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2025.02.15
プレイヤーを支える側へ。プロコーチ・武井謙介が大切にする心のあり方
「失敗してしまうんじゃないか?」
何かにチャレンジしようとする時、人はこのような感情を抱くことがあります。
このように思った時は、次の行動に移るのが遅れてしまいますよね。
プロコーチの武井謙介さんは、このような思考を変えるだけで成功へのプロセスが描けるようになるといいます。
武井さんは、大学まで続けたサッカーを生かし、卒業後はサッカースクールを運営する会社に入社。指導者としてキャリアを歩み始めました。
並行して「コーチング」の資格を取得し、アスリートへの直接指導や、企業・スポーツ団体に向けて研修を行っています。
そこで発見した成功の導き方。
今回、武井さんには、これまでの人生を振り返ってもらいながら、クライアントを成功に導く上で大切にしている「心のあり方」についてお話を伺いました。
Profile
武井謙介(たけいけんすけ)1994年8月5日生まれ
プロコーチ/講師中・高校生年代はFC東京の下部組織に所属し10番キャプテンとして活躍。世代別の日本代表にも選出される。大学時代には全国大会に出場し、年間ベストイレブンにも選出されたが、念願だったプロ入りを果たすことはできず。卒業後は指導者として、年間600以上のセッションを行う傍ら、メンタルコーチの資格を活かしてJリーガーや育成年代の選手、ビジネスマンや学校の先生にコーチングを行う。
INDEX
葛藤からの脱却。そして選手をサポートする側へ

ーー武井さんは大学卒業後、サッカーの指導者、そしてコーチングのプロとしても活動されていますね。現在の活動について簡単に教えていただいてもよろしいですか?
現在はスクール運営をする会社に所属しながら、週に3回ほど4歳~15歳までの選手にサッカーを教えています。
また、並行して個別にコーチングしたり、研修講師を行なったりしています。
現在クライアントの多くは現役のサッカー選手ですが、他にも指導者やビジネスマンなど様々な方をサポートしています。
最近では、企業に「人材育成」や「自立」をテーマに研修を行わせていただく機会が増えてきました。
これらの全ての活動に共通するのは「教育」的な視点で、そこからブレることなく活動しています。
ーー選手としての夢を諦めて指導者になることに抵抗はありませんでしたか?
正直なところ、しばらくの間は葛藤がありました。
それまでサッカー選手以外の人生は考えていなかったので、サッカー選手になれない自分を受け入れることができませんでした。
しかし、プロになれないという厳しい現実が目の前に横たわっていました。
ですので、初めの頃は、特に強い思いもなく指導者になったというのが正直なところです。
ーー現在はとてもイキイキしているように見えます。どのような変化があったのでしょうか?
はい。
これはサッカーで培った「負けず嫌い」の性格が影響しているのではないかと思います。
最初はなかなか受け入れられませんでしたが、指導をしているうちに、「どうせやるなら、一流の指導者に」という思いが芽生えてきました。
手抜きすることなく、目の前の人に全力で関わり、自分にできることを徹底してきた結果、ようやく自分の目指したい方向性が見えてきたという状況です。
原点にあるのは、エリート街道から外れた高校時代の経験

