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2018.02.20
もう一度会いたいと思われる「人間力」を磨く。野球・高森勇旗
タイムマシンに乗って、もし過去に戻れるなら。あの大会でのプレーをやり直したい。残り10秒でのエラーを取り戻したい。私たちは、そういう“後悔”を晴らすために頑張るのかもしれません。
でも、高森さんはおっしゃいます。全力でやり切って「これだけやってダメなら仕方ない。」と言えることが大切、と。
Profile
高森 勇旗(たかもり ゆうき)1988年5月生まれ
元プロ野球選手。2006年、横浜ベイスターズ(現:横浜DeNAベイスターズ)から4位指名を受けて入団。引退後は「分析力」「執筆力」など自身の強みを発揮させ、データアナリスト、スポーツライター、経営者コーチングなど幅広い分野で活躍中
INDEX
プロ野球選手として大活躍、引退する心の準備はできていた
―― 高森さん、小学生のときに野球を始められたんですね。
そうです、3年生から。
父と兄の影響で、僕自身はそんなに前のめりじゃなかったんです。
何となく続けているうちに中学生になって、2年生のときに一気に身体が大きくなって。
それまで出来なかったプレーも出来るようになっていきました。
ものすごく迷ったけれど、高校も野球の道に。
中京高校、岐阜県の強豪校です。
1年生からレギュラー入りして、3年生のときにはキャプテンを務めました。
―― そうして2006年。高校生ドラフトでプロ野球の世界に。
横浜ベイスターズ(現:横浜DeNAベイスターズ)から4位指名を受けて入団しました。
1年目に猛練習した甲斐あって、2年目で2軍のレギュラーになったんです。
3年目には2軍のイースタン・リーグで最多安打を記録して、技能賞とビッグホープ賞を獲得して。
少しずつ成長している実感がありました。
そんな中、状況が大きく変わったのは4年目。
筒香嘉智(つつごう よしとも)がドラフト1位指名で入ってきたんです。
僕と同じ左打ちの内野手。
嫌な予感は的中して、僕の出場機会はぐんと減りました。
試合に出られない、活躍するチャンスがない。
5年目には打率も下がって、ついに6年目。
自分の立場を僕自身が受け入れていたし、この年でクビになるのはもう誰の目にも明らか。
10月1日、休養日で家にいた僕の電話が鳴りました。
戦力外通告の解禁日。
心の準備はとっくに出来ていたし、何の不思議も無かったから、大きな動揺はありませんでしたね。
― 翌日、いつもユニフォームで走るグラウンドにスーツを着て向かった。
戦力外通告。
2012年、24歳で引退。そして5年が経った、29歳の今。
一流の選手はスキルだけでなく人として魅力的、そういう人は野球だけでなくどこででも必ず通用する
―― 引退はいつ頃から意識されていたんですか?
入団した瞬間から考えていましたよ。
俺、いつクビになるのかなって。
多分、プロ選手の半分以上は入ったときから考えているものじゃないかな。
高いレベルの世界で現実を知って、ついていけるのか、ずっとやれるのかって。
―― 厳しい現実にぶつかって、向き合って、みんな冷静になるんでしょうね。やめるときはプロ野球選手としてやり切ったなと思えましたか?
完全にやり切りました。
1ミリの悔いも残っていないし、やっとこれでやりたいことが全部できるなって思いました。
海外旅行とか、現役時代は小さなことをするのも難しかったから。
好奇心が強いから色んなことやりたかったので、解き放たれたような感覚でした。
プロの世界にいる間、気付いたことがあったんです。
本質的なこと。
野球が上手いだけじゃ意味がないっていうこと。
野球のスキルはみんな優れているんですよ。
だってプロだから。
その中で活躍している選手って人としての魅力があるんです。
そういう人間はどこに行っても必ず通用する。
僕も、次に何をやっても絶対に上手くいくっていう自信がありました。
やめた瞬間、よし、きたぞ!ここからだ!って思いましたね。
引退しても離れなかった人は今でも関係を築けている
―― アスリートは競技を離れると、人も離れていくという声を聞くことがあります。高森さんはどうでしたか?
僕の場合、やめる前から少しずつ去っていきました。
調子の良かった3年目はたくさんの人が近くにいて、応援してくれていました。
上がっている株はみんな喜んで買うんですよ。
不調だった4年目で株が急落、5年目で底値。
下がった株は買わないし、手放していきますよね。
誰も悪くない。そういうものなんです。
逆に、クビが決まったときのほうが、株が上がったような感じでした。
引退後の僕を楽しみにしてくれている人が多くて。
「おっ、やっと野球やめたか!」なんて言って応援してくれましたね。
その人たちとは今も繋がっています。
現役時代、本当にいい教育を受けたなって思います。
18歳から24歳っていう感性が育つ時期に、あんなにも分かりやすい勝負の場にいたことは貴重でした。
本物しか生き残れないプロの世界で人間力が磨かれましたね。
プロ野球選手としての過去は、僕のコンテンツのひとつになっています。
データアナリスト・プログラミング・ライター…得意なパソコンスキルを活かして個人事業主として生計を立てる
―― とてもシビアですね。「そういうもの」と言い切れる高森さんの強さを感じます。引退後、まずはどこかの企業に入られたんでしょうか。
いえ、勤めた経験は一社も無いんです。
野球をやめてからすぐデータアナリストの仕事をしました。
個人事業主として業務委託で。
僕、パソコンが得意なので、それを活かしてコーディングやプログラムをしていましたね。
毎日とにかく仕事、仕事。
1日22時間半くらいかな。
ずっとパソコンの前に座っていました。楽しくて。
こっちを作ってあっちを直して、バグが起こらないかどうかチェックして。
何回もやり直していいものを完成させることが面白かったんです。
今は、ライターとして物を書くことや、知り合いの社長から紹介していただいた『すごい会議』というプロジェクトの講師として経営者向けのコーチングなどにも取り組んでいます。
―― 天職ですか?野球よりも楽しいですか?本音、聞きたいです。
今のところは天職でしょうね。
まあ、一生やるかは分からないですが、現時点では最高に楽しい。
野球よりも?うーん……どうですかね。
チープな言い方ですけれど、野球より楽しいといえば楽しいかもしれない。
ただ、もちろん野球だって最高に楽しかったし、素晴らしい世界だった。
感謝しかないですよ。
ストレスに耐える力、行動量の多さは野球で身につけた強み
―― プロ野球での経験はビジネスの世界でも活きていますか?
