2017.10.06

自信をつけて力を発揮する。総合格闘技・長谷川秀樹

『アスリート・ライブ』でご紹介している、プロとして活躍されてきた方々。全日本連覇、オリンピック出場。皆さん、眩しいくらいのご経歴をお持ちです。

ただ、プロになれる選手はごくわずか。輝けるのは、ほんの一握り。

じゃあ、プロになれなかった選手はどういうキャリアを歩んでいるの?
「就職が困難」「希望する仕事に就けない」ネットにはそんな情報ばかり。

でも、そんなことはありません。
ビジネスアスリートとして輝く方が、ここにも一人いらっしゃるんです。

Profile

長谷川 秀樹(はせがわ ひでき)1976年3月生まれ

元総合格闘家、ブラジリアン柔術家。全日本オープンなど数々の試合で優勝実績あり。現在は、歯科用製品メーカーにて営業職としての仕事をしながら、「ねわざワールド品川」の代表としてブラジリアン柔術を指導。“複業”という現代的スタイルを確立しているビジネスアスリート。

就職活動の時期大学4年生から総合格闘技の門を叩く

―― 長谷川さんが総合格闘技に目覚めたきっかけは何でしたか?

高田延彦VSヒクソン・グレイシーの試合です。

大学4年生の時にテレビで見て、私も総合格闘技をやってみたいと思ったんです。

和術慧舟會(わじゅつけいしゅうかい)という名門の道場が御茶ノ水にあって、そこに入りました。

総合格闘技の道場としては当時かなり上位で、プロ選手の所属が日本一の時期もありました。

有名選手だと『PRIDE』に23回出場を果たした小路晃(しょうじ あきら)さんや、世界最大の総合格闘技団体UFCのトップ選手として活躍された岡見勇信(おかみ ゆうしん)さんですね。

会員数は一番多いときで300名でした。

―― 大学4年生からですと、少しゆっくりしたスタートかと思います。それまでは他のスポーツをされていたのでしょうか。

柔道はやっていました。

高校で3年間。

本当はずっと好きだったプロレスに近いことをやりたかったんですが、高校にレスリング部がなかったんです。

それで柔道部に入りました。

ただ、ほとんど勝てなかったのでちょっと気持ちが折れてしまって。

だから、大学でも4年生で総合格闘技に出会うまでは、特にスポーツをしていませんでした。

―― 大学4年生といえば就職活動の時期でもありますね。

そうですね、就活は終えていました。

卒業後は信用金庫に入社して、銀行員をやりながら和術慧舟會で格闘技を学んでいたんです。

最初はちょっとやってみたいという好奇心で、週1ほどのペースで軽く取り組んでいました。

3年ほど経った頃からアマチュアの試合に出るようになって、優勝するようになって。

でも、私はプロにはなれなかったんです。

プロの道は絶ったが格闘技に携わることが楽しい

―― そうだったんですね。総合格闘家としてプロになる方法ってどういうものですか?狭き門なのでしょうか?

プロ選手の試合の前座として、戦績のよいアマチュア選手のみが出場できる「オープニングファイト」という試合があるんですね。

そこで勝ち続けるとプロの試合に出られるようになって、プロ選手として認められるようになります。

私もオープニングファイトには何回か出ましたが、どうしても勝てなくて。

ケガもあったので、28歳のときにプロになることを諦めました。

当時、そうですね、今から13、14年前だと年間でプロにあがれる人は40名ほどでした。

私のようにプロを目指していたアマチュア選手は400名ほどいたので10分の1ですね。

決して広くはない門だったなと思います。

―― プロの道を潔く絶った長谷川さん。そこから格闘技にどう向き合いましたか。

その頃、1社目の信用金庫を退職して、歯科用製品メーカーに転職をしたんです。

時間に余裕ができたこともあってほとんど毎日練習していましたね。

ただ、プロ選手になることはもう諦めていたので、格闘技を楽しく続けていきたいという感じでした。

オープニングファイトにも出場はできたので、もうどこか満足していたのだと思います。

― 歯科用製品メーカーに勤めて、なんと今年で16年目。そして、“複業”として「ねわざワールド品川」という教室で格闘技を教えています。

サラリーマンと格闘技教室のインストラクター、複業という働き方

―― 複数の仕事をしてふたつの収入源を得る。とても現代的ですね。どうして格闘技を教えることになったのですか?

