2017.08.23

今やるべきことを丁寧にコツコツと。卓球・塩野真人

アスリートは向上心のかたまり。タイムを縮めたい、テクニックを磨きたい、相手に勝ちたい。だから、引退してからも野心を持つ人がたくさん。今回も「こんな夢を叶えたい!」「僕はこうなりたい!」そう言われるだろうなって想像していたんです。

Profile

塩野 真人(しおの まさと)1986年4月生まれ。

元プロ卓球選手。早稲田大学では全日本学生選手権などの公式戦で主力選手として出場し、4年生のときに主将を務めた。2013年のジャパンオープンにてワールドツアー初優勝し、2014年には日本代表として世界選手権に出場。現在はスティガスポーツジャパン株式会社にて営業、マーケティング担当として仕事に励んでいる。

今の自分がやるべきことを丁寧にコツコツと

トップをとる充実感が卓球を続ける原動力に

―― ラケットを握られる塩野さん、とってもいい笑顔ですね!卓球を始めたキッカケは何でしたか?

父親です。

父は高校のときに県大会ベスト8で、卓球が好きだから息子にもやらせたいって。

本格的にスタートしたのは小学5年生です。

そしたらもう父の熱が入ってしまって。

ご飯を食べるときも試合のビデオでフォームを確認して「この場面はこうじゃないだろ!」とか言われて。

ご飯くらい集中させてくれー!って思っていました(笑)

もちろん中学も卓球部でした。

でも、競技だけに打ち込むっていうよりは青春もしっかり満喫していたタイプです。

勉強も学校行事も、友達と遊ぶのも。

だから、今の世代の子たちがナショナルトレーニングセンターで缶詰になってやっている姿を見ると、正直、驚かされます。

若い頃から集中してやっているのは頼もしい限りですね。

地元埼玉の狭山ヶ丘高校に推薦で入学した後は、2004年のインターハイで団体3位。

同じ年の世界ジュニア選手権に日本代表として出場して男子シングルスベスト16に入りました。

代表にこそなったんですが、なかなか勝ち上がれず……優勝したことは1度もありませんでした。

―― 当時はもどかしかったですか?

そうですね。

どうしたらいいんだろうってモヤモヤとしていました。

今の自分がやるべきことを丁寧にコツコツと

―― 結果がついてこない時期はとても辛いですよね。早稲田大学に進学後も卓球部に所属されましたが、葛藤は続いたのでしょうか。

実は、大学でもう卓球は辞めようって思っていたんです。

そしたら、国体で優勝をして。

初めて「優勝」というものを掴んで喜びがこみ上げたんです。

「もっと卓球やりたい!」って思いました。

トップをとる充実感を味わったんですね。

卒業後は卓球チームが有名な大手自動車メーカーに就職する予定でした。

でも、ちょうど内定取り消しの多かった年で、まさかとは思ったんですけど僕もそうなってしまったんです。

4月の入社まで2ヶ月を切っていたし、引っ越し準備もしていたし、何より卓球をもっとやっていくぞって意気込んでいたので……苦しくて熱も出ました(笑)

どうにかしないとって思っているときに、現状を知った東京アート株式会社(以下、東京アート)の方がすぐに声をかけてくれたんです。

奇跡的でした。卓球で日本一の企業だったので、東京アートにお世話になろうって決めて。

僕にとってのターニングポイントですね。

今の自分がやるべきことを丁寧にコツコツと

就職直前の内定取消しでピンチ、でも新たな企業との出会い

―― それは大きな出来事ですね!でも、いきなりの進路変更。私なら戸惑いそう……。

もちろん僕もそうでした。

東京アートの方から数日で決めて欲しいって言われたので、親を含めて色んな人に相談しました。

でも、正解の答えなんて分からない。

ただ、誰かに決めてもらったら人のせいにするけれど、自分で決めたら後悔はしないですよね。

―― 自己責任ですね。東京アートでの競技生活は順調でしたか?

