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東 俊介 / Shunsuke Azuma   元ハンドボール日本代表キャプテン|現在:コンサルティング企業勤務/ハンドボールチームマネジメント

一途に生きて夢をかなえる

東さんはこんな人

こうなりたい、ああなりたい。
誰しもが一度は、「夢」を描いたことがあるでしょう。

でも、大人になるにつれて
忘れたり、諦めたり、見ないふりをしたり。
現実とのバランスを取るために。リスクを避けるために。

でも、東さんはまっすぐでした。
今もこれからも、彼はひとつの夢にひたむきです。

Profile

 

東 俊介(あずま しゅんすけ)1975年9月生まれ

元ハンドボール日本代表キャプテン。大崎電気工業ハンドボール部『OSAKI OSOL(大崎オーソル)』では9度の日本一に貢献。現在は株式会社サーキュレーションにてパートナー社員、株式会社藤商にて取締役を務め、ハンドボールの普及に取り組む。夢は「ハンドボールをメジャースポーツにすること」。

高校生からの夢、日本を代表するハンドボール選手になること

―― 東さん、初めての日本代表は高校生のときだったんですね。

スカウトされて金沢市立工業高校のハンドボール部に入って、2年生で国体、3年生ではインターハイと国体に出場しました。U-18日本代表に選ばれたのもその時期ですね。

―― やっぱり昔からずっとスポーツが得意だったんですか?

いえ、もともと運動は苦手なんですよ。ただ、小6で身長が170センチあって、昔から体だけは大きかったので得意そうに見られるんですよね。中1でハンドボールを始めたんですが、その理由も「練習がいちばん楽にやれそう」でした(笑)

そんな感じだったので、高校の練習にも最初は全然付いていけなくて。ただの大きいやつだな、ダメだなって馬鹿にされていました。僕、「ダメ」って言われるのが何よりも大嫌いなんです。じゃあ、どうすればいいか。言われないようになるしかない。だから、練習に全力を注ぎました。

国際武道大学に進学後は、東日本インカレで準優勝、全日本インカレでベスト8と、今でも破られていない大学史上最高と言われる戦績を残しました。U-20日本代表にもなりましたね。練習は厳しかったけれど、メンバーに恵まれていい経験ができました。

― 大学卒業後は、大崎電気工業株式会社に入社。実業団ハンドボールチーム『OSAKI OSOL(大崎オーソル)』に所属されます。

学生時代はずっと優勝ができなかったので、実業団では日本一を獲ってやるんだと意気込んでいたんです。大崎オーソルでは監督指名でキャプテンになりました。

26歳のときには日本代表にも選ばれて、アテネオリンピックアジア予選などさまざまな国際大会に出場しました。日本代表として4年活動した中で、ラスト2年はここでもキャプテンになって、さらに意識が高くなりましたね。責任感も強くなって。

高校生でU-18を経験してからずっと、大人になっても日本を代表する選手になりたいと夢描いていたんです。日の丸を背負って、大好きなハンドボールを思いっきりやって、世界で戦うんだと。

ハンドボールをビジネスとして成立させる必要性を痛感

―― 見事、夢をひとつ実現したんですね!引退はいつ頃だったのでしょう。

2009年の3月、33歳で引退しました。若い選手がどんどん出てきて、自分よりも年下の子に対して「すごいな」って思う瞬間があって、現役でプレイするのはそろそろ潮時だなって感じたんです。大崎オーソル一筋で11年やりましたね。日本一も9度経験しました。

―― 11年も、いえ、中学生から熱中し続けたハンドボール。引退への葛藤は無かったですか?

