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小野真由美 / Ono Mayumi   元ホッケー選手|現在:

ホッケーだけではない自分になるために ホッケー日本代表・小野真由美(中編)

Profile

 

小野真由美(おの・まゆみ)
1984年8月14日生れ。富山県小矢部市出身。
小矢部市立大谷中学校→富山県立石動(いするぎ)高等学校→天理大学→コカ・コーラウエストロジスティック(株)→SOMPOケア(株)
2008年北京オリンピックと2016年リオデジャネイロオリンピックへ出場。
アジア大会には5大会出場し、2018年のアジア大会で初優勝に貢献。
10歳でホッケーを始め、小矢部市立大谷中学校では全国優勝。富山県立石動(いするぎ)高校在学時にもインターハイや国体などで活躍する。2006年、天理大学4年時に主将として日本リーグ優勝。2007年から2017年まで、コカ・コーラウエストレッドスパークス(現コカ・コーラレッドスパークス)に所属し、三度の日本リーグ優勝に貢献。2017年2月~7月、オーストラリアWesley South Perth Hockey Clubへ留学。現在はSOMPOケア株式会社の広報部に所属しながら、日本代表選手として活動するとともに慶応義塾大学女子ホッケー部のコーチを務めている。

東:
ホッケー日本代表・小野真由美さんへのインタビュー、中編の今回はホッケーとの出会いから日本代表としてオリンピックに出場し、引退し、復帰に至るまでを伺ってまいります。

小松:
小野さんがトップアスリートとしてどのようなご経験をなさってきたのか。まずはホッケーとの出会いから聞いていきたいと思います。

 ホッケーの街・小矢部

小松:
小野さんが最初に取り組んだスポーツはサッカーだったそうですが、どのようにしてホッケーに出会ったのかお教えいただけますか?

小野:
はい、小学生の頃に父と兄の影響でサッカーを始めたのですが、高学年になるとサッカーを続けられる環境が無くなってしまって・・・

東:
何があったのでしょう?

小野:
私が入団していたスポーツ少年団では、四年生までは男女混合でプレーすることが可能だったのですが、五年生になると女子だけがプレーするチームへ行かなくてはならず、面白くなくなっちゃったんです(笑)その頃、私の友だちは男子ばかりで、髪型も男の子のようでしたから、女子だけの世界には馴染めなかったんですね(笑)

小松:
現在の小野さんからは想像もつかないです!

東:
なでしこジャパンでご活躍なさった澤穂希さんは、小学生の頃に地元に女子サッカーチームが無く、年上の男子ばかりの中でプレーを続けたことで、実力を向上させていったそうですが、女子のみのチームが存在していたことが、逆に小野さんをサッカーから遠ざけることになってしまったのですね。

小野:
そんな時、たまたま「人数が足りないから一緒にやらないか」と誘われて初めてホッケーをプレーしたのですが、スティックでゴールにシュートする爽快感に一気に魅せられました。また、私が生まれ育った富山県小矢部市は全国でも有数の“ホッケーの街”で、小学校にホッケーのフルコートがありましたし、選手のレベルも高かったので、女子だけのチームでも楽しかったんです。進学予定だった中学校に女子サッカー部がなく、女子ホッケー部があったこともあり、五年生からホッケーに専念することにしました。

小松:
その後は、小矢部市立大谷中学校三年生時に全国大会で優勝、富山県立石動(いするぎ)高校ではインターハイで準優勝、国体で優勝と大活躍なさいますが、当初は大学でホッケーを続けるつもりは無かったそうですね。

小野:
はい、ホッケーは高校で一区切りをつけて、国立大学に進んで体育の教員になりたいと考えていたのですが、日本代表チームの選考会に出てみないかというお話をいただき、合格してしまったことでやめられなくなりました(笑)

東:
合格してしまったという感じだったのですね(笑)

小野:
最初にお話をいただいた時には大学受験に専念するためにお断りしようとしたのですが、「次の世代の選手のためにも是非経験してきてほしい」と後押しされて、そういう目的ならばと参加したところ・・・人生における大きな分岐点でした(笑)

小松:
進学先には天理大学を選ばれましたね。何か理由はあったのでしょうか?

