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2018.02.20
経験を言葉にして人に伝えていく。総合格闘技・大山俊護
仮面ライダー、ウルトラマン、アカレンジャー。
子どもの頃、強くてかっこいいヒーローがキラキラして見えた。「あんな風になりたいな。」と憧れて、変身ポーズを練習したり、決めゼリフを真似してみたり。そんな人はきっと少なくない。彼もそのひとりでした。
Profile
大山 俊護(おおやま しゅんご)1974年4月生まれ
元総合格闘家。幼い頃から柔道を学び、第28回全日本実業柔道個人選手権大会・男子81kg級優勝などの実績を残す。総合格闘技に転向後、2012年にROAD FC初代ミドル級チャンピオンとなる。
引退後は、格闘技とフィットネスを融合した新しいタイプのトレーニングプログラム『Fightness』を立ち上げ、人を元気にする活動を行っている。座右の銘は、”ALL INTO POWER”(「すべてを力に」)。

INDEX
とにかく動いてトビラを開く、いつもそうやって前へ進んできた
―― 大山さんが競技を始めたのは、ヒーローがきっかけだったんですね。
幼稚園生のときにウルトラマンに出会って、僕も強くなりたいって思ったんです。
それで、まずは柔道をやり始めました。
小中学生と続けるうちに、古賀稔彦(こが としひこ)選手を知って、また憧れて。
彼が出ていた柔道の名門塾「講道学舎」に僕も入学しました。
全国からトップレベルの選手たちが集まっていて、ものすごく刺激的でしたね。
高校、大学、実業団と、ずっと柔道一筋でやっていたんです。
でも、実業団のときにまた新しいヒーローに出会ってしまって。
桜庭和志(さくらば かずし)という格闘家に。
もう、ウルトラマンと同じ衝撃ですよ。
こんな風になりたい!ってドカンと稲妻が走って、それで総合格闘技に転向しました。
26歳のときでした。
―― これだと思ったらすぐに行動に移す。とってもパワフルです。
いつもそう。
とにかく動くことでトビラを開いていくんです。
やりながら考えていく。
情熱のまま、思いのままに生きていると思います(笑)
やりたいからやってみるとか、この人のことが好きだから会いに行くとか。
当時も、格闘技への想いがどんどん溢れて止まらなくて。
居ても立ってもいられず、空いている時間を見つけて打撃の練習をしたり、ジムに行ったりしていたんです。
アマチュアの格闘技大会で優勝を重ねるうちに関係者の目にとめてもらえて、2001年にPRIDEでデビューしました。
今振り返るとよく壊れなかったなぁって思います。
柔道をしていたときにヒザも首も痛めていたし、正直、ほとんどボロボロの状態でした。
ケガも多かったし、両目は網膜剥離にもなったんです。
医者から「やっちゃいけない」ってストップがかかるくらいだったんですけど、でも、やりたい気持ちを止められなかった。
勢いのまま格闘技の道に向かいました。
プロポーズを掛けた大事な試合、奥様の存在がパワーの源
―― そこまで傷だらけの状態で……。それくらい格闘技への熱があったんですね。思い出に残っている試合はありますか?
Martial Combat(マーシャルコンバット)という団体の、シンガポールでのタイトルマッチです。
その試合、もし勝ったら今の奥さんにプロポーズするって決めたんですよ。
大きな覚悟になるものが欲しくて。
勝負の強さって想いの強さだと思っているんです。
しっかり勝って、プロポーズできたので印象深いですね。
あとは、韓国のROAD FCっていう大会も。
決勝のときにやっぱり強い想いが欲しいなって思ったんです。
それまでお金がなくて奥さんに結婚指輪を贈っていなかったので、チャンピオンになったら指輪を買おうって。
それも実現しました。
強い想いとか、戦うための動機をしっかり見つけて自分をやる気にさせることはアスリートにとっては大切ですよね。
「勝ちたい」っていうのは全員共通で思っていることだから、さらに強くなれる方法を常に考えていないと。
僕はずっと奥さんに支えてもらっているから、やっぱり彼女の存在がパワーになるんですよ。
引退すると自分ではなく周囲の反応、環境が変わっていく
―― 奥さんという頑張る源があって、格闘技への情熱もたっぷりだった大山さん。引退しようと考えたのはどうしてだったのでしょうか。
だんだん身体が動かなくなってきたんです。
リングでの倒れ方もおかしくなって。
ある試合でもう明らかに調子がおかしいことに気付いたんです。
「ああ、ここが潮時なんだ。」って自分で分かってしまったんですよ。
誰に負けてもどんなに身体が辛くても、それまでは「次こそ必ず勝ってやる!」って思えていたのに。
身体が悲鳴を上げて、もう充分だろうって言っていて。
40歳のときに現役を退くことを決めました。
―― 引退後のことは考えていたんですか?
