Career shift

里谷多英 / Satoya Tae   元フリースタイル・スキーモーグル選手|現在:

win-winの関係を築く フリースタイル・スキーモーグル金メダリスト・里谷多英

Profile

 

里谷多英(さとや・たえ)
1976年北海道札幌市生まれ。小学校五年生の時に父親の勧めでモーグルを始め、小学校六年生時に初出場した全日本選手権で初優勝。1991年(中学二年生)から全日本選手権で六連覇を達成。1994年、自身初のオリンピックとなったリレハンメル大会で11位。続く1998年の長野大会で冬季オリンピックでは日本人女子として初めての金メダルを獲得。国民的スターとなる。2002年ソルトレイク大会では、冬季オリンピックでは史上初の日本人女子二つ目となる銅メダルを獲得。その後、2006年トリノ大会、2010年バンクーバー大会にも出場し、五大会連続でオリンピックに出場。2012−2013年シーズンのワールドカップ出場が叶わず、ソチオリンピックへの道が絶たれたことで2013年1月に現役引退を発表。同年2月23日、福島県猪苗代町のリステルパークで開催されたワールドカップで、引退セレモニーが行われた。現在は株式会社フジテレビジョン(以下、フジテレビ)総合事業局にてイベント事業に携わっている。

東:
様々なアスリートの現役を終えた“その後の人生”に迫るインタビュー連載“表彰台の降り方。〜その後のメダリスト100〜”。今回は、元フリースタイル・スキーモーグル選手の里谷多英さんにお話を伺います。

小松:
里谷さんは1994年のリレハンメル大会でオリンピック初出場。1998年には長野オリンピックで冬季大会では日本人女子として初めての金メダルを獲得。日本中に感動を呼ぶとともに“モーグル”という競技を広く世間に認知させた立役者です。

東:
長野大会の四年後、2002年のソルトレイク大会でも銅メダルを獲得。1994年のリレハンメルから2010年のバンクーバー大会まで五大会連続でオリンピックに出場なさった競技の枠を超えた国民的スーパースターですが、今回は現役時代や競技のお話をメインにするのではなく、スキー靴を脱いだ後にフォーカスしてお話を伺ってまいりたいと思います。

 憧れた“普通の生活”

小松:
最近、自らが磨いてきたスキルがAIやロボットに代替されてしまい無価値化してしまう危機感や、終身雇用や年功序列という日本型雇用制度の崩壊という世の中の流れに直面して、セカンドキャリアやパラレルキャリアの構築について真剣に考えていかなければいけない時代が本格的に到来。アスリートのみならず一般のビジネスパーソンにもキャリアを形成していくうえでの悩みを抱えている方々が増えてきているように感じます。

東:
特にアスリートは、身体的な能力の低下などによる“引退”によって、セカンドキャリアのことを考えなくてはならない時期が比較的若い年齢で訪れます。このインタビューは、アスリートたちが人生を懸けて打ち込んできた競技を離れた後で、どのようにセカンドキャリアを過ごしているのかについてお話を伺い、“これから”、“今”、“その後”のアスリートやビジネスパーソンがキャリアを考えていくうえでのお役に立ちたいと考えて立ち上げた企画なんです。

里谷:
面白い企画ですね。

小松:
まずは現在の里谷さんのお仕事について聞かせていただけますか?

里谷:
現在はフジテレビの総合事業局イベント事業センター・販売企画部の一員として働いています。

東:
フジテレビには、現役時代から所属なさっていましたよね。

里谷:
はい。大学卒業後に新卒で入社して、現役を引退するまではフジテレビスキー部の所属選手として2013年まで活動していました。

小松:
なるほど。それでは、現在の里谷さんのお仕事を“その後のメダリスト100キャリアシフト図”に当てはめると、現役時代に所属していたフジテレビで勤務しているということで「B」の領域でご活躍なさっているということになりますね。

注1)親会社勤務とはいわゆる企業スポーツである実業団チームで自らが所属していた企業で一般従業員として勤務していること
注2)親会社指導者とはいわゆる企業スポーツである実業団チームで自らが所属していた企業の指導者を務めていること
注3)プロパフォーマーとはフィギュアスケート選手がアイスダンスパフォーマーになったり、体操選手がシルク・ドゥ・ソレイユのパフォーマーとして活動していること
注4)親会社以外勤務とは自らが所属していた実業団チームを所有している企業以外で一般従業員として勤務していること

小松:
フジテレビに入社なさったきっかけは何だったのでしょうか?

里谷:
長野オリンピックで金メダルを獲った時にお声がけいただいたのがきっかけです。最初は競技を辞めて会社員として働きますと言っていたのですが、入社後にやっぱり選手を続けさせてくださいとお願いして、競技に専念させていただきました。

東:
最初は引退するつもりだったのですか!
全盛期だったと思いますが、どうしてなのでしょう?

里谷:
オリンピックで金メダルを獲得することが選手としての最大の目標だったので、それを達成したのだから選手は終わりにしようと思ったんです。

小松:
地元である日本の長野で開催されたオリンピックで冬季大会では日本女子史上初の金メダルを獲得したわけですから、ものすごい達成感だったとは思いますが・・・

里谷:
スキー以外の世界を見てみたい気持ちもありました。小さな頃からスキーひとすじの生活を送ってきて、アルバイトすらしたことがありませんでしたから。

東:
いわゆる“普通の生活”がしてみたくなったのですね。

里谷:
憧れがありましたよね、普通の大学生の生活に。長野オリンピックが終わった後に、友達とおしゃれをして色々な場所に出かけて。でも、実際にやってみると楽しいだけで、どんな遊びも二週間もすると飽きてしまうんですよね(笑)

小松:
短い期間の気分転換には良いかも知れませんが、ずっと遊んではいられないですものね。

里谷:
改めてスキーに集中してきた時間が、とても幸せだったことに気づきました。

 自分ならではの仕事

小松:
里谷さんがフジテレビに入社なさったのは、プロフェッショナルを含めオリンピアンが様々な選択肢を持つことが出来るようになった最初の時代でした。自らにスポンサーをつけて企業の冠を背負って競技をする選手がいる中で、引退して企業に就職するという道が新鮮に受け取られて、大きなニュースにもなりましたね。

東:
最初は一般社員として入社なさったわけですが、どういった経緯で競技に専念することになったのでしょうか?

里谷:
入社後に新入社員研修を受けていた時に、“仕事”とは“会社のため”に働くことだと気づいて、私はまだ“自分のため”にアスリートを続けたいと思ったんです。

小松:
もう少し詳しくお教えくださいますか?

里谷:
会社での仕事は、基本的には全て企業や組織の利益のためにおこなうわけですが、私はこれまで身体をつくるのも、技術を向上させるのも、全て自分の成績を良くするため。とにかく何をするのも“自分のため”という世界で育ってきたので、まだ“自分のため”にアスリートを続けたいと考えて、会社に気持ちを伝えたんです。

東:
“自分のため”というか、“自分にしか出来ないこと”を続けたいと思われたのでしょうね。
会社に気持ちをお伝えして、どうなったのでしょうか?

