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柴田 章吾 / Shogo Shibata   元プロ野球選手(読売ジャイアンツ)|現在:アクセンチュア(株)勤務

難病も戦力外通告も、すべてをプラスに変えて未来の糧に

「病院の先生が言っていること、絶対に嘘だろって。
治らない病気にかかったなんて信じられなかった」

幼い頃から抱いていたプロ野球選手になる夢。
彼が15歳の時に医師から告げられたのは
「ベーチェット病」という耳慣れない病名でした。

運動は禁物。
もちろん野球の練習もしてはいけない。

「高校ではスポーツコースだったのに、
僕だけいつも体育の授業は見学でした(笑)」

当時について明るく語る柴田さんは、元プロ野球選手。
2014年に戦力外通告を受けるまでの3年間、
読売ジャイアンツの育成投手として活躍されました。

病気を乗り越えて少年時代の夢を叶えた彼は
今、新しい目標に向かって歩み始めています。

Profile

 

柴田 章吾(しばた しょうご) 1989年4月生まれ

元プロ野球選手。小学2年生から野球を始め、6年生の時にボーイズリーグで全国制覇を果たす。中学3年生の時に厚生労働省指定の難病「ベーチェット病」を発症。闘病しながら愛知工業大学名電高等学校で野球を続け、3年生の夏に甲子園に出場する。明治大学卒業後、2011年にプロ野球ドラフト会議で読売ジャイアンツから育成3位指名を受け、投手として活躍。現在はアクセンチュア株式会社にて経営/ITコンサルティング業に従事。

1万人に1人発祥の難病と診断、「プロ野球選手になりたい」全国の方から手紙が励みに

―― 柴田さんが野球に興味を持ったのはいつ頃ですか?

小学1年生の時に父とキャッチボールをして遊んでいたことが始まりです。家のすぐそばに少年野球チームのグラウンドがあって、そこで試しに投げてみたら「すごい!」と褒められたのが嬉しくて、その場で入団を決めました。しかし、続けているうちにだんだんレベルの高い環境を求めるようになり、小学4年生でリトルリーグへ、6年生の時点でボーイズリーグに移りました。その時に投手として全国制覇をしたんです。

中学校でも順調に実績を重ね、高校はどこに進学しようかと考えていた頃に転機が訪れました。40度の高熱と歩けないほどの腹痛が起こり、入院をすることに。これまで全く病気にかかったことがなかったので、びっくりしました。

―― 医師から病気のことを告げられた時、どんな気持ちでしたか。

検査入院の時点で、ベーチェット病かクローン病か潰瘍性大腸炎のどれかだと思うと医師に言われたんです。僕はその病気がどんなものか分かっていなくて、「その中だったらベーチェット病が一番かっこいいですね」と言ったことを覚えています(苦笑)。風邪の種類くらいに考えていて。

病状が少し落ち着いた頃、医師から「ちゃんと病気について話そう」と言われました。自分はベーチェット病という1万人に1人が発症する難病であること。治らない病気であること。先生の知る限り、スポーツを続けられた人がいないこと。野球はやめてくださいと言われ、初めてこの病気の重さを痛感しました。

もう野球ができないかもしれない、どうしよう。頭が真っ白になりました。

―― 野球ができないと告げられ、他の道を考えましたか。

退院したばかりの時は、先生の言っていることは嘘だ、病気が治らないはずないと思っていました。絶対に運動してはいけないと言われていたんですけど、黙って試合に出てしまいました。自分は病気だと信じたくなかったんですよね。

先生に内緒で1ヶ月練習を続けたところ、最初に発症した時よりも症状が重くなり、3ヶ月間入院することになりました。先生にはものすごく怒られて……。僕は「腸管ベーチェット」という種類の病気だったのですが、腸に繰り返し潰瘍ができ、口内炎も20個ほどできて口から食べ物を摂取できないため、首から点滴をして症状を抑える必要がありました。

