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田中琴乃 / Tanaka Kotono   元新体操選手|現在:

新体操の価値を高める 元新体操団体日本代表キャプテン・田中琴乃(後編)

Profile

 

田中琴乃(たなか・ことの)
1991年大分県生まれ。五歳のときに両親の勧めで新体操を始める。小学六年生で大分県大会優勝、九州小学生大会で三位に入り、本格的に新体操に取り組む。2006年、中学三年生でブルガリア・バルナ国際でジュニア個人総合二位、全日本ジュニア選手権個人総合・団体優勝という成績を残し、新体操ナショナル選抜団体チーム(フェアリー ジャパンPOLA)に加入。十五歳から親元を離れ、フェアリー ジャパンPOLA の一員として東京で食事は自炊、一日約八時間を週六回と練習漬けの共同生活を送った。2008年北京大会でオリンピック初出場。総合十位。2009年世界選手権終了後、ロンドンオリンピックを目指し、一新されたチームのキャプテンに任命され、二大会連続での出場・六位入賞に貢献。2013年4月に開催されたユニバーシアード予選大会での四位入賞を最後に現役を引退。その後、株式会社ポーラに入社。社業と並行し、フェアリー ジャパン POLA美容コーチとしても活躍し、現役選手のサポートを行った。2017年11月に株式会社ポーラを退社。現在は、新体操日本代表フェアリー ジャパンPOLA アドバイザーや日本体操協会アスリート委員会、日本スポーツ振興センター スポーツJAPANアンバサダー、日本ボッチャ協会ボッチャキャラバンアンバサダーなどの立場で、新体操競技の普及振興、スポーツの素晴らしさを伝える活動をしている。

東:
様々なアスリートの現役を終えた“その後の人生”に迫るインタビュー連載“表彰台の降り方。〜その後のメダリスト100〜”。元新体操団体日本代表キャプテン・田中琴乃さんへのインタビューもいよいよ後編となりました。

小松:
最終回となる今回は、次回は選手時代の経験がどのように“その後の人生”に活きているのかについてお話を伺っていきたいと思います。

 “その後”を見据える

東:
さて、今回は現役引退後のお話から伺ってまいります。田中さんは2013年の10月、日本女子体育大学三年生の時にフェアリー ジャパンを退団されていますが、まだまだ若く、日本代表で競技を続けようと思えば続けられたのではないかと思うのですが、なぜ、このタイミングだったのでしょうか?

田中:
新卒で就職することを考えていました。私は高校二年生で2008年の北京大会、大学三年生の時に2012年のロンドン大会に出場しました。大学三年生のロンドンオリンピックを終えて、新体操の日本代表チーム フェアリー ジャパン POLAを離れて大学に戻り、大学四年生で部活を引退しています。大学に戻って卒業までの約一年半は、新体操の個人選手として活動し、学業と部活動を両立し、必要な単位を取得して、空き時間には就職活動をしていました。

小松:
大学卒業後には、競技を続けようとは考えていなかったのでしょうか?

田中:
もちろん新体操は大好きだったのですが、中学生の頃から将来は一般企業で働きたいと思っていました。ご存知の通り、新体操はトップ選手になったとしてもそれだけで生活をしていける競技ではありません。小学生の頃から母親に「あなたはオリンピックが終わって、現役を引退した後、何になりたいの?」と言われていたこともあって、常に引退後のことを考えながら競技に取り組んでいたので、このタイミングで選手としてのキャリアを終えることに迷いはありませんでした。

東:
そんなに小さな頃からお母様に引退した後の人生について考えるように言われていたのですね。

田中:
毎年「将来何になりたいか?」をカレンダーに記入するように言われていて、ある年はCA、ある年は秘書になりたいとか書いていました。

小松:
将来の夢を文字にすることで、具体的な目標になさっていたのですね。

田中:
そうなんです。年齢を重ねるにつれて、CAであれば英語、秘書であれば秘書になるための能力が必要だと分かりますので、それを身につけるために、本を読んだり、勉強をしたりしていましたけれど、最終的には競技生活の中でお世話になった化粧品に携わる仕事がしたいと思い、株式会社ポーラ(以下、POLA)の採用試験を受験することにしました。

