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長谷川太郎 / taro hasegawa   元サッカー選手|現在:経営者

重要なのは「やりたい」から「やる」に変えられるかどうか。元Jリーガー・長谷川太郎から学ぶ、夢を実現するための思考法

誰しもが一度は描いたことがあるであろう、自分の夢。

「プロの選手になりたい」「スポーツに関わる仕事がやりたい」など、一人ひとり胸に秘めた目標や夢はあるのではないでしょうか。

しかし、それを「やりたい」「なりたい」の状態で終えてほしくないと、今回お話を伺った元Jリーガーの長谷川太郎さんは話します。

長谷川さんは、1998年に柏レイソルでプロデビューを果たすと、2014年に現役を引退するまで国内外で計8クラブを渡り歩き、17年にも渡ってプロサッカー選手として活躍されました。現在は、サッカースクール「TRE2030 ストライカー・アカデミー」を経営し、指導者として次世代ストライカーの育成に励んでいます。

今回はそんな長谷川さんに、幾度となく挫折を経験するも、諦めずに挑戦し続けた現役時代、そして夢を実現するために大切なことを伺いました。

Profile

長谷川太郎(はせがわ たろう) 1979年8月生まれ。 東京都出身の元プロサッカー選手。 柏レイソルジュニアユース、柏レイソルユースを経て、1998年にトップチームに昇格。同年にJリーグ高校生デビューを果たす。翌年のナビスコカップで得点を挙げ、出場機会を増やすも4年間で1得点を挙げるに留まり、2002年にアルビレックス新潟に期限付き移籍。翌年にはヴァンフォーレ甲府に完全移籍した。2005年にはJ2で日本人トップとなる17得点を挙げ、J1昇格に貢献。しかし、翌年からFWの補強によって出場機会が激減し、2007年に徳島ヴォルティスへのレンタル移籍。翌年の横浜FCを経て、2009〜2010年までギラヴァンツ北九州でプレーした。翌年から3年間はブリオベッカ浦安に在籍し。2014年には海外移籍を目指し浦安を退団。インド・Iリーグ1部のモハメダンSCに加入し、2014シーズンを最後に現役を退いた。2015年にはストライカーに特化したサッカースクール「TRE2030 ストライカー・アカデミー」を立ち上げ、現在は指導者として次世代の育成に力を注いでいる。

  挫折を乗り越えた経験が「諦めない心」を生み出す

―― プロサッカー選手として17年間、活躍された長谷川さん。競技を始めたきっかけを教えてください。

小学1年生の頃、アニメ「キャプテン翼」をテレビで見てワクワクしたことがきっかけです。その後、友達がやっていたこともあり、地元の東京都足立区にあるクラブチーム「FC千住イーグルス」に入って、本格的にサッカーを始めました。小学6年時には、フットサルの日本一を決める全国少年ミニサッカー大会(現・バーモントカップ)に出場し、2位になることができて。個人としても大会ベスト5に選ばれました。

こうして大きな自信を得て、小学校卒業後は東京ヴェルディのジュニアユースに入るべく、セレクションを受けたんです。しかし、周りの選手に体力面でついていくことができず、結果は不合格……。人生で初めて挫折を味わいました。ショックで1週間はボールを蹴っていなかったと思います。

―― セレクションにはレベルの高い選手たちが集まってきますもんね。すぐに立ち直ることはできましたか?

はい。友達が「サッカーやろうぜ」と誘ってくれたので、気持ちを整理して練習を再開することができました。早朝トレーニングで体力・技術を磨き、今度は柏レイソルのジュニアユースセレクションに挑戦したんです。最終的に合格することができたので、その時はめちゃくちゃ嬉しかったですね。

ただ、ジュニアユース時代は挫折の連続でした。中学2年生の途中までは試合に出ていたんですけど、ある時、他クラブから上手い選手が入ってきて。左サイドハーフのポジションを奪われてしまったんです。彼は柔軟性があり、ボールタッチの技術が高く、精度の高いクロスも上げられる。どの面においても、その選手に太刀打ちできず、私は一気に自信を失ってしまったんです。

でも、一度、ヴェルディのセレクションでの挫折を乗り越えていたこともあり、サッカーを辞めるという選択肢はもう頭の中にはありませんでした。だったら「努力して上手くなる」選択肢しかないな、と。私は体が硬かったので、悔しいけど、その選手に「何でそんなに体が柔らかいの?」と質問してみることにしました。すると「毎日お風呂上がりにストレッチをやってるんだ」と教えてくれて。私も同じように、毎日ストレッチを30分することにしたんです。そうしたら、3ヵ月後には開脚で頭が床につくようになって、一気に柔軟性が増しました。どんな小さな努力を続けていると、少しづつ良いプレーができるようになり、徐々に自信を取り戻すことができたんです。

―― たった3ヵ月でそこまで柔らかくなるんですね! ではその後、ポジションを奪い返すことができたのでしょうか?