里谷:
一旦人事部の預かりとなった後、スキー部の所属として競技に専念出来る環境を整えていただきました。

小松:
会社の業務には一切携わらずに、スキーを業務としてオリンピックに向けて練習出来るようになったのですね。

里谷:
はい。人事部に席は用意されていましたが、ほとんど出社すること無くトレーニングに集中させていただきました。周りの方々も「今はスキーを頑張りなよ」と言ってくださって。
その後、引退するまでの十三年間、自らが納得するまで競技を続けることが出来たのも会社の皆様のご理解とサポートあってのことですので、本当に感謝しています。

東:
フジテレビの名前を背負って、四度のオリンピックや数々の国際大会に出場。ソルトレイクオリンピックでは銅メダルを獲得するなど、里谷さんにしか出来ない“仕事”をなさってきたわけですから、企業にとってもアスリートにとってもwin-winの関係でしたよね。

 きちんとした仕事で、しっかりとした信頼関係を築く

小松:
続いて、総合事業局イベント事業センター・販売企画部でのお仕事について伺ってまいります。現役生活を終え、人事部から現在の部署に移られて約七年になりますが、「これが私の仕事なのだ」と思えるようになったのはいつ頃からでしょうか?

里谷:
それが、今でも思えていないんです(笑)恥ずかしながら基本的に生活がだらけていまして、「仕事が一番!仕事に生きる!」という性分ではなくて。

東:
そうなんですか?!ものすごく仕事が出来そうな雰囲気がありますけれど。

里谷:
いえいえ。ただ、同僚には恵まれていて、上司も後輩も嫌だなと思う人が一人もいないんです。職場は人間関係が良いのが一番ですから、とても幸せに働かせていただいています。

小松:
現在の部署にはどのような経緯で配属されたのでしょうか?

里谷:
選手を引退した後に改めて新入社員と一緒に研修を受けて、様々な部署の局長からお話を伺った結果、最も現場感を感じたのとスキーやスポーツの世界にも関わりながらお仕事が出来るかなと思い、配属を希望しました。

東:
具体的にはどのようなお仕事を担当なさっているのですか?

里谷:
総合事業局イベント事業センターの中で、事業部が制作し、推進部がメディアに流したイベントの協賛を集めたり、チケットを販売するのが販売企画部の仕事です。例えば、“シルク・ドゥ・ソレイユ”であれば約100万枚のチケットのうち、半分以上は私の部署で販売しています。

小松:
イベントのスポンサーセールスやチケット販売をご担当なさっているのですね。

里谷:
他には、自らイベントの企画を提案して、それが通ればプロデューサーとしてイベント全体を担当しています。

東:
里谷さんの提案した企画が採用されたこともあるのですか?

里谷:
はい。近いところでは、6月にパシフィコ横浜で開催する「アンチエイジングフェアin 2019」は私が提案して、プロデューサーとして担当しています。 
※取材は2019年3月27日に実施

小松:
かなり大きなイベントもプロデュースなさっているのですね。

里谷:
ありがとうございます。例年、三十社ほどに出展していただいているのですが、現在はご出展やご協賛をいただくための企業へのご挨拶回りに毎日忙殺されているところです。

東:
大変お忙しいところ貴重なお時間をいただきありがとうございます。
しかし、かなり大きなイベントをプロデュースなさっているのですね。
スポンサーセールスやチケット販売をするにあたっては、現役時代の名前が有利に働いたりもするのでしょうか?

里谷:
昔の名前は確かに有利に働くのですが、あまりそれに頼りすぎてもダメなんです。正直、最初の頃は、担当者と一緒にお食事をさせていただく中で「協賛お願いします!」「いいよいいよ!」と、その場で決まってしまうこともありました。でも、そういう仕事のやり方をしていると続かないですよね。きちんと相手のメリットをつくらないと。

東:
分かります。僕もコンサルタントのお仕事をしている中で、サービス内容自体にではなく、僕の名前や僕との関係性に対価を支払ってもらっているのではないかと感じたことがありました。ただ、それは本質ではないですし、結局どちらも幸せにならないですよね。

里谷:
はい、本当に意味がないと思います。現役を引退して社会人になりたての頃は「金メダリストの里谷多英」ということですぐに仕事が決まったりしていて、「仕事って、こんなに楽なの?」と勘違いしていた時期もありました。でも、三年、四年と働いているうちに続かなくなるんですよね。きちんとした仕事をして、しっかりとした信頼関係を築いていかなければ。それに気づくまでは、何度も何度も落ち込んだり、辛い経験もたくさんしました。

小松:
そうしたご経験が現在のご活躍に繋がっているのですね。これからも現在のお仕事を続けようと考えられているのでしょうか?

里谷:
今後についてはまだ分からないですね。この事業部にも七年在籍していますので、そろそろ他の部署を経験してみるのもいいかなとも考えています。例えばBSで番組の企画に関わってみるのも面白そうですし。

東:
現役引退後にも新たな世界でご活躍なさっている里谷さん。競技との出会いから引退に至るまでについてお話を伺ってまいりたいと思います。

小松:
宜しくお願い致します。

里谷:
宜しくお願いします。

小松:
現役を引退後、フジテレビの総合事業局イベント事業センター・販売企画部の一員として、イベントのスポンサーセールスからチケットの販売、イベント全体のプロデューサーをご担当なさっているお仕事のお話を中心に伺ってまいりましたが、里谷さんとモーグルの出会いについてからお話を伺ってまいります。

 モーグルとの出会い

東:
里谷さんは小学校五年生の時にモーグルを始められ、小学六年生で初出場した全日本選手権で優勝するなど、幼い頃から第一人者としてご活躍なさってきましたが、競技を始めたきっかけは何だったのでしょうか?

里谷:
幼少期からとにかくスキーが好きで、近所のスキー場にあるコブの多いコースを滑ることが得意だったことから、父親にモーグルの大会への出場を勧められたのがきっかけです。

小松:
それからモーグルひとすじで頑張ってこられたのですね。

里谷:
バスケットボールやアルペンスキーなど、他にも色々とやってみたいスポーツはあったのですが、父親からモーグルに集中しろと言われまして。中学校でバスケットボール部に入りたいと言っても、モーグルの練習時間が減るからダメだと。私の通っていた中学校にはスキー部が無かったので、クラブチームに入団して父と母に送り迎えをしてもらって練習に通っていました。

東:
お父様はスキーの選手だったのですか?

里谷:
いえ、父は全くやっていなかったのですが、私をオリンピックに出場させるのが夢だったみたいで、才能のありそうなモーグルに集中させたかったようです。

小松:
競技適性を見抜いたお父様の慧眼ですよね。里谷さんが中学二年生の1991年から全日本選手権で六連覇を達成するのと時を同じくしてモーグルがオリンピックの正式種目となり、1994年のリレハンメルオリンピックで夢が現実になったわけですものね。

東:
お父様、里谷さんがオリンピック選手になられた時には相当喜ばれたのではないですか?

里谷:
そうですね。とても喜んでくれました。ただ、父は長野オリンピックの前年、1997年の7月に亡くなってしまったので、私が金メダルを獲得した姿は見せられていないんです。

小松:
長野オリンピックの後に引退しようと思われたのも、お父様の死が影響なさっていたようですね。

里谷:
最初はショックが大きくて、長野オリンピックの前に引退することも考えましたが、応援してくれていた父親のためにも長野までは頑張って、それを一区切りにしようと考えていました。

 ボロボロになるまでやり切った現役生活

東:
長野大会の後、引退を宣言してフジテレビに一般社員として入社。のちに引退を撤回なさったお話は前編でも伺いましたが、1994年のリレハンメル大会から2010年のバンクーバー大会まで五大会連続でオリンピックに出場。1998年長野大会での金、2002年ソルトレイク大会での銅という二つのメダル獲得は、いずれも冬季大会において日本女子として史上初の快挙でした。とことんやり切った選手生活だったと思うのですが、引退を決めた理由は何だったのでしょうか?

