2017.09.15

成功に溺れず現実と向き合う。シュートボクシング・金井健治

成功の法則って、何だと思いますか。収入?豊富な人脈?それとも……

これは、普通の少年が日本チャンピオンボクサーになったお話。引退後も仕事をしながらクラブでボクシングを教え、その楽しさを広げています。

「シュートボクシングを通して幸せを感じられるんです。」
そう話す彼が成功した理由、読み進めながら見つけてみてくださいね。

Profile

金井健治(かない けんじ)1975年2月生まれ

元プロシュートボクサー。25歳でシュートボクシング選手としてプロデビュー。2008年の日本スーパーウェルター級王座決定戦に出場し、延長判定の末に勝利。第2代チャンピオンに輝く。現在はライトニングクラブの代表としてシュートボクシングや格闘技を教えながら、溶接職人としての仕事も行っている。

実はスポーツがあまり得意ではなかった学生時代

―― 幼い頃からスポーツは得意だったんですか?

いえ、スポーツは昔から何をやってもダメだったんです。

サッカーをやっては試合で負け続けるし、柔道をやっては同級生の女の子に振り回されるし(笑)

―― 本当ですか(笑)そうすると学生の頃はスポーツよりも勉強に力を?

実家が溶接事業をしているので、僕も専門学校で溶接を学んでいましたね。

とりあえず手に職を持っておきたいなって。

卒業して就職をして20歳までずっと溶接の仕事をしていました。

ゆくゆくは家業を継いで、2人の兄貴たちに一生こき使われるんだろうなぁって考えていましたね(笑)

テレビで見て胸が熱くなったシュートボクシングの世界に

―― そんな中、シュートボクシングとの出会いがあったということで……。

夜中、たまたまボクシングの試合をテレビで見ていたんです。

日本チャンピオンのタイトルマッチで、それがもう、めちゃくちゃ面白い試合で。

僕もやりたいって思っちゃったんですよね。

見ていてこんなに熱が入るんだったら、やったらもっと面白いんだろうなって。

まずジムに飛び込んでみたら、あまりに人が多くて嫌になっちゃって。

僕、人見知りなんですよ(笑)でもどうしてもやりたいから、本を読んで勉強して自宅でやっていました。

電気にぶらさがっているヒモを打ったりして。

それで、これも偶然なんですけど、一番上の兄貴がずっとシュートボクシングをやっていて、仲間と一緒にジムをつくったんです。

空いているプレハブにサンドバックを吊るして。

それを知った僕の友人が「健治もやろうよ」って誘ってきて、小さなジムだしこれなら人見知りでも大丈夫だろうって思って(笑)それがシュートボクシング人生のスタートでした。

お客さんに対して申し訳ない気持ちから真剣に練習に取り組み、遂に日本チャンピオンに

―― プロになれたのはいつ頃だったんですか?

