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2025.02.20
元Jリーガー外池大亮:サッカーで磨く人間力は、ビジネスの世界でいかに通用するのか?
Jリーガーとしてひたむきに走った、11年間。
親の反対にも屈せず、クビになっても諦めることなく
がむしゃらに、そして懸命に進んできたプロの道。
「自分が選んで続けてきたからこそ、
サッカーを肯定して引退したかった。」
その言葉通りにサッカーを愛し続ける外池さんは
引退後、サッカーの“外側”の世界で得たものを
サッカー界、そして体育会学生に届けています。
Profile
外池 大亮(とのいけ だいすけ) 1975年1月生まれ
早稲田大学ア式蹴球部監督。早稲田大学を卒業後、Jリーガーとして、ベルマーレ平塚、横浜F・マリノス、ヴァンフォーレ甲府など数々のチームで11年間に渡りプレー。引退後は電通での勤務を経て、スカパーへ。現在はア式蹴球部監督としてサッカー技術だけでなく、情報・発信の重要性なども学生に伝えている。
INDEX
坊主が嫌だ!とバドミントン部を選んだ少年が、強豪・早稲田大でサッカーに浸かるまで

―― 外池さん、出身は横浜ですよね。横浜F・マリノスのホームタウンですね。
横浜市の港北区で育ちました。
日産スタジアムから近くて、小学生のときは日産サッカースクール(現:マリノスサッカースクール)の選抜コース「プライマリー」の一期生だったんです。
最初のコーチは樋口靖洋(ひぐち やすひろ)さん。
横浜F・マリノス(以下、マリノス)でもずっと監督をしていた方で、当時24歳くらいでしたね。
そのあとは公立中学に進んで、バドミントン部に入部しました。
―― サッカーのプライマリー生が、突然のバドミントン部ですか?(笑)
サッカー部の「坊主必須」「一年生はグラウンド整備があるから途中帰宅・塾通い禁止」というルールがどうしても納得できなかったんですよ。
今では考えられないような、理不尽の塊のような時代だったので(苦笑)。
ただ、周りの子たちが「外池は絶対にサッカー部の方がいい!」って先生に言ってくれて、結局、サッカー部に入部することになっちゃって(笑)。
その結果、道が拓けてサッカーを続けるようになって、高校は一般受験で早稲田実業に入りましたね。
―― いろいろな高校がある中、早稲田実業の決め手は何だったんでしょう。
ある日、早稲田大学生がラグビーの試合で社会人に勝って全国優勝していたんです。
うわ!早稲田すげー!って刺激されて。
その頃、大学に入る理由ってよく分からんと思っていましたが、入るなら絶対に早稲田だと思ったんです。
高校の時点で早稲田(実業)に入るチャンスがあるなら!と、中3の夏からはひたすら勉強に集中して合格を掴みました。
ただ、親からはずっと「サッカーを続けて将来どうするの?」って現実的なことをずっと言われていました。
サッカーが好きだし上手くなりたいけれど、確かに自分よりも上手なひとなんてざらにいる。
それなら勉強したほうがいい。
僕自身もそう考えるようになって。
まあ、早稲田に入れば勉強に集中する空気があるだろうし、サッカー部に入っても入らなくても行く価値はあるだろうと。
でも、その軽い気持ちがガラッと変わったんです。
当時、早稲田大学のグラウンドの一角を借りて練習をしていたので、目の前に超トップレベルの大学生たちがいるんですよ。
うわ!大学生すげー!ってまた刺激されました(笑)。
日本代表とか五輪代表とか、もう格段にレベルが違う。
―― 刺激、再びですね(笑)。それから念願の早稲田大学へ。
その頃からサッカーにどっぷり浸かっていきましたね。
3億円の予想は崩れ、戦力外通告も。引退と就活も考えたプロ時代

―― 卒業後はベルマーレ平塚に入団されますが、Jリーガーになる未来は描いていたんでしょうか?
いえ、普通に就職するんだろうなって思っていました。
大学では最初、試合にこそ出ているけれど選抜には入らなかったので、自信も無くて。
そうしたら3年生の終わりから4年生にかけて選抜に選ばれるようになって、日本大学選抜にもなり、いくつかオファーをもらえたんです。
ベルマール平塚(以下、ベルマーレ(現:湘南ベルマーレ)に決めたのは、最初に声をかけていただいたから。
それと早稲田OBじゃない方からの誘いだったから。
次は早稲田とは違う世界で生きる力を身に付けたかったんです。
―― ベルマーレに決めたとき、親御さんはどういう反応を?
