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梅原 玲奈 / Reina Umehara   元アルペンスキー、スキークロス選手|現在:スキーコーチング、イベント企画等

駆け抜けた25年。欲しいものは自ら掴みに行く。

スキー人生、25年。

25年目、最後の年に
平昌にて念願のオリンピック初出場。

梅原さんが歩いてきた道のりは
障害物を避ける、そのスキー競技よりも
もしかしたら困難だったのかもしれません。

高校生からすでに引退後の危機感を抱き
スポンサーが付かなかった時期には
エクセルで細かく費用を計算し、節約。

ときに情熱的に、そしてときに冷静に。
梅原さんが駆け抜けた、25年。

Profile

 

梅原 玲奈(うめはら れいな)1983年8月1日生まれ

元アルペンスキー、スキークロス選手。小学4年生からアルペンスキーを始め、全日本選手権やアジア大会など国内外の数々の大会で優勝を果たす。2008年にスキークロスへ転向し、2018年平昌オリンピック出場。引退後は株式会社TRACにてスキーのコーチング、スキーイベントの企画・運営、講演会、メディア出演などを行う。

  トップレベルで活躍しながら、勉強も捨てなかった学生時代

―― 平昌オリンピック出場おめでとうございます!梅原さんが五輪を目指したのはいつ頃だったんでしょうか。

中学2年生のときに見に行った長野オリンピックです。オリンピックって本当に存在するんだなぁって(笑)一気に現実的なものになって、私もここに出たいって思いました。自国開催のオリンピックの存在はやっぱり大きいですね。

―― ということは、高校は強豪校で競技に集中されて……?

いえ、高校も大学もスキーだけじゃなく勉強もできる学校を選びました。

3、4歳くらいから家族旅行でスキーに触れて、小学生でレースに出るようになって。中3で全日本ジュニア、大学1年生で全日本シニアに選ばれていて、海外のレースにもどんどん出場していたので「競技だけに集中しなかったんだね」と驚かれることもあります(笑)

父が厳しくて、文武両道じゃないと許してくれず。「勉強をしていなくてもある程度までは勝てる。だが、世界のトップレベルに飛び込めば、賢くないと勝つことは難しい」と。

基礎レベルの学習は必ずやっておきなさいという教えだったので、私自身、勉強は捨てたくありませんでした。それに、オリンピアンでもそれをフックに食べていける選手は一握り。その中のさらにひとつまみ。いつか社会に出ていく日に、最低限の勉強もできない、何も知らないというのは通用しない。高校生のときからそう考えていました。

―― 引退後の危機感を、高校生からしっかり持っていらっしゃったんですね。当時の競技成績はどうでしたか?

よかったですね。大学のインカレと全日本選手権、アジア大会でも優勝していました。国内では常にトップクラスにいたんです。ただ、世界レベルには及ばず、ワールドカップやオリンピックには出られずでした。国内では勝てるけれど、まだまだ力不足だなという時期でしたね……。

大学も卒業して、アルペンスキーで世界を目指すのは難しいのかなって強く感じたんです。それで、24歳のときに「来年もまた同じ成績だったら引退しよう。」と決めました。そうしたら知人が「スキークロスやってみないか?一度来てみなよ!」ってぐいぐい引っ張ってきて(笑)いざやってみるとものすごく楽しかったんですよ。

アルペンスキーは一人で滑るので、まず人と一緒に滑るだけでも楽しいんです。それで勝ったり負けたりする。やっぱり人間って競争すると燃えるんだなって。結果、スキークロスに転向することを決めました。

―― アルペンスキーとスキークロス。スキーも色々あるんですね。それぞれの競技の特徴を教えていただけますか?

アルペンスキーは、コースに並べられているポールや旗を正確に通過しながら、いかに早く滑り降りるかという競技です。ポールや旗の間隔によって「回転」「大回転」「スーパー大回転」「ダウンヒル」の4種目があり、一人ずつ滑った後のタイムで勝敗が決まります。

スキークロスは、アクロバティックな演技を交えながら滑るフリースタイルスキーのひとつです。アルペンスキー同様にタイムで勝敗が決まる競技ですが、一人ずつではなく4〜6人の選手が同時に滑ります。コースには旗、カーブ、うねり、ジャンプなどが設けられ、接触や転倒も多くて激しい競技ですね。

  怖さと予算不足と戦う日々。エクセルを駆使するアスリートに

―― スキークロスに転向後は、順風満帆でしたか?

