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2018.02.20
「前向きな今」が過去の経験を意味付ける。柔道・杉本美香
優勝、一等賞、成績トップ。
「1位」になることは、いつだって特別です。
嬉しさのあまり涙することもあるでしょう。
では、もし「2位」になったら。
1位こそ逃したものの、ビリではない。
悪くはない結果だから、やっぱり喜ぶでしょうか。
それとも悔しい?次に向けてもっと頑張る?
杉本さんはこう言います。
「2位の意味を、一生かけて探していきます」
Profile
杉本 美香(すぎもと みか)1984年8月生まれ
柔道家。世界選手権など数々の国際大会にて優勝をし、2012年のロンドン五輪では78kg超級にて銀メダルを獲得。引退後はコマツ女子柔道部コーチとして指導する一方、『日本一周柔道教室の旅』を個人で行い、全国各地を回っている。柔道への恩返しに日々励む。
INDEX
―― 柔道との出会いを聞かせていただけますか?
私、子供の頃から力が強くて。
小学5年生のときに友人のお母さんに勧められて、柔道の見学に行ったのがきっかけでした。
一目惚れでしたね。
うわあ、投げたいっていう(笑)
小さな町道場でレベルは全然高くなかったです。
先生も柔道が好きだからボランティアで教えている感じで、かなりゆるかったです。
ただものすごく楽しかったですね。
そのときの「柔道って楽しい!面白い!」っていう気持ちを覚えているので、今も柔道を広めるために頑張っているんだなぁと思います。
柔道に一目惚れ、やると決めたら全面的にサポートしてくれた両親
―― 「痛そう」じゃなく「投げたい」だったんですね(笑)ご両親も応援してくれましたか?
実は、最初は大反対でした。
女の子らしく育ててきたのに、柔道なんて真逆だろって(笑)
1ヶ月ひたすらお願いして、絶対にやめないという条件付きで許してもらえたんです。
やると決めたあとはサポートも応援もしてくれましたね。
小学6年生でオリンピック選手になりたいっていう夢があって、中学高校も強いところに行かせてもらって。
自由にやらせてくれたことはとっても大きかったです。
―― 今、コマツ女子柔道部でコーチをされていますが、子どもに対する親の影響というのはやっぱり大きいのでしょうか。
親御さんの影響は少なからずありますね。
指導について色々と希望をおっしゃる親御さんもいますが、それはお子さんへの愛情だと理解しています。
選手が育ってきた環境によって、接し方や言葉のチョイスを変えるように意識していますね。
あと、コマツでは「やるやらないは親御さんではなく選手。
選手が勝てるよう、私たちが責任をもって指導します。
ご両親は甘えられる場所として、どっしり構えておいてください」と、私も覚悟を持って真っ直ぐにお伝えしています。
そうすると親御さんも安心してくださって、見守ってくださるようになりますね。
やるもやらないも自己責任、自主性を伸ばせる環境で鍛えられる
―― 親御さんからすると心強いですね。では、話を戻して……高校での戦績はいかがでしたか?
全国高校選手権で優勝して日本一になり、高3からは国際大会にも出るようになって、オリンピックへの夢がちょっとずつ現実味を帯びてくるようになりました。
卒業後は筑波大学に入ったんですが、さすが名門の強豪校。
オリンピックや世界選手権で優勝する先輩がうじゃうじゃいて、意識が高くて個性の強い人たちの集まりでした。
ただ、練習はまったく厳しいものじゃなくて。
やるもやらないも自分次第、その代わりすべて自分に返ってくるという方針だったんです。
先生がその日の練習メニューをホワイトボードにざっと書いたら、そのあとは一言も発さずに生徒にまかせるという感じでした。
慣れるまでは大変でしたが自主性を伸ばせたなぁって思います。
「柔道の常識は世間の非常識」人として大きく育つためには広い世界を知ることも大切
―― 大学卒業後、多くの実業団から声がかかる中で杉本さんはコマツへの入社を決められました。その理由は何だったんでしょう。
他の実業団からも話をいただく中で、コマツだけが会社に出社するという条件だったんですよね。
午前中は社員として仕事をして、午後から柔道に取り組むという環境。
それを自分で選びました。
というのも、大学時代に尊敬する先輩が「柔道の常識は世間の非常識」と教えてくださったんです。
私たちがいるのはあくまでも狭い世界。人として大きく育つためには広い世界を知ることも大切。
社会に出るためにはパソコンが使えなきゃだめ。
そんなことをたくさん教わりました。
それも、コマツを選んだきっかけのひとつでしたね。
出社することで嬉しいこともありました。
他の社員の皆さんとコミュニケーションが取れて、それまで柔道に興味のなかった方が休日に会場まで応援に来てくれて。
杉本さんと喋ったことがあるからどんな柔道をするのか見てみようって。
そういう関係ができたことが何より嬉しかったです。
勝つ姿を見せたいし、頑張れました。
− 2012年、ロンドンオリンピック。初戦、準々決勝と鮮やかな一本勝ち。
