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大山峻護 / Ooyama Syungo   元総合格闘家|現在:

真似の出来ない戦いを見せる 元総合格闘家・大山峻護(中編)

Profile

 

1974年4月11日生まれ。栃木県那須塩原市出身の元総合格闘家。五歳から柔道を始め、中学二年時に名門・講道学舎へ入門。シドニーオリンピック金メダリストの瀧本誠は同期生。国際武道大学を卒業後、京葉ガスにて実業団選手として活動。第28回全日本実業柔道個人選手権大会・男子81kg級で優勝するなど活躍しながら総合格闘技にも挑戦。2000年 第7回全日本アマチュア修斗選手権ライトヘビー級で優勝し、プロ総合格闘家に転向。デビュー戦となった2001年2月にアメリカで開催された「King of the Cage」ではマイク・ボークに1Rわずか17秒でKO勝利。その後、PRIDEやK-1、HERO’Sなどに参戦し、最強一族と呼ばれたグレイシー一族からの二度の勝利をはじめMartial Combatライトヘビー級王座、ROAD FC初代ミドル級チャンピオンに輝くなど活躍。2014年に現役引退。現在は、エーワールド株式会社の代表取締役として、心と身体の健康やチームビルディングのための格闘技とフィットネスを融合したプログラム「ファイトネス」を様々な企業や学校で開催。格闘家のセカンドキャリアのロールモデルとなっている。

東:
元総合格闘家・大山峻護さんへのインタビュー、今回は中編となります。

小松:
前編では、格闘技とフィットネスを融合したトレーニングプログラム「ファイトネス」を展開するエーワールド株式会社の代表取締役を始め、パーソナルトレーナーや講演活動などセカンドキャリアでのご活躍を中心に聞かせていただきましたが、今回は大山さんの格闘家としてのキャリアについてのお話を伺ってまいりたいと思います。

東:
日本に“バブル”とも言えるほどの格闘技ブームが訪れていた2000年代前半の大きな渦の中で奮闘してきた大山さん。波乱万丈の格闘家人生の始まりは、柔道からでした。

 ヒーローになりたい

小松:
大山さんは五歳の時に柔道を始められたそうですが、きっかけをお教えいただけますか?

大山:
小さな頃、ウルトラマンや仮面ライダーなどのヒーローが大好きで、「あんな風に強くなりたい!」 と思って始めたのがきっかけです。その後、成長するにつれて、憧れの対象がアントニオ猪木さんやタイガーマスクさん、前田日明さんなどのプロレスラーや、柔道家の古賀稔彦さん(バルセロナオリンピック柔道男子71kg級金メダリスト)に変わっていきましたが、常にヒーローになりたいと思って柔道に打ち込んでいました。

東:
中学二年生で、憧れの古賀さんも在籍なさっていた東京都世田谷区にあった柔道の私塾“講道学舎”に入門して、後にシドニーオリンピックで金メダリストとなる瀧本誠さんたちと切磋琢磨する日々を過ごされましたね。

大山:
切磋琢磨といいますか、自らの才能の無さを見せつけられる日々でしたね。
僕の同期には、瀧本の他にも後に井上康生選手や鈴木桂治選手としのぎを削った小斎武志や、UFCでも活躍した吉田善行など凄まじい選手が揃っていて。もちろん練習には一生懸命取り組んでいましたが、漠然と自分のポテンシャルではどれだけ努力しても届かない世界があるということを感じさせられました。

小松:
講道学舎は日本全国から将来有望な柔道家が集まるエリート養成私塾でしたから、想像を絶する環境だったのでしょうね。

大山:
特に同級生で同階級だった瀧本には、まざまざと才能の差を見せつけられました。

東:
そんなに凄かったのですか?

大山:
天才ですね。絶対に敵わないと思っていました。

 独特の寝技に活路を見出す

小松:
その後、大山さんは高校時代に講道学舎を離れ、地元栃木県の作新学院へ転校。国際武道大学に進学後、寝技に活路を見出して、国内トップレベルの選手に成長なさいましたね。

大山:
国際武道大学の恩師・柏崎克彦先生(1981年マーストリヒト世界選手権金メダリスト。幻のモスクワオリンピック代表)が柔道界のみならず格闘技界全体で“寝技の代名詞”と呼ばれる達人だった影響で、旧ソ連の軍隊格闘術“サンボ”にも取り組ませていただいて。
大学時代は肘の骨折や肩の脱臼などの怪我に悩まされ続けていて、全然結果を出せていなかったのですが、当時はあまり世間に知られていなかった“飛びつき腕十字固め”などサンボ独特の関節技を武器にするようになってから勝てるようになってきて。大学四年生で初めて全日本学生体重別選手権に出場することが出来たんです。

東:
初めての全国大会では個人戦で見事に決勝戦に進出。相手は講道学舎の同期生である瀧本誠さんでした。どのような気持ちだったのでしょうか?