里谷:
ひとことで言えば、年齢です。初めてオリンピックに出場したリレハンメルが17歳で11位。二度目の長野が21歳で金メダル。次のソルトレイクが25歳で銅メダル。29歳のトリノと33歳のバンクーバーでは結果を出すことが出来ませんでした。年齢による衰えは残酷なもので、年を重ねるごとに明らかにパフォーマンスが落ちていく自分を認めざるを得ない部分があって。もちろん、当時は年齢を言い訳にせず必死で頑張るのですが、出来ないものは出来なくて。若い頃は「強く願えば思いは叶う」と信じていたのですが、三十歳を超えたあたりから、人生には頑張っても出来ないことがあるのだと思い知らされました。最後の頃は負けるはずの無いような若い選手にも負けるようになってしまい、プライドも傷つけられて、引退する時には心身ともにボロボロの状態でした。

小松:
里谷さんは2012−2013年シーズンのワールドカップへの出場権を獲得出来ず、ソチオリンピック出場への道が絶たれたことで2013年の1月に現役引退を発表なさったわけですが、余力を残した上で惜しまれながら引退したわけではなく、まさに心身の限界までやり切っての引退だったのですね。

里谷:
そうですね。どれだけ自分が頑張っても、今後オリンピックで戦うレベルで競技を続けることは出来ないということをまざまざと思い知らされた上で引退しましたから。

東:
今回のインタビュー企画のタイトルは「表彰台の降り方」なのですが、里谷さんはまさに表彰台の頂点から降りてきた経験をお持ちですよね。

 海外選手のセカンドキャリア

小松:
里谷さんは、幼い頃から人生の大半をワールドカップやオリンピックの舞台で活躍するために競技に集中して過ごしてこられたわけですが、現役時代に引退後のキャリアについては考えていらっしゃったのでしょうか?

里谷:
私はあまり考えられていませんでしたが、海外の選手と話していると現役引退後のキャリアについての話題になることもあったので、日本のアスリートはそういった部分で遅れているなとは漠然と感じていました。

東:
海外の選手からどんな風にキャリアについてのお話を伺っていたのでしょうか?

里谷:
日本ではたとえ勉強が出来なくても、競技の成績が良ければスポーツ推薦で高校や大学に進学出来る場合がありますが、海外ではそうではない状況もあります。例えばアメリカの学生アスリートは、NCAA(全米大学体育協会)が定める成績評価値(GPA)が基準の成績より下回ってしまうと公式戦はおろか練習への参加すら出来ないため、競技と学業の両立が当然で、引退後にビジネスの世界で成功することも珍しくないそうなのですが、日本ではあまり聞かないですよね。

東:
おっしゃる通りで、日本の場合、学生から社会人に至るまで、学業や仕事などの他の活動を差し置いてでも競技に集中させるという風潮があるように感じます。果たしてそれでいいのかと。先程、里谷さんがお話しなさっていた通り、どれだけ努力を重ねたとしても、アスリートは年齢による衰えから決して逃れることは出来ません。いずれ必ず訪れる“引退”の時のために競技以外のスキルを身につけておくことが、その後の人生のためにとても重要なのではないでしょうか。

里谷:
私の場合、これまでにアルバイトすら経験したことのない三十六歳の元アスリートがいきなりテレビ局のお仕事をすることになるわけですから、受け入れる組織側からしても大変だったと思いますね。

小松:
確かに・・・しかも、里谷さんは単なる元アスリートではなく、国民的なスター選手ですから、企業としても然るべき扱いをしなければならないでしょうからね。

里谷:
そんな事はありませんが、今にして思えば、若い頃から競技以外に引退後に役に立つもので興味が持てるものを見つけて勉強しておけば、もう少しスムーズに引退後の生活にシフト出来たでしょうから、そういった部分について教えてくれる人がいたらありがたかったですね。

東:
もしかすると、アドバイスをしてくれた方もいらしたのかも知れませんが、競技に打ち込んでいるアスリートの場合、耳には入っても、心まではなかなか届かないんですよね。

小松:
里谷さんの類まれなる才能を持ってして、モーグルのみに人生を懸けてきたからこそ、一番輝くメダルを手にすることが出来たという側面もあるでしょうから、一概には言えない難しい部分もありますよね。

東:
確かに、スポーツには文武両道では決して届かない領域も存在するように感じます。野球以外のことを考えていたら、きっとイチロー選手は生まれなかったでしょうし。

 稼ぐことは“悪”なのか?

小松:
話は少し変わりますが、欧米ではスポーツがビジネスとして成立していますし、アスリートがプロフェッショナルとして認められていますが、日本ではまだまだアマチュアリズムが求められる部分が大きく、スポーツでお金を稼いだり、競技以外の面で目立つことがはばかられる空気があるように感じます。

東:
最近では随分変わってきましたが、“清貧こそ正しい”のような風潮はありますよね。

小松:
特に女性アスリートには世間の目が厳しいように感じるのですが、若い頃にメディアに対して様々な主張をなさってきた里谷さんとしてはどのようなお考えをお持ちなのでしょうか?

里谷:
日本では、アスリートに限らず、女性は“かわいい”キャラクターを求められますよね。
私は“かわいくない”キャラクターだったので、今考えるとやり直したいです(笑)

東:
日本の社会は女性に対して、いつまでも少女のようなか弱い存在でいることを求めがちですよね。
自立していて、自らの意見をはっきりと言う“強い女性”は“かわいくない”と。

小松:
ある種異常な事態だとさえ思います。外国の女性アスリートは自己主張も強いですし、インタビューで答えたくない質問に対してはっきりノーと言ったとしても、日本のように叩かれることはありません。

里谷:
日本ではメディアに対して強く主張したとして、それが正論だったとしても、嫌われてしまえばマイナスにしかなりませんから。当時は週刊誌に事実と異なる記事を書かれれば、いちいち反論するとともに「メダルを獲って、書いた記者を見返してやる!」なんて考えてもいましたが、そういった気持ちは競技を続けていく上で決してプラスには働かないんですよね。今ならどんな発言をすれば嫌われるのかわかるのですが、当時は全くわかりませんでしたから。現在の選手たちのインタビューでの受け答えを見ていると、なんて優秀なのだろうと感心します。

東:
現在、各競技の日本代表クラスの選手は、競技団体などによってメディア対応のための専門的なトレーニングを受けているそうですよ。

里谷:
そうなんですか。メディアに嫌われて得をすることは一切ありませんから、素晴らしい取り組みだと思います。家族にも迷惑がかかりますし。何事も本音で話してしまうのは私の性分なので致し方ない部分もありますが、わざわざ自分から生きづらくする必要はなかったなと反省しています。みんなに好かれるまではいかないにせよ、普通に応援していただける環境で競技をしたかったですし、嫌われたいとは思っていませんでしたから。振り返るともう少し上手に対応出来たのになと思っています。

小松:
一人の力ではとても敵わないですからね。

里谷:
一気に叩きますから。例えば、最近でもとある選手が化粧をしたり、愛車が高級車ということでメディアに叩かれていたことがありましたが、意味が分からないですよね。

東:
確かに!
年相応にメイクをしたり、自らが稼いだお金で好きな車を購入することの何が悪いのか・・・

里谷:
私も長野オリンピックで金メダルを獲得した後に、以前から好きだった外国車を購入しようと思ったのですが、母に止められました。父親が亡くなったばかりでもありましたし、金メダルを獲得した後、すぐに購入したら「世間体」がよくないと。その時はあまり理解出来なかったのですが、その選手の件があった時にはいまだに日本ではこんなことがあるのかと怖くなりました。

東:
女性という側面もありますが、アスリートは余計なことを考えずに競技だけに集中していればいいという世間のイメージが表れている一例なのかも知れません。

小松:
今回は競技を始めたきっかけから引退の理由、セカンドキャリアやメディアに対するお考えについてお話を伺ってまいりました。

東:
引退後についてのお話をもう少し深く聞かせていただきます。

里谷:
宜しくお願いします。

小松:
競技を始めたきっかけから引退の理由、セカンドキャリアやメディアに対するお考えについてお話を伺ってまいりましたが、引退後の生活について、深掘りしてお話を聞かせていただきます。

 金メダリストというキャリアパス

東:
里谷さんは、長野オリンピックの後、一度は選手を引退するという決断をなさったわけですが、指導者になる道は考えたことがなかったのでしょうか?