東:
なりたいものになるためには、“なりたい”とただ思っているだけではなれず、なるための“能力”が必要で、“能力”を身につけるには“努力”が必要ですものね。

小松:
競技を終えた後を見据えたうえでのお母様の教育方針、素晴らしいですね。

田中:
正直、初めは新体操選手以外の将来の目標を聞かれてもあまりに現実的すぎて、聞く耳を持てなかったのですが、それでも根気強く言い続けてくれたので、少しずつ引退後の人生の目標を考えることが出来るようになりました。

東:
その中で、現役時代の大切な試合の時に緊張を解きほぐしてくれたり、“オン”と“オフ”の切り替えをさせてくれた“メイク”に関わる仕事をしたいとPOLAを志望なさったわけですね。

田中:
タイミングもよかったと思います。オリンピックを目指すトップアスリートは四年のサイクルで競技生活を考えることが多いと思うのですが、私の場合は大学三年生で二度目のオリンピックが終わったので、その後、集中的に大学に通えば、卒業に必要な単位を取得出来るタイミングだったんです。そこで、日本代表選手としての活動には一区切りをつけて、大学の新体操部に所属しながら、一日最大で七コマ(一コマは90分)の授業に毎日のように出席していました。

小松:
三、四年生で毎日のように七コマの授業に出席しながら、大学の新体操部の練習と就職活動を両立なさっていたのですか!

東:
なぜ、多忙を極めている中で、日本代表としての選手生活には一区切りをつけたにも関わらず大学の新体操部での活動は継続なさったのでしょうか?

田中:
日本女子体育大学には新体操選手として入学させていただいたので、四年生まで活動するのが義務だと思っていたんです。ただ、新体操部からは団体競技の一員として活動してほしいとのオファーをいただいたのですが、私の中では選手としては一区切りついている状態でしたので、モチベーションの部分で他のメンバーに迷惑がかかってしまうと思い、個人で活動させてくださいとお願いしました。

小松:
誘っていただいた大学への恩返しのためにも、自らがチームにとって最も貢献出来る形を考えて行動なさったのですね。

田中:
はい。ロンドンオリンピック(三年生前期)まではフェアリー ジャパンPOLAとしての活動が主で、大学の新体操部にはほとんど顔を出せていませんでしたので。2013年4月に開催されたユニバーシアード予選大会での四位入賞を最後に現役を引退するまでは、個人競技の選手として部に所属し練習を行っていました。その他に、指導者を目指している学生の皆さんに、世界トップクラスの強豪国であるロシアで学んできた技術をお伝えしたり、休日を利用して東京オリンピックの招致活動に参加したりしていました。

東:
選手としての結果を残すだけではなく、北京大会終了後、ロンドン大会を目指す中で、のべ三年間に渡りロシアに滞在して練習していた時に現地で学んできた世界最高峰の技術を指導者を志す学生に伝えたのちに引退されたわけですね。

小松:
大学のみならず、新体操界にとって大変貴重な財産を残されたと思います。

 競技と仕事の“出来る”は違う

東:
POLAへは、特に勧誘や推薦があったわけではなく、一般の学生とともに通常の採用試験を受けられたそうですね。

田中:
はい。通常通りに採用試験を受験し、四度の面接を経て、内定をいただきました。

小松:
田中さんはオリンピアンですし、新体操競技とPOLAとは密接な関係にあったと思うのですが、何も優遇されることが無かったのでしょうか?

田中:
全くありませんでした。履歴書を見たら名前や競技歴なども書いているので知って頂けてはいるのですが…。メダリストのように知名度が高ければ別なのかも知れませんが、オリンピックに出場したからといって「是非、ウチの会社に入社してください!」とはならないのが現実ですね。

東:
おっしゃる通りで、厳しい言い方にはなりますが、オリンピアンだから仕事が出来るとは限らないですから。POLAであれば、“メイクの力を活かして、世界の舞台で戦える競技力”ではなく、“メイクの力を世間に広く伝え、商品を開発したり、広報したり、販売する力”が求められるわけで、この二つは全く別の能力ですものね。

