2025.03.13

FISHBOY氏が実践するチームマネジメント方法

「好きなことで生きていく」——それを実現するのは決して簡単なことではありません。

日本を代表するストリートダンサーであり、振付師、D.LEAGUEチーム「CyberAgent Legit」のディレクターとしても活躍するFISHBOY(中田啓之)さん。

父から教わったムーンウォークがきっかけで始めたダンスは、やがて世界大会優勝という大きな結果をもたらしました。現在は次世代のダンサー育成にも取り組んでいます。

ダンサーとして、そして業界を変える一人のリーダーとして、FISHBOYが目指す未来とは?そして、ダンサーをはじめとするアスリートたちがキャリアを築く上で必要なことは?

FISHBOYさんのこれまでの軌跡と、彼が大切にしている価値観について伺いました。

Profile

FISHBOY(フィッシュボーイ)/本名:中田啓之(なかだ ひろゆき)

1985年12月19日生まれ。日本のストリートダンサー、振付師。D.LEAGUEチーム「CyberAgent Legit」ディレクター。ダンス&ボーカルグループ「RADIO FISH」のメンバーとしても活動。兄はお笑い芸人・オリエンタルラジオの中田敦彦。

世界大会に優勝して見えた世界。感じたギャップと新たな決意

──まずは、ダンスを始めたきっかけを教えてください。

ダンスを始めたきっかけは、小学2年生の時に父親にムーンウォークを教えてもらったことです。当時、転勤が多い生活をしていたため、転校するたびに処世術として友達にムーンウォークを見せていました(笑)。そうすることで、いじめられず、ちょっとだけ人気な状態から転校生活が始まるんです。この経験によって、人にパフォーマンスを見せるハードルが下がったように思います。

──そこからどのようにダンスに本気になっていったのでしょう?

中学時代は渋谷の学校に通っていたのですが、 吉祥寺駅から家に帰る道中で、ぐるぐる回りながら踊っているお兄さん達の姿が印象的でした。当時はストリートで練習する人がたくさんいたんですよ。

その頃、私はバンドをやってたのですが、自分に向いてないなと思ってたんです。ギターをやってもモチベーションが上がらない。故に全然上手くならないし、ライブ中にギターの上手さで勝負ができないから「イエイイエイ!」とお客さんの盛り上げを促進するアクションでごまかしていたんですが、なんか違うよなと思って…。

そんな時にこのダンスを見て、自分にもできるかもしれないと直感しました。今思えば、これがダンスを本格的に始めたきっかけかもしれません。

──その後、様々な大会で実績を残されていますよね。

高校、大学とダンスの大会で優勝が続き、振り返ってみると順調に進んできたと思います。中でも、パリで行われているJuste Debout(ジュストゥ・ドゥブ)という、世界で最も権威のある大会で優勝できたことは大きかったですね。

尊敬する先輩に招集され、その人と2on2で出場して優勝することができたんです。 

──ご自身にとっても、大きな転機になったのでは。

一番大きな世界大会で優勝したので、帰国後に羽田空港で記者が控えていると思ったんです。「今のお気持ちは」「そうですね〜」なんてやり取りするんだろなと想像して、飛行機の中でなんて答えようかなとシミュレーションしていました。

しかし、実際に羽田空港に着いたら誰もいなくて。「誰もいないなぁ」、「荷物受け取り所を出たらきっといるんだろうな」と思ったのに、誰もいなくて。おかしいなと思いながら、そのままエスカレーターに乗り、京急線の座席に座って、電車が動き始めた瞬間に「行く前と状況が何も変わってないな」と感じました。

──想像していたような注目や盛り上がりがなかったのですね。

世界大会で優勝した瞬間は、わぁっと盛り上がりましたし、その後、海外でのダンスの仕事は増えましたが日本全体でいうと話題になりませんし生活スタイルも特には変わりませんでした。誰も世界大会での優勝という事実に注目していないと感じたとき、これはまずいと気づきました。