里谷:
最初はスキー界に残って仕事をするのが自分にとっていいのかなとも考えていました。
これまで生きてきた世界ですから気持ち的にも楽だろうとも思いましたが、自分の性格的にあまり指導者には向いていないことも分かっていました。
今後、どうしようかと考えていた時にフジテレビからお誘いをいただいて、当時の全日本スキー連盟の方にご相談したところ、スキーを続けるのなら大企業に所属したほうがいい。絶対に受けるべきだと勧められたんです。

小松:
冬季競技は、用具はもちろんトレーニング施設の使用料や海外遠征などに多額の費用がかかるので、大企業に所属して、それらを負担してもらえるような環境で競技を続けるべきだというアドバイスをいただいたわけですね。

里谷:
おっしゃる通りなのですが、私は本当にありがたいことに環境に恵まれていて、それまでも様々な企業に支援していただいていて、活動資金に不自由すること無くスキーひとすじの生活を送ることが出来ていましたので、競技をするための環境が整備されているという点にはさほど魅力は感じませんでした。ただ、フジテレビと言えば非常に人気のある大企業で、金メダルを獲得していなければ絶対に私が入社することは出来ないだろうと思って、競技は引退するので一般社員として入社させてくださいとお願いしたんです。

東:
“一芸入社”ではないですが、オリンピックの金メダルを“キャリアパス”として活用なさったわけですね。

里谷:
結局、やっぱり競技を続けさせてくださいとお願いすることになるんですけれどね(笑)
これまで約十五年在籍していますが、ほとんどの期間、スキーばかりをしてきました。

小松:
それが、里谷さんにしか出来ない“オンリーワン”のお仕事だったわけですから。
数々の大会で素晴らしい実績を残すことで、会社に貢献なさってきたのだと思います。
二度と味わえない“充実感”

東:
現役時代と現在の生活では、どちらが充実していますか?

里谷:
比べるものでもないとは思いますが、やはり大きな目標に向かって必死に頑張っていたという意味では現役時代の方が充実していたと思います。

小松:
大きな目標というのは、オリンピックでの金メダルでしょうか?

里谷:
そうですね。現在も社会人として目標を持って仕事をしていますが、協賛が一つ決まれば、次。次が決まればまたその次と小さな目標を積み重ねていく日々です。そして、その目標はもちろん自分のためでもありますが、大きく言えば会社のためですから。
オリンピックで優勝するという大きな目標に向かって、自分のために、己を磨くことに全てを懸けて生活する日々の充実感は、この先の人生では決して味わえないのだろうなと思います。

東:
オリンピックのメダルと売上目標の達成とでは、確かにギャップがありますよね。

里谷:
引退してから、目標に向かっている時の“アドレナリン”が出ないんです。
仕事はとても楽しいんですけどね。

小松:
“ゾーン”と呼ばれる状態に入ることも無くなってしまいますものね・・・

里谷:
もちろん、仕事での成功もとても嬉しいのですが、スキーで勝った時ほどの達成感はないですし、最近何が楽しくて生きているのかなと思ったりもしています(笑)

東:
世界の頂点を極めた人ならではの悩みなのでしょうね・・・

里谷:
現役時代とは違って当然なのですが、何か一つ大きな目標を持たないといけないのかなと思う時があります。今は安定したお仕事があって、同僚にも恵まれて、生活に困ることもありません。このまま生きていけば、大きな不安もないのだから幸せな人生だと。そんな風に考えられれば楽なのかなとも思うのですが、そこに安住していて果たしていいのだろうかと考えてしまう自分もいて。

小松:
特に里谷さんの場合は、地元開催で大きな注目が集まった長野オリンピックで金メダルを獲得なさったわけですから。それ以上の目標を掲げて、達成するといった経験をすることは・・・

里谷:
二度と無いんでしょうね(笑)

 どうにかなる

東:
競技生活を通じて学んだことで、現在に活きていると感じるものは何でしょうか?

里谷:
そうですね、私は現役時代、競技成績はもちろんですが、それ以外のことにも一喜一憂し続けてきました。その経験から学んだことは「どうにかなる」です。引退して社会に出る時も最初はとても緊張しましたが、結局どうにかなるだろうと思っていましたし。時にはどうにも出来ないこともありますけれど、それはそれでどうにかなりますし(笑)

小松:
結果を気にせずに腹をくくること、人生において大切ですよね。どんなに追い詰められたとしても、その言葉で一歩進むことが出来ますもの。

里谷:
人生には思い通りにいかないことがあったり、ものすごくショックなことも起きるので、落ち込むこともありますが、いちいち悩んでいてもしょうがないと。
あのレベルで競技を続けてきたからこそ得ることが出来たメンタルは、今に活きていると思います。

東:
心身ともに「あれに比べれば」という経験を持っていることはアスリートにとっての宝物ですよね。
逆に、現役時引退後に困ったことがあれば、教えていただけますか?

里谷:
引退するまでスキーひとすじでアルバイトすらしたことがなかったので、社会に出て働くことがすごく不安でした。パソコンに触ったこともなかったですし。

小松:
三十六歳で初めてスキー以外の世界に飛び出されたわけですものね。

里谷:
ただ、会社の人が「うちの会社も馬鹿じゃないから、里谷さんにいきなりハードルの高いことは求めないから安心して」と言ってくれて。

東:
里谷さんを受け入れるにあたって、しっかりとリスペクトを持ちつつも、徐々に社会人としての仕事が出来るようになるための準備を整えてくれたのですね。

里谷:
私としては即戦力とまではいかなくても、少しでも早く普通の人が出来ることを出来るようになりたいと思っていました。例えばパワーポイントで資料の作成が出来るようになるとか。入社したての頃は何も出来ない自分が恥ずかしくて、本当に焦りました。

小松:
やるからには本気で成長を目指すマインドが、里谷さんらしいですね。

東:
里谷さんは、競技を通じて“出来ない”を“出来る”にするための挑戦をしてきた経験をお持ちですし、頑張り方をご存知ですから。
ただ、里谷さんは新たな世界に挑戦することが出来ましたが、競技の世界にしがみついてしまって、なかなか最初の一歩を踏み出せないアスリートも多いように感じます。
アドバイスを送るとしたら何と伝えますか?

