2018.01.25

自分の気持ちや意思を持って行動する。野球・岡本篤志

2016年9月28日、岡本さんは慣れ親しんだ西武ドームのマウンドに上がりました。

ブルペンからマウンドへ。
もう何度も通ってきた道ですが、この日の登板はいつもと違う特別なものでした。

引退試合。

13年間共に戦ってきた仲間、そして声援を送ってくれたファンとの別れ日です。
試合後、ファンから万雷の拍手を浴びながら、
チームメイトから胴上げされ、岡本さんの野球人生は幕を閉じました。

それと同時に、ここから岡本さんの第二の人生がスタートします。

Profile

岡本 篤志(おかもと あつし) 1981年5月生まれ

元プロ野球選手。埼玉西武ライオンズで13年間投手として活躍。チームの日本一にも貢献。現在は、株式会社L.M.K代表取締役を務め、アスリートのライフサポートやミャンマーへのスポーツ振興事業に取り組んでいる。

甲子園を目指し強豪校に入学

―― 岡本さん、野球は小さい頃から取り組んでいたのですか?

いえ、初めはサッカーをやっていました。

兄が野球をやっていたのですが、反発心もあったのか、正直比較されたくないという思いがありまして。

ただ、学校から帰ると野球をするようになり、徐々に夢中になりました。

結局、サッカーは辞めて、小学校3年生から野球を始めます。

小学校5年生で三重県に引っ越しをして、そこでも野球を続けて、徐々に注目される存在になりました。

ありがたいことに、奈良県のボーイズリーグからスカウトもあって。

ただ、通うのが大変なので、中学は学校の野球部に入部をしたんです。

高校は、三重県での野球強豪校のひとつ、海星(かいせい)高校を選びました。

当時住んでいた場所から電車で2時間かかってしまうため、親は大反対です。

でも甲子園に行きたい!この想いは捨てきれず、親を説得して海星高校に進学しました。

―― 高校に入るときからプロ野球選手になろうと決めていたのですか?

実は、当時プロ野球選手に憧れはありませんでした。

高校球児が一生懸命プレーする姿の方に憧れて、甲子園に行きたいという想いだけで、高校に進学したんです。

プロ野球選手になろうと決めたのは、大学に進学したときです。

高校生の時の活躍が取り上げられて注目されるようになって、プロを意識するようになりました。

ただ、両親から「大学に進学して欲しい」と言われて、ひとまず大学に行こうと決めました。

大学で活躍してからプロに入っても遅くないと、自分自身も思ったので。

いくつかの大学からスカウトされていたのですが、東京に行ってみたいという想いと、人のつながりで、明治大学に進学することを決めました。

このときには、もうプロしか見ていませんでしたね。

信じてくれる人たちのために主体性を持ってトレーニングに励むと自ずと結果がついてくる

―― プロと大学で野球は変わりましたか?

変わりましたね。

大学時代は、いわゆる「お山の大将」でした。

でも、プロ野球に入ると、周りにすごい人がゴロゴロいる。

私が入団した当時は、松坂大輔投手が在籍していて、大活躍していました。

もう、大学時代とは真逆の状態です。

それに、当時はプロに入ることが目標になっていました。

今考えるともったいなかったのですが、プロで活躍したいというところまでビジョンを描いていなかったんです。

自分はプロに入ることで満足してしまい、全体練習以外に自主練習はほとんどやりませんでした。

あと、一軍はベテランが多くて正直居心地があまり良くなくて。

逆に、二軍は自分と世代が近い若手ばかりで居心地が良いんです。

一軍で活躍するのが一番なのに、甘い環境に浸ってしまいました。

活躍するかどうかは、才能や身体能力などポテンシャルの問題もあります。

ただ、プロに入ってからのメンタル管理や目標設定も重要な要素です。

プロ野球選手は、一生できる仕事ではありません。

だからこそ、限られた時間を無駄に過ごすのは、もったいないことだったと後悔することもあります。

ー 入団後からなかなか目立った成績が残せなかった岡本さん。
そんなとき、大きなアクシデントに見舞われます。

6年目になっても目立った結果が出ていなくて、いよいよ危機感を持ち始めました。

しかし、そんな矢先、股関節を疲労骨折してしまいます。

かなり珍しい症状で、手術もできません。

投げるのは痛いし、1年間は野球ができない。

正直目の前が真っ暗になりました。

「もう今年で終わりかな」そんな考えがよぎったとき、当時のトレーニングコーチが「岡本と来年も契約を」と球団に掛け合ってくれました。

そうしたら、5月の時点で球団から「来年も契約する」と言ってもらえて。

もう、球団と当時のトレーニングコーチには感謝しかありません。

そこまで言ってもらったからには変わらないとダメだと思って、そこから自分でいろいろ考えてトレーニングをするようになりました。

その甲斐もあり、翌年から徐々に一軍で投げる機会が増えたんです。

ー その後、岡本投手は西武ライオンズの中継ぎ投手として活躍。
現役生活13年間で265試合に登板して、チームを支え続けました。

「本当にやりたいことは何か?」1、2年かけて見つけていくことが理想

―― 引退後、岡本さんはなぜ独立されたんですか?それと、実際どのような事業に取り組んでいらっしゃるのか教えていただけますか?