ーー武井さんの選手時代のことをお聞かせください。まずどのようなきっかけでサッカーを始めたのでしょうか。
サッカーを始めたのは5歳のときです。
元々母親がサッカーをやらせたかったらしく、通っていた幼稚園のサッカーチームに入団したのがきっかけでした。
そのチームには、のちにJFAアカデミー福島(日本サッカー協会が福島県の自治体と連携して推進する中学・高校の6年間を対象としたエリート教育機関・養成システム)に行くメンバーもいて、振り返ると上手なメンバーが揃っていました。
初めて出た大会で優勝するなど、幼い頃から勝利の喜びを味わうことができたのが、その後につながったのかもしれません。
小学生になるとますますサッカーにのめり込んで行きました。
小学校4年生からは朝練を始めるようになり、6年生になってからは1人で朝練をやるのではなく、友達を呼んで一緒に練習をしていましたね。
本当に迷惑な子どもだったと思います(笑)。
ただ、そんな努力が実って、ナショナルトレセンに選出されたんです。
ーー幼少期からエリート街道を歩んでいたんですね。プロサッカー選手を意識しだしたのはいつ頃からだったのでしょうか?
小学校2年生の時にはプロサッカー選手になろうと決めていました。
そのきっかけは、日本で行われたFIFAワールドカップ2002日韓大会でした。
もちろん日本代表チームを応援していましたが、僕はその時にテレビで観たプラジル代表のロナウジーニョ選手に憧れて、プロを目指そうと決意しました。
中学生に上がる頃には、いくつかのクラブに声をかけていただいた中で、FC東京の下部組織に入団しました。
その頃は世代別の日本代表にも選出され、現在日本代表の中島翔哉選手や昨シーズンJリーグで優勝した横浜Fマリノスのキャプテン・喜田拓也選手らとも一緒にプレーしていました。
ーーそのままエリート街道を突き進むことができたのでしょうか?
いえ、高校時代に大きな挫折を経験しました。
実はFC東京U-18では、公式戦には1分も出場していないんですよ。
その3年間は私にとっては地獄のような日々でした。
ただ練習をこなすだけの毎日で、公式戦のメンバー発表の時はいつも上の空。
この頃は、多感な時期だったこともあり、過去に世代別の日本代表に選ばれていたことや、10番を背負って戦っていたというプライドが邪魔をして、努力することを怠っていました。
うまくいかないことを監督のせいにしたり、環境のせいにして、周囲の評価から逃げていたのだと思います。
ーー当時の自分にアドバイスできるとしたらどんなアドバイスをしますか?
言いたいことだらけですが、まずは無駄なプライドは捨てて、コーチや外部の成功している大人を頼るようにアドバイスをしていると思います。
そして「不貞腐れている時間があったらとにかく行動し、いまという時間を大切にしなさい」と伝えたいですね。
もしもあの時に「正しい努力」をしていればプロサッカー選手という夢は実現できたかもしれませんし、そんな経験をしたからこそ、今はそれをクライアントに伝えながら、共に成長していきたいと考えています。
大切なのは自分に矢印を向けること

ーー高校時代に挫折を経験しながらも、北陸大学へ進学してサッカーを続けたのはなぜでしょうか?
いくらJリーグの下部組織に所属していても、試合に出場していなければ、その先の進路もなかなか決まりません。
当時の私は全く試合に出ていない状況でしたので、たくさんの選択肢があるわけではありませんでした。
そんな中で、私に熱心に声をかけてくださった北陸大学に進学してサッカーを続けることにしました。
のちに入学してみてわかったのですが、サッカーの環境は全国でも5本の指に入るほど整備された大学で、結果的にこの選択がその後の私の人生に大きな影響を与えることになりました。
ーー何が武井さんの人生に影響を与えたのですか?
一番は「人との出会い」です。
最高の監督、コーチに恵まれました。
大学に入学してすぐのことです。
私がプライドにまとわり付かれていることを察知したコーチは、初めて会ったその日に「お前は経歴だけは立派だが、プレーヤーとしては何も持ってない」と言ってくれました。
言われた瞬間は、自分の人格まで否定されたようでショックを受けましたが、すぐに我に返った私は「いままでなにを勘違いしていたんだ」と自分自身を見つめ直すことができました。
そして、この一言をきっかけに、全てを環境や周りのせいにせず、自分に原因を探すようになりました。
こうして、「自分に矢印を向ける」ことができるようになった私は、再び真剣に競技に取り組むようになりました。
「朝練習」「試合分析」「読書」など、大学の4年間に行った全ての経験が今の自分に活かされています。
また、監督をはじめとする多くの方々との出会いも僕に大きな影響を与えてくれました。
大学時代に出会った方々とは、社会人になってからも仕事で関わらさせていただいています。
大学時代に人間関係を上手く築くことができたことは私の大きな財産になっています。
才能やセンスを言い訳にしない

