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2018.02.13
エース山本の生き様。自身の役割を見極めて集中する。バレーボール・山本隆弘
バレー部でアタッカーをしていた私にとって
“エース山本”は、とにかく憧れの存在でした。
サウスポーで豪快に打ち込まれるスパイク。
ぐっと惹きつけられて、いつだって目が離せないこと
今でもしっかり覚えています。
勝っても山本、負けても山本。
山本隆弘というアスリートは、重圧の中心で
どんな想いを?引退した今はいったい何を?
期待とわずかな緊張とともに、私は取材へ向かいました。
Profile
山本 隆弘(やまもと たかひろ)1978年7月生まれ
元全日本男子バレーボール選手。2003年ワールドカップではベストスコアラーとMVPを獲得し、日本初となるプロ契約を結ぶ。2008年北京五輪出場。現在は小学生バレーボール大会『T-FIVE CUP』主催、自転車ロードレースのプロデュース、バレー指導・解説など多方面にて活躍。株式会社T-FIVE 代表取締役。
INDEX
過酷な状況にチャレンジ、人間として一皮も二皮も剥けるはず
―― 山本さん、さすが大きいですね!201センチの身長は迫力があります。
中学で一気に伸びたんですよ。
入学時158センチだったのが、卒業時には192センチ。
あまりに急激すぎて成長痛すら感じなかったですね。
バレーボールを始めたのも中学生。
1年生からです。
ただ、部員が一人しかいないバレー部で。
このままだと廃部になるからとりあえず名前を貸してくれと頼まれて、まあ、貸すだけならいいよと(笑)
指導者もいないし、たった二人。
久しぶりにちゃんと練習しようかって体育館に行ったら、充てがわれたのはコートじゃなくてステージの上でしたからね。
「男子バレー部の練習場所はここしかないんで」って言われて。
―― そんな始まりだったとは意外です。本格的に打ち込んで、選抜に選ばれるようになったのは高校生からですか?
そうです。
地元の鳥取県で一番強豪とされていた鳥取商業高校へ進学して、全日本ジュニア代表やユース代表に選出されました。
オリンピックに出たいっていう夢も持って。
ただ僕、大学で挫折をしているんですよね。
―― 日本体育大学ですよね。挫折、とは……?
厳しい練習環境に耐えきれなくて。
もうね、それは僕の心の弱さでした。
大学2年生のときに半年ほど休学して、トラックの運転手をしていたんです。
運転しながらふと、5年後、10年後どうなっているだろうって考えた瞬間があって。
でも、ハンドルを握っている自分しか思い浮かばないんですよね。
何も変わってない。
かたやバレーをやっていたら、日本代表、オリンピック出場、世界一になる可能性があるわけで。
見えるものがたくさんあるのに、選ばなければ絶対に後悔するだろうと。
だからバレーボールに戻ろうって決めたんです。
きっと今までよりも過酷になるって分かっていたけれど、この先どんなことがあっても今より下はないなって。
あとは上がっていくだけ。
この状況を乗り切ることで人間として一皮も二皮も剥けるはずだと信じていました。
バレー人生におけるターニングポイントですね。
大学卒業後、とことんバレーボールと向き合うため日本人初のプロ契約を結ぶ
―― 卒業後は多くの実業団からオファーがある中、松下電器産業に入社され、パナソニックパンサーズ(以下、パンサーズ)に所属されますね。
パンサーズは僕が高校生の頃から声をかけてくれていたんです。
大学を卒業したらウチに来てほしいと。
ただ、そのときは断っていて。
大学の4年間で気持ちがどうなるか分からないし、まだ決められませんって。
それでもずっと声をかけ続けてくれたんですよね。
あと、自分がやりたいバレーをやれそうな印象でした。
パンサーズはすでに高速バレーを取り入れていて面白そうだったんです。
ボールのスピードも練習量も大学のバレーとはもちろん比べ物にならなくて、よし、ここで頑張ろうと。
でも、トレーニングや練習を重ねるうちに肩が悲鳴をあげてしまって。
病院に行くとすぐに手術をする必要があると。
けれど、手術しても復帰例のない症状だったんですよ。
腱板(けんばん)含めて7箇所くらいやっちゃっていましたからね。
手術は断って、リハビリでなんとか復帰をしました。
―― 選手としては過酷な状況ですね。どう乗り越えてプロになられたのでしょう?
