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浜田あおい / Aoi Hamada   元女子バスケットボール選手|現在:電気通信会社勤務

今に満足をして過去を肯定する

浜田さんはこんな人

「皆さんのように輝かしい実績は、
正直、私には何もありません。」

アスリート・ライブの取材依頼をしたとき、
これが、浜田さんからのお返事でした。

「経営者である、フリーランスで活躍している。
そういう輝き方も、もちろんあります。
でも、「輝く」って、色々なカタチがあっていい。そう思うんです。」

これが、私からの返答でした。

Profile

 

浜田あおい(はまだ あおい)1980年1月生まれ

元女子バスケットボール選手。高校3年時にU-18日本代表に選出される。当時、日本一と称されていた、株式会社ジャパンエナジー(現:JXTGホールディングス株式会社)のJOMOサンフラワーズ(現:JX-ENEOSサンフラワーズ)に所属。長身を活かし、リバウンドのプレーなどを得意としていた。

スポーツ推薦で入学後挫折、自分を奮い立たせてバスケに向き合う

―― 浜田さん、スラッとされてかっこいいです。身長はどのくらいあるんですか?

180センチです。
小学生からすでに高くて、背の順に並ぶといつも後ろでした。

4年生のときに仲良しの友達とミニバスチームに入って、中学でもバスケ部で、だんだん楽しくなっていきましたね。部では一番上手だと自信も持っていたんです。でもレベルは高くなかったですし、狭い世界で調子に乗っていたんでしょうね(笑)

中3で177センチあって、高校の先生の耳にも入ったんですよ。上手下手というより、大きい子が欲しいということで推薦してもらいました。ただ、自分自身は実力を評価されたと勘違いして……私ってすごいんだって思い込んでいました。

―― そうして千葉県で一番強い、昭和学院高校へ入学されたんですね。

意気揚々と入部しましたが、そこからが大変でした。みんな本当に上手で、利き手じゃない方のレイアップシュートもいとも簡単にやってのけるんです。今までそんな練習やったことのない私は、当然まったくできなくて。あちこちで飛び交うバスケ用語も全然分かりませんでした。

それが第一次挫折で、鼻をポキンと折られましたね。天狗になっていた気持ちはどこかに消えました。でも、もっと上手くなりたい、勝ちたい、全国大会に出たいという気持ちはありましたし、入ったからにはもう後戻りはできなかったんです。

誰よりも大きいというだけで、常にコートには立たせてもらっていました。こんな私が試合に出るなんて、先輩たちは内心穏やかじゃなかったと思います。先生には怒られるし、何もできないし、ユニフォームなんていらないと思うことも正直ありました。

でも、頑張らないといけないっていう想いは強くて、何かしら結果を残そうと自分自身を奮い立たせていたんです。本当に必死で、中学から一気に変わりましたね。高校での最高戦績は全国ベスト8でした。

実業団入団後2回目の挫折、想像を越える「意識」レベルの高さを痛感

―― 強豪校の中で鍛えられたんですね。卒業後はどのような進路を?

高校3年生でU-18日本代表に選ばれて、国際大会に出たこともあって、ジャパンエナジーのJOMOサンフラワーズから声をかけていただきました。当時、実業団で日本一のチームでしたし、ためらうことなく二つ返事で入団を決めました。

ただ、ここもまた想像を絶するレベルの高さでした。「意識」のレベルが、です。練習内容はライバルチームと大差ないんですよ。ただ、精度がものすごく高くて。たとえウォーミングアップでも、ダッシュなら壁に激突する勢いで走るし、シュートは一本も外さない。ああ、日本一ってこういうことなんだって思い知らされました。

素晴らしい先輩や選手ばかりだったので、鼻を折られるどころか粉々に砕けて何もなくなるっていう感じで……。何年たっても試合に出られなくて、声をかけられて舞い上がっていた自分が本当に恥ずかしかったですし、反省しました。

