2018.02.06

強みはシンクロで鍛えた心。だからタフに頑張れる。荒井美帆

「綺麗だなぁ」

鮮やかな色。スパンコールが輝くお揃いの水着。
手足を美しく伸ばして、笑顔で水中を舞う。
華やかに見える、シンクロという競技。

でも、裏側はとってもハード。
シンクロに鍛えられた荒井さんはこう言います。

「考えたり悩んだりしますけど、
すぐに切り替えてくよくよしません」

Profile

荒井 美帆(あらい みほ) 1988年9月生まれ

元シンクロナイズドスイマー、元日本代表選手。数々のオリンピアンを輩出する東京シンクロクラブ出身。世界水泳選手権に3大会連続出場し、2010年、2014年のアジア大会ではチームで準優勝に輝く。2015年の日本選手権でソロ準優勝し現役引退。現在はメイクアップアーティストとして活動しながら、シンクロ選手の指導やショー出演なども行う。

イルカと一緒に泳ぎたい!シンクロをはじめたキッカケは意外にもテレビの動物番組を見て

―― シンクロって他のスポーツに比べるとめずらしい競技ですよね。荒井さんが始めるきっかけはなんだったのでしょう。

イルカと一緒に泳ぎたくて。

それがシンクロをやろうと思ったきっかけでした。

幼い頃に毎週見ていたテレビの動物番組で小谷実可子(こたに みかこ)さんが野生のイルカと一緒に泳いでいたんです。

わあ、私もこんな風にイルカと泳ぎたい!って感動して。

小谷さんが元シンクロナイズドスイマーで、ソウルオリンピックで銅メダルを獲得した選手だと知って私もシンクロをやろうって。

6歳から通っていた近所のスイミングクラブにたまたまシンクロのコースがあったので、そこで小学3年生から始めました。

―― イルカがきっかけだったんですね!シンクロコースは厳しかったですか?

いえ、小中学生がお遊びでやるような、あくまでも楽しいシンクロだったので、本格的なものじゃなかったんです。

地区大会に出場しても下から二番目、三番目くらいでした。

ただ、やるからには本気でやらせたいと母が思ったみたいで、強いチームを紹介してもらって5年生でそこへ移りました。

東京シンクロクラブという小谷さんも所属されていたクラブチームです。

多くの日本代表やオリンピック選手がそのクラブ出身なんですよ。

それからは赤羽にあるJISS(国立スポーツ科学センター)のプールで、中学高校とクラブチームの練習漬けの毎日でした。

どんどんシンクロ中心の生活になって、JISSのプールに通いやすいように高校は赤羽にある学校を選んだほどです(笑)

恩師の助言「自分がやりきったと思えるまでやればいい。続かなくてもそれはそれでいいんだよ。」

―― 本当にシンクロメインの生活ですね(笑)オリンピックが目標になった瞬間は覚えていますか?

オリンピック出たいなっていう想いはシンクロを始めたときからずっとあって。

ただ、それが明確な目標になったのが北京オリンピックでした。

私は最終選考まで残ったんですが、代表には入れなくて。

まだまだ世界を目指せるレベルじゃないことを痛感しました。

自分自身はダメでしたが、東京シンクロクラブの先輩が北京に出場したので、生のオリンピックを実際に見に行ったんですね。

会場で演技を見て、次のオリンピックこそは私も絶対に出場したい!プールで演技をしたい!と思ったんです。

北京の後、2009年から日本代表に入ることができて、そこからはずっと代表チームにいられました。

―― 熱意ある努力が実って代表入りをされて。オリンピックも遠い夢ではなく、手の届く範囲になりますね。

まず、2012年のロンドン五輪の代表選考会を迎えました。

オリンピックって補欠を含めて出場メンバーは9名。

つまり選考会で9位以内に入らなきゃいけない中、私は……10位だったんです。

たったひとつの差ですが、その時点でロンドンに出られないことが決まりました。

ロンドンオリンピックを迎える年、私は24歳。

当時シンクロ選手は24、5歳で引退する方が多かったので、私もロンドンに出場できたら引退なのかなって漠然と考えていて。

でも出られないことが確定したので、どうしようって。

いっぱい考えたんですが、そのときはまだシンクロをやめるという選択肢を選ぶことはできなかったんです。

じゃあ、4年後のリオを目指すのかっていうと、その決断もなかなかできなくて……。

競技は続けたいけれど、4年先までは見えなくて。

だいたいの選手はオリンピックを目指してやるじゃないですか。

それがはっきりしないままシンクロを続けてもいいのか考えました。

そうしたら、お世話になっている先生が言ってくださったんです。

「自分がやり切ったと思えるまでやればいい。4年後まで続いたらそれでいいし、続かなくてもそれはそれでいいんだよ。」って。

その言葉がしっくりきて、もうちょっと頑張ることにしました。

結果、リオを迎える前、2015年の日本選手権で現役引退を決めました。

27歳になる年でした。

やりたいことが見つからない自分が真剣に考えて見つけたメイクアップアーティストの仕事

− そして今、メイクアップアーティストの肩書きを持つ荒井さん。
どのような想いで異なる世界に飛び込んだのでしょうか。

メイクの仕事は引退をする前からやろうって決めていました。

私、ずっとやりたいことがないタイプだったんですが、もうシンクロはやり切ったからやめようと初めて思ったときに、次にやりたいことをしっかり考えるようになって。

「あ、私メイクがやりたい」ってピンときたんです(笑)

そこからメイクを学べる学校を調べました。

あと、代表チームのメイクスポンサーに株式会社コーセー(以下、コーセー)がついてくださっていて、いつもメイクを講習してくださる社員さんにも相談をしていました。

引退したらすぐに動けるよう、できることをやっていたので、現役中に引退後の不安を感じることは無かったんです。

演技が映えるメイクを代表以外の選手にも教えたい

―― 今、メイクの活動は個人でされていますが、コーセーや他の化粧品メーカーに就職する選択肢もありましたか?