ハタチでシュートボクシングを始めてプロになったのが25歳。

時間かかりましたね。
ずっと全然勝てなくて。

昔から何をやっても下手だったし弱かったので、やっぱり自分はそういう人間なんだってどこかでブレーキをかけていたんです。

練習でも決まったことしかやらないし、自分を追い込むことはしない。

自信が無かったんです。

なかなかプロになれないし、アマチュアの大会で優勝できなかったらもう辞めようって決めていたんです。

そうしたら決勝戦まで進んで。

でも、ちゃんと練習していないからスタミナが切れちゃって負けたんです。

ああ、これで終わりかなって考えていたら、シュートボクシング創始者の会長に「お前、もうプロになれ」って言われて。

特例でプロになりました。

僕がシュートボクシングをやめるかもしれないって勘付いたのかもしれません。

―― 会長は金井さんにやめて欲しくなかったんでしょうね。プロになってから何か変化はあったのでしょうか。

それからも大阪のトップ選手やタイの元チャンピオンと試合をしたんですが、どうしても勝てなくて。

あっという間に30歳になって……。

そのあたりからお客さんに対して申し訳ない気持ちが大きくなったんです。

ジムの人たちも時間をかけて電車で応援に来てくれるのに、負けの試合ばかり見せていて情けないなって。

やっと前向きに練習をするようになって、だんだん勝てるようになりました。

そうしてタイトルマッチを迎えて、前回は負けてしまった大阪のトップ選手と決勝であたって、次は僕が勝ったんです。

そうして32歳で初めて日本チャンピオンになりました。

シュートボクシングにはS-cup(エスカップ)っていう最高峰の試合があるんですよ。

アンディ・サワーとか、世界のトップ選手が揃っている舞台。

僕も33歳のとき一度だけ出場することができたんですが、相手選手は当時日本人エースの緒形健一(おがた けんいち)さんでした。

めちゃくちゃ強くて、気が付いたら目の前に床。

KO負けでした。

S-cupのすごさを体感した瞬間でしたね。

現役中はシュートボクサーと溶接職人の二足の草鞋

―― 貴重な経験をされたんですね。ちなみに、現役中の収入はどうされていたんですか?

ファイトマネーはあるけれど、チャンピオンですらそれだけじゃ食べていけません。

生活するための術は絶対に持っておこうって考えていたので、溶接の仕事もずっと続けてきました。

シュートボクサーかつ溶接職人です。

それと、チャンピオンになって2年後にちょっとした事情でジムを閉めることになったんです。

それをきっかけに、僕は地元の埼玉から東京に出てきました。

シュートボクシングはもちろん続けながら、最初の頃は知り合いの職人に声をかけて仕事をもらっていたんですけど、波がありすぎて生活が厳しかったので就職することにしたんです。

―― なるほど、お知り合いの方から会社の紹介などありそうですね。

いえいえ、普通に就活ですよ。

ハローワークに行きました。

マウスをカチカチ鳴らして求人を探して(笑)見つけたのが内装金物の会社でした。

溶接の経験も活かせるし、面接に行ったら採用してもらえて。

シュートボクサーをやっていることも正直に話したので、試合の日は休んでいい、仕事を早めに終えて練習に行ってもいいと言ってくれたんですが……結局、そんなに簡単にはいかなくて。

納期もあるのでやっぱり難しかったですね。

あと、挨拶がない、礼儀を知らない、気づかいをしないっていう方がいて。

態度も悪くて。

なんとか耐えていたんですが、格闘技をやっている身からするとありえないことだらけで、限界がきてしまって。

その会社は37歳のときにやめました。

―― サラリーマン兼ボクサーだったんですね。でも、会社をやめたということは、収入源がほとんど無くなるということですが……。

少しの間、失業保険や日雇い労働でまかなっていました。

さすがにフラフラしているわけにはいかないと、またハローワークに行って(笑)38歳で今の会社に入社したんです。

鉄骨業ですが、溶接の技術も応用できるとのことだったので。

社長や社員の皆さんが試合のチケットを買ってくれたり、応援してくれたりして、とってもいい会社です。

感謝だなぁと。

引退後はライトニングクラブを立ち上げて、格闘技を教えるようになりました。

やっぱり好きなことだし、人との繋がりもできる。

少しずつ「クラブ一本でやりたい」という気持ちが強くなって、社長に辞めますって話したんです。

そうしたら、「クラブだけで生活できる?君にいなくなられたら困るから、仕事を続けながらジムもやったらいい」と言ってもらえて。

ありがたいです。

今は二足のわらじでやっています。

やり始めて1年半ほど経ちました。

現役中想像もしていなかったジムで指導する姿

―― アスリートとしてとってもいい環境ですね。金井さん、現役はいくつまで続けられたんですか?