引退後働きながら国体を目指し、久しぶりに感じたバスケを楽しむ気持ち

―― 荒波にもまれながら、ずっとバスケ一筋だった浜田さん。引退を考えるきっかけはあったのでしょうか。

JOMOサンフラワーズで4年目を終えたとき、あと1年で引退しようと考えたんです。大きな怪我とか、何かに選ばれなくてとか、そういう分かりやすいきっかけがあったわけじゃありませんでした。日々ちょっとずつ、じわじわと、引退への想いを積み重ねていたんだと思います。

実力のある後輩もどんどん出てきて、その子たちが試合で活躍していくんですね。身体能力やセンスも高くて。負けないように努力もしていたけれど、努力だけではどうにもならないこともありました。今思うと逃げなんですが、ただ、そのときは徐々に心が付いていかなくなったんです……。

倒れるくらい必死でやって、今まで以上にバスケに思いっきり向き合って、後悔しないような1年を過ごしてやめようと決断しました。そんな風に吹っ切れたので5年目はとっても充実できました。2003年、23歳のときに引退をしました。

―― その後は、株式会社ブル・ファイトに入社されたとのことですね。

高校のバスケ部の先生が私の状況を知って、千葉県の国体に出てみないかと誘ってきたんです。でも、私としてはバスケから離れたかったので、正直乗り気ではなくて。ただ、昔から怖い先生でどうしても断りきれなくて……(苦笑)

当時、千葉県は有望な国体選手には就職先も紹介していたんです。ありがたいことに私も対象になって、それがブル・ファイトでした。バスケ用品を扱う会社で、ユニフォームの梱包や在庫整理といった内勤をして。仕事をしながら、しっかりと練習もさせてもらっていました。それも正社員として。

国体に向けての練習はとにかく楽しかったです。実業団ではプレッシャーも責任もあったので、手放しでただ楽しむということはなくて。当たり前なんですけどね。バスケって楽しいという感覚を久しぶりに味わうことができて、これを第二の引退にしようって決めました。最初は嫌々でしたが(笑)やってよかったなぁって。

結果、関東大会で優勝できて、本戦の国体でもベスト3に入れました。試合終了のホイッスルが鳴るあと何秒かのときに、10年以上のバスケ人生が走馬灯のように浮かんできて……私、気づいたら涙を流していたんです。私がその試合で完全にバスケを離れることをチームにも伝えていたので、ベンチでもみんな泣いていて。

―― 実業団とはまた違って、「ただただ楽しい」という気持ちいっぱいでの引退ができたんでしょうね。

まさにそうです。つらいも楽しいもすべて終えた感じで、未練もありませんでした。国体では優勝こそできなかったですが、全員で勝ちにいくバスケを楽しくやれたので、ものすごくすっきり第二の引退ができたんです。実業団の引退から1年後、24歳のときでした。それ以来もう、バスケはまったくやっていません。

- 第二の引退をさわやかに迎え、浜田さんはブル・ファイトを退職。
夢だった韓国留学を果たし、帰国をされて……

バスケでは有利な体格も仕事では不利に感じることも

―― そこからついにバスケを離れての人生ですね。最初はどんなことからスタートされたんですか?

派遣会社に登録して、いくつかの企業で派遣社員として働きました。30歳になる頃には正社員になりたいと思って、転職活動もしましたね。でも、なかなか上手くいかなくて。高卒なので学歴不問じゃないと応募すらできない企業もありますし、面接に行っても社会人経験が未熟とされて……難しかったです。結局、ブル・ファイト以降はずっと派遣のまま仕事をしてきました。

―― アスリートの世界とのギャップや、大変なこと、色々あったんじゃないでしょうか。

何よりもまず、外見の扱い方にショックを受けました。
体の大きさが女性の平均とかけ離れていますし、身長は30センチ以上高くて、それだけでもう浮いちゃうんですね。通勤電車では周りからじろじろ見られて、会社でも男性社員や上司よりもはるかに背が高いですし……。