いえ、波乱万丈すぎましたね……。自分はスキーが上手だと思っていたけれど、スキークロスに転向すると何もできなくて。私が極めてきたアルペンスキーは、スキーという広い世界の中での狭い範囲のものだと思い知らされました。

スキークロス独特のジャンプや地形のクリアができず、そこに気を取られすぎて得意なはずのターンも全然できなくなって。もうほんと、全部ダメで。考えなきゃいけないことがありすぎて、そうしたら何を考えるべきかも分からなくなって。

うまく滑れない、コースも怖い、こんなはずじゃなかったどうしよう。こんなんじゃスキーヤーなんて名乗れない。下手くそすぎる。わああと頭を抱えましたね。スキークロスという競技に対応できず、1年目は成績もまったく出ませんでした。

2年目から少しずつ慣れてきてワールドカップでも入賞して、やっとスキークロスの選手として土俵に上がれたかなと思ったけれど、その次のシーズンからはまた低迷。世界の高いレベルに届かない状況が続きました。

バンクーバー五輪の終了後には、スキー連盟の予算不足によってモーグル以外の全日本チームがすべて解散してしまって。私たちスキークロスの選手は自費でワールドカップを回りました。振り返っても大変な時期でしたね。

―― ワールドカップを自費で!結構な費用がかかりそうですね……。

最低でも250万円。でもこれは単独でレースを回るだけの金額です。コーチを帯同するなら給料や渡航費もプラスしないといけません。もちろん練習費や生活費も必要ですし、すべて合わせると500万円はないと厳しいかなと思います。

スキークロスに転向して6年間はスポンサーが付いていなかったので、貯金を切り崩してオフシーズンのときはアルバイトもしていました。外食はしない、お弁当をつくる、必ず水筒を持って出かける、みたいな(笑)徹底して節約していましたね。スポンサーも探していましたが、成績のない私が見つけることは難しかったので。

―― スポンサーが付かなくても、たとえば梅原さんのように頭を使って節約して、オリンピックにたどり着くことはできるものでしょうか。

うーん、それはもう自分の意志次第ですよね。本当に目指したいならできるんじゃないかと思います。ただ、ものすごく辛いし大変なこと。

私はかなり計画的にやっていました。一ヶ月の遠征にかかる費用を出して、それをもとに予算を組んでエクセルにまとめて。半年間のオフシーズンで60万円を貯めたいなら、1ヶ月ごとに10万円。でも、最後の2ヶ月はトレーニングに費やしたいから、頑張って4ヶ月で貯めよう。そのためには……と、すべてプランを立てたんです。

▲ 細かく計算された当時のエクセル(掲載に梅原さんの許可をいただいています)

というのも、スポンサーを見つけるにしても「情熱があります!頑張ります!だから支援してください!」なんて通用しないと気づいたんです。今の私にはこれだけの資金があって、その上でアルバイトなどをしているけれど、あとこれだけ必要です。スポンサーに対してはこんな貢献ができます。それを常に話せるようにしておかないと。

活動資金が足りないと言いながら、お金の管理が甘い選手も多いのではないでしょうか。 練習や節約をしている中で、突然スポンサーの話が入ることもあります。そのときにしどろもどろになっているとダメになってしまうので、どんなタイミングでも対応できる状態にしておくことが大切だと思います。

コツコツと積み重ねて目指したソチ五輪。
30歳の年。しかし出場は叶わず。
梅原さんは大きく落胆しました。

  憧れたオリンピックの舞台へ。引退後に変化したエネルギーの出し方

―― 次の平昌オリンピックは34歳。単刀直入に聞きます。引退の選択も頭をよぎりましたか?

ありましたね。26歳くらいでオリンピックに初出場して、30歳くらいで二度目を経験して、それで引退かなぁっていうイメージがアルペンスキーをやっていたときからあったんです。でも、30歳のソチ五輪にも出られなくて。

平昌五輪を目指してアルバイト生活をまた4年続ける?その選択をするなら、死んでもオリンピックに出ないと自分に何も残らない。大きな覚悟を持たないといけない。だって30歳を過ぎてアルバイト生活なんて、引退後に果たして社会に出られるだろうかと思うわけです。

そういう感じでものすごく迷っていたら、スポンサーが1社いきなり決まったんです。大口だったこともあって、これなら4年後を目指せるかもしれないって。そうしたら小口のスポンサーも少しずつ決まって。風向きが変わってきたことを私自身も感じていました。その風に乗って、次のオリンピックまで頑張ることに決めたんです。

―― 迷って悩んだ末の平昌オリンピック出場。決まったときは心の底から嬉しかったのではと思います。

「やったあ!」というよろこびや嬉しさよりも、「よし!」という気持ちでしたね。私自身はもう、絶対に出場するって決めていたので。よし掴んだ!という感覚でした。

オリンピックはやっぱりオリンピックでしたね。他の大会とは雰囲気がまったく違って……うまく言い表せないんですが、想像を遥かに超えた緊張感。ピリピリしていました。周りも自分自身も。あの感覚を味わうことができたのはかけがえのない財産になりました。

―― オリンピックの夢を叶えて引退。今のお仕事について聞かせてください。

株式会社TRACという企業に今年の5月から入社しました。スキーのコーチング、スキーイベントの企画・運営、講演会、メディア出演など、仕事はスキーに関することが主です。それから自社の計測器の開発と販売も行っています。

昨年の秋頃、今の上司が声をかけてくれたんです。引退後にスキーのコーチング事業の拡大を手伝ってくれないかと。その上司も昔アルペンスキーをやっていて、バンクーバー五輪に出場したオリンピアンなんですよ。

―― アスリートからビジネスアスリートとして社会に出て、何か変化はありましたか?