親からは相変わらず「お前には無理でしょ。将来どうするの?」って言われていましたが、当時の大卒プレーヤーは年俸がおよそ3000万円。
10年で3億。稼げるし、いけるだろうって僕は考えていたんですよね。
でも、2年目からベルマーレのスポンサーが撤退して年俸が3分の1になって…。
僕の計算はあっけなく崩れ去りましたね(笑)。
経営縮小でチームが無くなりますというところまで来て、これからどうすんだよと、もがき苦しんだのを覚えています。
その後、2000年にマリノスへ移籍したんですが、その2年後には戦力外通告を受けました。
27、8歳くらいでしたね。W杯開催年で日本が盛り上がっている中、ものすごく取り残されている感覚だったのを覚えています。
それからのトライアウトもセレクションもまったくダメで、自分の状況を思い知らされました。
これが引退するということなのかな、サッカーから離れることなのかな…と。
いよいよ就活を考えなきゃいけないと思いました。
あたらしい土地とチームでの再挑戦から学んだこと

―― でも就職ではなく、ヴァンフォーレ甲府へと移籍されますね。
そのタイミングでヴァンフォーレ甲府(以下、ヴァンフォーレ)からテストの話があったんですよ。
たまたまベルマーレ時代のコーチがヴァンフォーレで教えていることもあって、最後のチャンスいう心意気で臨みました。
結果、練習生から契約してもらうことができたんです。
それまでに比べると給料はものすごく低かったけれど、甲府という新しい街とクラブでのゼロからの修行が僕にかけがえのない経験をくれました。
―― ヴァンフォーレでのかけがえのない経験とは、どのようなものでしたか?
まず、社長の海野一幸(うみの かずゆき)さんがサッカーを価値化することにものすごく熱い方で。
「お前のやりたいことは何でもやってみろ。」と、いろいろなことに挑戦させてくれました。
山梨放送さんと一緒に番組の企画を立てたこともありましたね。
メディアの皆さんも心からチームを応援してくださるんですよ。
とても温かいひとが多く地方都市の良さに触れました。
試合にもずっと出ることができていたので、試合で活躍してチームが盛り上がる、お客さんが増えていく、チームの認知が広がる…と、好循環でしたね。
最初は2000人だった観客が、1年終わる頃には9000人にもなっていて、チームとともに成長させてもらいました。
マリノスをクビになり、もうプロを離れるかもしれないという状況になったことが僕にとって大きかった。
というか、それがすべてでしたね。
たくさん反省をしたし、クビになったからこそ気づいたことが多くありました。
その後はサンフレッチェ広島からオファーをいただき移籍。
モンテディオ山形、湘南ベルマーレを経て、2007年、32歳のときに引退をしました。
“外側”の世界を経験したい。その想いでJリーガーから電通へ。
―― アスリートの引退には様々な想い、ときには葛藤があると思います。外池さんはどうでしたか?
僕、サッカーを肯定して引退したかったんです。
自分がサッカーを選んで続けてきたからこそ、環境や誰かのせいにして、否定して辞めていくことだけはしたくなかった。
肯定して引退することで、真っ白な状態で自分の未来に向き合えるし、次のステージにも行けるはずだと。
それと、これからは“外側”の世界にも触れていきたいと考えていました。
選手としてサッカーという世界のど真ん中(=“内側”のど真ん中)にいた経験に加えて、“外側”での経験も持つことができれば、僕なりの武器になる。
両方を知ることで、内と外をつなぐこともできるかもしれない。
引退後、最初はサッカー界の中枢からオファーをもらっていたんです。
クラブチームじゃないので“外側”の世界かなと思いましたが、やっぱり業界として考えると“内側”。断っていいものか悩みましたが、やっぱりできる限り外に出てネットワークを広げていきたかった。
今このタイミングで外に出ていかないと、きっともう飛び出せない。
そんな気持ちでいろいろな企業の方と話していたとき、たまたまインターンに行った電通のサッカー日本代表に関わるクライアント担当の部署がひとを探していたんです。
僕にはビジネスマンとしてのキャリアはないけれど、選手として積んだキャリアを活かしていきたいと話すと、イチから教育するからうちに来てくださいと言っていただけて。
電通に入ることを決断しました。
ーーーーーーーーーーーー
電通に入社した外池さん。
「33歳という年齢もJリーガーとしての11年の経歴も、そんなの一切関係なしです(笑)。」
と話す、その詳細とは果たして…?
【後編】では
- Jリーガー引退後のキャリア
- ツイッターを積極的に使う外池さんが考える「体育会学生×SNS」
- 就活と部活とのバランスに悩んでいる体育会学生へのアドバイス
など、さらに内容を盛りだくさんにしてお届けします!