そうして挑んだ決勝戦。ずっと目指していた「金」はもう目の前でした。
決勝はもう……一生ずっと悔しいんだと思います。
本当に、そうですね……すみません、急に汗かいてきました。(ハンカチを取り出して、額を拭う杉本さん)
あのときの試合を思い出すと、いつも身体がカッと熱くなってしまうんです。
負けたことが今でも悔しくてたまらなくて。
あのとき、決勝まで進んだからには優勝したいって前のめりになってしまったんです。
めずらしく気持ちが先走ってしまって。
それまでは目の前のことひとつひとつを意識していたのに、金メダルを期待しちゃった自分がいて。
アウトですよね。
しかも、今まで勝っていた選手が対戦相手だったので「よっしゃ!勝ちたい!いけるかも!」と力が入って狙いすぎました。
結果、全然うまくいかなかったんです。
悔しくて情けなくて……申し訳ない気持ちしかなくて。
オリンピックの1位と2位はまったく別物だって、塚田先輩から教えられていたんです。
塚田先輩はアテネで金、北京で銀を獲られて、1位と2位の両方を知っている方なので。
もし決勝まで進めたら必ず優勝しなさいと。
金メダルを逃してその意味を痛感しました……。
決勝戦は今も鮮明に覚えていますが、録画したものは一度たりとも見ることができていないんです。
全力でやりきったオリンピック、惜しまれながら引退を決意
―― 思い出すと今も熱くなるくらい、色んな想いがあるのでしょうね。ロンドンで引退を決意されたのはどうしてだったんですか?
正直、もう体がボロボロだったんです。
ここからまた4年頑張れるのかなって考えると、体力的にもちょっと難しいんじゃないかなって。
ロンドンで最後かなってある程度は思っていたので、ロンドンを全力でやり切って3ヶ月後に引退しました。
まだ試合が見たいって周りの人は言ってくれたんですが、自分で決めなきゃいけないこと。
それに、惜しまれてやめるくらいがいいかなって。
もういいよ、そろそろやめなよって哀れな目で見られながら引退するよりも(笑)
自分のやり方がみんなに合うわけじゃない、仕事をしながら大学院で本格的にコーチングを学ぶ
―― 引退後はどんなお仕事をされていたのでしょうか。
そのままコマツで女子柔道部のコーチになりました。
ただ正直、本当にコーチをやりたいのかどうかも分からないまま出発してしまって。
これでいいのかな、私って何がしたいんだろう、柔道には関わりたいけれどなぁ……って考えて悩みすぎて、だんだん選手たちを教えることが苦しくなってしまったんです。
たとえコーチを続けるにしても、自分の実体験だけをもとに指導したくないっていう気持ちがありました。
私がやってきたことがみんなにも合う、だからそれをやり込めば強くなる、そういう教え方は嫌で。
まずは学ぼうと決めて筑波大学大学院に入学しました。
しかも、コマツがそれまでの私の柔道を評価してくれて、ありがたいことに会社に所属したまま大学院に行くことを許可してくれたんです。
コマツってオリンピックや世界選手権に出ていない選手でも大事にしてくれる会社なんですよね。
大学院で2年間コーチングを学んで、今はまたコマツのコーチとして吸収したことを活かせるように頑張っています。
それから個人では『日本一周柔道教室の旅』もやっています。
現役中からもうずっとやりたかったことで。
周りの人からは「そんなの無理だよ」って言われることもあったんですが、反対されると燃えるタイプなので「よっしゃ!やってやるよ!」と(笑)
―― 柔道教室の旅、ですか。やはり柔道連盟からの依頼ですか?さすがオリンピアンです。
いえ、連盟からの依頼じゃなくて、本当にただただ個人的な活動で(笑)
全国の都道府県に電話をして、そちらの県で柔道教室をさせてくださいってお願いして、自分自身でアポイントを取っています。
口コミで少しずつ広がっていって、時には先輩の知り合いや、その知り合いにも繋いでもらって。
小学生から大学生まで教えていますが、すべて思い出に残っています。
柔道の素晴らしさを伝えられるよう、子供たちの柔道レベルによって指導方法はいつも変えるようにしていて。
たとえば、小学校の低学年の子たちには「柔道って楽しい!」と思ってもらえるように。
大学生には細かい技術を伝えて、柔道の奥深さを学んでもらえるように。
以前、「熊本を助けてください」と被災地の方から依頼をもらったことがあって、駆けつけました。
アーティストさんなら歌を披露できるけれど、柔道だと何をどうすればいいだろうって考えて。
避難所のトラックの荷台に畳を敷いて、柔道を見せたりストレッチをしたりしましたね。
荷台、めちゃくちゃ痛かったですよ(笑)
でも、皆さん喜んでくれました。
柔道教室の旅は一人きりでやっているので、ものすごく地道で時間もかかりますね。
大変なこともたくさんありますし、簡単にはいかないなぁと思うこともあります(笑)
でも、訪れた場所で皆さんの笑顔を見ると大きなパワーをもらえるんですよ。
全国制覇の目標も、残りあと15ヶ所ほどで達成できます。
相手を想い合う柔道、人の気持ちを考えられる思いやりが身につく
―― 柔道一筋の杉本さんですが、柔道を続けてきたからこそ人生に活きているなと思うことはありますか?
