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2025.02.20
“ピッチ以外”でも貢献できる選手に。大分MF町田也真人が重要視する、長く現役を続けるために必要な社会性
結果が全てのプロの世界。
攻撃的なサッカー選手であれば、得点に絡み続けなければ、いずれ第一線から振り落とされてしまいます。
今回お話を伺ったのは、Jリーグ・大分トリニータの町田也真人選手。
プロ9年目を迎えた町田選手は、昨シーズン、自身のキャリアで初めてJ1という国内最高峰の舞台に挑戦し、課題と手応えの入り混じった1年を過ごしました。
そして今季からは、掴んだ手応えを確かなものにするために、大分トリニータに活躍の場を求めて挑戦を続けています。
そんな町田選手は、
「プロサッカー選手として結果を出し、長く現役を続けるために重要なことがある」と話します。
その重要なこととは一体何なのか。
ご自身のサッカー人生を振り返ってもらいながら、プロとして生き続けるための秘訣を聞きました。
Profile
町田 也真人(まちだ やまと)1989年12月19日生まれ
埼玉県出身のプロサッカー選手。埼玉栄高校では、同校史上初の全国高校サッカー選手権出場を達成。専修大学に進学後は主にトップ下として活躍し、4年時には中心選手として関東大学サッカーリーグ戦1部および全日本大学サッカー選手権での優勝を果たした。2012年にはジェフユナイテッド千葉に入団。3年目より出場機会を増やし、2015年より背番号を14に変更。2016年には主力に定着し、11得点を挙げチーム得点王となった。2017年より背番号を10に変更し、副キャプテンに就任。引き続き主力として6得点8アシストの活躍を挙げた。その後、2019年には松本山雅FCへ完全移籍し、初のJ1の舞台を経験。2020年からは大分トリニータに活躍の舞台を移し、さらなる飛躍を期す。
INDEX
サッカーに対する意識を変えた、埼玉栄高での“ある出会い”

―― サッカーを始めたきっかけを教えてください。
父がサッカーの指導者をしていたので、小さい頃から当たり前のようにボールで遊んでいました。
幼稚園でも、休み時間にはサッカーをして遊ぶことが多く、その時に友達に誘ってもらったことがきっかけで、サッカーチームに入りました。
小学1年生からは、チーム活動とは別にサッカースクールにも通うようになり、徐々にサッカー漬けの生活を送るようになっていったんです。
小学3年時にはチームを辞めてサッカー少年団に入部し、さらに小学6年時には、僕の地元である埼玉県浦和市の選抜チーム・FC浦和に入ることができました。
その後、埼玉県南部選抜、そして埼玉県選抜にも入ることができたのですが、その上の関東選抜には落選してしまって…。
そこで初めてトップ選手とのレベルの差を痛感しましたね。
小学校卒業後は、浦和レッズのジュニアユースのセレクションで不合格になってしまったので、地元の中学校に進学しました。
その後も中体連の県選抜に選んでもらってはいましたが、クラブ選抜とは実力に雲泥の差がありましたので、同選抜と戦う時は「怖いなぁ」と思いながら試合を迎えていましたね。
―― その頃からプロを目指されていたのですか?
もちろん目指してはいましたが、その頃はまだ「プロとして生きていく」という具体的なイメージを持つことはできていませんでした。
選抜チームに選んでいただいても、練習についていくだけで精一杯でしたから。
その中で、僕のサッカー人生で大きなターニングポイントとなったのが、埼玉栄高校での“ある出来事”です。
僕は中学卒業後、各県から良い選手が集まる、と聞かされて同校への進学を決めたのですが、入ってみたら県選抜に選ばれていた選手もいないし、他の地域の選抜でも見たことがない選手ばかり。
はじめは不安でしたが、実際に一緒にプレーしてみると、みんな本当に上手くて驚きました。
特に衝撃を受けたのは、沖縄出身のある選手です。
彼は“沖縄の最高傑作”を言われるほどの逸材で、当時からナショナルトレセン(日本のユース選手たちの強化育成の場)にも参加していました。
「どうやっても勝てないな」と思った僕は、ポジションをトップ下からボランチに転向することを決意したんです。
この決断はその後の競技人生にとって大きかったですし、彼からはプレーだけじゃなく、サッカー以外の生活面からも学ぶことが多かったです。
それ以降、周りを見渡す、広い視野を持つことを意識するようになったので、この出会いは選手としても、人としても成長した一つの転機だったと思います。
プロ入りを後押しした採用選考を受けた企業からの言葉