負傷しているところをカバーするために、トレーニングで他の筋肉を鍛えればいいだろうと考えていました。
でも、松下電器産業の社員として午前中は仕事をして、午後に練習して、練習後にまた仕事に戻って……。
僕のいた部署は仕事が結構あったので。
トレーニングにも体のケアにも時間を割けなかった。
肩に爆弾を抱えていながら社員でいると、どこかで甘えてしまうんじゃないかと思うようになったんです。
バレーでダメでも社員に残れる、と。
そんなのは逃げだし、とことん追い込んでバレーボールと向き合ったほうがいい。
それでプロになることを決意して。
2004年、日本人バレーボール選手として初めてプロ契約を結びました。
チームスポーツだからこそ主体性を持って取り組む
―― バレーボール人生で特に印象に残っていること、聞かせていただきたいです。
2002年の世界選手権かな。
その当時は、勝っても山本、負けても山本。特に負けたときですね。
チームスポーツだから俺だけの責任じゃないってずっと思っていたけれど、そこまで言われるなら一度自分で試したくなって。
自分主導でやってみて、色々言われることに納得したいと思ったんです。
セットカウント2対1で負けている試合で、先輩セッターに「僕に全部のトスをあげてくれ」と頼んだんですよ。
そうしたら本当にすべて僕に任せてくれて、結果、逆転勝ちしたんです。
はたから見たら個人プレーかもしれないけれど、その時に初めて自分の殻を破ったというか。
チームのために僕が、個人でなんとかしてやろうって。
それが良かったんですよね。
「山本は真のエースになったな」ってチームメイトも言ってくれたし、周りも安心感を持てたんだと思います。
確かにチームというものはあるけれど、自分がきっちりと役割を果たすことが、本当に“チームのため”になる。
− そうして翌年、2003年のワールドカップではベストスコアラーとMVPを獲得。
北京オリンピックに出場され、ロンドンの最終予選でも日本代表に。
現役引退、プランが無い=白紙には何でも自由に描ける
―― 日本のエースとして活躍し、35歳で現役引退されました。その後のキャリアは何か考えていましたか?
まったく無かったですね。
ただ、白紙には何でも自由に描けるじゃないですか。
だから自分次第で何でもできるなって。
もちろん不安も多少ありましたよ。
毎月ちゃんとお金が入って家族も安泰なところから、スケジュールは真っ白で収入もゼロになるわけですから。
でも、それも力に変わったかなって。
今まで誰もやったことがないことをつくりたい、そういう気持ちが大きくなっていったんです。
―― 力強いですね。今はどのようなお仕事をされているんでしょう。
小学生バレーボール大会の主催、自転車ロードレースのプロデュース、バレー指導、解説、講演会、メディア出演……色々やっていますね。
スポーツバックスという事務所に所属しているので個人の仕事。
あとは自分の会社、株式会社T-FIVEの代表として自治体と組んだイベントの開催なども。
企画から提案、運営まですべて僕がやります。
たとえば、小学生のバレーボール大会『T-FIVE CUP(ティーファイブカップ)』も、最初の企画からスポンサー手配まで、自分自身で動いています。
元アスリートがすべてを担っている大会ってこれだけだと思いますね。
有名選手が名前を貸している大会はいっぱいあるけれど、それはあくまでもゲストじゃないですか。
僕はそれが嫌だった。
かつ、型にはまらない大会にしたかったので、バレーボール協会とも組んでいません。
企画、スポンサー手配、何でも自分自身で動く
―― 『T-FIVE CUP』は山本さんの現役当時の背番号である「5」が入っていますね。どんな大会か気になります。
まず、参加費が無料です。
今、小学生バレーの全国大会って8月開催のひとつだけですが、保護者の負担がとても大きくて。
参加費、渡航費、応援費と。
『T-FIVE CUP』は参加費が無料で賞品も豪華にしているし、協賛企業のイベントブース、栄養講習会なども用意しています。
バレーボールを通してまずは「楽しい」という体験をしてもらいたいんですよ。
今の子どもたちって、バレーボールに限らず「楽しい」と思えたら何でもできるじゃないですか。
賞品を目指すことで目標に向けて頑張るという思考も身につきます。
『T-FIVE CUP』は「未来のある子供たちに夢ある大会を!」がモットー。
純粋にバレーを楽しんでもらう中で、保護者と一緒に子どもの成長を促していきたいんです。
インカムマイクで指示出し、弁当の準備、大会パンフレットの郵送手配、僕は何でもやりますから(笑)まったく苦じゃないですよ。
自分が心底楽しいと思える大会にしないと、他の人に面白がってもらえないですよね。
大会後のアンケートも参考にしながら毎回しっかり改善しています。
ほとんどのチームがリピートしてくれることが嬉しいですね。
スポーツを通して地方創成、やりたいことはゼロから作り上げる
―― 「楽しい」という気持ちって頑張るパワーになりますもんね。あと、自転車ロードレースのプロデュースというのは……?
