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2025.02.20
元サッカー日本代表・巻誠一郎が実践するスポーツで培った能力の活かし方
元サッカー日本代表の巻誠一郎さんは、常に献身的なプレーでファンの感情を揺さぶることができる数少ない選手でした。
2006年ワールドカップ・ドイツ大会に参加する23人の代表メンバー発表の際、ジーコ氏(当時日本代表監督)から巻さんの名前が呼ばれると、一躍「時の人」となり、その名はお茶の間にまで広がります。
さらに、2016年4月に故郷を襲った熊本地震が起きた際は、先頭に立って復興支援に尽力するなど、その活躍は、スポーツの世界だけにとどまりませんでした。
「アスリートの価値は、ピッチの中だけじゃない」
このように語る巻さんは、現役を引退した2019年1月以降も、スポーツで培った能力を活かして、アスリートの価値を世に示し続けています。
Profile
巻 誠一郎(まき せいいちろう)1980年8月7日生まれ
元サッカー日本代表。駒澤大学を卒業後、2003年にジェフ千葉に入団。名将イビチャ・オシム監督に見出されて頭角を表す。2006年のワールドカップ・ドイツ大会では、「サプライズ選出」として話題を呼び、お茶の間にもその名を轟かせた。その後、2010年には、海外移籍を経験。2011年にJリーグに復帰すると、東京ヴェルディ、そしてロアッソ熊本に所属。その献身的なプレースタイルで、多くのサポーターを魅了した。2019年1月に2018年シーズン限りでの引退を発表した。
自分が情熱を注ぐことができることにアプローチする

―― 現在、巻さんは複数の事業を行っているそうですが、具体的にはどのようなことをされているのでしょうか。
はい。
子供向けのサッカースクール運営とその施設運営、障害者向けの放課後デイサービス・就労支援、そのほか、NPO法人を立ち上げて復興支援活動をしたり、ITを使った健康管理を行う事業会社の役員をやったりもしています。
―― まだ引退されて1年足らずですが、現役時代から事業に興味をお持ちだったのですか?
そんなことはありません。
もともと事業家になりたいなんて思ったことはありませんでした。
現役中には、引退後のためにお金を残さないといけないと思って、飲食などいくつかの事業にチャレンジしたこともありました。
でも、失敗しましたね。
あまりエネルギーを発揮できなかったんです。
僕はお金儲けにあまり関心がないことに気づいてしまったんですよ。
失敗する前に気づけよって話ですけどね(笑)。
その時に、自分がエネルギーを注ぐことができることにだけアプローチをしていこうと決めました。
だから、いまは、誰かのためになることに注力するというスタンスでいます。
僕は、誰かのために動いた時が一番力を発揮できるんです。
―― 熊本地震の時は、巻さんのパワーが最大限に発揮されていたように思います。
僕にとって、熊本地震の経験は本当に大きかったですね。
震災後3ヶ月間は、ほぼ毎日のように避難所や小中学校を訪問しました。
1日で4〜5施設、合計で約300施設を回ってみて、改めて見えてきたものがあったんです。
アスリートは、プレーだけが全てというわけではないんですよね。
Jリーグには、100年構想という考え方があって、いまクラブや選手は、地域とどのように繋がりながら発展していくかを問われています。
そんな中で、熊本地震での被災地支援活動を行なってみて、アスリートの価値は、ピッチの中だけではなくて、ピッチ外でも発揮できるということを改めて実感しました。
海外移籍が自分の価値観を変えた

