Career shift

上原大祐 / Uehara Daisuke   元パラアイスホッケー選手|現在:

周囲の人の「スペシャルな部分」を知れば社会は変わる 元パラアイスホッケー日本代表・上原大祐(後編)

Profile

 

上原大祐(うえはら・だいすけ)
1981年長野県生まれの元日本代表パラアイスホッケープレーヤー。トリノ、バンクーバー、平昌の3大会パラリンピックに出場し、2010年バンクーバーパラリンピックでは、準決勝のカナダ戦で決勝ゴールを決め、銀メダル獲得に貢献。
引退後はNPO法人D-SHiPS32を立ち上げ、大好きな子供達にスポーツを届けたり、自分が嫌だと思った事を次世代に残さないように商品開発などのアドバイザーとしても活動をしている。また、選手として支えられてた側から支える側として活動したく、HEROsアンバサダーや各地で新しい取り組みに力を入れている。

 初めての社会人

東:
今回は上原さんのパラアイスホッケー選手以外の部分についてもお話を伺わせてください。初めて就職なさったのは、「グラクソ・スミスクライン」とのことですが、どのような企業なのでしょうか?

上原:
グラクソ・スミスクラインは主に医療用医薬品の研究開発から輸入、製造、販売をおこなっている製薬会社で、馴染み深いところでは総合風邪薬・コンタックなども扱っています。2006年、トリノパラリンピックが終了してから1週間後に24歳で入社しました。

東:
イギリス・ロンドンに本社を構える世界有数の大企業ですよね。いわゆる普通の就職活動をなさった結果なのでしょうか?

上原:
はい、いわゆる普通の就職活動をしました(笑)。当初、私は特定の業界や企業ではなく“営業”という“職”にしか興味がなく、ありとあらゆる企業に対して「とにかく営業をさせてください!」とお願いしていました。当然、「車椅子で営業は無理です」と言われ、何十社も落ちていたのですが、グラクソ・スミスクラインだけが「面白いね」と言ってくださり、採用に至ったんです。面接時に「御社から製薬業界初の車椅子の営業がでますね」なんて話していたのですが、採用が決まった後に、「営業ではなく、人事に興味はありませんか?」と言われて。「薬を会社に売るのが営業、会社をドクターや学生に売るのが人事。営業も人事もそういう部分では似ているよ」と話をされて、なるほどなあと。

東:
逆に人事という職業をプレゼンされたんですね!人事での仕事はいかがでしたか?

上原:
それがものすごく楽しくて。営業より向いていたのかも知れませんね。

小松:
グラクソ・スミスクラインでの仕事内容を具体的にお教えいただけますか。

上原:
はい、人事部で新卒にも関わらず新卒採用を担当していました(笑)。業務内容は全国の大学や東京ビックサイトなどで開催される就職フェスでのプレゼンや面接、内定者の対応、インターンシップに参加している学生へのプログラム提供などで、アメリカに留学する2012年まで続けていました。

小松:
バンクーバーでの銀メダルを経て、ソチで更なる高みを目指すために再びアメリカへ。会社は許してくれたのでしょうか?

上原:
当然、許してもらえるとは思っていなかったので辞表を提出したのですが、社長が「いいよ大祐、休職して行って来なよ」って言ってくれたんです。
実はこの時アメリカへ行った目的は、アスリートとして競技力を向上させることだけではなく、子どもたちが自由にスポーツを楽しめる環境をつくるための方策を学ぶためだったんです。
2004年に渡米した時、アメリカには障害の有無に関係無く小さな頃から様々なスポーツに触れ合える環境があることを目の当たりにして、この環境を日本にもつくりたいと思って。同じアメリカでも、2004年はシカゴで世界一のチームで世界一の選手と、2012年はフィラデルフィアで障害のある子どもたちと一緒にホッケーをしていました。

東:
フィラデルフィアでの生活はいかがでしたか?

