2017.10.19

「好き」に向き合う苦しさは成長の証。野球・立川隆史

「僕でよければ、何でも話しますよ(笑)」

「特に気にしないんで、写真もどんどん撮ってくださいね!」

高身長にたくましい体つきですが、目尻を下げて優しく笑う立川さん。インタビューの間も、「あはは」という声がたくさん響きます。

そんな中、ピリッと厳しい顔つきになった瞬間がありました。プロ野球の世界を経験したからこそ、葛藤したこと。

「野球が「仕事」になる。その辛さはありました。」

Profile

立川 隆史(たちかわ たかし)1975年10月生まれ

元プロ野球選手、元格闘家。ドラフト2位で入団した千葉ロッテマリーンズでは強力な打撃と外野手としての守備によりチームの大黒柱的存在に。トレードで阪神タイガースに移籍後、2005年に引退。格闘家への転身を果たす。現在は、豊富な選手経験をもとにして野球解説や指導を中心に行っている。

高校で甲子園出場、ドラフト候補に名前が挙がりプロの世界へ

―― 立川さん、カラダ大きいですね!

182センチありますね。
ずっと野球ばっかりしていたから、ガタイいいんですよ(笑)

―― さすがアスリートですね。野球を始められたきっかけは何だったんですか?

兄貴が先に野球チームに入っていたんです。

親と一緒について行くうちに僕もやろうかなって思って、小学3年生の時に入りました。

特に強豪っていうわけでは無く、家の近所のよくあるようなチームでしたね。

楽しくやっていました。

―― 本格的にプロを目指そうと思ったのはいつ頃だったのでしょう。

高校で甲子園に出てドラフト候補に名前が挙がったときかな、と。
あれ、もしかしたら俺、プロ野球選手になれるのかもしれないぞって(笑)野球少年として夢ではあったけれど、まさか自分がプロの世界に入れるなんて思わないですから。

ドラフト2位で千葉ロッテマリーンズ(以下、千葉ロッテ)に入団しました。

生まれも育ちも千葉だし、高校は野球の名門として有名な木更津市の拓殖大学紅陵に入って、厳しい練習に汗水流して。

そういう感じだったのでやっぱり地元には愛着があったんですよね。

「千葉が好きだから、千葉ロッテに行きたいです。それ以外は何のこだわりもありません。」なんて、生意気なことも言っていました(笑)

好きな野球がプロ選手になって「仕事」になり、責任も伴うように

―― 若いからこそできた発言かもしれませんね(笑)千葉ロッテには何年くらい在籍されたんですか?

1994年に入団してから9年半です。
シーズン途中にトレードで阪神タイガース(以下、阪神)に移籍しました。

―― プロ生活では大変なこと、辛いこともたくさんあったかと思います。

そうですね、色々ありました。

でも、練習はあまり辛いと思わなかったんですよ。

高校のときがめちゃくちゃ厳しかったので、そっちのほうがよっぽど大変だったんじゃないかと。

当時はまだ学生でしたしね。

ただ、プロは野球が「仕事」になる辛さがありますよね。

成績も年俸もすべて公表されるし、周りから散々に言われることもあります。

ちょっと隠してくれないかなぁって思いましたもん(笑)

「好き」の気持ちだけで良かったものが「仕事」になるって、ものすごく大きな責任を伴うものだなと。

成績が振るわなければしんどいし、もちろん調子が悪いなんて言い訳できない。

あと、監督が変われば新しい方針についていかなければならない。

まったく別のチームになると言っても過言じゃないですからね。

プロになってそのあたりは苦労しました。

― 強力かつ安定した打撃。
千葉ロッテの「和製大砲」と呼ばれ、期待通りに活躍された立川さん。

現役中はセカンドキャリアや将来について考えづらい

―― 2004年に阪神に移籍後も、長打力を活かしてヒットやホームランを放たれていました。どうして引退を考えられたのかなと……。

引退を考え始めたのは、阪神に移って二年目の半ばくらいですね。

成績は出せていたけれど、二年目からはずっと二軍で。

僕としてはまだまだやれるし活躍できるという気持ちでしたが、チャンスがなくて。

どうしても一軍に呼ばれなかったので、そろそろ潮時なのかなって感じました。

引退を意識したのはそのときが初めてでしたね。

というか、現役中はずっと「野球をやめたらどうしよう」なんて考えちゃダメだろって思っていて。自分も周りも。

引退というものをシャットアウトしていました。

将来やセカンドキャリアに向けて何かをしておこう、そんな思考もなかったですね。

結局、移籍して一年半後、2005年の秋に引退をしました。

―― 小学生からずっと続けてきた野球。やめることへの不安は無かったですか?

