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服部 泰卓 / Yasutaka Hattori   元プロ野球選手|現在:保険代理店 営業

会社の「エース」として活躍し、プロ野球選手のセカンドキャリアをポジティブに

「プロ野球選手になりたい!」
小さいころからの夢が、もう少しで届きそう。
でも、自分には打者を圧倒する豪速球や変化球はない。

どうしたらいいのか。

社会人野球に飛び込んだ一人の青年は
ひたすら考え続けました。
そして、あるメンタルトレーナーとの出会いが、人生を大きく変えます。

技術力は変わらない。
しかし、思考の変化によって成績は急上昇し
自分の最高のボールを投げられるように。

そして、ドラフト会議で最高評価。夢の舞台へ。
服部さんはこの時のことを、こう語ります。

「一日一日、夢に近づくようでワクワクしました。」

Profile

 

服部泰卓(はっとり やすたか) 1982年9月10日生まれ

元プロ野球選手。高校時代は徳島県立川島高校のエースとして県大会3位。大学では名門・駒澤大学に入学し、4年生の秋季リーグでは6勝をあげてベストナインに。その後、社会人野球・トヨタ自動車では主力投手として活躍し、アジア大会の日本代表にも選出。2007年、千葉ロッテマリーンズから大学・社会人ドラフトで1巡目指名を受ける。左投げの中継ぎ投手として活躍し、一軍登板は通算73試合。引退後は保険代理店で営業として従事。

  純粋に野球が好きだった。夢中になって白球を追い続けた学生時代

―― 服部さんはいつから野球を始めたのでしょうか。

野球は小学校一年生から始めました。生まれは大阪府高槻市でしたが、父親が転勤族だったこともあり、徳島県で育ちました。

―― 初めから投手として活躍されてましたか?

いえ、下級生のときは外野手でした。投手は、上級生になってから始めました。 もともと、抜きん出た選手ではありませんでしたが、夢はプロ野球選手でした。純粋に野球が好きだったというのが大きいですね。

―― その後、球歴をどのように歩んで来られたのか伺いたいです。

高校の時は、甲子園を目標にしていましたが、県3位が最高でした。練習も強豪校のように一日中やることはなく、せいぜい半日程度で終わっていました。

高校くらいになると、徐々に周りが見えてきて、自分の立ち位置が見えてきます。生まれつき特別な才能が無いとプロ野球選手になるのは無理と言う人もいましたし、プロ野球選手は特別な人がなるものだろうと思っていました。

しかし、その後駒澤大学に進学して、その状況が大きく変わります。野球人生で初めて野球の名門といわれる環境に身を置きましたが、ドラフトにかかる先輩もいれば、グラウンドにスカウトの方もいらっしゃいます。プロの世界を意識できるようになりました。

上下関係や練習は非常に厳しいものがありましたし、入学当初は実力不足で引け目を感じることもありました。でも、それが逆に自分の伸びしろになるのではと考えるようになりました。大学の時は、ドラフトにかかりませんでした。でも、活躍が認められて、トヨタ自動車の声がかかり、社会人で野球を続けるようになりました。

  社会人3年目の活躍が認められ、ドラフト1位でプロの世界へ

―― 社会人野球はいかがでしたか?

当時、トヨタ自動車が野球に力を入れ始めたばかりでした。当時は、都市対抗など全国大会で優勝したこともなく、全国ベスト8が最高でした。

社会人野球でプレーするということは、プロの世界までもう一歩です。でも、自分には豪速球も圧倒的な変化球もありません。どうすれば、スカウトの目に止まってドラフトで指名されることができるのか、メチャクチャ考えました。

そんなある日、社会人2年目が終わって3年目に入ろうかというときに、野球部にメンタルトレーナーが研修でいらっしゃいました。これが大きな転機になりました。

―― 具体的に、どのようなことがあったのですか?

メンタルトレーナーの方からは、「自分のできることに集中するように」ということを教わって、マインドが大きく変わりました。これまで、自分は常に打者と向き合ってきました。なんとかして抑えてやる!おそらくほとんどの投手がこの考えでプレーしているでしょう。

しかし、そのトレーナーから教えていただいたことは、自分にとってベストなボールを投げるという考え方です。自分の指からボールが離れてから起こることは、自分の力ではどうにもなりません。打者が打つかどうかは、投手が決められることではありません。なので、とにかく自分にとって最高のボールを投げ続けることに集中することが大事だと。

これを意識することで、年間通じて圧倒的な成績を残すことができました。1年間通じて高いパフォーマンスを発揮でき、波が少なく、監督が使いやすい選手として見られるようになったと思います。球速も上がっていませんし、変化球も増えていません。でも、マインドが変わるだけで、見違えるように変化することができました。

当時は、ドラフトが近くにつれ、夢が現実になるとワクワクした気持ちになりました。そして、社会人3年目にドラフト1位で千葉ロッテマリーンズに入団することができました。

  ドラフト1位でプロ野球の世界へ。立ちはだかった壁と乗り越えた瞬間

―― 晴れてプロ野球選手になりましたが、その後はいかがでしたか?