上原:
住む家も決まっていないのに渡米して、ホッケーの用具や生活用品の入った60キロくらいの荷物を持ってさまよった末に何とかホームステイ先を見つけたり、その後、紆余曲折を経て一人暮らしをしたりしていたら、世界中の様々な国に友達が出来ました。今なら世界のどこに行ってもホームステイ先には困らないんじゃないですかね(笑)。

小松:
探していたものは見つけられたのでしょうか。

上原:
そうですね。2004年にアメリカで障害のある子どもたちがスポーツに触れ合う姿を見て、日本でもこんな環境をつくりたい!と思ってから10年目の2014年。2006年に就職して、初めて自分で稼いだお金で障害のある子どもたちにホッケーを体験させる活動を個人として続けてきたのですが、フィラデルフィアから帰国して、これらの活動を進めるためのNPO法人を立ち上げることにしました。

小松:
それが、NPO法人D-SHiPS32(ディーシップスミニ)ですね。

上原:
はい。このNPOでは障害者と健常者が時間を共有することで、誰もが挑戦できる社会づくりを目指しているんですが、活動を進めていく中で子ども達と関わることが増えていきました。そんな中、出会った子ども達に「大祐さんのことを最近知ったから、氷の上でプレーしている姿を見たことがない、見たかったなあ」って言われたんです。

小松:
様々な経緯で協会と決別し、競技からも離れていた上原さんが、なぜ2018年の平昌パラリンピック予選の時に復帰したのかと不思議に思っていましたが、子ども達に自分の氷上での姿を見せるためにもう一度ユニフォームを着たということだったのですね。

 子どもたちに自分の背中を見せたい

上原:
はい、そうなんです。その後、子ども達には内緒で復帰して、それがメディアで報じられた時に「子どもがとても喜んでいる」というご連絡を多くの親御さんからいただきました。障害があっても出来るんだよ!ということを自らの行動で、子どもたちに挑戦する背中を見せることで伝えることが出来て、改めて復帰してよかったなと思いました。

東:
協会の反応はどうでしたか? 現役復帰にあたって、揉めたりはしなかったのでしょうか?

上原:
実は、アメリカ留学から帰国した際に、協会から2014年のソチパラリンピックに向けて「やっぱり戻って来てほしい」という連絡があったんです。もちろん最初は素直には受け入れられませんでしたが、諸々の経緯を含めて会社に相談したところ「もう一度代表に復帰して頑張ってみたら」と言ってくださったので。ですから、協会に頼まれたから、が理由ではなく、私の活躍を楽しみにしている子どもたちとお世話になっている会社のために復帰したというのが事実です。ブランクもありましたし、チームの中でコミュニケーションを取る際にも色々とありましたが、人生の節々で「○○を辞めて今日からは○○だ!」という瞬間を何度も経験してきているので、いい意味で割り切りながら取り組んでいました。

東:
強いですが、少し切ない強さですね。

 2021年がスタートだ

小松:
来年、2020年はいよいよ東京オリンピック・パラリンピックが開催されますね。千載一遇の機会になりますが、何かアクションを起こそうと考えていらっしゃいますか?

上原:
多くのみなさんが2020年を「ゴール」だと思っていますが、私はその後にスタートする“アフター2020”を充実させるための準備期間だと思っています。いかにここでしっかりとした準備をして、2021年をスタートできるかが今後の日本にとって非常に重要なポイントだと考えています。

小松:
それは具体的にはどのようなことですか+?

上原:
スポーツにまつわる環境についてもそうですが、障害者の方々が暮らしやすい世の中にするというバリアフリー環境の改善についてです。先日話題になったジャパンタクシーの問題も典型的だと思います。

小松:
ジャパンタクシーについては、多くの方が問題視していますね。

上原:
はい、障害者が乗りやすいようにと設計されたはずなのに、スロープを出すなどかなり多くの工程が必要で、タクシーを止めてから乗車するまでに15分から20分も待たなくてはいけないですし、スロープが横から出てくるので、東京のように狭い道が多い都市だと、その間後ろの車にも待っていただく必要があり、多くの方々に迷惑がかかるんです。つまり、普段から「すみません、すみません」と言いながら生きている障害者の方々に、さらに「すみません、すみません」と言わなくてはならない機会を作っているようなものなんです。本来、減らさなくてはいけないのに、増やしてしまっているんですよ。

