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2018.03.23
夢を超えて、持つのは「志」。成し遂げたい未来へ懸命に進む。バレーボール・三枝大地
「入部当初はモヤシやったけど、
今はようやくゴボウくらいにはなれたな。」
大学時代、監督にそう言われた三枝さん。
細くて頼りない体、たった一回もできない懸垂。
でも、バレーボールへの想いは人一倍、いえ、百倍。
今はなんと、日本オリンピック委員会の
バレーボール専任コーチングディレクターを務められています。
弱かったプレイヤーがトップコーチに。
バレーボールを通して夢を追い続ける三枝さんは
世界を見つめながら、こんなことを説きます。
「もちろん夢を持つことは素晴らしい。
でも、さらに大切なのは「志」を持つことです。」
Profile
三枝 大地(さえぐさ だいち)1980年3月生まれ
元バレーボール選手。現JOCバレーボール専任コーチングディレクター。東海大学では4年時にマネージャーも経験。青年海外協力隊としてアフリカのニジェール、チリのアウストラル大学でバレーボールを指導。帰国後、日本バレーボール協会 全日本女子ユースチームの監督、U-23とU-20のコーチを務める。現在は味の素ナショナルトレーニングセンターに勤務。
INDEX
まさかJOC(日本オリンピック委員会)に関わるなんて夢にも思わなかった
―― 三枝さんがバレーボールと出会ったのはいつでしたか?
中学校の先輩がバレーをやっていて、お前も一緒にやらへんかって誘われたのが最初です。
でも当時、僕は身長150センチほどしかなくて小さかったし、バレー部自体も弱くて。
私たちの代で試合に勝ったのはゼロ。
無敗ならぬ、無勝です(笑)
高校こそ県内のトップチームに行きたいと思ったんですけど、中学の先生に「お前は無理や、身長もそんな低いんやし」と言われて。
粘ってはみたものの最終的に納得して、地元の高校に進学しました。
教えてくれる先生は素人だし、もちろん無名のバレー部。
なので、将来JOC(日本オリンピック委員会)に関わるなんて考えもしなかったですよ(笑)
―― なかなか厳しい先生ですね。大学こそは強い部活でバレーボールをやりたい想いだったのではないでしょうか。
そうですね。
どうせやるなら日本一になりたいと思って、強豪の東海大学を志望したんです。
しかし、一年目は学力不足で浪人。
二年目は何とか補欠合格でしたが、正式な合格通知が届いたのが3月20日の入学ギリギリで。
すでに合格していた違う大学に親が入学費用を払っていましたし、一人暮らしの家も決まっていました。
父親にどっちに行くんやと聞かれ、「すでにお金も出してもらっているし東海大は諦める」と父親に伝えたら「お前が本当に行きたいところに行かんと、俺が後悔するわ」って言ってくれて。
それやったら東海大に行かせてほしいと正直に話して行かせてもらったんです。
ところが入学してみると、実は東海大のバレー部って推薦でしか部員を採っていなくて、入学後にそれを知ったんですよ……。
親に無理言って入学させてもらって、入部しないという選択肢が私には最初からなくて。
一般入学の僕は何とかするしかないので、毎日監督のところに通って入部させてくださいとひたすらお願いしました。
最初は断られ続けたんですが、2週間くらいして、入部したいなら誠意をみせよと。
まずは1年生がどんなことをやっているか見ておきなさいと指示されたんです。
準備から片付けるまでずっと。
練習というのは、バレーボールをプレーすることだけではないんだぞと。
その合間に練習している様子も見て。
バレー以外の部分を見ているうちに少しはいやになるだろうという考えが監督にはあったんだと思います。
でも、僕としてはお金を払ってでも見たいほどのレベルのバレーボールだったので、何の苦痛もないわけですよ。
毎日楽しくて仕方ない。
毎日のように入部のお願いに通って、最終的にはほとんど泣き落としくらいの勢いで(笑)なんとか仮入部させてもらえたんです。
念願の強豪チーム、やればやるほど上手くなっている実感
―― 仕方ないと諦めずに行動した結果ですね。念願の強いバレー部はいかがでしたか?