小野:
ホッケーが強く、体育の教員免許を取得出来たからです。学生時代はとにかくホッケーを頑張って、卒業後には教員になろうと考えていましたので。

東:
天理大学は男女ともにホッケーの強豪として有名ですものね。小野さん自身も四年生時に主将として日本リーグで優勝するなど数々の実績を残されましたが、教員免許は取得なさったのでしょうか?

小野:
はい。ただ、高校の教員免許は取得出来たのですが、中学の教員免許は持っていないんです。中学の教員免許を取得するには介護の実習を受ける必要があったのですが、試合の関係で受けることが出来なくて。

小松:
そんな小野さんが現在は介護のお仕事をなさっているわけですから、人生は面白いですね。

 名ばかりの「日本代表」

小松:
高校生で日本代表に選ばれた小野さんですが、代表チームでの生活は決して楽しいことばかりでは無かったそうですね。

小野:
日本代表といっても、高校生から大学三年生までビデオ撮影ばかりでしたから。

東:
そんなに長い間、下積みをなさっていたのですね・・・

小野:
技術的にもフィジカル面でも日本代表のレベルに達していないことは自分でも理解していたので、合宿に呼ばれることが不思議でした。大会へ参加してもユニフォームを着るのはチーム全員での写真撮影の時ぐらいで、実際に試合が始まるとビデオを撮影したり、戦評を書いたりしているだけ。いつもビデオタワーから先輩たちの戦う姿を見ていました。

小松:
日本代表として初めてゲームに出場なさったのはいつですか?

小野:
高校生の時に釜山で開催されたアジア大会ですが、出場時間はたった2分。スタッフからすれば「一応出しとけ」みたいな感じだったと思います。「ボールを触ったかな?」くらいであっという間に終わってしまいました。

東:
常時試合に出場出来るようになったのはいつからですか?

小野:
大学三年生くらいからですね。それまではピッチで輝いている先輩たちをビデオカメラ越しに見ながら「いつかこのコートにユニフォームを着て立ちたい」という気持ちで三年間屈辱に耐える日々を過ごしてきました。この経験がなければ、ホッケーを続けてはいないと思います。

小松:
その時の悔しさが糧になっているのですね。

小野:
現在ではビデオ撮影は専門のスタッフの仕事ですから、私の経験したことは今の選手たちには味わえません。得難い経験をさせてもらったと思っています。

東:
日本代表として召集される選手は、当然それぞれのチームでレギュラーとして活躍しているわけですから、与えられる役割がビデオ撮影のみではモチベーションを維持するのが大変だったと思います。また、小野さんが代表に選ばれていたのには現場の強化スタッフ以外の意向も働いていたとも伺いました。若さとルックスの良さを協会に見込まれて、競技を代表する選手としてメディア露出の対象になっていたにも関わらず試合には出場出来ないと、チームメイトから面白く思われないこともあったでしょうし、何より自分自身が辛く悔しい思いをなさったのではないかなと。

小野:
そうですね。選手としての実力が伴っていないにも関わらずメディアに取りあげられることが多かったのは正直苦痛でした。「どうせ試合に出られないビデオ係なんだから、もう、私を取り上げないでほしい!」 と思っていました。本当に嫌でしたし、メディアの前ではいつも顔が強ばっていたと思います。私のメディア嫌いはそこから始まったのかもしれません(笑)

小松:
競技を代表するスター選手、アイドル選手だからこその苦悩を味わってこられたのですね。

 チームをつくる

小松:
小野さんは2007年から2016年までコカ・コーラウエストレッドスパークス(現コカ・コーラレッドスパークス)に所属し、3度の日本リーグ優勝に貢献されていますが、元々強豪チームだったわけではないそうですね。

小野:
そうですね。当時、日本リーグに所属している女子ホッケーチームは4つありましたが、その中で最も弱いチームでした。

東:
なぜ、最も弱いチームを選択したのでしょうか?