僕、引退してから自転車を始めて、全国各地を回っているんです。
現役時代って地方に行っても体育館、ホテル、コンビニくらいしか行かないんですよね。
でも今は自転車に乗って景色を眺めて、郷土料理や美味しいものを食べて、町の方々とも交流できる。
その土地を肌で感じられるんですよ。
それってすごくいいなって。
それで、自転車と僕の出身地である鳥取県のPRを絡めたいと考えて、『GREAT EARTH 鳥取すごい!ライド』というロードレースをプロデュースしています。
参加者は一泊二泊するし、宿泊施設や町全体にお金が入って活性化にも繋がるんですよね。
スポンサーの鳥取トヨペットさんとともに、自転車と自動車の無事故をひとつの目標にもしています。
もちろん順風満帆じゃないですよ。
本当にそんなことできるのかという地点からスタートして。
でもやりたかったのでゼロから作り上げていったんです。
面白いところで言うと、休憩地点ごとに地元の方が特産品を用意してくれたり、おにぎりを握ってくれたりします。
県外から参加してくれた方はそれだけでも鳥取県のことを知れますよね。
プロになるには覚悟が必要、他人任せにせず自分自身で基礎を作る
―― スポーツを通して地元にも貢献されているんですね。山本さんの後を追ってバレーボールを頑張る後輩選手たちに、ぜひアドバイスをください。
バレーボールに全力投球したい人生なら、自分をとことん追い込んでプロになればいい。
その覚悟がないならセカンドキャリアは考えたほうがいいと思いますね、僕は。
学生なら部活と勉強をしっかり両立するのもそのひとつ。
練習とのバランスは確かに難しいけれど、後々楽になるし、きっと道が開けていきます。
―― ありがとうございます。山本さんご自身は今後どのように道を開いていきたいですか?
僕は男なのでやっぱり家庭を養う責任があります。
事務所であるスポーツバックスにすべてを任せきりにしていたら、たとえば体が動かなくなったときに収入がゼロになってしまう。
でも自分の会社をしっかり確立させれば、その中でプロデュースや企画はできるんです。
体が動かなくなったとしてもね。
自分自身が楽しいと思えるイベントを全国各地に広めながら、いずれ会社も大きくして社員も雇って、事業を展開していけたらなと。
そうして「スポーツをデザインする」という理念を持っているスポーツバックスとも上手く組み続けたいと思います。
僕、全員が幸せになることをしたいんですよ。
ウィンウィンの関係ですね。
これまではイベントって大手広告会社が担当することが多くて、開催に何千万円もかかることが通例かなと思うんです。
でもそうじゃない。
お金をかけなくても実現できるし、地域活性化にだって繋げられるんです。
そういう、みんなが喜べるものをデザインしていきたい。
「本当にその金額で可能ですか?」って聞かれることもあるけれど、大丈夫ですよって言いますね。
利益は大きくなくていい。多少あればいいんです。自分だけ儲けようとすれば、必ずどこかでズレが生まれるんですよ。
それよりも地盤を固めたほうがいずれ大きな仕事にも繋がるはず。
地域がうるおってみんなの笑顔が見られたら、僕はそれでいいんです。
取材後記
引退後、“エース山本”の姿がふっと消えました。
他の選手をバラエティ番組で見かける中、山本選手はいったいどこへ?
その疑問が解けるような一言がありました。
「僕ね、タレントになりたくないんです。」
バレーボールという、培ってきた財産がある。
お世話になったバレーに恩返しをすることが、オリンピアンとしての使命。
だから、派手に目立ちたいわけじゃない。
▲山本さんのメッセージは潔く一文字で「志」。
「究極の夢は、男女ともにオリンピアン全員が『T-FIVE CUP』出身者になること。」
「あの大会があったから頑張ることができたと世界の舞台で言ってもらえるよう、
子どもたちがバレーボールを思いっ切りできる環境づくりをしていきます。」
自分の役割を見極めてまっとうしている。
山本隆弘としてやるべきことに集中している。
そう、その生き様はまさに“エース山本”で。
ぐっと惹きつけられて、いつだって目が離せない。
山本さんのこれからがとっても楽しみです。

山本 隆弘Yamamoto Takahiro
元全日本男子バレーボール選手
現在:小学生バレー大会『T-FIVE CUP』主催
山本隆弘twitter
@7takahiro5
未来ある小学生のためのバレーボール大会『T-FIVE CUP』
http://sportsbacks.com/t-fivecup/
株式会社スポーツバックス(山本隆弘 所属)
http://sportsbacks.com/
Tシャツ提供 ニューモード株式会社
https://newmode0209.fashionstore.jp/
取材/アスリートエージェント 小園翔太
取材・文/榧野文香
アスリートエージェントとは?
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