夢がありませんよね。せっかく大会で優勝したのに、何も変化せず、誰の話題にもならないなんて。

ダンサーたちの中ではちょっとした話題にはなりましたけど、おそらく半年もすれば忘れられててしまうのだろうと思いました。

私を信じてついてきてくれているレッスンの生徒たちが、例えば10年後に同じように大きな大会で優勝したとして、この状況は味わわせたくないと思ったんです。そのために何かを変えなければ、何かをしなければと決意しました。

──具体的に、どんな決意を固めたのですか。

”日本人全員をダンサーにする”という決意を固めました。
どうやったらあの日空港に取材陣が来てくれていたのか、を想像しました。そもそも日本人がダンスに興味を持っていないんです。であれば極論、日本人が全員ダンサーである世界を目指せばいい。その日からダンスの素晴らしさを伝えていくことで、少しでもダンスに興味を持ってもらおうとしたのです。

自分はイケてると勘違いしていた。ちょっとダサい「FISHBOY」という名が誕生した経緯

──ダンサーとして活動することに対し、ご家族の反応は?

「俺ダンサーになろうと思うんだよね」と表明したことは一度もないですね。学生時代から色々やっていたので、家族にとっては「いつのまにか、なんかダンスやってた」みたいな感覚だと思います。

──まさに、ダンサーのスタートとして順風満帆といった感じだったのでしょうか。

高校、大学と色々な大会で優勝してきたのでエリート気分だったんですよね(苦笑)。当時、自分はイケてると勘違いしていたところに、その思いを覆す出来事がありました。

高校生の時、僕をダンスの世界にぐっと引き寄せてくれたチームのリーダーがいたんです。20歳になったころ、そのリーダーが別のチームで権威ある世界大会に出場するというので応援しに行ったところ、みんなの予想を裏切らず優勝しました。

私は観客席から見ていたのですが、優勝者を発表するシーンを見てすごく恥ずかしい気持ちになったんです。これまでの自分は、リーダーのおかげで活躍できていたという事実を突きつけられた気がして。自分はこのリーダーがいたから輝けてたんだなって思って。個人の才能や能力を自省したとき、自分の今の実力では絶対に活躍できないと思っちゃって…。

──順調に進んできた矢先に、そんなショックがあったとは。

その日は、優勝したリーダーに「おめでとう」も言うこともせず、そのまま新幹線に乗って帰ってきました。

それ以降、生まれ変わるつもりで、寝る間も惜しんで練習に励みました。辛くて涙が出ても練習を続けるという時期が何か月か続き、生まれ変わった気がします。まるで漫画『ドラゴンボール』の”精神と時の部屋”から出てきたような感覚でした。「今なら勝てる気がする」と。

──気持ちが新たになったことで、変化したことはありましたか。

生まれ変わった気持ちになったところで、名前を変えてみたいなと思いました。今まで本名で大会に出場していましたが、国内外で活躍することを見据え、老若男女、国内外を問わず誰にでも理解できる単語で構成しようと決めました。

さらに、テレビ番組でどこかの企業の社長が「ちょっとダサいほうが流行るんだよ」とプロダクトのネーミングについて話をしていたこともあって、ちょっとダサい名前を探してみることにしました。

──名前の由来はお兄さんに関わっているんですよね。

その当時、兄が芸人になる前に書いていたブログ小説「ピコル君の小さな冒険記」という物語がありまして、その副主人公みたいなキャラクターに「フィッシュボーイ」というやつがいたんです。

「フィッシュ」「ボーイ」という単語ならみんな知ってるし、ちょっとダサいなって思ったんですよね。その後、兄のキャラクターの名前を勝手に拝借し、大会に出場したところ好成績が出て、そのままずっと20歳から「FISHBOY」名義で19年間活動を続けてきました。

──ちなみに、お兄さんはFISHBOYという名前に気づいたときはどんな反応でしたか?

