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2017.10.18
今、この瞬間の人生を正解にする。柔道・初瀬勇輔
この記事を読んでいただく前に、お願いがあります。
目をギュッと閉じて、ゆっくり10秒数えてみてください。
真っ暗で、見えない世界。それがこの先もずっと続くとしたら。
私たちはどのようにして受け入れていくのでしょうか。
Profile
初瀬 勇輔(はつせ ゆうすけ)1980年11月生まれ
柔道家。19歳で緑内障を発症して視覚障がいを持つが、屈することなく2008年の北京パラリンピックに出場。2011年には株式会社ユニバーサルスタイルを設立し、障がい者雇用のアドバイスや障がい者に特化した人材紹介を行っている。信念は、多様性を認め合う社会をつくること。アスリートとして2020年東京パラリンピックの出場も目指す。
INDEX
文武両道、進学校での柔道生活
―― 初瀬さん、柔道はいつからスタートされたんですか?
中学からです。高校では地元の長崎県で強化選手にもなりました。
―― 大学でも柔道部に入って、めきめきと上達されたんじゃないかと思います。
いえ、高校で一度引退したんです。
柔道はそこできっぱりやめました。
僕のいた青雲(せいうん)高校というのがまあまあの進学校で、九州でもラ・サール、久留米大学附設(くるめだいがくふせつ)に続いて3番目の偏差値でした。
だから、スポーツで飯を食うぞっていうヤツなんていないんです。
柔道部の同級生も3分の1は医者になりました。
僕は弁護士になりたくてずっと東大の法学部を受けていたんですが、なかなか合格しなくて……。
結局、3浪をしたんです。
そろそろ大学に行かないといけないって思ったので、進路を変更して中央大学の法学部に進みました。
両目が見えない、自分だけ無理やり道から外されたと感じる日々
―― 弁護士を目指されていたんですね。目が悪くなったのはその頃だったのでしょうか。
そうですね、浪人をしていた19歳のときに右目が見えづらくなって、病院で緑内障と診断されました。
でも、左目もあるし日常生活にそんなに支障もなかったので、そこまでショックじゃなくて。
でも、残った左目も見えなくなるんですよ。
大学2年の後半、司法試験を本格的に目指していたときです。
右目と同じ結果でした。
手術はしましたが、視力はほとんど落ちてしまいました。
緑内障の手術って視力を回復するためのものではなく、進行を遅らせたり止めたりするものなので……。
当時、まだ24歳で「この先どうしよう」って思いましたね。
―― 両目がほとんど見えなくなる。はかり知れないほどの衝撃だと思います。
人の顔が分からないので、見舞いに来てくれる友人が誰なのか判断できないんです。
毎日一緒につるんでいるヤツでも、ですよ。
親の顔だって分からない。
本当にショックでした。何気ない一言に勝手に傷付くこともありましたね。
あと、どうして俺ばっかりって。
日常生活での些細なことができないんです。
外食をしてもメニューは読めないし、食券すら買えない。
当時はSuicaも無かったので、切符を買うときは「目が見えないので」と駅員さんに説明して買ってもらう。
それがものすごく、本当に嫌だったんです。
自分が“障がい者”になったことを認める、認めないという葛藤がありましたね。
同級生も優秀な人ばかりだったので、司法試験に受かったり官僚になったりしていて。
気付いたらずっと先にみんながいるんです。
自分が劣っているようで、その差があまりにも悔しかった。
同じ道を歩いていたしこれからもそのはずだったのに、僕だけ無理やり降ろされてしまったっていう感覚しかありませんでした。
健常者と障がい者が一緒にできるスポーツが柔道だった
―― きっと、普通に暮らしている人たちが羨ましくなりますよね。そんな中、ひょんなことから柔道を再開されるそうで。
少しずつこの生活に慣れてきたときに、当時付き合っていた彼女から「柔道、もう一度やってみたら?」と言われて。
大学4年の夏頃でした。そっか、やってみるか、って。
そのとき、僕、何もやることが無かったんです。
4年生の夏ってほとんどの人に未来の予定があるんですよ。
就職が決まっている、卒業後は実家に帰る、留年する……何でもいいんです。
みんな何かしらの予定があるのに、僕はゼロ。
何かやりたい、どうにかしなきゃって、焦りもあったのかもしれません。
調べてみると、視覚障がい者柔道の先生がやっている道場があったんです。
アテネのパラリンピックでメダルを獲った選手もそこに在籍していて。
道場に行って実際にやってみると意外とできたんですよね、柔道。
組んでみると高校のときの感覚も戻ってきて。
あと、ほぼ唯一、柔道は健常者と一緒にできるスポーツだったんです。
何か特別な機械を使うわけじゃないし、体を組んでしまえば誰とでも戦える。
道場の中では、障がいの壁やハンデを感じなかったんです。
人に「すみません」「ごめんなさい」って言うことが多い日々から解放されるような感じで。
純粋に柔道も楽しかったですし。
―― アスリート人生の再スタートですね!大会にも出られるようになったんですか?