何だかんだ40歳まで。

僕、網膜剥離を発症したんですよ。

朝起きたら視野がおかしくて。

一部が見えなくて変だなぁって思って病院に行ったら即入院でした。

それでちょっと心が折れてしまって。

シュートボクシングはもう充分やり切ったな、もう辞めてもいいなって決心したのが38歳のときですね。

それから2年後に引退試合をしました。

チャンピオンとしての功績や、シュートボクシング界を盛り上げたことを評価してくれた方々が「引退試合はやったほうがいい」と声をかけてくれて。

当時の現役チャンピオンと本気で戦いました。

3分、3ラウンドでトータル9分。

倒されてもいいからその9分とにかく攻め続けました。

負けてしまったけれど、悔いなく40歳で引退することができました。

―― 引退するときに寂しさや不安は無かったですか?

僕は手に職があって、仕事もしていたので不安はそんなに無かったんです。

田舎のジムを閉めることになって東京に出てきた時点でもう教えることはないだろうって考えていたし、40歳を過ぎた頃には格闘技もやっていないだろうってずっと思っていました。

今のようにジムで指導している姿なんて一切想像していなかったですね(笑)

ただ、みんなで思いっきり練習してお酒を飲んで話をして、それが楽しいんですよね。

関わる人たちが笑顔になって、シュートボクシングを通して幸せを感じられるって素晴らしいなと。

そんな想いがどんどん強くなって、引退した今もこうしてクラブで教えているんです。

礼儀作法と思いやり、そして感謝の気持ちを持ち続けること

―― やっぱりシュートボクシングがお好きなんですね。格闘技をやっていたからこそ身に付けられたことはありますか?

礼儀作法と思いやりかな、と。

相手がいるからこそ戦うことができるし、相手がいなければ試合ひとつさえできない。

感謝の気持ちはいつも持っていますね。

あと、殴るスポーツだからケガをさせることもあります。

大きな傷を負わせて「大丈夫だったかな?」って相手のことを気にかけるし、ファイターは意外と謙虚なんですよ。

まあ、自分もけっこうやられていますが(笑)だからこそ殴り合っても仲良くなれる。

この姿勢は格闘技をしていたからこそだと思います。

競技の楽しさを伝える大切さ

―― 後輩の皆さんにも思いやりを大切にして欲しいですね。

そうですね。

あと、自分の技を磨いて、競技の楽しさを伝えられる選手になることも大切だなぁと。

せっかくやっているんだから、魅力を周りに届けられるくらいになって欲しい。

まぁ、そうですね、引退後に備えて勉強することや資格を取ることも大事なので……バランス良くやっていこうねって伝えたいです。

―― 金井さんのこれからの目標を聞かせてください。

田舎でジムか道場をやりたいです。

田舎ってどうしてもプロを経験した人や豊富な知識を持ったトレーナーの数が少なくて。

僕自身、地元にいるときはプロになる方法を教わる機会がありませんでした。

それでも出会う方々からご自身の経験などを聞かせてもらって、参考にしながらこうしてプロになれたんです。ありがたい話です。

だから、田舎に戻ったら僕がしっかりと教える存在になりたいと思っていて。

技術的なことはもちろん、「殴る」「蹴る」を正しくやることの楽しさを伝えていきたい。

下を向きがちな人が明るくなるきっかけにして欲しいし、あと、ファイトすることは怖くないっていうことを子どもたちに知ってもらいたい。

それが今の僕にとってのゴールです。

取材後記

どんなスポーツをやってもダメだった少年が、シュートボクシングに出会って日本チャンピオンになりました。まるでドラマのような話。ただ、金井さんはドラマの主人公になっても、舞い上がることなく、自惚れることもありませんでした。

まさか、チャンピオンが就活をするなんて。でも、自分の得意を活かしてコツコツと仕事をして、周りへの感謝の心を忘れなかったからこそ、今も大好きなシュートボクシングを通じて幸せを感じることができている。そんな風に思いました。

成功に溺れない、だから、成功できる。
金井さんの生き様から、あらためて学びました。

金井 健治Kenji Kanai

元プロシュートボクサー
現在:格闘技ジム代表/溶接職人


シュートボクシング オフィシャルサイト
https://shootboxing.org/

ライトニングクラブ Facebookページ
https://www.facebook.com/LIGHTNINGCLUB/

取材/アスリートエージェント 小園翔太
取材・文・編集/榧野文香

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