兄に報告しないまま使っていたのですが、何かの番組の中でダンサーの子が「いつもFISHBOYさんにお世話になってます!」と兄に伝えたことがあり。でも兄は「FISHBOYって誰?」って(笑)。「弟さんです」と言われて初めて私のことだと気づき、驚いたようです。

── YouTubeでお兄さんと仲良くお話されていた印象があります。

お互い別に住む形になってから再び仲良くなり始めたのは、私が24、5歳の頃です。自分がテレビに出始めた時に相談ベースで会話が始まって、そこから色々なことを話せるようになりました。

ダンスの情熱に火をつけたのは沖縄での経験

──ダンサー以外の道を考えたことはありますか。

中学時代は数学がとても好きで、将来は数学者になりたいと思っていたんです。でもその世界には天才たちがたくさんいて、自分には無理だなと痛感しました。

当時、ダンスで稼げるとは思っておらず、大学でも一般企業に就職する同級生が多かったです。特に広告業界が大きく盛り上がっていた時期だったので、大学1年次からダブルスクールで広告の勉強をしました。大学1年次の後半からは、広告制作会社で働き始めて、卒業後はここに就職するだろうと思っていたんです。

──一般的な進路についても検討していたのですね。

このまま広告業界に就職する予定だったのですが、大学3年の頃に「今、沖縄がアツい!」と同級生が言い始めたんです。その流れで、沖縄で起業することに決めたんです。会社登記して、沖縄中部でカフェ&ドミトリーを営むことにしました。

いずれは沖縄北部でもっと大きな事業をやる計画ではあったのですが、その前に沖縄の風土を知りたいと思ったんです。旅人やバックパッカーが宿泊し、そこで働いて、ちょっとだけお金を得てまた飛び立っていく、そんなカフェ&ドミトリーをやっていました。

──沖縄での経験から得られたものとは?

沖縄では北部の山にこもって過ごすことがあったのですが、山の中なので入ってくる情報がほとんどないんです。そうすると脳みそが腹ペコになってくるんですよね。食べないとお腹が減って、久しぶりにごはんを食べるとすごく美味しい。それと一緒で、脳みそが空っぽになった瞬間に東京へ帰って音楽を聴くと、ものすごい沁みるんです!そんな状態で踊るとすごくいい踊りができて、ダンスのモチベーションも上がりました。

チームの監督を務めながら感じる課題感。よりよいチームを作るには

──現在はご自身もダンスをやりながら、チームの監督も担当しているのですね。

そうですね。広報やリーグとのやり取りはCyberAgentの社員の方にお願いしていますが、それ以外はほぼ全部私が見ています。メンバーのマネジメント、チームの活動のディレクション、作品制作進行をワンストップで担当しています。D.LEAGUEは楽曲からオリジナルで作る事や、衣装も毎回作るので大変です。それらを一緒に作ってくれるクリエイターを確保し、その上でメンバーとも連携して構成や振り付けを作っています。最近はメンバーが作品演出をするケースも増えてきました。

──メンバーを育成する上で大切にしている方針は?

まず体験させること。言葉だけで伝えたところで実感がもてないものです。

私自身もそうだったんですが、特に若い頃って、何かを指摘されたときに「それは自分にとって必要だ」という実感がもてなかったり、そもそも視座が違ったりして、ピンと来ないんです。、そうなると行動もしないですよね(苦笑)。なぜ必要なのかという本質も分からないし。

だから、その人にとって「少し困る状況」に置くのが大事だと思っています。あるプロジェクトの中で、この人にこれを振ったら少し困るだろうなと分かっていることを、あえて任せて体験させるんです。とにかくやらせてみて、少しだけ困ることが大事なんですよ。