大山:
瀧本は中学、高校と僕の階級で日本一になっていましたし、講道学舎時代には天と地ほどの実力差があった選手と日本一を争う舞台で戦えたことは大きな自信になりました。
結果、敗れてはしまいましたが、この大会で準優勝したことで実業団の京葉ガスからお声がけいただいて、社会人として柔道を続けられることになりました。

小松:
京葉ガスへは、柔道のみを業務とする契約で入社なさったのでしょうか?

大山:
はい、実業団選手として入社しました。

東:
京葉ガスは大きな会社ですから収入も安定していたと思いますし、入社二年目の1998年8月には第28回全日本実業柔道個人選手権大会・男子81kg級で優勝するなど競技面でも活躍。選手を引退した後には一般社員として勤務出来るとても恵まれた環境だったと思うのですが、なぜ、プロ格闘家に転向しようと考えたのでしょうか?

 桜庭さんのように

大山:
2000年5月に東京ドームで開催された「PRIDE GRANDPRIX 2000決勝戦」での桜庭和志選手とホイス・グレイシー選手の試合を観たことがきっかけです。

小松:
グレイシー柔術の創始者であるエリオ・グレイシーの三男であるヒクソン・グレイシーに二度に渡り敗れたプロレスラー・高田延彦選手の弟子である桜庭和志選手が、前年11月に五男・ホイラーを撃破したのに続き、それまで無敗を誇った六男のホイスと90分を超える激闘の末、勝利。グレイシー・ハンターとして一躍脚光を浴び、格闘技というジャンルを超えて世間に名前を轟かせ、日本に本格的な総合格闘技ブームを到来させた伝説的な試合ですね。

大山:
はい。僕はこの試合を東京ドーム最上段の席から観ていたのですが、全身に鳥肌が立つくらい感動して、強烈にあのリングに立ちたいと思ったんです。リングの中で、桜庭さんのように多くの人々に感動を与えられるようなファイターになりたい。
この日から僕のヒーローは桜庭和志選手になりました。

東:
観客席で観ているのではなく、桜庭選手のように会場のど真ん中のリングで戦いたいと。

大山:
あと、このまま会社にいた場合の自分の未来が見えてしまったんです。ゾッとしましたよね。京葉ガスで働きながら柔道を続けていれば、何の心配も無く暮らしてはいけますけれど、子供の頃から憧れていた“ヒーロー”には決してなれないことに気づいてしまって。
それから、PRIDEのリングを目指して、まずはアマチュアの総合格闘技大会に出場するようになりました。

小松:
総合格闘技大会への出場、会社は認めてくれたのでしょうか?

大山:
いえ、そこは内緒で(笑)ただ、最初はこっそりと出場していたのですが、結果を残すことで少しずつ格闘技専門誌などに取り上げられるようになって。2000年に第7回全日本アマチュア修斗選手権ライトヘビー級で優勝した後に、アメリカで大会に出場してみないかと声をかけられて、会社を辞めて、プロ格闘家になることを決断しました。

東:
プロデビュー戦となったアメリカでの「King of the Cage」では、120kgの巨漢・マイク・ボーク選手に勝利。1Rわずか17秒、パンチ一発でのKO勝利を飾った大山さんには一躍大きな注目が集まり、PRIDEからのオファーで大舞台での日本デビュー戦が決まりました。

小松:
大山さんが憧れていたヒーロー・桜庭和志選手のPRIDEでの連勝を止めたヴァンダレイ・シウバ選手との対戦ですね。

大山:
はい。僕がプロ格闘家になるきっかけとなった桜庭さんをPRIDEのリングで初めて倒した相手と戦えるという信じられないくらいの幸運に恵まれたのですが、このチャンスをものにすることが出来ず(1R・TKO負け)、ここから僕の周囲の期待を裏切り続ける格闘家人生がスタートしました。

 茨の道をゆく

東:
周囲の期待を裏切り続けるという言い方は厳しいですが、当時の大山さんには本当に大きな期待が集まっていました。格闘技界はヴァンダレイ・シウバに敗れた桜庭選手に代わる新たな日本人のスター選手を求めていましたから。ただ、当時のPRIDEのリングには世界最高峰のレベルの選手が集まっていましたし、ファイターには、ただ勝利するだけではなく、面白い試合をして観客を楽しませた上で勝利しなくてはならないという厳しいミッションが課せられていました。かなり苦しい試合が続きましたよね。

大山:
デビュー二戦目となったヴァリッジ・イズマイウ戦で絞め落とされて、右目が網膜剥離に。復帰戦となったヘンゾ・グレイシー戦では勝利したにも関わらず、消極的な試合展開をバッシングされてしまって。

小松:
グレイシー一族に勝利したのにバッシングを受けたのですか?!