―― 沖縄出身の選手との出会いが、町田選手の今を形作っていったのですね。プロが現実味を帯びてきたのは、いつ頃ですか?
大学4年生の頃ですね。
僕は高校卒業後、専修大学に進学したのですが、学年が上がるにつれて先輩たちがどんどんプロになっていって。
大学2〜3年の頃から「プロになるの、いいなぁ」と思い始めました。
そして最終学年の夏に、プロになることへの意識が高まったんです。
というのも、一つ上にはすごい先輩方がいたのですが、その世代が卒業して、僕らが中心となって臨んだ関東大学サッカーリーグ1部の前期はあまり良い結果を残せませんでした。
でも後期から徐々にチームとして一つになっていって、一気に順位を上げることができ、最終的に優勝することができたんです。
それがすごく自信になり、プロを意識するようになりました。
―― それまでは就職も意識されていたのでしょうか?
Jリーガーになりたい気持ちはあっても、実際に「このままプロになれなかったら、どうするんだろうなぁ」という感じだったこともあり、就職活動もしてみたいと思い、サッカーと並行して就職活動をしていました。
―― どのような企業を受けていたのですか?
化粧品会社とブライダル企業を数社受けました。
当時は、あんまり社会のことを知らなくて、化粧品はなんとなくわかるけど、「ブライダルってなに?」みたいな(笑)。
それぐらい無知だったんです。
大学4年の春に、あるブライダル企業の面接に行ったところ、「もしもプロサッカー選手になれなかった時は、連絡しておいで」と言ってもらっていたんですが、
そんな中で、9月にジェフユナイテッド千葉からオファーをいただき、ブライダル企業の担当の方に、オファーがあったことを打ち明けました。
すると、「サッカーにチャレンジしなよ」と背中を押していただいて。
加えて「本当にダメだったら、うちに来ていいから」と。
その言葉で覚悟を決めることができて、サッカーにより打ち込めるようになりました。
本当に感謝の言葉しかありません。
評価云々ではなく、自分がやるべきことを考える

―― 2012シーズンからジェフ千葉でプレーすることになりましたが、実際にプロの世界に入ってみていかがでしたか?
正直、はじめから挫折だらけでした。
特にプロ1年目は全く歯が立たず、出場機会を得ることができなかったので、「いつになったら試合に出られるんだろうな」と思いながら過ごしていましたね。
3年目から少しずつ試合に起用してもらえるようになっても、結果が出せず、先輩から鋭い指摘があったり、サポーターからも厳しい声が少しずつ聞こえてきたりして。
必死にもがいてはいましたが、精神的にはだいぶキツかったです。
そしてプロ5年目の時に、当時監督を務められていた関塚隆さんに呼ばれました。
その頃は出場機会も与えられて、スタメンで出場していたのですが、チームが勝利から離れていたこともあって僕のポジションである「トップ下」をなくし、4-4-2のフォーメーションに変更されました。
そのためメンバーから外されることを告げられたんです。
僕は「サイドハーフでも、フォワードでもできます」と話しましたが、結果は変わらず…。
もうどうしようかなと、頭を抱えました。
―― それでも移籍することなく、2018年まではジェフで千葉に在籍されていますよね?
そうですね。
まだ契約も残っていましたし。
ただ、構想外を告げられたので、GMに他クラブへの期限付き移籍を申し出てはいたんです。
でもGMが「監督が『也真人は残してくれ』と言ってるから、チャンスはあると思うよ」と。
違和感を覚えながらもシーズン前のキャンプに臨んだのですが、やはり去年と立ち位置は変わっていませんでした。
その後も期限付き移籍の可能性も模索しましたがうまく話がまとまらず、ジェフでのチャレンジを続けました。
一度クラブを離れる決断をするとその選手は起用されなくなることが多いですから、「今シーズンも試合には出られないだろう」と覚悟はしていました。
ですが、途中から急にサブメンバーに入り、2016年の第11節にスタメンで起用してもらえたんです。
その試合で得点したことをきっかけに、それ以降レギュラーとして出場機会が増えていきました。
何故あそこで僕は使われたのか、というのは今でもわかりません。
でも、どんなプレーをしても自分の立ち位置が変わらないなら、失敗なんて怖くない、ゴールを取ることだけ意識しよう。
そういう状態で臨んでいたことが、得点に結びついた要因だったのかもしれませんね。
社会人としても、クラブから必要とされる選手に