今だからそう振り返ることができますが、プロ野球と社会人野球で歴然とした差はありません。ただ、当時はそんな余裕を持ってプレーすることはできませんでした。

打者のレベルも上がっている、なんとかしないといけないと思う中で、自分の投球を見失ってしまいました。最初の5年間は、相手を過大評価し過ぎるあまり、結果を出すことができませんでした。

プロ野球で活躍できるかは、自分のプレーを見失わずできるかどうかだと思います。プロ野球の世界に入るだけで、それだけの活躍できる実力があるのです。しかし、活躍できるかどうかは、そこで自分の持っているものを出し切れるかが重要です。

技術レベルが高くても、一軍と二軍を行ったり来たりする選手もいます。一方で、技術は高くなくても、成績を残して一軍に残る選手もいます。

―― そんな中、6年目にキャリアハイの成績を残されています。これは何かきっかけがあったのでしょうか。

5年間結果を出すことができなかったので、「今年ダメならクビだ」と思っていました。なので、精神的に開き直って、投げることができました。社会人の時のように、良いボールを投げることだけに集中しました。悔いが残らないように、好きなようにやろうと。能力的には、社会人のときと変わらない。でも、1年間通じて活躍することができました。

―― なるほど。それは非常に興味深いですね。

ただ、これも長続きしませんでした。その後の2年は活躍した一年で築いてきたものを失いたくないという気持ちになってしまって。一年一年が勝負なのに、どうしても後ろ向きになってしまいました。

結局プロ野球人生は8年で閉じました。戦力外通告を受けたときは、多少悔いがありましたが、一軍で活躍する夢を叶えるために努力してきました。これ以上はもうできません。ただ、野球が無くなることは全く想像ができませんでした。

  人とのご縁で新たな世界へ。目標は会社のエースになること

―― セカンドキャリアはどうやって決めたのでしょうか?

本当は野球に何かしら関わりたいなと思っていました。でも、それはどこか安易に考えていたと思います。単純に野球以外のことを知らなかったので。それで、自分で新たな道を探すことにしました。

多少辛いことでも、自分自身がやりがいを感じられるなら、それで良いと考えていました。しかし、野球以外にやりがいのあることが見つかりませんでした。一体どうすればいいんだ、そんな時にすでに社会で活躍している大学時代の仲間に相談しました。

そうしたら、すでに事業を興して活躍している先輩がいるから一緒に会おうと言ってくれました。その後、3人で会うことになるのですが、そこで出会ったのが、現在私が働いている会社の代表の宮下でした。

―― そこで、どのような話をされたのですか?

まずは、自分の考えていることを親身になって聞いてくれました。そして、話を聞いてから、宮下がこのようなことを話してくれました。「これまで、服部くんはずっと野球をやってきたけれど、決して一人の力だけでやってきたわけではない。家族やアマチュア時代の恩師、チームメイト、応援してくれるファンの存在に支えられてきたはずだ」と。

そして、一つの選択肢として、保険代理店の営業マンとして、今度はお世話になった人を支える側に回ってみてはどうかとお誘いいただきました。「同じ立場の人を助けるのは、服部くんにしかできないよ」と。この言葉が胸に刺さりました。

これまで、代わりがきかない存在になりたいと一生懸命練習に取り組んできました。でも、それは野球以外の道でも、目指すことができると知って、その道に進みたいと思いました。

  プロ野球選手のセカンドキャリアをポジティブなものに

―― 現在は保険の営業として活躍されていらっしゃいますね。

2016年4月から保険会社に出向して、2年間保険販売員の資格取得などに励みました。保険の知識を習得するのは難関で、最初は漢字を読むのも大変で辛かったです。でも、なりたい姿があって、そこに向けて努力するのは野球も同じです。ゴールを決めて、そこへ向かって努力できるのは強みだなと感じます。野球以外でも、このことを経験してきた人は強いと思います。

―― 最後に、今後の目標について教えていただけますか。

今はビジネスアスリートとして、自分の叶えたいことに全力で取り組んで、会社を勝利に導きたいです。自分がエースになるつもりで、自分がいるから組織が成り立つと言われるくらいになりたいです。

そして、自分がセカンドキャリアで輝くことで、プロ野球選手の価値を上げたいと思います。社会人選手の中には、せっかくプロになれるチャンスがあるにもかかわらず、諦めてしまうケースもあるそうです。もし、プロ野球界に価値があったら、そんな決断はしないはずです。プロ野球選手になりたいと誰もが思うような地位にしたいです。

  取材後記

ビシッと決まったスーツ姿、爽やかで明るい笑顔。
セカンドキャリアについて語る服部さんの姿は
ビジネスアスリートそのものです。

「自分がエースになる」という想いは
白球を夢中に追いかけていたときから
変わっていないでしょう。

ドラフト前のように「夢に近づくワクワク感」を持ち
彼は今日もビジネスというマウンドに立ちます。
そして、自分にとって最高のボールを投げ続けます。

 

取材・文/山田雄一郎


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