里谷:
まだまだ私も全然出来ていませんので、自分自身に声を掛けることにもなりますが(笑)、やっぱり新しいことに挑戦するのはとても大変だと思うんです。私はモーグルという一つの競技を二十四年間続けてきました。もちろん競技の中で新しいことにチャレンジしたことはありますが、あくまでスキー、モーグルという競技の範疇でしたから。全く違う世界へ飛び出すのは、本当に勇気がいることだと思います。
私も引退後にスキーの外の世界には飛び出しましたが、現在の部署には七年間留まっています。本当は三、四年で部署を異動して、同じ場所に留まらないほうが良いと思うのですが、長くいると居心地が良くなるんですよね。

小松:
置かれた環境に適応し、慣れ親しんでしまうものですよね。

里谷:
居心地が良いということは、言い方を変えれば“楽”だということです。一緒に働いている方々も良い人ばかりなので、居心地がよくて異動届を出さないまま七年が過ぎてしまいましたが、そろそろ勇気をもって新たなチャレンジをした方が良いのだろうなと思っています。

東:
例えば、どのようなチャレンジをお考えなのでしょうか?

里谷:
現在の部署の仕事で言えば、春に苗場でスキーを盛り上げるような音楽イベントを開催したいと考えているところです。毎年、冬に苗場プリンスホテルで開催されている松任谷由実さんのイベントにはたくさんお客様が集まるのですが、その後は閑散期になるらしいので、その時期にイベントを開催して、集客が出来ればと考えています。

小松:
スキー界への恩返しにもなりますものね。

里谷:
大規模なイベントを開催するのには多大なリスクも伴うため、スポンサーをつけて確実に赤字にはならないスキームをつくらなければならず、なかなか大変なんですけどね。
他には、せっかくテレビ局にいるので、BSなどで自分のやりたい番組を企画してみるのも面白そうだなと思っています。

東:
やりたいことを実際に実現するための力をお持ちですから、素晴らしいと思います。

 あんな風になりたいと思える存在

小松:
引退後、新たな世界に踏み出してから、里谷さんを変えた“出会い”があれば、お教えくださいますか?

里谷:
現在私が所属している総合事業局の上司との出会いですかね。著名な方のご子息なのですが、仕事が出来るのはもちろんですが、人を楽しませるのがとても上手で尊敬しています。

東:
あの有名な方のご子息の部下なのですね!

里谷:
はい。引退して、この仕事を始めた頃から営業に同行させていただいて。「こうやって、自分のパーソナリティをコンテンツにして営業出来るのは、俺と里谷くらいだ」と言いながら、お客様のメリットにこだわった資料の作成からプレゼンのやり方まで超一流の仕事を実際に目の前で見せてくださって。

小松:
“著名人の息子”や“金メダリストの里谷多英”という名前で商品やサービスを買ってもらうのではなく、商品やサービス自体の魅力を伝えることの大切さを教えていただいたのですね。

里谷:
そうですね。その方の下で働かせていただくと、とても勉強になりますし、何より楽しいので、ずっと部下でいたいという気持ちがあって、異動届を出せていない部分もあります。

東:
新たな世界に踏み出した時に、最初に尊敬出来る上司に巡り合えたのはとても幸せなことでしたね。

里谷:
あんな風になれるように頑張ろうと思いますし、組織のために貢献したくなりますよね。

小松:
きっと、現在の里谷さんを見て、あんな風になれるように頑張ろうと思っていらっしゃる方もたくさんいると思います。
さて、それでは改めて現在の里谷さんのお仕事を“その後のメダリスト100キャリアシフト図”に当てはめると、現役時代から所属しているフジテレビで勤務なさっているということで「B」の領域でのご活躍ですね。

注1)親会社勤務とはいわゆる企業スポーツである実業団チームで自らが所属していた企業で一般従業員として勤務していること
注2)親会社指導者とはいわゆる企業スポーツである実業団チームで自らが所属していた企業の指導者を務めていること
注3)プロパフォーマーとはフィギュアスケート選手がアイスダンスパフォーマーになったり、体操選手がシルク・ドゥ・ソレイユのパフォーマーとして活動していること
注4)親会社以外勤務とは自らが所属していた実業団チームを所有している企業以外で一般従業員として勤務していること

東:
今後は生まれ故郷の札幌市がおこなっている2030年冬季オリンピックの招致活動や、全日本スキー連盟のお仕事などにもご活躍の場を広げられるのではないでしょうか。
それでは、今後の夢や目標をお聞かせいただけますか?

里谷:
そうですね、あまりいそいそせずに、のんびり幸せに生きていきたいですね。

小松:
里谷さんは本当に自然体ですが、それが出来るのは地に足がついていらっしゃるからでしょうね。居場所が定まらない人はあくせくしなければいけませんが、里谷さんはしっかりと大地に足をつけながら日々生きているのだと思います。

里谷:
ありがとうございます。

東:
最後のお願いになりますが、競技名を使わずに自己紹介をしてくださいますか?

里谷:
フジテレビの里谷です。イベント事業の企画やチケット販売の営業のお仕事を、周りに恵まれながら楽しくさせていただいています。

小松:
本日はお忙しいところありがとうございました。

里谷:
こちらこそありがとうございました。
(おわり)

次回は、元ハンドボール日本代表キャプテン・永島英明さんです。7月29日公開!

 

編集協力/設楽幸生

インタビュアー/小松 成美 Narumi Komatsu
第一線で活躍するノンフィクション作家。広告会社、放送局勤務などを経たのち、作家に転身。真摯な取材、磨き抜かれた文章には定評があり、数多くの人物ルポルタージュ、スポーツノンフィクション、インタビュー、エッセイ・コラム、小説を執筆。現在では、テレビ番組のコメンテーターや講演など多岐にわたり活躍中。

インタビュアー/東 俊介 Shunsuke Azuma
元ハンドボール日本代表主将。引退後はスポーツマネジメントを学び、日本ハンドボールリーグマーケティング部の初代部長に就任。アスリート、経営者、アカデミアなどの豊富な人脈を活かし、現在は複数の企業の事業開発を兼務。企業におけるスポーツ事業のコンサルティングも行っている。

小松:
前編では、現役を引退後、フジテレビの総合事業局イベント事業センター・販売企画部の一員として、イベントのスポンサーセールスからチケットの販売、イベント全体のプロデューサーをご担当なさっているお仕事のお話を中心に伺ってまいりましたが、今回は里谷さんとモーグルの出会いについてからお話を伺ってまいります。

 モーグルとの出会い

東:
里谷さんは小学校五年生の時にモーグルを始められ、小学六年生で初出場した全日本選手権で優勝するなど、幼い頃から第一人者としてご活躍なさってきましたが、競技を始めたきっかけは何だったのでしょうか?

里谷:
幼少期からとにかくスキーが好きで、近所のスキー場にあるコブの多いコースを滑ることが得意だったことから、父親にモーグルの大会への出場を勧められたのがきっかけです。

小松:
それからモーグルひとすじで頑張ってこられたのですね。

里谷:
バスケットボールやアルペンスキーなど、他にも色々とやってみたいスポーツはあったのですが、父親からモーグルに集中しろと言われまして。中学校でバスケットボール部に入りたいと言っても、モーグルの練習時間が減るからダメだと。私の通っていた中学校にはスキー部が無かったので、クラブチームに入団して父と母に送り迎えをしてもらって練習に通っていました。

東:
お父様はスキーの選手だったのですか?