床磨きとか球拾いをしながらついに全体練習に混ざるんですけど、あまりに差がありすぎて。
打たれたらボールを弾いてどこかへ飛ばすし、打っても相手のチャンスボールにしてしまう。
チームの練習に迷惑をかけてしまうので、練習が終わってから同期に手伝ってもらってずっと自主練していましたね。
―― 圧倒的なレベル差を感じると、自分には無理だと心が折れてしまいそうですが……。
それが全然ならなくて。
というか、体はひょろひょろだし懸垂も一回もできないし、あまりにも低レベルだからこそ、やればやるほど上手くなっていく実感があったんです。
深夜に近所の公園に懸垂をしに行って、 警察に「何してるんや」って聞かれて「懸垂です」「いや、こんな時間にありえへんやろ」っていうやりとりもあったなぁ(笑)
トレーニングを頑張っていくと、体のキレが良くなって、バレーの動きが明らかに変わっていったんですよ。
ある日、監督が部員全員を集合させて「見てみ、しっかりとトレーニングをすれば、モヤシやった三枝でも今はゴボウになっとるんやぞ」って言ってくださって。
ゴボウか、まだまだやなと思ったんですけどね(笑) でも、わざわざみんなを集めてまで言ってくださって嬉しかったです。
プレイヤーではなくマネージャーでなくてはできなかった様々な経験
―― 少しずつ成長する中、突然マネージャーになられます。きっかけは何だったんですか?
東海大のバレー部って主体性を大切にしているんですよ。
練習もスタメンも自分たちで考えます。
それから、キャプテン、副キャプテン、トレーナー、マネージャーと役職もすべて自分たちの代で決めるんです。
でも、もちろんみんなプレーをしたくて入部しているから、できればプレイヤーでいたい。
そうして結局、話し合って僕がマネージャーを引き受けたんです。
東海大は監督とチームをマネージャーが繋ぐというスタイルなんです。
監督の意を汲んでチームに指示を出して、チームの総意を監督に伝えて。
日々のチームスケジュール管理から合宿企業との調整、大学主催の大会運営等、基本イベント事は大体取りまとめます。
マネージャーがしっかり機能していなかったらチームは成り立ちません。
チーム全体を見て、自分がどう動いて、チームを動かすことが最善かを考える役割です。
夏の東西インカレでは優勝して日本一になって、最後のインカレは残念ながら準優勝でした。
全部終わった後、監督に僕一人だけ呼ばれて聞かれたんです。
「三枝、バレー部に入って良かったか?」って。
そこで泣き崩れましたね。
良かったどころか色々経験させてもらって、もう本当に感謝しかなくて。
ただ、あまりに泣きやまずに怒られましたが(笑)
―― マネージャーを経験したからこそ身についたことがたくさんありそうですね。
特に、先回りする考え方と他者目線ですね。
大会ではチームがこう動けばスムーズだろうと段取りをしたり、どういう状況なら選手が嬉しいだろうと考えたり。
それって社会で人と関わる上でも大切ですよね。
たとえば今もこうやって喋っていて、相手の喉が乾くだろうと思ってお茶を出すとか。
マネージャーとしてチームがストレスなく集中できる環境づくりを通して、そういう力は付けられたかなと。
日本を飛びたし異国の地でバレーの指導者としてスタート
―― 卒業後はどのような進路を選ばれたんですか?
日本一にもなれたしバレーはやり切ったなと思えたので、普通に一般企業に就職をしたんですよ。
ただ、入社して2ヶ月ほど経った頃に大学の同期から「大地、アフリカ行かへんか。バレーの指導せえへんか。合っとると思うんや」といきなり誘われて。
大学の入部の時のように、また上司に頼み込んで承諾をもらって、青年海外協力隊のバックアッププログラムとして行ったのがニジェール共和国。
アフリカの真ん中あたり、内陸国ですね。
もう衝撃の連続でした。
国にひとつしか無い体育館は砂だらけの床にタバコが落ちていたり、めくれ上がっていたり。
日本の綺麗な床なんて奇跡みたいな感じですよ。
子どもたちと青空バレーをしていたらすぐとなりを牛が走っていくし。
嘘やんと思いましたよ(笑)こんな世界もあるんやなぁって。
ただ、僕が伝えれば伝えるほどみんな全部吸収してくれるんです。
それが本当に面白くて。
2週間の任期が終わって帰国して会社に戻ったんですけど、またやりたいなという気持ちが抑えられなくて。
一年半ほど経ったときに上司に伝えたら「いつか言ってくると思ってたわ。そっちの方がお前には合っているだろうから行ってこい」と言ってもらえたんです。
―― それで次は、どちらへ……?