こんなに辛いなら、野球はもう忘れて他のことを考えようと思い、料理番組やお笑い番組を見てなるべく笑うようにしていました。料理が好きだからシェフになろうかな?目立つことが好きだから役者になろうかな?なんて、将来の選択肢をいくつか考え始めたのもこの時です。

しかし、テレビで甲子園の決勝戦を見た時に、気持ちが野球に引き戻されました。僕はやっぱりこれがやりたいって思いました。高校の3年間は、何度再発しても野球を続け、甲子園に出場したらそこで野球は終わりにしようと覚悟を決めたんです。

―― 夢が、プロ野球選手から甲子園出場に変わったのですね。

イチローさんの出身校でもある愛知工業大学名電高等学校に進学し、野球部に入部。監督が病気のことをよく理解してくれて、高校3年生の夏まではリハビリをしようと提案してくださったんです。

いつもマスクで通学して、体育も見学。スポーツコースの学生であるにも関わらず、体育の授業を見学している生徒がいるということで他クラスの生徒から色者扱いされていました。部活の練習も、3年生になるまではみんなと同じ練習はできなかったのですが、中学時代の僕の姿を知っていた部活の仲間たちは実力を認めてくれていました。

リハビリをしながら少しずつ練習量を増やし、3年生の夏についに夢の甲子園に出場しました。かつて病院で寝ていた自分がここまで来たんだと感動しました。

―― プロへの道を考え始めたきっかけは何だったのでしょうか。

甲子園に行ったら野球は終わりにしようと思っていたのですが、叶わないと思いながらも進路希望書に「プロ野球選手になりたい」と自分の気持ちを書いてみたんです。その時、ワクワクが止まりませんでした。監督も嬉しそうな顔で「頑張れよ」と言ってくれました。

そして、病気を公表した時に全国の方からいただいた手紙にも背中を押されました。ベーチェット病の当事者の方や、我が子が難病だという方たちが僕のことを応援してくださっていたんです。僕がここでやめたらこの人たちはどう思うだろうかと考えました。

僕だけの野球人生ではないと分かった時、プロになりたい気持ちと、ならなくてはいけない気持ちが合致したんです。

病状が安定、ジャイアンツ育成選手として奮闘

―― 柴田さんは大学に進学後、読売ジャイアンツに入団したんですよね。

大学に進学する頃にはなぜか再発の症状が出なくなっていました。完治ではありませんが、問題なく練習できるほど病態が良くなっていたんです。大学でも野球部に入り、プロを目指して練習を続けました。

4年生の夏にジャイアンツの二軍と試合をする機会があり、そこで3回パーフェクトピッチングをしたんです。今までの中で一番の結果を出して、その日のうちに社会人野球の二つの企業からも声を掛けていただきました。

しかし、監督と相談した結果、悩んだ末にジャイアンツの育成選手の道へ進むことを決意。ただ、育成契約ではプロ野球選手になれたと言って素直に喜ぶことはできないため、一軍で活躍するまではまた我慢の連続だと覚悟して入団しました。

―― 引退するまでの3年間、どのような選手生活を送っていましたか。

一軍選手のキャッチボールを見て、レベルの高さに驚きました。1年目にして引退の危機を感じ、よりハードなスケジュールを組みました。2年目の終わり頃に結果が出始め、1軍にいけるかもしれない……と自信がついた頃、2月のキャンプ中に盲腸になってしまい練習してきたことが水の泡に。その年の10月、戦力外通告を受けて引退しました。

志半ばの引退、セカンドキャリアは自分が商品になるコンサルティングの道を歩み出す

―― 志半ばの引退だったのですね。気持ちはすぐに切り替わりましたか?

球団職員になるか、トライアウトを受けるかの選択肢があり、鳥取で自主トレをしながら今後の進路を考えていたんです。結果、今辞めた方が未来は明るいという結論に至り、引退を決意しました。決意した翌日、最後のボールを投げた時、なぜかすごくすっきりした気持ちになったと同時に、今後の自分はどうなるんだろうと想像したらワクワクしたんです。

その後は球団職員をやりながら学生時代にやりたかった就活をしようと思い、大学時代の友達から情報収集をしたり企業研究や自己分析を進めたりしました。

―― 現在はコンサルのお仕事をされているんですよね。スポーツとは関係ない今のお仕事を選ばれた理由は?