田中:
そうですね。“新体操の競技力”の価値については、以前から母に「どうやって生活していくのか?」という観点で考える機会を与えられてきました。競技を終えた後のことを考えながら、練習に取り組んだ結果、フェアリー ジャパン POLAの一員としてオリンピックに出場することが出来た時に、改めて自分の“出来ること”と“やりたいこと”と“社会に求められていること”を実現出来る仕事を考えた結果、POLAで働きたいと思い、採用試験を受験することを決めたんです。

小松:
自分に“出来ること”と“やりたいこと”と“社会に求められていること”を満たせるお仕事に巡り合えたわけですね。

東:
この三つの要素が最初から完璧でなくともいいと思いますが、ある程度のレベルまで揃っていなければ、対価を得られる“仕事”にはならないですよね。中でも最も重要なのは“社会に求められていること”だと思いますが、往々にして競技生活を終えたアスリートが次のキャリアに進む時には“出来ること”と“やりたいこと”を仕事にすることにこだわって、“社会に求められていること”という視点が抜け落ちてしまいがちな印象があります。

小松:
社会に求められている=マーケットのニーズがある、ということですね。

東:
マーケットのニーズがないことはなかなかビジネスには出来ませんが、アスリートのセカンドキャリアにおける問題の本質は、多くのアスリートの“出来ること”や“やりたいこと”、例えば競技の指導や普及などが、生活していくのに十分な対価を得られる仕事になりづらいという部分にあるのかも知れませんね。

 ベストを尽くしたうえで、頼る

東:
田中さんは大学を卒業後、POLAへ入社なさったわけですが、社会人生活を送る中で何か困ったり、戸惑ったことなどがあればお教えいただけますか?

田中:
弱音の吐き方が分からないというのが辛かったですね。辛いとか出来ないと言ったらすぐに外されてしまう厳しい椅子取りゲームのような世界で生きてきたので、自分一人の力では出来ないレベルの仕事でも何とか自分だけでやろうと一人で抱え込んでしまって、結局出来なくて迷惑をかけてしまったり。

小松:
その感覚は、長い年月を経て脳と身体に染み込んでいるのでしょうから、辛いでしょうね。

東:
競技の中で「出来ません」と素直に言えない環境で育ってきたアスリートは、仕事を進めるうえで苦労することも多いように感じます。社会人にとっては、まだ能力が不足していたり、時間が足りなかったりする時に周りにサポートをお願いすることは普通のことですし、一人で必死に頑張ったとしても、期限までに仕事を終えられなかったり、求められるクオリティに達していないアウトプットになってしまえば、最終的には会社や周りの同僚に迷惑をかけることになります。場面に応じて「出来ません」や「助けてください」の一言が言えるようになるというのは、アスリートが仕事をする上で乗り越えなくてはいけない壁の一つなのかも知れませんね。

田中:
自分一人で仕事をしているわけじゃないと理解することが大切ですよね。自分の「やりたい」ではなくて、仕事のレベルや締切などの全体像を把握して、どうすれば自分のチームや会社にとってベストな仕事が出来るのかを考えて、自らが全力を尽くすことは当然ながら、頼るべきところは頼ることが大切なのだと思います。

小松:
個々が己のベストを尽くしながら、全体のパフォーマンスが最も発揮出来る状態をつくりあげるという意味では、フェアリー ジャパン POLAのキャプテンを務めてこられたご経験が活かされたのではないですか?

田中:
そうですね、目標を達成するためにチームが一つになるためにはどういうアプローチを取ればいいのか考え、行動してきた経験は仕事にも活きていると思います。

東:
団体競技を経験してきたアスリート、特にキャプテン経験者の持つ強みですよね。

田中:
また、POLAでは「困ったことがあったら何でも頼ってくれていいから一人で抱え込まないでね」と言ってくれる先輩がいたことにも助けられました。「自分一人で全てやらなくても、助けてくれる人がいるんだ」と思い、心がすっと楽になって、安心して頼ることが出来るようになりました。

小松:
一般社会では普通の言葉ですが、世界の頂きを目指し、限られた席をめぐって競い合ってきたトップアスリートの世界ではなかなか出会えない言葉だったのかも知れませんね。