里谷:
いえ、父は全くやっていなかったのですが、私をオリンピックに出場させるのが夢だったみたいで、才能のありそうなモーグルに集中させたかったようです。

小松:
競技適性を見抜いたお父様の慧眼ですよね。里谷さんが中学二年生の1991年から全日本選手権で六連覇を達成するのと時を同じくしてモーグルがオリンピックの正式種目となり、1994年のリレハンメルオリンピックで夢が現実になったわけですものね。

東:
お父様、里谷さんがオリンピック選手になられた時には相当喜ばれたのではないですか?

里谷:
そうですね。とても喜んでくれました。ただ、父は長野オリンピックの前年、1997年の7月に亡くなってしまったので、私が金メダルを獲得した姿は見せられていないんです。

小松:
長野オリンピックの後に引退しようと思われたのも、お父様の死が影響なさっていたようですね。

里谷:
最初はショックが大きくて、長野オリンピックの前に引退することも考えましたが、応援してくれていた父親のためにも長野までは頑張って、それを一区切りにしようと考えていました。

 ボロボロになるまでやり切った現役生活

東:
長野大会の後、引退を宣言してフジテレビに一般社員として入社。のちに引退を撤回なさったお話は前編でも伺いましたが、1994年のリレハンメル大会から2010年のバンクーバー大会まで五大会連続でオリンピックに出場。1998年長野大会での金、2002年ソルトレイク大会での銅という二つのメダル獲得は、いずれも冬季大会において日本女子として史上初の快挙でした。とことんやり切った選手生活だったと思うのですが、引退を決めた理由は何だったのでしょうか?

里谷:
ひとことで言えば、年齢です。初めてオリンピックに出場したリレハンメルが17歳で11位。二度目の長野が21歳で金メダル。次のソルトレイクが25歳で銅メダル。29歳のトリノと33歳のバンクーバーでは結果を出すことが出来ませんでした。年齢による衰えは残酷なもので、年を重ねるごとに明らかにパフォーマンスが落ちていく自分を認めざるを得ない部分があって。もちろん、当時は年齢を言い訳にせず必死で頑張るのですが、出来ないものは出来なくて。若い頃は「強く願えば思いは叶う」と信じていたのですが、三十歳を超えたあたりから、人生には頑張っても出来ないことがあるのだと思い知らされました。最後の頃は負けるはずの無いような若い選手にも負けるようになってしまい、プライドも傷つけられて、引退する時には心身ともにボロボロの状態でした。

小松:
里谷さんは2012−2013年シーズンのワールドカップへの出場権を獲得出来ず、ソチオリンピック出場への道が絶たれたことで2013年の1月に現役引退を発表なさったわけですが、余力を残した上で惜しまれながら引退したわけではなく、まさに心身の限界までやり切っての引退だったのですね。

里谷:
そうですね。どれだけ自分が頑張っても、今後オリンピックで戦うレベルで競技を続けることは出来ないということをまざまざと思い知らされた上で引退しましたから。

東:
今回のインタビュー企画のタイトルは「表彰台の降り方」なのですが、里谷さんはまさに表彰台の頂点から降りてきた経験をお持ちですよね。

 海外選手のセカンドキャリア

小松:
里谷さんは、幼い頃から人生の大半をワールドカップやオリンピックの舞台で活躍するために競技に集中して過ごしてこられたわけですが、現役時代に引退後のキャリアについては考えていらっしゃったのでしょうか?

里谷:
私はあまり考えられていませんでしたが、海外の選手と話していると現役引退後のキャリアについての話題になることもあったので、日本のアスリートはそういった部分で遅れているなとは漠然と感じていました。

東:
海外の選手からどんな風にキャリアについてのお話を伺っていたのでしょうか?

里谷:
日本ではたとえ勉強が出来なくても、競技の成績が良ければスポーツ推薦で高校や大学に進学出来る場合がありますが、海外ではそうではない状況もあります。例えばアメリカの学生アスリートは、NCAA(全米大学体育協会)が定める成績評価値(GPA)が基準の成績より下回ってしまうと公式戦はおろか練習への参加すら出来ないため、競技と学業の両立が当然で、引退後にビジネスの世界で成功することも珍しくないそうなのですが、日本ではあまり聞かないですよね。

東:
おっしゃる通りで、日本の場合、学生から社会人に至るまで、学業や仕事などの他の活動を差し置いてでも競技に集中させるという風潮があるように感じます。果たしてそれでいいのかと。先程、里谷さんがお話しなさっていた通り、どれだけ努力を重ねたとしても、アスリートは年齢による衰えから決して逃れることは出来ません。いずれ必ず訪れる“引退”の時のために競技以外のスキルを身につけておくことが、その後の人生のためにとても重要なのではないでしょうか。

里谷:
私の場合、これまでにアルバイトすら経験したことのない三十六歳の元アスリートがいきなりテレビ局のお仕事をすることになるわけですから、受け入れる組織側からしても大変だったと思いますね。

小松:
確かに・・・しかも、里谷さんは単なる元アスリートではなく、国民的なスター選手ですから、企業としても然るべき扱いをしなければならないでしょうからね。

里谷:
そんな事はありませんが、今にして思えば、若い頃から競技以外に引退後に役に立つもので興味が持てるものを見つけて勉強しておけば、もう少しスムーズに引退後の生活にシフト出来たでしょうから、そういった部分について教えてくれる人がいたらありがたかったですね。

東:
もしかすると、アドバイスをしてくれた方もいらしたのかも知れませんが、競技に打ち込んでいるアスリートの場合、耳には入っても、心まではなかなか届かないんですよね。

小松:
里谷さんの類まれなる才能を持ってして、モーグルのみに人生を懸けてきたからこそ、一番輝くメダルを手にすることが出来たという側面もあるでしょうから、一概には言えない難しい部分もありますよね。

東:
確かに、スポーツには文武両道では決して届かない領域も存在するように感じます。野球以外のことを考えていたら、きっとイチロー選手は生まれなかったでしょうし。

 稼ぐことは“悪”なのか?

小松:
話は少し変わりますが、欧米ではスポーツがビジネスとして成立していますし、アスリートがプロフェッショナルとして認められていますが、日本ではまだまだアマチュアリズムが求められる部分が大きく、スポーツでお金を稼いだり、競技以外の面で目立つことがはばかられる空気があるように感じます。

東:
最近では随分変わってきましたが、“清貧こそ正しい”のような風潮はありますよね。

小松:
特に女性アスリートには世間の目が厳しいように感じるのですが、若い頃にメディアに対して様々な主張をなさってきた里谷さんとしてはどのようなお考えをお持ちなのでしょうか?