辞めることだけじゃない。プロ以外にもサッカーに関わる選択肢を。
―― 電通に入社し、いよいよ“外側”の世界に触れていくんですね。ちなみに、現役時代にキャリアにつながることはされていましたか。
短期インターンをしていました。
マリノスをクビになった翌年からインターンをすると決めて、当時Jリーグにあったキャリアサポートセンターをフル活用して、オフ期間には2社ほど行っていましたね。
最初のインターン先は中日新聞さんとアディダスさん。
メディアとメーカーという普段からお付き合いさせてもらっている業界で、ひと・もの・金の動きを学ぶと、一気に世界が広がりました。
それと、自分が選手として活躍することの社会への影響や効果が「見える化」されて、現役としてのモチベーションもさらにあがりましたね。選手としての新たなアイディアも出てきて、これって超有効だなと。
―― 現役時代から社会を知ることで、選手としての視野も広がりますよね。
さて、電通に入社してからはどうでしたか?
1年目は新卒と同じ扱いで、すべて雑用からのスタート。
直属の先輩から「すべてのひとに敬語だからな!」と忠告されたり、パソコンの扱いがままならなくて怒鳴られたり、マックの買い出しに行ったりしました(笑)
33歳という年齢もJリーガーとしての11年の経歴も、そんなの一切関係なしです(笑)。
環境は激変…どころじゃないですね。
でもその経験が僕をリスタートさせてくれたし、おかげで今があります。
―― そんな中、横浜GSFCコブラで社会人サッカーも続けられていたんですよね。
はい、仕事が少し落ち着いてきたタイミングで始めました。
ただ正直、アマチュアだしきっとレベルは低いよなっていう先入観があったんです。
でも、いざやってみたらみんな一生懸命にプレーしていて。
プロじゃなくてもこういうサッカーへの関わり方もあるんだと学びましたね。
そんな背景もあって、今僕が監督を務めている早稲田大のア式蹴球部でも、今年から関東2部で社会人リーグに出ているんです。
学生のうちから社会人と関わることはものすごく意味のあることだから。
社会人になっても何でサッカーをやるのか、将来サッカーと関わるってどういうことなのか、サッカーでどう豊かになっていくかを、大学生のうちから考える機会を持って欲しいんです。
たとえプロになれなくとも、辞めることだけがすべてじゃない。それ以外の可能性もあるんだよと。
早稲田大ア式蹴球部で学ぶことは「サッカーだけ」じゃない

―― 学生にとっては貴重な経験ですね。ちなみに、早稲田大のア式蹴球部の監督になった経緯とは?
電通で5年働いて、スカパーに転職して5年が経ったときに、内側も外側もそれなりに経験してきた感覚があったので、指導に関わる機会があったらいいなとは思っていたんです。
きっかけのひとつは、早稲田大のア式蹴球部の100周年プロジェクトの一員に選ばれたことだったんです。
100年を迎えて今後のア式蹴球部はどうあるべきか?監督にはどういうひとがいいか?など、いろいろな話題になって…。
そもそも僕らの時代とは構図も変わってサッカーのレベル自体も上がっている中で、あるべき論を単にやったところでダメ。
望むレベルに確実に到達するためには、チームを率いる監督がものすごく重要ではないか、と。
そんな状況から新監督を探さなくてはならない中で話をいただき、スカパーとは業務委託契約にして監督をやることにしました。
外側でのキャリアも継続している方が学生にとっても面白いだろうし、就活の相談もしやすい。
あと、大学サッカーに不足しているPRもできるかもと考えて。
―― PRといえば、外池さんはツイッターでの発信も積極的にされていますよね。
ツイッターはチームブランディングの他に、チーム内のコミュニケーションツールとして使っています。
学生たちに届く言葉を選んだり、リツイートしたり。
「今日は○○が決めると思ってた!よくやった!」とか。学生としては僕から直接言われていなくても、ツイッターでは褒められているっていう(笑)。
ピッチ上ではサッカーを厳しく指導して、ツイッターではまったく関係ないこともゆるく話す。
何でも話す。
その方が今の学生たちは心を開きやすいのかな?と感じています。
だから、彼らの不安を取っ払うことはものすごく意識しています。
昨年はチーム全員がブログを書いて、それを僕が要約してリツイートすることもしていましたね。
もちろん部員じゃないひとにも見られていること前提で、噛み砕いて発信して。
そうしたらやっぱり外側からも反応があるんですよ。
早稲田大ア式蹴球部という歴史ある伝統的な箱があるからこそ、そこでのコミュニケーションが世の中で価値を生み出していく。
部員たちはア式蹴球部の活動を通して、世の中で自分の価値がどう生み出されるかを体感できるし、社会性を磨くこともできると思います。
変化し続ける時代にこそ、不変の主導権を握ること

―― まわりが注目する伝統的な環境と現代的なコンテンツをうまく活用しながら、コミュニケーションを育てているんですね。