田中:
もちろん、単に優しいだけではなく、世間知らずの私に社会のマナーやルールを教えて下さったり、ダメな時にはビシッと言って下さったりもして。最初は「どうして新体操のコーチにならずにこの世界に入ったの?」と不思議がられていたのですが、一緒に仕事をしていく中で、「POLAに入ってくれてありがとう」と言ってくださって。

東:
素敵な先輩にも恵まれたのですね。

田中:
女性としても常に綺麗で、本当に憧れの先輩でした。私と同じくらいのタイミングでPOLAを退職なさったので、離れ離れになってしまって少々寂しいのですが、今でも連絡を取り合っています。

小松:
きっと、一生続くご縁なのでしょうね。
さて、それでは、改めて現在の田中さんの活動を“その後のメダリスト100キャリアシフト図”に当てはめますと、フェアリー ジャパン POLAの美容コーチが「A」の領域、日本体操協会のアスリート委員会のお仕事が「B」の領域、メディア出演や講演活動などが「C」の領域、解説者などのお仕事が「D」の領域と、全ての領域でお仕事をなさっていることが分かりますね。

注1)親会社勤務とはいわゆる企業スポーツである実業団チームで自らが所属していた企業で一般従業員として勤務していること
注2)親会社指導者とはいわゆる企業スポーツである実業団チームで自らが所属していた企業の指導者を務めていること
注3)プロパフォーマーとはフィギュアスケート選手がアイスダンスパフォーマーになったり、体操選手がシルク・ドゥ・ソレイユのパフォーマーとして活動していること
注4)親会社以外勤務とは自らが所属していた実業団チームを所有している企業以外で一般従業員として勤務していること

東:
今後はご自身の経験を活かして、新体操選手のみならず、一般の方々がより美しくなるためのお仕事にもご活躍の場を広げていかれるのではないでしょうか?

 2020に向けて

小松:
いよいよ来年2020年には東京でオリンピック・パラリンピックが開催されますが、今後はどのような活動をしていこうとお考えですか?

田中:
明確にこれを成し遂げたいという強い思いがあるものはまだ持てていませんが、引き続き新体操の普及活動や、スポーツを通じて体を動かすことの大切さを伝えていきたいですし、新体操のトレーニングメソッドを美しい姿勢づくりや美容に活かした体操をより多くの人に広めていきたいとも考えています。また、それらの活動によって、もっともっと新体操の価値を高めて、メジャーなスポーツにしていきたいです。

東:
自らがお世話になった競技の価値を高めるために、より幅広い方々に価値を感じてもらえるような角度で競技特性を活かすこということですね。僕もお世話になったハンドボールの価値を高めて恩返しをしたいと考えていますので、本日は本当にたくさんの気づきを与えていただきました。
それでは、最後のお願いになりますが、新体操という競技名を使わないで自己紹介をしてください。新体操を除いた田中琴乃さんはどんな方なのでしょう?

田中:
競技名を使わないで、ですか・・・難しいですね。
私は体を動かすのが大好きで、曲が流れていたり何かモノがあると、心から笑って自己表現ができる人間です。

小松:
心から笑って自己表現が出来ること、とっても素敵です!

東:
本日はありがとうございました。

田中:
ありがとうございました。
(おわり)

 

編集協力/設楽幸生

インタビュアー/小松 成美 Narumi Komatsu
第一線で活躍するノンフィクション作家。広告会社、放送局勤務などを経たのち、作家に転身。真摯な取材、磨き抜かれた文章には定評があり、数多くの人物ルポルタージュ、スポーツノンフィクション、インタビュー、エッセイ・コラム、小説を執筆。現在では、テレビ番組のコメンテーターや講演など多岐にわたり活躍中。

インタビュアー/東 俊介 Shunsuke Azuma
元ハンドボール日本代表主将。引退後はスポーツマネジメントを学び、日本ハンドボールリーグマーケティング部の初代部長に就任。アスリート、経営者、アカデミアなどの豊富な人脈を活かし、現在は複数の企業の事業開発を兼務。企業におけるスポーツ事業のコンサルティングも行っている。

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