会社で営業として仕事をしている中、和術慧舟會から私にインストラクターをやって欲しいと依頼があったんです。

4年ほどボランティアとして続けているうちに、指導のコツなどが理解できるようになっていきました。

それと、歯科業界がちょうど不景気のタイミングで。

婚約もしていたので、このままの状況だと正直厳しいなと思ったんです……。

ボランティアではなくて、自分で場所を借りて教室というスタイルでやってみたらどうだろうとひらめいて。

好きなことをやれるし、収入も得られる方法です。

会社にもちゃんと相談をして理解を得ることができました。

今は、「ねわざワールド品川」の代表としてブラジリアン柔術を教えています。

―― ……ブラジリアン柔術?総合格闘技でも柔道でもなく、ですか?

プロを諦めた翌年から、和術慧舟會で総合格闘技の練習を続けつつ、調布の「ねわざワールド」にも通っていたんです。

興味のあったブラジリアン柔術の練習をしてみたくて、5年ほど通いました。

そういう縁があって、のれん分けをしてもらって品川支部の代表をすることになったんです。

格闘技やブラジリアン柔術、ターゲットを絞ってネットから生徒を集めていく

―― サッカーや野球のようにメジャーなスポーツではないですし、生徒さんを集めることは大変だったのではと思います。

集客にはネットを使いました。

道場の生徒募集をするウェブサイトに登録したり、ブログを作成して「格闘技」「柔術」などの検索にヒットするよう設定してみたり。

格闘技、ましてやブラジリアン柔術って特殊なものです。

英会話やスポーツジムだと駅前でチラシを受けとって、何となく入会してみるという流れもあるかもしれません。

でも、チラシを受けとって何となくブラジリアン柔術をやる人ってほとんどいないですよね(笑)だから、最初からターゲットを絞ってネットをメインにしていました。

それでも1年目で集まったのは10名ほどでした。

厳しかったですね。

2年目に少し増えて20名ほど。

3年目から一気に50名になったんです。

―― 50名ですか!いきなりぐっと増えましたね。

3年目のときに初めて女性に入会してもらえたんです。

もともと知り合いで総合格闘技をやっていた方です。

それまで生徒さんは男性ばかりだったので、女性を集めることができたら今よりも明るい雰囲気になって、女性会員も増えるかもしれないと考えたんです。

見学・体験にいらしたときに道場に女性がいることで、安心していただけます。

2人になって、3人になって、そうしてどんどん女性の生徒さんも増えていきました。

やっぱり雰囲気は明るくなったなと思います。

あと、男性でも格闘技をやったことのない方だと「できるだろうか」と心配されますが、「女性の方も頑張っていますし大丈夫ですよ」と言うとほっとされるんです。

そうして全体的に会員数が増えていって、今は250名ほどになりました。

今は、一人でも多くの方に格闘技をやっていただくことを目指しています。

運動をまったくしたことのない方やご年配の方もいらっしゃいますし、敷居をなるべく低くして、誰にでもできる内容にしています。

格闘技は人生において必ずプラスになりますから。

プロ選手のおよそ9割が別の仕事を抱えながら続けている現実

―― 少し突っ込んだ質問をさせてください。プロを諦める理由に「生活の不安」を聞くことがあります。長谷川さんはどうでしたか?