小野:
練習環境が最も良いと感じたからです。日本リーグに所属する4チーム全てから声をかけていただいたのですが、他のチームは二日に一回のペースでしか練習が出来なかったり、練習内容が納得のいくものではなかったため、ホッケーに集中するのであれば、コカ・コーラだと思い、決めました。

小松:
実際に入ってみていかがでしたか?

小野:
今は弱くても、恵まれた練習環境を活かして強くなっていけばいいと思っていたのですが、私が入った当初は大学生にすら勝てないようなチームだったので、とても苦労しました。私を含めメンバーみんなが若かったので、色々とぶつかりながら少しずつ力をつけていきました。厳しいこともたくさんありましたが、初めから強いチームに入って、当然のように勝つのではなく、自分たちで試行錯誤しながら成長し、勝利するという経験を二十代で積めたことは大きな財産だと思いますし、コカ・コーラを選んで本当に良かったと思っています。

東:
僕も大崎電気に入団した時は2部リーグとの入れ替え戦に出場するような弱小チームでしたが、最終的には日本一を九度経験することが出来ました。負け続けているチームが勝ち続けるチームに成長していく過程を経験したことで、弱いチームと強いチームの違い、勝利に貢献出来る選手と出来ない選手の違いを知れたのは、競技のみならず人生における大きな財産となっていますね。

小松:
小野さんは、2008年北京大会と2016年リオデジャネイロ大会の二度オリンピックに出場なさっていますが、どちらも予選突破が叶いませんでした。振り返ってみて、どのような思いをお持ちでしょうか?

小野:
どちらも大会前は「これだけやってきたのだから勝てる!」という自信を持って臨んだのですが、ともに納得のいく結果を出すことが出来ず、自らに対する失望感が大きかったです。特に二度目のリオデジャネイロ大会の後には「今まで何のためにやってきたんだろう?北京と同じことをまたやってしまった」と悔しいを通り越して情けなくなってしまいました。

東:
オリンピックでの経験から学んだことも多かったのではないかと思うのですが。

小野:
そうですね。北京では若手の立場でただただ周りについていけば大丈夫だったのが、リオでは年長者として背中を見せなくてはならない立場になり、普段は異なる環境でプレーしている選手同士でのチームワークの高め方や信頼関係を構築することの重要性などを学びました。日本代表として活動する中で年齢を重ねるごとに立場や感じるものが変わっていったことは大きな経験だったと思います。

小松:
コカ・コーラ、日本代表とそれぞれ異なる環境での“チームビルディング”をご経験なさってこられたのですね。

 「自分=ホッケー」で終わりたくない

東:
リオデジャネイロ大会終了後、「限界までやり切った」と現役引退を表明なさいました。
後悔はありませんでしたか?

小野:
大会前から「リオでホッケーは終わりにしよう」と決めていましたので後悔はありませんでした。当時31歳で、次のオリンピックを目指すことは考えられませんでしたし、これで最後だと思っていたからこそ苦しいトレーニングに耐えることが出来たように思います。

小松:
トップアスリートはオリンピックが開催される“4年”というサイクルで競技生活に区切りをつけることが多いですよね。引退後のことはイメージなさっていたのでしょうか?

小野:
まずは自分から“ホッケー選手”という肩書を取りたいと考えていました。
選手ではなくなった時に、自分に何が残っているのかを見極めないと、今後何をして生きていくべきなのかが見つからないのではないかと思っていました。

東:
なるほど、ホッケー以外の世界でどう生きていくのかをイメージなさっていたのですね。

小野:
はい。現役の頃から引退後の人生について考えておかなければと感じていました。

小松:
小野さんは正社員として勤務しながらプレーなさっていました。例えば会社に残ってチームのコーチに就任するなどの道もあったのではないでしょうか?