東:
ジャパンタクシーの問題は、当事者である障害者の意見をきちんと聞かずにモノを作ってしまうという日本の悪しき習慣があらわれた例だと思います。なぜ日本では、このような事態になってしまうのでしょうか。

上原:
様々な要因があるのですが、日本における“ユニバーサルデザイン”が、健常者が健常者の目線で想像してつくりあげた基準の項目でチェックされているからだと思います。みなさん「障害者団体にヒアリングして作りました」なんて言うのですが、障害者団体も高齢化してきて、例えばスポーツのイベントなんて行ったことのない障害者団体のメンバーに聞いて「よくわからないけど、多分こうなんじゃない?」という意見を聞いても、全然当事者目線にはならないですよね。つまり、車椅子に乗っている人のファンタジーと、健常者のファンタジーでつくられているんです。だからダメなんです。

小松:
それこそ上原さんが課題を見出し、解決方法を考えて対価をもらうということをやればいいと思いますが、いかがでしょうか。

上原:
はい、それについては、東さんも理事を務めている世界ゆるスポーツ協会の代表でもある澤田智洋さんと一緒に「一般社団法人障害攻略課」で活動していて、国土交通省へ意見陳述へ行ったりもしています。

東:
上原さんと澤田さん、最高のコンビですよね!さて、スポーツを取り巻く環境に目を向けると、2020年にオリパラが終わった後、それまでアスリートを雇用していた企業が雇用契約を打ち切るということも増えてくるのではないかと思います。

上原:
おそらく増えていくでしょうね。オリパラが終われば、そこまでスポーツやアスリートを盛り上げ、サポートする必要がなくなりますから。私もNECと契約社員として契約しているのですが、雇用形態によってはリストラされてしまう可能性も否定出来ませんよね。

東:
当事者であるアスリート本人が己の強みを見出して、オリパラ終了後にも何かしらの価値を企業に提示できればいいですが、企業にとって「地元のパラリンピックに出場するから広告価値がある」という立ち位置だけでは、終わったら価値がなくなってしまいますよね。

上原:
本当にそうですね。

 自分と周囲の人の「スペシャルな部分」を知ること

小松:
2020年が「ゴール」なのではなく、2021年が「スタート」だというお話が印象的でしたが、2021年からどんな社会にしていかなければいけないと思いますか?

上原:
ひとまず、東京オリパラが終われば一旦スポーツやアスリートへの熱が冷めますよね。その熱が冷めることを選手たちに理解してもらった上で、熱が冷めた時のために今から動きましょうということを2020年までに啓蒙していく必要があると思います。

東:
どのように動いていけばよいと思われますか?

上原:
まずは選手たち個人個人が自らの強みを理解することが大切だと思います。パラスポーツはオフスポーツとかオンスポーツとも呼ばれるのですが、パラアイスホッケーであれば、脚は「オフ」ですが、腕がめちゃめちゃ「オン」なんです。パラスポーツの原点は「オフ」の部分を受け入れた上で、「オン」の部分をどう活かしていくかということなのですが、競技以外でも自分の「オン」がどこなのかということを考えることが大切なんです。

小松:
自らの「オン」と「オフ」を理解することが重要なんですね。

上原:
はい。それと、日本においてはチームワークの良い強いチームをつくるためには、長い時間同じ環境で一緒の時間を過ごし、同じ考えを持つことが大切だという風潮がありますが、私は違うのではないかと考えています。というのも、ジェネラリストで作るジェネラルチームよりも、スペシャリストで作るジェネラルチームのほうが強いと思っているんです。スペシャリストとは、自らの強みを持ち、それを知っているということであり、また、周りの人の「スペシャルな部分」をちゃんと理解出来ているということなんですよ。

東:
なるほど、興味深い話ですね。

上原:
自分だけではなく周りのことも理解して、お互いにいい部分を使い合う。そんな、スペシャリストで作るジェネラルチームが強いということを理解して、一人ひとりがスペシャルな部分を持っているという自覚を持ち、それらをマッチング出来ると、色々なものがもっと上手く動き始めるのではないかと。

小松:
今はどうですか?

上原:
全然。まだまだ足りないですね。

東:
上原さん、現在は何をしている時が一番楽しいですか?