現役中はもちろん競技に夢中だったし、引退を決めたときもその後のことはまったく考えられなかったです。
僕もそうだったんですけれど、アスリートってあるとき突然にエンドロールが頭を流れるんですよ。
ケガとか年齢とか、きっかけは人それぞれだけど、「もうここで終わりだな。」って。
でも本当はね、もっと長くやりたいんですよ。
色んなことが許されるなら、ずっとやっていたい。
だから、引退を覚悟すると同時に、すぐにセカンドキャリアを考えることって正直ちょっと難しい。
心の切り替えってそんなに簡単じゃなかったりします。
でも、環境だけは一気に変わっていくんです。
現役中って周りがチヤホヤしてくれるし、応援してくれるし、支えてくれる。
それが引退した瞬間に周りの目って一瞬にして変わるんです。
みんなの熱がサッと冷めていくのを感じるし、ものすごく寂しい。
不安にもなるし、焦りますよね。
僕はそこから少しずつ動いていきました。
待っていても誰も助けてくれない、自分で行動すると少しずつやりたいことが見えてくる
―― これから何をしようかと考えられたのは、引退してからだったんですね。
そうですね。何もない真っ白な状態から。
―― 柔道に格闘技。ずっと戦うことをされてきたので、今取り組んでいる『Fightness』はすぐにイメージできたのかなと思います。
いえいえ、できないですよ!だって、ある日いきなり無職ですから(笑)
何をやればいいかなんて分からなかったし、最初は本当にやることが無くて。
僕ね、人脈はそこそこあったので、「きっと誰かが手を差し伸べてくれるんだろうなぁ。」なんて甘いことを考えていたんです。
でもフタを開けてみたら一切ない。
勝手に期待しちゃいけないんだって気付きましたね。
自分でちゃんと泳がないと沈んじゃうなって。
まずは人にアドバイスを求めようって思い立って、知っている人たちに「お話を聞かせてください!」って会いに行きました。
もうとにかく必死。
毎日、色んな人の話を聞いている中で少しずつヒントが出てきたんです。
その中で、厚生労働省がストレスチェックを義務付けていること、今の社会には心を病んでいる人が多くて、企業も対策に悩んでいることを知ったんです。
これだと思って、ひらめいたのが『Fightness』の原型。
僕が持っている格闘技の知識を活かして、元気の出るエクササイズを提案したらどうだろうって考えたのがスタートです。
考えるよりもまず行動、試して改善しての繰り返し
―― そこからどうやって広げていったんですか?
はたらく人たちがエクササイズを通してストレス解消できたらいい。
そう思ったので、まずは色々な企業に『Fightness』を営業していきました。
導入先が少しずつ増える中で、ただエクササイズを教えるだけじゃなく、僕の経験をお話する研修スタイルに進化させました。
今は「元気でいるための心の在り方」や「いつも前向きでいられる方法」などを伝えていて、内容に厚みを出しています。
僕ね、基本あんまり深く考えないんですよ(笑)
やりたいって思ったら、とりあえずスタートしてみなきゃ何も分からない。
上手くいくかどうかなんてやっていく中で判断すればいい。
もっといいやり方を試していけばいい。そう思うんです。
だから、『Fightness』も数を重ねながら、クライアント企業さんや社員さんの反応を見て、ニーズに合わせていったんです。
どんどんカタチを変えて、改善していって。
これまでに50社でやりましたね。
さらに広げていきたいです。
たくさんの人を元気にしたいから。
―― 今こうやってお話しているだけでも、こちらまで元気になってくるようです。なぜこんなにエネルギッシュに生きられるのだろうと思います(笑)
うーん、そうですね、さっきも少し話したけれど、引退したあとの寂しさがあったから。
僕、思ったんです。
セカンドキャリアの最初の壁って、孤独との戦いかもしれないなって。
あのときの寂しさが僕の背中を押しているんです。
よし見とけよ、引退してからもっと輝いてやるからなって気合いが入って。
だから、あそこで手を差し伸べられなくてラッキーでした。
誰も助けてくれない、自分が動かないといけないっていう危機感をエネルギーにドカンと変えられたんです。
だから、『Fightness』も自分で営業するし、簡単には人に頼らないです。
アスリートの弱点って自立だと思っていて。
