである実業団チームで自らが所属していた企業で一般従業員として勤務していること
注2)親会社指導者とはいわゆる企業スポーツである実業団チームで自らが所属していた企業の指導者を務めていること
注3)プロパフォーマーとはフィギュアスケート選手がアイスダンスパフォーマーになったり、体操選手がシルク・ドゥ・ソレイユのパフォーマーとして活動していること
注4)親会社以外勤務とは自らが所属していた実業団チームを所有している企業以外で一般従業員として勤務していること

東:
今回のインタビューでは、改めてアスリートやスポーツにとどまらない価値観を岡本さんに教えていただいたような気がします。

小松:
どのような価値観でしょう?

東:
お互いを尊重することについてです。競技の実力や仕事の能力以外の人間がそもそも持つ価値をお互いに尊重しながら接することの大切さを改めて学んだように思います。

小松:
素晴らしい時間になりましたね。

東:
それでは最後に、テコンドーという競技名を使わないで自己紹介していただけますか?
岡本さんはどんな人でしょう?

岡本:
めっちゃフレンドリーな人です(笑)

東:
確かに(笑)

小松:
本日はありがとうございました。

岡本:
ありがとうございました。
(おわり)

 

編集協力/設楽幸生

インタビュアー/小松 成美 Narumi Komatsu
第一線で活躍するノンフィクション作家。広告会社、放送局勤務などを経たのち、作家に転身。真摯な取材、磨き抜かれた文章には定評があり、数多くの人物ルポルタージュ、スポーツノンフィクション、インタビュー、エッセイ・コラム、小説を執筆。現在では、テレビ番組のコメンテーターや講演など多岐にわたり活躍中。

インタビュアー/東 俊介 Shunsuke Azuma
元ハンドボール日本代表主将。引退後はスポーツマネジメントを学び、日本ハンドボールリーグマーケティング部の初代部長に就任。アスリート、経営者、アカデミアなどの豊富な人脈を活かし、現在は複数の企業の事業開発を兼務。企業におけるスポーツ事業のコンサルティングも行っている。

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