本音で言うと、プロ契約を考えていました。大崎オーソルでは日本代表に選ばれると、プロ契約を選択できるんです。ハンドボールをプロスポーツとして普及したいなら、まずは僕自身がプロになるべきだなと。

日本代表としてアテネ五輪のアジア予選に出場したので、オリンピック後にはプロ契約をするつもりでした。でも結局、アテネへの切符は逃してしまったんです。

日本代表チームがオリンピックに行けなかった影響力はとても大きくて、当時、日本リーグを6連覇していたホンダのチームが活動を縮小しました。他社のハンドボールチームも縮小をしたり、消滅したり……。あと、私の所属していた大崎オーソルの女子チームも休部になって、そのときに痛いほど感じたんです。チーム自体が強くても残れないということを。

企業の都合でチームが無くなってしまうこともある。そうならないためにはハンドボールをビジネスとして成立させる必要があるんじゃないか。そう考えるようになりました。

より良くするための問題点の指摘が受け入れられない

―― ハンドボールをビジネスに、ですか?

そうです。だから、まず早稲田大学大学院でスポーツマネジメントを学ぶことにしたんです。同期には桑田真澄さんもいらっしゃいました。ただ、ここでひとつ悔しいことがあって……。僕の修士論文が優秀賞になったんですね。その内容がハンドボール界の問題点を指摘したものだったんですが、そうしたら僕、チームから干されてしまって……。

大崎オーソルからは、早稲田で学んだあとに、チームの指導者になって欲しいとオファーをもらっていたにも関わらず、です。努力をして結果も残したのに、より良くするための指摘が“悪”とされて、認めてもらえない。それって大崎オーソルがというよりも、ハンドボール界全体の問題点のようにも感じました。

その後しばらくは、大崎電気工業で普通にサラリーマンをすることになりました。一生懸命に仕事をしたんですが、周りの目が厳しくて。ハンドボール出身者だから仕事ができない、まるで頑張っていないかのように言われるんですよ。いやいや、何なんだよ……ってね。認めてもらうために、目に見えて分かりやすい結果として資格の取得もしました。

―― ハンドボールに対して真っ直ぐな気持ちがあるからこそ、葛藤することも多かったのではと思います。

その後は、日本ハンドボールリーグ機構でリーグ委員として、試合結果を協会に送る仕事に就いたんです。確かにハンドボールの仕事ですが、ただただ報告するだけに見えてしまって。日本代表のキャプテンになって、選手としても実績を残して、スポーツマネジメントも学んだ僕が、どうしてこんな誰にでもできる仕事しなければいけないんだろうと悩みました。

誰よりもハンドボールを知っている僕なら、リーグ委員じゃなくてもっと違うことができるだろうと、大学院の同期に愚痴をこぼしたんですね。そうしたら、「お前ね、誰にでもできる仕事を、誰にもできないクオリティーでやるんだよ。きっとお前にしかできない仕事がくるから。」って言われて、ああそうかと奮起したんです。

そうするとリーグ委員って誰にでもできる仕事じゃなかったんです。たとえば、会議。ハンドボール協会の一番偉い人も参加するんですが、怖がって何も言えない周りに反して、僕はどんどん発言しました。「ハンドボールをビジネスにすべき」「ビジネスに絡めないからチームが消滅していく」と。

僕の目的はトップの機嫌を気にすることじゃなく、ハンドボールを広げることでしたから。

何かを変えなければ、人生なんて何も変わらないまま

―― まさに、東さんにしかできない仕事ですね。

臆することなく意見を伝え続けていたら、「じゃあ、お前がやってみればいい」とマーケティング部が新しく設立されて、僕は部長に就任したんです。Jリーグの立ち上げで活躍された木之本興三(きのもと こうぞう)さんにも手伝っていただいて、マーケティングの実践的なノウハウを学びながら活動を進めていきました。

ただ、実はここでもまたひとつ事件があって……。
当時、日本ハンドボールリーグが40周年記念だったんです。たまたま僕も40歳。40という数字は、迷いが無くなる「不惑(ふわく)」とも言われていますし、ハンドボールも僕自身も変わっていくのかなと期待して40周年プロジェクトに励んでいました。

そうしたら、ですよ。最終会議で「50周年をメインにする。40周年は、10年後に向けての準備にあてる」となったんですよ。先送り……?それも、10年も……?愕然として一気にやる気が無くなりました。50周年までに世界選手権も東京オリンピックもあるのに、今やらなくていつやるんだよ、って。ダメな奴らばっかりだと、敵意すらありました。