大山:
網膜剥離から復帰するにあたって、それまで支えたくれた方々への恩返しのためにも何としてでも勝利して恩返しをしたいと考えて、緻密な戦略を立てて判定で勝利したのですが、当日の会場では試合後に観客から大ブーイングを受け、メディアからはバッシングされ、格闘技ファンからは誹謗中傷を受けました。

東:
同じ日に行われたメインイベントのドン・フライ選手と高山善廣選手の試合が、お互いの首を掴み合い、ノーガードで殴り合うというPRIDEの中でも歴史に残るほどの盛り上がりを見せた試合だっただけに風当たりが強くなりましたよね・・・

大山:
最初は理解出来ませんでしたし、悩みました。網膜剥離を乗り越えて、グレイシー一族に勝利したのにどうして喜んでもらえないのか?
この試合の後、格闘技ファンの僕への熱は急激に冷めてしまい、周りからどんどん人がいなくなっていきました。

小松:
辛かったでしょうね・・・

大山:
今振り返ると、それまでの僕は大して実力もないのに対戦相手に恵まれたおかげでメディアにもよく出演させていただいていて、周りからちやほやされて調子に乗っていました。でも、ヘンゾ・グレイシーとの試合のおかげで、伸びていた鼻も思い切りへし折られて、等身大の自分になることが出来ましたし、僕たち“プロ”が求められているのは、試合の勝敗ではなく、ファンの方々が自分には決して真似の出来ない戦い方や生き様を見せることなのだということを思い知らされました。

東:
ここから、大山さんのファイトスタイルは変わりましたよね。

大山:
次に同じような試合をしてしまえば、僕はプロ格闘家として生きていけません。それからは、勝敗にこだわった戦略的な戦い方ではなく、勝っても負けてもKOで決まるような積極的な戦い方をするようにしました。

東:
当時のPRIDEは“競技”というより“興行”でしたので、求められるのは強い“だけ”の選手ではなく、面白い試合をして会場にお客さんを集められる選手、テレビ中継を観たいと思わせることが出来る選手でした。口で言うのは簡単ですが、実際に戦う選手は大変ですよね。勝敗は関係ないと言われても、負け続ければ試合は組まれないわけですし。

大山:
そうですね・・・ただ、僕が憧れた桜庭さんは世界の強豪を相手に面白い試合をして勝つという離れ業を実現していましたし、もともと桜庭さんのようになりたくて、この世界に入ったわけですから。
次の試合では、ヘンゾ・グレイシーの弟であるハイアン・グレイシーと対戦したのですが、真っ向から戦った結果、右腕をへし折られて負けてしまいました。
勝利を最優先に戦略的に戦っていれば、結果は違ったかも知れませんが、後悔はしていませんし、何よりファンが喜んでくれたことが嬉しくて。ここから、“大山峻護らしい戦い”をすることを最も大切に格闘技をすることに決めました。

小松:
それは、茨の道を歩むことにもなりますよね。

東:
おっしゃる通りで、大山さんはその後、ミルコ・クロコップやサム・グレコといった体格差のある選手にも真っ向勝負を挑み続けました。満身創痍になりながら、再びの網膜剥離を乗り越え、大晦日の大舞台でK-1GPで三度優勝したピーター・アーツに勝利したり、Martial Combatライトヘビー級王座、ROAD FC初代ミドル級チャンピオンに輝くなどの実績を残し、記録にも記憶にも残るファイターとしてご活躍なさいました。

大山:
格闘技が最も盛り上がっていた時代に選手でいられたことで、現在でも多くの方におぼえてもらえているのはとても幸せなことで心から感謝していますし、どんな相手と対戦した時にも“大山峻護らしい戦い”を貫けたことはその後の人生における大きな自信になりました。

小松:
自分よりはるかに大きく強い相手にも臆することなく自分らしい戦いを貫き、“プロ”としての仕事を全うなさってきた大山さんの格闘技人生にも、終わりの時が訪れます。
次回、最終回となる後編では、大山さんが引退を決意なさったきっかけから伺ってまいりたいと思います。

大山:
宜しくお願いします。
(つづく)

 

編集協力/設楽幸生

インタビュアー/小松 成美 Narumi Komatsu
第一線で活躍するノンフィクション作家。広告会社、放送局勤務などを経たのち、作家に転身。真摯な取材、磨き抜かれた文章には定評があり、数多くの人物ルポルタージュ、スポーツノンフィクション、インタビュー、エッセイ・コラム、小説を執筆。現在では、テレビ番組のコメンテーターや講演など多岐にわたり活躍中。

インタビュアー/東 俊介 Shunsuke Azuma
元ハンドボール日本代表主将。引退後はスポーツマネジメントを学び、日本ハンドボールリーグマーケティング部の初代部長に就任。アスリート、経営者、アカデミアなどの豊富な人脈を活かし、現在は複数の企業の事業開発を兼務。企業におけるスポーツ事業のコンサルティングも行っている。

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