ありましたよ。

ただ、うちは妻がしっかりしていて(笑)僕よりも強い部分があるので、引退をするときも相談にのってもらいましたね。

台湾で打撃コーチ、帰国後はまさかの格闘家に

―― その後はどんなキャリアを歩まれたんですか?

やめてから少し経った頃に、阪神から台湾のプロチームでコーチをやらないかとオファーがあったんです。

強豪の誠泰(せいたい)コブラズというチームで打撃コーチをやっていたんですが、親会社の経営危機によって1年で退任することになりました。

日本に帰ってきてからは格闘家へ転身しましたね。

―― 格闘技、ですか?いきなりの進路変更ですが、どういう出会いだったのでしょうか。

きっかけは格闘家の大山俊護(おおやま しゅんご)さんです。

アスリート・ライブでも取材されていましたよね。

台湾から帰国してたまたま大山さんと出会う機会があって、格闘技のことを聞かせてもらって。

どうしようかなって考えていたんですよ。

そうしたら、またここで妻の出番なんですけど(笑)「これから仕事どうするの?格闘家の方からせっかく誘ってもらっているのにやらないの?肉体労働でもする?頑張れる?」って問い詰められて(笑)そうだな、格闘技やってみようかなって決心したんです。

振り返ると妻にはいつも背中を押してもらっていますね。

ちょうどK-1ヘビー級トライアウトの第一回があったので、受験をしたら準合格をもらって。

3ヶ月後の最終試験で合格できました。

32歳のときですね。

その後すぐに強化指定選手に選ばれて合宿があったんですよ。

マイク・ベルナルドという当時エース級の選手が率いるチームで南アフリカに行って、ものすごくハードな内容をこなしました。

―― 格闘技という新しいジャンルでアスリート人生を続けられたんですね。ちなみにサラリーマンになるという考えは無かったんでしょうか?

無かったですね。

まあ、もしやるんだったら、それこそ肉体労働なのかなって。

野球しかしてこなかった自分にはそれしか出来ないだろうって思っていました。

あと、格闘技にチャレンジしながら、野球関連の仕事もやっていたんです。

千葉ロッテで現役当時から仲良くさせてもらっていた方から「やってみる?」って声をかけてもらって解説の仕事をしたり、あとは子どもたちに教えたり。

色々な繋がりで野球に関わることができていたので、ひとまずこのスタイルを続けていきたいなと。

― 格闘家としてK-1ワールドグランプリなど数々の試合に出場。
持ち前の身体能力とパワーを活かしてKO勝ちもする中、2010年に引退。

格闘家を経験して気づいた野球が好きという気持ち

―― 新たな道として挑戦された格闘技。どうして引退を?

ケガをしてしまったんです。

試合で相手のハイキックをガードした瞬間にひじをやられてしまって、伸びなくなっちゃって。

当時すでに子供たちに野球を教えていたので、これ以上やってしまうと指導できなくなるなって思ったんです。

野球と完全に離れることは考えられなくて。

マネージャーに「もう格闘技は無理そうです。」って伝えました。

―― やっぱり野球への愛が大きいんですね。今はどのようなお仕事をされていますか?