競技に没頭するほど周りがサポートしてくれるし、トップレベルになるほど必ず誰かが助けてくれる。
でもね、引退したらゼロ。
だから自分自身の力でしっかり泳げるように心を鍛えておくべき。
これをやるんだっていう覚悟さえ決められたら大丈夫。
アスリートってすさまじいエネルギーを持っているから。
セカンドキャリアって、戦うフィールドが変わるだけ。
目標を立てて、準備して、結果を出すために走ることは現役中と同じ。
アスリートの特性を思いっきり活かせるんですよ。
まさに今の僕がそうだから。
これまでの知識や経験を言語化すること、実はいろいろな人がその話を求めている
―― 大山さんのこれからの目標を教えてください。
より多くの企業に『Fightness』を伝えて元気になってもらうこと。
この活動を広げることは、仲間のファイターたちを巻き込んで一緒に仕事をすることにも繋げられるんですよ。
今もチャンピオンクラスのファイターにサポートしてもらっているんです。
講師とかインストラクターとか、いずれそういう仕事を彼らにパスできるように準備しています。
それってファイターたちのセカンドキャリアの新しいカタチにも繋がりますよね。
これまでは引退選手たちを企業が採用する、つまり企業が選手に貢献するっていう流れだったけれど、『Fightness』なら、引退した選手たちが企業に貢献できるんです。
これまでとは違う道ですよね。
だから、誰にも負けない実績を出してこの分野で突き抜けたい。
彼らのためにも。
―― アスリートの未来までつくっているんですね。最後に、現役選手が今からやっておくべきことをぜひ教えてください!
「言語化」ですね。言葉にすること。
競技経験やそこから学んだことをいかに分かりやすく説明できるか。
外に出れば出るほど気付くんですけど、アスリートマインドって社会でものすごく求められているんですよ。
たとえば、僕らって人前で戦うのが当たり前。
ボロボロになっても這い上がるし、立ち上がることができる。
でも、一歩外に出ればそれって当たり前じゃないんです。
『Fightness』をやっていても、皆さん質問されるんです。
どうしてあんなに大勢の前で戦えるんですか、倒れても起き上がれるんですかって。
僕たちアスリートにとってはそれが日常だから、最初は驚きました。
でも、みんな知りたがっているんだなぁって。
アスリートの姿勢やマインドを伝えることって僕たちの想像以上に価値があることなんですよね。
でも、うまく言葉にできないと、せっかくの知識や経験が自分だけのものになってしまう。
過去の失敗も負けて辛かった経験も、分かりやすく説明できれば求めてくれる人が必ず現れるんですよ。
だから少しずつでもいい、やってきたことを言葉にする練習はするべき。
それだけで自分の可能性がグッと広がりますから。
- 40歳で引退してリングから離れて……と思ったら、なんと42歳でプロレスに挑戦した大山さん。オファーの会場はさいたまスーパーアリーナ。彼はまた、戦いに挑みました。
「大きな会場で戦う姿をずっと支えてくれた仲間に見せられる。そう思ったらやるしかなかった。昔からプロレスも好きだったし、本当にやってよかったです。」
取材後記
明るく元気な大山さんは、つやつやと輝いて見えました。とてもハツラツとしていて、つい「お若く見えますよね。」と。
「心が若いからでしょうか(笑)引退してからもどんどん人生が楽しくなっているし、自分の無限の可能性をどうやって使おうかって考えると、ますます楽しくなります。」
チャレンジすることは、いつだって怖いもの。でも、自分を信じて思いっきりやってみると、楽しさに出会えるかもしれません。
今日、明日、少し先の未来、あなたのやりたいことは何ですか?

大山 俊護Shungo Oyama
元総合格闘家
現在:格闘技プログラム『Fightness』主宰
大山俊護 オフィシャルHP
http://shungo-oyama.com/
オフィシャルブログ
https://ameblo.jp/oyama-shungo/
『Fightness』オフィシャルHP
http://shungooyama.spo-sta.com/
取材/アスリートエージェント 小園翔太
取材・文・編集/榧野文香
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