里谷:
日本では、アスリートに限らず、女性は“かわいい”キャラクターを求められますよね。
私は“かわいくない”キャラクターだったので、今考えるとやり直したいです(笑)

東:
日本の社会は女性に対して、いつまでも少女のようなか弱い存在でいることを求めがちですよね。
自立していて、自らの意見をはっきりと言う“強い女性”は“かわいくない”と。

小松:
ある種異常な事態だとさえ思います。外国の女性アスリートは自己主張も強いですし、インタビューで答えたくない質問に対してはっきりノーと言ったとしても、日本のように叩かれることはありません。

里谷:
日本ではメディアに対して強く主張したとして、それが正論だったとしても、嫌われてしまえばマイナスにしかなりませんから。当時は週刊誌に事実と異なる記事を書かれれば、いちいち反論するとともに「メダルを獲って、書いた記者を見返してやる!」なんて考えてもいましたが、そういった気持ちは競技を続けていく上で決してプラスには働かないんですよね。今ならどんな発言をすれば嫌われるのかわかるのですが、当時は全くわかりませんでしたから。現在の選手たちのインタビューでの受け答えを見ていると、なんて優秀なのだろうと感心します。

東:
現在、各競技の日本代表クラスの選手は、競技団体などによってメディア対応のための専門的なトレーニングを受けているそうですよ。

里谷:
そうなんですか。メディアに嫌われて得をすることは一切ありませんから、素晴らしい取り組みだと思います。家族にも迷惑がかかりますし。何事も本音で話してしまうのは私の性分なので致し方ない部分もありますが、わざわざ自分から生きづらくする必要はなかったなと反省しています。みんなに好かれるまではいかないにせよ、普通に応援していただける環境で競技をしたかったですし、嫌われたいとは思っていませんでしたから。振り返るともう少し上手に対応出来たのになと思っています。

小松:
一人の力ではとても敵わないですからね。

里谷:
一気に叩きますから。例えば、最近でもとある選手が化粧をしたり、愛車が高級車ということでメディアに叩かれていたことがありましたが、意味が分からないですよね。

東:
確かに!
年相応にメイクをしたり、自らが稼いだお金で好きな車を購入することの何が悪いのか・・・

里谷:
私も長野オリンピックで金メダルを獲得した後に、以前から好きだった外国車を購入しようと思ったのですが、母に止められました。父親が亡くなったばかりでもありましたし、金メダルを獲得した後、すぐに購入したら「世間体」がよくないと。その時はあまり理解出来なかったのですが、その選手の件があった時にはいまだに日本ではこんなことがあるのかと怖くなりました。

東:
女性という側面もありますが、アスリートは余計なことを考えずに競技だけに集中していればいいという世間のイメージが表れている一例なのかも知れません。

小松:
今回は競技を始めたきっかけから引退の理由、セカンドキャリアやメディアに対するお考えについてお話を伺ってまいりました。

東:
引退後についてのお話をもう少し深く聞かせていただきます。

里谷:
宜しくお願いします。

東:
元フリースタイル・スキーモーグル選手の里谷多英さんへのインタビューもいよいよ今回が後編となります。

小松:
前回の中編では、競技を始めたきっかけから引退の理由、セカンドキャリアやメディアに対するお考えについてお話を伺ってまいりましたが、最終回となる今回は、引退後の生活について、深掘りしてお話を聞かせていただきます。

 金メダリストというキャリアパス

東:
里谷さんは、長野オリンピックの後、一度は選手を引退するという決断をなさったわけですが、指導者になる道は考えたことがなかったのでしょうか?

里谷:
最初はスキー界に残って仕事をするのが自分にとっていいのかなとも考えていました。
これまで生きてきた世界ですから気持ち的にも楽だろうとも思いましたが、自分の性格的にあまり指導者には向いていないことも分かっていました。
今後、どうしようかと考えていた時にフジテレビからお誘いをいただいて、当時の全日本スキー連盟の方にご相談したところ、スキーを続けるのなら大企業に所属したほうがいい。絶対に受けるべきだと勧められたんです。

小松:
冬季競技は、用具はもちろんトレーニング施設の使用料や海外遠征などに多額の費用がかかるので、大企業に所属して、それらを負担してもらえるような環境で競技を続けるべきだというアドバイスをいただいたわけですね。

里谷:
おっしゃる通りなのですが、私は本当にありがたいことに環境に恵まれていて、それまでも様々な企業に支援していただいていて、活動資金に不自由すること無くスキーひとすじの生活を送ることが出来ていましたので、競技をするための環境が整備されているという点にはさほど魅力は感じませんでした。ただ、フジテレビと言えば非常に人気のある大企業で、金メダルを獲得していなければ絶対に私が入社することは出来ないだろうと思って、競技は引退するので一般社員として入社させてくださいとお願いしたんです。

東:
“一芸入社”ではないですが、オリンピックの金メダルを“キャリアパス”として活用なさったわけですね。

里谷:
結局、やっぱり競技を続けさせてくださいとお願いすることになるんですけれどね(笑)
これまで約十五年在籍していますが、ほとんどの期間、スキーばかりをしてきました。

小松:
それが、里谷さんにしか出来ない“オンリーワン”のお仕事だったわけですから。
数々の大会で素晴らしい実績を残すことで、会社に貢献なさってきたのだと思います。
二度と味わえない“充実感”

東:
現役時代と現在の生活では、どちらが充実していますか?

里谷:
比べるものでもないとは思いますが、やはり大きな目標に向かって必死に頑張っていたという意味では現役時代の方が充実していたと思います。

小松:
大きな目標というのは、オリンピックでの金メダルでしょうか?

里谷:
そうですね。現在も社会人として目標を持って仕事をしていますが、協賛が一つ決まれば、次。次が決まればまたその次と小さな目標を積み重ねていく日々です。そして、その目標はもちろん自分のためでもありますが、大きく言えば会社のためですから。
オリンピックで優勝するという大きな目標に向かって、自分のために、己を磨くことに全てを懸けて生活する日々の充実感は、この先の人生では決して味わえないのだろうなと思います。

東:
オリンピックのメダルと売上目標の達成とでは、確かにギャップがありますよね。

里谷:
引退してから、目標に向かっている時の“アドレナリン”が出ないんです。
仕事はとても楽しいんですけどね。

小松:
“ゾーン”と呼ばれる状態に入ることも無くなってしまいますものね・・・

里谷:
もちろん、仕事での成功もとても嬉しいのですが、スキーで勝った時ほどの達成感はないですし、最近何が楽しくて生きているのかなと思ったりもしています(笑)

東:
世界の頂点を極めた人ならではの悩みなのでしょうね・・・

里谷:
現役時代とは違って当然なのですが、何か一つ大きな目標を持たないといけないのかなと思う時があります。今は安定したお仕事があって、同僚にも恵まれて、生活に困ることもありません。このまま生きていけば、大きな不安もないのだから幸せな人生だと。そんな風に考えられれば楽なのかなとも思うのですが、そこに安住していて果たしていいのだろうかと考えてしまう自分もいて。

小松:
特に里谷さんの場合は、地元開催で大きな注目が集まった長野オリンピックで金メダルを獲得なさったわけですから。それ以上の目標を掲げて、達成するといった経験をすることは・・・

里谷:
二度と無いんでしょうね(笑)

 どうにかなる

東:
競技生活を通じて学んだことで、現在に活きていると感じるものは何でしょうか?

里谷:
そうですね、私は現役時代、競技成績はもちろんですが、それ以外のことにも一喜一憂し続けてきました。その経験から学んだことは「どうにかなる」です。引退して社会に出る時も最初はとても緊張しましたが、結局どうにかなるだろうと思っていましたし。時にはどうにも出来ないこともありますけれど、それはそれでどうにかなりますし(笑)

小松:
結果を気にせずに腹をくくること、人生において大切ですよね。どんなに追い詰められたとしても、その言葉で一歩進むことが出来ますもの。

里谷:
人生には思い通りにいかないことがあったり、ものすごくショックなことも起きるので、落ち込むこともありますが、いちいち悩んでいてもしょうがないと。
あのレベルで競技を続けてきたからこそ得ることが出来たメンタルは、今に活きていると思います。

東:
心身ともに「あれに比べれば」という経験を持っていることはアスリートにとっての宝物ですよね。
逆に、現役時引退後に困ったことがあれば、教えていただけますか?