活きている部分もあるかなって感じです。
22時間半もプログラミングをするとか、心拍数190以上の状態で練習し続けるとか、そういう”大量行動”の経験を僕はずっとやってきた。
だから、ビジネスでもその大量行動を起こすことが「普通」なんですよね。
僕にとって。
ただ、勤めた経験がないので、一般企業のプロセスや普通を知らないんです。
だから、僕の経験が一般的には普通じゃないとしたら、プロ野球で培った「ストレス耐性」「大量行動する力」はビジネスで活きているって言っていいかもしれませんね。
自分にとっては当たり前だから、あんまり意識していませんが。
あとは、リミッターを外せること。
プロでの地獄のような練習量をやり抜いて、限界を超える力を鍛えたんですよね。
僕の仮定している1000倍以上の練習量だったから。
リミッターを外して能力以上のものを発揮することはビジネスでも大切ですよね。
目安は生活費2年分の現金を貯めておくこと、想像以上に精神的な余裕に繋がる
―― 限界を超えることが当たり前。まさにプロとしての思考ですね。引退を考えている選手にアドバイスをするとしたら、高森さんは何を伝えますか?
二つあります。
ひとつは、競技をやり切ること。
未練なく終えることってめちゃくちゃ大事。
引退後のアスリートでセカンドキャリアが上手くいっている人の共通点は、競技を諦めていることなんです。
これはもう絶対条件。
諦め切れていない人、やり残している人は、次に進めない。上手くいかない。
アスリートならきっと誰もが「もう少し出来たかもしれない」「あの時こうしていたら」って思うものだけど、その上で「これだけやってダメなら仕方ない」って言えるかどうか。
どこに行っても何をしてもいいから、自分が打ち込んだ競技をやり切ること。
もうひとつは、何もしなくても生きていけるキャッシュを持っておく。
目安は2年分、700万円。
これもマジで重要な話。
僕は引退時に車を売ったり、保険や共済金を降りたりして、そのお金を作りました。
1年で350万を使うとして700万あれば2年は生きられる。
これって想像以上に精神的余裕を生むものなんです。
―― なるほど。気持ちにゆとりをつくるんですね。
上手くいかない人の共通点は焦って職に就いてしまうこと。
野球しかやったことないから、他には何もできないって思っている選手が結構いるんですけど、全然そんなことない。
他のこともやってみれば出来る可能性は充分にある。
でも、焦ってしまうと「こんな仕事があるよ。」っていう提案にすぐに飛びつくでしょ。
で、現実とのギャップにぶつかる。
ああ、こんなに働いて給料は25万円か、やっていられないって。
そうやって引退後の一歩目を失敗して、今度こそ社会復帰できなくなる人もいる。
どうすればいいか分からなくなって、結局、地元で野球教室を開く……みたいな。
もちろん悪くはないけど、あまりにも勿体ないですよね。
きっと何かしらの才能はあるのに。
だから、2年分のお金を持って自由にして欲しいんです。
社会復帰に向けてリハビリをするイメージ。
競技と距離を置いて、世の中には色んな職業があること、たくさんの人がいることを学ばなきゃ。
カードをいっぱい並べて、自分の適性を社会と照らし合わせながら、「これなら活躍できるかな。」って思えるところにしっかり進むべき。
また会いたいって思われる人間が一番価値が高い
―― セカンドキャリアの道は長いですもんね。焦らずじっくり丁寧に。最後に、高森さんのこれからの目標を聞かせてください。
もう1度会いたいって思われる人間になること。
僕、最初はお金を稼ぎたいっていう気持ちが強かったんですよ。
稼ぎたいなら自分の能力を発揮しなきゃいけない。
だから、仕事ができる人間になりたいって考えていました。
でも、それってそんなに価値が高くないって気付いて。
たとえば、社長が集まる場で「これだけお金を持っています」って言ったところで特別じゃない。
だって、みんなお金持ちだから。
「仕事ができます」「頭がいいです」も同じ。
みんながそうだから大きな価値なんて無い。
だから、僕がこれこそ本質だって思うのは、また会いたい人間であるかどうか。
学歴やお金なんて関係なく、ひとりの人として。
そうなれるよう、僕が世の中に対して本当に価値を発揮できる領域を探しているところです。
それは、今やっている『すごい会議』なのかもしれないし、でも、来年には違うことをやっているかもしれないし……。
まだハッキリとしていないので模索中。
昔から探究することは好きなので、楽しみながら見つけていきたいですね。
取材後記
タイムマシンに乗って、もし過去に戻れるとしても。
そんなものは必要ないよと、胸を張って言えるような自分でいる。
「あの頃」に思いを馳せるよりも、「これから」に期待を募らせる。
現実のひとつひとつに向き合う高森さんの姿勢は、そう教えてくれるようでした。
今、思いっきり熱を注ぐ。悔いることの無いように。

高森 勇旗Yuki Takamori
元プロ野球選手
現在:コーチング/スポーツライター
取材/アスリートエージェント 小園翔太
取材・文・編集/榧野文香
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