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2018.02.20
誰かの「勇気」や「希望」になる。バレーボール・大山加奈
力強いスパイクに、誰よりもダイナミックなプレー。
見ていて元気になる。勇気をもらえる。
彼女の笑顔に励まされる。
「パワフルカナ」という存在は、私たちに感動を与えてくれました。
Profile
大山加奈(おおやま かな)1984年6月生まれ
元全日本女子バレーボール選手。2002年から7年間、全日本代表として活躍。東レ・アローズに入団後、2004年にはアテネ五輪に出場。強烈なスパイクを武器に「新時代の大砲」として注目された。現在は株式会社ARSに所属し、バレーボール教室、講演活動、JOCのイベントなど幅広く活動。バレーボールやスポーツの魅力を発信している。
INDEX
日の丸を背負う重み、高校3年生で感じた想像以上の覚悟と責任
―― 大山さんがバレーボールを始めたきっかけは何でしたか?
子どもの頃から身長が高くて、小学校に入学してすぐに「バレーボールやらない?」って声をかけてもらったんです。
それで練習を見に行ったのがバレーとの出会いでした。
ただ、喘息持ちで身体が弱かったので、心配した両親に反対されてしまって。
やっと許してもらえたのが2年生のときでした。
小中高と全国制覇して、最初に日本代表に選ばれたのが16 歳。
春高バレーの開幕前日にメディアの方に「代表に選ばれましたね!」って言われて、そこで初めて知ったんです(笑)
驚きましたが、ずっと目標にしていたのでとても嬉しかったのを覚えています。
―― バレー漬けの日々の中、当時どんなことを一番に考えていたのでしょうか。
まず、高校で3冠を獲ることが最大の目標でした。
インターハイ、国体、春高バレーと。
達成こそできましたが、その頃って女子バレーがシドニー五輪を逃した後で。
どん底だったんです。
私は、唯一の高校生代表として世界選手権にも出場しましたが、結果は13位。
すぐ後のアジア大会でも中国と韓国に負けて3位。
帰国するとバッシングで溢れていました。
合宿に参加し始めた頃は、全日本の選手になれたっていう喜びでいっぱいだったんです。
でも、大量のバッシングを目にして、私を選んでくださった監督も解任されて……。
現実を目の当たりにしたんです。
日の丸を背負う重みを突き付けられたのが高校3年生のとき。
想像以上の覚悟と責任を求められることなんだって。
アテネ五輪出場、北京五輪の切符を手にするも大きな怪我で出場断念
―― 私たちには計り知れないほどの重圧ですね……。その後、東レ・アローズ(以下、東レ)に入団されました。進学も考えていましたか?
大学に進むことはまったく頭に無かったです。
バレーボールをやるならトップでやりたい、Vリーグでやりたいってことばかり考えていました。
先を見据えるよりも、今思いっきりバレーをやることの方が大切でした。
周りもそういう進路が多い中、同期の荒木絵里香だけは大学進学を少し考えていて。
彼女はしっかり者で、目の前のことだけじゃなく将来のことも考えていたんです。
ただ、最終的に絵里香は東レに行くことを決めました。
彼女と一緒にバレーをやっていきたい想いと、恩師に勧められたこともあって、私も東レに入団したんです。
荒木絵里香という人の存在は、当時の私にとって大きかったなと思いますね。
―― 2004年のアテネ五輪に出場。ただ、それから4年後の北京五輪は全日本代表候補選手に登録されたものの、出場を断念されました。
北京オリンピック開催中に手術をしたんです。
腰部脊柱管狭窄症(ようぶせきちゅうかんきょうさくしょう)と診断されて。
腰から脚にかけての強烈な痛み、
神経が切れるんじゃないかと思うほどのしびれ……歩くことすらままならない。
お婆ちゃんみたいにずっと腰を曲げていないと生活できなくて。
競技どころじゃなかったです。
正直、生きていることすら辛かった。
とにかくもう、毎日が苦しかった。
ただ、ものすごく葛藤したんです。
その手術後に復帰したアスリートがいないと耳にしていたので、またコートに戻れるか分からない。
手術も怖いし、再発する可能性だってある。
でも、腰の痛みは中学生からずっと抱えていたし、これからも悩まされてリハビリと復帰を繰り返していくのも嫌だなって。
本当に頭を抱えましたね。
引退も考えました。
何度も、何度も。