里谷:
引退するまでスキーひとすじでアルバイトすらしたことがなかったので、社会に出て働くことがすごく不安でした。パソコンに触ったこともなかったですし。

小松:
三十六歳で初めてスキー以外の世界に飛び出されたわけですものね。

里谷:
ただ、会社の人が「うちの会社も馬鹿じゃないから、里谷さんにいきなりハードルの高いことは求めないから安心して」と言ってくれて。

東:
里谷さんを受け入れるにあたって、しっかりとリスペクトを持ちつつも、徐々に社会人としての仕事が出来るようになるための準備を整えてくれたのですね。

里谷:
私としては即戦力とまではいかなくても、少しでも早く普通の人が出来ることを出来るようになりたいと思っていました。例えばパワーポイントで資料の作成が出来るようになるとか。入社したての頃は何も出来ない自分が恥ずかしくて、本当に焦りました。

小松:
やるからには本気で成長を目指すマインドが、里谷さんらしいですね。

東:
里谷さんは、競技を通じて“出来ない”を“出来る”にするための挑戦をしてきた経験をお持ちですし、頑張り方をご存知ですから。
ただ、里谷さんは新たな世界に挑戦することが出来ましたが、競技の世界にしがみついてしまって、なかなか最初の一歩を踏み出せないアスリートも多いように感じます。
アドバイスを送るとしたら何と伝えますか?

里谷:
まだまだ私も全然出来ていませんので、自分自身に声を掛けることにもなりますが(笑)、やっぱり新しいことに挑戦するのはとても大変だと思うんです。私はモーグルという一つの競技を二十四年間続けてきました。もちろん競技の中で新しいことにチャレンジしたことはありますが、あくまでスキー、モーグルという競技の範疇でしたから。全く違う世界へ飛び出すのは、本当に勇気がいることだと思います。
私も引退後にスキーの外の世界には飛び出しましたが、現在の部署には七年間留まっています。本当は三、四年で部署を異動して、同じ場所に留まらないほうが良いと思うのですが、長くいると居心地が良くなるんですよね。

小松:
置かれた環境に適応し、慣れ親しんでしまうものですよね。

里谷:
居心地が良いということは、言い方を変えれば“楽”だということです。一緒に働いている方々も良い人ばかりなので、居心地がよくて異動届を出さないまま七年が過ぎてしまいましたが、そろそろ勇気をもって新たなチャレンジをした方が良いのだろうなと思っています。

東:
例えば、どのようなチャレンジをお考えなのでしょうか?

里谷:
現在の部署の仕事で言えば、春に苗場でスキーを盛り上げるような音楽イベントを開催したいと考えているところです。毎年、冬に苗場プリンスホテルで開催されている松任谷由実さんのイベントにはたくさんお客様が集まるのですが、その後は閑散期になるらしいので、その時期にイベントを開催して、集客が出来ればと考えています。

小松:
スキー界への恩返しにもなりますものね。

里谷:
大規模なイベントを開催するのには多大なリスクも伴うため、スポンサーをつけて確実に赤字にはならないスキームをつくらなければならず、なかなか大変なんですけどね。
他には、せっかくテレビ局にいるので、BSなどで自分のやりたい番組を企画してみるのも面白そうだなと思っています。

東:
やりたいことを実際に実現するための力をお持ちですから、素晴らしいと思います。

 あんな風になりたいと思える存在

小松:
引退後、新たな世界に踏み出してから、里谷さんを変えた“出会い”があれば、お教えくださいますか?

里谷:
現在私が所属している総合事業局の上司との出会いですかね。著名な方のご子息なのですが、仕事が出来るのはもちろんですが、人を楽しませるのがとても上手で尊敬しています。

東:
あの有名な方のご子息の部下なのですね!

里谷:
はい。引退して、この仕事を始めた頃から営業に同行させていただいて。「こうやって、自分のパーソナリティをコンテンツにして営業出来るのは、俺と里谷くらいだ」と言いながら、お客様のメリットにこだわった資料の作成からプレゼンのやり方まで超一流の仕事を実際に目の前で見せてくださって。

小松:
“著名人の息子”や“金メダリストの里谷多英”という名前で商品やサービスを買ってもらうのではなく、商品やサービス自体の魅力を伝えることの大切さを教えていただいたのですね。

里谷:
そうですね。その方の下で働かせていただくと、とても勉強になりますし、何より楽しいので、ずっと部下でいたいという気持ちがあって、異動届を出せていない部分もあります。

東:
新たな世界に踏み出した時に、最初に尊敬出来る上司に巡り合えたのはとても幸せなことでしたね。

里谷:
あんな風になれるように頑張ろうと思いますし、組織のために貢献したくなりますよね。

小松:
きっと、現在の里谷さんを見て、あんな風になれるように頑張ろうと思っていらっしゃる方もたくさんいると思います。
さて、それでは改めて現在の里谷さんのお仕事を“その後のメダリスト100キャリアシフト図”に当てはめると、現役時代から所属しているフジテレビで勤務なさっているということで「B」の領域でのご活躍ですね。

注1)親会社勤務とはいわゆる企業スポーツである実業団チームで自らが所属していた企業で一般従業員として勤務していること
注2)親会社指導者とはいわゆる企業スポーツである実業団チームで自らが所属していた企業の指導者を務めていること
注3)プロパフォーマーとはフィギュアスケート選手がアイスダンスパフォーマーになったり、体操選手がシルク・ドゥ・ソレイユのパフォーマーとして活動していること
注4)親会社以外勤務とは自らが所属していた実業団チームを所有している企業以外で一般従業員として勤務していること

東:
今後は生まれ故郷の札幌市がおこなっている2030年冬季オリンピックの招致活動や、全日本スキー連盟のお仕事などにもご活躍の場を広げられるのではないでしょうか。
それでは、今後の夢や目標をお聞かせいただけますか?

里谷:
そうですね、あまりいそいそせずに、のんびり幸せに生きていきたいですね。

小松:
里谷さんは本当に自然体ですが、それが出来るのは地に足がついていらっしゃるからでしょうね。居場所が定まらない人はあくせくしなければいけませんが、里谷さんはしっかりと大地に足をつけながら日々生きているのだと思います。

里谷:
ありがとうございます。

東:
最後のお願いになりますが、競技名を使わずに自己紹介をしてくださいますか?

里谷:
フジテレビの里谷です。イベント事業の企画やチケット販売の営業のお仕事を、周りに恵まれながら楽しくさせていただいています。

小松:
本日はお忙しいところありがとうございました。

里谷:
こちらこそありがとうございました。
(おわり)

次回は、元ハンドボール日本代表キャプテン・永島英明さんです。7月29日公開!

 

編集協力/設楽幸生

インタビュアー/小松 成美 Narumi Komatsu
第一線で活躍するノンフィクション作家。広告会社、放送局勤務などを経たのち、作家に転身。真摯な取材、磨き抜かれた文章には定評があり、数多くの人物ルポルタージュ、スポーツノンフィクション、インタビュー、エッセイ・コラム、小説を執筆。現在では、テレビ番組のコメンテーターや講演など多岐にわたり活躍中。

インタビュアー/東 俊介 Shunsuke Azuma
元ハンドボール日本代表主将。引退後はスポーツマネジメントを学び、日本ハンドボールリーグマーケティング部の初代部長に就任。アスリート、経営者、アカデミアなどの豊富な人脈を活かし、現在は複数の企業の事業開発を兼務。企業におけるスポーツ事業のコンサルティングも行っている。

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