―― 周りからの評価云々ではなく、自分が選手としてやるべきことに徹した。それによってプレッシャーや不安がなくなり、思い切りのいいプレーを引き出せたのですね。そして2019年には松本山雅FCで初めてのJ1を経験され、今シーズンからは同じくJ1で、大躍進を見せている大分トリニータに移籍します。2020シーズンの意気込みをお聞かせください。
まずは片野坂知宏監督がどのようなサッカーをするのかを体感して、早くチームにフィットしていきたいですね。
その中で、強化部長からは「うちはゴール前でのクオリティがもう一段階欲しい。
(町田は)シャドーでいろんなことができるから、そこを狙ってくれ」と言っていただいたので、最初からポジションを掴みにいきたいですね。
ライバルはたくさんいますが、ジェフ千葉を退団した時から「残りのサッカー人生、チャレンジし続けよう」と決めているので、どんな場面でもチャレンジャーとしてぶつかっていきたいと思います。
―― 町田選手は多くの挫折を味わいながらも、長い間、第一線で戦い続けています。プロとして長くいきていくために意識していることはありますか?
プレーで結果を残すことはもちろんですが、ピッチ以外での行動も意識しています。
というのも、サッカー選手として生きていくためには、技術やメンタリティ、そして自分の“個”は絶対必要です。
でも年齢を重ねていくと、クラブ側からプレー以外の面でも必要としてもらえるかどうかも重要となります。
例えば、スポンサーの方に敬意を持って接したり、ファン・サポーターの皆さんに真摯に向き合うなど、そういったことも僕は意識して行動しています。
やはりサッカーは、支えてくれる方がいてこそ成り立つものだと思っているので。
―― それはいつ頃から意識しているのですか?
試合に出始めた頃からですね。
もちろん、プロ1年目から周りに認められるよう頑張ってはいましたが、たくさんのベテラン選手の方々をと接する機会が増えるうちに、どんな選手が長く現役を続けられているのかを自分なりに考えるようになりました。
その結果、クラブにとって大事だと思えて、それプラス選手としての“個”がしっかりしているかどうか。この2点が大事だということに気づきました。
ジェフ千葉の佐藤勇人さん(昨シーズンを持って引退)しかり、松本山雅の田中隼磨さんしかり、クラブの象徴として活躍し続けている選手たちは必ずその2つが備わっている。
僕は彼らのようになりたいと、常々思っているんです。
競技以外の時間を、他のやりたいことのために使ってほしい

―― 町田選手は、2019年3月にさいたま市内にジュニアサッカースクールを開講されましたよね。近年では、現役選手がビジネスを行うことが増えてきましたが、やり始めたきっかけは?
もともと、サッカースクールはやってみたいなと思っていたんですよ。
何故なら、自分は幼少期にサッカースクールがあったおかげで技術がついたと思っているので。
それにいつか地元で恩返しをしたいとも考えていたので、昨年、スクールを立ち上げるに至りました。
―― 誰かパートナーがいるんですか?
実は、幼稚園の頃に僕をサッカーに誘ってくれた友達がパートナーなんですよ。
それがまた嬉しくて。
彼は大学卒業後からずっとスクールで働いていたので、ノウハウもあるし、技術もある。
そんな彼に頼りっぱなしですけど、彼とは「まずは浦和で1番いいスクールにしたいね」と話しています。
―― セカンドキャリアに向けても一歩を踏み出したわけですね。
はい。
ただ、今は引退後のことよりも、大分でしっかり結果を出すことを意識して取り組んでいきたいですね。
どれだけ長くサッカー選手でいられるか、ということもセカンドキャリアには繋がってくると思いますから。
―― では最後に、体育会学生に向けてアドバイスをお願いします。
とりあえず毎日をアルバイトをして過ごす人、将来に明確なビジョンを持って頑張っている人など、いろんな方がいると思います。
ただ、例えばバイトをするにしても、今だからこそ働く必要がある職場を選んでほしいし、今後に繋がる仕事を選ぶなど、将来を見据えて行動してやってほしいです。
僕は今、大学時代にもっと経営のことや社会のことを学んでおけばよかったと思うことがあります。
もちろん体育会学生のみなさんの中には、将来的にプロになるべく競技に徹している人もいるでしょう。
でも他にやりたいことがあるのであれば、練習以外にも時間はありますし、自分で時間を作ればいい。
僕の場合は、プロである以上、サッカーをしっかりやらないといけない立場ですので、空いた時間も、コンディションを考えたり、リラックスするためにテレビを見たりゲームをしたりすることもありますが、その時間が無駄な時間にならないよう、他にも本を読むなどして、少しでも社会の一員であることを意識するようにしています。
体育会の学生さんも、スポーツで学んだことを、今後の人生にどのように活かしていけるかを考えてもらえると良いのではないでしょうか。
取材後記

現在、競技以外の時間は本を読んでいるという町田選手。
「プロサッカー選手とはいえ、サッカーだけをしていれば良いわけではない。社会人として困らない程度の知識は身に付けたい」と、その理由について語っています。
プロとしてサッカーに専念し、息の長い選手になるべく、ピッチ外でもクラブに貢献していくためにも、空いた時間の有効活用を意識している町田選手が、この先、ピッチ内外でどんな活躍を見せてくれるのか。
彼の今後のキャリアに注目していきたいですね!

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町田 也真人Yamato Machida
現役プロサッカー選手
取材・文・写真/瀬川泰祐(スポーツライター)
著者Profile
瀬川 泰祐(せがわ たいすけ)
1973年生まれ。
北海道旭川市出身の編集者・ライター。スポーツ分野を中心に、多数のメディアで執筆中。「スポーツで繋がる縁を大切に」をモットーとしながら、「Beyond Sports」をテーマに取材活動を続けている。
公式サイト |
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