でも、もし私が復帰できたら誰かの「勇気」や「希望」になれるかもしれないって思ったんです。
前例が無いなら、自分で作ればいい。
だから手術することを決意しました。
- 恐怖を拭っての手術。そして、なんと現役復帰された大山さん。
ご自身も驚くような、大きな変化があったそうです。
私、人が変わったように明るくなったんです。
やっと痛みから解放されたことが嬉しくて、何をするにも幸せで、気持ちがハイになっていました。
このままコンディションをしっかり整えて、必ずまた代表になるんだって気合いも入っていました。
でも、空回りしてしまって。
プレーは上手くいかないし腰の痛みもまた出てきて、モチベーションがガクンと下がってしまいました。
完全に心が折れて、もう一度頑張ろうという気持ちにとうとうなれなかったんです。
26歳で引退を決心しました。
引退を考えている時は、「周りに迷惑をかけるんじゃないか」「期待を裏切るんじゃないか」先のことは何も考えられず不安でいっぱい
―― 「早すぎる引退」と世間に惜しまれました。誰かに相談されましたか?
両親にだけ話しました。
大きな決断をするときは自分の中でほとんど答えを決めているタイプです。
背中を押して欲しくて、最後に大切な人に伝えるくらいですね。
―― 大山さんほどの選手でしたら、引退後の道も明確にされていたのだろうと思います。
いえ、先のことはまったく。
やめたら周りに迷惑をかけるんじゃないか、期待を裏切ってしまうんじゃないかということばかり考えていました。
東レは手術やリハビリに相当お金をかけて、ずっと手厚いサポートをしてくれていて。
何年も戦力にならない私を待ち続けてくれていたんです。
だから、会社に対して申し訳ない気持ちと、応援してくれている皆さんをがっかりさせてしまう不安でいっぱいでした。
引退後は東レの一般社員としてセカンドキャリアをスタートさせることにしました。
これも自分で決めたことです。
会社に支えてもらった分をちゃんと貢献したい、バレーボール界にも恩返しがしたい、そう思ったんです。
現役中に仕事の基礎を身につけることはセカンドキャリアをスタートする上で大きなメリット
―― 周りに対しての想いが強かったんですね。ビジネスの世界で、どんなことから取り組まれましたか?
まず、パソコン教室に通いました。
それも会社が準備をしてくれて、毎日スクールに行って。
ワード、エクセル、パワーポイントを使えるようにとにかく勉強しながら、自分自身にがっかりする日々でした。
周りが普通にやっている常識的なことができない。
ビジネスマナーも何も分からない。
お茶の出し方、名刺交換、電話対応などもマンツーマンで教えてもらったんですが、もし何もせずに社会に出たら大変なことになっていただろうなって。
現役中は競技だけに集中しろという意見もありますが、競技は競技、ビジネスはビジネス。
引退後の自分を困らせないためにも、できることは少しずつやったほうがいいと思います。
その頃から東レでは現役選手たちがシーズンオフのときにパソコンや英会話を習う制度がスタートしました。
仕事の基礎を身に付けることは大きなメリットですよね。
活動の幅を広げたい、スポーツコンサルティング、選手のマネジメント会社に転職
―― 東レの社員としてどんなお仕事をされていたのか、聞かせてください。
1年ほどVリーグ機構に出向して、宣伝業務などを。
出向を終えて東レに戻った後は、広報室に所属しました。
バレーボール教室や講演をメインに全国を飛び回っていましたね。
東レの社名を背負ってバレーボールに関するお仕事ができたことは嬉しかったです。
ありがたいことに個人としても色々とお話をいただくことが多くて。
依頼の量も増えて、活動の幅を広げたいっていう想いがどんどん強くなっていきました。
結果、東レで正社員をやっていくことに限界を感じるようになったんです。
ちょうどそのタイミングで今所属している株式会社ARSに出会って。
スポーツコンサルティングやスポーツ選手のマネジメントなどを行っている会社です。
バレーボール教室、講演活動、JOCのイベント、解説など、今はさらに幅広く活動ができています。
全国各地を回っている日々ですね。
それに加えて東レのCSR活動(社会貢献活動)にも参加させてもらっているんです。
東レとはこれからもずっと繋がっていけたら嬉しいです。
―― バレーを軸にしてさまざまな活動をされていらっしゃるんですね。今、バレーボールに対してどのような想いがありますか?