ーー武井さんが成長を続けるために大切だと感じていることを教えてください。
私自身も成長している段階ですが、いま大切にしていることは、自分への投資は惜しまないということです。
サッカーを引退してからこれまでは、常に学びの連続です。
会社への移動時間は勉学。休みの日は実践と学び。
この3年間でたくさんの時間とお金を自分のために使ってきました。
凡人である人間ほど、当たり前のことを当たり前以上にやらなくてはいけないと考えています。
ーー時間とお金を自分に投資することで具体的に何が得られましたか?
一番の財産は出会いです。
「人は人によって磨かれる」という言葉がありますが、その言葉の通り、学びの場に行ってみると、そこにはまじめな大人の方たちがたくさんいました。
人生の師匠やメンターとなる方たちと出会うこともできました。
そのような素晴らしい方々が集まる場に若い私が入ると、とても可愛がってくれますし色んなことを教えてくれます。
僕はただそれを真摯に受け取り、行動に移してきました。
その結果、多くのチャンスをいただきながら学ぶことができています。
ーー社会人になってどんなことを学びましたか?
たくさんのことを学んできましたが、中でも、「成功は技術だ」ということを学べたのはとても大きな財産です。
私はプロサッカー選手になるために人生を賭けてきましたが、その舞台に辿り着くことはできませんでした。
プロサッカー選手になれないとわかった時は、「自分には才能がなかった」「センスがなかった」と、数多くの言い訳を探していました。
しかしそれは所詮言い訳だと気付かされたんです。
持って生まれた才能やセンスが成功の秘訣なのではなく、成功するためのスキルを高めることが成功の秘訣なんだということを学びました。
そして、私がプロサッカー選手になることができなかったのも、正しい努力をしてこなかったからだと気付きました。
その時、初めて心にあった闇が全て晴れた感じがしました。
ーー成功のスキルはどのようして高められるのですか?
メンタル面をトレーニングすることです。
私は大学卒業後にメンタルトレーナーの資格を取得し、そこで学んだことを自分自身で実践することにしました。
そうするとすぐに結果が出たのです。
次にサッカー選手や知り合いの子どもに対して、ボランティアで実践をさせてもらいました。
すると彼らは周りが驚くほどの結果を出してくれたのです。
この時、「やぱり成功は技術なんだ」と確信することができました。
このように言うと何か特別なことをしなくてはならないように思われるかもしれませんが、当たり前のことをするだけです。
緊張しないために、自信を持つために、集中力を上げるために、ごく当たり前のことを行うだけです。
真剣に実践すれば誰でも大きな結果を残すことができることを知ってからは、クライアントに対して成功の技術を伝え、いまはクライアントとともに「成功の技術」をさらに高めているところです。
時間は命と同じくらい大切なもの

ーー自分の与えられた環境で、変化を受け入れながら、新しい世界に挑戦しているんですね。
そうですね。
今の私は、サッカー選手になれなかったからと言って不貞腐れている時間はありません。
どうせならサッカー選手よりも価値を与えられる人間になろうと意気込んでいます。
最初から未来が見えていたわけではありませんが、常に行動しながら、一歩でも、半歩でも前に進もうとしてきたからこそ、楽しく仕事に打ち込むことができているのだと思います。
ーーでは最後に、これから社会に出ていく体育会学生たちにアドバイスをお願いします
人生は一度きりです。そして時間は限りがあります。
だから時間を命と同じように大切にしてもらいたいです。
私はまだ何かを語れるような立場ではありませんが、それを常に意識し始めてから、思い切ったチャレンジができるようになりました。
何かを言い訳にするのは簡単ですが、1回の人生を最高のものにしようと思ったら、言い訳をしている時間がもったいないと思います。
今この瞬間に全力を注ぎ、自分の進みたいと思う方向に突き進んで欲しいと思います。
取材後記

このインタビューでは武井さんの熱い思いに触れることができました。
武井さんには「2050年までに日本をワールドカップで優勝させる」という大きな夢があります。
この夢に向かって、全力で走り始めた武井さん。武井さんのような存在が身近にいればきっと選手も心強いのではないかでしょうか。
選手を支える仕事で輝こうとする武井さんの今後のキャリアに注目したいですね。

取材・文/瀬川泰祐(スポーツライター)
著者Profile
瀬川 泰祐(せがわ たいすけ)
1973年生まれ。
北海道旭川市出身の編集者・ライター。スポーツ分野を中心に、多数のメディアで執筆中。「スポーツで繋がる縁を大切に」をモットーとしながら、「Beyond Sports」をテーマに取材活動を続けている。
公式サイト
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