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坂野 栄信 / Eishin Sakano   元競泳選手|現在:IT企業勤務

アスリートとして培ってきた力を信じて、新たな舞台でチャレンジする

アナウンサーとして2年半
さまざまな業務を経験した坂野さん。

しかし、徐々に募っていった
「このままでいいのだろうか」という思い。
ずっとここで働いている姿が描けない……。

坂野さんに変化のきっかけを与えたのが
世の中で活躍する起業家たちの存在。
リスクを恐れない彼らの姿に、心境の変化が。

「自分も新しい世界でチャレンジしたい」

坂野さんは、自らの意志で挑戦の道を選びます。

Profile

 

坂野栄信(さかの えいしん) 1991年5月16日生まれ

元競泳選手。3歳から水泳をはじめ、小学校4年生で初めて全国大会に出場。平泳ぎ選手として全国ジュニアオリンピック2位、国体3位などの実績を持つ。大学卒業後は劇団EXILEで役者、広島ホームテレビでアナウンサーとして活躍。2018年6月からはIT企業で営業として新たなスタートを切る。

  得意な水泳で学歴を築く

―― 競泳はいつごろから始めたのですか?

3歳から始めました。小学校のときには、競泳以外に野球を週2日、サッカーやピアノもやっていました。正直、競泳はやらされている感じでしたが、小学校5年生のときに全国大会で表彰台に上がることができました。当時は、練習量も多くなかったですが、水泳を真剣に続けていくためのモチベーションになりました。

ただ、中学生になるときは、競泳にするか野球にするか迷って。正直、野球も得意で大好きだったので続けたかったですが……坊主になるのがイヤだったのと、競泳のほうが将来性も現実的だろうと思い、親と相談して、中学から競泳に専念するようになりました。

―― 競泳に専念されてから、成績はいかがでしたか?

中学校でもジュニアオリンピックに出場して、中学3年生で全国3位になることができました。 当時は7000〜8000mくらい毎日泳いでいましたね。しかも、スイミングクラブだけでなく、学校の方針で中学校の部活でも練習をする時期がありました。部活で練習した後、クラブに行って練習という日々が続きました。

高校では、県内でもスポーツが盛んな九州学院に進学して、スポーツクラスに入りました。競泳でもずっと県内トップですし、陸上や剣道、ボクシングなど強豪で、クラスメイトに日本一が身近にいる環境でした。仲間と切磋琢磨できる環境は良かったです。

―― 順調に伸び続けたんですね。

はい。でも当時、正直練習は苦手でしたね。休んだり、トイレに30分こもったり、脚がつったフリをしたり、適度に力を抜いていました。感覚が悪い時に泳ぐとフォームが崩れるし、少ない努力量で効率良く速くなることを考えていました。ですので、長距離レースを泳ぐ体力はなかったですね。

あと、「なぜ自分は生まれてきたんだろう」って漠然と考えたりもしました。中学のときからニーチェなど哲学書を読んでいて、影響を受けていましたね。水泳は、泳いでいる最中にコミュニケーションを取れないので、ずっと色んなことを考えたりしました。これまでの人生を棚卸しすると、節目節目で、本からもらった言葉に影響を受けて悩みを解消したり、考え方の指針を決めたりして自分の言葉にするためにアウトプットも心がけていました。

競泳は、好きなのかどうかわからないことがあります。でも、手段としてある意味割り切っていました。勉強で良い大学に入るのは大変ですが、自分の得意なことで大学に入れるならそれでいいかもしれないと思いました。

  急激な環境の変化 大学で初めてぶつかった壁

―― 当初思い描いていたとおり、大学はスポーツ推薦で進学されるんですね。

そうです。国立大学に進学したかったのですが、競泳の推薦をやっている強豪校は筑波大学だけでした。筑波大学の競泳男子の推薦枠はわずか4名でしたが、運良くその中に入ることができました。

大学では、体育専門学群という学部で、野球やサッカーなど他種目の人もたくさんいます。同期でオリンピックに出場したり、Jリーグで活躍したり、ラグビーの日本代表になっていたり、彼らの活躍は今でも刺激になります。

―― 練習や成績はいかがでしたか?