まず、3ヶ月後の全日本視覚障がい者柔道大会に出ることになったんです。
何もなかった僕に初めて「予定」ができた瞬間でした。
まあ、突然だったので、ちょっと逃げたい気持ちもあったんですけどね(笑)それでも、やるからには目が見えなくなったからといって柔道の世界で負けたくはない。
そんな想いでした。
結果、90キロ級で優勝をすることができたんです。
それが転機のひとつでした。
というのも、第20回記念の大きな大会だったので皇太子さまが観に来ていて、優勝者は握手や会話ができたんです。
ああ、こんなことあるんだって夢の中にいるようでした。
あと、翌年の国際大会の日本代表にも内々定しました。
たった1日前まではただ目の悪い学生だったのが、皇太子さまと話をして日本代表にもなって。
それと、大学では見えない人間は僕だけだったのが、この世界だと選手全員が見えない中で戦っている。
同じ悩みを共有できるし、工夫の仕方もお互いが知っている。
少数派じゃなくなることが貴重でしたし、ようやく居場所ができたような気持ちで。
その後、90キロ級で7連覇、81キロ級で2連覇を果たしました。
柔道で輝かしい成績、その後苦しい就職活動
―― 大学4年生で全国大会優勝、日本代表。どん底だった日々から這い上がったんですね。4年生ということは、就活の時期でもありますが……。
柔道のおかげでやる気が湧いて、就活も始めました。
その時点で12月になっていたので、卒業まで残り3ヶ月ほど。
大学の先生に教えてもらって、障がい者に特化した就職フェスタに行ったりしてみたんです。
だけど、僕はまったくダメでした。
エントリーシートの時点で落ちたのが100社以上。
障がい者の枠の中で就活をしても受からないんです。
障がい者の中でも、“視覚”障がい者って採用されづらいんですよ。
「見えない」ということはやっぱり懸念されてしまうんです。
どんどん面接まで進んでいく同級生たちを見ては落ち込みました。
僕が面接に行けたのはたった2社。内定をもらったのは1社だけでした。
サンクステンプ(現:パーソルサンクス)というテンプホールディングス(現:パーソルホールディングス)の特例子会社にようやく採用されて。
障がい者雇用を推進している会社で、社員の90%が障がいを持っているんです。
僕は知的障がい者スタッフの指導やマネジメントを担当して、最終的にマネージャーにもなりました。
仕事は楽しかったですが、5年ほど勤めて、31歳になる年に退職しました。
諦めなかったから掴んだ内定と柔道生活
―― 諦めなかったからこそ掴んだ内定ですね。柔道も続けていたんでしょうか?
もちろんです。
2006年の夏、フランスで開催された世界選手権に出場したんです。
国内で優勝を経験していたので、余裕で勝てるだろうって考えていて。
ちょっと天狗になってしまっていたんですよ。
結果、負けました。
敗者復活戦も団体戦も、すべて勝てなかったんです。
そうか、僕なんて世界に出れば強くないんだって気付いたんです。
練習にさらに力を入れて、同じ年の秋にフェスピックという大会に出ました。
アジア地域の障がい者スポーツの大会で、今で言うアジアパラリンピックですね。
そこで金メダルを獲ることができたんです。
国際大会で初めて優勝して、表彰台のてっぺんで君が代を聞く。
また夢の中にいるような経験ができました。
柔道を再開して最初の試合に出るとき、ちょっと逃げたくなったと言いましたよね。
でも、もし本当に逃げていたら、フェスピックでの優勝もないし、金メダルも手にしていません。
フェスピックの結果が良かったので2008年の北京パラリンピックの出場枠にも入れたんです。
逃げずに決断して、行動してよかったなと思います。
心の底から。
諦めない、人生を投げ出さなけば素晴らしい出来事が起こる
―― 北京パラリンピックに出場されて、何か感じたことはありましたか?
パラリンピックに出られるなんて、僕の中では大事件でした。
実際に参加してみると、何だかもう言葉にできないような世界で。
開会式で入場行進をすると拍手が空から降ってくる。
10万人の声援を全身で浴びる。
目が悪くたって障がいを持っていたって、人生を投げ出さなければこんなに良いこともあるんだって実感しました。
世界最高峰の大会で見る景色は本当に素晴らしかったです。
―― さすが世界の舞台ですね。では、少し仕事の話に戻りますね。サンクステンプを5年で退職されて、独立されたのはいつでしたか?