でも、気付いたんです。よくよく考えるとダメなのは自分自身。僕自身にもっと影響力があれば、周りを動かせたかもしれない。もっと財力があれば、自分で資金を投入できたかもしれない。文句を並べるだけで何も持っていなかったんです。僕の夢はたったひとつ、ハンドボールをメジャースポーツにすること。しっかり叶えにいかなきゃいけない。

― 夢を、夢のままで終わらせないために。東さんは所属する大崎電気工業と日本ハンドボールリーグ機構の退職を決意されます。

妻も子どももいて、家も購入したばかり。リーグ委員という役職で、ハンドボールにも関わってはいる。挑戦しない理由なんてたくさんあったんです。でも、このままだと夢を叶えられない。何かを変えなければ、人生なんて何も変わらないまま。だから一度リセットしようと決めたんです。そのとき、僕はもう40歳だったけれど。

まずは独立して、テーピング販売の代理店、講演活動、コンサルやコーチングなどをやっていたんです。毎日が気付きだらけでしたね。それまで湯水のように使っていたコピー用紙、パソコン一台のコスト、黙っていても魔法のように振り込まれていた給与……ひとつひとつの意味を考えました。自分が動かないと、仕事もお金も入ってこない。

そのままで食べていくつもりでしたが、やっていくうちにもっとハンドボールのメジャー化に繋がることをしなくてはと気付いたんですね。それで、外の世界に出ようと考えました。

ビジネスの世界で形をつくり、スポーツ界に広めたい

―― そんなときに、株式会社サーキュレーションに出会われたと。

そうです。代表の久保田を紹介してもらう機会があって。サーキュレーションでは、独自のスキルを持ったプロフェッショナルな人財を企業と繋ぐビジネスを行っているんです。

ビジネスの世界で勉強しながら、そのモデルをゆくゆくはスポーツ界にも広げたいと思って入社を決めました。スポーツ界に必要なのは、様々なスキルを持つプロフェッショナル人財ですからね。経営コンサルタントとしての仕事を通して、経営者やトップ層の素晴らしい方々と出会いました。

―― それと、株式会社藤商の名刺もありますね。

藤商からは、自社のハンドボールチーム『FUJISHO HTP』を手伝って欲しいと声をかけてもらって。スポーツとビジネス、人材育成、地域貢献などをかけ合わせたプロジェクトも始まるとのことで、僕はそのゼネラルマネージャー兼取締役に就任しました。

藤商は社員教育もハンドボールを通じてやっていますし、僕自身もハンドボールによって思いやりとか努力する習慣を身につけられる、コミュニケーション能力を高められるよっていう方針でチーム運営をしています。実業団チームのよい在り方を作ることにも励んでいるので、ハンドボールを続けたい子のひとつの場所になれたらとも考えています。

今は、サーキュレーションと藤商の仕事以外にも、アドバイザーやプロジェクトなどを担当しています。日々駆け回っていますね。ハンドボールをもっと普及したいし、ビジネスとしての可能性を広げていきたい。そんな想いで走り続けています。

取材後記

ハンドボールをメジャースポーツにするという夢、
叶えられそうですか?

何気なく、東さんに聞いてみました。
返ってきた言葉たちは、とっても力強くて。

「叶えられる、叶えられないじゃなく、
僕はもう「叶える」と決めているんです。」

「だから、自分自身にとにかく力を付ける。
しっかり稼ぐ。仲間をつくる。」

「面白いコンテンツで溢れる世の中で、
僕がやりたいことを応援してくれる人を増やしたい。」

ハンドボールをメジャースポーツにする。
東さんはこれからも、夢に向かって戦い続けます。

 

東俊介 オフィシャルブログ
http://www.diamondblog.jp/official/azumaism/

東俊介 twitter
@shunsukeazuma

取材/アスリートエージェント 小園翔太
取材・文・編集/榧野文香

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