青年海外協力隊隊員として南米のチリへ。
赴任期間は2年だったんですけど、 その2年で僕が関わった人にしかバレーを伝えられないのは、続いていかない活動だなと思って。
僕がいなくなったらゼロになってしまうじゃないですか。
だから、伝えたことがずっと続くように、街にバレーボール協会を作ろうと考えたんです。
協会を設立するためには、大会運営などの実績が必要だと。
色々と試行錯誤してまず「TOMODACHI(友達)」というバレーボールチームを作りました。
運営も含めこのチームが協会設立の中心になって活動しました。
そして、1年後にはチリ南部のバルディビアという街にバレーボール協会を作ることができたんです。
今もそこで「TOMODACHI」のメンバーが子どもたちにバレー指導を続けてくれているんですよ。
嬉しいですよね。
さらに嬉しいのが、2年前ぐらいですかね、「TOMODACHI」設立10周年記念として大会を開催するので、設立者としてメッセージを送って欲しいと連絡が来ました。
その一か月後くらいに開催の連絡があり、添付されているメダルの写真をよく見たら「Campeonato Daichi Saegusa(三枝大地選手権)」と書かれていたんですよ。
ええっ、嘘やー。そんなことしてくれるなら先に言うてよと(笑)10年以上経ってもそういう状況があることがとても嬉しくて、やって良かったなと思いました。
▲「三枝大地選手権」と刻まれた大会メダル
「将来、バレーボールで世界を沸かしているだろう」高校の卒業アルバムで宣言したことが現実に
―― 彼らにとって三枝さんこそが「TOMODACHI」なんでしょうね。今はどのようなお仕事をされているのでしょうか。
JOCバレーボール専任コーチングディレクターとして味の素ナショナルトレーニングセンターにて勤務しているのと、日本バレーボール協会で全日本女子ユースチームの監督をやっています。
大学の同期であった前任者と、当時のバレーボール協会強化本部長から、チリから帰国後に声をかけてもらったんです。
それで、JOCのナショナルコーチアカデミーというトップコーチを養成する講習を受講して専任コーチングディレクターに。
最初は全日本ジュニアのコーチに就きました。
2013年のジュニアチームは、本当に選手が良く頑張って、世界選手権で銀メダルを取れたんです。
同じ年に U-23でもコーチをさせてもらって銅メダルを取れて、その流れで全日本女子ユースの監督にも着任して。
翌年はU-23とU-20のコーチ、ユースの監督、味の素ナショナルトレーニングセンターと、3つの現場を見ていました。
ただ、慌ただし過ぎてさすがに現場に迷惑をかけてしまい、今は全日本女子ユース監督と味の素ナショナルトレーニングセンターでの勤務のみに絞ってもらいました。
今のこの状況をずっと求めていたかって言ったら、まったくそういうわけじゃないんです。
学生時代もトップ選手じゃなかったですし、ゴボウでしたし(笑)
ただ、高校の卒業アルバムには「将来、バレーボールで世界を沸かしているだろう」って書いていたんですよ。
自分でもびっくりしたんですけど。
すっかり忘れていたんですが、たまたま母校の後輩たちに夢について話す機会をいただき、自分の夢は何だったかなとアルバムを見てみるとそう書いていたんです。
▲高校の卒業アルバム
―― 「いたい」じゃなくて「いるだろう」。単なる願望じゃなく、決定事項のようですね。
面白いなぁと。
こうなるぞという想いが自分の潜在意識の中に少しでもあれば、辿り着くことが出来る、叶えることが出来るのかもしれないなって。
―― 日々バレーボールに関わる中で、何か気づいたことや考えていることはありますか?
バレーって身長が高い選手が絶対的に有利なスポーツなんですよ。
必ずネットの上で勝負しますし。
背が低くても挑んで勝負をすることに醍醐味があることも確かなのですが、今後バレーが成熟していくと背の高い人しかやらない競技になってしまって、「する競技」から「観る競技」に少しずつ衰退してしまう可能性があると思うんですよ。
実際、男女とも近年世界で勝っているのは長身選手のチームばかりなんです。
ただ、日本は身長面で大きなハンディキャップを背負っているチームだからこそ、バレーボールの歴史を変えられる、未来を創れるチームでもあるんです。
その歴史を変えるために、今以上にバレーボールの魅力を伝えようと世界一を目指しています。
そして同時進行で、バレーボールがさらに発展するように、限られた人だけの競技ならないように、現状のルールを変える等の工夫も必要になるのではないかと。
ひとつ新しいルールのイメージがあって。
コート内の身長の総和を決めるんです。
全員で何センチ以内、それ以上はダメと。
そうすると、たとえば190センチの選手でかためるチームもあれば、2メートルの選手を3人入れて残りは180センチにするチームも出てくる。
そうすると、前衛で相手選手との身長のミスマッチが起こり、戦術、戦略がさらに発展してバレーボールが盛り上がります。
そして何より、誰もが今まで以上にコート内で活かし合うことができるやんって。
あ、これは障がいの程度や身体能力でレベル分けされている車椅子バスケからヒントをもらったんです。
相手を理解する力、自分の想いを伝える力はバレーを通して身につけた
―― ずっとバレーボールを愛してきた三枝さんが考える、バレーならではの良さを教えていただきたいです。
