2018.07.06

アスリートとは憧れの対象。だから、プロラクロス選手としてかっこよく生きていく。山田幸代

あのひと、かっこいいな。

そう思われるひとって
どうして「かっこいい」のでしょう。

今回お会いしたプロラクロス選手の山田さんは
そう、まさに「かっこいい」という印象で。
取材中、ずっと彼女に惹きつけられました。

初夏の青空に負けないくらいの
からっとした爽やかな笑顔と明るさで
学びあふれるお話を、たっぷりいただきました。

Profile

山田 幸代(やまだ さちよ) 1982年8月生まれ

現役プロラクロスプレイヤー、オーストラリア代表。
京都産業大学時代、U-20日本代表に選出。2005年には日本代表としてW杯に出場し、5位入賞に貢献。2007年9月、日本初のプロラクロス選手となる。現在は、オーストラリア代表、大学ラクロス部コーチ、大学専任講師、そして経営者の顔を持つ。

 
大学から始めたラクロス。自分たちでつくるから面白い

―― 今、プロとして活躍されている山田さんが、ラクロスに初めて出会ったときの印象っていかがでしたか?

ボールを取って、投げて、拾う。
スティック一本でその動作すべてが完結するスポーツが初めてだったんです。

自分のできなさがものすごく面白くて。

高校まで続けていたバスケは素手でボールを扱いますし、思うように動けるしパスもできる。

「できる」という感覚をずっと持っていたなかに「できない」という感覚が生まれたことが新鮮でした。

バスケはもうやり尽くしたので、大学はバスケもスポーツもしないつもりだったんですけど、ゼミの友人がラクロスをやっていて。

初めてスティックを見て「それ、何?」と興味を持ったところから始まりました。

体力づくりかな、くらいの気持ちで。

―― 「できない」を「できる」にしていくことが、山田さんに合っていたんでしょうね。大学からスタートしたラクロス、順風満帆だったのでしょうか。

スティックはうまく扱えないですし、最初はとても苦労しました。

ただ、瞬発力、俊敏性などはバスケで培っていたみたいで、日本代表コーチの目に留めてもらって。

一年後にはU-20日本代表に選ばれていました。

無名選手がいきなり現れて「山田幸代って誰やねん」、強豪校でもないので「京都産業大学ってどこやねん」っていう空気でしたね(笑)。

そこまでは順調でしたが、2005年に出場したワールドカップでは、自分のプレイも結果も出し切れず、精神の弱さと世界の壁の高さを痛感しました。

―― 山田さんが考えるラクロスの魅力を教えてください。

自分たちでつくるスポーツというところですね。

たとえばバスケだと、体育館に行けばコートはあるし、練習時間も確保されている。

野球やサッカーもそうですね。

メジャースポーツということもあってコートは整っているし、練習時間もしっかり用意されています。

でも、ラクロスは違って。

後発かつ新しいスポーツなので、フィールドを借りに行ったり、ラインを引いてグラウンドメイクをしたり、練習時間をもらったり、コーチ・監督になってくれる人を探したりしないとダメで。

一見すると大変そうですけど、自分たちで考えて動いて、カタチのないものをカタチにしていくことが楽しくて。

魅力やなぁと思ったんです。

ラクロスは、そもそも新しいスポーツに飛び込むようなガッツのあるひとの集まりなので、その挑戦心もどんどん磨かれます。

プラス、自分たちでつくることで積極性、思考力、コミュニケーション力を育みますし、ひととしての成長は早いんじゃないでしょうか。

今、ラクロスの競技人口はおよそ2万人です。

2028年のオリンピック種目になると言われているので、ラクロス協会はそこに向けて10倍、20万人規模のスポーツにしようとしています。

あと、今は世界65カ国でプレイされていますが、75カ国以上ないとオリンピック種目になれないので、そこも目指しているところですね。

 
達成率400%!ラクロスの経験を活かしてトップ営業に

―― 自分たちでつくるスポーツ。弊社で就職支援しているラクロス部の学生さんも、特に主体性のある方が多いように感じます。大学卒業後は株式会社USENに入社されたそうですね。

就職してラクロスをやめる気持ちは一切なかったんです。

大学卒業年の7月にワールドカップ開催だったので、絶対にそこで活躍したくて。

日本代表の練習場所が東京なので、とにかく東京勤務ができる企業を探しました。

面接では「7月のワールドカップに向けて4月後半からの合宿に出たい。それを許可していただけるなら面接をお願いします。」と言いましたね。

まだ代表になるかどうかも決まっていなかったのに(苦笑)。

でも、嘘を付いて後出しをするより、正直に伝えてあかんかったら、それはご縁がないんやなって思ったんですよ。

そうしたらUSENが内定をくれて。

USENではたらくことは、まあ、それは大変でしたね。

ラクロスのために休みを取ってもいい。

ただし、結果を出してノルマを達成しなければ行かせないよと。

営業会社ですしそりゃそうですよね。

新大久保と歌舞伎町っていうディープな担当エリアで飛び込み営業をして、根性つきましたよ(笑)。

結果、当時の私の営業成績は400%達成で、先輩を含めて50人ほどいる営業マンのなかで断トツのトップセールスでしたね。

運がよかったんだと思います。

その後は間接販売となって代理店を取りまとめていたので、マネジメントの練習にもなりました。

―― 400%!それは素晴らしいですね。ラクロスの経験が仕事に活きたこともあったのでは?