―― アスリートの価値を再認識したわけですね。そのような考えに至るきっかけは何だったのでしょうか?
海外移籍の経験は大きかったと思います。
僕の場合は、あまり日本人が行かないロシアや中国に、エージェントも付けずに、一人で行ったので。
周りに日本人がいないし、誰も僕のことを知らない環境。
つまり、社会的な価値が皆無の中で生活をしました。
ロシアや中国では、サッカーに関わりを持っていない人たちには、全くアプローチができなかったんです。
そのような経験を経て日本に戻ってきて、再び地域と密着してやっていく中で、Jリーガーの価値、アスリートの価値というのは、すごい貴重なものなんだということに改めて気付かされました。
―― 海外に行ったというのは、それほど大きな経験だったんですね。
サッカー選手としての結果は残せなかったので、決して成功ではなかったかもしれませんが、そのような価値観を得ることができたし、契約も交渉ごとも普段の生活も含めて、自分の力で整備していくという経験は、とてもポジティブなものでした。
―― 自分で切り開く力をお持ちだったんですね。そのような能力はどのようにして育まれたのでしょうか?
両親の教えが影響しているのかもしれませんね。
僕は幼い頃から、岐路に立たされた時、全て自分で選択させてもらってきたんですよ。
もちろん、両親のサポートやアドバイスはあります。
でも、最終的には全て自分で決めてきました。
野球をやめてサッカーをやると決めた時も尊重してくれましたし、高校を選ぶ時も自分で決断しました。
また、高校を卒業する時にプロからのオファーを断って、大学に行くことにしたのも自分の意思でした。
―― 巻さんがプロを目指したのはいつでしょうか?
僕の場合は、明確にプロになろうと決めたのは、高校2年生の終わりから3年生に上がる頃でしたね。
ただ、高校卒業した当時の僕は、とにかくガリガリで、身長は今と同じ184cmでしたが、体重が64kgしかありませんでした。
当時も国内外のクラブからオファーを頂いていたのですが、まだプロでやっていく自信がなかったので、まずは大学に行って、4年間を使ってプロになるための準備をしようと決めていました。
いずれにせよ、小さい頃からプロサッカー選手になることを目指していたという人がほとんどですので、僕は珍しいケースですね。
大切なのは自分の強みと弱みを知ること

―― 高校生の頃から自分自身を客観的に見つめていたことに驚かされます。
僕が通っていた大津高校サッカー部の平岡一範監督(現・宇城市教育長)から、ある時「自分をプロデュースしなさい」と言われたんです。
はじめてセルフプロデュースという言葉を覚え、自分をよく知ることの大切さを学びました。
そのおかげで、自分を過大評価せず、かといって過小評価することもなく、チームの中における自分の立ち位置や、自分に何が出来て何が出来ないのか、チームの中でどんな存在なのか、といったことを客観的に把握することができるようになっていました。
だから、自分の長所や短所を、素直に受け止めることができていたように思います。
それがその後の成長に繋がったのではないでしょうか。
―― 自分の長所と短所を知ることは、簡単そうで、実は難しいですよね。
例えば、「長所と短所をあげてください」と言われたら、ほとんどの人は、長所よりも、短所を多くあげると思うんです。
そこで、ほとんどの人は、短所を普通のレベルにすることを考えるじゃないですか。
せめて悪いところが目立たないようにと。
僕の場合は、短所をなくすのではなくて、長所に変えることに目を向けました。
短所がものすごい伸び代なんじゃないかと考えたんですね。
例えば、この細い身体を、もっと強くして当たり負けしないようになったら、もしかしてプロでも上までいけるんじゃないかなとか。
諦めないことも立派な才能

―― 短所には、目を背けてしまいたくなるところですが、巻さんは、短所が伸びしろに感じたんですね。そう考える様になったのはいつ頃からですか?
僕は小さい頃から、恥ずかしがり屋で、自信がなくて、自己主張ができない子供だったんですね。
出来ないことに対してコンプレックスや劣等感や不安を感じるタイプの人間だったんですよ。
それはプロになっても変わらずでした。
ただ、なぜか変な自信は持っていて、必ず克服できると信じていたんですね。
僕は出来ることよりも、出来ないことの方が多い選手だったので、それらを一つずつ潰していったら、まだまだ成長できると思って日々を過ごしていました。
それこそ、サッカー選手をやめる直前まで、そう思っていましたから。
―― 巻さんならなんでも克服してしまいそうですね。苦手なものはなかったのでしょうか?
なんだろうな。
そういえば、音楽がまったくダメでしたね。
「もう歌うのやめていいよ」と言われるくらい本当に音痴でして。(笑)
―― 今でも歌わないのですか?
歌わないです。
家族でカラオケに行っても歌わない(笑)。
音楽は聴くのは嫌いじゃないんですけどね。
これを読んでくれたら、みんな「歌って」って言われなくなるかな。
―― ちょっと安心しました(笑)。でも、短所を長所に変えるとなると、並大抵の努力ではないですよね。
もちろん困難はつきものです。
でも、成長の過程には絶対に必要なことですよね。
超一流の人というのは、たくさんの才能を持っていますが、その一つに「諦めない才能」があると思うんです。
できないことがあっても、できるための努力をする。
できないからやらないのではなく、できるためにどういうアプローチをしたらいいのかを考える。
これは、社会に出ても必要な才能なんじゃないかなと思います。
巻がいま伝えたいこと