いえ、強豪チームだからそんなに簡単にレギュラーにはなれなくて。

試合ではレギュラーメンバーの練習相手をしたり、ベンチにも座れなくて応援に徹したり。

クーラーボックスを運んだりコンビニへ買い出しに行ったり……。

大学4年生のときにキャプテンをやっていたので、一番上から下の下までいったことは辛かったですね。

落差があまりに大きくて。

でも、このチームでやり切ることができたら絶対に強くなれるって信じていました。

今の自分がやるべきことを丁寧にコツコツと

2年目、3年目だったかな、全日本選手権の試合でチームが勝ち進んでいて、監督から「お前、決勝の試合出すぞ。」って言われて。

えっ!?って驚きました(笑)そこでしっかり勝つことができたので、塩野は使えるなって思ってもらえて。

そこから試合に出る機会が増えて、2013年のジャパンオープンでワールドツアー初優勝をしたんです。

それまで東京アートで5、6年踏ん張って、やっと花が咲いた感じでした。

力を尽くさなきゃって、意識もより高くなっていったんです。

そうそう、ワールドツアーで優勝できたキッカケは妻の存在もあるんですよ。

厳しい競技生活では奥さんの存在が励みに

―― 奥さん、ですか?(塩野さん、ラケットを握るときのようにいい笑顔!)

妻は小学校からの幼なじみで。

なかなか振り向いてくれなかったんですが、全日本選手権に招待したら見に来てくれたんですよ。

ほとんど無理やり誘った感じですが(笑)

絶対に勝つぞって気合いを入れて臨みました。

そしたら、まさかの負け。大好きな人の前ですから、荒れますよね(笑)その夜、仲間と食事をしながら反省会をしているところに、なんと彼女が来てくれて。

勝負の世界で戦っている僕の姿を見て、付き合ってもいいよって言ってくれたんです。

卓球もっと頑張ろう、さらに高いレベルを目指そうっていうモチベーションにもなりました。

苦手なことに取り組んで、練習をやり込んで。

そうして半年後の2013年のジャパンオープンで優勝したんです。

その後のワールドツアーでも優勝して……っていう。

今の自分がやるべきことを丁寧にコツコツと

―― 奥さんの効果がものすごく大きいですね(笑)そんな中、引退を考え出したタイミングはいつだったんでしょう。

2014年の世界選手権です。

日本代表として団体戦で銅メダルを獲ったんですが、その瞬間にふっとやり切った感覚になったんですよ。

周りからはオリンピックを目指せよって言ってもらっていたんですが、少し休ませて欲しいなって。

僕の頂点はそこだった。

あと、それまでの卓球人生にもうどこか満足していました。

この先どう生活して、どうやって妻を支えていこうか、引退後の人生を考え始めるようになって。

選手として国内外を飛び回っていたら1ヶ月以上家にいられないこともある。

それだと家庭が成り立たないかもしれない。

卓球は好きだったけれど、将来や家族のことに目を向けるようになったんです。

- そうして今年、2017年1月に現役を引退された塩野さん。入社されたのはスティガスポーツジャパン株式会社(以下、スティガ)。

60年以上の歴史があるスウェーデンの卓球用品メーカー「STIGA Sports(スティガスポーツ)」の日本法人として、今年設立したばかり。

今の自分がやるべきことを丁寧にコツコツと

自分は何がしたいんだろう?やっぱり引退後も卓球と関わっていきたい

―― 引退してからも卓球に関わっていらっしゃるんですね!