──成長のために、少し難しい挑戦をさせるのですね。

「私がこんなことできるのかな」というくらいのラインがちょうどよいと思っています。

やってみることで、何が足りなかったのかを実感してもらい、その上で、じゃあ次はこうしていこうと助言すると、実感をもって行動に移しやすくなります。

──実際やられてるチームマネジメントの方法や工夫していることなどがあれば教えてください。

現在は、チームおよびリーグをもっと盛り上げていくために、メンバーたちに任せられることを少しずつ任せていくフェーズだと思っています。

メンバーがそれぞれが自分自身で考え、クリエーションすることができ、私が一切手を差し伸べなくてもよい状態にすることが中期的な目標です。

そのためにも、メンバーを巻き込みながらチームをよりよくしていかなくてはいけません。

──具体的にはどのようなことをしているのですか。

例えば「KPT」というフレームワークを取り入れています。KPTとは、「Keep・Problem・Try」の頭文字を取ったもので、アメリカの情報工学社が提唱した手法です。

一般企業などでよく使われているKPT法をインストールさせてもらっています。

簡単にお伝えするとKeepはよかったと感じたことを続けていくこと。Problemは、課題点の洗い出し。Tryは、課題に対して新たに試したいことや工夫すべきことを考えて実施していくことです。

私たちは試合ごとにこのKPTを実施しています。僕が各メンバーたちのKPTを匿名で読み上げるんですが、メンバーの色々な価値観が出てくるんです。

──メンバーそれぞれの想いが可視化されるのですね。

Keepに関してはメンバー間で差異はないのですが、Problemは「確かにこれ問題だったよね、じゃあこうしようか」という話し合いに進展します。匿名ではありますが、こういうことを問題視する人がいるんだなと分かり、面白いですね。

メンバーによってはそれを問題と捉えてない人もいるので、価値観が共有されることにより、 普段の生活の中でも、「ここは気遣わなきゃいけない場面だよね」とか、「普段は通り過ぎていたけど、こうしなきゃ」とか、「あの人はたぶんこう考えるだろうか」といったように、日常的にアンテナを張っていけるようになるんです。それがKPTの本質でもあるのかなと感じています。

──メンバーたちと1on1もやっているそうですね。

1on1を全員に対して定期的に行うことで、チームの全体像や相関図みたいなものがイメージできるようになります。その結果炙り出された課題に対するアプローチに関しては、局所的に直していくのか、または漢方薬みたいに全体的なシステムで緩和していくのか、といったようにあれこれ考えるわけです。これは私にとってのTryでもあります。

──監督業をする上で課題に感じていることはありますか。

監督をしていて課題に感じることは、やはりリソースです。リーグはまだ始まったばかりで、監督としての役割の正解がまだ確立されてないんです。チームごとに監督と呼ばれるディレクターが存在しますが、その人たちの仕事の範囲がまるで違うんです。

そして、人材探しの難しさも痛感しています。そもそもダンスのプロリーグ自体が新しい形なので適材がいなかったり、適材の探し方で行き詰まったり…。

一般の企業の方々も悩んでいることかとは思うのですが、今後は人の探し方を考えていかなくてはいけません。さらにその先で、人材の教育も考える必要があります。その教育を、自分がやるのか誰かに任せるのかも含めて。

こういったリソース全般を今から設計していくのが今の自分の課題なのかなと思います。リソースをどう作り、どう配分するか、ですね。

熱中から得た学びを、次のキャリアに生かすには

──近年、幅広い年代にダンスが親しまれているように感じます。FISHBOYさんが考える、“ダンスが持つ価値”とは?

ダンスが持つ価値はパフォーマンスとコミュニケーションだと思います。

近年、ダンスのパフォーマンスの部分は非常に見直されていてすごいなと感じます。アイドルと言われる人たちのダンスのクオリティも、ものすごくレベルが上がっています。

しかし、技術的な側面以外にもう一つ、ダンスの重要な要素はコミュニケーションです。

──その根拠について伺いたいです。

これは私の実体験なのですが、チェコで行われたダンスキャンプに講師として呼ばれたときのことです。そこには、ヨーロッパやアジアからも人がたくさん集っていました。

キャンプが行われた1週間ずっと、みんなと一緒に湖のほとりで毎晩踊り明かし、その後には自分の国のことを話したりしながら、一緒に踊って仲良くなる経験をしたんです。

このように楽しい空間や時間を共有できることこそ、ダンスの真価だと思いますね。

僕は小さい子どもたちにもこのことを伝えるようにしています。

──ダンスを介し、国籍や人種の壁を超えた繋がりが生まれるのですね!