練習は、週6回の本練習と週3回の朝練がありました。その他にもウェイトトレーニングなどもあって、大学では練習量・質ともに圧倒的に増えました。正直、ウォーミングアップでいっぱいいっぱいで、設定されたタイムで泳ぎ切ることができないこともありました。高校時代とは、もう雲泥の差です。

正直、大学の3年まではキツいことばかりでした。腰痛を発症し、精神的にも辛いことがあって、思い通りにならないことが続きました。推薦で入ったのに結果が出ないと、周囲の目線も厳しいものになります。大学を辞めて熊本に戻ろうと考えたこともありましたし、悔しさのあまり自宅で泣くこともありましたね。

―― これまでの競技人生とは一転して厳しい状況が続いたんですね。

はい。ただ、ある先輩の姿を目にした時から考え方を変えました。その先輩は、競技レベルが低かったものの、誰よりも声を出していて、誰よりも水泳を楽しんでて、僕のなかではかっこよく見えていました。そこから自分のマインドを変えようと、小さな成功体験を毎日重ねることを意識しました。

「今日は一番きついところでもフォームを崩さなかった」とか考えて、1日の終わりにポジティブな気持ちで終わる。『反省はするけど、後悔はしない』スタンスはそこからずっと変わってません。すると、なんとか立ち直って大学4年生のときは自己ベストを更新することができました。そこで立ち直ることができて、目標には届かなかったものの、これが実力かな…と自分を納得させて終止符を打ちました。

  競泳引退、劇団EXILEに入り芸能界へ

―― 競泳は大学で引退されたんですね。

はい、スポンサーを募ったりして現役を続けるには厳しいレベルだったので、割り切ってやめることができました。部活を引退してからは、自分のやりたいことは何か探すために就職浪人しようと思っていました。ただ、4年生の秋ごろに、幼馴染みで女優をしている友人からオーディションを紹介されました。

そのひとつに、EXILEのボーカルバトルオーディションがありました。 ボーカルバトルオーディションは当時全国で約3万人が受けたそうです。そこで、自分はあっさり落ちてしまうのですが、オーディションから1週間ほど経過して、LDHから「役者に興味はあるか」とご連絡をいただきました。そこで、劇団EXILE のオーディションを受けることになり。

そこには20人くらい、メチャクチャかっこいい若者たちが集まっていました。複数回選考を受けて、4人の合格者の一人になることができました。

―― もともと芸能界に憧れがあったのですか?

田舎者だったので、誰もが抱くような漠然とした憧れはありました。ただ、それよりこの道を紹介していただいたのが大きかったです。自分のスタンスは、まずやってみるということ。やりたい仕事もなかったし、これもなにかの巡り合わせだと思って、役者の世界もまずチャレンジしてみようと思いました。

劇団生活は、興行前の1ヶ月は缶詰で稽古しますが、それ以外のときは本を読むことや、演劇を鑑賞して分析したり、感性を磨くことを奨励されました。生活のやり繰りは正直大変でしたね。

役者の世界は、8ヶ月だけでしたが、向き不向きや運の良さは大きく影響します。特に、運の要素は大きいと感じました。事務所から売りに出してもらえるかとか、あと自己主張をどれだけできるか。ビジュアルで勝負する場合は、自分に絶対的な自信がない人は生き抜けないです。ある事務所の人からは、「すぐに自分の好きなことを100個言えないとダメだよ」と言われたこともあり、そういう世界なのかと実感しました。