今まで野球をやりながら人間形成をしてきたので、モノを作る仕事よりも、自分が商品になる仕事をしようと思い、話を聞くために様々な業種の方に会いに行きました。商社や広告代理店の営業職を中心に半年で100人ほどOB訪問をさせてもらいました。

その中で知った外資系総合コンサルティング企業のアクセンチュア株式会社に応募。東大・京大生就職ランキング4位の難関企業ではありましたが、面接では臆することなく自分のやりたいことを堂々と言おうと決めていました。将来的な夢の一つとして、メジャーリーグの経営に携わりたいと伝えました。

そのためには、野球の経験に加え、高いビジネススキルや英語力の習得、世の中の経営課題にどのようなソリューションを提供しているかを知りたいと思いました。ビジネスマンとしての価値を高めるためにアクセンチュアで成長したいと面接で話したんです。その結果、採用が決まりました。

―― まったく違う業界で働き始めた感想は?

想像以上にきつかったです……。短時間での資料作成、会議での議事録やプレゼンなど、外資コンサルの大変さを痛感しました。1年目は心身共にパンクしそうになりながら働いていました。体力があれば何とかなると思っていましたが、違いましたね(苦笑)。

これを乗り越えるために、優秀な上司の真似をしたり、空き時間に予習復習をしたりと様々な工夫をしました。

次の春で入社3年目を迎えますが、現在はグローバルなプロジェクトに携わっています。上司にも信頼され任される仕事量も多くなりました。この先、自分がやりたいことの土台にもなるので、ワクワクしています。

アスリートはいろいろな人に会えるチャンスが豊富、様々な世界や考え方を知ることは野球でもセカンドキャリアでもプラスになる

―― 甲子園出場、プロ野球選手の夢を叶え、次はメジャーリーグの職員を目指して進み続けているのですね。

僕は難病にかかり、好きなことができない時期もありました。でも、病気を経験したからこそ人に感謝することの大切さを知り「ありがとう」と言えることも多くなりました。些細なことにも幸せを感じられるので、笑っていることも多いです。

何の苦難もなくここまで生きてきたら、今のように豊かな人生はなかったと思います。この先起こるすべてのことをプラスに変えてキャリアに繋げていきたいです。

―― 最後に、現役の選手たちへメッセージをいただけますか。

まずは野球に没頭してください。そして、ぜひプロ野球選手という名前があるうちに色々な分野の人に会ってください。こちらからアクションを起こせば、普通では会えないような人にも会うことが出来るチャンスです。野球とは関係ない様々な世界や考え方があることを知ることは、野球人生にもプラスになります。

そして野球をやめる時、その経験から沢山のアイディアが浮かび、きっと役に立つはずです。どれだけの成績を残したかではなく、限られた選手生活の中で後悔しないように日々の生活を過ごし、納得するまでやりきってほしいと思います。

取材後記

何度か柴田さんが口にした「ワクワク」という言葉。
柴田さんは、どんな苦難が目の前に訪れても、
新しい目標を探し、ワクワクする方向へ自分を導いていったのですね。

そして、現在の仕事をゴールと決めずに
先を見つめているからこそ、歩み続けることができるのでしょう。

甲子園球場に立った彼は、自身と同じ病気の人々を勇気付けました。
「来月は海外出張。楽しみです」と語る彼の姿は
職業やスポーツの枠を超え、さらに多くの人々を勇気付けます。

メジャーリーグのフロントスタッフとして活躍する
柴田さんの姿を見る日が楽しみです。

▲柴田さんのメッセージは「ワクワクする選択を」。まさにご自身が体現されています。
 

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取材/アスリートエージェント 小園翔太
取材・文/佐藤愛美

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