上原:
子どもたちと戯れている時ですね。あとは新しいものを生み出している時。障害者は不便を文句で届けてしまいがちなのですが、私はできれば不便をアイデアで届けたいなって思っています。

東:
不便をアイデアで届ける。素敵な言葉ですね。

上原:
私の軸となっている活動は「子ども」ですが、社会を変えないと子どもがハッピーにならないのであれば、軸は「子ども」であって、変えるべきなのは「社会」なんですよ。子どもを変えるわけではないんです。だから企業や行政の力を使って、働きかけをしているんです。

小松:
そんな社会が2021年からスタートできるよう、私も力になります。

上原:
あとは、私が小さい頃に「嫌だな」と思っていたことを今の子どもたちに感じさせることほど無駄なことはないと思っているので、当時の私の「嫌だな」を解決して、次は今の子どもたちが成長した時に、自分が感じた「嫌だな」を次の世代の子どもたちに感じさせないような社会を作っていければと思っています。

東:
そんな風にどんどんみんなの「嫌だな」をなくしていければ、とても素晴らしい社会になりますよね。上原さんの今後の活動がますます楽しみになりました。

小松:
さて、改めて上原さんの活動を“その後のメダリスト100 キャリアシフト図”に当てはめると、“B”の領域であるNECオリンピック・パラリンピック推進本部でのパラスポーツ推進活動や障害者向け商品のアドバイザーと、パラアイスホッケーチーム・東京アイスバーンズで実施しているパラアイスホッケーに触れてもらうための「スポーツキッズキャンプ」があり、“C”の領域では船長(代表)を務めるNPO法人D-SHiPS32(ディーシップスミニ) での障害をもつ子供のサポートや講演、一般社団法人障害攻略課の活動などでもご活躍なさっていますが、社会課題の解決への情熱も感じますので、政治家への転身も考えられるのではないかと感じました。

東:
分かります!ルックスがよく、様々な分野の知識がある上に、弁もたちますので、コメンテーターなどのお仕事も向いているように思います。“D”の領域にも進出していけるのではないでしょうか。

小松:
今後、ますます活動の幅を広げられていきそうで、楽しみです。

注1)親会社勤務とはいわゆる企業スポーツである実業団チームで自らが所属していた企業で一般従業員として勤務していること
注2)親会社指導者とはいわゆる企業スポーツである実業団チームで自らが所属していた企業の指導者を務めていること
注3)プロパフォーマーとはフィギュアスケート選手がアイスダンスパフォーマーになったり、体操選手がシルク・ドゥ・ソレイユのパフォーマーとして活動していること
注4)親会社以外勤務とは自らが所属していた実業団チームを所有している企業以外で一般従業員として勤務していること

東:
さて、それでは最後に、競技の名前をつかわずに、自己紹介をしていただけますでしょうか。

上原:
今の自分は、社会起業家・上原大祐、ですかね。

小松:
どんな問題を解決する社会起業家ですか?

上原:
私が感じた「嫌だな」という課題を解決する社会起業家です。

小松:
素晴らしいですね!お忙しい中ありがとうございました。

上原:
ありがとうございました!
(おわり)

次回は、元ボブスレートリノ&バンクーバーオリンピック代表・桧野真奈美さんです。3月25日公開!

 

編集協力/設楽幸生

インタビュアー/小松 成美 Narumi Komatsu
第一線で活躍するノンフィクション作家。広告会社、放送局勤務などを経たのち、作家に転身。真摯な取材、磨き抜かれた文章には定評があり、数多くの人物ルポルタージュ、スポーツノンフィクション、インタビュー、エッセイ・コラム、小説を執筆。現在では、テレビ番組のコメンテーターや講演など多岐にわたり活躍中。

インタビュアー/東 俊介 Shunsuke Azuma
元ハンドボール日本代表主将。引退後はスポーツマネジメントを学び、日本ハンドボールリーグマーケティング部の初代部長に就任。アスリート、経営者、アカデミアなどの豊富な人脈を活かし、現在は複数の企業の事業開発を兼務。企業におけるスポーツ事業のコンサルティングも行っている。

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