「浜田さん、何かスポーツやっていたでしょ!」って絶対にバレて、名前を検索されると所属チームがすぐ分かってしまうんですよ。普通に仕事をして生活したいのに、結局「バスケをやっていた人」にしかなれない。しかも、実業団では試合にもほとんど出ていなかったので、周りが盛り上がってくれるほど辛くなってしまって。

あと、そんなつもり一切ないのに「身長が高いし、態度もでかい」「能みそが筋肉だから仕事が覚えられない」なんて言われることもありました。直接でも、影でも。どうしてそんな風に言われるんだろうって悔しかったし、見返したいって思っていました。

現役時代は武器になっていたはずの身長も、選手としての経験も、バスケと切っても切れないことも、すべて嫌で仕方なかったんです。一人きり、泣いちゃうこともありましたね。実業団じゃなく大学に進学していたら学歴もあるし、もっと就職も上手くいっていたはず。最初はずっと、本当にずっと、そんな風に考えていました。

ネガティブな気持ちを抱えると負のオーラ、これまでの経験をプラスに自分を打ち出していく

―― 最初は、ですか?

あるとき、仲の良い友人が「あおいは背が高いから洋服が映えるよ!」って褒めてくれることがあったんですね。そういう優しさ、喜びをきっかけに少しずつ自分を変えていきました。似合う洋服やメイクを勉強したり、ダイエットに励んだり。

ネガティブな気持ちを抱えていたときは、やっぱり不細工だったと思うんです。「どうせ私なんて」がじわじわ滲み出て、負のオーラになっていって。でも、この身体はどこにも隠せないし、身長を縮めることもできない。それなら変えられるところを努力して、できるところから自分自身を磨くことにしようって。

あと、仕事を真面目にやり続けているとしっかり評価につながる、私をそのまま見てくれると少しずつ分かっていったんです。「体育会出身だから、やっぱりきちんとしているね」って言ってもらうこともあって。「バスケの経験しかない人」じゃなくて「浜田あおい」として、さらには「バスケの経験がプラスになっている浜田あおい」として見てもらえるんだなぁって。

色々言われていた頃は本当に悲しかったけれど、私自身がポジティブじゃなくて、努力もしていなかったので、仕方なかった。今ではそう思えるようにまでなりました。

ビジネスパーソンとして、女性として、堂々と生きること

―― 自分を信じる力を磨かれている浜田さん、とっても素敵ですね。これからの夢や目標、ぜひ聞かせてください。

私、かっこいいキャリアウーマンになりたいんです。自分のやっていることに自信を持っていて、堂々とした女性に。「この人と一緒に仕事をしたい」と思われる人って、胸を張って凛としている女性だと思うので、そんな風になりたいなって思っています。ふわっといい香りもさせたりして(笑)

あと、まだ正社員になることも諦めていません。派遣社員だと自分の名刺をもらうこともなかなか無いんです。特に、私はずっと内勤だったこともあって一度も持てなくて。ケースからサッと名刺を出すってかっこいいなって、とっても憧れています。

今37歳ですが、女性って「年齢」という数字で周りから色々な判断をされてしまうこともあると思うんですね。でも、私がどんどん自分を磨いて、背筋をしっかり伸ばすことで、「いくつになっても大丈夫」と伝えたいなって。誰かの希望になれたら、それほど嬉しいことってありません。

  取材後記

たとえば、自信たっぷりなこと、派手に目立っていること、
ビジネスを展開して世界を飛び回っていること。
それだけが「輝き」じゃない。そう思うんです。

最後、浜田さんにひとつ、聞いてみました。
今はもう、過去の自分を肯定できますか、と。

「あのときの自分がいたから、色々悩んで考えて、今の自分があるんです。
だから、もう否定はしません。今に満足してもっと過去を肯定したい。
だから、前を向いていたいし、頑張りたいです。」

そこにはやっぱり、浜田さんらしい輝きがありました。

 

取材・文/榧野文香

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