もともとやっていた解説を続けながら、ケーブルテレビでやっている千葉ロッテの応援番組に携わったり、子供たちに野球を指導したりですね。

あとは日本サッカー協会の『夢先生』というプロジェクトに関わって、小中学生にスポーツの楽しさや夢を持つことの大切さを教えています。

子どもたちと触れ合う機会が多いんですが、いつも話しやすい環境づくりを心掛けていますね。

よく知らない大人にああしろこうしろって頭ごなしに言われても嫌じゃないですか。

昔、僕自身そういう大人が苦手だったので、そうならないようにね(笑)まずは自由にやってみなっていう感じにして、子どもたちの心の扉をひらくようにしています。

礼儀やルール、テクニック的なものを教えながら、高校生くらいから少しずつ厳しくしていきますね。

高校に入ると部活も本格的になるし、「これから苦しいことも増えるだろうけど、逃げずに向き合えばそれが自信になるから」って話します。

社会人になって辛いことがあったときも「野球で大変なことを乗り越えたんだから、何とかできるはず」って考えられる、そういう強い心を持って欲しいんですよ。

空気を読むことは相手のことを考えるクセが身につく

―― 野球をやっていたからこそ、立川さんが身に付けられたことを教えてください。

人との付き合い方は間違いなく上手くなりますね。

監督やコーチ、先輩、後輩という感じで、チームって個性を持っている人の集まりじゃないですか。

そういう環境でコミュニケーションを取っていると、チームの外、それこそ社会に出ても人への対応がしやすいですよね。

これは自信を持って言えます。

あとは、いい意味で空気がよめるようになりますね。

野球ってスポーツの中でも「監督が絶対」という雰囲気があるので、表情や口調から「今きっと監督はこう考えているだろう」って察しながらやっていたんです、僕は。

その習慣から、たとえば初対面の人に対しても「あまりグイグイ話さないほうがいいだろうな」とか、空気をよんだコミュニケーションをしますね。

相手のことを考えるクセがつくんだと思います。

僕は野球歴が長いのでどうしても野球メインの話になりますが、格闘技からも学んだことはありますし、スポーツをやっていると必ず身に付くものがありますよね。

―― 競技に打ち込んだ経験って本当に大きな財産ですよね。立川さんのこれからの目標は何かありますか?

僕ね、野球のユニフォームをもう一度着たいんです。

現役選手っていう意味じゃなくコーチとして、できれば千葉ロッテのユニフォームを。

はっきりとした理由なんて分からないけれど、やっぱり千葉ロッテっていうチームが大好きなんですよね。

人脈だけでなくタイミングや運なども必要なので簡単なことじゃないと分かってはいるんですが……それが今の一番の目標ですね。

自分と向き合って出した決断を大切にして欲しい

―― 最後に、現役のプロ選手たちへメッセージ、セカンドキャリアが不安な選手へのアドバイスをいただきたいです。

うーん……これってほんと難しいんですよね。

引退後のことを今から考えておくべきだよっていうのもあるし、現役中はとにかく最後まで競技に没頭するべきだっていうのもありますよね。

悔いを残さないように。

僕がどちらかを選んで、「こうすべきだよ」とは言えないなって思うんですよ。

だって本人が決めることだから。

自分がやり切りたいんだったら目の前の練習や試合を精一杯やればいいし、今から将来のことを考えておきたいなら準備すればいい。

それは僕がとやかく言うことじゃなく、選手たちが選ぶことですよね。

自分自身と対話して決断する。それを大切にして欲しいです。

取材後記

「子どもたちに教えて、無邪気に笑いながらプレーする姿を見ていると思うんですよ。やっぱり野球って楽しいんだなって。僕、野球が好きだなって。」

取材中、嬉しそうに話される立川さんを見ていると、心の底から野球を愛していることが伝わってくるんです。だからこそ、野球が「仕事」になることは辛かったと思います。

好きなことが「好き」だけじゃ許されなくなると、苦しい。でも、それって、好きなことに対してしっかりと責任を持てるようになった。そういうステップアップなのではないでしょうか。

競技が辛くなったとき、しんどいとき、苦しいとき。
それは「好き」に真剣に向き合っている証なのだと思います。乗り越えた先で、必ず成長できる。

そう、プロの世界で大きくなった立川さんのように。

立川 隆史Takashi Tachikawa

元プロ野球選手、元格闘家
現在:プロ野球解説、野球コーチ


立川隆史 オフィシャルブログ
http://tachikawa.blog.players.tv/

取材/アスリートエージェント 小園翔太
取材・文・編集/榧野文香

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