まず、定めた目標に対しての動き方ですね。

アスリートとして自分のモチベーション作りはずっとやってきて得意なんですよ。

だから、たとえばビルに飛び込み営業をするとき、上りはエレベーターを使っても、帰りは必ず階段にする。

そういうルールを自分のなかで作ってクリアすることでモチベーションにしていました。

それと、キャプテンとしてチームに何が必要か、誰にどんな情熱をかけるかを考えてきたことも、間接販売で活かせましたね。

代理店さんと関係構築をするために、相手のことを考えながら進められたかなと。

最終的にはファミリーのようになって、代理店の皆さんには「山田を何とかしてやらんとあかんな!」「さっちゃん、契約とってきたで!」」と声をかけてもらっていました(笑)。

ラクロスも仕事も着実に結果を出しながら
2007年9月、日本初のプロラクロス選手となった山田さん。

その翌年にはオーストラリアの強豪『Wilderness』に加入し
2017年、オーストラリア代表としてワールドカップに出場。

今もなお、プロプレイヤーとしてラクロスを続け、愛しています。

 
自己表現や感動を、ビジネスとする難しさ

―― 率直に伺います。ラクロスはもう嫌だ、やめたいと思ったことはなかったですか?

ラクロスをやめたい。

プロになってスポンサードアスリートとして走ってきたこれまでの道のりで、そう考えたことはまったく無かったです。

だって私はラッキーでしたから。

ずっとラクロスだけで生活をさせてもらっていて。

もちろん、プロになったばかりの頃は大変でしたね。

スポンサー企業は1社のみで年間300万円。

自身の心身を鍛えるためにオーストラリアへ渡ることもすでに決めていましたし、活動費、遠征費、生活費、すべてそこから捻出しなければいけません。

パーソナルトレーナーをつけるなんてできない状況でした。

ハローワークに行った経験もありますよ。

スポンサー企業が安定しなくて、いよいよやばいかなぁ、仕事をしながらやらないとあかんのかなと思って。

実家にハローワークから電話がきて「山田プロ〜!ハローワークからですよ〜?」と両親に笑われていましたね。

くっそう、この両親なんやねんって(笑)。

悔しさを抱えながら、やっぱりプロとして目標となる選手にならなきゃいけないと思い、スポンサー活動にも力を入れるようになりました。

おかげさまで毎年少しずつ増えていって、今では数倍になり、自分でオーストラリア、日本ともにパーソナルトレーナーを雇え得るほどになりました。

―― 山田さんがスポンサー活動で意識されていること、ぜひ教えてください。

スポンサー企業にとってのメリットを常に考えています。
Win-Winという考え方をUSENの上司から教えてもらうなかで、Winっていったい何なんだろうって考えたんです。

営業なら「これを買ってください」だけじゃ伝わらなくて、商品や会社、私自身のことを好きになってもらって初めて「よし、買おう!」となることを強く感じて。

正直、私はお金の話をするのが大の苦手ですけど、相手にとって本当に必要なものを提案できれば、お金は後からついてくることも感じました。

アスリートは自分を表現してひとを動かしたり、ひとに感動を与えたりすることは得意なんですよ。

ただ、ビジネスとしてお金を生み出すこと、お金に換えることは、学ばなければいけない。意識しなければできないことやなって思います。

私、2016年に会社を立ち上げて経営をしているんですけれど、情熱、モノ、空間などをビジネスとしてお金に換えて、利益をあげることの難しさを痛感していますね。

より学ばなきゃいけないなと実感しています。

 
子どもたちにラクロスやスポーツの楽しさを伝えたい

―― プロアスリートと経営者、顔を二つお持ちなんですね!会社ではどのような事業をされているのでしょう。

スポーツイベントがメインですね、今は。

子どもにラクロスやスポーツの楽しさを伝えて、スポーツと繋げるという大きな目標を持っているので、今後は子どもにとってスポーツがより身近になる事業もどんどんやっていきたいですね。