バレーボールって本当に素晴らしいスポーツだなって思うんです。
引退後に子どもたちと関わる中で、人格形成に適した競技だと気付きました。
次の人が少しでも取りやすい場所に繋ぐ、仲間のはじいたボールを追いかけてカバーする、相手のことを考えて助け合う、こんなにいいスポーツは無いなって。
自分で2回ボールを触っちゃいけないし、必ず誰かにパスを出さなきゃいけません。
人と人との繋がりの大切さを学べるスポーツなんです。
自分のやっている競技の現状を冷静に分析、情報を武器にプレーすレバ意識も戦績も高めていける
―― スポーツとビジネスの両方の世界を経験されている大山さん。ぜひ、現役アスリートへのアドバイスをいただきたいです。
自分がやっている競技について現状を知っておくべきかなって。
客観的な視点を持って、ファンからの関心はどれくらいあるのか、競技人口は増えているのか減っているのか、そういう情報を逃さないようにすること。
それが頭にあるのと無いのでは、プレー中やコート外での振る舞いもガラッと変わってくると思います。
現状を把握して意識を高く持てば、戦績もあがってくるでしょうし、選手たちは人間的にもっと成長できます。
私自身、現役中にやれていなかったので反省しているんですよ。
―― プレーに熱を込めながら、競技を冷静に見ておくことが大切ですね。最後に、これから大山さんがやっていきたいことを教えてください。
私みたいに身体があまり強くない子、運動に対して苦手意識を持っている子、ちょっと自信がない子どもたちがスポーツを楽しめる場を提供したいと考えていて。
今、少しずつ動き出しているところなんです。
バレーボールをやってくれたらものすごく嬉しいけれど、バレーだけにこだわってはいません。
自由に身体を動かすことって面白いな、スポーツっていいな、友達と一緒に何かやるって楽しいな、そんな風に思ってもらいたい。
キッズコーディネーショントレーナーの資格も活かして、子どもたちの底知れないパワーを引き出していきたいです。
取材後記
大山さんには「こうなりたい」と目指すものが常にあって、
そこにたどり着くまでいくつもの壁を乗り越えてきました。
オリンピックに出場する選手になる。
手術後に復帰する前例をつくって、誰かの「希望」になる。
引退してからもバレーボールに関わることで恩返しをする。
そうやって目標を置いて、努力を重ねていて。
輝いている理由は “生まれ持っての才能”だけじゃ無い。
目指すゴールを決めて全力で走ること。それが夢を叶える一歩。
「パワフルカナ」は今もなお、私たちに勇気を与え続けてくれています。

大山 加奈Kana Oyama
元全日本女子バレーボール選手
現在:キッズコーディネーショントレーナー
大山加奈 オフィシャルブログ
https://lineblog.me/oyamakana/
株式会社ARS(大山さん所属会社)
http://www.ar-services.jp/index.html
取材/アスリートエージェント 小園翔太
取材・文・編集/榧野文香
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