いえ、やはりすぐにその選手に追いつくことはできず、結局、中学最後の大会もベンチで戦況を観ることしかできませんでした。だからユースへの昇格も望みは薄かったのですが、監督やコーチが自分の努力をする姿勢に可能性を感じてくださり、ユースに上げていただいたんです。本当にありがたかったですし、諦めずに挑戦し続けてよかったなと思いましたね。

  絶望的な怪我から掴んだ夢への切符

―― 挫折を経験したからこそ、自身の足りない部分を見つめ直し、成長することができたのですね。ユース昇格後は試合に出ることができたのでしょうか?

やはりユースもレベルは高いので、すぐにポジションを掴むことはできませんでした。高校1年生の夏まではほとんど試合に出場できていなかったと思います。でも秋から、左サイドハーフからFWにコンバートされたことを機に、結果を残せるようになったんです。それまで得意なドリブルを活かすために左サイドハーフでプレーしていましたが、FWの方が私にマッチしていたようです。ゴールも決められるようになり、一気にレギュラーへと昇格することができました。

さらに、高校2年に上がる直前、なんとトップチームの練習に参加する機会をいただけたんですよ。ジュニアユース時代の監督とコーチが、そのままユースに上がって指導されていたので、再び私の頑張りを評価してくださり、推薦してくれていたんです。加えてトップチームの監督が私のプレーを見てくれていて、「あいつ面白いな」と、Jリーグの控えメンバーによるリーグ戦「Jサテライトリーグ」のメンバーに選んでくださった。その瞬間、人生何が起きるか分からないな、と感じました。努力を続けていれば、必ず誰かが見てくれているんですよね。

ですが、高校2年の夏に、筋トレをやり過ぎたせいか、腰に違和感を感じ始めて。病院で検査した結果、腰椎分離症という診断を下されました。要するに、疲労骨折です。しかも全治半年〜1年と言われ、悔しくて「先生、なんとかしてください」って泣きついたことを今でも覚えています。というのも、半年ならまだいいですが、1年となると、復帰できるのは高校3年の夏頃。トップチームに昇格できるかどうかは、だいたいその時期に決まるので、そうなると私のJリーガーになる夢は潰えてしまう。だからこの怪我には本当に、絶望した気分でした。

―― その1年間は、アピールをする大事な時期ですもんね。

はい。なので腰を治せる病院を探したり、自分でいろんな方法を試しました。その時、私が通っていた流通経済大柏高のラグビー部顧問の先生から、腰痛に効く光線治療を導入している病院を紹介していただいて。しかも「3回で治るよ」と言われて……。はじめは疑ったんですけど、実際に3回受けたら本当に治ったんです(笑)。

―― 早くても半年はかかるのに!?(笑)。

そうなんです(笑)。完治したわけではありませんが、ボールは普通に蹴れるぐらいには治っていて。本当に助かりましたね。ただ、戦線を離脱していた分、アピールする時間は限られている。そんな状況の中で、ある時、のちに柏レイソルのコーチとして現日本代表・中村航輔を育成するGKの選手が、他クラブから移籍してきて。彼と仲良くなった私は、チーム練習が行われる19時まで、約2時間シュート練習に付き合ってもらいました。それを毎日続けた私たちは、徐々に結果を出し始め、2人揃ってレギュラーを掴むことができたんです。

そして私は、サテライトリーグでもゴールで奪うなど結果を残し、高校3年の8月頃、チームスタッフから「来年からトップチームに上がれますよ」と連絡をいただきました。一度はプロになれるかどうかの瀬戸際に追い込まれましたが、周りの方々のサポートもあり、1998年、念願のプロサッカー選手になる夢を叶えることができたんです。

  失敗を“失敗で終わらせない”。次のステップに進むために

―― 諦めずに挑戦し続けた結果、プロへの切符を掴むことができたのですね。実際にJリーグの舞台を経験された時の心境をお聞かせください。

高校でもサテライトリーグでトップチームとの試合は経験していたので、思ったよりすんなりとチームに入っていくことができました。プロ1年目の第3節には、高校在学中にプロデビューを果たすことができました。それほど、当時監督だった西野朗さんは私に期待してくれていたんだと思います。

ですがその後、サテライトリーグで結果を残してもJリーグのメンバーに入れない日々が続きました。それによって「何でなんだ」と、イライラして冷静さを欠き、集中して試合に臨めずにいたんです。その後1年間は、試合に起用してもらえることはありませんでした。西野監督はきっと、当時の私の精神状態を見抜いていたのだと思います。

「このままではダメだ」と感じた私は、プロ1年目のシーズンオフに、ドイツにいるユース時代の戦友であるGKのもとを訪れて、自分自身を見つめ直しました。そして気持ち新たに1999シーズンに臨んだことで、西野監督にも起用していただき、同年のナビスコカップではゴールを決めてチームの優勝に貢献することができたんです。

―― では、それを機に出場機会は増えたのでしょうか?