代表が高校の先輩で。

年齢は離れているけど地元も同じで、ずっと卓球で繋がっていたんです。

引退後について悩んでいるときに食事に誘ってもらいました。

先輩がスティガをやり始めるタイミングと、僕が引退を考え出したタイミングが偶然にも同じで。

自分は何がしたいんだろう。

そう考えると、選手生活は終えるけれどできれば卓球には関わりたい。

家庭を大切にしたい。

代表の話を聞くと、家族を大切にしている会社だと分かったし、入社前の書類にもきちんとそう書かれていたので安心したんです。

妻とも相談してスティガに入社することを決めました。

営業とマーケティング担当なので顧客先を回るのがメインですが、今は立ち上げたばかりで奔走中です(笑)商品の出荷準備、整理など色々やっています。

ひとつひとつが学びになりますね。

納品書ってこう書くんだ、ラベルはこうやって貼るんだって。

選手時代にはまったく知らなかったことばかりなので全て勉強です。

今の自分がやるべきことを丁寧にコツコツと

完璧な自信がないからこそ努力を忘れない

―― 日々新しいことを吸収されている塩野さん、何だかイキイキしています。アスリートとしての経験が仕事に活きていることをぜひ教えてください。

自信、ですね。

競技を充分やり切ったんだから、仕事も経験を積むことでしっかりやり切れるぞっていう。

選手時代、負けて負けて、それでもあきらめずに練習をして勝利を掴んできました。

今、ビジネスの世界で、失敗して失敗して、折れそうになることもあるけれど、上手くいくように工夫しています。

でも、自信ってあいまいなものかもしれないって思うんです。

自信なんて無いから、たくさん練習するし、全力投球で仕事する。

今も完璧な自信があるとは言い切れませんが、だからこそ努力することを忘れたくないなって。

―― 選手にとって切り離せない“引退”。現役中から意識しておくべきことはありますか?

引退って闇の中。

僕自身、引退を決めたときはスティガの入社も決まっていなくて、真っ暗なところで手探りしていました。

アスリートに限らず、どんな人も自分が歩いていく道に明かりがないと不安ですよね。

代表と話をしてようやく光が見えたんです。

しかも、僕の考えを丁寧に汲んでくれました。

ありがたいことですよね。

現役で頑張っている皆さんも、引退を考えると不安かもしれません。

でも、まずは競技に打ち込むしかないと思います。

だって選手にとって競技は「仕事」。

仕事だからおろそかにしちゃいけない。

夜まで練習したら、翌日もパワーを発揮できるように身体をしっかり整える。

余計なことは考えずとことん打ち込んだら、その先でまた何かが開けていきます。

今の自分がやるべきことを丁寧にコツコツと

ただ、引退を本気で覚悟したなら、そこからはもちろん勉強や行動をしないといけません。

僕も引退すると決めた後、起業した方がいいのか、企業に入るべきなのかを悩んで、全力でもがきました。

人に話を聞くのはもちろん、自分が会社を立ち上げるとイメージして弁護士の先生や税理士さんに色々なアドバイスをいただきました。

自分の足で動いて、見て、聞いて、判断したんです。

他の競技や違う世界にいる人に会う。視野を広げる。

選択肢を増やす。

そうすれば自分のことを客観的に見ることもできるんです。

アスリートって自分の競技だけの世界にずっといるから、外に出て新しいものに触れていくこと。

大切な人を笑顔にしたい、それが活力!

―― その時々で自分がやるべきことに集中することが何より大切ですね。最後に、これからの目標を聞かせてください。

妻のしあわせを第一に考えることです。

大黒柱として家族を支えること。

そのためにもスティガでの仕事を精一杯やるし、会社を大きくしたい。

大切な人は頑張るためのパワーになりますね。

僕が彼女を好きすぎるっていうのもあるんですけど(笑)自分自身がどうなりたいっていうよりも、家族を笑顔にできたらいいんです。

- 実は、取材の3日前に待望のお子さんが生まれたばかり。とろけるような表情の塩野さんに、ご自身のモットーを教えてもらいました。

「”愛は瞬間”です。たとえば、大切な人が車にひかれそうになったとき。その瞬間、危ない!と言うだけなのか、身を投げて助けに行くのか。反射的にとる行動が、愛情のすべてだと思うんです。大切な人のことを普段から大切にしていれば、どんな瞬間だってちゃんと動けるはず。

今の自分がやるべきことを丁寧にコツコツと

取材後記

取材を通して、ずっと感じていたことがあるんです。彼は、派手な人じゃありません。「自信がない」とさらりと言うし、メラメラと燃える様子もない。ワールドツアーで優勝した選手とは思えないくらい、自身の野望も語りません。

ただ、目の前のひとつひとつに丁寧に向き合っていました。やるべきことをやる。愛すべき人をしっかり愛する。そんな風にして。

派手じゃなくたっていい。コツコツとやることが、きっと、しあわせになれるコツ。

塩野 真人Masato Shiono

元プロ卓球選手
現在:営業/マーケティング

STIGA Sports 公式サイト(英語)
http://www.stigasports.se/

スティガスポーツジャパン株式会社
http://stigasports.jp/

取材・文・編集/榧野文香

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