―― 現役時代、決して諦めないプレーでファンを惹きつけてきましたが、熊本で引退試合を行うことが決まったそうですね。いま引退試合を行う意図を教えてください。
今年の1月に引退を発表してから、ファンや応援してくれた方々に直接メッセージを伝えていなかったので、ちゃんとした形で感謝の気持ちを伝える場が欲しかったというのが一番の理由ですね。
あとは、熊本の子供たちに本物を見せてあげたいなと。
熊本では、なかなか本物に触れる機会がないんですよ。
だから、トップアスリートがピッチの中で躍動するところをみせてあげたいですね。
―― 最近はプロの選手も、現役中から事業を始める人が増えてきました。世の中も副業解禁の動きが進むなど、働き方が変わってきていますが、巻さんはどう考えていますか?
悪くはないと思います。
だって、引退したらゼロからのスタートになりますからね。
例えば僕は大学時代、本当にサッカーだけに向き合ったんですね。
サッカーだけに専念したからこそ、今があると言えます。
その反面、もっと世の中のことを考えて行動したり、もう少し社会と繋がっておけば良かったのかなぁと思うこともあります。
まあ、大学時代にそのようなスタンスだったら、スポーツ選手として上まで行くことはできなかったかもしれないですし、そのバランスは難しいところだと思いますが。
ただ、僕が言いたいのは、現役中からビジネスをやった方が良いとか、副業をやったほうが良いということではなくて、社会とつながるという意識を持つようにしたほうが良いということです。
その意識を持つだけで、スポーツに対する取り組み方や、引退後の能力の活かし方も大きく変わってくると思います。
スポーツで培ったものをカスタマイズする能力がつくはずです。
―― それでは、最後にこれから社会に出ていく体育会学生たちにアドバイスをお願いします。
スポーツは、社会の縮図です。
例えば、サッカーは足でやるスポーツですよね。
つまり、できないことから始めるものなんです。
目の前に課題があって、それに対してどうしたらうまくいくかを考えるのは、社会に出てからも同じじゃないですか。
しかもサッカーには相手がいますので、自分たちがいくらしっかり準備して試合に挑んだとしても、それがたったの開始30秒とか1分でプランが崩れてしまうこともあります。
その時に、自分がそれまでに構築してきた技術や経験を駆使してプレーしないといけません。
それも社会と同じですよね。
何が言いたいかというと、うまくいかない時にどうやって乗り越えるのかという能力は、本来アスリートには培われているはずなんです。
スポーツを通じて、究極の問題解決能力を養ってきたはずなんです。
うまくできないことにどう向き合うか。
どういうアプローチをして問題解決に導くかという能力を社会に出てからも、存分に発揮してもらいたいですね。
取材後記

巻さんは現在、2020年1月に予定されている自らの引退試合に、熊本の子供たちを無料招待するために、クラウドファンディングを立ち上げて支援を募っています。
https://www.makuake.com/project/maki18/
自分を客観的に見つめる巻誠一郎さんは
「僕は自分の強みを知っているんです。ズルイかもしれないけど、持っている強みを最大限に使って、それが世の中のためになればいい」
と話します。
地域の輝く未来を作り、それを全国に発信していく。
そんな巻さんの取り組みにも注目です。

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巻 誠一郎Seiichiro Maki
元サッカー選手
現在:経営者
取材・文・写真/瀬川泰祐(スポーツライター)
著者Profile
瀬川 泰祐(せがわ たいすけ)
1973年生まれ。
北海道旭川市出身の編集者・ライター。スポーツ分野を中心に、多数のメディアで執筆中。「スポーツで繋がる縁を大切に」をモットーとしながら、「Beyond Sports」をテーマに取材活動を続けている。
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