もともとサラリーマンになるという発想が全くありませんでした。

就職するにしても、やりたいことが見つからなかったので。

本格的に経営者として頑張ろうと思ったのは2017年4月からです。

今、力を入れていることは、アスリートの就職支援です。

特に、個人やアマチュアスポーツを対象にできないかと考えています。

他にも、ある企業から、健康商品のタイアップに関するお話もいただいています。

あとは、ある大学と協力して、ミャンマーで野球を広げようと活動しています。

海外は2017年だけでも5、6回は行っていますね。

サッカーの場合だと学生さんが海外に行って、現地の子どもと交流を図るといった活動がありますが、野球はまだまだです。

今後協賛企業などを募って展開したいですね。

ー 経営者としてセカンドキャリアを歩み、さまざまなことに挑戦する岡本さん。
だからこそ、現役選手たちに伝えたいことがあります。

―― プロ野球選手のセカンドキャリアの問題についてはどう考えていらっしゃいますか?

本当にやりたいことは何か?それをしっかり考えておくべきではないでしょうか。

これまで、好きな野球を仕事としてやってきました。

そういう環境でやってきたなら、野球と同じくらい好きになれる、やりたいことを見つけることが大事だと思います。

できれば、1、2年かけてやりたいことを見つけるのが理想です。

実際、人生設計がしっかりできている選手もいて、引退後に大学院に2、3年通えて、家族も養えるくらいの貯金を作っている人もいます。

ただ、選手の中には、辞めてからも誰かが助けてくれるという甘い考えを持つ人もいます。

確かに、うまく立ち回れば協力してくれる人はいます。

しかし、それを待っているだけではダメ。

正直、楽観的に考えている選手がほとんどです。

場合によっては、元プロ野球選手という肩書きで普通に就職できてしまいます。

それに、今は人材難の企業も多い。

中には、内定を4つも取った元プロ野球選手もいます。

でも、マッチしないで辞めてしまうケースも多いんですよ。

そこから負の連鎖が続いてしまうこともあります。

特に、苦労するのは 2000万円から5000万円 くらいの年俸をもらっていた選手です。

正直、彼らは貯金だけでは一生食べていけません。

何かしら働いて稼ぐ必要があります。

一方で、一軍で活躍してプライドもあり、生活水準も上がっています。

実は、こういう元選手が、再スタートを切るのが一番難しいです。

上がった生活水準を下げること、野球ができなくなった現実を受け入れて、メンタルチェンジを行うことがなかなかできません。

それゆえに、一番苦労することになってしまうのです。

社会に出る準備はどんなことでもいいから現役中にしておくべき

―― 現役時代を振り返ると、プレーのことだけでなく、セカンドキャリアについても考えた方がいいと思いますか?

考えた方がいいですね。

社会のことを何も知らないのは、まずいと思います。

ただ、現役の頃にこんなこと言われても聞く耳を持たなかったかもしれませんが……。

そこは難しいところですね。

辞めて、会社に入るならまだいいんです。

そこで一から学ぶこともできます。

そういう選択をするなら、オフシーズンにパソコン教室に行くとか、それが無理でもせめて名刺の渡し方一つでも覚えるとか、何かしら社会に出るための準備はやった方がいいのではないでしょうか。

ただ、今まで好きなことを仕事にしてきたプロ野球選手にとって、サラリーマンというキャリアが合わない可能性もあります。

引退後に独立することを考えているなら、やはりそこに向けて準備をすべき。

そして、自分の気持ちや意思を持って行動することが大事だと、そう気づくことが何よりも重要だと思います。

現役を辞めてから、気づくことがたくさんあるんです。

社会に出て感じたことは、元プロ野球選手は「不利」なものとして扱われるんだなということです。

仕事できない、スポーツしかやってないという目で見られてしまう。

まさにマイナスからのスタートです。

一方で、野球をずっと続けてきたメリットもあります。

たとえば、「一つのことを貫くこと」。

これは、他人より優れている能力です。

あと、野球のおかげで人間形成ができたことも大きいです。

挨拶をはじめ礼儀など叩き込まれて、人に接する態度はしっかりできるようになったと思います。

野球というスポーツが自分の教育にとって大事なもので、成長に確実に結びついていることを感じます。

独立しても好きな野球、スポーツに積極的に関わっていく

―― 今後はどのような目標を描いていますか?

まずは、会社の売り上げをきちんと確保することです。

そして、もっとミャンマーの施設にも行きたいですね。

孤児院にいる子どもたちに野球を教えて、支援ができればと考えています。

以前は、孤児院の子どもたちって、どこか暗いのかなと想像していました。

しかし、実際は真逆。

目がキラキラしているし、楽しそうでイキイキしています。

そして、人の話を聞くときは、しっかり目を見て聞くんです。

そんな彼らの姿勢を見ると、一昔前の日本がこうだったのかなと思うこともありますし、心が洗われます。

今後、もっと積極的に関われたらと考えています。

取材後記

プロ野球選手から経営者としてスタートを切った岡本さん。
インタビューに答える姿から、
事業に対する真剣な想いがひしひしと伝わってきました。

プロ野球選手のセカンドキャリアを、悲壮感たっぷりに伝えるメディアもあります。
しかし、岡本さんから、そのようなものは一切感じませんでした。

大好きな野球を辞めても、セカンドキャリアを堂々と歩むその姿は、
多くのアスリートにとって希望の星になるのではないでしょうか。

ビジネスの世界でも全力投球を続ける岡本さん。
これからの活躍に期待です。

岡本 篤志Atsushi Okamoto

元プロ野球選手
現在:経営者/スポーツ振興事業


岡本 篤志 オフィシャルブログ
https://ameblo.jp/atsushi-okamoto22/

取材/アスリートエージェント 小園翔太
取材・文/山田雄一朗
編集/榧野文香

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