バレーボールは生活と一緒で、コート外のことがそのままコート内に反映されるスポーツなんです。
だから生き方を学べるスポーツなんです。
例えば仲間の様子を見て取りやすいところを考えて一瞬のタッチでボールを繋ぐじゃないですか。
だから、相手がどうして欲しいかを分かろうとしながら、自分の想いを伝える能力が身に付くんですよね。
そうするとチームもどんどん強くなっていきます。
あとは社会に出たとき、バレーをしていた選手はやっぱり違うなってなることがひとつの価値ですよね。
試合やプレーで感動を与えるだけじゃなく、その後こそが大事。
全日本選手だっていつかは引退するし、バレーボールだけで人生を終えられる人なんて本当にごくわずかなんですよ。
それならバレーを通して学んだことをいかに社会に還元、貢献できるかだと思うんです。
日本一、世界一になりました、でも社会人として必要なことを何も学んでいませんとなれば非常に残念なことです。
また、そんな選手を育てた指導者も失格だなと思いますし。
だからこそ、ただバレーボールが上手、勝ったというだけでなく、社会を引っ張っていく人間を、バレーボールの強化を通して育成していくことが指導者の役目だと考えています。
―― スポーツを通して学んだことをそれ以外に活かすことは大切ですよね。指導者として意識されていること、他にも伺いたいです。
子どもたちにはよく「なんでバレーボールしてるんや?」って聞くんですが、目標はすっと出てくるけど目的が出てこない。でも本来は、目的を達成するために目標があるはず。
だから「目的が何か考えてみ?」とじっくり聞くんですよ。
そうすると自分がバレーで頑張ることで、家族に元気を届けて両親祖父母が長生きする、大学やVリーグから引っ張ってもらえるなど、いろいろ出てくる。
サンさんを、あ、僕の事なんですけど、世界一の監督にするというのもありました。
嬉しいですよ。
誰かのため、何かのためというのがあるんですよね。
バレーボールを通してどういう目的を果たしたいか。
それが無いと練習をしていても心が折れやすいんです。
日本一とか世界一とか大きな目標を見失いそうになっても、自分自身がこれを成し遂げたいという目的が明確にあれば、そこに辿り着かないとあかんなって思えて頑張れる。
自分の想いっていうのは強いのでね。
あとは、夢と志の違いも伝えていますね。
「夢」って自分のやりたいこと、なりたい姿。
要するに単なる自分の欲なので、応援してもらえるエネルギーは弱いんです。
でも「志」は自分の欲だけじゃなく、世の中をこうしていきたいっていう外へ向けた思考が入るんですよ。
だから応援してもらえるエネルギーも強い。
やっぱりそのレベルに達しないとあかんなって。
夢を持って発信しながらも、この世界をどう良くしていこうかっていう志も持っていこうなと。
子どもたちを育てていくことが、日本や世界を良くしていくことと信じて
―― 目標と目的、夢と志。きっと子どもたちにとってものすごく大きな学びでしょうね。三枝さんの今の「目的」は何でしょうか。
志を持って歩む子どもたちを育てること、それが僕の目的、志です。
今はバレーボールに関わっているけれど、バレーはひとつの手段だと思っていて。
バレーボールにたまたま出会って育ててもらって、大好きで恩返ししたいからバレーをやっているけれど、もしかしたらどこかのタイミングで離れることもあるかもしれないし。
その時々で手にあるツールを通して僕も常に上を目指しながら、最終的にはやっぱり日本や世界を良くしていく子どもたちを育てたいんです。
もちろん自分自身まだまだですしもっと成長していきたいし。
僕ね、ずっと日本だけが自分のホームだと思っていたんです。
でもそんなことない。
青年海外協力隊での経験もあって、今は地球全体がホームやなって感覚があるし、どこに行ってもバレーを通して大勢の仲間がいます。
僕自身がどんどん外へと出ていきながら、選手や子どもたちには勝ち負けを超えた大切なことを伝えていく。
それが僕のやりたいことです。
取材後記
三枝さんの辞書にはきっと、
「諦める」という文字がありません。
推薦者しか採っていない東海大学で
監督に頼み込んで、一般入部。
体つきも技術も、仲間と圧倒的な差があったけれど
深夜の筋トレと自主練習で得られた成長。
言葉、文化、環境、そして思考の違いを
工夫で乗り越えたアフリカとチリでの経験。
▲三枝さんのメッセージは「自他不敗」。
自分も負けない、相手も負けさせない。それって本当の強さかもしれません。
そして今、バレーボールを通して見つめるのは
広い世界と未来の可能性です。
高い壁が立ちはだかったとき
どうにもできないような試練が降りかかったとき
私もこう考えるんだと、三枝さんから教わりました。
「自分が成し遂げたいことは、何だろう?」

三枝 大地Daichi Saegusa
元バレーボール選手
現在:JOCバレーボール専任コーチングディレクター
取材/アスリートエージェント 小園翔太
取材・文/榧野文香
味の素ナショナルトレーニングセンター
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Tシャツ提供 ニューモード株式会社
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