2011年です。
きっかけのひとつは自分自身の就活が上手くいかなかったこと。
あのとき、自分で会社をつくらないと僕には仕事が無いかもしれないって思ったんです。
障がい者の仕事をつくる事業をいつかやりたい。そんな気持ちがありました。
あとは、人生なんて何が起こるか予想できないから、やりたいことをやろうって。
目が悪くなったのも青天の霹靂でしたし、障がいに限らず、道路を渡っていたら車にひかれるかもしれないし、階段から落ちてケガをするかもしれない。
当たり前なんてないんです。
有給消化中に起業の準備をして、退職して2か月後にユニバーサルスタイルを設立しました。
メインでやっていることは障がい者雇用のアドバイスと、障がい者に特化した人材紹介です。
視覚障がい者柔道の選手だけでも10人以上は弊社の紹介で就職しています。
僕自身が目の見えない状況を知っているので、皆さん相談しやすいのでしょうね。
会社経営をして感じる、働くってとことんフェア
―― 仕事や経営をする中で、初瀬さんが気付いたことを教えてください。
ビジネスって、働くって、フェアだなということです。
僕が障がい者だからといってお客さんはお金を多く支払うわけじゃないですよね。
初瀬さんは目が悪いから契約してあげましょうね、そんな同情はビジネスにおいて一切ありません。
僕がひとりのビジネスマンとしてしっかり仕事をしないとお金にならない。
つまり、まっとうに仕事をすればお金になるし、結果もついてくる。
「すみません」「ありがとう」と言い続けてきた僕が、今度は「ありがとう」を受け取ることができるんです。
障がいなんて関係ないことが、すごく嬉しいですよね。
仕事って喜びだなって思います。
―― 経営者、ビジネスアスリートとしての目標、そして柔道家として目指しているものはありますか?
経営者としては、多様性を認め合う社会をつくること。
ユニバーサルスタイルという社名もそういう想いでつけました。
障がい者に限らず、どんな人も生きやすい社会っていいと思いませんか。
今、ユニバーサルデザインのコンサルティングも少しずつ依頼されていて。
障がいを持つ方から意見をヒアリングしたり、会議で「このデザインは使いやすいか」などを話し合ったりしています。
これからは医療系や健康分野にも入っていきたいですね。
みんなが気持ちよく生きられる社会を叶えたいから、やりたいことがたくさんあります。
アスリートとしてはもちろん2020年の東京パラリンピック出場です。
もちろんメダルも獲りたいですが、まずは国内で勝ち抜いていかないと。
出場が決まったらメダルを目指してやっていきたいなと考えています。
過去に感じた劣等感、でも今は誇りを持って仕事ができている
―― 目が悪くなった大学時代、同級生と比べて自分が劣っているように感じたとお話されました。最後に聞かせてください。今はどうですか?
今はまったくありません。
それは過去に北京パラリンピックに出たからと言うよりも、今この瞬間の僕が誇りを持って仕事をやれているからだと思います。
周りから求めてもらうことだって本当にありがたいなって。
結果、何でも受けちゃうので、忙しくなっちゃうんですけどね(笑)
アスリートは競技生活よりも引退後の方が長いじゃないですか。
だから、アスリートとして極めた力をその後の人生にどう活かすか。
僕自身、核になっているのは自分が柔道を通して考えたこと、感じたこと、学んだことです。
アスリートが持っている特有のパワーは必ずビジネスでも発揮できます。
決して無駄じゃありません。
取材後記
もともと弁護士を目指されて、今はまったく別の道を進んでいる初瀬さん。
取材後、こんな問いかけをしてみました。
「障がいに対して葛藤していた当時のご自身に向かって声をかけるなら、今の初瀬さんは何と言いますか?どんなことを伝えたいですか?」
「そうですね、なんとかなるよって。どんなことがあっても今やっている人生がきっと正解だから。目が悪くなっても、未来の自分は会社をつくって社長やってるぞって。」
なんとかなる。いえ、私はちょっと違うなって思うんです。
初瀬さんは自身の力で“なんとかしてきた”。障がいに屈することなく、やりたいことを諦めず、チャレンジを重ねて。でも、そういう努力を見せびらかすことなく「なんとかなる」と言える。
人生は本当に、何が起こるかなんて分かりません。でも、どんなことがあっても負けずに、前を向いて“なんとかする”。「なんとかなる」という言葉は、頑張る人が言うからこそ、かっこいい。

初瀬 勇輔Yusuke Hatsuse
元柔道家
現在:経営者/障がい者雇用コンサルティング
株式会社ユニバーサルスタイル
http://www.universalstyle.co.jp/index.html
取材/アスリートエージェント 小園翔太
取材・文・編集/榧野文香
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