小野:
そういうお話もいただきました。もちろん光栄なお話ですが、選手を辞めてすぐにコーチになるのは、他の選手に失礼だと思ったんです。選手としては何十年もやってきていましたが、指導する立場としての経験はゼロです。何も学んでいない自分が教えるなんて出来ないと思いました。

東:
コーチをしながら勉強していくという考えはなかったのですね。

小野:
まずコーチングを学んでからでなければ指導する立場にはなるべきではないと考えていました。コカ・コーラは日本のトップチームでしたから、それに見合った力のあるコーチでなければならない。そのスキルがない状態では引き受けたくありませんでした。

小松:
引退後にトップチームの指導者に就任することは多くの選手が望む魅力的なキャリアだとも思うのですが、誘われたときに引き受けておかなければ、次のチャンスは無いかも知れません。もったいないとは思いませんでしたか?

小野:
確かにもったいない部分もあったのかも知れませんが、それよりこれまでに積み重ねてきたものを一度手放して、何もなくなった自分を見てみたいという思いが強くて。もちろんコカ・コーラに残ってコーチを務めたほうが安定はしていますし、素晴らしいキャリアだとも思いますが、とにかく次のステップに進みたいという気持ちのほうが強かったです。

東:
これまでに過ごしてきた環境にとどまることなく、ホッケー以外の世界で生きていく選択を先送りにしなかったと言うことですよね。

小野:
そうですね、覚悟をもって、自分の思いに素直に従って決断しました。

小松:
リオデジャネイロオリンピック後の小野さんのお話を伺っていると、これまで人生をかけて取り組んできたホッケーと距離を置きたいという気持ちが強いように感じるのですが、そのような気持ちをおもちになった理由は何なのでしょうか?

小野:
これまでの人生でホッケーしかやってこなかったので、ホッケーしか知らないということが恥ずかしかったんです、実は……。周りを見れば、同年代の人たちは結婚や出産、子育てをなさっていたり、社会人としてのキャリアを積んでいたりしていましたから。私からホッケーをとったら何も残らないし、すごく差をつけられていると感じたんです。それで、ゼロに戻ってホッケー以外のことを吸収したいと思ったんです。

小松:
ホッケーのコーチをしながら、というお考えはなかったのですか?

小野:
“両立”と言いますが、私は器用な人間ではありませんから絶対に中途半端になってしまうだろうと。ホッケーを捨てなければ、何かを得ることが出来ないと思っていました。

東:
小野さんはホッケーしかやってこなかったと考えていたそうですが、実際にはホッケーのスキルだけを磨いてきたわけではなく、競技を通じて様々な経験を積み重ねてこられたと思うんですね。日々のトレーニングの継続によって、自らのフィジカルを鍛え、技術を磨き、仲間と協力してチーム力を向上させ、日本一になったり、世界の舞台で戦うといった結果を出すために繰り返しトライ・アンド・エラーを繰り返してきたことは、全ての仕事に活かすことが出来る立派なスキルだと思います。

小野:
当時はそのような位置づけが出来ていませんでしたね・・・

小松:
現役を引退なさった小野さんはコカ・コーラを退職。自らが目指す指導者になるべく、ホッケーの本場・オーストラリアへ留学なさいます。次回はオーストラリアでのお話から、再び現役に復帰し、仕事と競技を両立させながら東京オリンピックを目指している現在の生活について伺っていきたいと思います。
(つづく)

次回の「悔いを残さない生き方を」(後編)は、5月10日公開!

 

編集協力/設楽幸生

インタビュアー/小松 成美 Narumi Komatsu
第一線で活躍するノンフィクション作家。広告会社、放送局勤務などを経たのち、作家に転身。真摯な取材、磨き抜かれた文章には定評があり、数多くの人物ルポルタージュ、スポーツノンフィクション、インタビュー、エッセイ・コラム、小説を執筆。現在では、テレビ番組のコメンテーターや講演など多岐にわたり活躍中。

インタビュアー/東 俊介 Shunsuke Azuma
元ハンドボール日本代表主将。引退後はスポーツマネジメントを学び、日本ハンドボールリーグマーケティング部の初代部長に就任。アスリート、経営者、アカデミアなどの豊富な人脈を活かし、現在は複数の企業の事業開発を兼務。企業におけるスポーツ事業のコンサルティングも行っている。

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