一応、コーセーの方に就職できるかどうか、なんとなくは聞いてみたんです。

でも難しいって言われてしまって。

これは後から聞いたんですが、私が引退してからメイクの活動をやっているのは知ってくださってはいたけど、真剣にやりたがっているとまで思わなかったそうで。

もっと本気度を伝えられていたら入社できていたかもしれませんね(笑)

私がメイクの道に進みたいって思ったのは、シンクロの選手に教えたいからだったんです。

というのも、シンクロ選手は代表にならないと試合用のメイクを教えてもらえなくて。

それ以外の選手は先輩を見よう見まねでやるんです、自分で。

だけどメイクの仕方なんてよく知らないから、仕上がりが結構ひどくなっちゃうんですよね。

その状況を知っていたので、代表じゃない選手にも演技が映えるメイクを教えたくて。

それをやるならコーセーしかないって思っていたので、他の化粧品メーカーに行くことは全然考えていなくて。

それならできることをやるしかない、とりあえずメイクの専門学校に通おうって決めました。

自分で勉強しようって。

―― シンクロで代表になられた荒井さんだからこその、メイクへの強い想いがあるんですね。

学校を昨年の3月に卒業して、今はメイクの仕事を広げるために作品撮りを頑張っています。

私はモデルさんのメイクとヘアを担当して、衣装も自分で決めて用意をして。

あ、いい衣装が見つからないときは作ることもあるんですよ。

そうして頭の中にある世界観や構図をカメラマンに伝えて撮影しています。

あと、シンクロをイメージした水中撮影もやっていて。

メイクアップしたモデルさんをプールの中で撮影するんです。

「やりたい!」って思ったときに、友人の知り合いのシンクロ選手がたまたま水中撮影のモデルをやっていて。

すぐにその方にコンタクトを取ってもらって実現しました。

水中撮影はより幻想的な作品になりますね。

▼ 荒井さんの作品(2枚目が水中撮影)

作品撮りにはちょっとこだわりがあるんです。

撮影のお願いをしているのはモデル事務所に所属されているプロモデルじゃなく、友人や知り合いのアスリート。

まったく知らない人よりも、性格や雰囲気を知っている方のほうがイメージをより表現しやすいなって。

「こういう感じの人だから、こういうメイクをしてみよう」って考えるのも面白いですし。

メイクアップアーティスト、シンクロクラブのコーチ、ショー出演など自分にできることを幅広く活動中

―― では、今はメイクのお仕事をメインに生計を立てられて?

いえ、メイクの仕事は始めたばかりなので、正直今はまだ大きな収入はありません。

まだまだこれからです。

今は東京シンクロクラブでのコーチや、ショー出演、小学校のプールでのシンクロ体験なども並行しています。

あとは日本サッカー協会の小・中学生向けの教育プロジェクト『夢先生』の講師もやっていて、私にできることを幅広く活動しています。

―― 荒井さん、イキイキとお話されるのでどれも楽しんでいる様子が伝わります。シンクロの経験は今どんな風に活きていますか?

うーん、メンタルは強いなって思います。

シンクロってテレビなどで見ている分には華やかだと思いますが、それとは真逆。

過酷な練習があるんですよ(笑)

代表になると1日10時間はプールに浸かっているし、その中で泳力や筋力、演技をするための表現力を磨かなくちゃいけません。

団体だと演技をぴったりと合わせるために集中力も時間もさらに費やします。

そういうハードな競技なので精神力は鍛えられましたね。

専門学校に通っていたときも「なかなかメイクが上手くならない」って落ち込んでいる方もいたんですが、私はとにかくやってみるという感じでした。

もちろん考えたり悩んだりしますけど、すぐに切り替えてくよくよしない。

そういう自分を見ているとやっぱり私って強いのかなって思います(笑)

シンクロだけでなく他のスポーツにもメイクアップアーティストとして携わりたい

―― 最後に、これからの目標をぜひ聞かせてください。

メイクの仕事により力を入れていきたいです。

シンクロの選手にメイクを教えたいし、メイクで自分自身をより魅力的に表現できる楽しさを伝えたいなって思います。

東京シンクロクラブの選手はもちろん、他のクラブの選手にも。

そのいちばんの目標を実現できたら、次はシンクロ以外のスポーツにもメイクで関わりたいですね。

たとえば、新体操、チア、フィギュアスケートなどの審美系スポーツとか。

ダンスもできそう。

あとはジムのインストラクターや体育会の女子学生にメイク講習をしたり、アスリートの方が取材を受けるときのメイクを担当したり。

考えるとわくわくします。

取材後記

荒井さんとお話していて気が付きました。
ネガティブな言葉が一切出てきません。

堂々としてとってもタフな理由は、
シンクロで鍛えた心の強さがあるからなんだ、と。
カラッとしてこちらも気持ちがいいんです。

競技で培ったものを存分に活かす。
その生き方は、まさにビジネスアスリート。

荒井さんの想いの込もったメイクが
これからますます広がることを
私たちも楽しみにしています。

荒井 美帆Miho Arai

元シンクロナイズドスイマー
現在:メイクアップアーティスト


荒井美帆twitter
@_miho_arai_

取材/アスリートエージェント 小園翔太
取材・文/榧野文香

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