ありました。

現実的な話になってしまいますが、プロ選手のおよそ9割は別の仕事をしているんです。

食べていくために、格闘技だけでは厳しいこともあります。

私自身、会社をやめるという選択肢はなかったですし、加えてプロになると一段と強い相手と戦うことになります。

減量もさらに激しくなります。

しかも、仕事をしているプロ選手たちのほとんどがアルバイトや契約社員なんです。

練習や試合でスケジュールが読めないので、正社員は本当にごくわずか。

当時はプロになること自体がものすごく難しかったので、並行して正社員というのはどこか非現実的だったように思います。

プロ選手を目指している段階で会社をやめる人も多かったですね。

そうやって色々考えると、プロ選手になることはもちろんですが、プロとして食べていくこと、輝き続けることは想像以上に難しいんじゃないかと思いました。

―― とてもリアルですね。格闘技を引退したプロ選手のセカンドキャリアはどういうものが多いのでしょうか。

8割以上はインストラクターになったりジムを経営したりしますね。

引退後もそのまま格闘技に関する仕事に就く人が多いと思います。

もしくはまったく関係のない職種に就職したけれど、数年後にまた格闘技の世界に戻ってきて仕事をするパターンもあります。

社会に馴染むことが難しく感じることも…だからこそ引退後を見据えた行動を

―― 戻ってくる、ですか?

格闘家は他のアスリートと比べて少し特徴的だと思うんです。

並大抵ではないパワーを持っていて、強さという部分でずっと勝負をしてきた。

誇りも自信もありますし、それがプライドの高さになっていることもあります。

もちろん全員ではありませんが、頭を下げることに抵抗があるという人の話も聞きます。

相手を叩きのめすという競技性も特有ですしね。

そうなると、一般社会に溶け込みにくいとか、サラリーマンなど普通の仕事に馴染みづらいとか、そういう課題が出てくるんですね。

引退するまでアルバイトしかやったことがなくて、正社員経験のない選手もたくさんいますから。

なので、プロ選手であっても正社員としてはたらいて社会を知っておくといいのだろうなと思います、本当は。

正社員が難しくても、引退後を見据えた行動をしておくことが大切ではないでしょうか。

―― 最後に、格闘技を通して得られたもの、人として成長できた部分を教えてください。

粘り強さ、忍耐力です。

まず、勝利にこだわってコツコツと努力をすることで精神を鍛えられました。

それと、試合前の減量ですね。

1ヶ月でだいたい6キロ減らしますが、普通体重から落とすので辛いですし、最後の方はサプリなどで必要最低限の栄養しか摂りません。

そういう経験を当たり前にしていたので、自ずと我慢強くなりましたね。

あと、何よりも変わったのは自信を持てるようになったことです。

私は格闘技を始めるまで口数は少ないし、人見知りする性格でした。

でも、ライバル選手を倒したりアマチュアの試合で優勝をしたりして、少しずつ自分に自信をつけることができたんです。

強くなるということは想像以上に大きいことだと実感しています。

特に格闘技は一対一の戦いなので、勝つことでより自信に繋がるんですよ。

それから、人間関係の楽しさもあります。

道場に通うと年齢も性別もばらばらな人ばかりです。

職業でいうと、弁護士、医者、一流企業の経営者から、フリーターをしている方まで。

普段なら出会わない者同士が、格闘技という共通するものを通して触れ合う。

それってとてもいいなと思いますし、不思議とみんな馴染んじゃうんですよね(笑)人間関係の面白さを味わえるのも、格闘技はもちろんスポーツの魅力だと思います。

取材後記

「プロになれなかった」
そう聞くと、なんだか残念なように思いますか?

たとえプロになれなくても、競技に全力投球した事実は消えません。勝利にこだわってコツコツと取り組んだことも、仲間を想って戦ったことも、そのすべてが財産です。

長谷川さんも、プロとしてキラキラと輝くことは難しかったけれど、格闘技を通して強くなって、少しずつ自信をつけていきました。そうして営業マンとして、ブラジリアン柔術家として、今を輝かせています。

努力をしてきた人には、力を発揮する舞台が必ずある。
すべてのアスリートの未来は、希望に溢れていると信じています。

長谷川 秀樹Hideki Hasegawa

元総合格闘家
現在:ブラジリアン柔術指導者


ねわざワールド品川
http://newawa-shinagawa.versus.jp/

取材/アスリートエージェント 小園翔太
文・編集/榧野文香

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