そうです。
これはね、思っていた以上にものすごく効果がありますよ。
僕自身もびっくりするくらい。これ意味があったな、やってよかったなと。
情報や発信の価値ってサッカーに限った話じゃないし、世の中全体で行われていることだよということは部員にも伝えていますね。
だから、みんなどんどんやるようになって。
そうしたら「早稲田のア式がやっているから!」って、他大学や他の部活も動きだすんですよね。
そんなザワザワが部員にとって刺激になるし、周りから反応があることによって、半信半疑だったことが手応えに変わり、自信になっていく。すると、また違う景色を見ることができます。
SNSやインターネットの広がりで、今の学生たちは昔よりもずっと自由に情報を扱えますよね。
そういう中で工夫してチャンスを掴めることができたら、体育会学生としてのあたらしい強みやステージを作り出せるはずです。
「体育会学生は不利だ。」って言うひともいるけれど、全然そんなことない。
―― ひと昔前はこんなにSNSも普及していなかったし、時代とともにさまざまなことが変化していきますよね。企業も含めて。
そうなんですよね。
僕らの時代は、どんな理不尽があっても受け入れて、NOと言わなくて、その中で頑張れる体力もあって…そういうひとが部活でも企業でも必要だ!なんてって言われ続けていたし(笑)。
メディアも変化している時代ですよ。
昔は王様だったテレビですら、広告費がネットに抜かれようとしている。
他にもいろいろなルールが変わっているし、これまでの常識が非常識にもなっている。
その中で大切なことは、自分たちがいかに主導権を持つかということ
就活においてもそう。
たとえばいわゆる大手企業志望の学生に「お前、そこでやりたいことあるの?」って聞くと、「いやぁ、安定していますしね。」って返ってくるんです。
今は安定していても、この先ずっと安定し続けるか?と。
大手で知名度があるから、今安定しているから、親が勧めるから…まあ、それでもいいんですが、そうじゃない選択肢もある。
自分の就職なんだから、ちゃんと自分で主導権握らないと。
それはこれからも伝えていきたいです。
サッカーでも社会でも、成熟度の高いひとを目指して欲しい

―― 昔と今では、学生のキャリアへの考え方や就活、部活への姿勢なども変化していると思います。
今の学生たちって本当にサッカーのレベルが高い。
僕らの時代はいろんなやつがいて…とんでもないやつもね(笑)。
それに比べると今はちゃんと教わってきているし、しつけもされている。
ただその分、学生たちが枠に収まっちゃうところもあります。
その枠をどうするか…。
マネジメントサイドのやり方が大学サッカー最大のポイントだと思っています。
優秀で能力も上がっている学生に対して、大学や指導者が時代に合っていかないと彼らの能力を引き出せません。
外側から見ていても、実際に中に入ってもそう思います。
就活と部活のバランスに関しては、僕は両方やれと言います。
大学4年生という時間は社会との接点がより色濃く出る時期。
社会というものをよりリアルに感じて、悩み苦しみ、考える。ここでめちゃくちゃ成長するんですよ。
だから両方やりなさいと。
就活を優先したいなら優先してもいい。
ただ、サッカー部の一員としてのビジョンやミッションもある。
体はひとつだけなので、悩んだときには全力で相談に乗るよというのが、僕のスタンスですね。
―― 最後に、部活や就活に励む学生たちにメッセージをお願いします!
僕らの時代よりもサッカーそのものの影響力は強いし、巻き込めるものも相当増えたと思います。
そういう変化って今までの歴史と伝統があってこそ。なので、それらをまず知っておくことは大前提です。
ただ、学生たちにはこうも話すんです。「伝統こそ革新」と。
既存のものを何となく続けていくことじゃなく、あたらしく進化すること。
それこそが伝統であるし、捉え方を間違えるなよと。
守り通すだけじゃなく時代に合うものは取り入れること。
その姿勢が社会で豊かに生きていくことにも繋がるし、そんな成熟度の高いひとがスポーツにおいても必要とされていくでしょう。
人間力は学生時代にも磨かれるものなので、そんなひとを目指して欲しいですね。
今、早稲田ア式蹴球部のビジョンは「日本をリードする存在になる」。
これだけ変化が速く多様的な時代に日本をリードするには、変化を生み出すこと、さまざまな価値観や違和感を受け入れることが大事です。
だからこそ学生たちには寛容さを身につけて欲しい。そう願っています。
外池 大亮Daisuke Tonoike
元Jリーガー
現在:早稲田大ア式蹴球部監督/スカパー勤務
取材/アスリートエージェント 尾崎俊介
文/榧野文香
外池大亮 twitter
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Tシャツ提供 ニューモード株式会社
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