まず、人の痛みが分かりますね。
投げられると単純に痛い。
自分と同じように相手選手も痛いことが分かるので、やっぱり相手のことを考えるんですよ。
その積み重ねで人の痛みが分かるのはもちろん、人の気持ちを考えること、他人に興味を持つことができるようになっていきます。
実は、柔道って投げたら投げっぱなしじゃないんです。
相手が痛くないように、引手(組み合うときの持ち手。通常は左手)は離さず、引き上げるんですよ。
相手が怪我をしないように引き上げて、相手も同様にしてくれる。
その引き上げのことを『命綱』(いのちづな)といって、実践の中にもそういう思いやりがあるんですよね。
だから柔道って面白いな、いいなって。
あとは試合中に相手と組みながら「次は何を仕掛けてくるだろう」「何を考えているんだろう」って思考するので、普段の生活でも「顔が暗いけれど、どうしたのかな」って目の前の人を自然と気にかけるようになりますね。
武道である柔道は、礼に始まり礼に終わる。
相手を尊重すること、礼儀を尽くす姿勢は何よりも大事にします。
―― 思いやりって仕事はもちろん日々欠かせないものですよね。最後に、杉本さんのこれからの目標を聞かせてください。
柔道を引退した後は、教員、指導者、女性だと家庭に入る、それくらいの選択しかないのが現状です。
だから、柔道が大好きな後輩たちの選択肢を増やしたい、道をつくりたいという想いを持って日本各地を飛び回っていますね。
人脈も広げながら。「何かやりたいです」っていう相談をもらったときに「あそこに行っておいで」って言えたらいいなって。
たとえオリンピックや世界選手権に出られなくても、有名じゃなくても、柔道が好きな選手はたくさんいます。
そういう子たちにも関わりたくて。
ただ、私自身がまだまだ手探りですし、もっとたくさん勉強をして頑張らないとなって。
柔道人生は色々な感情がいつも一緒でした。
嬉しい楽しいだけじゃなく、もちろん我慢や葛藤も。
でも、柔道をやめたいと思ったことはたった一度もないんです。
それは本当に周りの人の支えが大きかったなって。
みんなで肩を組んでオリンピックに出場した感覚ですし、ひとりじゃ絶対に無理だったなと思います。
声をかけてくれた人、応援してくれた人がいたからこそ、私は柔道を楽しむことができました。
柔道に育ててもらいました。
柔道のおかげでオリンピックの舞台を経験できたし、畳の上に立たせてもらいました。
だから、これからの人生でしっかりと恩返しをしたいんです。
支えてもらった皆さんにも、柔道という武道にも。
取材後記
「金じゃなくてごめん。」
ロンドンオリンピック決勝戦を終えたあと、
親御さんにそう伝えた杉本さん。
今はもう、2位を「謝罪」にはしません。
2位になったからこそ知った悔しさ
勝てなかったという現実と向き合うこと
応援してくれた人たちの気持ちを汲む心
手にした銀メダルはそれらを教えてくれました。
これからも柔道を通して、2位の意味を探し続けます。
自分の過去、経験、あのとき起こった結果を
どう意味づけするのかは、自分次第。
歩いてきた道を振り返ったとき
「あの経験があったおかげで」と笑えるように
前向きに、今を思いっきり生きる。
杉本さんは、惚れ込んだ柔道とともに
今日も日本各地を飛び回ります。

杉本 美香Mika Sugimoto
柔道家
現在:コマツ女子柔道部コーチ
杉本美香 オフィシャルブログ
https://ameblo.jp/mika-sugimoto/
杉本美香twitter
@mika_sugimotooo
取材/アスリートエージェント 小園翔太
取材・文/榧野文香
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