例えば、来日した外国人に道案内をしても、その人が帰る頃にはその出来事を覚えていないと思うんです。

でも、一緒に踊ったとしたら、たぶん飛行機の中で「日本の子ども達と踊ったな」なんて思い出して、ちょっと笑顔になって帰ってくれるんじゃないかな。

人種や年齢を超えて一緒に楽しめるのは、ダンスの真の価値だと思うので、そういった価値について今後もどんどん広めていきたいと思っています。

──今後挑戦してみたいことや目標はありますか。

ダンスやパフォーミングアーツを軸として、社会課題を解決していきたいと考えています。

私は小国士郎さんという方がとても好きなんです。彼は自分のクリエイティブな部分を活かし若者に対してカジュアルに社会課題を伝えたり、解決していたりする方なんですよ。そういうことがダンスを軸にして、実現できたらいいなと思っています。

──ダンサーのキャリアについてFISHBOYさんのお考えをお聞かせください。

近年、ダンサーの地位は向上しつつあり、素晴らしいことだと思います。でも、向上している事自体に気づいておらず、”まだダンサーの地位が低い”と言いがちでもある。他のマイナースポーツの業界をみてみると、プレイヤー自体の減少やお客の関心を引けないなど、辛い状況にあるところも多くあり、ダンサーを囲む環境が恵まれていることに気づきます。

このタイミングで必要なのは、ここから発展していく構造を他の業態から学ぶ事だと思っています。
現状、ダンサーの多くは他の業界がどのように発展していったり、どういった問題にぶち当たっているかを見ていない傾向にあるのかなと感じます。

ダンサーは自分のキャリアを考える上で、ダンス以外の色々な世界を見てほしいです。色々な人を見て、色々なことを勉強してほしい。他の社会の人たちと話せるような言語や知識を持つ事で自分が次に何をするべきかのヒントに気づく事が多くなります。

勉強もせずに、「キャリア」に対してただ悩んでいる状態ならばこの先ちょっと厳しいんじゃないかなとも思います。なぞなぞの答えがわからなければ必死でヒントを聞きにいくでしょう。色々な勉強をしてそれを自分なりに活かしていった人が、社会で活躍できる人になるのではないでしょうか。

──最後に、このインタビューをご覧になっている皆さんへのメッセージをお願いします。

この記事を読まれている方は、何かに熱中していたり、スポーツをやっていたりする方が多いと思うのですが、よくある間違いで、自分たちがやってきたことの価値をないがしろにしてしまう人が多いように思います。

例えば野球を続けてきた人は、野球の中で学んだことがたくさんあり、その学びは社会に出てからも価値あるものだと思うんです。

しかし、社会に出た途端、その経験を別物として捉えてしまう人が多いようです。これまで培ってきた学びを社会に入った時に何に置き換えられるか。それを意識するか、しないかで結果は全然違います。

ぜひ、今熱中してるものが、次のキャリアにどう生きるかを意識しながら今の活動をしておいてほしいなと思います。

そうすることで絶対次のキャリアのスタートが変わります。一方で、次のキャリアに意識が行きすぎて、熱中できなくなるのが一番よくないとも思っています。

だから、熱中することも、意識をすることも、どちらも忘れないでください。

取材後記

今回FISHBOYさんの話をお聞きして、彼がただのダンサーではなく、“ダンスを通じて世界を変えようとしている人”だと強く感じました。

彼の挑戦は、業界や国境を超えて次の世代へとつながっていくはずです。今後も彼の活動から目が離せません。

FISHBOY

取材/アスリートエージェント

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