ゆくゆくはラクロス選手たちを雇えるほどの会社に成長させたいんです。

セカンドキャリアのひとつの選択肢となって、アスリートを支援したい。

それと今、2028年のオリンピックの監督を目指しているので、指導者の資格を取りながら大学のラクロス部のコーチもしています。

早稲田大学と西武文理大学の女子ラクロス部を教えていますね。

あと、西武文理大では専任講師として週に5コマほど授業を持っています。

……休みがないですね(笑)。

はたらきながらラクロスの普及活動をするとか、普及活動をしながらプレイするとか、二足のわらじはずっと履いていたんですけど、今はちょっと履きすぎているかなぁと。

持っているものを整理して、どこかに集中する必要があるかもしれないなと考えています。

―― 二つどころではなかったですね(笑)。お話を伺っていると、山田さんの引退はまだまだ先なのだろうと思います。

引退、明確には決めていないんです。

でも、プレイヤー以上に面白いことが見つかったら……やめるのかな。

自分の体と向き合いながら、いつか見つかりそうな気もしますけどね。

今はプレイヤーが何より楽しくて一番好きなので。

ただ、私自身がプレイヤーとして2028年のオリンピックに出場するとなると、今からあと10年後。44歳です。

その歳で現役を続けていてオリンピックに行くって、現実的に難しいと思うんですよね。

でも、指導者としてなら目指すことはできるなって。

だから、もし引退しても切り替えはできるでしょうし、そのときは指導者として最善を尽くしていくのみです。

世界が山田幸代というプレイヤーを必要としてくれるなら、まだプレイヤーを続けていくことは必要なことだと考えています。

あと、オーストラリアから最新かつトップレベルのプレイを持って帰って、コーチとして活かすことも引き続きやっていきます。

 
目標は“筒状”としてさまざまな角度から捉える

―― さまざまな役割を果たしながら、ご自身の夢を追いかける山田さん。大切にしている考え方はありますか?

物ごとに対して「?(はてな)」を持つことですね。

目の前の出来ごとや、誰かに言われたことをすべてすんなりと受け入れるのではなく、疑問や興味を持ってみる。

ひとの意見は答えじゃなくヒント。自分の頭のなかにヒントという引き出しを増やして、大事な場面でその引き出しから自分なりの答えを出していく。

それってすごく大事なことやなって。

あと、目標というのは点じゃないよと。

目標ってペットボトルのような筒状のものだと私は考えていて。

その目標にまっすぐ向かって行くんですけど、筒状なので正面から見える景色だけじゃなくて、後ろから見えるまた別の景色があるかもしれないですよね。

だから、目標の見方は常に変えてもいいんだよって。

ブレないものを軸としながら、ちょっと違うと思うなら道を変えてもいい。

失敗したら戻ればいい。宙に浮いて上から眺めてみるのもいい。

もしその目標をうまく見られなかったら、自分の代わりに誰かに見てもらって教えてもらえばいい。

やり方を変えながら、自分の目標をいろいろな視点から捉えることはずっと心に留めていますね。

―― オーストラリア代表としてますますご活躍されてくことと思います。オーストラリアの環境や文化に触れて感じた、日本との違いをぜひ教えてください。

オーストラリア人って「これ、分かるひと?」って聞くとみんな手を挙げるんですよ。

はい、はい、はい!って勢いよく。

じゃあ、答えてみてくださいと言うと「質問って何だっけ!」って言っちゃうんです(笑)。

分かっていなくてもとりあえず自己主張する。

まあ、裏を返すとわがままですよ(笑)。

ただ、そのわがままに自分の主張をちゃんと入れているんですよね。

誰かに認められるのを待つ選手はひとりもいないですし、自ら勝ち取りに行かなきゃポジションがないことを分かっているんです。

そうして結果を出せる子たちがどんどん上にあがっていきます。

日本人はその逆で、分かっていても手を挙げないひとが多いですよね。

聞いてあげないと出てこない。日本の選手たちに教えるときは、やっぱりやり方を変えますね。

こちらから積極的にコミュニケーションを取ってあげないといけないなと。

オーストラリア人と同じようになりなさいとは言えないですし、なれないですからね。

あと、オーストラリアはポジティブな表現が多いなと感じます。

たとえば「いいね」と言うときによく使う「awesome」は、超いいじゃん!すげえ、やばいね!っていうとても強い褒め言葉。

言われたひとは笑顔になるし、ありがとうって素直に言えるし、自己肯定感が高まる。

ポジティブな言葉は、ひとの良さを引き出しますね。

 
取材後記

「アスリートは表現者であり、憧れられる立場。
だから、かっこよくいたいし、
かっこよくいて欲しいですよね。」

最後、そう話してくださった山田さん。

山田さんの「かっこいい」は
花を開かせるために、頭のなかにある知恵を
しっかりと表現していくこと。
まさに、山田さん自身が体現していました。

「かっこいい」は、信念。
かっこいいひとは、信念を持っている。

あなたの「かっこいい」は、何ですか?

山田 幸代Sachiyo Yamada

現役プロラクロスプレイヤー(オーストラリア代表)

取材/アスリートエージェント 小園翔太
取材・文/榧野文香

山田幸代 ツイッター
@lacrosseSachiyo

山田幸代 インスタグラム
lacrosseplayer_sachiyoyamada

オフィシャルブログ
https://ameblo.jp/sachiyolax/

Tシャツ提供 ニューモード株式会社
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