エネルギーの出し方が変わったなぁと思います。現役時代は自分のエネルギーをすべて自分自身に向けていたんですね。やった分だけ自分が良くなっていくので、どかんと力を出すと、どかんと自分に返ってくるんです、ちゃんと。

今はその逆で、自分のエネルギーを外に出していかなければいけなくて。力を向ける対象と目的が変わった感じですね。私自身をどうにかするという方向から、相手や製品をどうにかしたいという方向へ。それって楽しいけれど、難しいというか……。

これまでは自分やスキーに関することだったので、どうにかできたんです。自己分析をして足りないところを見つけて、やるべきことを試してみて。もしダメでも自分自身に返ってくるし、後悔することも誰かに怒られることもないんですよ。

でも、ひとに何かを伝えるとか、物を売るって簡単にはうまくいかなくて。性格も違うし、いろいろなタイプがあるので、厳しく言ったほうがいい場合もあれば、やさしく言うべきときもあります。そのさじ加減というか、自分の伝えたいことを相手に合うようにカスタマイズして届けることって難しい。自分じゃないものをどうにかするって大変だなと日々感じています。

  スキーはかっこいい。だから私が、スキー界を変える歯車になる。

―― スキーに関わり続ける梅原さんが思う、スキー界の課題はありますか?

プロフェッショナル思考のひとが少ないことでしょうか。日本のスキー界、ウィンタースポーツ業界って正直、世界の中でもレベルが低いんです。それは選手や指導者のプロフェッショナリズムが足りないことが原因のひとつじゃないかと。

―― プロにもさまざまなものがあります。梅原さんが考える“プロフェッショナリズム”って何でしょうか。

ひとつは「頑張り方」だと思います。

指導者から与えられたものを、ただ頑張っている。でもその「頑張っている」って果たして効果的なのだろうか、今の自分自身に必要なのだろうか。そう考えることが大切で。いくら頑張ってもベクトルが合っていないと目標は達成しないので、その方向と質と量をしっかり見定める。それがプロだと思います。

また、自分が表に出る人間だという意識を持って、行動や発言に責任を持つことも。それは普段の振る舞いから気をつけることで、たとえばSNSもそうですね。

私は“スキーヤー梅原玲奈”として表現しているので、プライベートは一切出しません。たとえば、スポンサーを探している選手が、海外旅行中の写真を出していたら、見る人はどう感じるでしょうか。プロであるなら応援してくださる方の気持ちを考えることが当然じゃないかと思います。

―― 「頑張る」は誰にでも出来るからこそ、その中身で差が出てきますね。最後に、これからの目標をぜひ聞かせてください。

スキー界を少しずつでも変えていく、その歯車になることです。

―― 歯車、ですか?エンジンじゃなく?

あ、エンジンもいいですね(笑)でも歯車で充分です。 自分自身がメインにならなくてもいいんです。スキー界をどうにかして変えたいと願って行動している大勢の一人として、私も何かしたいと考えていて。自分が重ねてきた経験をシェアして、悩んだり迷ったりしている方々の役に立てたらいいなと思って動いています。

スキークロスはまだまだマイナー競技なので、まずは知ってもらう機会や環境から整えていきたいし、競技の魅力を伝える活動もどんどんしていきたいです。コーチングなど雪の上ではもちろん、講演会など陸上でも頑張りますよ(笑)きっとそれって私だからこそできることだろうと思っているんです。

それとスキーってダサいっていう声が結構多いんですよ。スノボは若い子がやる、スキーはおじさんしかやらない、みたいな。そういうイメージを根本から変えていきたいです。「スキーってかっこいいね!」そんな声を広げることが、これからのわたしの目標です。

  取材後記

活動資金が足りない時期に
Tシャツの自主制作、販売もしたという梅原さん。

「どうしても行きたい遠征があったんです。
すべきことを考えた末、Tシャツを作ろうと。
応援してくださいというメッセージを込めて。」

トップアスリートの眩さの奥にある
努力、工夫を存分に知ることができた取材でした。

夢も、なりたい姿も、実現したい未来も
ただ待っているだけでは、手に入らない。
行動して、掴みに行かなければ。

願いはきっと叶うけれど、
願っているだけでは、叶わない。

梅原さんの色濃い25年が
教えてくれた、大切なことです。

 

取材/アスリートエージェント 小園翔太
取材・文/榧野文香


梅原玲奈 Twitter
@ReinaUmehara

梅原玲奈 Instagram
@reina_umehara

オフィシャルブログ
https://ameblo.jp/reina495

Tシャツ提供 ニューモード株式会社
https://newmode0209.fashionstore.jp/

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