いえ、プロ3年目は足首を剥離骨折して出場機会は激減してしまいました。翌年には西野監督からスティーブ・ペリマン体制に変わったこともあり、年間2試合の出場に留まってしまったんです。そのうちの1試合、ヴィッセル神戸との試合は、プロの厳しさを痛感した試合でもありました。というのも、決めればVゴールでヒーローになる、相手GKとの1対1の場面で、私はシュートを外してしまったんです。そこでゴールを決めていれば、翌年にはレギュラーの座を掴んでいたかもしれません。しかし、決定的なチャンスを逃したことで、2002年から当時J2だったアルビレックス新潟にレンタル移籍。プロが厳しいのは分かっていましたが、より生き残るのが大変な世界なんだなと、身をもって知った瞬間でしたね。

―― 突然チャンスが訪れたとき、それをいかに物にできるかどうか。改めてプロで活躍されている選手たちの凄さ、サッカーで食べていくことの大変さを感じさせられました。再び挫折を経験された長谷川さんは、その後どうされるのでしょう?

その神戸との試合から帰ったあと、レイソルのグラウンドで、シュートを外したシーンを思い浮かべ、「どうすれば決められたのか」を考えながら1時間以上シュート練習をしていました。すぐには決定力が上がったわけではありませんが、その練習の成果が出たのは4年後、ヴァンフォーレ甲府に在籍していた2005年の時です。

J1クラブとの入れ替え戦の直前、当時ダントツでJ2首位に君臨していた京都サンガF.C.との試合でした。1点先制されたあと、前半終了間際にボールを奪って、そのまま独走。GKと1対1となり、相手の逆を突いてゴールに流し込むことができました。4年前の神戸戦の後に練習し、課題解決に向けて取り組んだ成果が出た瞬間でした。そのゴールがJ1昇格、そして2005シーズンのJ2日本人得点王(17得点)に繋がり、さらに現在のサッカースクール事業にも活かされているんじゃないかと思っています。

  多くの選手に、サポーターへ直接「感謝」を伝える場を作りたい

―― 失敗をそのままにせず、改善するために振り返り、突き詰めて考える。このプロセスは、スポーツだけじゃなく、ビジネスシーンにおいても重要なことのように思えます。長谷川さんは2014年に17年にもわたる現役生活を終え、現在はサッカースクール「TRE2030 ストライカー・アカデミー」を経営されています。なぜスクール事業を始める決断を下されたのでしょうか?

きっかけは2015年のAFCアジアカップ、決定力不足が原因でUAEに敗れた日本代表の試合を見ていた時でした。当時の私は、警備員やサッカースクールのアルバイト、アパレル会社の営業マンと仕事を転々としていて、やりたいことを見つけられていない状況だったんです。そんな時にUAE戦を見て、「自分の経験を活かし、次世代のストライカーを育てたい」と思い立ったんです。

もともと20011〜2013年に在籍していたブリオベッカ浦安時代にも、同クラブの女子チームのコーチをしていたので、将来的にサッカースクールを立ち上げる選択肢は頭の中にあったんです。でも踏み切れずにいたので、そのUAE戦がスクール事業に向けて歩み始める決め手となりました。そして2015年に、ストライカーに特化したサッカースクール「TRE2030 ストライカー・アカデミー」を立ち上げたんです。

―― 具体的にどのような事業を展開されているのでしょう?