  テレビアナウンサーとしていきなり経験した「修羅場」

―― その後、広島ホームテレビでアナウンサーになります。これは、何か経緯があるのでしょうか。

これも、実は人の縁でした。大学のときに、ミスタージャパンの熊本県の代表になったことがありました。ミスタージャパンでは、外見的要素に加えて、見本となる所作やスピーチ力などが求められるため、トレーニングを受ける機会がありました。その時に指導してくださったのがアナウンサーを養成するトレーナーの方でした。

劇団を辞めたとき、そのことをFacebookに書いたんです。そしたら、そのトレーナーの方からすぐに連絡をいただき、アナウンサーとしてのキャリアを紹介されました。その後、アナウンサーのトレーニングを1、2回受けて、いくつか採用試験を受けて、広島ホームテレビから内定をいただきました。

―― アナウンサーとして、具体的にどのようなお仕事をされていたのですか?

主にフィールドリポーターとして活動しました。災害のレポートからイベントのお知らせまで幅広く対応します。あと、地方局の特色ですが、アナウンサーが取材や編集まで一貫して携わることもあるので、幅広いスキルが身につきました。

いろんな取材を経験した中でも印象深かったのが、熊本地震の中継でした。入社したばかりでしたが地元ということもあり抜擢されて、全国ネットで羽鳥アナウンサーともやり取りしました。いきなりのことでびっくりしましたが、かなり鍛えられましたね。

故郷が大変なことになっていて、感情も入りましたが、報道する立場として聞きたくないことを被災者に聞いたり、被害が大きな地域に取材に行ったり、これは非常に良い経験になりました。10日ちょっとでしたが、この間ですごく成長を実感できましたね。災害が起こることは決して良くないことですが、これを経験できたのは、アナウンサー人生のなかでも非常に大きかったです。

  新たな世界にチャレンジ アスリートはどんな世界でも活躍できる

アナウンサーを2年半経験した坂野さん。
現在は新たな職場で第一歩を踏み出しています。

―― 2018年6月から新しい職に就いていらっしゃいますね。これもどなたかに紹介されたのでしょうか?

いえ、今回はキャリアエージェントに登録して自分で選びました。これまで、人のアドバイスを聞いて、それを参考にして生きてきました。もちろん、それは間違っていないと思います。でも、今回は違います。

きっかけは、世の中で活躍されている起業家の方々の存在です。堀江貴文さんやSHOWROOM の前田さん、キングコングの西野さんなどの書籍を読んで、新たな環境に飛び込んでみたいと思いました。そのための第一歩が今の会社の仕事です。

これまでの経験を活かすことができ、かつ事業にも積極的に関われるようになっています。成長できている実感もありますし、今の自分に不満はないです。

―― なるほど、それは素晴らしいですね!最後に、これから違う世界に挑戦しようとしているアスリートの方々にメッセージをお願いします。

まず、楽しい、そしてやりがいがあることに出会って欲しいと思います。 そして、アスリートとして培ってきた力を信じてチャレンジしてください。学生アスリートの人たちは、10年以上一つのことに打ち込んできているはずです。一般論として、これはすごいことです。これほどのことができれば、あらゆることができるはずです。

目標から逆算して、日々の研鑽を積むことができるのはアスリートの特権です。発想の転換ができれば、どんな世界でも活躍できるポテンシャルを持っています。そのことに気づいてもらえると嬉しいですね。

  取材後記

長身細身の身体に整った顔立ち。
全身黒でコーディネートしたファッションは、まさにモデルのよう。

しかし、スッとした見た目とは裏腹に
心の中には確固たる想い、熱さを秘め
目標に向かって日々挑戦をしている様子がうかがえました。

自分の道を自分で切り開いた坂野さんは
今日も夢に向かって歩み続けます。

きっと、彼ならなれるはずです。
「競泳の坂野」ではなく、「ビジネスアスリートの坂野」に。

 

取材・文/山田雄一朗


坂野栄信オフィシャルブログ
https://ameblo.jp/ei-shine

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