主に世界で活躍するストライカーを育成するためのスクール事業、その中でプライベートレッスンも行なっています。それに加えて、今後は引退した選手のセカンドキャリア支援にも取り組んでいきたいと考えています。何故かというと、2015年にブリオベッカ浦安の協力のもとで開催した私の引退試合で、セカンドキャリアに向けた多くの学びを得たからです。

というのもまず、同年に浦安が第39回全国地域サッカーリーグ決勝大会で優勝を逃してしまい、選手たちが意気消沈していて。OBとして「どうにか盛り上げられないか」と思った私は、浦安の現役選手を鼓舞する意味でも、私の戦友であるOBたちと共に『長谷川太郎引退試合』を企画したんです。それで私は、イベントに携わる企画や営業など全てをこなし、多くのビジネス経験を得られました。一つの試合、一つのイベントは、スポンサーや裏方スタッフの方々が、こうして準備してくれていたからこそ成り立っているんだなと学ぶことができましたね。

試合自体も、約2500人ものサポーターが集まってくださって、本当に嬉しかった。この成功体験は社会で生きていく上で大きな自信となりましたし、サポーターに「ありがとうございました」と感謝を伝える素晴らしい機会となりました。そういう意味でも、こういった引退試合の企画・活動を行うことにはすごく意義があると思っています。今後はそのような事業を行えるように準備をしているところなんです。ピッチの上で引退の報告、感謝を述べることができるのは一握りの選手のみ。それ以外のほとんどの選手はSNSやクラブのホームページで報告することしかできません。だからこそ、多くの選手に直接「ありがとうございました」を言える場を作ってあげたい。それによってサポーターの方々にも「応援してきてよかったな」と思ってもらえるので、事業としてなんとか形にしていきたいですね。

  「ワクワク+人の役に立つ」ことに挑戦を。長谷川からのメッセージ

―― 選手はもちろん、サポーターもきっとそういう機会を求めていると思うので、楽しみにしています! 最後に体育会学生に向けてメッセージをお願いします。

私が伝えたいのは、自分が将来的に「なりたいもの」「やりたいこと」を頭の中に描いてほしい、ということです。大学を卒業して、企業に就職するならば、仕事で自分がやりたいことを少しずつイメージし、それに向けてチャレンジしていく。それによって得た学び、失敗した経験が積み重なってくると思うんですけど、俯瞰的に見て、その中で「自分がどうすればうまくいくのか」「どう発信していけばいいのか」を突き詰めてみてください。それを繰り返していくことで、少しずつ自分の価値が高まり、より良い未来が開けると思います。

あとはその中で、「なりたい」「やりたい」から「なる」「やる」に変えてみるといいかもしれません。何かを「やりたいな〜」だと、多分できませんし、きっと自分が描く未来には手が届かない。なので、そのやりたいことを1週間以内に「やる」とか、心の中で決断して、期限を設けて取り組んでみてください。私もスクール事業で「2030年までに日本人のW杯得点王を育てる」ことを目標に掲げています。その「なる」「やる」を短期間でもいいから少しずつ積み重ねていけば、きっと、夢を実現できるはず。

そして最後に、「ワクワクするもの」「人の役に立つこと」を社会ではチャレンジしてほしいなと思います。私の場合は、ずっと続けてきたサッカーの仕事でワクワクしますし、次世代の育成や引退後の選手のサポートによって多くの方に将来に貢献することができる。そういう要素のある活動を模索し、歩み続けていけば、より社会で活躍しやすい人に成長できるんじゃないかなと思いますね。

  取材後記

目標とする2030年に向けて、いつか日の丸を背負う次世代ストライカーの育成に力を注いでいる長谷川さん。

いつも心掛けているのは、「想いを言葉にする」こと。気持ちを自分の中だけに留めてはいけないと話します。

「言霊って本当にあると思っていて。人が発言することは心の中で思っていないと口から出てこないですし、それを実際に言わないと実現することは難しい。だから有言実行じゃないですけど、やりたいことは必ず人に話すようにしています。それによって改めて自分が何をしたいのかが明確化されるので、こうして体育学生の方々にお話させていただきながら、自分にも言い聞かせているんです(笑)。だからみなさんと一緒に目標に向かって頑張っていきたいですね」

この話の通り、インタビュー中の長谷川さんの言葉は力強く、夢を実現する未来を見据えているようでした。

2030年には、「TRE2030 ストライカー・アカデミー」から輩出された選手が日の丸を背負い、ゴールネットを揺らしているかもしれません。そんな未来を描きながら、長谷川さんの活動を応援していきたいですね。

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取材・文・写真/瀬川泰祐(スポーツライター)

著者Profile 瀬川 泰祐(せがわ たいすけ) 1973年生まれ。 北海道旭川市出身の編集者・ライター。スポーツ分野を中心に、多数のメディアで執筆中。「スポーツで繋がる縁を大切に」をモットーとしながら、「Beyond Sports」をテーマに取材活動を続けている。 公式サイト | note | Twitter

取材協力 H¹T https://www.h1t-web.com/

Tシャツ提供 ニューモード株式会社 https://newmode0209.fashionstore.jp/

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